讃嘆・味わいなど

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●No.25
ボン
関東の男性
[ 684 ] たわいもない話ですみません 2009/02/08 (Sun) 02:34 △up ▽down
たわいもない話ですみませんが、難しい話ばかりでもなんでしょうから、
かつて同行様から教わった肩の凝らない話を披露させてください。
皆さま、すでにご承知かもしれませんが、“栗”のお話です。

栗は、実に仏法にたいへん縁のふかいありがたい植物なのだそうです。

まずは、その字体。“西”と“木”が組み合わさって“栗”になります。
西は、いうまでもなく西方浄土の“西”です。
“木”は、“十”と“八”が合わさって“木”になります。
つまり、“栗”は“西”と“十八”が、組み合わさっているということです。
ということは、十八願の上に西方浄土があると・・・。う〜〜〜ん。
ありがたいですね(^^)

しかも・・・
栗のイガをむくと、たいていは中に実が3個入っています。
これが、なんと、三尊像のように並んでいるんですねぇ。う〜〜〜ん。
同行様なら、この三尊像が何なのかわかりますよね。云々 あなかしこ

ちなみに、これは、栗の写真
http://okiraku.air-nifty.com/neo/WindowsLiveWriter/maron.jpg

このように、「十八願に入れ」ということを字体に隠して暗示していただいて
いるのだそうです。つくづく、ありがたいことです。

ということは・・・
漢字を作った人も、ひょっとしたら同行様なのかもしれませんね。
だとしたら、本当にうれしいですね。

南无阿弥陀佛

●re.1
菩提心
非公開の非公開
[ 685 ] Re1:たわいもない話ですみません 2009/02/08 (Sun) 08:02 △up ▽down
ボン様

そのようなお話、お聞きしました。

色んな謂れのお話一杯ありそうですね。

ところで、ボン様の問いかけから、新たな人が又訪ねて来られました。

きっと、阿弥陀様のなされることだから、わたし達が計らうことでは有りませんが、とっても有り難いなと思います。

今日は、仕事なので今、パソコンを広げて思いを書きました。

又、ボン様が有縁の善知識様からお聞きしたお話、聞けると嬉しいです。

南无阿彌陀佛

●re.2
ボン
関東の男性
[ 687 ] Re2:たわいもない話ですみません 2009/02/10 (Tue) 01:01 △up ▽down
菩提心様、こんばんは。

>そのようなお話、お聞きしました。

やはり、そうでしたか。
こういう話が、それぞれの流れで同様に受け継がれてきたことを想像すると
なんだかうれしくなりますね。

>又、ボン様が有縁の善知識様からお聞きしたお話、聞けると嬉しいです。

私も、菩提心様やそのほかの同行様が、口伝えに聞いてきたお話がうかがえれば
うれしく思います。

ちなみに、この際ですから図に乗って、“楽”の字について同行様から聞いた
こともお話ししたいと思います。

“楽”の旧字体は、“樂”ですよね。

下の“木”が“十八”を表すのは“栗”の場合と同様なのですが、
その上の部分がスゴイですよね。

両脇の“幺”は、弱いとか、小さいといったことを意味するようですが、
人の形を表してもいるのだそうです。

そして、真ん中は“白”。純白とか、まっ白な気持ちとか、よく言いますよね。
うーん、やばすぎますよね、やっぱり(^^;  云々

こうしてみると、十八願の“信楽”という言葉が、ストンと胸に落ちます。
信じて“楽”になる・・・。

南无阿彌陀佛

●re.3
毎日
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↑毎日宛にメール
[ 688 ] Re3:たわいもない話ですみません 2009/02/10 (Tue) 02:22 △up ▽down
ボン 様

「たわいのない話」、往生の正因にはならなくとも、「たのしい話」「おもしろい話」法論にも向きませんが、凡夫にとって、日暮らしの助けになったりもすると思います。

「楽」のお話、おもしろいですね。

私も以前、「機」についてお書きしました。「機」については、読んだものか、聞いたものか、自分で感じたことを書いたものか忘れてしまいましたが、他のいくつかの漢字につきましては、真宗にふれあいまして、感じたことを書いたものでございます。

http://shinshu.in/forum/forum.cgi?act=select&id=1&vine=25&pastno=0#191

こういったことも、信後のたのしみになると思います。法の話は、いろいろ楽しいものであると思います。

(久しぶりに読み返してみますと、なんとまあ生意気なことを書いたものかと、恥ずかしいのでございますが・・・)

