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[ 774 ] 教えて下さい。
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2008/09/27 (Sat) 20:12
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初めまして、愚尼の息子です。 何で阿弥陀様が見えないのに居ると分かるのですか? どうして自分がいるんだろう?
小学4年の子です。子供の思考での考えですので、上手く答えてあげられません。 どうぞ子供に分かりやすくお答えいただけたらと思います。 母の愚尼より
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[ 775 ] Re1:教えて下さい。
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2008/09/28 (Sun) 07:51
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初めまして、わたしは、お東の僧侶です。とは言っても小さい寺なので 公務員の仕事をしていますのでまだまだ勉強不足ですが、こんなふうに 言ってみてはどうでしょうか?例えば画用紙でも何でも紙1枚を出して これはなんでしょう?と聞いてみます。もちろん「紙」と答えるでしょう。 すると「残念!」と言って正解は、「木」です。と答えましょう。なんで〜 と食いついてきます。これはねぇ私たちの目の前に「紙」となってあらわ れるまえは「木」だったんだよ。あの外にある(あれば)木をこんな「紙」 になるまでには、たくさんの「人」たちの手によってこんなに薄くすべすべになるまでに手を加えてやっと「紙」となって私たちが日常ものを書いたり人に 伝えたりできるようになったの。だけど今見えるのは、「紙」だけだよね。 それと同じように「あみださま」も見えないけれど「なむあみだぶつ」と いうことばになって私たちのためにハタラキたすけてもらっているのよ。だから、わたしたちが「見えているもの」はほんのわずかなことだけなんだよ。と 自分もそう自分が自分と思っていることもほんのわずかなことだけなのよ。 だからこれかもいっぱいお話を聞いていこうね。といってお手次のお寺の永代経があれば一緒に説教を聴聞しにお参りになってはどうでしょうか? (蛇足)ほら、今でもわたしたちがこんなお話してる間も見えないけれど お父さんが一生懸命お仕事をしているのよ、、、なんてね。
このお話は、ティクナット・ハンというお坊さん(ベトナムの方)が、日本に講演にこられたとき一枚の紙を出されてこれは「雲です」雲が雨になり雨が木を潤し木が茂りその木を加工したものが「紙」なのです。ですからこの一枚の紙にも雲が見えるでしょう。というような話をどこかで聞いたのでパくったものです。「残念!」←古い
えらいお子さんですね。そういう質問が出てくる環境がすごいと思います。 きっと南無阿弥陀仏のおはたらきですね。
大愚 たいちゃんより
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[ 776 ] Re2:教えて下さい。
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2008/09/28 (Sun) 08:27
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お返事ありがとう御座います。
阿弥陀様は、目に見えないけど、居る事が分かりました。 たとえば、何回もこけそうになった時に、こけなっかったから、 (ああ、阿弥陀様が居てくれるからなんだな) と、思い、いつも阿弥陀様が居てくれて、どうにも出来ないときは、 いつも阿弥陀様が護ってくれるんだなって感じています。 また疑問に思っている事や、阿弥陀様に関心があったら、 返信します。
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●re.3
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[ 777 ] Re3:教えて下さい。
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2008/09/28 (Sun) 23:12
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さとし さま
阿弥陀さまがいるか、いないか、ぼくには「わかり」ません。
それは、ぼくにはどちらでも良いことで(なぜなら、わからないからです)、阿弥陀さまの救いを信じ、守ってくださることを信じ、それに感謝して、1日1日を生きてゆくだけなのです。
そう思って生きていると、「あ、阿弥陀さまが守ってくれてるんだ」と「感じる」ことは何度もあります。だけど、それは錯覚なのかもしれません。
たよりないこたえしかできなくて、ごめんなさい。
南无阿彌陀佛
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[ 778 ] Re4:教えて下さい。
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2008/09/30 (Tue) 22:38
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さとし さま
はじめまして、酒天童子といいます。変な名前ですが気にしないでください。
阿弥陀様はいまのさとしくんにはわからなくてよいと思いますし、いないと感じても当然だと思います。
だから、いると思いなさい、とか信じなさい、というふうに押し付ける必要はまったくないように思います。
さとしくんの人生はまだまだ始まったばかりです。だから、これからのいろいろな経験の中でさとしくんはよろこび、悲しみ、なやみ、ときにはわかった、とかんじることがたくさんあるとおもいます。
そのときに、ひとつだけ、、、どんなことが自分に起こっても
”この世の中には神の仏もいないんだ、たよりになるのは自分だけなんだ”
なんて、かたく信じないでほしいです。
”もしかしたら、自分以外にこの世の中には素晴らしいもの、不思議なものがあるんじゃないか?”
