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[ 21 ] どうして尋ねないのでしょう
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2007/12/04 (Tue) 05:51
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被害家族の会で、信心決定したいと、尋ねていた皆様や、ジャンヌ掲示板で、尋ねていた皆様は、 どうして、一回や、ニ回で、尋ねるのをお止めになるのでしょう。
教行信証 信の巻
光明師(善導【般舟讃】の云く、唯恨むらくは衆生疑ふまじきことを疑ふことを、浄土対面して相忤(あいたが)はず、弥陀の攝と不攝とを論ずること莫(なか)れ、意(こころ)専心にして廻すると廻せざると在(あ)り 乃至 或は(いわ)く、今従(きょうよ)り佛果に至るまで、長劫に佛を讃じて慈恩を報ぜん、弥陀の弘誓の力を蒙らずば、何の時、何れの劫にか娑婆を出でん 乃至 何か今日、寶国に至ることを期せん、実に是れ娑婆本師の力なり、若し本知識の勧(すすめ)に非ずば、弥陀の浄土如何入らん、と
又【往生礼讃】云く、佛世甚(はなは)だ値ひ難く、人信慧有ること難し、偶(たまたま)希有の法を聞くこと、斯(こ)れ復最も難しと為す、自ら信じ人を教へて信ぜしむ、難きが中にうたた更に難し、大悲普く化すること、真に佛恩を報ずることを成ず、と。
毎日様も僕も一味同行です。
毎日様の信心も、僕の信心も、全く変わらないということです。
被害家族の中で、僕に質問して下さった皆様。
僕は、毎日様のように智恵が有りません。
しかし、ここには往相の人がいます。
是非、質問して、疑いを晴らして頂きたいと思います。
僕達からは、無理して引っ張るものではないと思います。
しかし、僕は、毎日様の、それでも分って欲しい、助かって欲しいの御心に、気がついて、この掲示板に尋ねて下さる方が現れる時まで、お邪魔したいと思います。
僕は、毎日様の、御心に礼拝する気持でおります。
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●re.1
admin |
毎日 |
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[ 22 ] Re1:どうして尋ねないのでしょう
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2007/12/04 (Tue) 06:43
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おやおや 様
凡夫には、本願疑う心がありますから、致し方ないのです。
時期が来れば、強烈に求め出します。
法に頭の下がる方でなければ、どうしようもないのですから、無理強いのしようもありません。
私も、今生まで、どれだけ疑ってきたことでしょう。
過去生にても、「(凡夫が易行で救われることなど)そんなこと、あるはずがないじゃないか」と鼻で笑うような私だったと思います。
「何を夢見ているんだ」「どこまで欲深いのだろう」「なぜ、それが自らの欲だと気付かないのだろう」と、自分は菩提心を起こしているつもりで、菩提を得ている方の存在に思いが至らなかったのです。
真実信心を真剣に求めるような方は、ここにご縁があるかもわかりませんし、他にご縁があるかもわかりませんが、いずれにしても、必ずご縁が現れることになっているのですから、心配要らないのです。
真剣そうに見えて、真剣でない方もいれば、真剣でないように見えて、真剣な方もいます。
ここにご縁のある方は、なぜか、この場所に導かれることでしょう。もうそれは、過去生の種まきで、決まっていることです。
還相の方は、救いたい方を定めてから還ってきていますから。それで、いろいろとご計画されているのです。
ですから、ここにご縁のある方は、なぜか、ここには真実の信心があると、感じることができるのです。
無理して説得するのが良くないのは、宿善は、どうにもならないからですし、ご縁のない方に、ご縁があると錯覚させては良くないからです。
探している方の助けになるように、そして、弥陀の手足として働かせていただけるように、願うことだと思います。
弥陀に救われたわけですから、弥陀のために働きたいと、私は思っているのです。
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●re.2
admin |
毎日 |
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[ 23 ] ひとり歩む道、はじめから、ふたり、待っている道
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2007/12/04 (Tue) 07:16
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おやおや 様
私は、こうしておやおや様が書き込んでくださることを、本当にうれしいと思っています。
誰も書き込んでくれなくても、コンテンツを少しずつ増やし、リンクサイトも増やし、と一歩一歩あゆんでゆけば、その姿を見て、集まる人も出てきます。ちょこっと、通り過ぎるだけの方も、たくさんいるでしょう。
そして、なぜか、集う方々。その方々が、ご縁のある方々です。
そして、一度は集っても、またそのご縁が切れますと、離れて行く方が出ます。
集うのも、離れるのも、はからっても仕方がないことです。
ひとり歩む道を、きちんとひとりで歩みますと、ひとりでは無くなることが多いのですけれども、もともとひとりなのですから、ひとりでも良いのです。
しかし、この道の場合は、お手引きしてくださる方もいますし、善知識様もいらっしゃいますから、はじめから、ひとりということはありません。
それがわかると、法の友がいるありがたさも感じられて、とてもしあわせな気持ちになれます。
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[ 24 ] Re1:ひとり歩む道、はじめから、ふたり、待っている道
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2007/12/04 (Tue) 10:17
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毎日様
僕も、紆余曲折しながら、ようやくここまで辿り着けました。
ジャンヌ掲示板の泥凡夫様の「割符が合う」を支えに、やって来れました。
僕は、どうしても「御文」と、僕の信心が合わないと思い、再度探す道を選びました。
これこそ、ひとりしのぎだと思います。