思い出しました。「機」については、「椿」についてのお話を読み、また聞き、そこから連想して書いたものであったと思います。

南无阿彌陀佛

●re.4
菩提心
非公開の非公開
[ 689 ] Re4:たわいもない話ですみません 2009/02/10 (Tue) 09:40 △up ▽down
毎日様

お久しぶりです。

パソコンが壊れてしまい、直接メール出来ないのが残念です。

漢字にも色々な意味があるのですね。

わたしは毎日様の影響で、「漢字源」の入った電子辞書を買いました。

でも、お二人のように、そこまで詳しい事は書いて有りません。

もっと詳しい辞書が有るのかも知れませんが、

ボン様が仰られるように、御同行の方達が苦心された字も沢山有るのかも知れませんね。

毎日様や泥凡夫様からも、色んな楽しいお話お聞きしたいです。

有難うございました。

南无阿彌陀佛

●re.5
毎日
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↑毎日宛にメール
[ 691 ] Re5:たわいもない話ですみません 2009/02/10 (Tue) 16:03 △up ▽down
菩提心 様

あまりやり取りしていないからこそ、良い面が拡大されて感じるのであって、やり取りが増えてくれば、いかに私がダメでひどい人間であるか、あきれてくることと思います。

怒りと愚痴と不満に満ちた、あきれた日常生活を送っております。

私も、法のお話、いろいろお伺いしたいと思うわけですが、お話お伺いするにしても、結局確実なのは、「南无阿彌陀佛」とお称えすることだと思っています。

「南无阿彌陀佛」とお称えしているときに、それは実は、弥陀から説法いただいているような感じが致します。

それにしても、感謝のお念仏となえなければ捨て置く弥陀だと思うのも不信仰、何もとなえないのも不信仰、おもしろいものです。

朝昼晩、となえるべきものでも、となえられませんし、そんな実践は私にはつづけられません。そんな殊勝な私ではないからです。

それでありながら、不断のお念仏。だからこそ、なおさらありがたいと思うのです。

南无阿彌陀佛

●re.6
ボン
関東の男性
[ 692 ] Re6:たわいもない話ですみません 2009/02/12 (Thu) 00:07 △up ▽down
ボンです、こんばんは。

毎日様
>「楽」のお話、おもしろいですね。

毎日様にそのようにおっしゃっていただき、うれしいです。
ひょっとしたら「あまりきわどい話をするな」とお叱りをおけるのではと
危惧しておりましたので・・・(^^)

よろしければ“椿”のお話も教えていただけたら、うれしく思います。

菩提信様
>ボン様が仰られるように、御同行の方達が苦心された字も沢山有るのかも知れませんね。

はっきりと言うことができないので、字体に隠して暗示したのだと、私は聞いています。
聞くところによりと、漢字以外にもいろいろなところに暗示はあるのだそうです。

例えば、畳の大きさは、3尺x6尺ですよね。
建築業界では、この大きさの板を三六板(さぶろくばん)というそうです。
そして、18願のことを「三六の願(さぶろくのがん)」とも言うらしいですね。

3は三尊、6は名号、そして18願、いずれも当流に縁の深い数です。
毎日様のおっしゃるとおり「往生の正因」にはなりませんが、
私のような凡夫中の凡夫にとっては、信後の「喜び種」にはなるのかなと、
ありがたく思う次第です。

南无阿彌陀佛

●re.7
菩提心
非公開の非公開
[ 693 ] Re7:たわいもない話ですみません 2009/02/12 (Thu) 09:47 △up ▽down
毎日様

ボン様

おはようございます。

毎日様

>「南无阿彌陀佛」とお称えしているときに、それは実は、弥陀から説法いただいているような感じが致します。

究極的には六字に納まるということでしょうか?

わたしは、時々仕事で嫌な事があると、何故か気がついたら一心に心の中でお念仏を称えている事に気が付きます。

すると、不思議にこちらから掛けたくない相手の電話が入ってきて(電話登録してあるので分る)何だかラッキーって思えたりするんですが、これも弥陀からの御説法ですか?