そんな風に思ってくれるだけでいいと思います。
そうして、人間、死んだら終わりなんだ、なんて思わずに、ことの因果関係や世の中の矛盾、それから眼には見えないものの存在について、思いを巡らせてほしいです。
そうして、大人だって、自分だって、みんなたいしたことは何にもわかっていないんだ、と気づいて、途方に暮れたときに、はじめてさとしくんは壮大な素晴らしい将来への第一歩を踏み出すのであはないでしょうか?
はじめからわかってるとか、わかったなんて言う人はさとしくんだけでなく、私も信用できません。みんなここまで来るまでに、多分さんざん右往左往しているのですから、、。
さとしくんは愚尼さまの縁者なるゆえに素晴らしい魂をお持ちでありましょう。 なんの心配もいりません。
南无阿彌陀佛
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[ 779 ] Re5:教えて下さい。
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2008/10/01 (Wed) 08:32
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さとしさま、 愚老といいます。おじいです。 さとしくんには目に見えるものはなんでも信じられるね。たとえば、地面に行列なして動くあり 沢山いますね。これアリの世界でしょう、又、ほんの短い命しか持たないセミの世界、犬も可愛い言ってること聞いてくれますね犬の世界、海に泳ぐ魚の世界,動物,植物,さとしくんの目に見える命のある世界、皆、まとめて畜生(ちくしょう)の道と言います。さとしくんは尊いお母様からご縁が有って人間の世界に生まれて来ました。世界には色々な人々が67億人余りいますよ。そのうちの一人がさとしくんです。この世界を人間界と言います。人間界と畜生道とたった一段しか違わない世界・さとしくんが見えない世界は(しゅら(戦い)の世界,がきの世界、(食べれない苦)じごく(苦しみ)世界、そてと天上世界(楽しいが命がある)見えないね。全部で六つ有りますねそこで、おしゃかさまは六道の世界といっておられます。命が終わると、六つにしきった車の輪を廻すように死んで生まれ,生まれて死んでとくり返しするので六道りんね(まわること)言われます・これが苦しい世界なのでさとしくんの見えない、あみださまが作られた極楽に生まれたいと皆さん願うのですね阿弥陀様の世界は52段も上の世界です。とても人間の目で見る事はできませんね。これからの話、信じるかな?お正月になると何十萬人の人々がお参りします。 伊勢神宮のお話・・神様もさとしくんには見えないよね・昔、さとしくんと同じ思いの立派なお坊さんがいました。そのお坊さんは今の奈良県に西大寺と言ってお坊さんの名前が覚乗(かくじょ)上人と言いました。沢山の人々から慕われて,沢山の人々を救い助けておられました。 お坊さんはつくずく思うにこの日本の国を守られておられる神様はどんなお姿しておられるやら ぜひ尊(とうとい)いお顔おがんで見たいと思い立ち伊勢のお宮に100日の間お参りされました。ところが100日の最後の日の夜、神様から夢にお告げいただけれました・ 夜が明けたら二見が浦(男と女岩があり〆なわ)海岸にたずねなさいと告げられたのです・ 覚乗(かくじょ)お坊さん大変お喜びになられ,二見が浦に来られました。 おだやかな水面、心しずかに手を合わせて拝んでいましたら不思議に海面が照りかがやいて、 長さ一丈あまりの金色の霊蛇(りゅう)があらわれ、びっくりして手合わせて、このお姿 かりのお姿と思う人々は恐れて信じないでしょう。どうか、まことのお姿を拝ませて下さいと お坊さんが着ていた竹布(竹のかわであんだ布)の袈裟(けさ、おぼうさん首にかけてるね) をぬぎ,霊蛇(りゅう)に投げかけられた。霊蛇(りゅう)はそのまま袈裟(けさ)とともに 水中に沈みました。覚乗(かくじょ)お坊さんはそれから又,七日の間お参りされ,本当のお姿をおがまさして下さいとお願いされました、七日目夜こんどは夢に私(神様)は人々を極楽の楽しい世界にみちびくため阿弥陀さまの姿(三尊)として仏師(ほとけを作る人)にたのんできざみおくと、ここより北に国府(こくふ)の里に太平山無量籌寺(むりょうじゅてら)と言う寺に安置あんち(おくこと)これが私のまことの姿なり、私をおがむ人は国府(こくふ)のあみだ様とおもってくれととお告げなされました。 お坊さん、たいへんおよろこびなされ、いそいでそのお寺にまいりお寺のお坊さんの今、までのことお話されるに、私(この寺のお坊さん)もまた、まえの夜あみださまのお告げえをいただいたと,昔より秘仏(ひぶつ、見せないほとけさま)夢をうたがうことなきよう、つつしんで お扉(とびら)を開けられたにあみださまが光かがやいて、二見が浦でお坊さんが、なげられた 竹布の袈裟があみだ様の頭上にかかっていてお坊さん二人があまりのふしぎに、なみだして、がっしょう、さらいして、おがまれたそうです。 伊勢の神様は無量籌寺のあみださま,人々を守ってくださいます・ さとしくんは知らないかも・・伊勢は津でもつ、津は伊勢でもつと言って伊勢の神様も津のほとけ様も同じとゆういみです。 さとしくんもいつか思いが同じならきっと、あみだ様は夢の中にひかりかがやいてあらわれるかな?あらわれるといいですね。
