信心決定とは
まず、信心決定(しんじんけつじょう)を述べる上で、大切なのは、「誰が」決定するのか、ということです。
当流における信心決定とは、自分で決定するのではありません。
あくまでも、弥陀に定めていただくものです。
自ら定めること叶う機は、弥陀をたのむ必要がありません。
決定について
「決」の字を良く見て下さい。右側に、「コ」のようなものがあり、そこに「人」が刺さっているでしょう?
そして、左半分には、「水」の字が見えます。
これは、弥陀が凡夫を「コ」の字にえぐり、そこに、本願海の水を注いでくださるのです。
(この文字は、弥陀の側から見ておりますので、反対にすれば、凡夫の側から見ることになります。)
この「決」には、「極まり」の意味もございます。
「定」というのは、その極まりにおいて、定めてくださる。
上に「ウ」とありますね。これが蓋です。
下に見える「疋」は、正定聚の「正」です。
そして、上の「ウ」が「不退」を表しています。
しっかりと蓋をして、確実に、極楽浄土へと往けるようにしてくださいます。
自分で決定しないなら、凡夫は何をするのか
自分で信心決定しないのであれば、凡夫の側からは、何をするのでしょうか。
凡夫の側からは、「弥陀をたのむ」のです。
ところが、凡夫には、その「たのみ方」もわかりません。
弥陀をたのめば救われるとわかっても、たのみ方がわからないのです。
もちろん、その方法は「南无阿彌陀佛」なのですが、それが何だかわかりません。
ですから、次第相承の善知識に遭い奉り、六字の謂れを聞き開かねばならないのです。
そうして、弥陀をおたのみすると、弥陀はよろこんで光明を発してくださり、即座に信心決定してくださいます。
信心決定の凡夫
親鸞聖人の御消息に、「信心決定の凡夫、位は正定聚の位なり」というお言葉が出て参ります。
惑染凡夫が、そのままにして、凡夫直入の往き易き捷径を通り、そのトンネルを過ぎれば、信心決定の凡夫、正定聚の位となっております。
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