讃嘆・味わいなど

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●No.24
菩提心
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[ 676 ] 信後の味わい5 2009/02/02 (Mon) 10:15 △up ▽down
1月30日付けの組合たよりも予定通りに出来上がり、久々にこの掲示板を開けてみた。

全然進展してないので、勝手に書き込んだ。


図書館で、4〜5冊ワードに関する本を借りてきて、ようやく日付とおりに間に合った。

出さなければいけない時間は決まっている。
1月23日の理事会の日には、早朝6時30分に事務所に出かけて、自分の出来る範囲だけでもと、やってみた。

初めて知った。

事務所の窓から、朝陽が雲間から顔を出しているのが見えた。

嬉しかった。

きっと、わたしが四苦八苦していることを誰も分ってくれなくても、
阿弥陀様は分ってくれているようで、頑張ることが出来た。

期待していた人からの原稿も頂く事が出来なくて、
この時、初めて人に頼っていた自分が知らされた。

この人生も同じように思えた。

超えられない山は絶対無いんだと思った。

もう少し努力すれば、超えられる山を、

なまくらなわたしは、人のせいにしたり、
愚痴ったり、怒ったりしてきたのかも知れない。

わたしの目の前の高い山は、少しずつ、里山になり、林になり、そしていつでも散策できる丘になっていくのだろうか?

ひとつの課題を成し遂げたようで、わたしの心は落ち着いている。

南无阿彌陀佛

●re.1
菩提心
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[ 686 ] 修行僧のような人 2009/02/09 (Mon) 10:42 △up ▽down
駅の待合室で、「寒いですね」って声を掛けられた。

とても綺麗な人だった。

たった10分間ぐらいの会話だったが、自然に涙がにじんできた。

農家の一人息子のところに嫁いで30数余年、
28歳で後家さんになった姑の苛めにあってきたという。

おしめを洗うのも、外の小川でし、雪が降っていても家の中ではさせて貰えなかったそうだ。
給料は封も開けずにそのまま御主人のも一緒に渡していたそうだ。
3人の子供を産んだそうだが、一度も喜んで貰えず、3人目の子供の時は、外に乳母車を投げられたそうだ。
早朝から台所、畑や田んぼの草取り、帰ったら夕食の用意。

「離婚は考えられなかったのですか?」思わず聞いてしまった。

年下の主人ということと、子供が可哀想ということと、同じように実母が離婚しているので反対した親に心配かけたくないこと。

絶対、愚痴は言わないと決めていたこと。

「お姑さんは亡くなられたのですか?」と又又、ぶしつけな質問をしてしまった。

今は、老人介護付病院に入っているそうだが、毎日殺せ!と医者に言って困らせているそうだ。

ストーブの側で同じように聞いていた人から「因果応報ね」って声が漏れてきた。
「一番世話になる人に感謝しないからだわ」って言う人もいた。

その人は、「でも苦労した分、今はとっても幸せよ」と明るい声で応えてくださった。

本当に苦労が全く顔に出ていない、とっても綺麗な人だった。

何故か、今朝から、わたしも愚痴ってないで頑張ろうという思いがしてきた。

みんな一生懸命に生きているんだなと思った。

わたしの苦労って、とっても小さな事のように思えてきた。

南无阿彌陀佛

●re.2
菩提心
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[ 690 ] 最近読んだ本 2009/02/10 (Tue) 11:02 △up ▽down
下の階の彼女「○○ちゃん、どうしてそんなに先の事で悩むの?」

わたし「そうなのよね、後生は全く気にならないのにどうして、明日の生活にこんな思い悩むのか自分でも嫌になってしまう。もう、何と言うか大きな塊のようなものが覆いかぶさっているようなの。これさえ取り除ければ、何かパーと明るくなりそうなんだけど」

そんな気持が今でも続いている。

それが知人に借りた本を読んで、何だかすごく気が楽になった。

○脳にいいことだけをやりなさい
 著者  マーシー・シャイモフ   訳者  茂木健一郎

マイナス思考の母に育てられ、あまりに長く後生は無間地獄と聞かされ、わたしの神経回路はマイナスイメージをなかなか払拭できないでいる。

でも、この本には「脳は大人になってからも柔軟で、私たちが考え方や感じ方や行動パターンを変えれば、脳はそれに応じて自ら溝を変えていく」

自分の脳でさえ、考え方を変える事で、しあわせな気分になれる。

そういう思いで、今の自分をもう一度振り返る事が出来た。

わたしは何を求めてきたのだろう。

苦しまない世界。しあわせの世界。

この本を読みながら、しあわせを実感できた。

やっぱり、わたしは欲張りなんだと思う。

そんな欲張りなわたしを、それでもやさしく包んで下される阿弥陀様。

南无阿彌陀佛

●re.3
菩提心
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[ 696 ] わたしのパワースポット 2009/02/16 (Mon) 10:05 △up ▽down
月曜日に、仕事の事で嫌な情報が入りそうで、自分で決めたパワースポットに出かけることにした。

日曜日は、2月だというのに好天気に恵まれ、犬を連れて「吉崎御坊」の蓮如上人の銅像のある頂上まで登った。

誰一人いない。

鹿島の森を見ながら、蓮如上人を偲んでみる。

全然、聞法心もなく、ただ惰性のように生きていたわたしが、このような場所にたたずんでいるのが不思議だ。

蓮如上人が腰掛けたという石の上に、わたしも腰掛けてみる。

何だか嬉しくなる。有り難くなる。

丁度、地元の人が一人健康の為と言いながら散歩している途中、わたしの話相手をして下さった。

最近は、この頂上まで来られる人はめったにいないそうだ。

でも、階段を足の短いミニチュアダックスフンドが、まるで喜び勇んで登る様子を後ろから眺めていたわたしは、絶対来世では仏法に縁有る人間に生れて欲しいと思った。


そして、今朝、理事長からの電話が入った。

わたしの予想に反して、有り難い結果だった。

「頑張れよ」って言って下さった。

これで、一年無事に勤められそうなので、早速、パソコンを買うことに決めた。

南无阿彌陀佛

●re.4
菩提心
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[ 706 ] 思い出の死 2009/02/26 (Thu) 15:57 △up ▽down
「おくりびと」の映画がアカデミー賞を貰ったが、息子に勧められて観ておいて良かった。

でも、なかなか人の死を間近に見ることはない。

わたしは、なぜか祖父の死が思い出された。

50年前ぐらいの出来事なのに、ハッキリと昨日のように、断片的だが脳裏に焼きついている。

何故か騒がしい気配で眠たい目を開けたら、そこには叔母達が忙しそうにしていた。

祖父が死んだのだと聞かされた。

祖父は、大きな仏間の片隅で寝ていた。胃癌だった。
苦しそうに咳き込む声がしたかと思うと、コールタールのような固まりの異臭を放った吐物の匂いが部屋に広がって、わたしは怖くて側にも寄り付けなかった。

元気な祖父は、あまり好きではなかったので、多分優しい言葉かけなどしなかったのだろう。
でも、なぜか悲しくて、大泣きしたと思う。

初めて見る、祖父の死体。
大きな綿の塊がどんどん、穴という穴に押し込まれていく。
わたしは、その情景が不思議で、どうして後から後から入っていくのか関心しながら見ていた。

叔母達が、祖父の場所から居なくなり、わたしだけが側で、ジッと祖父の遺体を眺めていた。
突然、祖父の足が飛び上がった。
ビックリしてしまい、今の状況が飲み込めなかった。
大人になって、そういう事はないこともないと分ったが、ずっとそれはわたしの秘密であった。

棺おけに入れられた祖父の姿。まるで昨日の出来事のようだ。


父の臨終時には、家族が医者に呼び出され、献体(内臓の一部)を承諾した途端、看護婦がそそくさと父の点滴の注射針を腕から外して行ってしまった。
まだ生きているのに、目の前で父の息が途絶えていく。

病院から帰ってきた父の横で休んでみた。
あんなに生きていた時は、「お父ちゃん、お父ちゃん」って呼んでいたのに、誰もいない部屋に父の死体の横にいるのが少し怖いと思った。
そっと、父の額に手を当ててみた。
でも、やっぱり冷たい父を触るのは怖かった。
慌しい中での葬儀で、じっくりと父との別れも出来なかった。

「おくりびと」の映画が出来るきっかけを、テレビや新聞で知った時、すごい感性の持ち主なんだなと本木雅弘という俳優が世界の注目になって嬉しいと思った。

若い人が、身近に死を感じる機会は少ないが、しかしこの世に生れてきた以上、死は必ずやってくる。
わたしは、その死を超えて、摂取不捨の身にさせていただいている事が、身に沁みて有り難いと思う。

南无阿彌陀佛

●re.5
菩提心
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[ 707 ] 今度は鹿島の森へ 2009/02/28 (Sat) 17:26 △up ▽down
今日も天気が良かったので、又吉崎御坊まで行ってきた。

枯れてしまった松の代わりに、山桜の苗が植えてあったが、今日はチラホラと薄いピンクの花びらが咲いていた。

蓮如上人の銅像に手を合わそうとしたら、丁度その頭上に太陽が重なり、まるで円光のように見えた。

見玉尼のお墓では、この前来た時、黄色の蝶々が飛んでいたので、帖外御文を思い出した。今日はいなかった。

帰りに、鹿島の森に行ってみた。

一匹も蟹は見なかったが、散策しているカップルと数組行き違いになり、挨拶を交わした。

犬を連れていると、自然にただの挨拶から、二言三言お話出来るので、犬のお陰だなと思った。

北潟湖畔が見える小高い公園に足を延ばした。

東の空に白山が見え、その稜線からまるで光明のように、薄い雲が広がって見えて、思わず嬉しくなって芝生の上に寝転んでしまった。

雲が虹色に変化していくのがハッキリ見えた。

あ〜、きっとこの空を眺めて、キャーキャーと喜んでいるのはわたしだけだと思ったら、嬉しくなってきた。

その虹の中を銀白色の飛行機が飛んでいる。

近眼のわたしも、空気が綺麗なせいか良く見えた。

なぜか、このような情景を阿弥陀様から見せて頂いたようで感慨無量になった。


ようやくパソコンも手元に届いたので、すぐに帰って感想を書いてみた。

でも、新しいのでなかなか慣れない。

これも年のせいかも知れない。

主人に贅沢だって叱られると思ったが、もうわたしの楽しみはこの先、パソコンに入れた色々な本を読むことしかないと思ったのか、諦めるより、温かく見守ってくれているようだ。

本当に有難いと思った。

この年で充実した日が送れるのが一番有難い。

南无阿彌陀佛

●re.6
菩提心
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[ 708 ] Re1:今度は鹿島の森へ 2009/03/30 (Mon) 09:28 △up ▽down
又々、鹿島の森と吉崎御坊に出かけた。

知人が鹿島の森は知らないということで、2日続けて行くことになった。

昨日とは違う場所を歩いて見た。

その後、御坊の跡から、鹿島の森を眺めてみた。
その向こうは日本海が広がっている。

蓮如上人の仏像の前で、最初に45円(しじゅうごえんありますように)のお賽銭を上げたせいかどうか知らないが、立て続けに来るとは思わなかった。

でも、心が落ち着いてくる。

蓮華蔵様からの御返事も頂けたので、ますます勇気が湧いてきた。

決算月に入り、仕事が忙しくなりそうだが、2日間で十分にエネルギーを頂いたようで頑張れそうだ。

南无阿彌陀佛

●re.7
菩提心
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[ 709 ] 突然、下の彼女が 2009/03/13 (Fri) 10:38 △up ▽down
「○○ちゃん」って、彼女がうるうるの目をしてわたしに語りかけてきた。

最近、彼女も「おくりびと」の影響か、青木新門氏の「納棺夫日記」を買って読んでいたのだという。

その中に、蓮如上人の「白骨の章」が書いてあり、白骨の御文章を読んでいたのだという。

その彼女の示した御文章は、皮肉にも親鸞会発刊のものだった。

「○○ちゃんが、いつも言っているのと違うように思えるけど、でも、普通の人は後生の一大事なんて興味示さないよね。多分、私の周りでは誰もいないよ」

「それが、一人いたんだよね、それも私の目の前に」

「私の目の前のおばさん、ホントに変なおばさん」

「私までどうして、こんな仏教書を読みたくなってきたんだろう?毎日変なおばさんと接しているからかしら」

そう立て続けに話終え、

「仏教の本を読もうとする時は、心が落ち着いている証拠だ」と言ってくれた。

ここ最近の彼女の心が不安定だったので、わたしも嬉しくなった。

彼女とわたしが一緒に買った本の中に、「欽明天皇」が書いてあったので、歴史の好きな彼女は、早速調べると言っていた。

調べたら、わたしにも教えてねと頼んだ。


同じビルの中で、最近は毎日のように何かしら仏教の話をしている。

きっと、過去世では、深い因縁で結ばれていたのかも知れない。

過去には大喧嘩もしたのに、今ではわたしに気を使ってくれたり、説教してくれたりしている。

これも阿弥陀様のお陰って思えるのが嬉しい。

南无阿彌陀佛

●re.8
菩提心
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[ 710 ] Re1:突然、下の彼女が 2009/03/13 (Fri) 14:04 △up ▽down
昼休み時間、外食した後、コーヒーショップに入った。

コーヒーを飲みながら、「私達ってやっぱり不思議なご縁かも知れないね」と彼女から言われた。

わたしは、この時「往生要集」を読んでいた。

わたしに、どんな本って聞いてきたので少し説明しだしたが、

あっさり、「全然分んない、ホントに○○ちゃんは、説明がへたね」って言われてしまった。

側で彼女が、わたしの本を手に取り、難しそうだから簡単な本が読んでみたいと、二人で帰りに本屋に寄った。

仏教の基礎本やブッタの本等、色々眺めていたが、親鸞聖人の基礎が分る本を買った。

わたしは、聖典が2冊で約1万2千円ぐらいしたので、丁度今度の政府から頂くお金をこれに使いたいと彼女に言った。

二人が本屋で仏教書を探しているなんて、ニ年前はとても考えられない光景だ。


ビルの階段を上がる時、彼女が

「ねえ、教行信証って言ったっけ。それ私も読んでみたい、歎異抄も読んでみたい」と急に言い出した。

全く、午前中までわたしの事を奇人変人扱いしていたのに、彼女の心の変化に驚いてしまった。

この先の彼女とのご縁がどうなるか、わたしも想像出来ないが、きっと阿弥陀様は見守って下さっておられるようで、わたしは嬉しくなった。

南无阿彌陀佛

●re.9
菩提心
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[ 737 ] たわいない一日に満足 2009/03/21 (Sat) 11:30 △up ▽down
3月20日は息子の誕生日なので、名古屋から帰ってきた。

息子は、必ず帰ってきたら、お墓参りをすることに決めている。

お墓参りの時、掲示板に書いた祖父の分骨したお墓の後ろをもう一度読んでみたら、不思議な事に彼女の名前と、死んだ叔母の名前が一緒だった。

息子も一緒にその御墓に花を供え、合掌していた。


その帰りの車の中で、息子が

「お袋、コンデンスミルクって知っている?」と聞かれたので、「あ、いちごにかける練乳の事でしょ」と答えた。

「あ、それそれ、俺、嫁さんがいちご狩りにかけるから持っていくかと電話があったんで、そんなもの要らないよ、ためてなくてもすぐ出せるから」

「(何言っているのよ、あんた馬鹿じゃない)って言われてサー、何でだよ、○子の事だろ」

○子のところを清酒とすぐにインプットされたわたしは、中途から話す息子の内容が分からなくなってきた。

清酒にコンデンスミルクをかける??

何で嫁さんに馬鹿呼ばわりされるんだろう??

「それでさー会社に行って聞いたら、ミルクとかけるを思って、俺と一緒で、あ、先輩それ○子の事でスッカ」

そこですぐに分かって、「ホントにあんたって馬鹿ねえ」って大笑いした。

息子は娘夫婦とイチゴ狩りに4人で行ってその事を会社の友人の話のようにして妹夫婦に言ったらしい。

娘夫婦「義兄さん、冗談でしょう、その話絶対有り得ないよね、作り話でしょう。ほんとに馬鹿だよね。」って二人に大笑いされたらしい。

「ねえ、それで○ちゃん←嫁の名前 はどうしてたの、それ聞いて」

「あ、苦笑いしていた」

あはは、二人で盛り上がって大笑い。


「ところで、このまま別居結婚続けていて、孫でもできたらどうするの」と聞いてみた。

息子は名古屋、お嫁さんは、実家で生活している。

息子「まあ、お袋には預けられないよな。子供がどう育つか心配だよ、犬もいることだし」

わたし「そうよね、赤ん坊の傍に犬がぺろぺろと顔を舐めていたりして・・・」

息子「冗談でもやめてくれよ」

わたし「それもいいかもね、どっちみち同じ生き物だし、差別したら可哀そう」

案外真剣に言っているわたしの顔を息子は、自分はまともに育っていると思っていたのか信じられないような顔をした。

馬鹿〜みたい。お互いにどっちもどっち。ナニヨいまさら。


息子夫婦は、お嫁さんの家族達と温泉らしい。

娘夫婦は、東京の御両親と長野でおちあい、スキーと温泉三昧。

そして、わたし達夫婦は、冷蔵庫で賞味期限スレスレのサンマを焼いて食べている。

友人から電話が入り、淋しくないって聞かれたけれど、

「全然、でも阿弥陀様に救われているから良かったわ、と思うわ。きっと救われていないと少々、姑根性も出そうでしょ、全くそんな気持ちが起きてこないから、それは有難いよね」

息子も、娘もそれぞれ幸せだったら、親も幸せだと思えるようになってきた。

南无阿彌陀佛

●re.10
菩提心
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[ 747 ] 駅での会話 2009/03/23 (Mon) 10:35 △up ▽down
3月、ウグイスの声が歩いている道中聞える。

しだれ桜の花がほのかにピンクがかって、春だな〜。

るんるん気分。

何となく、心もにこにこ。

そんな感じで、駅の重いとびらを開いた。

「奥さん!、奥さんの会話楽しくって、今日も会えないかなって思っていたのよ。」

「ワー、有難うございます。!」

「でも、失敗談ばかりですよ。」

「御免なさい、その失敗談がとっても面白くて」


どの失敗だろう、一杯あり過ぎて。

何を言ったかよく覚えていない。

ハイター飲み込んだこと?

事務所に閉じ込められたこと?

まあ、何でもいいわ。

朝の会話が楽しけりゃ。

南无阿彌陀佛

●re.11
菩提心
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[ 795 ] 犬と散歩しながら思ったこと 2009/03/29 (Sun) 08:45 △up ▽down
穏やか春の日差しの中、堤防沿いを小一時間散歩していた。

同じように散歩していた洋犬が2頭、突然こちらに向かって走ってきた。

キャン、キャンと今にも飛びかかってくるのではないかと思ったが・・・

○○の前まできたら、お互いが鼻先で匂いを嗅いで、確認している様子だ。

「済みません」ちょっと、厳つい男性に声をかけられた。

「いいえ、大丈夫です」

「この犬、散歩中は、どんな犬にでも愛想がいいですから」と答えた。

別れる時、キューン、キューンと○○と離れるのが嫌っていう鳴き声を出した。

本当に不思議な犬だ。

釈尊が、色々な世界で助けておられると聞いたが

時々、この犬もそうではないのかと思えてくる。

芸など出来ない馬鹿な犬だが、とても癒される。

わたしが布団の中で、悔し涙を流す時は、いつもジッとわたしを見つめ、全身で慰めてくれているようだ。

この犬はもともと彼女が少し飼っていた犬なのだ。

飼えないというので、わたしが飼うことになった。

彼女に似て、大きな目で愛くるしく、鼻筋が通っていて美顔である。

でも、体は益々わたしに似てきて、今では、ミニチュアダックスなのに、スタンダードですかと声をかけられる。

どんなに吠えられても、絶対自分から吠えない。

全く無視して通り過ぎる。

○○、有難う。

○○を見ていて反省するよ。

南无阿彌陀佛

●re.12
菩提心
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[ 796 ] 菩薩のとらえ方 2009/03/29 (Sun) 18:10 △up ▽down
ある方とお電話していた。

わたし達の事を救われたら菩薩と言われるのは、

あくまで仏様から見て言われた御言葉ですよ。

凡夫のわたし達から言うのではないのです。

成るほど。

確かにわたし達が、自分の事を菩薩だと思ったら、驕慢な思いは出てくるだろうな。

信心決定しているからと、どんどん胸を張って、

言葉と態度が裏腹な人を見てきて、がっくりしてきたけれど。

そういうことだったんだ。

菩薩のとらえ方が違っていたんだ。

弥勒と同じと言われるのは、

阿弥陀様を疑わずに「頼んだ」わたしを、諸仏・諸菩薩が誉めて下さった御言葉なんだ。

だからわたしは今生では、やっぱり凡夫なんだわ。

こんな大事なお話を聞けるのも御同行のお陰。

有難うございました。

南无阿彌陀佛

●re.13
菩提心
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[ 802 ] 電化製品に囲まれて 2009/04/03 (Fri) 00:19 △up ▽down
決算月を終え、総会にむけての準備で忙しい。

又、新しくパソコンが本部から送られてくる。

どうしてこんな時期にって思ったが、この不景気の時代に、ただで頂けるので感謝したい。

わたしの周りはタコ足配線みたい。

パソコン2台、FAX付コピー機、スキャナ付きコピー機、電話機2台、プリンター。

しかし、この歳で、説明書を読むのもおっくうになってきた。

「え〜と、この線の先は、あの線」

番号をしっかり書いて置かないと、来る業者、来る業者に色々配線を変えられてしまう。

事務所に居ても、電話に出ないと怒られ、

FAXは流れてこない。

電化製品に振り回されている。

ようやく、これで落ち着けると思ったが、これで新しいパソコンが入ったらどうしよう。

現金でくれたら好きなお店で買えるのに、一方的に東京から送られてくる。

感謝したいと思ったが、やっぱり愚痴も出てくる。

4月8日に担当者が設定に来るらしい。

4月8日はお釈迦様の誕生日。

うまくいくといいけれど。


南无阿彌陀佛

●re.14
菩提心
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[ 819 ] 小さな幸せ 2009/04/04 (Sat) 05:25 △up ▽down
朝、川の側を歩きながらふっと前方に視線を向けると、向こうから手を振って下さる人がいる。

以前、少し民謡踊りを習っていた時に知り合った人だ。

習っていた時は、おしゃべりしなかったが、ここ最近、一週間に一度ぐらいお会いするようになった。

その人「今、川を見ながら歩いてきたんだけど、まだカモがいるけれど、どうしてなのかしら?」

わたし「あ、それはどうも2種類いるらしいですよ、渡り鳥と、そのまま住みつくのと、よく分かんないけれど。かめもいますよ。蛇までいますよ。」

わたし「でも、いいですよね、自然を見ながら生きてるって実感できるんです。」

その人「そうね、今まで川の底を覗こうと思っていなかったけれど、最近この道を選んで歩くようにしているの」

わたしと同じように思って歩いて会社に向かう人がいるんだな。

そんな中、ウグイスの声が聞こえてきた。昨日はツバメも見た。

その人「ところで、少し痩せたんじゃない」

わたし「え〜、そうですか?嬉しいですね、ちょうど1キロぐらいですかね。でもそう言われて、頑張れそう、有難うございます」

その人「頑張ってね。半年は続けるといいらしいから」

駅では、又違う人から、これから夏場にかけて、歩く時のアドバイスを頂けた。


何だろう、小さな小さな喜びで満足できる。

それがずっと持続できる。

これこそ、本当のしあわせなんだなとこの頃思えてくる。

小さなしあわせの積み重ね。

そうやって、わたしの人生の終幕を迎えることができたら、最高のしあわせ。

南无阿彌陀佛

●re.15
菩提心
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[ 828 ] 甘茶を頂く 2009/04/09 (Thu) 04:54 △up ▽down
事務所に居たら、彼女が「今日はお釈迦様の誕生日らしいね。今駅前でやっているから」とわたしを誘いにきた。

