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[ 746 ] 度無所度の義の解釈について
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2008/08/18 (Mon) 17:15
△up ▽down
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衆生を浄土に度するが、一人として滅度に至るまで浄土に留まることなく、第五門の回向門により即時娑婆に還相する。「所有無し」とは、衆生は無常故そのままあることはなく、阿弥陀の本願力の中にあって、遅かれ早かれ菩薩の教化に遇う。このように一切衆生は信心獲得しても煩悩具足のまま、瞬時に菩薩として還相する様は、度すれども度すれども、一見何事もなかったように娑婆の生活の日々があり、まるで遊んでいるようだ。しかし、すべては本願力の自然な働きの中にある。
この解釈について、ご意見ご指導を頂ければ幸いです。
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●re.1
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