真実信心を獲信して極楽往生治定したい方、そして、信心決定した方のために

毎日の浄土真宗

弥陀をたのむ

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◎ふたごころなく如来をたのむこころの、ねてもさめても憶念の心つねにしてわすれざるを、本願たのむ決定心をえたる信心の行人とはいふなり(御文1-2)

◎これによりて、ただふかくねがふべきは後生なり、またたのむべきは弥陀如来なり(御文1-11)

◎「その名号を聞く」といへるは、南無阿弥陀仏の六字の名号を無名無実にきくにあらず、善知識にあひてそのをしへをうけて、この南無阿弥陀仏の名号を南無とたのめば、かならず阿弥陀仏のたすけたまふといふ道理なり(御文1-15)

◎これによりて『大経』(下)に は「易往而無人」とこれを説かれたり。この文のこころは、「安心をとりて弥陀を一向にたのめば、浄土へはまゐりやすけれども、信心をとるひとまれなれば、浄土へは往きやすくして人なし」といへるはこの経文のこころなり(御文2-7)

◎このゆゑに、ただねがふべきは極楽浄土、ただたのむべきは弥陀如来、これによりて信心決定して念仏申すべきなり(御文3-4)

◎されば南無阿弥陀仏と申す六字の体はいかなるこころぞといふに、阿弥陀如来を一向にたのめば、ほとけその衆生をよくしろしめして、すくひたまへる御すがたを、この南無阿弥陀仏の六字にあらはしたまふなりとおもふべきなり(御文3-4)

◎しかればこの阿弥陀如来をばいかがして信じまゐらせて、後生の一大事をばたすかるべきぞなれば、なにのわづらひもなく、もろもろの雑行雑善をなげすてて、一心一向に弥陀如来をたのみまゐらせて、ふたごころなく信じたてまつれば、そのたのむ衆生を光明を放ちてそのひかりのなかに摂め入れおきたまふなり(御文3-4)

◎これすなはち三信とはいへども、ただ弥陀をたのむところの行者帰命の一心なり(御文4-1)

◎ひとたびもほとけをたのむこころこそ まことののりにかなふみちなれ(御文4-4)

◎つみふかく如来をたのむ身になれば のりのちからに西へこそゆけ(御文4-4)

◎「即是帰命」といふは、われらごときの無善造悪の凡夫のうへにおいて、阿弥陀仏をたのみたてまつる こころなりとしるべし。そのたのむこころといふは、すなはちこれ、阿弥陀仏の衆生を八万四千の大光明のなかに摂取して往還二種の回向を衆生にあたへましますこころなり(御文4-6)

◎これを心得べきやうは、まづ南無阿弥陀仏の六字のすがたをよくよく心得わけて、弥陀をばたのむべし(御文4-11)

◎されば弥陀をたのむ機を阿弥陀仏のたすけたまふ法なるがゆゑに、これを機法一体の南無阿弥陀仏といへるはこのこころなり(御文4-11)

◎弥陀の名をききうることのあるならば 南無阿弥陀仏とたのめみなひと(御文4-13)

◎さればわれらごときの愚痴闇鈍の衆生は、なにとこころをもち、また弥陀をばなにとたのむべきぞといふに、もろもろの雑行をすてて、一向一心に後生たすけたまへと弥陀をたのめば、決定極楽に往生すべきこと、さらにその疑あるべからず(御文4-14)

◎また阿弥陀仏の四字はたのむ衆生をたすけたまふかたの法なるがゆゑに、これすなはち機法一体の南無阿弥陀仏と申すこころなり(御文4-14)

◎このほかにいろいろの法門どもありといへども、ただ一念に弥陀をたのむ衆生はみなことごとく報土に往生すべきこと、ゆめゆめ疑ふこころあるべからざるものなり(御文5-6)

◎されば一念に弥陀をたのむ衆生に無上大利の功徳をあたへたまふを、発願回向とは申すなり(御文5-13)

◎さればその信心といふは、いかやうにこころをもちて、弥陀をばなにとやうにたのむべきやらん。それ、信心をとるといふは、やうもなく、ただもろもろの雑行雑修自力なんどいふわろき心をふりすてて、一心にふかく弥陀に帰するこころの疑なきを真実信心とは申すなり(御文5-15)

◎余行をすてて念仏をするは、阿弥陀仏をたのむこころのひとすぢなるゆゑなり、これ至誠心なり(後世物語)

◎他力といふは、弥陀をたのむ一念のおこるとき、やがて御たすけにあづかるなり(聞書1)

◎聖教をよくおぼえたりとも、他力の安心をしかと決定なくはいたづらごとなり。弥陀をたのむところにて往生決定と信じて、ふたごころなく臨終までとほり候はば往生すべきなり(聞書12)

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