途中、わたしの前を小走りに向かうのを、わたしはその後ろ姿を見て、尊いなと思った。

わたしは、このような行事に初めて参加した。

受付場所で、早々に甘茶の入った器と、花の種の袋を頂いた。

お釈迦様の銅像に甘茶を掛け、合掌した。

側に、協力金の箱があったので、千円を入れた。

すると、周りの人からビックリされて、どうぞどうぞと言われ、2杯も甘茶を頂いてしまった。

昼休み時間前だったので、同じビルの4人で河原の桜並木を散策しながら、そこで弁当を食べた。

どんなに豪華な食事よりも、自然の中で一緒に食べる弁当はまことに美味である。

こんな時、今生きているわたしが有難いと思える。

救われているせいかも知れない。

心落ち着いていられる。

南无阿彌陀佛

●re.16
菩提心
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[ 830 ] あっという間の2日間 2009/04/12 (Sun) 15:35 △up ▽down
名古屋から娘夫婦、息子がそれぞれ帰ってきた。

娘の提案で、家族揃ってバーベキューをしようということで、息子夫婦も帳尻を合わせてくれた。

息子は、少林寺の友達の本場韓国焼肉店から、安く食材を手に入れることができた。

飛騨牛を使っているので、口の中でとろけそうな、とても普段焼肉に使用している肉と違い、おいしかった。

野菜は自家製のキャベツ。会場では朝市もやっていたので、採れたてを頂くことができた。

娘婿は、生粋の東京下町生まれだから、いつも娘と帰ってくる度に、四季折々の主人が作った野菜や自然を素直に「とってもいいよね」って感激してくれる。

一杯一杯写真に撮って、最後に見せてくれて私達を喜ばせてくれる。

昨日の疲れからか、今日はみんなが眠そうだ。

昼一時には、名古屋に帰らないといけないからと、家にあった材料で、昼食を作ってくれた。

手際よく、しかし、わたしと違いしかっりと調味料を計ってするので、味はいつも美味しい。

昼食時には、昨日みんなでバレーやサッカーボールで遊んだことを思い出し、喜んでいた。

有難いな〜、老年に近くなってこんな幸せが我が家に来るなんて。

主人から、お前が変わったから、みんなが変わっていくようだと言われた。

そのように過ぎていく時間。

小さな家族の間でも、一緒にいられる時間は少ないのに、少しでも相手を思いやれる言葉が有難い。

阿弥陀様、有難うございます。

南无阿彌陀佛

●re.17
菩提心
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[ 832 ] 監査 2009/04/16 (Thu) 05:06 △up ▽down
昨日は、監査、今日は執行部会議。

今期のわたしの給料が決まるが、もう何処からも削ることが出来ないのは、日頃からお金を取り扱っているので、その現実が身に沁みて分かる。

結局、過去には4ヵ月頂いていたボーナスも、1ヵ月にも満たない金額に落ち着きそうだ。

でも、不思議に不平、不満が出てこない。

むしろ、この歳で辞めろって言われないだけ有難いと思った。

又、監査では、去年の4月に、まとまって給料が出ず、5月に4月の残りを頂いたのを資料で知った監査員より、むしろ慰められた。

パソコンも増え、今まで印刷業者に任せていた組合たよりも自分でしたので、5万円の印刷代も浮いたので、それも喜ばれた。

「こんな少ない給料で頑張ってくれる事務員もいないだろう」って4人の役員に言われた。

理事長とは色々な事があったが、一人の役員さんから、「いい理事長に巡りあわせであんたも良かったね」と言われ、日頃からワンマンな理事長に対し、愚痴や不平、不満の言い通しだったが、その役員さんの言葉で、きっとこの理事長でなかったなら、わたしはとっくに首になっていただろうなと思った。

給料も減った分、誰も事務所に訪れない。

その間、自分で好きな事ができる。

でも、役員さん達は、一人で大変だろうって気遣って下さる。

何だか、事がうまく運んでいるようだ。

去年の監査とは違い、随分落ち着いて対処できた。

これも、会計を担当して下さった役員さんのお陰だなと、周りに助けられている事が日を追う毎に知らされてくる。

こう思えてくるのも阿弥陀様に救われているからだろう。

有難うございます。阿弥陀様。

南无阿彌陀佛

●re.18
菩提心
非公開の非公開
[ 833 ] 神道 2009/04/17 (Fri) 05:10 △up ▽down
娘から伊勢神宮へ行こうと思って、という電話が入った。

全くの偶然だろうか、丁度いつもの書店から取りよせていながら、ようやく昨晩から読んでいた書物の中に伊勢神宮の事が書いてあったので、ここに書き写させて頂いた。

「蓮華になった蓮華草」 釈勇立   


日本の神道の教えは清浄と言うことに尽きると思います。神様の「カミ」と言う言葉は「カガミ」が詰まったものだと申します。

「この宝鏡(みかがみ)を視まさんこと、まさに吾を視るが如くすべし。床(みゆか)を同じくし殿(みあらか)を共(ひとつ)にし、以て斎鏡(いつきのかがみ)となすべし」と神様(天照大神)はおっしゃって、ににぎのみことに御鏡を給わった。

それは鏡という物質を形見にやるとおっしゃったのでは有りますまい「神様の心はこの鏡のようにきれいな心だぞ、おまえさんの心も生まれた時に鏡のようにきれいだったのだ。この鏡を御殿の中に部屋を共にしてお祭りし、この鏡を見ておまえさんの心を清めなさい」と言って下さったのだと思います。

だから罪を払い清めて生まれたままの清らかな心にしていただくと云うことが日本の神様の教えだと思います。

天竜寺の御開山夢窓国師がお若い時分にお伊勢さんへ参られた時、内宮外宮を案内してくれた宮司さんがおっしゃるのに「ここの神様は日本で一番あらたかな親神様である。

神様は清浄と云うことが一番お好きで汚れが一番お嫌いである。

御神前へ行かれても決してお賽銭など撒かないようにしてもらいたい、お金というものは人間には宝かも知れないが、神様からご覧になると汚れである。

神様にお供えしたい心が有るのなら宇治橋の外に太夫と言う者、御師とも申すものがおりまして宿屋を兼業しておりますのであの者にお渡し下さい。お取り次ぎいたします。

と同時に御神殿で願い事をせぬようにしてもらいたい。
病気が治りますようにとか、商売繁盛いたしますようにとか、家内安全子孫長久などと、十円玉を挙げて百万円も儲けようなどと欲の深いことを皆さんおっしゃるがあれは願ではなく欲と言うて神様の一番嫌いなことです。

神様は人間に必要なことは何もかも承知であらせられます。神様ですからこちらから催促しなくてもよろしい。

五十鈴川で手を清め、参道を静かに歩いて御神前へ向かい今日一日無事に暮らさせていただきましてありがとう存じますとお礼を言うて帰ってくだされ、これが本当の神詣でと言うものです」

と教えられて、それならば仏法も神道の教えも同じことだなと、悟らさせてもらったと言う。その鏡のようなきれいな心を頂くことが御利益でございます。

お金の儲かることくらい、病気のなおることくらいが御利益じゃあない、御神前へ行って御鏡のようなきれいな心を頂いて帰ることが真実の御利益でなければならぬ。

なぜかなればそのきれいな鏡のような心が人間の本心である、心の極まりである。

その極まりをはっきり分からして頂く、それが人生の一番大事なことであります。これが本当の教育で有らねばならぬと思うのです。

南无阿彌陀佛

●re.19
菩提心
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[ 834 ] Re1:神道 2009/04/17 (Fri) 05:14 △up ▽down
つづき
盤珪禅師がよく言われました「人間の本心は鏡のようなものですぞ、中には何もない、物が来れば映るし物が去れば消える。

物が映ったからというて鏡の中には何もない、映っただけです。物が去ったからといって鏡の中になくなった物はない、鏡の中は生ぜず滅せずです。

どんな汚い物を映しても鏡は汚れません、汚れず浄からず物が映って鏡の目方が増えません、去ったからとて滅しません、不増不滅です。「般若心経」に不生不滅、不垢不浄、不増不滅と有るのは人間の本心を言ったものですぞ」と。

その不生不滅、生まれたでもない死ぬでもない結構な心がお互いの本心だと分らせて頂くことが悟りというものでなければなりません。

こんなめでたいことはございません。だからこれを無量寿如来と申すのであります。
阿弥陀様のことを無量寿如来と申しますが、人間の本心が無量寿如来なのです。

南無阿弥陀仏の意味も知らずに死者に対して唱えるものと思っている今時の人たちは、南無阿弥陀仏と唱えると縁起の悪いことのように言われますが、それどころじゃない、生まれたでもない、死ぬでもない、無量寿如来に帰依申すことで目出度い限りであります。

南无阿彌陀佛

●re.20
菩提心
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[ 835 ] Re2:神道 2009/04/17 (Fri) 09:56 △up ▽down
つづき

帰命無量寿如来      無量寿如来に帰命し
南無阿弥陀仏       阿弥陀仏に南無したてまつる
帰命尽十方無碍光如来   尽十方無碍光如来に帰命し
南無不可思議光如来    不可思議光に南無したてまつる

帰命は仏身に対する身業の礼拝にして、南無は仏心に対する口業の偈文なり。
念仏行者がこの礼拝を行ずれば、必ず発願回向の大善大功徳の光明を授かるが故に「言阿弥陀仏者即是其行」と言う。

その行ないというは帰命の身業礼拝を行ずるを指していう。

阿弥陀仏はその仏心と仏身とに無碍光と無量寿を成就し給いたる故、四種の名号は皆阿弥陀仏一体に具足円満して、衆生を済度し給うなり。

しかれども無碍光は平常の光明にして、一切衆生に宿善を恵み給うと雖も、この宿善開発の時期至らざれば信心を得ること能わず。

大経に弥陀は至心に信楽せよ、釈迦は如法に修行せよとある。

勅命に随いて無量寿如来に帰命し、阿弥陀仏に南無し奉れば、特別臨時に摂取の光明を授かりて、直に大信心決定するが故に不可思議光と号するなり、かくの如く南無と帰命する一念を蓮師の聞書に「悪凡夫の弥陀をたのむ一念にて仏になるこそ不思議よ」と仰せられてある。

また「凡夫の一念に往生を遂ぐることは秘事秘伝なり」と仰せられたり。

南無阿弥陀仏の六字を善導大師釈して曰く「南無と言うは即ちこれ帰命なり、亦これ発願回向の義なり、阿弥陀仏と言うは即ちこれその行なり。この義を以ての故に必ず往生を得る」と言えり。

帖外御文二帖五通に「阿弥陀仏というは即ち是そのおこないなり」と仮名付有るなり。

南无阿彌陀佛

●re.21
菩提心
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[ 836 ] 初めての伊勢神宮へ参拝 2009/04/20 (Mon) 16:39 △up ▽down
先日、娘から続けて骨を折ったので、伊勢神宮に行って御祈祷してもらうつもりだ、という電話が入った。

一緒に行かないかという誘いだったが、とても時間的に余裕がなさそうで、自分達で行ってきたらと答えたら、ぎりぎりに高速バスの予約が取れたというので、翌日早朝、名古屋に行くことになった。

丁度、妹と先月、伊勢神宮に行こうと旅行会社に予約を入れたが、予約が一杯で無理だった。
そんな話を、知人に話したら、「第62回神宮式年遷宮―特別参宮章」のハガキを手渡され、それを、バーベキューの席で皆に見せた。

これって、シンクロニシティ=意味のある偶然の一致?

息子も交えて、初めて伊勢神宮へ参拝した。

インターネットや図書館でおおよその事は知っていたが、家族で日曜日の朝に出かけ、6時間ぐらい居られた。

高速バスの予約を変更していて正解だった。

県外の車の渋滞がすごく、娘の社宅に着いたのは、午後10時を回っていた。

もっと、おごそかな雰囲気を想像していたが、丁度、高速道路割引千円の効果かどうかしらないが、何回か来ている息子や娘夫婦も驚いていた。


五十鈴川で、手を洗い、口をすすいでいよいよ内宮に行こうと腰を上げた瞬間、竜巻のように風が吹きあがった。

わたしと息子は、一念帰命を受けている同行者なので、こんな現象にも何だか神様が喜んで下っているようで、二人して小声で喜んだ。


心の中では「南无阿彌陀佛」。
「ちはやぶる 玉のすだれを巻き上げて 念仏の声を聞くぞうれしき」


知人から貰った、特別参宮章の中には、本人に限ります。

男性はスーツ、ネクタイを着用、女性はスーツまたはこれに準じたもの、と書かれていたので、前の日にそれなりのスタイルをしてきたが、

何だか後ろめたい気持ちのところへ、娘夫婦や息子から、神様の前で嘘つくなんて可笑しいよって言われ、内宮の中までは今回は入らなかった。

神様は嘘つきのわたしを嫌っても、わたしは阿弥陀様に「今頃、嘘つきでもないだろう」って笑って許して頂いているようだ。

帰ってきてから、知人に使わなかったので、返しに行ってきた。

「良かったわ、最初想像していたのと違っていたけれど、でも、ずっと前の会の話を聞いていたら、こういう場所も知らずに死んでいたと思う」

娘に、シンクロニシティだねと言ったら、
「違うよ、お母さん、ずっと、最近、行きたい行きたいって言っていたから、連れて行ってあげたんだよ」と言われ、娘の優しい行為に思いが行かなかった事が反省させられた。

南无阿彌陀佛

●re.22
菩提心
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[ 837 ] 自然の中の一人 2009/04/21 (Tue) 09:43 △up ▽down
伊勢神宮の神木の太さには驚いた。

大樹の幹に頬ずりしたり、さすったり、身を委ねてみたりした。

娘と一緒に撮った写真をパソコンから見ていると、まさに大樹の上に寝ているように見えた。

木にも神が宿っているのだなと思って、今朝の風の音のすごさにビックリして、今日は歩いて会社に行こうか躊躇したが、雨も降っていないので、やっぱり歩いて行くことにした。

風の唸るような音の強弱。

わたしの身体全体を倒そうとする風力。

最初は、歩きだしたことを後悔したが、歩いているうちに楽しんでいけるようになってきた。

「負けないよ。押しくらまんじゅうみたい」

倒れそうになりながら、向かい風に向って一人心の中でしゃべっている。

強風のせいか、雲の流れがとても速い。

太陽の場所を時々確認しながら、天上の模様が刻一刻と変わっていく、アットいう間に駅に着いたという感じがした。

ビルとビルの間を数十メール過ぎれば、もう会社のビルの玄関先。

「やったね。わたしが勝っちゃった。風の神様」と思った瞬間、

かぶっていた帽子が吹っ飛んでしまい、側溝の泥水に落ちてしまった。

何だか、阿弥陀様からお叱りを受けたように思えた。

有頂天になってはいけないよ。

凡夫なんだから。

みんな守ってくれているんだから、感謝しないといけないよ。

涙が自然に流れてきた。

阿弥陀様ごめんなさい。念仏も自然に口から出てきている。

南无阿彌陀佛

●re.23
菩提心
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[ 838 ] パソコンが壊れた 2009/04/23 (Thu) 12:04 △up ▽down
買ったばかりのパソコンがどうも壊れたらしい。

全くインターネットが出来ないので、2日前から電気屋に電話を入れていた。

お金を払った直後の事なので、まるで「マフィーの法則」みたい。

ガックリしているところに事務所へ主人から電話が入り、電気店の店主と話するようにと電話に変わった。

どうもわたしの取扱いが悪かったようだと思ったが、保障期間があるからと思って楽観していた。

しかし、その部分は保障の対象にはならないらしい。

一応持って帰って貰うことにして、電話を切った。

即座に、主人から電話がかかってきた。

主人 「お前が、横着して壊れたんだよ。馬鹿か、お前は!」

わたし 「お父さんこそ、馬鹿じゃないの。そこに電気屋さんがいるんでしょ。
もっと、頭使ったら。
そんな時は、まあ僕は使ってないから良く知らないからって、とぼければ。ホントに馬鹿正直なんだから。なんで、業者の前で一方的にこっちが悪いっていうのか、ホント信じられない、馬〜鹿。」

そばで、彼女がその電話の会話を聞いていた。

彼女 「○○ちゃんの御主人、人が好いからね。でもすごいね。馬鹿、馬鹿の連発。」

わたし 「まあ、いつもこんな調子だから。信心決定しても聖人になんてなれないね。」

彼女 「帰ったら、一言謝ったら?」

わたし 「うん、そうする。」

聖人にはなれないけれど、直ぐに悪いと思って反省する気持ちは大きくなった。

わたし 「あ〜、どうしようかな。この出費」

彼女 「でも、顔笑っているよ、へそくりあるんでしょ?」

へそくりはないけれど、もう後生が気にならないから、きっと顔は笑っていられるのだろう。(パソコンが壊れたのと、無間地獄に堕ちるのでは大違い)

気分を変えて、今晩、吉崎御坊に行きたいな。

南无阿彌陀佛

●re.24
菩提心
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[ 839 ] 蓮如上人御影道中をお迎えして。 2009/04/24 (Fri) 14:05 △up ▽down
吉崎御坊に向う道中、彼女から電話が入った。

昨日の帰りに、吉崎御坊に行ってくると言っていたら、御主人と相談して今から私も行くところだという。

わたしは犬を連れて、出かけることにした。

初めてなので、周りの人の様子を窺う感じでお迎えしようと思った。

遅れたと思っていたが、随分間に合った。

色々な地域から参加されておられ、蓮如上人の事を「蓮如さん」ってお呼びしておられ、5百年の後でも、親しまれているのだなと思った。

こういう感覚は、勉強して知るのではないのだと思った。

信仰が体中に沁み込んでおられる方々の話し方、態度が分かり、来て良かったと思った。

一緒に来た犬も一度も吠えず、一緒にお迎えされる人から、「御縁の深い犬だね。まるで蓮如さんのように優しい顔だ」と冗談でも有難いお言葉を頂けて嬉しかった。

愚老様も参加されておられるかと思い宿坊を訪ねたが、今回は参加されておられなかった。

お電話で「良かったでしょう?」って言われ、この掲示板で知り合えて電話をかけている自分がとても幸せだと思った。

どこでどのような御縁があるのか、不思議だなと思った。

彼女はご主人と帰りに友人宅に寄り、来年はその友人も誘って参加するつもりだと言っていた。

お互いにこんな話題で楽しめるのが有難い。

南无阿彌陀佛

●re.25
菩提心
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[ 840 ] あしながおじさんの本。 2009/04/26 (Sun) 12:11 △up ▽down
パソコンが壊れたので、本棚から懐かしい、「あしながおじさん」を読んでいた。

「赤毛のアン」も好きだ。

これは、アニメで好きになった。今はインターネットからも見られるので好きな場面を何回か見ている。

どちらも、苦労は必ず報われる。そして幸せな結果が待っている。

あしながおじさん宛に書いている手紙。

わたしは、この掲示板を使って阿弥陀様宛に書いているようだ。

阿弥陀様の方から、わたしの事は全て御存知。

わたしは阿弥陀様の事は知らない。

でも、今は知らなくても必ず死んだらお遭いできると信じている。

そして、よくこの法を信じて探したね、って誉めて頂こう。

南无阿彌陀佛

●re.26
菩提心
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[ 841 ] 一味同行である息子との会話 2009/05/10 (Sun) 09:32 △up ▽down
連休に息子が帰ってきたが、やはり息子との会話は心の奥底で通じているせいかとても楽である。

「お母さん、僕はお母さんを選んで生まれてきたんだよ、その僕をお母さんは殺そうとしたでしょう?」

「僕は、お母さんが、何で勉強しろしろとうるさかったのかよく分からなかったよ。僕は10歳頃から、大人になったら人を助けるような気がしていたから、勉強より大事なものがあると思っていた。」

確か、高校生になった頃、息子に言われた言葉だ。

何言っているんだろうとその当時は思っていたけれど、確かに妊娠中に子供を堕胎しようかと思った事があった。

この子の言っていることのどこまでが本当か冗談か分からなかったが、この息子のお陰でこの道を探し当てたようなものだ。

「ねえ、どうして仏教の事など勉強していない貴方が、阿弥陀様を信じられたのか不思議ね。」とわたしは息子に尋ねた。

「お袋、多分、信じられることが一番実は難しいことだと思う。信じられないから、まず現世利益を求めたり、信心決定しても信心決定したことで満足出来ないんだろうと思うよ。」

「わたしは、昔貴方がわたしを選んで生まれてきたっていう言葉が何となく信じられるようになってきたわ、21歳の時に見た夢か現実かよく分からなかったけれど、2人の墨染めの御坊さんの姿を、ずっと親鸞聖人と蓮如上人だと思っていたけれど、この頃、毎日様と泥凡夫様のような気がしてきたわ、そしてわたしを助ける為に、今生で女人に生まれたわたしを済度するために、わたしの子供として生れてくれたような気がする」

「お袋、自分史っていうか自分の年表を書いてみたら?今までの事を詳しく書いていくと、きっと生かされているって思えるよ。目に見えない力や色々な人に助けられているって実感できると思う」と息子からアドバイスを受けた。

それにしても親子でこのような会話から、色々な人生観を語り合える有難さ。

息子から教えられる人間の考え方、有り方。

本当に、二人の間には親子だとか、年齢とか全く関係なく教えを請うている自分が不思議だ。

南无阿彌陀佛

●re.27
菩提心
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[ 842 ] ようやく総会が終わった。 2009/05/11 (Mon) 10:00 △up ▽down
「事務局、忘れ物は?」

役員さんから、最初に言われる言葉。

今度こそ完璧にと思って日曜日の早朝から、事務所で確認しながら準備をしていた。

今年は来賓者をお呼びしなかったせいか出席者も少なくて、わたしには好都合だった。

14年間、総会が終わってようやく落ち着ける気分になっていたが、12月頃には来年は辞めるという人が現れて、将来的にとても不安だった。

でも、今年の総会を最後に正職員の立場は無くなると思っていたので、何を言われても我慢しようと思っていたが、開催一番に理事長より「理事長の代わりはいくらでもいるが、事務局の代わりはいないから」と、全体的に予算が激減したが、辛うじてわたしの給料だけは変わらず通った。

今までの目の前の何だか知らない不安の塊の原因はこのことだったのだと思った。

会議が終わった頃、娘から電話が入った。

「今日、母の日でしょう。東京のお義母さんと、私の御揃いの夏のバックを買ったから大事にしてね」

「でも、それってすごい緊張するね。日頃から物を大切にしてないのがバレバレ」

先週は、お嫁さんからもプレゼントされた。

わたしは、母にプレゼントをしたことがなかった。

お姑さんには最初2、3回していたが、文句を言われたのでそれ以来しなかった。

そういえば、下の彼女もせめて有難うって言ってくれると嬉しいねっと言っていたので、

娘には、「でも嬉しいよ。気を使ってくれて有難う、とっても楽しみに待っているから」と電話を切った。

何にも気がつかず、自分の事ばっかり考えているわたしなのに、阿弥陀様からのプレゼントは、そんなわたしの考えを少しずつ変えて下さる大慈悲心だ。


今朝、主人の友達が「好い人っていうのはどういう人だ」って言っていたよ。

「お父さん、わたしの考える好い人って、お金持ちでも、貧乏人でも、健康な人でも病人でも、大人にも子供にも、頭が良い人にも悪い人にも平等に接しられる人だと思う」

「はぁ〜?、じゃぁ、お前じゃないよな」と主人。

「そうだよ、わたしじゃないよ、でも阿弥陀様はそうだよ、我慢しないで早く信心受ければいいのに」

「お前や○○の姿を見ていたら、まあ、無理だな」

「いいよ、わたしの後生じゃないもの、どうぞご自由に、なんてね。じゃ、行ってきます。」

南无阿彌陀佛

●re.28
菩提心
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[ 843 ] 愚痴話の相手は疲れる 2009/05/15 (Fri) 10:35 △up ▽down
「あ〜、疲れたぁ〜」
彼女の事務所で遅い昼食を頂いた。