御詠歌に ただたのめ、萬(よろず)のつみは、ふかくとも わが本願のあらんかぎりは 弥陀たのむ 人をむなしく なすならば われこの国の 神といわれじ
伊勢国津恵日山別當 大寶院 有書物より・
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[ 781 ] Re7:教えて下さい。
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2008/10/06 (Mon) 21:38
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初めまして金剛心と申します 何で阿弥陀様が見えないのに居るとわかるのですか? さとし君の質問は大人の人でも答える事が出来ない位むつかしい質問ですネ 人間の目で見ることが出来ない世界がその他にもたくさんあることを、まず さとし君に知って頂きたいのです。例えば空気や電波とかあるいは霊界、 人の心の世界など一般的に人間の目で見ることは出来ないけれど宇宙のどこかに存在しているのです。特に人間の心などは誰にも見ることは出来ないけれど自分には心があるとか、良心があると人々は言うでしょう、からだの 奥に(胸の内に)心を持っていても、それを相手の人に取り出して見せる ことも見ることも出来ないのです。形も色も無い世界だからですネそれでも自分は心を持っていると言うでしょう。それと同じように阿弥陀様も人間の目で見ることが出来なくても必ず居られるのです。それを霊の世界とか魂の 世界と言うのです。魂・霊の世界は大半の人間の目には見えないからそんな 世界は存在しないのかといえば、そうではなくテレビ番組などでよく霊界に 関するテレビを見ることがあると思いますが、霊の世界などは人間の目で 見ることが出来ないのです。霊界にもお釈迦様や阿弥陀様の教えから言えば悟りの世界と迷いの世界の両方があることも知って頂きたいと思います。 悟りの世界を仏界と云い迷いの世界を地獄界と言うのです。人間が死ぬと 仏界か迷界のどちらかの世界に行くのです。「最後にどうして自分がいるんだろう」の質問は仏教専門の用語で答えなければならないので今のさとし君にはすこし無理かと思います。大きくなって少しでも仏教に関心が出て来た 時にでもお答えいたします。 阿弥陀様の極樂世界に行けるようにお母さんと一緒にがんばって下さい。
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●re.8
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[ 782 ] Re8:教えて下さい。
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2008/10/06 (Mon) 21:55
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金剛心 様
「目に見えない世界がある」というのは、たとえば電磁波(可視光でない波長)を例にとればわかるにしても、それで一足飛びに、「だから弥陀はいるんですよ」とは結論づけられないのではないでしょうか?
もしそれで良いのなら、どんなものでも「必ず存在する」と論証できることになってしまうと思います。(「それと同じように阿弥陀様も人間の目で見ることが出来なくても必ず居られるのです」の部分です。)
電磁波や空気は、目に見えなくても、測定が可能です。
弥陀は観測にかかりません。
たとえ話は、時に有用でありますが、そのような論の進め方は、仏教というよりは、詭弁に類するものになってしまうのではないかと思えます。
さとし君の論理力の養成を考えたときに、あまり良いこととは思えないのですが・・・
いろいろなことを信じ込んでしまう可能性がある子供だからこそ、周囲の大人は、変なことを教え込まないように注意しなければならないと思います。(そうでないと、新興宗教の二世問題と同じような問題が発生しかねません。)
また、極楽世界に行くために、「がんばる」ことが有効かどうかは、真宗の根幹に関わるところだと思います。
南无阿彌陀佛
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[ 783 ] Re9:教えて下さい。
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2008/10/06 (Mon) 23:38
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こんばんは、酒天童子です。
さとしくんの質問はある意味で、根源的なものであり、究極的なものでもあります。 阿弥陀様はいるのか?自分とは何者か?
