浄土真宗の教義について

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●No.71 admin 
毎日
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[ 478 ] 犀の角の如く 2008/05/22 (Thu) 20:05 △up ▽down
◎あらゆる生き物に、暴力を加えず、
いかなる生き物にも、苦悩を与えず、
子女を求めることなく、朋友を求めず、
修行者たるもの、犀の角の如く独り歩め。

http://www.nurs.or.jp/~academy/butten/suttanipata13.htm

一人歩む道に、連れ添ってくださる南无阿彌陀佛。

一人歩む道を、見守ってくださる阿弥陀如来。

一人来て、一人で去るこの世界。

南无阿彌陀佛は、いつでも称えることができ、いつでもそばにいてくださいます。

南无阿彌陀佛

●re.1 admin 
毎日
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[ 479 ] Re1:犀の角の如く 2008/05/22 (Thu) 20:10 △up ▽down
◎交わりをなせば、愛情が生まれる。
愛情が生まれれば、苦悩が生まれる。
愛情から、苦悩が生まれるのを、見て、
修行者たるもの、犀の角の如く独り歩め。

◎朋友や親友などと、時間を共にし、
心が絆されると、己の利が損われる。
親交から、浪費が生まれるのを、見て、
修行者たるもの、犀の角の如く独り歩め。

◎妻子への愛著は、竹林が茂るが如し。
竹の子が、他に絡むことがないように、
修行者たるもの、犀の角の如く独り歩め。

仏陀の言葉は別格であると、心から思います。

南无阿彌陀佛

●re.2
菩提心
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[ 480 ] Re2:犀の角の如く 2008/05/23 (Fri) 09:46 △up ▽down
◎法友を得たなら、危難に悉く打ち勝ち、
 心から喜び、落ち着いて、彼と共に歩め。

◎法友を得ないなら、戦争に勝った王が、
 征服した国を捨てる如く、ただ独り歩め。

◎法友を得る幸せを、褒め称える。
 己より優れた者、また、等しい者。
 彼らとは、親しみ近づくべきである。
 法友が居なければ、罪科なき行を修め、
 修行者たるもの、犀の角の如く独り歩め。


この大宇宙の
この地球の
この日本の中で、
阿弥陀様と共に、同じ時間を歩んでおられる法友が有り難い。

感謝しています。

南无阿彌陀佛

●re.3 admin 
毎日
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[ 481 ] Re3:犀の角の如く 2008/05/23 (Fri) 11:19 △up ▽down
菩提心 様

真宗の同行に取りまして、大切なところを補ってくださって、ありがとうございます。

「共に歩む」のもまた、「犀の角の如く独り歩む」ことに変わりはなく、
同じく「犀の角の如く独り歩む」同行が、同じく「犀の角の如く独り歩む」からこそ、
「共に歩む」ことになるのだと思っています。

それは、依存とは異なります。

親しみ近づくとは、過剰な関係を持つことを意味するのではなく、
法の道を共に歩むのだと思います。

仏法の道は、(私のイメージですが)カラッとしています。

すべてにおいて乾いています。

あれこれ言う人は、向こうがこちらに対して過剰な関係を持っています。

過剰な関係を持とうとしてくるはたらきかけに対して、
自身は過剰な関係を持ってしまうか、持たされてしまうかだと思います。

過剰な関係を正当化する立場の方は、
過剰な関係を持とうとしない方を「薄情」として批難する傾向があると思います。

しかし、それは、その方が、自身の「支配したい欲」を見つめることなく、
自身を正当化していることがほとんどのように感じます。

相手を批難することはできず、常に、自身の行動が問われねばなりません。

なぜ、支配せねばならないのか。そのような欲を持ってしまうのか。

過剰な関係を持つことを、どこまでも排してゆかねばならぬのが仏弟子だと思います。

目の前で肉親が刺される現場を見て心が揺らぐなら、
肉親と過剰な関係があり、
自身の肉体の苦しみに心が揺らぐなら、
自身の肉体と過剰な関係を持っています。

凡夫たる私は、あちらこちらに過剰な関係を持っており、仏になるなど、はるか先になるはず。

それが、阿弥陀如来の御慈悲によって、今生を終えた後、順次の生においては、はるかに進展した自己を見ることができます。

南无阿彌陀佛

●re.4 admin 
毎日
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[ 482 ] Re4:犀の角の如く 2008/05/23 (Fri) 16:04 △up ▽down
菩提心様

>>480
>◎法友を得る幸せを、褒め称える。
> 己より優れた者、また、等しい者。
> 彼らとは、親しみ近づくべきである。
> 法友が居なければ、罪科なき行を修め、
> 修行者たるもの、犀の角の如く独り歩め。

「親しみ近づく」についてですが、

◎しかのみならず善導和尚は、「同行・善知識に親近せよ」(礼讃)とすすめ、慈恩大師は、「同縁のともを敬へ」(西方要決)とのべられたり。そのゆゑは、善知識にちかづきてはつねに仏法を聴聞し、同行にむつびては信心をみがくべしといふこころなり(持名鈔)

これは、

◎しかるに当流において毎月の会合の由来はなにの用ぞなれば、在家無智の身をもつて、いたづらに暮しいたづらに明かして、一期はむなしく過ぎて、つひに三途に沈まん身が、一月に一度なりとも、せめて念仏修行の人数ばかり道場に集まりて、わが信心は、ひとの信心は、いかがあるらんといふ信心沙汰をすべき用の会合なるを、ちかごろはその信心といふことはかつて是非の沙汰におよばざるあひだ、言語道断あさましき次第なり。所詮自今以後はかたく会合の座中において信心の沙汰をすべきものなり(御文1-12)

に通じるところがあると思います。

南无阿彌陀佛



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