やっと総会が終わったばかりというのに、官庁や上部団体に出さなければいけない書類。

役員さんの出欠の報告。全て締切日が決まっているのに、

突然、理事長から「表彰対象者に○○さんはどうだろう」という電話がかかってきた。

「済みませんが、突然言われても。今年はもう無理です、書類締切日には間に合わないです」と言ったら、プツンと電話を切られた。

今度は、東京の会議に出て貰いたい役員さんに電話を入れたら、

「今すぐに事務所に行くから」と30分後に事務所に来られた。

それから、3時間、説得したが「それなら今から辞表を提出する」

体調がおもわしくないからと、東京に連絡を入れ、地元の上部団体の総会の懇親会の出欠を聞いたら、最初は断っていたが最後はしぶしぶ了解して頂いた。

でも、わたしはこの人の性格を最近はよく心得ているつもりでいたが、3時間もずっと過去何十回も聞いてきた自慢話、愚痴話にぐったりしてしまった。

途中、下の彼女も気をきかせて「お昼の弁当のおかず買ってくる?」と覗いてくれたが、
それからまだ同じ話の繰り返し。

「でも、貴女に説教されているようだって言っていても、来るんだから結構気が合うんじゃないの?愚痴ぐらい聞いてあげたら」と彼女から言われてしまった。

主人からも、「組合のお陰だと最近は言っているんだから、それも給料のうちだと思って我慢するんだな」

今朝、歩きながら考えた。

阿弥陀様ならこう諭して下さるだろうか

「随分、お前も愚痴って来ただろう。愚痴は誰でも聞きたくないだろう。以前のお前の姿だから、反省も込めて精進しなさい。愚痴るより、愚痴を聞いてあげられるようにならないと」

以前に同じように息子に言ったことがある。

「お袋、まだまだ人間が出来てないね」ってあっさり、笑われてしまった。

南无阿彌陀佛

●re.29
菩提心
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[ 844 ] 愛されていることを感じる本 2009/05/18 (Mon) 13:10 △up ▽down
先週の週末、駅の待合室で時々お会いする婦人と、飼い犬の事で盛り上がった。

話しているうちに、そのご主人が、自分で日記を書いて、趣味で本を作っているというので、早速見せて欲しいとお願いした。

今朝、それを見せて頂いた。

単行本ぐらいの大きさで、しっかり製本もされていて、帯まで付いているのには感心してしまった。

「わが家の○○日記」、今は61歳らしいので、54歳頃からの作品らしい。

帯には、赤色で「誰も期待していないこの一冊・・・−愛を知らない作者が“愛”について語るー」と書いてあった。

中身を読んでいると、とても犬に対して愛情深い文章で微笑ましいと思った。

その中の印象深いところを、もう一人の人に示したところ、奥さんはどう思っているんだろうっていうことで、その箇所をご本人に読んでもらった。

「この文章と同じような主人だと思う」と言われた。

その人とわたしは、お互いに顔を見合わせ、「成る程ね、やっぱり顔から幸せが滲んでいるよね。」と二人とも納得した。

お互いに、「これほど旦那に信頼よせてないよね、まだまだ成長が足りない」って、反省した。

3人で大笑いしているところに、興味を示して又2人集まって、朝からとっても和気あいあい、お互いにその場その場の職場に別れて行った。

やっぱりこんな月曜日を迎えるのは、とっても気持ちがいいと思う。

その奥様の了解で、感激した場所を引用した。


「○○は、<愛されている、ということを分っている(理解している)ことの大切さ>を教えてくれている。

<他人を愛すること>は大事なことだが、<他人から愛されている>を自覚することの方が大事なことだ。

このことになかなか気がつかない人が多くなってきた。

他人を愛することはたやすい、そして、他人から愛されようと行動することもたやすい。

しかし、他人から愛されているということを感じ取ることは案外むずかしい。

だから、他人から愛されていることに気づいている人の愛は深い。

この<他人から愛されていること>を、もっと簡単に言えば、<信頼>ということだろうか。


わたしは上記の文章を読んで、なぜか深く考えさせられた。

そして、このような考え方をされる人が同じ町内で生活されておられることを知って嬉しくなった。

わたしも阿弥陀様から愛されていると感じることができるが、阿弥陀様の愛はそっとわたしを温かく見守って下さり、わたしの自由を尊重して下さっておられると思う。

南无阿彌陀佛

●re.30
菩提心
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[ 845 ] 知人から借りた本より 2009/05/18 (Mon) 22:42 △up ▽down
知人から、村上和雄氏の「遺伝子が目覚めるとき」の本を貸して貰った。

それと同じ内容が
http://www.wink.ac/~ogaoga/hon8.htm
から読めることが分かった。

わたしは、読んでビックリした。

わたしが体験したような内容が数多く書かれていたからだ。

だれも信じてくれないような事が、遺伝子研究の著名な科学者も同じように感じていることに驚いた。

わたしが、不思議だと思ったことは、きっと遠い将来、人間にも解明されていくのかも知れない。

この思いを伝えたいと思っていると、パソコンが直ったと電気屋さんが来られた。

有難いことに、中身はバックアップしてもらっていたせいか、そのまま使えて良かった。

修理代も一銭もかからなかった。

この場所を再度読みながら、やっぱり人間の知恵などたかが知れているのだなと思った。

そんな知恵の中で、自分が正しいとか、相手が間違っているなんて、小さな事なんだと思う。

小さな喜びの中からも幸せの感じられる今の自分が有難い。

南无阿彌陀佛

●re.31
菩提心
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[ 846 ] Re1:知人から借りた本より 2009/05/18 (Mon) 22:38 △up ▽down
わたしの知り合いのご主人が不慮の事故で亡くなったのが3年半前ぐらいだった。

わたしは長年聞いていた「因果の道理」を彼女に話した。

彼女は急に顔色が変わり、そしてわたしに絶交宣言を下した。

わたしは、なぜ彼女が怒ったのか分からなかった。

どうして慰めている筈のわたしが彼女からこんなに怒られるのだろう?

わたしは彼女に言ったのです。「こういう結果を受けるのは過去にその原因があることもある」

彼女は「そんな理不尽な事がよく言えるよね、それで仏教を聞いている。いい加減にしてよ。」

わたしは、それから4カ月あまり随分苦しんだ。

まず、彼女が怒っていることがなかなか理解出来なかったからだ。

そして、少しずつ自分の聞いてきた教えは間違っているのではないかという思いがしてきた。

わたしは、ようやく彼女の怒りが収まった頃、彼女の部屋で世間話をしていた。

彼女は実のお母さんの悪口をずっとわたしに話続けた。

わたしは心底、もうこれ以上、聞きたくないと思った。

思わず、大声を出して「やめて!!」と言った。

同時にわたしは、その部屋の中で大音を聞いた。

しかし、彼女はわたしの車が追突されたと思ったのか外に飛び出した。

でも、わたしは彼女が外に出て行った後も、なぜかとても不思議な気持で冷静に自分自身を眺められた。

「きっと、わたしの思いを分かってくれている大きな力が働いている。わたしの事を喜んでおられる人がいる」
それ以来、わたしは今まで一度も阿弥陀様の存在を疑ったことがない。

確かに、わたしは導かれてこの道をきたけれど、もうずっとそれ以前から阿弥陀様の存在は疑っていないのだ。

途中、誰も信じてくれなくても、わたしにはあの時の大音が今でも、ハッキリ脳裏に焼き付いている。

わたしは大無量寿経上巻のこの場所を拝読させて頂く度に、とても不思議で有難くなる。

「そこへ風が静かに動いて諸々の枝葉を吹くと、無量の法音が出る。其の声が十方衆生に透り渡る。衆生ありて此の音を聞くものは、無上法忍の益を得て、正定聚不退転の現益を蒙むり、臨終一念の夕(べ)、大般涅槃を得る迄は、耳清らかで苦しみを受けない。」

全然、仏教に興味の無かったわたしは毎日、毎日何かしらの法語に接していられるのがとても楽しいと思えることだ。

何の取り柄もないわたしだけれど、そんなわたしの少しばかりの善を阿弥陀様は最上の善に変えて下さって、わたしを浄土に迎え入れて下さるのだ信じている。

南无阿彌陀佛

●re.32
菩提心
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[ 847 ] 今朝の夢 2009/05/20 (Wed) 16:35 △up ▽down
ある部屋の中に大勢の人がおられる。

とても優しい顔の人達が、わたしを囲んでいる。

みんな普通の在家の人達ばかりだ。

良かったね。阿弥陀様が喜んでおられるよ。

そっと、わたしに語りかけてくる。

どこを見回しても、みんなにこにこ顔だ。

丁度、お講のような感じがした。

「今度、親鸞聖人のゆかりの地を訪ねたいね」と女性の人から話かけられた。


おーい、主人の声で目が覚めた。

あ、残念。

こんな楽しい夢なら、もっと見ていたいと思ったのに。

でも、最近は怖い夢は見ないな。

いつも何かに追いかけられるとか、黒い雲に覆われるとか、高いビルから落とされるとか。


でも、今朝の夢は何とリアルで楽しかったのだろう。

南无阿彌陀佛

●re.33
愚老
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[ 848 ] 不思議だ、 2009/05/20 (Wed) 17:31 △up ▽down
昨日親鸞ゆかりの方から(奇蹟のリンゴ)木村秋則の記録・石川拓治=著・1冊の本が送られて来た。まだ読んで居りませんが(リンゴの木はリンゴの木だけで生きているわけではない。周りの自然の中で生かされている生き物なわけだ。人間もそうなんだよ。人間はそのことを忘れてしまって、自分独で生きていると思っている)何だか楽しそうな書物だ。今朝お電話で御礼申し上げましたら親鸞ゆかりの方、六月初めてお講に4人の方が参加されます・偉いね。合掌。
●re.34
菩提心
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[ 851 ] Re1:不思議だ、 2009/05/21 (Thu) 09:39 △up ▽down
愚老様

おはようございます。

お元気そうで、わたしも嬉しいです。

上記の本、図書館で読めますか?

探してみたいと思います。

>六月初めてお講に4人の方が参加されます・偉いね

でも、上の御言葉は好きでは有りません。

偉いということは、偉くない反対語をイメージされると思います。

きっと阿弥陀様はそのような価値観はお持ちではないと思います。

弥陀を信じられる人は、どんな人も平等だと思います。

救われた事を楽しんでいるだけで、阿弥陀様は喜んでおられると思います。

だから、わたしは救われて楽しいな、嬉しいなと書いていれば、きっと阿弥陀様は喜んで下さっておられると思います。

これがわたしのイメージです。

生意気な意見を書きました。

和気あいあいのお講、楽しいですね。

南无阿彌陀佛

●re.35
菩提心
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[ 852 ] サムシング・グレート 2009/05/22 (Fri) 10:36 △up ▽down
愚老様

村上和雄氏の文章から、「サムシング・グレート」という名前を知りました。

早速、インターネットで調べてみると、あまりに面白くて、色々な人達が、不思議な思いや体験をしていることが分かりました。

ずっと、ジャンヌ掲示板に書いていても、不思議だなと思ったことがあったが、こういう場所を読んでいて、不思議が不思議ではないのだなと思えてきます。

まず人間に生まれてきたことが、有難いうえに、仏法を信じられ、この場所で書いていることが、時々夢の世界の出来事のような気がすることがあります。

だから愚老様、わたしは偉いとかいう人間でいうところの評価は可笑しいと思うんです。

今、ここでこうしてお話できることの確率は、想像を絶することだと考えると、やはりわたしは救われたことが楽しい、嬉しいにつきるんです。

若し、この命尽きたら、この地球の人間の姿で遭えることはないのだろうと考えるだけで、わたしは今会える人、会える人とのご縁を大事にしたいと思います。

そして、愚老様にこのようにお返事書けるのも、ずっと愚老様がわたしをこの掲示板で温かく見守って下さったお陰だと思っています。

有難うございます。

南无阿彌陀佛

●re.36
菩提心
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[ 853 ] 法然上人の御法語より 2009/05/22 (Fri) 12:32 △up ▽down
それ流浪三界のうち、いづれのさかひに、おもむきてか、釈尊の出世に、あはざりし。輪廻四生の、あひだ、いづれの生を、うけてか、如来の説法を、きかざりし。」

華厳開講の、むしろにも、まじはらず、般若演説の座にも、つらならず、鷲峰説法の、にはにも、のぞまず、鶴林涅槃の、みぎりにも、いたらず。」

われ舎衛の三億の家にや、やどりけん。しらず地獄八熱の、そこにや、すみけん。はづべしはずべし、かなしむべしかなしむべし。」

まさに、いま、多生昿刧を、へても、うまれがたき、人界にうまれ、無量億刧を、おくりても、あひがたき、仏教にあへり。」

釈尊の在世に、あはざる事は、かなしみなりと、いへども、教法流布の世に、あふ事を得たるは、これよろこびなり。たとへば目しひたる、かめの、うき木の、あなにあへるがごとし。」

わが朝に、仏法の、流布せし事も、欽明天皇、あめのしたを、しろしめして十三年、みづえさるのとし、冬十月一日、はじめて仏法わたり給ひし。」

それよりさきには、如来の教法も、流布せざりしかば、菩提の覚路、いまだきかず。ここにわれら、いかなる宿縁にこたへ、いかなる善業によりてか、仏法流布の時に、うまれて、生死解脱のみちを、きく事をえたる。」

しかるをいま、あひがたくして、あふ事を得たり。いたづらに、あかし、くらして、やみなんこそ、かなしけれ。」

南无阿彌陀佛

●re.37
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[ 854 ] 地縁 2009/05/22 (Fri) 16:24 △up ▽down
「欽明天皇」のところをインターネットで検索してみた。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AC%BD%E6%98%8E%E5%A4%A9%E7%9A%87

系図をクリックしたら、継体天皇の嫡子と書いてあった。

そこを辿っていくと、穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ) 用明天皇の皇后・聖徳太子の母と書いてあった。

わたしの生まれた山の頂上には、継体天皇の史跡があるらしい。

国道沿いにある丘陵は、古墳がいたるところにあると土木事務所の方が言っていた。

その丘陵から、生まれた在所を息子と眺めた時, なぜか別世界を見るような思いがした。

そして「地縁」という言葉が有難くなった。

この地を、五百年前蓮如上人が布教に歩かれたのだと思うと、その地に生まれ、今こうして仏縁に恵まれたことが、とても嬉しい。

南无阿彌陀佛

●re.38
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[ 856 ] 色々な宗教の中で 2009/05/24 (Sun) 05:49 △up ▽down
息子が昨晩帰ってきたので、早速7様が掲示板で喜んでいる書き込みがあったと知らせた。

息子も「もう一年になるんだね」と当時の事を振り返り、懐かしがっていた。

妹の知人が今日亡くなったというと、その人の事も知っていたので、「そうか、でも最後にこの道を知って救われたので安心だね」と言っていた。

「ところで、貴方の方はその後変わりない?」と聞いてみた。

息子はパソコンを持っていないので、最近知り合った人が、ある宗教から脱会したいと言っているので、被害家族の会で調べて欲しいと言われ、二人で検索していた。

わたしは、親鸞会の被害家族の会しか知らなかったが、多くの被害家族の会があるのでビックリした。

二人で、「色んな宗教が有るんだね。」といたるところを検索していたが、

やはり、インターネットがあるせいで、色々な情報が見れるので、後は自分で判断するしかないね、「うまく脱会出来るように考えてみる」と息子が云った。


「宗教は自分がしあわせだなと思うことが一番大事だよ。」と息子が云った。

それにしても、色々な宗教がある中で、今のこの道で落ち着いて満足できているわたしは幸せ者だ。

南无阿彌陀佛

●re.39
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[ 857 ] 車中での会話 2009/05/25 (Mon) 11:33 △up ▽down
朝、会社に行こうと準備をしていると、息子から送っていくから、まずお墓参りに行こうよと誘われた。

土曜日の代わりに月曜日が休みということで、犬も乗せて出かけそのまま会社まで送ってくれた。

小雨の降る中、合掌している息子の後ろ姿はとてもすがすがしく見えた。

7月頃から、本社に変わるらしい。

息子が名古屋に行ってからの様子を思い出しても、いつも不思議だなと思うことがある。

どんな苦境に遇っても、いつも誰かが助けてくれていることだ。

名古屋で知り合になって悩んでいる人には、一生懸命に相手の事を考えてあげているなと思えるので、多分助けてくれる人も現れてくるのだと思う。

又、波長の法則ではないが、仏法の話は特にしないが、因縁とか過去世の話をしても違和感がない気の合う人が本社に二人出来たらしい。

いつも馬鹿っぽい話ばかりしているので、時々、普通に話をしていると面食らう事がある。

本社で知り合った一人は、真面目で、息子から見ていても感心するらしいが、上司には恵まれないらしい。

それで、いつもその人には、「今が修行だよ、誰も見ていなくても自分が正しいと思う事をやっていくと絶対良いことがあるから」と本社であった時は言っていたらしい。

その話を聞きながら、「逃げたら駄目だよね。わたしも過去には何度も辛いことには逃げていたと思う。でもそこをもうひと頑張りすると、認めてくれる人も現れるよね」と答えた。

わたしは、ある現場でパートをしていた時、「和顔愛語」をモットーに頑張ろうと思った。
この言葉を知ったのは親鸞会を聞いていたお陰なのでそれは感謝したいと思う。

笑顔で有難ございます、済みませんと続けている内に、工務の課長さん達と挨拶を交わすようになった。

一台の機械に、反物をミシンで縫うわたしと、それを円滑に動かす上司とペアを組んでいた。
段々わたしはその機械を動かすのに大変な力が要る様になり、気がついたらこのまま続けていると坐骨神経痛になるからと会社を辞めた。

辞めた後に知ったのは、わたしが言うと工務課長の手配ですぐに機械が直せるのが逆に上司は面白くなかったのか、わたしが帰った後、外注業者と一緒に機械を動かさないようにしていたらしい。

その人はとても格好いい人で、学歴もあったが人付き合いが苦手なので現場の仕事をしていた。

わたしはそういう現場仕事は初めての経験だったので、摂氏100度の蒸気があるところでその人が困っている時は、布を一緒に引き上げた事もあるが、有難う、の言葉は無かった。

わたしがその会社を辞めて、半年くらいした時、その人は絡まった布を一人ではがそうとしている時に、上司がそれを知らずにスイッチを入れて、全身火傷で入院したと新聞に出ていた。
一度、電車の中で包帯を巻いていた姿を見かけたが、その顔に包帯が巻かれていなかったので、良かったと思った。

でもその時「因果応報」ってこの事だなと思った。

わたしがいじめられているのを知っていた人から、彼の批判とわたしへの同情の言葉があった。

わたしはその時、見て見ぬ振りをして自分が可愛いんだと思った。

そんな人間にはなりたくないと思った。

色んな会社でいじめられて来たお陰で、人間観察も出来たと思う。

息子との会話から逃げていても解決なんて出来ない、段々逃げないで立ち向かう事が出来るようになってきたんだと思う。

それがこの歳までかかってしまったのかと、今色々な逆境の中で頑張っている息子から教えられた気がする。

それでも、やっぱり逃げたい自分がいる。

そんな時こそ、救われている自分が有難いと思う。

南无阿彌陀佛

●re.40
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[ 858 ] 少々鬱状態を脱出 2009/05/27 (Wed) 05:42 △up ▽down
総会議事録を原稿に起こすのが一番嫌いだ。

いつも最後はわたしの給料の場所で、総会資料を食い入るように眺めているのが、後ろの席からもひしひしと分かるのが嫌なので、そこの場所を読み上げる時は、そっと部屋から出て行く。

だから、テープから聞いて何度も確認するこの仕事が本当に苦手。

もともとわたしは鬱っぽい方だから、滅入っていた。

そんな事を下の彼女に愚痴っていたら、ホントに○○ちゃんは欲張りだと、これでもかこれでもかと説教されてしまった。

でも逆に何だかスッキリした。

彼女も、わたしの聞きたくない処をぐいぐい刀でえぐっているような感覚だと言った。

「でも、随分以前のわたしと変わったでしょう?」

彼女は笑いながら、「基本的にはやっぱり鬱性格だよね、まあ一人組合さんが辞めたと言って落ち込んでいた時とは違うね」

色々な話題に移っていったが、最終的には二人協力しながら、辞めろと言われるまで頑張ろうよと言うことになった。

自分ながら、マイナス思考を払拭するのも並大抵ではないなと思える。

きっと、阿弥陀様に救われていなかったらもっと落ち込んでいただろう。


昨晩、前の会の御縁あったおじさんから、息子と知り合いの家族全員が6月に御法を受けるから、若し時間があったら、僕の家に来ればみんなに会えるよと電話があった。

息子に「○○さんの家族全員がくるらしいよ」と電話をした。

「あ、そういえばここ最近ご無沙汰だったけれど、そうなんだ。でもいいんじゃない、、いづれはみんな極楽浄土に往けるんだから、それぞれの落ち着け所でいいと思うけれど」

そうだとわたしも思う。

自分の落ち着ける処でいいんだと思う。

でも、嬉しそうに話していたおじさんの声を聞いているわたしまで嬉しくなった。

おじさんとは違う道を選んだけれど、こうやって電話をしてきてくれる。

普通なら、意固地になるところを、時々電話をしてきて近況を話してくれたり、玄関先に食べ物の袋が置いてあったりする。

一人暮らしの人だけれど、元気でいて欲しい。

わたしも時々、顔見せるからね。

南无阿彌陀佛

●re.41
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[ 863 ] 朝の公園で 2009/05/29 (Fri) 10:16 △up ▽down
ここ最近、自転車に乗って駅まで行くことにしている。

紫外線の影響か、もともと黒い顔が益々黒くなったと自覚できたので、少しでも直射日光にはさらされないように。(こんなことからも、自分勝手だと知らされる、太陽さんごめんなさい。)

自転車で公園の横を素通りする。

2匹のミニュチュアダックスを散歩させてる夫婦を見かけた。

その公園は、犬を連れて立ち入ることは禁止だ。

3日間、様子を窺っていたが、今日は思い切って注意した。

芝生の上を走らせている。

犬のおもちゃは手にしているが、糞を始末する袋は持っていない。

「あの〜、楽しんでいて悪いんですけど、ここは犬を遊ばせてはいけないことになっているんです。入口の看板見ませんでした?」

何言っているの?ときょとんとされてしまった。

御主人の方は知らんふりしている。

でも、同じ犬を飼っている立場としては、言っておこうと思った。

多分歩いていたら、その場所まで行って言わないだろうけれど。

でも、わたしの声はちょっとうわずっていた。

またまた、いつもの病気が始まった。

「勇気もいいけれど、ホントに物騒な世の中だから気を付けなさい。」って注意された。

南无阿彌陀佛

●re.42
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[ 865 ] 味わい 2009/05/30 (Sat) 06:21 △up ▽down
昨晩はちょっと滅入ってしまって、久々に御文をじっくり味わった。

