親鸞会について

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●No.6
今日子
非公開の女性
[ 40 ] 雑行・雑修・自力の心をふりすてて 2007/12/13 (Thu) 09:12 △up ▽down
毎日様

早速お伺いします。

このお言葉を、親鸞会の教学講義で、ずっと続けられてきたそうです。
私は、そこで聞く資格は有りませんので、
コピーしたものを頂いたことがありますが、よく分りません。
出席した人に聞いても分らないと聞きました。

ここでじっくり教えて欲しいと思います。
それぞれ、分けて下さると助かります。

●re.1 admin 
毎日
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[ 41 ] Re1:雑行・雑修・自力の心をふりすてて 2007/12/13 (Thu) 16:13 △up ▽down
今日子 様

この内容は、親鸞会様についてというよりも、浄土真宗の教義に関することだと思いますが、こちらにて、思うところをお書き致します。

真宗の教えにとって、肝要なところをご質問くださいましたことに、深く感謝申し上げたいと思います。

まず、解題から致します。

これは、蓮師の「領解文」「改悔文」の冒頭部分ですが、「文」は文章のことですからわかると思います。

ですけれども、せっかくの「じっくり」「分けて」とのお尋ねですから、もう少し細かいところまで、書いてみようと思います。

「領解」の「領」は、うなずく、わかる、という意味です。そして、「うなずく」というのは、首を上下させますね。ここが大切なところです。漢和字典を引いてみてください。

「解」は、バラバラにする、ほぐす、わかる、という意味です。

「文」は、外側をきれいにする、という意味です。これも、よければ字典を引いてみてください。

つまり、「首を上下させて、バラバラにし、外側をきれいにする」ということになります。

おわかりいただけますか? わからなくて構いません。狂人のたわごとと取っていただいても結構です。(実際、親鸞聖人の文章は、そのような評価もされております。)

もともと、凡夫が仏になるなどと、わけのわからぬことを言うのが真宗ですから、何を言われても、仕方がありません。

ここまでお読みいただけると分かると思いますが、「解題」の「解」とは、「題」をバラバラにして、詳しく説明して行く、ということです。

そして、ここまで、世間に遠慮して書くならば、「(真宗の内容を)うなずいて、わかった内容を語る文章」となります。

「首を上下させてよくわかって、南無阿弥陀仏の内容を細かくバラバラにして解き明かしたものを、外側をきれいに、整った文章にまとめたもの」ということです。

「文」には、このような謂れがありますので、「文になっていない」(外側が整えられていない)という表現があるわけでございます。

続きはまた書きます。

南无阿彌陀佛

●re.2 admin 
毎日
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[ 42 ] Re2:雑行・雑修・自力の心をふりすてて 2007/12/13 (Thu) 23:35 △up ▽down
今日子 様

「改悔文」の解題に進みます。

「改悔」というのは、生涯ただ一度の回心を指しておりまして、これは、別の言い方をすれば、「二種深信」であります。

「改」が、法の深信、「悔」が、機の深信なのですが、わかりにくいと思います。

そこで、いま少し詳しく述べてみます。

「改」は、新しくする、という意味です。

「悔」は、暗い気持ち、という意味です。これも、よければ字典を引いてみてください。解説するならば、心の深い深いところにある、罪の意識の事です。根源の無明とも呼ばれます。

文法的なことを述べるならば、「悔」は、「改」の目的語になります。

「暗い気持ちを、新しくして、外側をきれいにする」ということです。

読み下すならば、「悔いを改め、文(かざ)る」となります。

一方、「領解文」を読み下すならば、「領(りょう)し、解(と)き、文(かざ)る」です。

ここまでをまとめると、「領解文」は行の側面から、「改悔文」は、信の側面からの題になります。

どちらも、弥陀の視点から書いております。

この業(領解改悔文)ができるのは、弥陀だけです。

したがって、諸佛が讃嘆咨嗟しているのです。

このように読んでゆきますと、穏顕で機法を表していることも、わかって参ります。

ここからはじまる本文は、この題をさらに詳しく述べたものになります。

それにしても、「じっくり」書いてゆくと、なかなか時間がかかりますね。これでも省略して書いているのですが、ご質問の最後に至るまで、まだまだ時間がかかりそうです。

南无阿彌陀佛

●re.3
今日子
非公開の女性
[ 43 ] Re3:雑行・雑修・自力の心をふりすてて 2007/12/14 (Fri) 03:54 △up ▽down
毎日様