とてもすばらしい方々と、御縁頂きましたが、僕は、僕の心の叫びに、従いたいと思いました。
僕が行く、後生なのです。
身体や口は納得していても、心は納得していませんでした。
しかし、今、御文を拝読させて頂き、又、毎日様からお話を聞かせていただきますと、泥凡夫様や愚尼様が、何度も勧めて下さいました「御文100回読みなさい」というお言葉こそ、誠に有り難いお言葉であったのだと思わずにおれません。
親鸞会では、教学など全然好きでは有りませんでした。
又、信心決定する要因でも有りません。
でも、僕は、先達様の残されてきた、御著書等拝読させて頂く幸せを、心より感謝させて頂いています。
そして、何れは、毎日様も、未来から見たら、そのような御著書を残されるお方だと思います。
>法の友がいるありがたさも感じられて、とてもしあわせな気持ちになれます。
僕も、毎日様とこの掲示板で御縁頂き、とてもしあわせです。
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●re.4
admin |
毎日 |
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[ 25 ] Re2:ひとり歩む道、はじめから、ふたり、待っている道
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2007/12/04 (Tue) 13:07
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おやおや 様
教学をがんばると、その内容を信じ込もうとしてしまう弊害があるのです。
ですから、あくまでも信心為先であって、信心を得てから、確認をしたい方は、教学を進めますと、それが小さな歩みでも、自らの体験から理解できますので、筋も良いですし、よろこびも開けてくると思います。
また、ご聖典遺してくださった方のお気持ちに、つくづく感謝できると思います。
理屈というのは、いくらでもこねくりまわすことができますから、素直な、素朴な気持ちで考えて、ご聖典と割符が合うかが大切であると思います。
そうは行っても、最後はひとりひとりの感覚になりますので、こればかりは、宿善の致すところです。
はじめからご聖典読まなくてもわかる方は、読まずして信をいただくでしょうし、読まないと納得できない方は、思い込みの弊害を避けつつ、読むことにより、導かれると思います。そこは、ひとりひとりの道です。
もし、正信いただいたと感じることができれば、本当に本当に、宿縁あったことをよろこべます。
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●re.5
admin |
毎日 |
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[ 26 ] 読みにくいご聖典を100回読む方なら
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2007/12/05 (Wed) 02:51
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「宿善があるかも」と期待できます。
多くの方が信じないであろう後生の話を一大事と感じ、何とか解決をつけたい方、そして、はるか昔に法蔵菩薩がご修行したと聞いて、「そんな方がいたとはありがたい」と思える方は、宿善があると期待できます。
もちろん、ご聖典読んでいるからと言って、宿善があるとは限らないのですが、どうしても救われたくて、でも何をして良いかわからないから、ご聖典を読んでいる方、そして、南無阿弥陀仏を唱えている方は、宿善があることが多いのではないかと思います。
「弥陀の方を向く」と言っても、何をしたら良いのかわからないので、ご聖典を読んだり、南無阿弥陀仏を唱えたりするのです。
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●re.6
admin |
毎日 |
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[ 27 ] Re1:読みにくいご聖典を100回読む方なら
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2007/12/05 (Wed) 03:16
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おやおや 様
>ジャンヌ掲示板の泥凡夫様の「割符が合う」を支えに、やって来れました。
泥凡夫様の「割符が合う」というお言葉は、私にとっても、とてもうれしいお言葉でした。
「割符が合う」のであれば、ご聖典は迷信ではない、文字通りの意味の書である、ということになりますから。
そして、今は、現に生きて働いていらっしゃる如来の救いにあずかり、満足心があります。
本当に、宿縁があって、よかったです。
私は小さい時から神様や天界に興味があって、ですけれども、まわりの方の反応を見ているうちに、あまりそういう話はしなくなってゆきました。(それでも、しない方に比べれば、はるかにしているとは思います。)
こうして、おやおや様とお話ししたり、また、お講でお話を聞いていますと、「輪廻」や「過去生の種まき」とか、当たり前のように話していたり、話しも通じる方々がいて、本当にうれしいです。
連綿と守られてきた法の存在に、心から感謝する次第です。
南无阿彌陀佛
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●re.7
admin |
毎日 |
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[ 28 ] Re2:読みにくいご聖典を100回読む方なら
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2007/12/05 (Wed) 03:18
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おやおや 様
>でも、僕は、先達様の残されてきた、御著書等拝読させて頂く幸せを、心より感謝させて頂いています。
私も、本当にそう思います。特に、七祖聖教などを読んでいますと、はるか昔から、この法は守られてきたのだと、そのありがたさに、感動します。
お経の通りであるとは言え、よくぞ絶えずに、伝わってきたと思います。
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[ 57 ] これからは、眺めるだけにします。
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2008/01/08 (Tue) 22:02