何か変な質問ですね。

ただ、自分では、側についているからねってタイミングで教えて頂いているようで、落ち込みそうな時も嬉しくなるんです。

そして有り難くなるんです。


丁度、この味わいの場所に書き出して、一年になります。

一日過ぎると、一日浄土に近づく。

ここで、毎日様や泥凡夫様と知り合えて、わたしは本当に幸せ者です。


ボン様

畳のお話、それもお聞きしたように思います。

でも、わたしってボン様のように記憶力があまりないので、改めてお聞きして、嬉しくなりました。

わたしも凡夫中の凡夫です。

だから、こういうお話も大好きです。

又、お話聞かせて下さい。

南无阿彌陀佛

●re.8
ボン
関東の男性
[ 694 ] Re8:たわいもない話ですみません 2009/02/16 (Mon) 02:17 △up ▽down
ボンです、こんばんは。

菩提心様
>でも、わたしってボン様のように記憶力があまりないので、改めてお聞きして、嬉しくなりました。

覚えているのは昔聞いた話ばかりで、最近のことはなかなか覚えられません。
ということは、年だということなのかも・・・(涙)

ところで、もう一つ昔聞いた話に、龍安寺の蹲踞(つくばい)の話があります。
下がその写真。

http://shinowazuri.cocolog-nifty.com/memo/images/247.jpg

「吾唯足知」の4つの漢字に含まれる□の部分を中央に共有したデザインとなっています。
「吾唯足知」というのは、一般には「われ ただ たることを しる」という意味、
つまり、「あまり欲張ってはいけないよ」という戒めだと理解されています。

しかし、これにはもう一つ裏の読み方があるんだそうで・・・
それは「われ ただ“足”を知る」なのだそうです。

“足”という字を良く見ると、これは非常に微妙な形をしてますよね。
たぶん、同行様なら、みな分かると思うのですが・・・云々

ところで、この蹲踞(つくばい)は、水戸黄門としても知られる徳川光圀が、
龍安寺に寄進したものなのだそうです。

ということは、黄門様も同行様ということか・・・

南无阿彌陀佛

●re.9
菩提心
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[ 695 ] Re9:たわいもない話ですみません 2009/02/16 (Mon) 09:40 △up ▽down
ボン様

色々な謂れがありそうですね。

このお話は聞いたことが有りません。

何しろ、真実信心頂いてまだ1年ですし、お講にも出ていません。

でも、以外な人が御同行だと聞かされ、

この法は、やはり消えずに縁有る衆生の為に残されているのだと思います。

そのお陰で、わたしの所まで法が伝わってきたのだと思います。


>“足”という字を良く見ると、これは非常に微妙な形をしてますよね。

じっと眺めて、成る程と思いました。

でも、わたしは善知識でもないので、?です。

わたしはボン様とお話していると、

ジャンヌ掲示板で知り合った、凡夫様を思い出します。

わたしが、ここで書き込みできるのも、皆様のお陰だと思います。

最近、涙もろくなってきて、思わず頬に伝う涙を拭いながら書いています。

有難うございました。

南无阿彌陀佛

●re.10
ボン
関東の男性
[ 697 ] Re10:たわいもない話ですみません 2009/02/17 (Tue) 22:04 △up ▽down
ボンです、こんばんは。

菩提心様
>わたしが、ここで書き込みできるのも、皆様のお陰だと思います。

私もそう思いますし、何より、毎日様のおかげです。

毎日様がしっかりとこの掲示板を管理していただいているおかげで、
全国の同行様方と交流することができて、御一流を身近に感じることが
できるものと、感謝しております。

ところで、意外な人・・・といえば、“一休さん”もそうですよね。
一休さんが蓮如上人とは同時代の方で、お互いに親交があったということは、
世間一般でもよく知られているところです。