>それにしても、「じっくり」書いてゆくと、なかなか時間がかかりますね。これでも省略して書いているのですが、ご質問の最後に至るまで、まだまだ時間がかかりそうです。
>

私は、どれだけの時間でも、お待ちします。
ゆっくりと、毎日様のお時間取れた時、書き込んで下さるだけで、感謝します。

先輩にお聞きしましたが、親鸞会の比ではなさそうです。
随分、時間を取って話しを聞いていたそうですが、それでも、納得したかといえば、してないとのご返事でした。

だから、私は、毎日様が書いて下さっている事を、先輩に示せば、後は先輩も読んでくれると思います。

ゆっくりとで構いませんので、続けて宜しくお願いします。

●re.4 admin 
毎日
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[ 44 ] Re4:雑行・雑修・自力の心をふりすてて 2007/12/14 (Fri) 04:04 △up ▽down
今日子 様

優しいお言葉、ありがとうございます。

非力な私です。先輩の心に響くかはわかりません。

それでも、親鸞聖人の懇切丁寧な文章を思い起こしながら、真剣に求めていて、わかりたい方の助けになるように、弥陀にも御願いしながら、書いて行きたいと思います。

このようにご質問いただけると、沙汰になりますので、私がひとりで勝手に書いて行くのとは、全く別のものになるのです。

これは、そこに実際に、利他の要素が入るからで、これは私ひとりの力では、できません。

ですから、ご質問くださることに、心より、感謝致します。

本当に、少しずつですが、ご質問の部分につきまして、一文字残らず、ご説明致します。

ご先輩の感想がいただけたら、ぜひ教えてください。

●re.5 admin 
毎日
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[ 45 ] Re5:雑行・雑修・自力の心をふりすてて 2007/12/16 (Sun) 22:00 △up ▽down
今日子 様

「もろもろの雑行・雑修・自力のこころをふりすてて」にすすみます。

ここは、廃立と一念帰命を表しております。

全体の構成としては、

「もろもろの雑行」→「雑修」→「自力のこころをふりすて」→「て」

とお読みください。

では、まず「雑行」の説明から致します。

南无阿彌陀佛

●re.6 admin 
毎日
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[ 46 ] 自力と他力の水際 2007/12/19 (Wed) 02:59 △up ▽down
今日子 様

雑行の前に、「自力と他力の水際」を明確に示します。

縦線で示します。

もろもろの雑行・雑修 | 自力のこころをふりすて

線の左側が自力、右側が他力です。

線の右側が専修念仏であり、真宗念仏です。

あくまでも、「自力のこころをふりすて」の部分は、他力です。

ここを自力で行おうとするために、できぬことをやろうとするために、実に多くの方が苦しんでおられます。

六字の謂れを聞き開き、その方法を教わらなければなりません。自分でやろうとして、できることであれば、弥陀は要らないのです。

そのような方は、禅宗でも覚れるではありませんか。

あくまでも、凡夫お目当ての真宗です。

南无阿彌陀佛

●re.7 admin 
毎日
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[ 47 ] Re1:自力と他力の水際 2007/12/19 (Wed) 03:14 △up ▽down
今日子 様

厳密には、「自力のこころをふりすて」の途中で他力になりますが、わかりにくくなりますので、先程は単純に明快に説明致しました。

先程の説明で実際上は問題ありませんけれども、補足致します。

あくまでも、補足です。かえってわかりにくくなるようでしたら、無視してくださって構いません。

「自力をふりすてるのは、他力なのだから、その方法も、善知識様から教わるものである」と思っておいてくださることが、とても大切です。それを自分でやろうとしたら、確実に苦しまれます。