私たちは長ずるにつれ、知識を身につけていっていろいろな解釈をするようになり、また時には思い込みをしたり、時にはひらめきや啓示のようなものを受け取ったりして、自分の人生観を形成していきます。
しかし、さとしくんの質問にちゃんと答えられる人は実はいないと思います。
なぜなら、それはさとしくん(だけでなく、我々すべて)が実際に自分で霊的に経験してみて初めてわかるものだからです。
愚息には先にも述べたように、あえて阿弥陀様がいるのかいないのかは説明しようとしませんでした。
それは説明ができないし、仮に無理やり説明してもさとしくんを納得させることはできないと思うからです。
無知を承知で一歩進んで言葉を続けるならば、こう言ってあげたいです。
“阿弥陀様がいるのかいないのか、本当に知りたかったら心から全人生をかけて真剣に知りたいと願いなさい。そのような経験をしたいと、あるいははっきりと思い出したいと願いなさい。その結果、もしかしたら自分では望まない大変な経験をするかもしれませんし、とんでもない方向に人生が向かうかもしれないけれど、、。それでも、それ以上の価値はあります! また、自分とは何者か?本当に知りたかったならば、徹底的に自問自答しなさい。決して妥協しないと誓いなさい。その結果もしかしたらあなたは自分の体から一時的に抜け出て思いもよらない旅をしてしまうかもしれないけれど、、。 それでも求めることは、それ以上の価値があることでしょう。”
小学生にはちょっと難しい注文ですね。でも、これは子供でも大人でも同じだと思います。
本を読んだり、いろいろな人の話を聞いて、なんとなくわかったようになっている自分にも戒めの意味で書いています。
法然上人が何故、善導大師を師と仰ぎ、ご開山親鸞聖人が何故善導大師を称して“ただひとり釈尊の正意を知る人”と言ったのか?それは善導大師が三昧を得ていたからであろうと、愚見ながら解釈します。
三昧とはなにか?ここらは完全に私見の範疇になってしまっていますが、善導大師はおそらくは実際に存命中に浄土へ自由に旅することができたかもしれない、と思えば合点がゆきませんか?
そこに至って、大師はさとしくんの発した素朴ながら根源的な疑問を初めて解決した、と解釈できないでしょうか?
そして、法然上人、親鸞聖人しかり、そうは思いませんか?
百聞は一見にしかず、といいます。
問題を棚上げするようであり、勝手な持論を展開してまことに恐縮でありますが、観無量寿経蔬、選択往生念仏集その他じっくり読んでみますと、そのようにしか解釈できないのが知恵の足りない自分であります。
これはかねてから内心、思っていたことであり、このような率直に意見交換できる場所で聞いてみたいと思っていたことです。
ご意見、ご批判を受ける覚悟で書きこみました。
>南无阿彌陀佛
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[ 914 ] Re10:教えて下さい。
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2008/11/16 (Sun) 02:16
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初めて書き込みをさせて貰います、極道坊主といいます。 かなり、以前の書き込みではありますが、感じる所が有りましたので一言、二言参加させて下さい。
さとしくんへのお答えにはならんと感じますが、自分は子供達には次の様に言っています。
『パパはな、パパを救ってくれるんは阿弥陀さんしか居らんと信じとるし、佛さんの願いはパパの方に向いとる。』 『その願いが、パパの中に飛び込んで下さって居るんじゃから、此処に居なさるんで。』 『姿、形は見えとりゃぁせんけどの、腹に座って下さって居るんよ。』 と、中年太りの腹を太鼓のように叩きながら話しています。 しかも、かなり自信を持った言い回しで。
また、5歳になる坊主が『何で僕は居るん?』といったとってもアバウトな質問をぶつけて来た時、一瞬面食らいましたが 『そりゃぁのぉ〜、詳しく佛さんの話を聞くためじゃぁ。 での、死ぬる時に良かったって感じながら死ぬ為で。』なんて、ツルっと答えてしまった記憶があります。 5歳の子供には通じて行ったかは定かではありません。 多分に無理が有ったとは思っていますが、当の本人は『ふぅ〜ぅん。』といってました。 通じて暮れたんかな?