わたしは、[ 134 ]女人往生の願の場所を小さくコピーして貼っている。

ここを読む度に、毎日様はすごいなと思う。

女人の事を、色々な角度からお話されているので、おもわず苦笑してしまった。

少し気分も和らいできた。

ここで毎日様と御縁頂き、過去ログを拝読させて頂くと、御文も尚一層心に沁み入るようである。


御文 4−12
「そもそも、毎月両度の寄合の由来は、何の為ぞというに、さらに他の事にあらず、自身の往生極楽のためなるが故なり。・・・

当流の安心の趣というは、あながちに、わが身の罪障の深きによらず、ただもろもろの雑行のこころをやめて、一心に阿弥陀如来に帰命して今度の一大事助けたまえと深く頼まん衆生をばことごとく助けたもうべきこと、さらに疑いあるべからず。かくのごとくよく心得たる人はまことに百即百生なるべきなり

このうえには、毎月の寄合をいたしても報恩謝徳の為と心得えなば、これこそ真実の信心を具足せしめたる行者ともなずくべきものなり。」

上記の内容がわが身のものと分かるので、信心決定すれば不思議に読めてくるしくみの有難さ。

一日過ぎると一日浄土に近づく身と知りながら、煩悩具足のわが身。

それでも、御恩報謝のお念仏の身は有難し。

南无阿彌陀佛

●re.43
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[ 866 ] Re1:味わい 2009/05/30 (Sat) 06:40 △up ▽down
つづき

滅入った原因は色々有るけれど、やはり鏡を見ると思いだす。

昨日、仕事の帰りに美容院に寄った。

いつもの店長さんなので、お任せして、ずっと週刊誌を読んでいた。

「カット済みました」という声で鏡を見た。

「えー・・・」思わず絶句。

でも、ここでも勇気が出てきたのか、

「ショック、まるで林家三平みたい」。
頭頂部だけ、天然パーマ

本当に、ショックだったのに、

その店長、まだ若かったせいか、先代の林家三平師匠でなく、現在の三平師匠を思い浮かべたみたい。

「○○さん、そうですか?そんなに短くないですよ」

ダブルショック。

年齢差を感じる。

その店長さん。深く反省してくれて、「これからは相談しながら少しづつカットします」と言って下さった。

わたしはすぐに諦めたが、それでも怒りが収まらない人には家まで謝りに出かけるらしい。

同僚の人が、「ハッキリ言って下さった方がいいですよ。僕たちの勉強にもなります」

ハッキリ言ったので、店には全然後腐れはないけれど、やっぱり鏡を見ると、林家三平だ。

南无阿彌陀佛

●re.44
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[ 868 ] 素敵なHP 2009/05/30 (Sat) 10:52 △up ▽down
[ 845 ]村上和雄氏で検索した箇所から改めてHPを覗いてみた。

内容が濃くて、とっても良かったので、一応ご本人にメールで使用させて頂いた事をお知らせした。


時間が取れたので、じっくり読み返していた。

こんなに優しいパソコン教室が自宅の近くにあったらすぐにでも習いに行きたいな。

誠実さの固まりのようなHPなので、読んでいてもこちらまで心安らかになってくる。

このようなHPを色々探して読んでみるのが最近のわたしの余暇の過ごし方だ。

頑張らず、それでいて誠実に日々を生きている姿を垣間見る思い。

素晴らしい人生訓等も散りばめられて、ちょっと反省したり、やる気が出てきたりする。

一度も行ったことのない地方の全く知らない人なのに、随分と親近感が沸いてくる。

これも、この道探してきたお陰だと思う。

全く知らない処に電話をしたり、メールを送ったり、直接尋ねて行った。

いつも恐る恐る返事を待ったが、快い返事を頂き、丁寧に対応して下さった。

しかし、ただ一か所、お手紙を出した所からは返事が頂けなかった。

その時、初めて親鸞聖人の「明日ありと思う心の仇桜、夜半に嵐の吹かぬものかは」の御言葉が、体験として我が身を襲った。

どこかに真実信心を伝えるHPはないかと探していた時と違い、今はゆとり一杯眺めていられるので、とっても気楽。

南无阿彌陀佛

●re.45
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[ 875 ] インターネットが切断? 2009/06/04 (Thu) 16:08 △up ▽down
初めてインターネットを接続してくれたNTTの職員から、3年振りに連絡が来た。

どうも新しいサービスの案内らしかったが、よく理解出来ないでいると、今度は契約有難うございますの内容の封書が届いた。

不審に思い、連絡を取ったら、切断されています。と言われ、そのままにしておいた。

いざ、パソコンを開けて見たら、インターネットが出来ない。

その担当の人の口ぶりが横柄だったのと、契約もしてないのにそのような封書が届いたので、苦情相談窓口に連絡をしたら、その職員の上司という人から連絡が入った。

○○さん、ご契約にOKされましたよね。と念を押されたので、再度そういう契約はしていないと云うと、本人に確かめたところ、親切でした事を逆に誤解されているとみたいだと言っています。

そんなやりとりの末、若し不都合でしたら故障係に電話して下さいとその電話番号を教えて貰って連絡してみたが、いつも話中なので、今はどうでもいいやという心境。

電気店に相談したら、NTTの嫌がらせだと言われた。

そんな事ってあるのかどうか知らないが、NTTからの一方的な電話が無かったら、今も快適にインターネットを楽しめたのにと残念であり、不愉快な思いもしないで済んだのにと思った。

主人は、親切とは相手が思って初めて親切なのに、親切の一方的押し売りだなと言う。

彼女からは、血の気が多いから、誤解されたんじゃないのと言われた。

息子からは、パソコン相手じゃなくって、もうそろそろ自分の周りの人に目を向ける時がきたんじゃないの、僕に譲ってくれないかなと言われた。

でも、その間、風邪もこじらせていたので、パソコンに向かう元気も出なかったので丁度いいかな。

南无阿彌陀佛

●re.46
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[ 879 ] 今朝の出来事 2009/06/08 (Mon) 20:09 △up ▽down
最近、駅のホームで話をするようになった娘と同じ歳の女性がいる。

長年、うつ病を患っていたけれど、少々良くなってきたのでアルバイトをするようになり、午後はそういう施設で時間を過ごすらしい。

ヘルパーの仕事をしている人と、彼女と3人がここ何日か話していた。

今日はすぐにわたしに話しかけてきた。

「あの、名前知らないから、今何て呼んだらいいのかなと思って」

「何でもいいよ、変なおばさんでも、、、でも、おじさんは辞めてよね。ところで貴女の苗字は何て呼ぶの?、わたしの苗字は○○っていうの」ともう一人の人の名前も一緒に尋ねた。

間髪入れずに、
「わあ、3人共、漢字の木が左につくんだね」と彼女が上機嫌で言った後、

「私、○○さんの下の名前覚えているよ、○○さんでしょう」と名前で呼んでくれた。

「ねえ、○○さんは血液型何ですか?」って聞かれたので、

「大雑把のO型よ。」と答えた。

彼女から「おおらかなO型ですね、私B型なので気が合いますね」と言われた。

彼女がアルバイト先に行った後、残った人から

「ずっと、貴女が来るまで貴女の事で盛り上がっていたのよ、くしゃみしなかった?きっと彼女嬉しかったんだと思う」と言われ、わたしも嬉しくなった。

辛い日々もあったろうに、健気な姿が娘と重なり、しばらくの時間でも縁有る間は彼女の前では明るいおばさんで有りたい。

南无阿彌陀佛

●re.47
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[ 880 ] 息子からの電話 2009/06/09 (Tue) 07:41 △up ▽down
息子から電話がかかってきた。、半年振りぐらいに金縛りに遭ったという。

わたしはそういう体験はしたことが無いので、そういう事を息子から聞くといつも「へえ〜」と興味が先にきてしまう。

以前から知っている本社の先輩が、最近急に気になって、連絡を取ったらしい。

彼と話して、それでは一緒にお墓参りに行きましょうと、息子から声をかけて息子からは遠方だが、二人で行ってきたという。

その晩、息子は髪の長い若い女性の姿を見たらしい。直ぐにその彼に見た様子を詳しく報告した。

翌日、本社の友人から、彼の表情がまるで変わって明るくなっていると電話が入ってきた。

息子が最近、直感というか、ひらめきというか、虫の知らせというか、そういう思いが起きる事が多いという。

そういう事を大切に思って行動していると、この人は今すごく疲れているんだなって思って、声をかけてあげるようにしているらしい。

そんな息子の様子を電話で聞きながら、息子は息子なりの方法で阿弥陀様のお手伝いをさせて頂いているのだと安心した。

わたしも自分の出来ることは少しでもお手伝いできたらと思う。

まず、明るい挨拶から。

南无阿彌陀佛

●re.48
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[ 885 ] 護られているとは 2009/06/21 (Sun) 17:44 △up ▽down
時々、台所のテーブルの上に新聞の運勢の場所が切り取られて置いてある。

これは主人が何かわたしに対して間接的なメッセージを送りたい時にそうしていた。

ずっとわたしは占いとか運勢とか信じていなかったので、注意して読んだことが無かったが、最近良い言葉が書いてあると気づいたので、干支に関係なく読んで反省したり、感謝したりしている。

ちなみに6月21日はこんなことが書いてあった。

ね年:門を出でて遥かに瑞雲を見ん。遠地に旅して吉。

うし年:早起きの家には福神来るという。この心掛けで大吉日となる。

とら年:盲亀が大海に浮かぶ浮木の穴に百年に一度入る如し。神仏の縁を尊べ。

う年:世の中は縁に触れて惑う。善縁善報、悪縁悪報。

たつ年:旅路の宿にて眠り覚め遥かに妙曲を聞く象。思わぬ吉事あり。

み年:欲多ければ利を求むる事多し。だから苦悩も多し、目覚むべし。

うま年:往生は死んで後の事ではない。信心に抱かれていると目覚めし時なり。

ひつじ年:妄信により迷いの世界が現れる。妄信が消えれば迷いがなくなる。

さる年:安居して心は楽土にありといって坐して天恵を受ける日。

とり年:寝室にて古書を読む。温故知新して明日に備えよ。

いぬ年:人の悪は隠して善を揚げるべし。信用ありて発展せん。

い年:聖人に夢なしという。希望欲望多すぎぬよう注意して吉運。
                    「県民○○ 松雲庵主」

変わり映えしない一日なのに、薄雲が空一杯に広がっているのを見るだけで、心の中から何とも言えない喜び、安堵感が溢れてくる。

護られているとはこういうことなのかも知れない。

普通の人間が普通の生活をしている。

毎日の生活を淡々と生きていける事。

南无阿彌陀佛

●re.49
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[ 886 ] 真宗七高僧伝(編者井上哲雄)より 2009/06/24 (Wed) 07:33 △up ▽down
わたしはこの御著書が大好きだ。

そしてこの場所は何度読んでも有難くなってくる。


源信僧都の場所より

・・・ある時、僧都が宇治の平等院で御説法なされておられると、高座の上に一枚の木の葉がヒラヒラと降って来ました。

僧都は何心なくそれを手にとって御覧なされると、虫が食うた跡が文字になっております。読んでみれば

   極楽へゆく船のたよりに

という下の句であります。僧都は不思議なことに思われて、それを聴衆にお示しになり

「只今、空より落ちて来た木の葉を見れば、極楽へ行く船のたよりにという虫食いの文字があるが、誰かこの下の句に対して上の句をつけられよ」

と仰せられましたが、誰あって上の句をつける人はありません。そこで僧都は

   法の道知る人あらば渡すべし

とつけて一首の歌とせられましたので、人々は感嘆して退散しました。

然るに只一人の老婆が居残って、さめざめと泣いておりますから、僧都はそのわけをお尋ねなされますと、老婆は

「先程、あなた様のおつけなされた上の句を聞いて泣いておるのであります。」
「法の道知る人あらば渡すべし」とのことでありますが、
さすれば法の道を知った智者聖人達こそ極楽に参りましょうが、この婆の様な、愚痴無智の法の道を知らぬ者は、この船の便りに極楽へゆくことはかなわないのであろうかと、誠に悲しく思うているのでござります」

と申します。僧都は「げに尤も」と思はれて

「そんならお前さん上の句をつけなさい」と申されると、「それでは・・」といって

   法の道しるもしらぬも渡すべし  極楽へゆく船のたよりに

と詠み直しました。  僧都は大いに驚かれて

「さてさて御身は凡人では在さぬ、誠に彌陀の本願によく叶うた上の句である。他力信仰の極致はここであります」

と、ほめ給う間もあらせず、老婆は忽ち身より八萬四千の光明を放って

「われこそは西方浄土の教主、彌陀如来なるぞ」

と仰せられたかと思うと、紫雲に乗り西の空遠く飛び去り給い、後には異香馥(ふく)郁と薫ずるばかりであった。

僧都はいよいよ有難く思召され、随喜の涙を流して、西の方を伏し拝まれるのでありました。


これこそ摂取不捨の御心。だからこそ愚鈍なわたしも救われたのだ。

南无阿彌陀佛

●re.50
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[ 887 ] 認知症サポーター100万人キャラバン 2009/06/27 (Sat) 12:50 △up ▽down
2004年12月、「痴呆」から「認知症」への呼称が変更されたというが、全然そういう事も知らずに、東京へ仕事の事務の講習会に出かけた。

翌日、「キャラバン・メイト養成」とういう講座を学ぶ事になり、講師の方の講演で、認知症と認知症サポーターの役割の大事さを知った。

グループに分かれ、認知症の役と接客の役を設定し、隣に座った人が積極的で、あれあれと言う間に、彼女が接客役、わたしが認知症のお客様の役をさせられた。

講師の人がやったように何が何だか分からない内に終わっていたが、休憩時間に周りの人から、ピッタリですねと褒められた。

役がピッタリでなく、きっとわたしもそういう歳になってきているせいかも知れないと思った。


「認知症を学び地域で支えよう」よりの中の基本姿勢

○認知症の人への対応の心得 ”3つの「ない」”
    1 驚かせない
    2 急がせない
    3 自尊心を傷つけない

具体的な対応の7つのポイント

○まずは見守る
認知症と思われる人に気づいたら、本人やほかの人に気づかれないように、一定の距離を保ち、さりげなく様子を見守ります。近づきすぎたり、ジロジロ見たりするのは禁物です。

○余裕をもって対応する
こちらが困惑や焦りを感じていると、相手にも伝わって動揺させてしまいます。自然な笑顔で応じましょう。

○声をかけるときは1人で
複数で取り組むと恐怖心をあおりやすいので、できるだけ1人で声をかけます。

○後ろから声をかけない
一定の距離で相手の視野に入ったところで声をかけます。唐突な声がけは禁物。「何か御困りですか」「お手伝いしましょうか」「どうなさいました?」「こちらでゆっくりどうぞ」など。

○相手に目線を合わせてやさしい口調で
小柄な方の場合は、体を低くして目線を同じ高さにして対応します。

○おだやかに、はっきりした滑舌で
高齢者は耳が聞こえにくい人が多いので、ゆっくりとはっきりした滑舌を心がけます。早口、大声、甲高い声でまくしたてないこと。その土地の方言でコミュニケーションをとることも大切です。

○相手の言葉に耳を傾けてゆっくり対応する
認知症の人は急かされるのが苦手です。同時に複数の問いに答えることも苦手です。相手の反応を伺いながら会話をしましよう。たどたどしい言葉でも、相手の言葉をゆっくり聴き、何をしたいのかを相手の言葉を使って推測・確認していきます。


講師の先生の御言葉から、認知症の方も、自尊心もあり、又やさしい笑顔は忘れないとお聞きして、人間の心とは表面上壊れていそうに見えても、奥底は壊れないのだと思った。

わたしの行く先の姿と思い、認知症を学ぶ機会に恵まれた事に感謝したい。

南无阿彌陀佛

●re.51
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[ 889 ] 知らない人との一瞬の御縁 2009/06/28 (Sun) 09:28 △up ▽down
米原からしらさぎに乗って地元の駅に降りたが、時間が遅かったので、乗継線の待合場所が分からず戸惑った。

すると、柱の陰に一年程前に少し話した事のある女性に気づき、わたしから声をかけた。

わたし:「わー久しぶり、元気にしてた?もう学校卒業したの?」

彼女:「うん、今自動車学校に行ってるの、午前中はアルバイト」

そんな会話から彼女が、教官にいじめられていると聞かされた。

でも確か、高校生の時もそう聞かされていたので、昔のわたしの思考回路のようでもう少し深く突っ込んで話を聞いてみた。

彼女:「教科の先生にいじめられているの、なんか教えるのが嫌そうな感じがするの」

わたし:「どうして?お金払っているんだから、しっかり教えて下さいよって言ってみたら?わたしが一緒に行ったら、文句言ってあげるのに」

と言っているうちに、少し明るい表情になって「来て、来て、ホントに来てくれる」と冗談ぽく返してくれた。

わたし:「ねえ、でもいじめられているっていう考え方は少し減らそうよ。初心者が路上運転する為に事故にならないように先生は一生懸命に注意しているのかも知れないよ。」

自分が運転免許を取る時の失敗や苦労したことを少しオーバーに面白、おかしく話してみた。

「わたし、ちょっとパワーがあるみたいなの」と言いながら、彼女の肩に手をそっと添えて
「はい、元気のおまじない」ってポンと肩を叩いた。

そういう会話をしながら、電車を待っていると青森行きの寝台車がホームに入ってきた。

興味を持ちながら、停車しようとしている車内を眺めていたら、彼女とわたしの前に缶ビールを持ちながら、上半身裸の小太りのおじさんの姿で停車した。

二人で目のやり場に一瞬困ったが、即座にその人に乾杯のジェスチャーをしたら、その人は上機嫌で手を振ったり、何度も乾杯の動作をしていた。

こっちの会話は聞こえないから、彼女に「結構、あのおじさんもバツ悪そうだったから、笑わせちゃった」と言ったら、大笑いされて、「明日頑張ってみる」と言ってくれた。

列車が走りだすと、窓越しから手を振って上機嫌のおじさんの姿が消えて行き、私達が乗り込む列車も入ってきたので彼女と違う車両に乗り込んだ。


昔、親鸞会の聴聞の帰りのバスの中で、信号待ちの時に、歩道橋を歩いている男の人にバスの中から手を振ってみた。

どうも東南アジア系の人らしいが、目線がバスの高さとさほど違わなかったので、気づいてくれて手を振って下さった。

一番後ろの席だったので、振り返りながら手を振り続けていたら、周りの人も気づいて、「感じのいい人だったね」とか「美男子だったね」とか言っていたのが、まるで昨日のような気がする。

もうどこで逢うこともないかも知れない人との御縁。

そんな出会いがとっても楽しい。

南无阿彌陀佛

●re.52
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[ 898 ] 極楽(しあわせ)と地獄(ふしあわせ)の岐れ路 2009/07/04 (Sat) 06:54 △up ▽down
前に御縁頂いたおじさんから、タイトルに書いたような一枚の紙を頂いた。

内容がとっても分かりやすいので、コピーして事務所とトイレの中に貼ってある。

事務所に来られた人の中に興味を示して下さった人には、差し上げて喜ばれている。


○幸福への近道

早起きする人熟睡できる人     感謝して真剣に努力する人

仕事を趣味に能率を計る人     義務も責任も進んで果す人

時間を守る人礼儀正しい人     頼もしい人融和を計る人

人も自分をも尊敬できる人     常に反省し素直に改める人

何事も善意に解釈する人      注意深い人決断の速い人

心身の健康を心掛ける人      質素で金を活かして使う人

孝人深い人恩に報いる人      親切で人の為によく尽くす人

良心と優しい愛情に満ちた人    恥を知る人偽りのない人

信念に徹した人辛抱強い人     どんな苦難も悠々耐える人

生き甲斐を求め精進する人     夢と希望に笑顔で生きる人


○不幸を自分で造る人

心の暗い人不愉快に暮す人     絶えず不満や愚痴の多い人

やる気がなくよくサボル人     無責任な人法規を守らぬ人

時間も「物」も無駄にする人    陰口が多く人の和を乱す人

卑下する人自信なく焦る人     信仰心がなく自我の強い人

神仏に無理な願いをする人     心が狭くすぐ腹を立てる人

暴飲暴食自分を粗末にする人    お金を浪費し賭事をする人

悪友も道楽閑も多すぎる人     公徳心もなく迷惑を掛ける人

利己的気まま自分本位の人     迷いも取り越し苦労も多い人

欲の深い人自惚れの強い人     依頼心の強い人苦労に負ける人

義理より権利を主張する人     貴重な一生を無為に過ごす人


書き写しながら、ホントにこのように実行して努力しようとするのは並み大抵ではないなと思う。

今は、心は満足、安心感。

色々出来なくても、でもこの娑婆世界をスムーズに生きて行くには、やはりこのような日常生活を送りたい(希望かな)。

南无阿彌陀佛

●re.53
菩提心
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[ 905 ] しあわせの輪 2009/07/07 (Tue) 10:15 △up ▽down
昨日、久しぶりに太陽の光線が光明のように大地に降り注いでいるのを眺めながら帰路に着いた。

眺めているだけで、心からなんとも言えない感動が起こり、しばし自転車をこぐのも忘れて西方に思いを馳せた。

嬉しいな〜。

愚痴も不平も出てくる。

それでも、いつの間にかそんな気持が消えている。

生きているってしあわせだな〜。


いつものメンバーとお会いして、朝から笑顔で挨拶できるしあわせ。

お互いがお互いの笑顔を見て、又楽しくなる。

ホントに朝から、楽しい会話で心が弾んでくる。

阿弥陀様、わたし、とっても嬉しいです。

南无阿彌陀佛

●re.54
菩提心
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[ 909 ] もう、冷汗!! 2009/07/10 (Fri) 16:32 △up ▽down
青年部長:「○○さんの筆跡の領収書、持っていますよ」

わたし:「え、そうなんですか?、じゃぁ、わたしの勘違いかも知れません。早速調べてみます」

ホントに領収書を渡したのか、相手から断定的に言われると、とても自信が無くなってきた。

ドキドキしながら、再度領収書綴りを確認してみた。

あ〜ぁ、良かった。

間違っていなかった。

その領収書は、3か月前のものだ。先月分はやはり頂いていないのだ。

間違っていないと思ったら、急に気持が楽になった。

お金が絡むのは、本当に気疲れする。

まして、年齢的に息子のような歳の人から「〜です」と、きっちりした口調で言われると、全く自信がなくなる。

一瞬でも、疑われると小心者のわたしはビビッてしまうと下の階の彼女に言うと、

「小心者? 誰が?」

全然わたしはそういう風に見られていないらしい。

でも、やっぱり間違っていなくて助かった。

今までのわたしなら、ちょっとムカっという気持が起きてきそうだったが、全くそういう気持も出てこなかった。

忙しい時間に、何度も確認の電話をして、迷惑をかけてしまった事を謝った。

「暑いから、大変だね」とむしろ元気づけられた。

それにしても歳は取りたくないものだ。

もともと記憶力は乏しいのに、だんだん落ちていく感じ。

阿弥陀様、もうホントに疲れてしまいました。

なまんだぶ、なまんだぶ、なまんだぶ・・・・・・。

●re.55
菩提心
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[ 910 ] 高橋真梨子のコンサートに出かけて 2009/07/12 (Sun) 09:55 △up ▽down
昨晩、高橋真梨子のコンサートチケットを貰ったので出かけた。