そして、本当の善知識様であれば、その方法を教えてくださり、確かに凡夫がいとも簡単に、自力の心を捨てるのです。

ですから、その方法を教えてくださるようでいて、実行が難しい方法であり、なかなか自力の心を捨てることができないのだとすれば、その教えは、まったくもって偽物です。

易行と言ったら、易行なのです。

では、補足致します。

「ふりすて」というのは、手にねばねばした液体がまとわりついたら、どうやって振り捨てますか。

手首のスナップを効かせて、なんとかまとわりついたものを、飛ばそうとするでしょう。

これが、「振って」「捨てる」ということです。

そのように、自力の心を、自らから引き離そうとすることを言うのです。

そして、手からねばねばした液体が離れた瞬間、自力の心が離れた瞬間が他力になりますので、厳密には、途中から他力に移行すると言えるわけです。

南无阿彌陀佛

●re.8 admin 
毎日
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[ 48 ] Re2:自力と他力の水際 2007/12/19 (Wed) 03:13 △up ▽down
今日子 様

ご和讃です。

◎こころはひとつにあらねども 雑行・雑修これにたり
 浄土の行にあらぬをば ひとへに雑行となづけたり

「雑行・雑修」は似ているのですから、実用上は、その区別についてきちんと考える必要もありません。

要は、「廃立」の「廃」に属するのですから、「専修とは何か」さえわかればよいのです。

もちろん、「浄土の行」とは、真実行であり、専修念仏であり、真宗念仏であり、真の禅門であり、非行の行であり、一念帰命です。

それこそが六字の謂れでありますから、次第相承の善知識に遭い奉り、宿善開発致しまして、聞き開くとき至るまで、知る事叶いません。

南无阿彌陀佛

●re.9
今日子
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[ 49 ] 専修とは何か? 2007/12/19 (Wed) 05:58 △up ▽down
毎日様

今、泥凡夫様の書込みを読ませて頂きました。

そして、毎日様からも懇切丁寧なお答え頂き、真実信心を頂いている方々は、本当に一人の人にでも、どうしても、分ってもらいたいとのお気持が、私にも伝わってきますので、とても感謝しています。


>要は、「廃立」の「廃」に属するのですから、「専修とは何か」さえわかればよいのです。
>
>もちろん、「浄土の行」とは、真実行であり、専修念仏であり、真宗念仏であり、真の禅門であり、非行の行であり、一念帰命です。
>
>それこそが六字の謂れでありますから、次第相承の善知識に遭い奉り、宿善開発致しまして、聞き開くとき至るまで、知る事叶いません。

済みません。
専修とはそもそも何ですか?
もっぱら、おさめると理解すればいいのですか?

泥凡夫様にもお尋ねしたのですが、

まず次第相承の善知識様にお会いして、「南無阿弥陀仏」を教えて頂かないかぎり、絶対信心決定は出来ないということなのだとは何となく理解出来てきました。

でも、非行の行も、まだよく理解出来ません。

本当に、簡単に救われる筈の教えなのに、どうしてすんなり理解出来ないのでしょうか?

これも、自力で計らっているからですか?

●re.10 admin 
毎日
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[ 50 ] Re1:専修とは何か? 2007/12/19 (Wed) 11:25 △up ▽down
今日子 様

「専修」とは、「一心に申す」と理解すれば良いのです。

ただ、これだけの説明では、おそらくわかりにくいと思います。

これから、雑行・雑修についても説明して参ります。

南无阿彌陀佛

●re.11 admin 
毎日
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[ 51 ] Re2:専修とは何か? 2007/12/19 (Wed) 11:33 △up ▽down
今日子 様

補足です。これもわかりにくければ、無視してください。

おいおい、自障障他についても、別にツリーを立てて、詳しく説明して参ります。

まず、こちらにおいては、「もろもろの雑行」について、説明してゆく予定です。

以下、補足です。

「専修」と言っても、もちろん「真実の専修」でなくてはならず、
「専修にて雑心」すなわち、「一向専念無量寿佛」のつもりで、その実「一心」になっていない方の場合、
自障障他のはたらきを致します。

ご本人がどんなに善意のつもりでも、自障障他のはたらきを致します。

これはなぜかというと、「一心」ではないのに、「一向」であろうとがんばっているからです。

この「一向であろうとするがんばり」が、自障障他のもとになります。

ですので、「一向宗」という言い方ですと、自力で一向になろうと努力しがちですので、基本的には用いません。

私から見れば、(歴史用語としての意味ではなく)「一向宗」になってしまっている方が、たくさんいらっしゃいます。

違います。一向であろうとするのではなく、真実であろうとしてください。

真実を、探してください。

「真宗」というのは、本当の教えを聞き開かねばならないのです。

「一向」であれば、できそうですが、「真」であれば、凡夫には無理そうでしょう?

