●No.70
admin |
毎日 |
非公開の非公開 |
|
[ 468 ] 不綺語、不妄語
|
2008/05/13 (Tue) 23:09
△up ▽down
|
|
煩悩具足の私たちは、戒を守りきることはできません。
しかし、なぜ、不綺語であり、不妄語なのか。また、不両舌なのかということを考えます。
不綺語であるのは、あいまいな表現を行うと、相手に推測や斟酌を強いる害があると思います。
自分はハッキリと明言せず、相手が行動をしたときに、相手が勝手にやったことであると、相手のせいにしてしまう可能性も高くなると思います。
そのようなことは、私は嫌いです。
また、そのようなことを、私に対してしてくる方も嫌いです。
嫌いというのは、慈悲の気持ちに反するようですが、これは、「恨み」の感じとも違います。
ここで言う嫌いとは、「拒否」であり、「非同意」です。
不妄語も、実行しきれません。弱さがあり、思いとは違うことが口に出るのが凡夫です。
しかし、不綺語、不妄語は、真実の道であると、私は思っています。
不両舌が大切であるのも、両舌を行うのは、弱さがあるからです。
それは、自らの立場を、自ら自覚が出来ていないということです。
私は、弱い自分を思います。
どうしたら良いかわからず、方針を求めます。
そこに現れたものが、四諦八正道です。尊い道であると思います。
しかし、私に成就はできません。
先に成就してくださり、さらに、私を救う道を成就してくださいましたのが、阿弥陀如来です。
他のしたことと、しなかったことを見ず、自分の為すことを為さないことを見ようとするときに、「どのように対したか」「どのように対しなかったか」を見ることになります。
見る程に、不完全な私です。
心の中に、たくさんの弱さがあることがわかります。そして、それらは、恐れを生みます。
この恐れが、恐れを利用しようとする人を呼び寄せます。
だからこそ、彌陀一佛をたのむ。恐れるが故に、彌陀一佛をたのめば、彌陀をたのむが故に、守られるのです。
これも、誠に不思議なことです。恐れによって、恐れの悪果を避ける。
佛智の不思議と、彌陀の智慧を讃歎致します。
南无阿彌陀佛
|
|