パソコンに彼女のCDを取り込んでいたが、生の声を聞くのは初めてだった。

舞台装置の素晴らしさ、彼女の声量のすごさに感激した。

又、来ているお客さんの年齢の幅にも驚いた。

随分お年寄りの人が、子供や孫のような人に連れられて来ている。

でも、聴いている場所が丁度、出入り口だったので、遅くなった人が係員に場所を尋ねる声の大きさには閉口してしまった。

帰りの電車に間に合うかなと思って駅のホームに行くと、途中抜け出した人が待っていた。

わたしより5,6歳年配の4人のグループだった。

開いていたベンチに腰かけさせて貰った。

隣の人から、声をかけられた。

「まだ、会場から出てきた後、何曲か歌っていた?電車に間に合わないと思って出てきたんだけれど」

「あの後、3曲歌っていましたよ」と答えると、相当残念がっていた。

「こういうコンサート時々来られるのですか」と聞いてみると、

「そうねえ、最近は、きよしかしら」

わたしは、前川きよしかと思ったら、氷川きよしよ、当然でしょうっていう顔をされて、わたしの方が(みんな若いな)と感心してしまった。

でも、やっぱり音楽のノリにはついていけないそうだ。

県外に足を運んでまでは行かないらしいが、県内のイベントには時々出かけるらしい。

生活のゆとりを感じて、傍目から見ても微笑ましいと思った。

今までのわたしなら、きっと嫉妬心も起きただろう。

でも今は、高いチケットを貰っている自分がとても有難いと思った。

これも、阿弥陀様のお陰だと思う。

あの一杯いる会場の中で、又別の満足感も味わっていられるわたしは本当に果報者だ。

南无阿彌陀佛

●re.56
菩提心
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[ 911 ] 手話ではないけれど 2009/07/14 (Tue) 10:00 △up ▽down
帰りの電車の中で、誰かの視線を感じた。

2年程前に、知り合った女性だった。

何となく困った様子なので、声をかけたが、言葉が話せない事に気づいた。

どうも、乗った電車が、自分の行く方向なのか心配になったらしい。

わたしは2つ駅で降りてしまうので、一応隣の人と車掌さんにお願いしてそのまま別れた。

数回、顔を合わすようになり、ジェスチャーで、「ここに座ったら」と合図をして下さる。

そんな時は、なるべく側に行くようにしているが、彼女と一緒の時は、遠慮していたが、昨日は、彼女もいなかったので隣合わせに座った。

彼女は、その女性が時々、奇声を発するようなのが嫌なのだという。

悪いなと思っても、周りの視線が気になってしまう、という。

その女性は、いつもわたしに笑顔を示してくださる。

それが、昨日は少し暗い顔をしていたので、どうしたの?という素振りを見せた。

メモ帳を持っていたので、それに書いた言葉は「今日は手話の勉強会で疲れた」とあった。

ジェスチャーで、手を目に当てたり、耳に当てたり、口に当てたりして、口は利けなくても、目は見えるでしょう、耳は聞こえるでしょう、このように歩けるでしょうと、両手を使って表現してみた。

その女性は、何度も大きく頷いて、又わたしにメモ帳を見せてきた。

「分かりました、ありがとう」と書いてあったので、「笑顔が最高」とわたしも書き添えた。

口角を両手で上げるようにして、何度も笑顔の表情を示した。

周りの興味深そうな、ちょっと不審そうな高校生の視線なんて、全然気にしない。

わずか10分くらいのジェスチャーのやりとり。

振り向くと、まだその女性は、両手を口角に手をやってお辞儀を返して下さった。

ちょっとした勇気で、お互いの心が明るくなるのに、どうしても彼女はそれが嫌なのだという。

私は鬼かも知れない。分かっているけれど出来ないという。

全然鬼なんかじゃないよ。

わたしはただ、阿弥陀様から勇気を貰ったような気がするだけ。

貴女の方が、よっぽど自分の心を見つめているよ。

わたしはそんな殊勝な心を持ち合わせていないから、阿弥陀様をたのんだだけだから。

南无阿彌陀佛

●re.57
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[ 912 ] JR西日本のイベント企画で気づいたこと 2009/07/17 (Fri) 09:21 △up ▽down
駅の構内に「西日本パス」、2日間用12,000円で、新幹線。特急乗り放題!!
のポスターが貼られてあった。

気になりながらも、もうこのイベントは終わったと思ったら、口コミでまだ継続しているということで、知人に教え、一緒に行こうと誘った。

知人はなかなか休みがとれないということで、ギリギリ8月1日が空いているからと、早速切符を買い、インターネットから宿の予約を検索したが、丁度夏休みと、高速道路1000円の為になかなか思うような宿は見つからない。

7月31日と8月1日では、倍ぐらい金額が跳ね上がっているところもある。

娘と安いところで、口コミで良いところを、お互いに電話をしながら探していたが、最後には娘から、「この電話の方が高くつくよ」と言われ、思わず笑ってしまった。

どうして、このような格安なイベントは、いつも2人以上に設定されているんだろう?

企画者は、遠距離は話し相手もいないと寂しいと思うのだろうか。

わたしの御縁頂いた先代の善知識様は、その昔各駅列車で移動しながら色々な御著書を読んでおられたらしい。

一人旅は、相手に気を使うこともなく、本を読んだり、外を眺めたり、眠たい時に寝れるのにと思って、彼女にも言ったら、「やっぱり一人は不安だし、寂しいよ」と言われた。

でも、一人でもOKだと、もっと利用するような気がする。

今、青春18切符も売り出しているけれど、絶対時間があったら、泥凡夫様に会いに出かけるのにと思った。
これを言うと、妹からは呆れられてしまうけれど。

一度、娘が学生時代に千葉にいた時、埼玉の甥っ子に会いに行きたいと思い、一日フリー切符を買って、埼玉、東京の上野動物園、浅草観音、横浜と一回りした。

二人旅、三人旅、四人旅・・・それぞれ楽しいだろうが、一人旅も結構楽しいかも知れないのに。

JR西日本の企画を読んでいた娘からは、「JR東海なんか、そんな格安イベントなんてないよ。こんな企画があったら、一緒に行きたいと思うけれど、ないから残念」と言われたが、主人からは、「勝手な女だな、○○はどうするんだ!」と娘の電話のやりとりの最中、そばでガーガー怒鳴っている。

御免なさいね。勝手な女で。

十分楽しんで行きたいと、パソコンで今から下調べ中で〜す。

南无阿彌陀佛

●re.58
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[ 913 ] 西方指南抄より 2009/07/18 (Sat) 07:18 △up ▽down
『西方指南抄』は、法然上人の言行録として集成された最初のもので、親鸞聖人みずからの手によって輯(しゅう)録され、84歳の冬から85歳の春にかけて次々と成立している。

上記を踏まえて、西方指南抄 下本より

問。極楽に九品の差別の候事は、阿弥陀佛のかまへたまへることにて候やらむ。

答。極楽の九品は弥陀の本願にあらず、四十八願の中になし。これは釈尊の巧言(カマヘタマフミコト)なり。
善人・悪人一處にむまるといはば、悪業のものども、慢心(キョウマンノココロ)をおこすべきがゆへに、品位差別をあらわせ、善人は上品にすすみ、悪人は下品にくだるなど、ときたまふなり。いそぎまいりてみるべし。


過去ログの下記の場所の泥凡夫様や毎日様やボン様のお言葉がよみがえってきた。

やっぱり、ここには真実信心のお言葉がある。

[ 80 ] 念仏衆生摂取不捨と無碍の一道について
http://shinshu.in/forum/forum.cgi?act=select&id=3&pastno=0&vine=8&page=0

南无阿弥陀佛

●re.59
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[ 914 ] 失敗談は親近感の元。 2009/07/19 (Sun) 15:23 △up ▽down
息子夫婦も交えて6人で台所近くでしゃべっていた。

皆、一味同行なのに、話す事は他愛無い話ばかり。

将来の仕事や、生活の事・・・・。

でも、一番わたしの事になると話が盛り上がる。

何しろ、失敗談には事欠かない。

先日、時々駅で御会いする女性と話すきっかけも、間違えて知っている人だとばかり、声をかけたからだ。

その年配の上品な女性が交差点の向こうからお辞儀をして下さったが、最近わたしもメガネが合わなくなってきたのか、すぐにはその人だと気が付かなかった。

「奥さん、今日はメガネをかけてらしゃらないんですね、だからわたしすぐに気が付かなかったみたい」と側に近づいてからそう話した。

「え〜、あら嫌だわ、ホント。何だか道を歩いていておかしいって思ったのよ、さっきの歯医者で忘れてきたみたい」と言われて、

「わたしなんてしょっちゅうです。」と言いながら、歯医者があるビルの玄関先まで御一緒した。

お互いに、今まで以上に親近感が持てた。


以前、横浜から新幹線で帰る途中、名古屋で三重県の事務局と別れ、しらさぎに乗り換えた。

乗り換えて、お土産の袋は持っていたが、カバンが無いのに気づいた。

てっきり、名古屋駅で忘れたと思い、車掌さんや、到着駅や交番に届け、翌日、地元の駅員さんにも事情を話した。

元親鸞会の友人や、三重の事務局にも話していて、心配をかけてしまった。

一日、もんもんとしていたが、地元の駅に戻ると、駅員さんがニコニコしている。

「あったよ、博多駅で見つかった。鞄の中に定期券が入っていたから、連絡がきた」と言われ、たまたまその駅員さんと、博多の駅員さんが友達だったのも幸運だった。

一度も博多に行かないのに、荷物だけ博多まで旅行。

熊本の事務局に話したら、「きっとその鞄、ブランドものじゃなかったからよ」
彼女の話だと、窃盗集団が有り、ブランド物はすぐ盗まれるらしい。
こういう点でも、普通の旅行鞄しか持てないわたしは幸運ということかしら?

だから、今回の「西日本パス」でどうでも博多まで行きたいという執着。

我ながら、人間が小さいな。


自分の失敗を笑われても、全然気にならないのはやっぱり有難い。

少しずつ、心の持ちようも変えられているような気がする。

それとも、認知症になる前に、阿弥陀様も堪えきれずに助けて下さったのかな。

まあ、阿弥陀様は、毎日様のような人と対照的なわたしを助けて、知恵才覚は関係ないって示して下さったのかも知れない。

南无阿弥陀佛

●re.60
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[ 920 ] 46年振りの皆既日食 2009/07/22 (Wed) 23:07 △up ▽down
階段を下りる途中、「今、皆既日食の中継をやっているから」と声をかけられた。

しかし、歳のせいで4階の階段を上がれないと理事長が玄関先の車の中で待っている。

理事長の車の中には、カーナビが付いているので、お願いして見せて貰った。

まさかリアルタイムで見れると思っていなかったので、これも阿弥陀様のお陰のようで嬉しくなった。

46年振りとすると、私が中学生になった頃の筈だが全然覚えていない。

それより以前に、割れたガラスにロウソクの火で黒くして太陽を眺めた記憶があるが、それは幼稚園の頃のような気がする。

その頃は田舎に住んでいたせいか、天の川が綺麗な夜空や、蛍の飛び交う姿に子供心にもうっとりした思いが今でも懐かしい。

アット言う間の人生ってよく言われるけれど、わたしには思い出が一杯あったような気がする。

辛かった思い出が薄れていき、これからのわたしの思い出にはいつも阿弥陀様が寄り添って下さるようで有難い。

落ち込むことも少なくなり、成るようにしか成らないという思いの方が大きくなっている。

彼女が北海道土産にと、ホッケのくんせいを買ってきてくれた。

これで、ちょっとビールでも。

南无阿弥陀佛

●re.61
菩提心
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[ 921 ] 義母の死 2009/07/24 (Fri) 07:57 △up ▽down
昨夜、主人の母が亡くなったという知らせが入った。

主人が病院に駆け付けた。

今朝、二人で家に帰ってきた義母を見舞った。

ここ三年ぐらい、わたしはご無沙汰だった。

白い布をはずし、そっと顔に手を当てたり、髪をとかした。

真言宗の御仏壇に手を合わせたが、心の中で(弘法大師様も御同行)だと思ったら、不思議なもので、親近感さへ湧いてくる。

「真宗は二度お葬式があるんだよ」の善知識様の御言葉がよみがえる。

母の死、義母の死。

それぞれの死を通して、わたしの思いに違いが出てくるだろうかと観察してみた。

有難い事に、これも信心決定しているお陰かも知れないが、母も義母も同じようにいとおしいと思える。

この世の縁有る人が一人、二人とわたしの前から消えていく。

でも、淋しい思い以上に、いつか必ず又会えると信じているので、昔のような悲壮感は出てこない。

むしろこの世の縁を大事にしていきたいと思った。

南无阿弥陀佛

●re.62
菩提心
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[ 922 ] 湯灌(ゆかん) 2009/07/25 (Sat) 15:34 △up ▽down
目の前で義母の湯灌が始まった。

仰々しく、お風呂の用意までしてあった。

丁度「おくりびと」の映画の影響か、そのような湯灌を希望するのが7割近くあるらしい。

絶対、見ている人の前では、義母の裸体をあらわにしない。

丁寧に死体を扱っている。

手足の爪を切り、身体中に着物を掛けた奥で、2人がかりで洗っていく。

何度も何度も、髪をすすぎ洗いし、顔そりし、耳、鼻の脱脂綿を新しく変えていく。

義母は少し認知症も出てきていたらしいが、すこぶる内臓はしっかりしていたので、やつれていないから、除々に生気を取り戻していくような錯覚を覚えた。

ドライヤーで髪を浮かせ、顔に薄化粧をし、ほんのり紅色を口につけてもらった顔には笑みさえ見えるようだった。

昨日朝見た顔とはまるで違って見えた。

最後、お棺に入れる前に、もう一度お別れの御挨拶ということで、わたしは義母の手に触った。

冷たかったが、父の時のような怖さはなかった。

母は遠方ということで、葬儀の時には、お棺の中の母としか会えなかったが、今義母の湯灌の様子から、母の最後を看取れなかったのがとても残念だったと思う。

お棺に入れられた義母は、明日には白骨になる。

これが、人間に生まれてきた一生なのだ。

このような営みを経て死ねる人は幸せなのだと思えた。

畳の上で、家族親戚に守られて死ねる幸せ。

こういう感覚も、信心決定しているから味わえる境地かも知れない。

御文の中の「白骨の章」は、いつも通夜に読まれることが多いが、今日のわたしはどのような気持ちが出てくるだろうか。

南无阿弥陀佛

●re.63
菩提心
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[ 923 ] 御文じゃなかった 2009/07/25 (Sat) 21:50 △up ▽down
真言宗のお葬式っていうことをすっかり忘れていた。

しかし、読経の後、「白骨の章」のようなくだりをお坊さんが拝読している内容が良く似ている。

仏教は釈尊から来ていることが、他宗の葬儀に参列して実感できた。

ところどころで、聞き覚えのある言葉が聞こえる。

耳をかたむけると、阿弥陀の言葉が分かった。


「・・・・観経にも一々光明遍照十方世界念仏衆生摂取不捨と説き給う、この光明の中に念仏の衆生を摂め取って捨て給わらずべき故に阿弥陀と名付奉る。・・・

南無阿弥陀仏と念じ奉れば即ち無量の罪を滅ぼして、今生には楽しみ栄え、後生には清浄の土を生ずと説き給う・・・・

廻向というも信も行も正法も往生も智慧も菩提も摂取不捨の益も欣求浄土の心も唯念仏申すより外類(たぐい)なきなり、この旨をよくよく御心得有って怠惰なく念仏申すべきものなり」   弘法大師(空海上人)


読経の最中、南无阿弥陀佛を心の中で称えていた。

又、主人は足が不自由で、御法の時も辛そうにしていたのに、2週間前に行った整形外科の薬のお陰で、ずっと式に参列できた。

○○は、動物病院に預かってもらうことになったので、家に置いているという心配もしなくて良かった。

主人にとっては心置きなく母親との最後の別れを営む流れのような気がした。

通夜も終わり、喪主と主人を残し、7,8人の極身近の親戚と一緒に外に出てくると、星が輝いていた。

その中の一人が、「今日は不思議に移動中は全然雨に濡れなかったね」と言っていたが、同じようにわたしも主人に言っていた。

「ちょっとした天気の変化にも嬉しいという気持ちが起きてくるよ。」

明日はきっと、良い天気に恵まれると思う。

南无阿弥陀佛

●re.64
菩提心
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[ 924 ] 葬儀の後の思い 2009/07/27 (Mon) 11:14 △up ▽down
いつものヘルパーの人と、娘と同じ歳の彼女と、駅員さんが3人でしゃべっていた。

「え、今日は休まなかったの?」と主人と同じ在所の駅員さんから聞かれた。

「昨日、初七日も一緒に済ませたので・・・」と言いながら、昨日の葬儀の話になった。

ヘルパーの人は、これまでも何度も葬儀に立ち会っているらしいが、義母の湯灌の模様の話をしたら、最近は特に多いらしい。

しかし、葬儀は傍目からも立派にするらしいが、普段は近い所に居てもお年寄りがいるホームには立ち寄らないらしい。


葬儀も滞りなく済み、火葬場に着き全員が車から降りた途端、どしゃ降りの雨が降ってきた。
時間的に見て、出棺に立ち会った人は多分、雨にも遭わず家路に向かわれたことだろう。

親戚の人が「きっと涙雨ね」と言われたのを聞いて、やさしい言葉だなと思った。


「悪いけれど、誰か、火葬場に行ってお骨を貰ってきてくれないか」と言われ、もうお骨が入っている器を貰いに行くだけだと思っていたので、軽い気持ちで返事をし、わたしと甥と甥の娘の3人で取りに出かけた。

係りの人が、「他の御家族はおいでになりませんか?」と聞かれ、その係員が一瞬変な顔をしたが、気にも留めなかった。

係員の説明で、すぐに理解できた。

朝と同じ遺体を納めた場所から、骨になった義母の姿がわたし達の目前に現れた。

甥の娘は5歳なので、「さっきのおばあちゃんは?おばあちゃんにさわった顔は?」としきりに甥に尋ねていた。

わたしは、係員の説明とおり、甥と二人で骨壺に入れていく。

甥とわたしが何度も、箸で骨を砕こうとしているのを係員が、「この歳でこんなにしっかりした骨はなかなかないですね」と言われた。

甥も、何度も倒れたけれど、骨を折ったことはないと言っていた。

「ねえ、わたしで良かったの?まだ他にして貰う人いなかったの?」と聞いてみたが、甥は「そんなことないよ」と言ってくれた。

車に戻り、甥の持っていた骨壺を手にすると、どこからともなく小さい蝶々が、ひらひら骨壺を持ったわたしの周りを舞っている。

「ねえ、見て、まるで薄いすみれ色の蝶々ね。こんな綺麗な蝶々見たことないね」と甥に語りかけると、甥も「おばちゃん、おばあちゃんの名前、スミ子だよ。何だか喜んでいるみたいだね。」と言っているうちにいなくなった。

でも、甥もわたしも良いように解釈して「きっと嬉しかったから、最後の挨拶にきてくれたんだね」と思った。

お寺にお骨を納め、読経を済ませた後、主人の従妹から、「私の歳になってもまだお骨は拾いに行った経験はないのよ、きっと○○ちゃんは御縁が深いからよ」と言って下さった。

最後の最後まで、義母を看取れたわたしは、不思議な安堵感を味わっている。

信心決定しているわたしは、どのような死に方をしても仕方がないなと思っているが、身内の気持ちがわたしと同じような思いになるのか、そちらの方が興味深い。

「あ〜ぁ、とうとう骨になっちゃった。でもいつも変な人だったな」と言われそう。

南无阿弥陀佛

●re.65
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[ 925 ] これって運がいいの? 2009/08/03 (Mon) 15:59 △up ▽down
西日本パスで、博多・ハウステンポス・宮島の厳島神社、広島の原爆ドームを見てきた。

12,000円で乗り放題ということで、随分と得した気分を味わった。

ちなみに移動距離を、普通の運賃で計算してみたら56,000円ぐらいかかる。

先週の大雨と違い、一度も傘をさすこともなかった。

不思議に次から次と、待つこともなくスムーズに移動できた。

博多ラーメンを食べようとした屋台のラーメン屋は、どうも人気の店らしい。

丁度、一つのテーブルが空いていたので、そこに座った。

食べ終わり、お互いの写真を2、3枚撮っていると、行列に気づいた。

ここでも待つことはなかった。

厳島神社では、丁度結婚式を執り行うところで、こういう場面はめったに見られないだろうとしばし、その様子を眺めていた。

昼食時には、たまたま眺めたお店の中の様子が良かったので、入ってみると、やはり感じもよく美味しかった。

なんでもかんでもスムーズにいくので、これも救われているお陰かなと喜んでいた。

南无阿弥陀佛

●re.66
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[ 926 ] Re1:これって運がいいの? 2009/08/03 (Mon) 16:00 △up ▽down
家に帰り、玄関先に荷物を置いたまま、犬の散歩に出掛けた。

散歩に帰ってから、買ったおみやげを冷蔵庫に入れ、お金の入っている小さなバックを探したが見つからない。
ひょっとして、主人が隠したと思って、「ねえ、わたしのカバン知らない?」と聞いた。

「まさか、又汽車の中に忘れてきたんじゃないだろうな」と主人に言われた。

「お父さん、本当は隠したんじゃないの?」まだ、半信半疑だった。

段々、心配になってきた。

今回は絶対に忘れ物をしないように努めていたからと記憶を辿って行く。

でも、最後に切符を車掌さんに見せたことはしっかり覚えているのに、持ち帰ったかどうか全く記憶にない。(この時、連絡列車が駅のホームで待っていた)

昨夜は駅に問い合わせるには遅かったので、早速今朝6時になって「お客様センター」に電話を入れた。(前回に懲りて、その後、インターネットで調べていたので、予備知識はあった)

今回は自分が設定した旅行コースなので、どの列車に乗り、座った場所も把握していた。

それでも、まだ主人が「嘘だよ、隠していたんだ。」とカバンを出してくるんじゃないかとも思った。

電話をしてしばらく待っていたら「お客様、探してみましたが、残念ですが、見つからないみたいですね」と言われ、少し落胆しかけた。

「お客様、定期券も入っていたと言われましたね。お客様のお名前の定期券入れのカバンは富山駅に有ります、朝8時になったら富山駅に電話を入れて下さい」

「そらみたことか、今後一切、旅行はするな」と主人から散々怒鳴られた。

そうだよね。反省する前に、人のせいにしているんだから。(恥ずかしいけど、すぐ開き直る悪い癖)。

南无阿弥陀佛

●re.67
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[ 927 ] Re2:これって運がいいの? 2009/08/03 (Mon) 16:01 △up ▽down
朝、地元の駅でいつもの二人に、「どうだった、楽しかった」と聞かれた。

天気が良くて、とっても楽しかった事。それも忘れ物が見つかったので、呑気に構えていられるのだと思った。
又、地元が大雨だった事も全然知らなかった。

一度、地元の大雨で、軽自動車が被害を被って以来、わたしは晴れ女らしく、彼女達から、「天気を連れて帰ってきてくれて有難う」と言われた。

会社のある駅に行って、忘れ物の届け出をして、富山駅から着払いで送ってもらうことにした。

3人の駅員さんから笑われて、「JR西日本のブラックリストに乗りますよ、でも定期券が入っていて良かったですね。お客さん、運のいい人です」と言われた。

やっぱりこれも運がいいのかな。

本当に何度同じ過ちを繰り返すんだろう。我ながら自分の学習能力の無さに嫌気がさしてくる。

昨晩、なかなか眠れなかったので、友達から勧められた本が読めたが、その内容がプラスイメージなのも良かったのかもしれない。

救われているせいか、前回と違い、随分落ち着いていられた。

○シルバーバーチの新たなる啓示

○22世紀への伝言

南无阿弥陀佛

●re.68
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[ 928 ] おみやげを持って 2009/08/05 (Wed) 11:18 △up ▽down
前にお世話になったおじさんのところへ「辛子れんこん」を持っていった。