それを可能にするのが、善知識様との出会いです。ですから、恩を感じるのです。

南无阿彌陀佛

●re.12 admin 
毎日
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[ 54 ] Re3:専修とは何か? 2007/12/27 (Thu) 23:58 △up ▽down
今日子 様

お返事遅くなってしまい、申し訳ございません。

引用中心で書こうとすると、どうも難しくなってしまいますし、
どのようなことをお書きすれば良いのか、今考えているところです。

ここまでの説明で、やめてしまったわけではありません。

南无阿彌陀佛

●re.13
菩提心
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[ 55 ] 綺語はやめます。 2008/01/08 (Tue) 21:43 △up ▽down
(削除しました)
●re.14 admin 
毎日
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[ 56 ] Re1:綺語はやめます。 2007/12/28 (Fri) 06:23 △up ▽down
菩提心 様

もちろん、親鸞会様を経験されることが、恥であるはずがありません。

すべての経験には意味があると、私は考えています。

あるいは、凡夫は恥を書いてばかり、と言うこともできます。

私の人生も、恥ずかしいことばかりです。

そして、そんな凡夫を、弥陀は救い摂ってくださいました。

本当に、易行でしたし、機は問われませんでした。ですから、心から、感謝しています。

少しずつ、解釈して参ります。ひと通りまとまりましたら、記事にして、アップしようと思います。

菩提心様の文章は、いつも感動的です。ありがとうございます。

南无阿彌陀佛

●re.15 admin 
毎日
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[ 74 ] Re2:綺語はやめます。 2008/03/04 (Tue) 03:18 △up ▽down
化身土巻より。

◎安養浄刹にして入聖証果するを「浄土門」と名づく、「易行道」と云えり。この門の中について、横出・横超、仮・真、漸・頓、助・正・雑行、雑修・専修あるなり。「正」とは五種の正行なり。「助」とは名号を除きて已外の五種これなり。「雑行」とは正助を除きて已外をことごとく雑行と名づく。これすなわち横出・漸教、定散・三福、三輩・九品、自力仮門なり。「横超」とは、本願を憶念して自力の心を離るる、これを「横超他力」と名づくるなり。これすなわち専の中の専、頓の中の頓、真の中の真、乗の中の一乗なり、これすなわち真宗なり。すでに「真実行」の中に顕し畢りぬ。

◎それ雑行・雑修、その言一つにしてその意これ異なり。「雑」の言において、万行を摂入す。五正行に対して、五種の雑行あり。「雑」の言は、人天・菩薩等の解行雑せるがゆえに「雑」と曰えり。本より往生の因種にあらず、回心回向の善なり、かるがゆえに「浄土の雑行」と曰うなり。また「雑行」について、専行あり専心あり、また雑行あり雑心あり。「専行」とは、専ら一善を修す、かるがゆえに「専行」と曰う。「専心」とは、回向を専らにするがゆえに「専心」と曰えり。「雑行・雑心」とは、諸善兼行するがゆえに「雑行」と曰う、定散心雑するがゆえに「雑心」と曰うなり。

◎また「正・助」について、専修あり雑修あり。この雑修について、専心あり雑心あり。「専修」について二種あり、一つにはただ仏名を称す、二つには五専あり。この「行業」について専心あり雑心あり。「五専」とは、一つには専礼、二つには専読、三つには専観、四つには専名、五つには専讃嘆なり、これを「五つの専修」と名づく。専修その言一つにして、その意これ異なり。すなわちこれ「定専修」なり、また「散専修」なり。「専心」とは、五正行を専らにして二心なきがゆえに、専心と曰う。すなわちこれ定専心なり、またこれ散専心なり。「雑修」とは、助正兼行するがゆえに雑修と曰う。「雑心」とは、定散の心雑するがゆえに雑心と曰うなり。知るべし。



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