その一休さんが、本願寺で営まれた親鸞聖人の二百回遠忌法要にお参りされた
そうですが、そのときに読んだ歌が残されています。

「襟巻の あたたかそうな黒坊主 こやつが法は 天下一なり」

「襟巻のあたたかそうな黒坊主」とは、もちろん、親鸞聖人のことですが、
下の写真をみると、なんとなくうなづけますよね。

http://homepage3.nifty.com/eternal-life/shinran.jpg
http://labo.wikidharma.org/images/thumb/e/e8/Aal.sized.jpg/300px-Aal.sized.jpg

しかし、臨済宗の坊主が「親鸞の法は天下一」とまで言ったら、やはり、
ただ事ではないと思うにですが、世間の方々はどのように解釈されるのでしょうね。

同行様は、ご存知かもしれませんが、一休さんが御一流に当たったときの逸話が、
言い伝えられていて、私はその昔、事あるごとに善智識様から何度も聞かされました。

国民的に人気のある黄門様や一休さんと同じ法を聞いていると思えば、喜びも倍増です。
なんとまあ、ミーハーな喜び方と思うのですが、なんたって凡夫ですから・・・(^^)

南无阿彌陀佛

●re.11
毎日
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↑毎日宛にメール
[ 701 ] Re11:たわいもない話ですみません 2009/02/23 (Mon) 02:28 △up ▽down
ボン 様

ご開山の服装にも、いわれがあるとお聞きしました。

黄門様、あのご印籠も、なぜ二葉葵でなく、三葉葵であるのか、そこにもいわれがあるとお聞きしたこともあるように思います。

この種のことは、すべて我田引水かもしれませんが、信仰する者にとりましては、うれしいことであると思います。

そしてもちろん、私もよろこんでおります。

あちらを向いても、こちらを向いても、弥陀に守られていると感じることができる。

うれしいことです。

南无阿彌陀佛

●re.12
菩提心
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[ 702 ] Re12:たわいもない話ですみません 2009/02/23 (Mon) 12:48 △up ▽down
毎日様

[ 691 ] あまりやり取りしていないからこそ、良い面が拡大されて感じるのであって、やり取りが増えてくれば、いかに私がダメでひどい人間であるか、あきれてくることと思います。
怒りと愚痴と不満に満ちた、あきれた日常生活を送っております。

こういう書き込み、ホッとします。

良かった。

これで毎日様が、心身共に清浄の心で満ち溢れていたら、とってもわたしなんて書き込みできないだろうな。

わたしも、愚痴ったり、怒ったりしています。

でも、この頃何だかとっても有り難いな〜って感じられて幸せです。

愚痴るのも、怒るのも、生きている証拠です。

わたしは生きている。

母の三回忌で、お勤めの間、鴨居の上に鎮座している母と父の写真を見ながら、

この両親からわたしは生れてきたんだなと、ちょっと嬉しくなりました。

弟から、益々父に似てきたって言われて、それも少しも嫌に思えない。

ブスでも、明るく笑顔で生きていきたいな。

これから、老いる人生だけど、そう思って名古屋から帰ってきました。

ボン様との会話の中にお邪魔し、済みません。

南无阿彌陀佛

●re.13
毎日
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↑毎日宛にメール
[ 703 ] Re13:たわいもない話ですみません 2009/02/24 (Tue) 03:16 △up ▽down
菩提心 様

もちろん私は、愚痴と怒りと無知にふりまわされております。

仏典を引用など致しますと、すごそうに見えたりしてしまうこともあると思うのですが、それは、仏典を作成した方々が偉いのであって、私は、ゴミのような存在なのです。

この点、誤解を与えぬよう、気をつけねばならぬと思っております。虎の威を借るキツネになってしまいます。

そして、そういう存在である私を、弥陀が救いとってくださったことを、尊いと思っております。

これほど、怒りと悲しみと執着にまみれた私を、悟りとはほど遠い私を、阿弥陀仏国へと招いてくださるのですから、本当にうれしく思うのです。

そして、こうして法にまつわるお話ができますこと、とても楽しいです。

「何が正しいか」は、私にはわかりませんので、「ああ、これは楽しいな」と、そう感じることができれば、それで良いのだと、そう思っております。

信楽を求めて苦しむのは、おかしな話と思います。

もう弥陀が、私たちの代わりに、ご修行くださったのですから。

結局南无阿彌陀佛であるのなら、他にこだわりはいらない。(もちろん、そう言いながら、あれこれこだわりだらけです。)