会社から帰ってくると「今、すぐ来て」と少し命令口調の電話が時々入る。

何事だろうと思って、犬を連れて急いで行くと、「まあ、まあ、家に入っておいで。犬も一緒でいいよ」とにこにこしている。

きゅうりと、とまとが山のようにテーブルの上に置いてある。

カップ麺の入れ物も置いてある。側にはおじさんの作ったおかずも置いてある。

昨晩は、前に持っていった容器に、御返しに何にも入れないのも悪いからと冷蔵庫から煮豆を出して来て容器に入れてくれた。

それを持ち帰り、主人の前で食べていると「よく食べられるな、感心する」と言われた。

おじさんの好意はすごく有難いが、ちょっと勇気が必要だ。

過去におじさんに勧められて、大皿にカレーライスを盛った上に、目玉焼き、その横におじさんが作った煮物がどっさりあった。

「お腹空いただろう、遠慮しなくていいよ」とおじさんの目の前で食べる事になった。

家でしっかり食べてきたのもあるが、だんだん涙目になってきた。

「おじさん!ごめん。もうこれ以上は無理」と、洗面所に走っていった。


「おじさん、おじさんとこんな風に、一緒にテレビを見ているって不思議だね」、昨晩NHKの仏像が盗まれる番組を見ながら話していた。

「おじさん、わたしは違う道を選んだけれど、でも感謝しているよ。色んな本が有ることを教えてくれたし、色んなところに連れて行って貰ったこと、絶対忘れないからね」

外に出てくると、綺麗な月がぽっかり浮かんでいる。

犬の両手を重ねて、「なむあみだぶつ」。

おじさんと犬とわたしを照らしている月は、勢至菩薩様かしら。

南无阿彌陀佛

●re.69
菩提心
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[ 929 ] 曼荼羅を説く 2009/08/08 (Sat) 16:41 △up ▽down
おじさんのテーブルには色んな本が置いてある。

初めはキリスト教を信じていて、それから信心を受けてから仏教を勉強したそうだ。

おじさんのお陰で、色々な本に出会えた。

テーブルの上に、曼荼羅の表紙の本があった。

おじさんに聞いて、すぐに当麻寺に電話をして送ってもらった。

お香の香りが染み込んだ本が送られてきた。

その香りも消えてきた頃、ようやく読もうという気持ちが起きてきた。

曼荼羅は密教ばかりだと思っていたので、「観経曼荼羅を説く」の解説の箇所を読んで、改めておじさんは色んな本を知っているんだなと感心した。

この本に書いてある曼荼羅は、知恩院の御影堂に毎彼岸会に掲げ回顧する観経曼荼羅である、と書いてある。

又、高祖善導大師は浄土変を三百舗作られ布教強化に用いられたとも書いてある。

わたしのようなものには、とても有難い御著書だ。

もうそれを知ってからは、楽しくて楽しくて時間が有ったら読んでいる。

DVDの説明も発売されていたが、高かったので辞めたが、今思うと残念なことをした。

南无阿彌陀佛

●re.70
菩提心
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[ 930 ] Re1:曼荼羅を説く 2009/08/08 (Sat) 16:55 △up ▽down
父子相迎会(右)、父子相迎会(左)の中のこの箇所が特に気に入り有難くなる。

父子相迎会(右)より一部抜粋

仏を父といい、衆生を子となるのは、「涅槃経」に「一切衆生悉く仏性有り」と、また「常住にして変易有ること無し」と説かれて一切の衆生、あらゆる有情(生きもの)は皆仏性を備えている。

仏性とは仏になることができる天性(生まれつき)である。だから、仏といい凡夫といい、その天性の素質を言うときには「如来ハ常住ニシテ変易アルコト無シ」である。
たとえ、八寒八熱の地獄の中に落ちても仏性は易(かわ)るということはない。われらは罪悪無智の凡夫となっても、やはり仏と同じ仏性を備えているのである。
これを凡聖不二とか生仏一如ともいうのである。

だが、同じ素質をもちながら、仏は妄想を去り煩悩の垢をすすぎ迷いを翻して悟られた。
仏としての素質を現したもうたのである。凡夫は同じ仏性にありながら妄想の雲に覆われ、煩悩の泥にまみれ迷いが晴れない者であるから凡夫となっている。

仏と衆生はもと同じ仏性をもって天性の親子であるから、一切衆生を不便に思われ、可愛く思しめし、ひとりの子にかける慈悲のように大事に思われる。

仏と衆生とは天性の親子であるので、性が易(かわ)っても隔っても親子の縁は尽きることがない。衆生さへ助かることならば、たとえ我が身は、いかなる苦しき目に逢うとも少しも悔やむ事はない。

衆生をすてて我独り仏になるようなことはない。衆生が苦に沈んだならば、我も沈むだろうと思われる。まことに広大な御慈悲である。

だが、われ等は昔より六道貧里(ひんり・・ひさしく六道をめぐりて功徳のないところ)の迷い子となり、我は仏の子であるということを知らずに、唯三界六道を流転して、これを我が里と思って大慈大悲の父の御元の、本覚真如(衆生が本来持っている覚(めざめ)の知恵)の故郷の極楽へ還ろうと思う心がない。

仏はどのようにして早く衆生を我が元に引き取ろうかと思われるが、衆生は唯五欲にふけり、煩悩に狂わされ生死に執着して、この世から極楽へ還ろうと思われないでいる。ご苦労に思し召されるがいたし方がない。

これを思うと、下品の人は一生を十悪五逆を作り固まったが、僅かに臨終にただ十声一声申すや否や、声の畢(おわ)らないうちに、化仏化菩薩が声を尋ねて直ちにご来迎下さる。
よくよく衆生を不憫に思われ、明け暮れ待ち設けたまう御慈悲の程が顕れるのである。

有難いことに今生に初めて念仏の法門に逢い、南無阿弥陀仏の父の名を聞き奉り、大悲大慈助けたまえと思ったのが、初めて父を慕い故郷を慕う心が発(おこ)ったのである。

仏は元より十劫已前の成等正覚(正しく完全な悟りを成就した)の暁より一切衆生が、今に極楽に来るか今や往生するか待ちのぞみなされる。行者がこのたび往生したいと思うのは、仏と行者が合体して互いに尋ね遇おうとするのである。

人能く仏を念ずれば仏また念じ給う、専ら心に仏を想えば仏知りたまい、衆生が仏を憶念すれば仏衆生を憶念したまう。十方億土を隔てながら心と心が一致する。

常に慈悲摂取の御手にすがり、御守りを蒙る。若し、臨終時が至り今ぞ限りという時になると、時を違えずご来迎がある。初めて仏に逢い奉ったときが、天性(生まれながらもつ)の親と子が巡り合ったのである。

その時の御悦び、行者の歓喜は譬えようのない事である。
臨終は取りあえずあわただしくも引接したまうので、唯ただ喜びの涙に咽(むせ)んで浄土へ連れ還りたまうのである。

南无阿彌陀佛

●re.71
菩提心
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[ 931 ] Re2:曼荼羅を説く 2009/08/08 (Sat) 16:43 △up ▽down
父子相迎会(左)より一部抜粋

「・・・さて、観世音菩薩、大勢至菩薩らは新生の菩薩を引き連れて仏の前にお出でになる。

仏は、元より大悲をもって衆生を一子のごとく憐み思し召して、十劫已前の正覚成就の暁より衆生の往生を今か今かと待ち兼ねたまう。

臨終という時には遇うものとお待ち受けになる。

今、ちょうど蓮華が初めて開け、新生が聖衆に誘われて仏前に出ようとすると、仏もじっと座っておられず、勿体なくも御足をお運びになって新生の菩薩を迎えたまう。
まことに大慈大悲の御心を思い知ることができよう。
新生の菩薩が仏前に参るとき、仏も中途までお迎え下さる。

往生して蓮華が開く間も待ち兼ねて、仏は閻浮檀金の御足を運び御出迎え頂き、立ちながら新生の菩薩にお逢いになる。
「よく極楽浄土に生まれてきた」と大悲の御眦(まなじ)りに御涙を含まられる。
新生の菩薩は大悲にひれ伏し申し上げる詞もない。

仏は十劫以来、待ち侘びたまい臨終のときはあわただしく引接したまうので、穏やかに御詞をかけ給うまもなかった。今は浄土に落ちついた新生の菩薩である。

阿弥陀仏は衆生に娑婆での苦楽のことを御尋ねになる。
新生の菩薩は、生まれるや否や、通力自在の御身であるので、宿命通(前世のありさまを知る智慧)の通力で生長変化して代を重ねてきた事を明らかに知ることが出来る。
今まで過ごしてきたことを申しあげる。仏はじめ観世音菩薩、大勢至菩薩や諸菩薩はお聞きになって喜憂の心を痛められる。

『般舟讃』に、
「その時に弥陀及び大衆は、子の苦を説くを聞いて皆傷歎(いたみなげく)する。弥陀は告げて言わく、諸もろの仏子よ、自作自受である。他を怨むこと莫れ、常住宝国には永く憂いなし」と説かれている。

憂いも苦しみも喜びも楽しみも、汝の心から流転したことであって他を怨むことはない。
いま極楽に往生すれば永く憂いはないと、悲しみに満ちたみ仏の御詞を御聞きする。

新生の菩薩は、仏の思し召しの有難さに、御答え申しあげる詞もなく、ただ合掌し涙にむせぶばかりである。

南无阿彌陀佛

●re.72
菩提心
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[ 932 ] 相談しても無駄だった。 2009/08/11 (Tue) 11:25 △up ▽down
彼女から、「ねえ、ちょっと相談したい」と言われ、昼休み時間ずっと話を聞いていた。

相談っていうよりも経過報告のような感じだ。

2時間、聞いているうちに、彼女の方から「○○ちゃんに、相談して無駄だった」と言われた。

ちょっと、カチンときた。

時々、アドバイスをしても、それはそれ。

彼女からは、全然前向きな意見は出なかった。

結局彼女の思うような回答でないので、そういう言葉が出たのだろう。

わたしは、「あ、そう。でもこの2時間はきっと貴女にとっても無駄な時間だったと思わない。じゃぁね。」と言って、彼女の部屋から出てきた。

わたしは自分の気持ちを観察してみた。

カチンと思った気持ちがどこまで続くか・・・。

階段を1段、2段と上がる僅かな時間に、消えている。

「わあー嬉しい」怒っていた気持ちが、僅か3階から4階の事務所に辿り着くまでに消えている。

彼女に、「いつまでも子供に対する執着心は、ほどほどにしたら。もう、立派な大人なのに」って言ったけれど、わたしも彼女に対しての執着心が消えている。

阿弥陀様、有難いです。

彼女が帰り際、事務所の窓を少し開けて「さっきはごめんね」と顔を覗かせた。

わたしの顔はきっとその時笑っていたと思う。

わたしは自分が喜んでいるだけで十分。

ね、阿弥陀様、それでいいんですよね。

南无阿彌陀佛

●re.73
菩提心
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[ 936 ] 有意義な一日 2009/08/15 (Sat) 15:48 △up ▽down
お盆休みで、娘夫婦が帰ってきたので、何年振りかに海水浴場まで出かけた。

砂浜でなく岩場がごつごつしている。

娘夫婦は水着にかえ、海の中の魚を観察している間に、わたしは岩にへばりついている貝を取っていた。(ベッコウガサという貝らしい)

段々、夢中になり気がついたら、ズボンの上の方まで海水で濡れている。

そのうち、「おかあさん、見てごらんよ、小さな魚が一杯泳いでいるよ」と、娘婿から誘われて、スノケールを借りて、濡れたついでと、ジャブジャブと海の中に入っていった。

何だろう、この快感は。開放的で、浮き浮き気分。

久しぶりに童心に戻ったようで、心身共にリフレッシュできた。


「若しも、今晩天気が良かったら、「ペルセウス流星群」を見に行こうよ」と娘婿から言われて、初めて娘夫婦と犬を連れて、夜空の星を眺めることになった。

夜、11時過ぎになるべく明かりの少ない田んぼの道に車を止め、新聞紙を敷き、3人が道路に寝転んだ。

「キャー、見てみて、」「どこ−!」一瞬で消えていく流れ星を追いかけながら、1時過ぎまで夜空を満喫した。

周り一面が稲穂の地平線。その中からオレンジ色の半月が少しずつ顔を出してくる。

朝は海で遊び、夜は星空を眺めていることの幸福感は、何事にも変えられない幸福感なんだと思った。

側に自然があり、その自然を今までのわたしは深くは思わなかったが、娘夫婦のお陰で、自然の中で生かされている自分が発見できた。

娘夫婦とも、その間じっくりと話が出来たので、最近気になっていた事も助言して貰い、
こういう時間を過ごせる事がとても有難いと思える。

この悠久の彼方から、阿弥陀様の御慈悲がわたしに繋っているようだ。

南无阿彌陀佛

●re.74
毎日
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[ 937 ] Re1:有意義な一日 2009/08/15 (Sat) 16:44 △up ▽down
菩提心 様

しあわせな日常を綴ってくださって、心より、感謝しております。

阿弥陀様の御慈悲は、本当に大きくて、私のようなものには、もったいなさすぎだと思っております。

その御慈悲は、あまりにも大きいために、きちんと感じることができません。

私の心の壁も、それを感じるのを防げていると思います。

それでも変わらず護ってくださる阿弥陀様に、日々感謝しています。

南无阿彌陀佛

●re.75
菩提心
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[ 939 ] Re2:有意義な一日 2009/08/16 (Sun) 07:24 △up ▽down
毎日様

一人勝手に書いています。

わたしこそ毎日様に感謝しています。

わたしは救われた喜びを一日も忘れた事は有りません。

そして、自分の醜さ、嫌らしさも消えていません。

でも、不思議に最近はその心を観察していると、確かにさっきまであったその思いが消えていたり、小さくなっているのです。

救われるってこんな風になるんだなと思ってきました。

又、わたしは信心決定しても傍目からは全く変らないですから、一味同行になった夫や息子や妹達からも、馬鹿扱いされていますのでお陰様で驕慢な気持ちが起きてきそうになると、ごつんとやられます。

わたしのような劣等感の味わった者は、毎日様のような人を特別にあがめようとするでしょう。

「毎日様はね〜…なんじゃらかんじゃら」と言おうとすると、

息子から「人間、学歴じゃないだろう」とか言われます。

だから、わたしは逆に毎日様を尊敬していますが、偏った思いで見ることないので有難いです。

一味同行、きっと阿弥陀様はそれぞれの機に合わせて、信後の生きる道も自由に選択させておられるのだと思います。

わたしが少し皆んなより喜びが大きいとするならば、それはきっと救われる時間が遅かったからだろうと思っています。

だって、ここにご登場の皆様は、若い時から信心決定されておられるか、若い方ばかりです。

今のわたしはちょっとした心の変化にも有難いと思っています。

毎日様、どこでどう生きていても一味同行。

わたしもいつも阿弥陀様や毎日様や泥凡夫様達に感謝しています。

南无阿彌陀佛

●re.76
菩提心
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[ 941 ] 事務所の中で飼っている小さな魚 2009/08/19 (Wed) 14:28 △up ▽down
お盆休みの間に、事務所で飼っているめだかのような小さな魚が生きていて良かった。

5匹が入っていたワイングラスのような入れ物が花屋さんに売っていた。

そのワイングラスはすぐに割れてしまい、仕方なくペットボトルに移し替えた。

藻を洗っているうちに、1匹は藻に隠れて下水に流されてしまった。

ちょっと知恵があったばっかりに先に死んじゃってとその時、苦笑してしまった。

それから少し、大きめの器に変えてから3年。

2度、その中でふ化した。こういうことはなかなかないそうだ。

稚魚が見つかったと思っているうちに、最初は全部親に食べられていた。

2回目は、ペットボトルを半分に切って数か所に分けて育てたが、2日間水を変えないでいたら、死んでしまっていた。

大きな器に入れていた4匹も、最後の1匹になっていた。

事務所について、すぐに人差し指で藻の中を動かした。

生きている。良かった。

今は、机の側の足元に置いていて、時々「きっと、今度は仏法に縁ある人間に生まれてきてね。」と声をかけている。

わたしもこんな風に、何度も何度も生まれかわり死にかわりしてようやく今生で御縁頂いていると思うと、その小さな命さえ愛おしく思える。

でも、海では、貝を取っておいしいって食べているんだから、所詮人間の考える善なんてこんなものなのだろう。

だからこそ、阿弥陀様の大慈悲心が有難く感謝せずにおれない。

南无阿彌陀佛

●re.77
菩提心
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[ 942 ] 身の程を知る 2009/08/21 (Fri) 08:02 △up ▽down
「身の程知らず」という言葉がある。

この頃のわたしは「身の程知る」っていう感じかな。

阿弥陀様から教えて頂いているようだ。

今までは一生懸命にって思っていたけれど、

「いいんだよ、一生懸命にならなくても。そのままのお前でいいんだよ」

救われたわたしは身の程知って、頑張らず生きていきたい。

明日を煩うより、今会う人に有難うって言えるわたしだったら最高!。

「いい笑顔してますね」

「有難うございます」

最近はよく言われるようになってきた。

特に笑顔って自分では気が付かないから、そういう言葉が一番嬉しい。

背伸びしなくてもいい。

自然体なので、とっても楽だ。

阿弥陀様、身の程知ってきたので、心がとっても楽になってきましたよ。

有難うございます。

南无阿彌陀佛

●re.78
菩提心
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[ 943 ] 対面同席五百生 2009/08/22 (Sat) 19:57 △up ▽down
母が亡くなってから、法名板に記入しないままでおいたので気になっていた。

弟夫婦がお盆休みにお墓参りに来たついでに、その事を話してみた。

近くに石材店があったので聞いてみたが、あまりに高くつくのでビックリしたが、弟のお嫁さんのところと風習が違うそうで、突然の出費で戸惑っているようだ。

お墓参りに行く途中、お花をどこで買おうか迷っているうちに、今まで通った事もない道を走っていると、又一軒の石材店を見つけた。

入って聞いてみると、前のお店と違い値段は凡そ半分ぐらいで済みそうだった。

その他の諸経費も無料にしてくれると言われ、ここに決めようと弟とそのお墓の場所を指定した。

すると従業員の人が「その場所なら、よく知っています。最近は○○さんのお墓を建てたばかりです」と言われ、○○の姓が同じだったので、やはりここでお願いすることにした。

弟から後は任せておくということで、お墓に書いてある法名を書きうつし、写真を撮って石材店に持っていった。

以前に応対してもらった従業員は他のお客様と話しているので、違う従業員の人に持ってきたものを渡した。

しばらくして現像された写真を持ってきた人が、「若しかして、法名に書いてある○さんは貴女のお父さんですか?」と聞かれた。

「はい、わたしの父です。」と答えると

「似ていますね。お父さんとそっくりですね。とくにこのへんが」と言われた。

このへんとは、あごの線が角ばっているところだ。

その人はここの経営者だった。

「子供の頃、僕は貧乏だったので、新聞配達を兄とやっていたんです。もう40年になるんですね」としばらく父との思い出をお話して下さった。

最初、従業員さんに、「この前ここに来たのも母の指示のような気がします。だからこんな縁も大事かと思いまして」と話していたが、母ではなく父との縁だったのだろうか。

その頃の父と今のわたしがそっくりというのは、わたしにとって本当に嬉しい。

昔のわたしならきっと嫌だったけれど、だんだん父と似てくるこの顔が好きになってくる。

鏡の中の笑った顔は、父が元気だった頃の顔だ。

「お父ちゃん、貯水池に浮いていたわたしを助けてくれたから、今のわたしがいるんだね。感謝しています。」

主人は、その社長さんのお父さんを知っていたそうで、主人も又、「お父さんとそっくりですね」と言うと、その社長さんもわたしと同じように嬉しそうな顔をされた。

それとも人口が少ない土地だから、みんなどこかでつながっているのかな。


○笑顔で光って輝いて  著者 小林正観 より
 
お釈迦様の言葉に、「対面同席五百生」というものがあります、対面し、同席している人は、最低でも五百回、人生を一緒に過ごしているという意味です。

縁のある人は、これまで前世で何百回と一緒に過ごしてきた仲間です。他人という名の家族であり、家族という名の他人です。

南无阿彌陀佛

●re.79
菩提心
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[ 946 ] 究極な欲深いわたし 2009/08/25 (Tue) 15:17 △up ▽down
小林正観さんの『「そ・わ・か」の法則』の著書の中にこういう事が書いてあった。

無限にお金が入ってくる方法は、三秒で言うことが出来ます。
それは、トイレ掃除をすること。トイレ掃除を続けていると、お金が無限に入ってきます。
どんどん入ってくるのですが、この言葉をもう一度反芻してみてください。
「無限にお金が入ってくる」とは言いましたが、「無限にお金が貯まる」とは言っていません。

ガガーン。入ってくるだけで貯まらないの? ウウーン、ショック。

最近、立て続けに読んで、「ヨシ、トイレ掃除頑張るぞー」って思っていた矢先だったのに。

でも、わたしはこの頃、自分ながらあんまりお金の事は口に出して言わなくなった。

一年前の過去ログの、毎日様や愚老様や愚尼様とのやり取り懐かしいな〜。

お金より大事なものを、しっかり阿弥陀様から頂いているからだ。

・・・同じように、「ありがとう」を言いつづけて臨界点を超えると心から感謝の念がわきあがってくるのです。・・・

「そ」−掃除でお金が流れ込む。
「わ」−笑いは人生を肯定する。
「か」−感謝のもつすごい力
そ・わ・かの実践 ―究極の欲深い人になろう

「南无阿彌陀佛」にみんな納まっているから、やっぱり欲深なわたしも、臨界点を超えたから、時々、何でもない時に、心から沸々と喜びが湧いてくるのかな。

お金のように形あるものでないけれど、無尽蔵に出てくるみたいで有難い。

1回より2回、2回より3回・・・なむあみだぶつ。なむあみだぶつ。

南无阿彌陀佛

●re.80
菩提心
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[ 947 ] 朝から快調 2009/08/31 (Mon) 14:47 △up ▽down
休みの間に、ノウハウ本を図書館から借りてきた。

全部、「笑顔」の活字が入っている。

どれも共通しているのは、笑顔で接すると、必ず笑顔が返ってくる内容。

そして感謝することらしい。

又、有難いことに、心から無理して笑顔をしょうとしたり、感謝の思いを起こさなくても、「ありがとう」を言うだけでいいらしい。

今まで、色んなノウハウ本を読んできたけれど、「無理しなくてもいいですよ」と書かれた本は読んだことがない。

知らず知らずのうちに、気が楽になる本を選んでいるのだろう。

難しい本や実践しにくい本はとてもわたしには無理だ。

今日から、又駅まで歩くことを再開したので、ずっと笑顔でいたいなと思いながら駅に着いた。

駅では、いつもの彼女達が待っていてくれた。

ヘルパーの人に、「この歳になると、即効性の実用本ね。」と言いながら、「笑顔」と「ありがとう」を勧めた。

「でもなかなか感謝の気持ちが起きないのよね。だから笑顔も出てこない」と言われた。

「そこが一番大事なの、読んだ本には無理しなくてもいいって書いてあったの。だから普段のわたし見てわかるでしょ。今日から、わたし決めたの。まず頭によぎったマイナス思考は振り払う。ありがとうの言葉は出し惜しみしない。まずは実践ね。」