滑稽な話でお笑いになられるかもですし、ホントは無理矢理なこじ付けかも知れませんが、子供達はそれを納得してくれています。 自分も、師からその様に教わっていましたし、それを『ほんまじゃぁ。』と感じていましたから何の飾りも無くそう答えていました。
実際は佛の存在を証明は出来ませんし、証明が出来ませんから嘘になるのかもしれません。
しかし、私自身がそれに『救うてもろうた。』と、いう実感を味合わせてもろうて居りますので、子供に対して嘘を伝えて居るとも思いません。 科学万能、学問優先の風潮のある御時勢ですから人々の思考が「仮定と証明」、「分析と結論付け」の様な学問的で学術的な、理解と解釈で知識として修め取ろうとしているように感じさせられてなりません。
佛教は信仰でありますから、『「阿弥陀さんは居って下さるんよ。私の為に。」と説明しても構わないのでは。』と思わされるのですが如何でしょうか?
自分は勉強をしていませんので、文献を紐解いてどこにどの様なことが書かれているのか、また裏付けと成る物がどこにあるのか一向にわかりません。 ですが、自分の子供達には信仰の味わいを自信を持って勧めることが出来ます。
未熟の上、学歴も有りません故、論理的な議論には参加することが出来ません。 また、皆様には色々と質問、御鞭撻を賜る事と思いますが是をご縁によろしくお願い申し上げます。
合掌
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[ 916 ] Re11:教えて下さい。
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2008/11/17 (Mon) 16:21
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さとし様
今の世にあって このような質問があることを頼もしく思いました。
おじさんも、この年になっても ふと貴方のような事を思い浮かべるのですよ。
「風」と言う歌を知っていますか。
♪ 誰が風を見たでしょう 僕もあなたも見やしない けれど木の葉をふるわせて
風は通り過ぎてゆく。
今、見えなくても ほのかに かすかに感じられるものがあるようですね。
あなたがいるから このような問いが生まれ このおじさんが応答させてもらった のです。 思えば本当に不思議なことです。
すぐに答えが分からなくても この疑問を大切にしてくださいね。
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[ 917 ] Re12:教えて下さい。
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2008/11/17 (Mon) 18:33
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皆さん色々とお返事ありがとうございます。 息子に返事が来るたびに読んであげてます。 何か返事を書いたらと言いましたが、息子はいいと言って書く気が無いようです。 きっと、自分の中では、考えていることだと思います。 先日も、南無阿弥陀仏を一回称えると、お経を何回言った事になるの? と質問してきました。 心の中には、阿弥陀様が住んでいる証拠だと思っています。 皆様には、こんな子供の質問に真剣に答えてくださっている事に感謝いたします。
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[ 943 ] Re13:教えて下さい。
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2008/12/04 (Thu) 00:38
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愚尼様
極道坊主と申します。
大変遅くなりましたが、さとしくんの御質問
>南無阿弥陀仏を一回称えると、お経を何回言った事になるの?
の答えになるかはわかりませんが、かなり前に聞かせて貰った、法然上人の御法語の内容が見つかりました。
参考になるかと思いますのでちょっと書き込みさせて下さい。
其の中にはこの様に書いて有ります。
阿含経を以って南の一字を造り、華厳経を以って無の一字を造る。
大般若経六百巻を以って阿の字を造り給う。
天台六十巻、梵網経四十八巻を以って弥の一字を造り、大般若法華経一部八の巻二十八品を以って陀佛の二字を造り給う。
故に、南無阿弥陀佛と称えれば八万の諸々の経を読み奉るも同然なり。
抜き出して、今の言葉に近いものに直して有りますが、この様に書いてありました。
南無阿弥陀佛、声に出しても3秒とかからないのにこんなに沢山のお経を読むのより、まだより多い数のお経を読んだのと同じなんだって。
佛様のお力は、自分達の想像を遥かに超えています。
其の佛様が、観ていて下さるんですよね。 合掌
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[ 946 ] Re14:教えて下さい。
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2008/12/05 (Fri) 21:01
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初めまして。極道坊主様。
> >其の中にはこの様に書いて有ります。 > >阿含経を以って南の一字を造り、華厳経を以って無の一字を造る。 > >大般若経六百巻を以って阿の字を造り給う。 > >天台六十巻、梵網経四十八巻を以って弥の一字を造り、大般若法華経一部八の巻二十八品を以って陀佛の二字を造り給う。 > >故に、南無阿弥陀佛と称えれば八万の諸々の経を読み奉るも同然なり。 > >抜き出して、今の言葉に近いものに直して有りますが、この様に書いてありました。 > >南無阿弥陀佛、声に出しても3秒とかからないのにこんなに沢山のお経を読むのより、まだより多い数のお経を読んだのと同じなんだって。 > >佛様のお力は、自分達の想像を遥かに超えています。 > >其の佛様が、観ていて下さるんですよね。
