獲信者とは
「獲」の字は、因位のときうるを獲といふ。「得」の字は、果位のときにいた りてうることを得といふなり。
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◎遇獲信心遠慶宿縁(略本)
◎「獲信見敬大慶喜」といふは、法をききてわすれず、おほきによろこぶひとをば、釈尊は「わがよき親友なり」(大経・下)とのたまへり(正信偈大意)
◎「獲信見敬得大慶」といふは、この信心をえておほきによろこびうやまふ人といふなり。「大慶」はおほきにうべきことをえてのちによろこぶといふなり(尊号銘文)
◎されば弥陀に帰命すといふも、信心獲得すといふも、宿善にあらずといふことなし。しかれば念仏往生の根機は、宿因のもよほしにあらずは、われら今度の報土往生は不可なりとみえたり。このこころを聖人の御ことばには「遇獲信心遠慶宿縁」(文類聚鈔)と仰せられたり。これによりて当流のこころは、人を勧化せんとおもふとも、宿善・無宿善のふたつを分別せずはいたづらごとなるべし(御文4-1)
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