「ホントに無理してるって顔じゃないよね。○○さんと知り合って月曜日が楽しみだって、彼女も言っていたよ。」と嬉しい一言を言ってくれた。

救われたら、「御恩報謝の御念仏でいいんだよ。無理しなくてもいいんだよ」って御文を拝読させて頂くと、蓮如上人から言われているようだ。

阿弥陀様も同じだと思う。

阿弥陀様は救われたわたしがいつも嬉しいっていう気持ちを喜んで下さっておられると思う。

南无阿彌陀佛

●re.81
菩提心
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[ 948 ] 「人間蓮如」 2009/09/02 (Wed) 13:30 △up ▽down
図書館で山折哲雄氏の著書の「人間蓮如」を借りてきた。

前に御縁頂いた先生から、信心決定した人の御著書を拝読するように勧めて下さったが、読んでいくうちにすごく違和感を感じた。

この人は有名な宗教学者だとは、図書館に並んでいる冊数を見ても一目瞭然だ。

途中で投げ出したいと思ったが、最後まで読んで見た。

その最後の方で、自著「人間蓮如」をめぐってより
丹羽文雄氏がこの人に対してのエッセイに、「井上鋭夫に多く示唆されて蓮如を書いたと作者後記に書いているが、井上鋭夫以上にきびしく蓮如を否定している・・・」と記されていた。

きっと、こういう批判を受けてもなお、自分の学説を押し通そうとするには、それなりの根拠があるのだろう。

表面は人間の姿で今日も生きている。

それでも内心は、逆巻く本性の我が身を見せられるにつけ、阿弥陀様に救われていることの喜びはなかなか人には分かってもらえるものではない。

だからこそ、その喜びは内心に蓄える必要があるのだろう。

信心決定してから、こういう本を手に取り、我が身の信心の有難さが尚一層深くなる。

わたしはこの人の本はもう手にすることはないだろうと思う。

>最後に「血縁という魔物を自由自在に駆使したという点で…蓮如という現象は、意外に懐ろの深い闇の世界をその内にかかえこんでいたのではないだろうか」(山折哲雄御自身の言葉)

わたしは蓮如上人が何を考えておられたかは知らないが、でも極楽浄土への道しるべは五百年の後のわたしまで届いています。

真実信心の念仏はわたしが称える念仏に非ず。ただ阿弥陀様から頂いた佛恩報謝の念仏と信じます。

南无阿彌陀佛

●re.82
菩提心
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[ 949 ] 蜘蛛の糸 2009/09/04 (Fri) 10:22 △up ▽down
「蜘蛛の糸」 芥川龍之介
[お釈迦様は極楽の蓮池のふちに立って、この一部始終をじっと見ていらっしゃいましたが、やがて犍陀多(かんだた)が血の池の底へ石のように沈んでしまいますと、悲しそうなお顔をなさりながら、またぶらぶらお歩きになり始めました。
自分ばかり地獄からぬけ出そうとする、犍陀多の無慈悲な心が、そうしてその心相当な罰をうけて、元の地獄へ落ちてしまったのが、お釈迦様のお目から見ると、あさましく思し召されたのでございましょう。
 しかし、極楽の蓮池の蓮は、少しもそんなことにはとんじゃくいたしません。その玉のような白い花は、お釈迦様の御足(おみあし)のまわりに、ゆらゆら萼(うてな)を動かして、そのまん中にある金色の蕊(ずい)からは、なんとも言えないよいにおいが、絶間なくあたりあふれております。極楽ももう午(ひる)に近くなったのでしょう。]


色んな悲惨な情景の現実世界や写真を眺めていても、それは一時の思いで、いつの間にかわたしの記憶から消えていく。

しかし、体験した事もないのにわたしはこの犍陀多の姿がわたしだと思った時があった。

この短い小説を読んで最初に思ったのは、蜘蛛は殺さないでおこうと思った。

しかし、わたしは蚊取り線香の煙で落ちてくる蚊を、蚊取り線香の火でその手足を燃やしていた。

じりじり燃えて、わたしの指先から胴体だけが残る。

わたしはすごくこれが快感だった。

蚊はわたしの身体の血を吸い、不快な痒みをもたらせる。とくに体中、血を吸って動かない蚊を見たら、容赦しない。

その時、なぜかこの「蜘蛛の糸」のお釈迦様のイメージが出てくる。

悲しげに、それでいて静かに立ち去っていく姿。

わたしのどこに仏性があったというのか。

わたしには仏性などない。

ただそれは阿弥陀様やお釈迦様や諸仏方の御慈悲が、過去に何度も何度もわたしに掛けられてきたのだろう。

そして今生でようやく、自信教人信様や泥凡夫様や毎日様の御慈悲の糸に手をかけることが出来たのだと思う。

その一本の細い糸が切れることはないのだ。

後から、後から登ってきても、その糸は切れない。

ただその糸が極楽浄土に往ける糸だと信じるだけだ。

南无阿彌陀佛

●re.83
菩提心
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[ 950 ] またまた「人間蓮如」で思ったこと。 2009/09/05 (Sat) 14:15 △up ▽down
御一代記聞書本―12

「明応三年十一月、報恩講の二十四日、暁八時に起きて、聖人の御前参拝申して候に、少し眠り候中に、夢とも現(うつつ)ともわかず空善、おがみ申し候ようは、御厨子の後より、綿をつみひろげたる内より、上様あらわれ御出あると拝み申すところに、御相好、開山聖人にて在します。
あら不思議やと思い、やがて御厨子の内を拝み申せば、聖人御座なし。さては開山聖人、上様に現じましまして、御一流を御再興にて御座候と、申し出すべきと存するところに、慶聞坊の讃嘆に、「聖人の御流義、たとえば木石の縁をまちて火を生じ、瓦礫(がりゃく)の金山をすりて玉を成すがごとし」と『御私記』の上を讃嘆あると覚えて、夢さめて候。
さては開山聖人の御再誕と、それより信仰申しことに候いき。」
 ☆金山は一字である。

上記の場所を、「人間蓮如」で山折哲雄氏は、蓮如の終焉記=「空善記」の箇所で色々書かれている。
わたしは、宗教学者でも歴史学者でもない。

しかし、ジャンヌ掲示板より、蓮如上人が親鸞聖人の再来と知り、とても感動して、そのように書いてある御著書「蓮如上人御一代記説教」があったので、「親鸞会」掲示板の場所に途中まで書き写した。

とても嬉しく感激したからだ。

ところが、この山折哲雄氏はこのように蓮如上人を評している。

「ところが、蓮如の方はどうであったか。彼は空善のような法義に熱心な妙好人と、率直に話をする席を好んだようである。そのような法談の席では、信心正因・称名報恩の宗意安心が、卑近な例によって縦横に説かれたのであろう。だが同時に、蓮如はきわめて現実な態度と行動にも出ている。法悦と讃歎のすきまをぬって素早い神経を働かせることがある。それがまた、空善にとっては感歎の種になるのであるが、蓮如の心のうちには、いかにも封建教団の家父長たるの自信にふさわしい計算と巧知がかくされている。それはもはや意識的なものでないにしても、いつのまにか身についたものとなっている。
 たとえば、蓮如は俗にいって自慢話の名手であったらしい。自慢話といって悪ければ苦労話であるが、「空善記」にはこの種の話柄が存外多いのである。それらはいずれも、近侍の弟子たちに思わず気を許して語ったものだろう。遠慮なく本心を明かしたまでのことかもしれない。だが、それが期せずして教訓的な後味を残しているところから察すると、やはり蓮如の心くばりは油断がならないのである・・・・・晩年の解剖は、人生の解剖にたいする一つの鍵である。以下、主として「空善記」に拠りつつ、蓮如における晩年の意味をさぐってみよう」
 ☆終焉の意味・・・@命の終わろうとすること。死のまぎわ。末期。
          A世俗を離れて静かに余生を過ごすこと。

この人には、空善記を根拠に蓮如上人の何を分かったというのであろうか?

南无阿彌陀佛

●re.84
菩提心
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[ 951 ] Re1:またまた「人間蓮如」で思ったこと。 2009/09/05 (Sat) 19:29 △up ▽down
>丹羽文雄氏に対して、「氏は私の『人間蓮如』に反発をおぼえ、それを心理的なテコにして小説家の心をつよく意識したのである。
>それにしても丹羽さんの、私にたいするその否定の言葉のはげしさはいったいどうしたことであろう。それは果たして、小説家の心に発するものだったのであろうか。それとも「真宗の信者が可哀そうだ」という、真宗の寺に生まれた者の独特の感情に由来していたものなのだろうか。

小説家と歴史学者の視点の違いがあるのかも知れないが、これらの文章を読んでいても、確かに丹羽文雄氏に指摘されても当然だなと思う。

信仰心とは、理屈でも根拠でもないと思う。

被害家族の会のやりとりで、時々、蓮如上人がすごく誤解されていると思っていたが、こういうことも一因にあるのかも知れない。

歴史の信ぴょう性などいつでも変わってくる。人の心の有様等、文章を読んで分かるのだろうか?
ましてや、信仰心など色々だ。

だからこそ、蓮如上人は、その要を末代の者にも分かるように御文という形で残して下さっていて、それが次第相承の善知識のお陰でわたしまで繋がっていることを有り難く感謝せずにおれない。

国会国立図書館 近代デジタルライブラリーより
蓮如上人御一代記聞書講話より

http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?tpl_wid=WBPA130&tpl_wish_page_no=1&tpl_select_row_no=13&tpl_hit_num=18&tpl_toc_word=+%B8%E6%B0%EC%C2%E5%B5%AD%CA%B9%BD%F1&tpl_jp_num=40048400&tpl_vol_num=00001&JP_NUM=40048400&VOL_NUM=00001&KOMA=17&tpl_search_kind=2&tpl_keyword=%B8%E6%B0%EC%C2%E5%B5%AD%CA%B9%BD%F1&tpl_sort_key=TITLE&tpl_sort_order=ASC&tpl_list_num=20&tpl_end_of_data=

わたしは、上記の場所のようなところを探して、楽しんでいる。

南无阿彌陀佛

●re.85
菩提心
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[ 952 ] 地獄に堕ちる人、堕ちない人 2009/09/06 (Sun) 15:47 △up ▽down
ひろさちや氏の著書も、書店や図書館でよく目にする。

わたしはこの人が新聞のコラムに書かれているのをいつも読んでいる。

又、テレビで拝見するときは、何故か愚老様を思い出して微笑んでしまう。

ただこの著書の中に、このように書いてある。

「ではどうすれば極楽に行けるのか。それは簡単です。極楽の阿弥陀様に「南無阿弥陀仏」とお願いすればいい。「南無」というのは「お願いします」の意味ですからこの言葉を唱えれば、その人が死んだ瞬間に極楽の世界に行くことができます。
したがって、私たちは地獄を恐れる必要はありません。
すべて仏さまにまかせれば、極楽の世界に行くことができます。問題は、仏教の教えを理解してまじめな生き方ができるかどうかです。」

ここ以外は、楽しんで読めるので、これからも読んでいくことだろう。

わたしは信心決定してから、よく地獄に関する本を借りてきて読んでいる。

かつて親鸞会で、庄松同行が、地獄の様子の掛け軸を見ている人に「地獄の掛け軸」は後生自分が堕ちて行くところだから、極楽の様子の掛け軸をよく見ておくように勧めた話を聞いたが、内容は不確かだ。

でも、わたしの味わい方はこんな感じだ。

信心決定すれば、もう三悪道は行かないのだから、せっせと今のうちに地獄の様子の絵を見たり、読んだりしたいと思っている。

こんな処からようやく抜け出したと思うと、その地獄の様子が怖ければ怖い程、逆に救われた事が嬉しくて、これこそ天にも昇る心地がする。


昨日、前に御縁あったおじさんから電話で呼び出された。

用件も済み、おじさんの持っている「太平洋戦争」のビデオを見せて貰った。

戦争の悲惨さもさることながら、軍の司令官のその後の様子を聞いて、いつも犠牲になるのは、上官ではなく、ただ名も残さず散っていった軍人なんだと「白骨の道」と呼ばれたその場所には、7万人の犠牲者の白骨が散らばっていた。

その画面に映る横たわった死体の陰には、どれだけの辛い涙があっただろう。

途中引き揚げた上官軍人は、日本国に引き上げた後もゆうゆうと生活していたという。

「いつの時代も貧乏くじを引く人と、表向きはのうのうとしているのに陰では悪の造り放題。絶対こんなの許せない」と思ったが、でも、その結果は地獄に行って清算するのだろうか。

しかし父は、そんな戦争をかいくぐりシベリア抑留の末、無事帰ってきてくれてわたしをこの世に出してくれた。

この父が、生きていくという執念があったからこそ、今こうしてわたしは地獄に堕ちる心配もしないで、残りの人生を歩んでいける。

おじさんからわたしは、「救われたんだから、人をお誘いしないと」と言われた。

「おじさん、そういう考え方もあるかも知れない。でも、わたしそれは阿弥陀様が考えることだと思っている。わたしはこのまま楽しんで喜んでいたい。」

南无阿彌陀佛

●re.86
菩提心
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[ 953 ] 「日本人と地獄」 著者 石田瑞麿 2009/09/08 (Tue) 12:45 △up ▽down
カバー表紙が「立山曼荼羅」とあったので、読んでみようと思った。

カバー表紙とは違うが、こういう場所を当地まで行かなくても、じっくり眺めることが出来るのは、やはりインターネットのお陰だと思う。
http://www.lib.pref.toyama.jp/gallery/collection/pageintro.aspx?mngcd=1

第四章 冥界にいってきた人
の文章を読んで、善知識様と御縁ある人の親族の蘇生後の体験話をお聞きしたのを思い出した。

「六字のすがた」が正しい事を証明する蘇生体験話であった。

とつとつとお話される善知識様のお姿そのままが、弥陀如来の化身のようで、有難くここで御縁頂きお話を受ける自分がとても信じられない。

日本全国では、御文を根拠に御説法をして下さる人は多いだろうが、肝心要の「六字のすがた」を知っているわたしは、過去世の宿業を喜ばずにおれない。

御文5−22
「・・・これすなはちわれらが往生のさだまりたるすがたなり、されば南无阿彌陀佛と申す躰は、われらが他力の信心をえたるすがたなり。この信心といふは、この南无阿彌陀佛のいわれをあらわせるすがたとこころうべきなり・・・」

しかしこの著書にも、多くの蘇生体験話が載っているが、仏教に縁有る人は、地獄界においても、救われる場面が書かれてあるので、「一生造悪、必堕無間」では無さそうだ。

南无阿彌陀佛

●re.87
菩提心
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[ 954 ] タイミング 2009/09/09 (Wed) 13:06 △up ▽down
「今週末3日間は、富山に仕事に出かけるし、講習会の準備があるから」と、外食の誘いを断った。

丁度玄関先横の車の中で、彼女達が出かけるのを眺めた。

(あ、今日行くんだ。じゃあ、さっき階段で会った時言ってくれてもいいのに)と、一寸嫌な気分になった。

理事長と話を終えて、3階まで上ってくると、彼女の事務所のドアが開いている。

ドアを閉めるのも忘れて、出かけて行ったようだ。

彼女に対して、ちょっと大げさに言っちゃおうかな。「泥棒に入られるよー」。

先週は、彼女のおかずも買ってきたが来客中だったので、隣の人から「私の事務所で待ってたら」と言われ、わたしの大声で気が付くだろうと思って先に食べ始めた。

しかし、彼女は何度もわたしの事務所に電話を入れていたそうだ。

残りを一緒に食べようと思って、声を掛けると、「一人で食べたいから」と怒っているのがすぐに分かった。

正直、(勝手に怒っていれば)という気持ちもあって、知らん顔をしていた。

2日間、彼女の事務所が暗かったので、心配していたが、隣の彼女から出張中だと聞いて、謝るチャンスを逃したかなと思って、ちょっと後味が悪い気がしてきた。

そんな思いで書類を提出する為に、外部団体の事務所に行くと彼女とバッタリ会った。

彼女も、ちょっとバツの悪そうな顔をしている。

何事もないように、普段の会話をしながら、階段を降りる時、「ごめんね」と謝った。

事務所に着くと、彼女から「これちょっと、高かったのよ」とお土産を手渡された。

わたしは、彼女に申し訳ないと思った。
きっと、嫌な気分の筈なのに、ちゃんとお土産まで買って来てくれるなんて。

わたしは謝るタイミングを阿弥陀様から与えられていると思って喜んだ。

ドアの件でもそうだと思う。

ちゃんと、話すきっかけを作って下さったような気がする。

そんなちょっとしたタイミングがとても有難いと思える事が最近は増えてきている。

本当はこういうタイミングは誰にもあるらしい。

ただ気付ないのか気付こうとしないのか。

南无阿彌陀佛

●re.88
極道坊主
中国の男性

↑極道坊主様宛にメール
[ 955 ] Re1:タイミング 2009/09/11 (Fri) 01:05 △up ▽down
菩提心様

永らくの御無沙汰を致しております。 極道坊主であります。

暫くの間、書き込みの方から遠ざかっていましたが、菩提心様の書き込みは毎日楽しみに拝見しておりました。

佛様と日々を過ごされている御様子が伝わってまいります。 勿体無い事であります。

色々な方々、様々な出来事が、形を変え品を換えして、貴女様を御護り下さっていますね。 皆、御化身なのでしょう。

まことに人の心というのは、些細な事で右往左往して揺れ動き、其の都度、醜い心を起こします。

其の度に、佛様の御智慧を拝借し救うて貰うのでしょうね。

“普く”と御誓いなのですから、等しく皆に与えられているのでありましょうが、なかなか気が付きませんよね?

>ただ気付ないのか気付こうとしないのか。

気が付かないのでも気付こうとしないのでもないと思います。

気付けないのです。 気付く縁が無い。 気付く智慧(佛)が具わってないのではないでしょうか?

気付くにしても、気付こうとするにしても其の行為をする自分がいます。

佛の智慧は、凡夫如きが鷲掴みに出来る様な代物では無いと思います。

やはり、与えて貰うものなのですよ、きっと。 自分に於いてはその様に味あわせて貰っております。

同じ事象が起きたとしても、菩提心様のような味わいをされる方もあれば、其れを当り前と受け取られる方もおいででしょう。

浅はかな考えで、自分の都合に合わせて受け取るのです。

佛様によって心をあきらか(信らか)にされた貴女だからこそ、知らされる智慧だと感じます。

それが与えられなければ、有耶無耶の中に消してしまいたい事なのかもしれませんよ? また、忘れてしまってもいる。 解決が付かない儘、悪戯に時間だけを過そうとしている様に思います。

「謝る」行為自体、御智慧であると感じます。

人は、決して他に対して頭を下げる事をしませんから。(何故でしょうね?)

「過った場合は直ちに侘びよ。これ勇者なり。」とは、わが師に当たる方の御言葉です。

この言葉を残されること自体、人は謝る事を知らない生き物という事が知らされます。

常に護られづくめではありますが、絶妙なタイミングで佛様の御智慧を知らされる身にして貰ったことが、有難くも勿体無い事と感じております。

気付かせて貰えるということは、“救われている”という証なのかもしれませんね。

合掌

●re.89
菩提心
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[ 956 ] ありがとうございます。 2009/09/12 (Sat) 15:46 △up ▽down
極道坊主様

こちらこそ御意見頂きありがとうございます。(出張していましたので、お返事遅れました。)


>菩提心様の書き込みは毎日楽しみに拝見しておりました。

恥ずかしいですけれど、とっても嬉しいです。

まあ、味わいということで、それぞれの味わいでいいのかなと思っています。


>「謝る」行為自体、御智慧であると感じます。

上記のお書き込み、よく分かるんですよね。

なかなか、頭を下げるって出来ないです。

自分の考えは、正しいと思っている。

もう、これはみんな同じだと思います。

わたしも本音は下げたくないんですね。

でも、下げているんです。

自分の気持ちを考えても、やはり不安や怒りや愚痴は出てきているんですよ。

全然、それじゃ変わらないと世間の人は思うかも知れないけれど、でも違うんです。

「御免なさい」って下げたくない頭が下がっている。

もう、それで喜びになりますよね。(気付いたこの瞬間から喜びになります)

全く、極道坊主様と同じ味わい方です。

いつもここで書いている彼女に言わせると、もう信心決定すると聖人になると思っているので、普段のわたしの姿は全然変わらないと思って、文句を言われます。

だから、喜びはなるだけ胸にしまっておこうと思います。

が、しかし、どうも顔が笑っているらしいんですよ。(ニタニタではないらしいですが、でも笑っているらしいです)

最後は、呆れられてしまいます。

こんな日暮しのわたしです。

気付いた時は、書いていけたらと思います。

極道坊主様も、お元気で。

又、御意見頂けると有難いです。

南无阿彌陀佛

●re.90
菩提心
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[ 957 ] 働くお父さんの昔話入門  著者 小澤俊夫 2009/09/13 (Sun) 11:09 △up ▽down
あとがきの一部より

「この本はお父さんのために書かれました。昔話という大事な伝承文化をお父さんに知ってもらいたいし、お父さんの声で子供の耳にとどけてもらいたくて、この本を書きました」

わたしが子供の時はテレビとか漫画などなかった。

唯一、ラジオがあったが、覚えているのは浪曲番組だけだ。

そんな頃、子供3人と一緒に寝ているわたし達に、いつも父は昔話を話してくれた。

それがどういう訳か、まとまな昔話でなく、ちょっと子供をおちょくったような終わり方なので、いつも聞きながら寝入ってしまう。

父が35,6歳の頃だと思うが、入退院を繰り返し、田植え、稲刈りの時期になると病院から帰ってきて手伝う。

戦争から帰ってきても、子作りする為に家に帰ってきたの?と思うくらいに病院生活が長かった。

その頃の母はきっと苦労していただろう。

母からは昔話を聞いた事はなかった。

父は結構ひょうきんな人だったが、違う一面も聞いていたので、父が冗談を言う中にも、父の苦しみ、悲しみ、優しさがわたしの一部にもなっているのだと思うと、やはり父の子供として生まれてきて良かった。

息子もようやく父の立場に来年なるが、わたしの父がその息子を「ひょうきんな子」と評して可愛がってくれた。

息子も父のように、我が子に優しい父親になって欲しいと思う。

善知識様より、「家族が仏縁に恵まれるのが一番有難いね」と仰って下さったが、そのように繋がってきている御縁も、ずっと過去世から繋がっているからだろう。

南无阿彌陀佛

●re.91
極道坊主
中国の男性

↑極道坊主様宛にメール
[ 958 ] 下がらない頭 2009/09/14 (Mon) 00:36 △up ▽down
菩提心様

極道坊主であります。 味わいのお書き込みを荒らすような形で申し訳ありません。

>上記のお書き込み、よく分かるんですよね。

>なかなか、頭を下げるって出来ないです。

>自分の考えは、正しいと思っている。

>もう、これはみんな同じだと思います。

>わたしも本音は下げたくないんですね。

やはりそうですよね? 自分も下げたくありません。

また、自分の考えが「間違っている」と思いながら行動する者も一人として居ません。

特に、縦社会で生きてきた者は多分頭を下げる事に抵抗があると思います。(自分もその一人です。)

他より一歩でも前へ。 他より少しでも上に。 他より一秒でも先へ。という心が備わっているのが、人という生き物であると思います。(育ってくる環境で多少なりとも変わってくるでしょうが。)

競争の社会、勝負の原理の中で生活しています。 頭を下げる事は、「負けを認める。」という事と勘違いをしているように思います。 (そもそも、勝った負けたに執着しているようにも感じます。)

だから、「謝る」=「頭を下げる」=「負けを認める」=「他より愚かに思える」の図式が一瞬にして脳裏をかすめるのでしょう?  