同じ事を、本を見せながら教えてあげました。 南の文字には・・・無の文字には・・・お経がこんだけ詰まっていて、仏様も数えられない程お籠もりになって・・・と読んで聞かせながら説明してあげました。 本人は、ビックリしながら、すごいことだと感心していました。 やはり、子供達は、素直な分、真っ直ぐに阿弥陀様のお心が分かっているように感じます。親の私の方がしっかりしなきゃと身を引き締める思いです。 お陰様で、弥陀に育てられて居るせいか、心がとても清らかに感じます。 年相応に合った言葉で、私の知っている事を繋いでいけたらと思っています。 阿弥陀様の御心は、充分感じているようです。 安心して子育てもさせていただけています。 阿弥陀様は、本当に居るんですか? の質問ですが、本人は、私に色々な方便で説明されていたので、居ると信じていましたが、きっと、皆どんな答えをしてくるんだろうと云う意図があったと思います。 「風って眼に見えないけれど、葉っぱを揺らしたり、体に吹き抜けるけれど、風って眼に見えないよね。」 って言ったら、 「阿弥陀様と同じだね。だって阿弥陀様も眼に見る事が出来ないけれど、居るって分かるんだから。」 心から、信じている心を大切にしていきたいと思います。 愚尼
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[ 1184 ] Re15:教えて下さい。
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2009/03/25 (Wed) 09:54
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皆さん、お久しぶりです。
お母さんが、お風呂で南無阿弥陀仏のお風呂に入って心のあかを落とそうと言いました。 何回言ったらきれいになるのと聞いたら困ってしまいました。 じゃあ掲示板で聞いてみたらって言われたので、聞いてみました。 それと、弟が阿弥陀様の誕生日っていつと言われたけど、僕もお母さんも分からないです。 あと、このあいだ散歩でお寺に行ったとき、おしゃか様のねはん像があって、足の裏にもようが書いてありました。お母さんは、意味があるけどよくわからないと言ってました。 魚の絵とか、太陽のもようとか書いてありました。 よろしくおねがいします。
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[ 1185 ] Re5:改めて思う事。
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2009/03/25 (Wed) 10:40
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さとしくんへ
はじめまして、極道坊主というおじさんです。
御念佛「なむあみだぶつ」のお風呂ってなんかいいですね!
「なむあみだぶつ」はお風呂であり、湯船であり、シャンプーであり、石鹸であると私は思います。
さとしくんは、何回言ったらきれいになるの?てお聞きになったみたいですが、お風呂って今日入ったら明日からは入らなくても良いってもんではないですよね?
どれだけ念入りに洗ったとしても、次の日にはお風呂入りませんか?
調子が悪くてお風呂に入れないっていっても一月も入らないって事はないでしょう!
娑婆という世界を自由に遊んでいると毎日のように「煩悩」とか「業」とかの汚れが付いてくると思います。
何もしなくても汗なんかで汚れるのと一緒です。
野球とかサッカー等のスポーツをすれば尚更に汚れます。
そうしたらヤッパリお風呂に入りますよね。
そう、命の尽きるその時までお風呂には縁があると思いますよ。
心の垢は、其の都度その都度「なむあみだぶつ」のお風呂で落とせば良いと思います。
お風呂は「今日は調子が悪いから入らんといて。」なんて一言も言いませんよね。
御念佛も一緒だと思います。
汚れのひどい時は念入りに洗ってください。ゴシゴシ、ゴシゴシ!そのこする回数が御念佛の回数でしょうし、お風呂に入る回数が「なむあみだぶつ」の回数だと思います。
よそのお風呂よりとっても気持ちが良く、とっても綺麗になるお風呂なんですよ。
おじさんのいちおし。超オススメのお風呂間違いなしです。
良く温まってください。
阿弥陀さまの誕生日の件は、後日ご縁が有るようでしたら書かせて貰います。
こんな説明でよかったでしょうか?
合掌
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[ 1226 ] 質問です。
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2009/04/03 (Fri) 22:13
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極道坊主様、御返事ありがとうございました。
僕には、疑問に思っていること、不思議に思っていることがあります。 その一つを聞いてください。
もし分かったら分かりやすく教えてください。 阿弥陀様は、今何歳なのでしょうか、また、何代目なのでしょうか。
分かることでいいのでおしえてください。
さとしより
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●re.18
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