浄土真宗の教義について

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[ 351 ] 機は問わずに法を問う 2008/01/26 (Sat) 01:21 △up ▽down
当流では、信前の機は問われません。そして、信後の機も問われません。

問われるものがあるとすれば、宿善の有無だけですが、弥陀の救いを求める方には宿善がありますから、事実上問題になりません。

では、行者の側からすれば何を問うかと言えば、法を問うのです。

機は問われないのですから、行者は自らの機を問うのではなく、法を問います。

(問われないなりに、自主的に自らの機を問うとすれば、信後の相続においてです。)

つまり、「その法は、釈尊が阿難尊者に付属した、弥陀の救いの法であるか」を問うのです。

真実の法があるところでは、六字の謂れを説いてくださる次第相承の善知識様がいらっしゃいます。

もともと、掟がありますので、普段は内心に秘め、外には出さぬ信心ですから、それらしき人がいたら尋ねてゆき、信心決定の行者を探し出さねばなりません。

しかしこれも、自らの機が問われているというよりも、あくまでも、行者からすれば、法を問うているのです。

信心決定の行者らしき方が見つかりましたら、次にはその真偽を問うてゆくことになるでしょう。

弥陀の真実の法は、行者の機を問わず、100%、百発百中で信心を決定してくださいます。

そのような法を、夢物語と思わず、探すことであると思います。

南无阿彌陀佛



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