「馬鹿に見られたくない。思われたくない。」って考えたことがありませんか?

自分は、この思いに充分過ぎるほどに、長い事振り回されたように思います。

“なむあみだぶつ”の御名号は普通は縦書きです。

「佛」の字は、一番下の足元にある。 「佛様は他の足元を戴いてござるのに、話を聞く凡夫の頭は下がらんよのう!」とは、師のお言葉。

そのお言葉を戴いて、謙虚にしようと勤めるのですが自分の精進には限界があります。

しかし、心を明らかにして貰い、疑いの余地が無くなった頃からは「その下がらん頭を下げさせる力が働いてくださっておる。」と感じずには居れんのです。

決して“聖人君子”になったわけではありません。 日々の生活に、怒り、嫉み、恨み、愚痴が頻繁に起こるのは事実です。 でもそれが長続きしない。 それどころか、それらをご縁としてまた違った味わいを戴ける。

自分の姿は、以前と変わらぬ思いの侭過ごしている様に見えるのでしょうが、以前とは次元を異にした思いを生かさせて貰っているのは事実です。

そこには、なんとも言い表せられない嬉しさがあります。

>しかし、どうも顔が笑っているらしいんですよ。(ニタニタではないらしいですが、でも笑っているらしいです)

仰る事、理解できるような気がします。(自分はニタニタですけどね。どうも!)

嫁さんから良く呆れられていますよ。 「変な人」って。


>まあ、味わいということで、それぞれの味わいでいいのかなと思っています。

ハイ、人の数だけ味わいはあると思います。 それで良いのだと思います。

ただ、私は私、貴女は貴女、僕は僕。となっては違ってくると思います。

「好きな所を、好きなように歩いて良い。」と言っているのでは無いのです。

そう言う心の奥には、「自分勝手に、各々御好きな様に」という思いが何処かに在る様に感じます。 その思いに和合の心はありません。

また、他の意見に耳を傾けようとすろ心もありません。

味わいは差が有り、違っているように感じても、食する物は、同じ物を与えられている筈なんです。

同一の物を食しながらも、「私はこんな味がした。」と語り合える事が勿体無いと感じます。

家族で此の同じ物を食していければ、此れ程有り難くも勿体無い事はありませんよね。


今日は、子供達の運動会でした。

小5を筆頭に、小3、小1、アトラクションとして保育所組が2人出演しました。

懸命に演技する子達を見て、唯々御念佛でした。

要らん思いは不要に感じました。 色んな思いが起こるのですが、どれをとっても「取るに足らんこと。」の様に感じるのです。

でも、やっぱり起こるのは、聖人君子ではないという証明ですよね?

「そんな者だからこそ、救って貰える。」のが此の教えです。(言い切っちゃいました。)

合掌

●re.92
菩提心
非公開の非公開
[ 959 ] Re1:下がらない頭 2009/09/14 (Mon) 08:10 △up ▽down
極道坊主様

おはようございます。


>ハイ、人の数だけ味わいはあると思います。 それで良いのだと思います。

>ただ、私は私、貴女は貴女、僕は僕。となっては違ってくると思います。

>「好きな所を、好きなように歩いて良い。」と言っているのでは無いのです。

>そう言う心の奥には、「自分勝手に、各々御好きな様に」という思いが何処かに在る様に感じます。 その思いに和合の心はありません。

上記の場所は、あくまで一味同行であるという前提でいくと、ちょっとわたしの味わい方とは違うと思います。

阿弥陀様に救われたと思っているわたしは、常に、阿弥陀様とわたしの関係なんです。

だから、「私は私、貴女は貴女、僕は僕。」ではなくて、

わたしと阿弥陀様、貴女と阿弥陀様、僕と阿弥陀様。みんな阿弥陀様に救われて良かったね。

そんな時の味わい方は、それぞれの味わい方があると思います。


昨日、テレビの番組の中で、銀座のブスママの放映がありましたが、仏教に縁のない人も、自分を全部丸のみというか、自分自身を全部肯定できる人は素晴らしいと思いました。

しかし、わたしはそれは阿弥陀様に救われたことによって気付かされたと思います。

どんなにブスでも、どんなに頭が悪くても、「弥陀を頼んだ」ものは救われる。

聖道門のような修行していけるような尊いわたしではなかったのです。

愚痴も怒りも一杯持ったわたしを、とても救われないと代わりに御修行されて、全部回向されたものをただ貰いされていると思います。

わたしは凡夫のわたしのままが阿弥陀様のお慈悲に包まれていると感じています。

ですから、下がらない頭が、下げさせられていると思えるので、それを感じた時に喜びに転じ変わるのだと思います。

そういう思いが、ちょっとした行動、思いの時にも出てきているので、ずっと笑っていられるのだ思います。

ですが、こういう思いはなかなか理解してもらえないので、喜びは一味同行とするのが、違和感なく喜びあえるのではと考えています。

大きい目で見れば、わたし達はみんな仏教に御縁が有りました。

だから、まずそんな御縁が有難いので、そんな中で、お互いを非難するのではなく、お互いがどうして今御縁頂いているのだろうと考えるだけで、わたしはそれぞれの方々の思いを尊重できる人になりたいと思います。

極道坊主様には尊敬できる師がおられることは、とても素晴らしいと思います。

それはきっと、極道坊主様もそのようなお方だろうと文面を拝見して想像しています。

色々なHPが出来ています。

でも、そんな中で、救われているっていう思いで喜んで書いているHPも少ないと思いますので、毎日様に感謝しながら書いています。

それと、毎日様も千回本を読まれると書いてありましたが、わたしもある本の中に「千」を超えるとどうも流れが変わるそうです。

そういう点で、信後の味わい10までカウントされると、千回になるかなって、一人考えています。

それまで、この掲示板が続いているか、わたしの寿命があるか良く分かりませんね。

そういう点でも気長に書いていけたらと思うのです。


昨日は、極道坊主様はすっかりいいパパさんだったんですね。

わたしは走るのがすごく遅いんです。

ですので、走るのが早かった主人と結婚して、何が良かったって、息子が走るのが早かったので、大嫌いだった運動会がそれから好きになりました。

でも娘は遅いですね。

二人の成長過程をみていると、いい点も悪い点もしっかりわたし達両親から受け継いでいました。

今思うと、随分自分の能力以上を子供に期待していたと反省しています。

長々書いてしまいましたが、今日は、午前中休み(昨日仕事だったので)なので、書いてしまいました。

「千」回にご協力頂いて有難うございます。

これからもよろしくお願いします。

南无阿彌陀佛

●re.93
極道坊主
中国の男性

↑極道坊主様宛にメール
[ 960 ] Re2:下がらない頭 2009/09/14 (Mon) 11:00 △up ▽down
菩提心様

もうすぐ、このスレッドもいっぱいになります。

信後の味わいの項目も、10を越える日はそんなに遠い日ではないように感じます。

「塵も積もれば何とやら〜。」で、チューダパンタカ尊者の事が思い出さされます。

日々、楽しみにしている者が居りますので、ご無理されませんように続けてくださればと思います。

>>ハイ、人の数だけ味わいはあると思います。 それで良いのだと思います。

>>ただ、私は私、貴女は貴女、僕は僕。となっては違ってくると思います。

>>「好きな所を、好きなように歩いて良い。」と言っているのでは無いのです。

>>そう言う心の奥には、「自分勝手に、各々御好きな様に」という思いが何処かに在る様に感じます。 その思いに和合の心はありません。

>上記の場所は、あくまで一味同行であるという前提でいくと、ちょっとわたしの味わい方とは違うと思います。

>阿弥陀様に救われたと思っているわたしは、常に、阿弥陀様とわたしの関係なんです。

>だから、「私は私、貴女は貴女、僕は僕。」ではなくて、

>わたしと阿弥陀様、貴女と阿弥陀様、僕と阿弥陀様。みんな阿弥陀様に救われて良かったね。

>そんな時の味わい方は、それぞれの味わい方があると思います。

仰るとおりです。

「弥陀をたのむ」を実地に体験された菩提心様です、親様との関係を上記の如く味わっておられる事と感じます。

でも、親様の願いが届いておられるから其の思いが感じられるのではないでしょうか?

えてして、凡夫というのは分け隔ての心が常であります。 「弥陀をたのむ」という事がはっきりしませんと一味同行といえど菩提心様のように戴くことは出来ません。

「それぞれの味わい方があります。」と聞けば、私は私、貴女は貴女、僕は僕、と受け取ってしまう、そんな聴き方しか出来なかった自分が居ました。

人間本来、邪見なのでしょうね! 

一味同行が前提であっても、菩提心様の如く味あわれる方は極めて稀だと感じます。

それ故、心底、佛様と一緒なのだと感じます。

でありますから、喜びが絶えないのだと思います。

合掌


●re.94
菩提心
非公開の非公開
[ 961 ] Re3:下がらない頭 2009/09/17 (Thu) 10:48 △up ▽down
極道坊主様

こんばんは

>「塵も積もれば何とやら〜。」で、チューダパンタカ尊者の事が思い出されます。

(え〜、誰だっけこの人?)と思って、すぐに調べてみました。

しゅりはんどくの事だったんですね。

よくこのお弟子の事は親鸞会でも聞いていました。

いつも(すごいな〜)、タンスを動かした時、裏にたまっている埃を見ながら、どうして悟れるんだろうと思っていた時も有りました。

わたしの実家の家紋は「みょうが」なんです。(主人の実家の家紋も「みょうが」でした)

まだ仏法に御縁のない時から、母からみょうがは食べるなって言われていました。

この歳になって、みょうがのおいしさが分かるようになりましたが、どうしてみょうがを食べたらダメって言われたのか、俗説を聞いて知りました。

極道坊主様のお書き込みで思い出しました。

有難うございます。


わたしは自分で馬鹿だなと思って喜んでいるところが人から特に馬鹿だと映るんだと思います。

どうも人がしないようなことを、そっとやってみたりして。

これは過去ジャンヌ掲示板に書いて、呆れられてしまいました。

又、書き込みを見て、すぐに善知識様を探そうなんて普通は思いませんよね。

今から考えても、やっぱり導かれていたんだと思って有難いなと思います。


又、すぐ信じやすいところですね。

今飼っている犬が自分のしっぽを噛んで困っています。

獣医さんに、「あら、困ったわね。年に十匹は尻尾を噛んで無くなるのよ」って言われて、「え!先生、犬も尻尾生えかわるんですか?」

「あら、面白いお母さん、そんなこと有るわけないじゃないの」って笑われています。

でも、結構みんなから歳の割には素直だねと言われています。


で、こんな本を読んで納得した訳です。

「引き寄せの法則」っていう本の中に、「<願望>と<疑う心>の関係」の説明が図式になって書いてありました。

願望と抵抗(疑う心)と実現(受け入れる心)の3つを通しての説明ですが、

抵抗が取り除かれてはじめて、願望は実現します。

抵抗はつまり(疑い)が取り除かれるスピードが速ければ速いほど、短期間で願いがかないます。

@強い願望と強い疑いを抱いている場合、願望は実現しません。

A強い願望とほんの少しの疑いを抱いている場合、願望は実現しますが、そのスピードはゆっくりです。

B強い願望があって疑いがまったくなければ、願望はすぐに実現します。

ジャンヌ掲示板でも、赤子でも救われるなら、本当に赤ちゃんの気持ちになろうっていう思いで寝ることにしました。

そういう点が素直というか馬鹿というか、まあ、どっちみち今は阿弥陀様の御胸に抱かれていると思っています。


今は馬鹿の修行中ですかね(まだ、馬鹿になれきっていないです)

極道坊主様、それでは失敗談はこれからも続くと思いますが、こんな人間も救われるいうことで、お楽しみ下さい。

おやすみなさい。

南无阿彌陀佛

●re.95
菩提心
非公開の非公開
[ 962 ] 通常総会資料 2009/09/15 (Tue) 15:01 △up ▽down
隣の県の事務局から電話が入った。

「ねえ、総会資料見た?○○さんの給料、すごく貰っているね」と言われた。

土曜日の会議が終わった後、わたしは直接普通列車に乗り込んだので、後の人の行動は把握していなかった。

その給料を沢山貰っているという事務局は、帰りにデパートに寄り、宝石を買ったそうだ。

会議を終えた後、ホテルの部屋での雑談でも、その人から随分裕福そうな話を聞いていた。

わたしは、その隣の県の人に

「わたし、資料の中身は見ないようにしています。どれだけその人が沢山貰っていても、わたしの県とは関係ないですから」と言った。

同じ土俵で給料の差が出れば、それはとっても悔しい思いも出てくると思ったが、比較しようのないのを愚痴っても仕様がないと思う。

それより、その先輩の人に「お姑さんを見てきて、ようやく今が楽な時期に来たんじゃないですか?」と答えた。

「きっとわたし達の知らないところで苦労してきた御褒美かも知れませんよ。
わたし、最近なるべくそう思うようにしています。だから人をうらやむよりも、自分の今の立場に感謝するように努力したいです」と答えた。

「そうね、こんなこと言っちゃ申し訳ないけれど、○○さん←わたしの事、 よりはいいのでわたしもそう思うようにするわね。有難う。」と話を終えた。

自分で答えながら、自分の知恵ではないなと思う。

だって、わたしの本心はすごくうらやましいからだ。

お金の事で心配しなくてもいいのならそれに越したことはない。

こんな時、自分の言葉を反復して感じる事は阿弥陀様から生きる方向性を教えて頂いているように思える。

人と比較して落ち込むなんて時間の無駄。

自分の生活の範囲の中で、喜びを探す方が断然気が楽だ。

阿弥陀様、今日もお智恵を頂き感謝しています。

南无阿彌陀佛

●re.96
菩提心
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[ 963 ] 姓名判断って当たっているの? 2009/09/17 (Thu) 13:17 △up ▽down
昨夜のテレビの画面から、何度も○○、○○って呼ばれている。

主人に、「わたしの名前って、ドラマではいつも、お手伝いさんとか嫌なお局様とかばっかり」。

今回も、どうも旦那の愛人らしい。

とくにこの脚本家の番組はあまり好きではないので最近は見たことがなかった。

昔は好きだったが、お姑さんの嫌らしいイメージがどうにも馴染めなくなってきているということは自分も同じ立場になってきたからだろう。

主人と結婚して初めて妊娠したのに流産して1週間家で養生していた時だった。

ワイドショーから流れてくる殺人者の名前がよりによって、結婚したばかりのわたしのフルネームなのだ。

正直、最悪だと思った。まさか殺人者と同姓同名になるなんて。

息子の名前も、主人の名前も同じように、詐欺師か何か犯罪者でテレビに流されて、母から電話がかかってきたことがあった。

娘の名前は、弟の名前の字画がいいと、強引に母からその一字を付けさせられた。

娘に今でも怒られている。「どうしてよく考えて付けてくれなかったのよ」

「そんなこと今更言われても、いいんじゃないの。犯罪者と同じ名前ではまだ聞いていないから」。

お遊びで、たまにインターネットで姓名判断をクリックしている。

主人は素晴らしい。全部凶のオンパレード。

それを見せると、「お前と結婚したのが大凶だった」と言われた。

結婚する時、御不動さんに見てもらったそうだ。

「この人は止したほうがいいですよ。もっと他にいい人がいます」って言われたと今でも言っている。

でも、最後には、いい息子と娘に恵まれたと感謝しているということは、やっぱりわたしと結婚したからじゃないの・・・よ。

それで、家族全員、信心決定したら何にも云う事ないよね。

姓名判断では最悪の家族でも、ちゃんと阿弥陀様に護られています。

南无阿彌陀佛

●re.97
菩提心
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[ 964 ] 事務所の棚を整理していると 2009/09/18 (Fri) 16:26 △up ▽down
親鸞会発行の「光に向かって123のこころのタネ」の本が出てきた。

内容はとても素晴らしい。

しかし現実の姿は、どうしてかそれと相反するようなHPの乱立。

人間って弱いものだなと思う。

どんなに言葉は綺麗に着飾っても、それを実践していくことは並大抵ではない。


『正直は試される』より

百パーセントの正直が出世の肝要といわれる。
九十九パーセントの正直も一パーセントの不正直で崩れ去り、一生を棒にふる者が多い。
   心すべきこと。

文章は歴史として残っていく。

まさかこんな未来になっているとは思わなかっただろう。


世間の道徳倫理でさえ、嘘はいけないと諭している。

どんなに素晴らしい言葉を並べても、一行分も実践しないでは身には付かないってことなのか?

わたしは自分で気づいている嘘の数を考えても、人を非難することは出来ない。

出来ないと思いながら、それでも非難、愚痴はどんどん出てきてしまう。

そんな風に思うと、阿弥陀様はわたしのどれだけの嘘や愚痴の為に御修行して下さったのだろう。

想像もできない。

あさましい自分だなと思う。

南无阿彌陀佛

●re.98
菩提心
非公開の非公開
[ 965 ] 本願寺展に出かける 2009/09/23 (Wed) 07:34 △up ▽down
シルバーウイークとETC割引で、高速道路の側にある墓場からも時折覆面パトカーのサイレンが聞こえて、落ち着いていられない状況だった。

墓参りを終えて、金沢市歴史博物館において「本願寺展」が開かれているということで、3人で出かけた。

前方に見えるあまりの車の渋滞の流れに、息子の感の良さのお陰か、渋滞にも巻き込まれず、高速道路や裏道を通り無事会場に向かう事が出来た。

最初は若し時間がかかるようだったら、引き返そうかと話していた。

しかし、前の車が走っている後で、「ちんたらちんたら遅いっていうの。ホントにいらいらするなー」と息子が言いながら、追い越しも出来ずにいた。

「これで死んだら仏なんて、ホントにわたし達って信じられないよね。」3人で苦笑していた。

その遅い車を追い越さずにいて良かった。

その車の後を行ったお陰で、近回り出来た。

駐車場も1台のスペースが有り、まるで西日本パスで旅行したように全てが順調だった。

薄暗い会場では、解説の器械を借りたので少しは理解できた。

親鸞聖人直筆の
国宝「観無量寿経註」の字の細かさには驚いた。

本願寺展の記念本を買って帰り、改めて今も眺めている。

そっと上記の場所に手を添えてみた。

顔を埋めてみた。

何だか涙が流れてくる。

わたしには全然読めない。全然理解できない。

なのに今わたしは、その親鸞聖人が御苦労されたお陰で、こうして味わいを書いていることの不思議さを喜ばずにおれない。

蓮如上人の美しくそれでいて優しそうな文字にもふれることが出来た。

法宝物の中で、それでも真実信心の宝程、有難いものはない。

このような立派な宝の山の中で、身は卑しくても、一味同行の先達方から褒められているようでもあり、心から満足出来る一日であった。

南无阿彌陀佛

●re.99
菩提心
非公開の非公開
[ 966 ] 勇気と後悔 2009/09/23 (Wed) 07:28 △up ▽down
最近は、身の程知ってと思っていたが、身の程知らずな事をしてしまった。

後悔していた。

迷っていた。

そんな時、「和尚になった泥棒」 著者 ひろさちや を読んで思った。

「お坊さんになった泥棒」より

「本当に出家する気もないあんな男を、お釈迦さまはなぜ頭を剃られたのですか?」
弟子たちはお釈迦様に質問しました。

するとお釈迦様は、こう教えられました。

「あの男はふとしたはずみで出家したいと思ったのだね。酔っ払っていたので、その気持ちをここに来てぶち明けた。酔いがさめると、お坊さんになりたい・・・・という気持ちはなくなってしまう。それはわかっている」

「でもね、いま、形式だけでも出家しておくと、いつかそれが機縁になって、本当の出家ができるかもしれない。いい種をまいておくと、いつか芽が出てくるものだよ。だからわたしたちは、ちょっといいことをしたいと思ったら、たとえ冗談であっても、一回きりであっても、それをやったほうがいいのだよ。永続きしないからといって、やめるのはよくない。一回きりでもいいから、いいことはやっておくようにしなさいーー」


でもどこにチャンスというか縁があるのか分からない。

わたしはそんな縁を大事にしたいと思ったが、段々中身が分かってくるにつれて後悔してきた。

結果は分からないが、でもこの道も分からなかった。

分からなかったけれど、勇気を出して書いてみた結果は今のようになっている。

わたしは一回きりでも、その勇気はきっとこれからのわたしの心の支えになっていくと思っている。

でも、結果がダメでも、ここ最近ちょっと冒険したような気持ちでいたので、気持ちは若返ったようだ。

わたしには程良い刺激は、脳の活性化には良さそうだ。

本心は、お釈迦様から直に教えを受けるようなイメージで申し込んだけれど、しゅりはんどくのようなわたしではやっぱり無理そう。

南无阿彌陀佛

●re.100
極道坊主
中国の男性

↑極道坊主様宛にメール
[ 967 ] Re1:勇気と後悔 2009/09/23 (Wed) 08:25 △up ▽down
菩提心様

極道坊主であります。

このスレッドもとうとう満杯になってしまいました。 「おめでとうございます。」と、申し上げてもよろしいのでしょうか?

「継続は力也。」と言いますけれど、自分には到底、真似の出来ない事であります。

ひとつの事を、繰り返し々々続けられる事、なかなか出来る事ではありません。

思わされるに、「根気」ってものは自分自身には備わってなかったのであります。

其の自分が何某かを成し遂げられるのも、色々と、御手回しが在っての結果なのでしょうね? 勿体無い事であります。

チューダパンタカさんは、もの覚えのわるさから、お釈迦様がひとつの物事を繰り返し々行うことを命ぜられ、その行動から「諸行無常」を御悟りになられた方であります。

お兄さんのマハーパンタカさんは、学者に匹敵される程の学才を持たれた方だと聞いております。

その兄を超えての、お釈迦様の十大弟子ですよ。

「愚か者。」「馬鹿者。」と言われようとも、“実”を知らされる事が重要だと感じます。

「世の中の事は、みんな空言(そらごと)であり、戯言(たわごと)であり、真実(まこと)なんて在りません。」と、聞かせに与りました。

その、空言、戯言に囚われて生きているのが、自分です。

もの覚えがわるくても、愚か者であっても、馬鹿者であっても、忘れられないのが『なむあみだぶつ』の御念佛であります。

そもそも、馬鹿って「莫伽」(ばくきゃ)ってのが語源だそうで、『無明なる者』っていう意味らしいです。

そうすると、皆、無明なる者でありまして、それが本当の事でありますから、何も気にする事ではないのでしょう?

自身を馬鹿者と知らされる方が大切なのかもしれません。 でも、なかなかそう思えないのが人の性根なんでしょうね。 馬鹿に成り切るのも、不自然ですし、成り切るって言葉自体、「馬鹿の真似をする。」と言う風に聞こえます。

「真似をする。」と思っているときって、自身を馬鹿だと思ってませんよ? 多分?

一筋に、同じ物事に打ち込んでおられる方をさして、「〜〜馬鹿。」とか申します。

包み隠さず、打ち明けてしまう人を「馬鹿正直。」なんていいます。

でも、これってなかなか、真似の出来る事では無いと思います。 やっぱり尊いことなのかもしれません。

菩提心様、チューダパンタカ尊者の様であって下さい。

合掌


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