浄土の朝飯前
浄土に往って何をするのかというと、菩薩行をします。
22願
梵文和訳。岩波文庫版です。
世尊よ。もしも、わたしくしが覚りを得た後に、かの仏国土に生まれるであろう求道者(菩薩)たちが皆、朝食前の(僅かな)時間に他の諸々の仏国土に行って、数百の多くの仏たち(諸仏)、数千の目ざめた人たち、数百千の多くの目ざめた人たち、数億の多くの目ざめた人たち、さらに、数百千億・百万の多くの目ざめた人たちに至るまで、楽しみを生ずるために必要なあらゆる種類のものを以て供養すること---それはすなわち仏の威力によってそうするのであるが---ができないようであったら、その間はわたくしは、<この上ない正しい覚り>を現に覚ることがありませんように。
往生要集、地蔵菩薩
極楽に行くと、聖衆倶会の楽と言って、尊い方々に会う楽しみがあります。
地蔵菩薩は、毎日の晨朝に恒沙の定に入りて、法界に周遍して苦の衆生を抜きたまふ。
「晨朝(じんじょう、じんちょう)」というのは、卯の刻のことで、今の午前6時頃のことです。
自身の楽
極楽浄土は、素晴らしく美しく、そして、快適なところです。
あくまでも、私たちを救うために、お作りになってくださいました。
もし人、無上菩提心を発さずして、ただかの国土の楽を受くること間なきを聞きて、楽のためのゆゑに生ずることを願ずるは、またまさに往生を得ざるべし。このゆゑに、「自身住持の楽を求めず、一切衆生の苦を抜かんと欲するがゆゑに」といへり(往生論注)
自分では自分を救うこともできない私たちは、まず弥陀に救っていただいて、そのことによって、はじめて菩薩行をすることができるようになるのです。
信を取るのは、あくまでも「一切衆生の苦を抜かんがため」なのです。
この気持ちが、極楽浄土を私たちのためにつくってくださった阿彌陀様のお気持ちと照応して、浄土に往けるのです。
とは言っても、阿弥陀様のお気持ちに照応できるほど尊い気持ちを、どうやって出したら良いのでしょうか?
私たちの「救いたい」という気持ちなど、ちょっとしたことで怒ったり、イライラしてしまう程度のものであって、弥陀のお気持ちに照応することなどできません。
ですから、弥陀は、この度衆生心を、直接私たちの心に入れてくださいます。
弥陀の気持ちをいただく方法
そのための方法が、「南无阿彌陀佛」です。
「南无阿彌陀佛」によって、弥陀は自らの清浄な心を、凡夫に渡してくださいます。
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