なるようになれと、これは自暴自棄な感じというよりは、もちろん、自暴自棄な感じもないではありませんが、手放す感じに近いのです。

これができるのは、弥陀が守ってくださっていると思うからです。

そして、いわゆる「ひどい結果」になったとしても、それは私の過去の悪因の故であって、それであっても、極楽が待っている。

もう過去は清算して、清い世界へと行けるのです。

このような単純な信仰が、私にはわかりやすいと思うようになってきております。

そして、このような単純な信仰を、御聖典の名文で味わってゆくこともできる。

しあわせだなあ、と思います。

南无阿彌陀佛

●re.14
ボン
関東の男性
[ 704 ] Re14:たわいもない話ですみません 2009/02/25 (Wed) 01:33 △up ▽down
ボンです、こんばんは。
いつも脳天気な話ばかりですみません(^^)

毎日様
>ご開山の服装にも、いわれがあるとお聞きしました。
>黄門様、あのご印籠も、なぜ二葉葵でなく、三葉葵であるのか、
>そこにもいわれがあるとお聞きしたこともあるように思います。

ご開山の服装のいわれや、三葉葵のいわれについては、残念ながら聞いたことがありません。
喜びの種にしたいので、差し支えなければ、お聞かせいただけたらうれしく思います。

それと直接関係がありかどうかわかりませんが、真宗の本来の法衣は、白の上に黒を
はおるのだと聞いたことがあります。

それは、外は真っ黒な悪・世俗・穢れにまみれているが、内にはまっ白な真実信心を
蓄えている様を現すのだとか・・・。

お彼岸にいただくおはぎも、外は黒で、内は白。これも同様な意味だと聞きました。
まあ、少しこじつけっぽい気もしますが・・・(^^;

私のような疑り深い馬鹿者を喜ばすために、阿彌陀様が、あの手この手で仕掛けを
こしらえてくれているのではないかと、勝手に思い込んでおります。

>「何が正しいか」は、私にはわかりませんので、「ああ、これは楽しいな」と、
>そう感じることができれば、それで良いのだと、そう思っております。

ハイ、私も単純にそう思っております。

知識様には、事あるごとに「喜べ」「喜べ」とばかり言われましたよ。
「修行しろ」「修練しろ」とは、一度も言われたことはありません。

「仏法は聞くもの」ともいわれました。「経文を勉強しろ」とはいわれませんでした。
自力で経文を読んでも迷うばかりだと・・・。

でも、たまに経文を拾い読みして質問などすると、“喜んでいる証拠だ”といって
喜んでくれました。

南无阿彌陀佛

●re.15
毎日
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↑毎日宛にメール
[ 705 ] Re15:たわいもない話ですみません 2009/02/25 (Wed) 02:14 △up ▽down
ボン 様

能天気によろこべることこそ、「あら、行じやすの名号や」(御文2-15)であると、うれしくなるのでございます。

いわれについて、おいおい書いてゆこうと思うのですが、それらは、あくまでも「お話」であること、ご承知置きくださいませ。

おはぎとぼたもちについての違いも、聞いたことがあるような気がするのですが、忘れてしまいました・・・

また、ぼたもちは、「夜舟」とも言いますよね。いつ信をいただいたのか、わかりませんものね。

ここからは、信をいただき、私が勝手に思ったことでございます。

私は、お赤飯がどうしてめでたいのか、よくわからなかったのでございます。

ところが、こうなってから見てみると、黒いお豆が割れて、中から白い実が出てきている、そして、この黒さは、白い飯を赤く染めてしまっているのです。

「いやあ、炊けた炊けた」と、よくわからないのですが、なにかうれしくなるのでございます。

煮られた小豆は、地獄の釜でゆでられているよう・・・

そんなことを、想像してしまいます。

ゆでだされた悪で、染められた白米だからこそ、さしもの小豆も、こころをひらくのだなあ、なんて思ってしまいます。

こういうことを考えてよろこべるのも、(まあ、こじつけでございますが)日々のよろこびが増えたなあと、これまたよろこべるのです。

バカにつける薬は無し、だって、もう、弥陀の六字の薬をいただいたのだから、と思う次第です。

南无阿彌陀佛



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