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>しかし、僕は、毎日様の、それでも分って欲しい、助かって欲しいの御心に、気がついて、この掲示板に尋ねて下さる方が現れる時まで、お邪魔したいと思います。
毎日様、
この掲示板に尋ねる方もお見えになりましたので、
これを最後にこの掲示板には書き込みしないことにしました。
これからは、毎日様の書込みを楽しみに眺めることにします。
(実は、パソコンの調子が悪くなったのも潮時だと思います。)
皆様の、真実信心の一日も早い御縁が頂けます様に、念じております。
毎日様、短い間でしたが、本当に有難うございました。
「自信教人信」様の書込み、中途で終ってしまいましたが、
でも、プリントアウトしたものは残っていますので、御縁ありました折には、お見せ出来ると思います。
陰ながら応援させて頂きます。
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●re.9
admin |
毎日 |
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[ 58 ] Re1:これからは、眺めるだけにします。
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2008/01/09 (Wed) 00:53
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菩提心 様
いつもありがとうございます。
これからも、いつでも、気が向きましたら、気楽に書き込んでいただけたらうれしいです。
思うことを表し、信心の沙汰をすることが奨励されているのが真宗ですから。
カッコつけたり、肩肘はったりしなくても、思うままを、ただ書くだけでも、信をいただいた方のお言葉には、尊い価値があります。
またいつでも、お待ちしております。
南无阿彌陀佛
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[ 63 ] 後生の一大事について
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2008/03/19 (Wed) 17:42
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毎日様
最近、このHPにたどりつきました。
救われた世界の存在を明らかに書かれており、
親鸞会と同じだと思い、驚きました。
そこで、質問なのですが、
親鸞会で、後生の一大事について、
因果の道理で、私達は善因善果、悪因悪果、自因自果で
悪業ばかりつくっているから、死ねば八万劫中大苦悩の
もっとも苦しみの激しい阿鼻地獄に堕在すると聞いたのですが、 (和讃?) やはり正しいのでしょうか。
確かに話は納得できるところはありますが、だからといって、財施を徹底したり、
破邪顕正を徹底して親鸞会の方針に従って実施すれば
必ず救われるものなのでしょうか。
どうも、疑いの心がでてしまいます。
後生の一大事とその解決の方法について教えて頂けないでしょうか。
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●re.11
admin |
毎日 |
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[ 64 ] Re1:後生の一大事について
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2008/02/28 (Thu) 01:20
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WS 様
書き込みくださり、ありがとうございます。
たしかに、多くの方が、地獄行きになるかもしれないとは思いますが、それを言ったところで、苦しむ方が増えるだけのような気が致します。
そして、救われるためには、財施や破邪顕正は、何の助けにもならないと思います。
助けになるのは、ただひとつ、弥陀をたのむことだけであると考えます。
それこそが、一向専念無量寿佛であることでしょう。
もし、疑問等ありましたら、どうか遠慮なく、お書き込みください。
南无阿彌陀佛
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●re.12
admin |
毎日 |
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[ 65 ] Re2:後生の一大事について
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2008/02/28 (Thu) 02:58
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WS 様
弥陀をたのむこと以外で、役に立つことであれば、
・まわりの方のしあわせを願う
ですとか、
・まわりの方のよろこびをよろこぶ
・まわりの方の苦しみを減らそうとする
・怒らない
のように、基本に返った実践を行えば、もちろん完全にはできませんが、行えた範囲において、生活は改善するだろうと思います。
財施をするなら、そのお金で、知り合いに、心のこもったプレゼントを買ってあげてください。あるいは、心のこもった歓待をしてあげてください。
破邪顕正するなら、相手の話をよく聞いて、その方のことのことを、その方の立場になって考えて、その方に役に立つお話をしてあげてください。
私がここに書いたことは、後生の解決には、至らないだろうと思います。しかし、人生が改善されると思います。
そして、後生を解決するには、弥陀をたのむことであると思います。
南无阿彌陀佛
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●re.13
admin |
毎日 |
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[ 66 ] Re3:後生の一大事について
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2008/02/29 (Fri) 04:05
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WS 様
財施についてですが、
◎ しかりといへども未安心の行者にいたりては、いかでか報恩謝徳の儀これあらんや。しかのごときの輩は、この砌において仏法の信・不信をあひたづねてこれを聴聞してまことの信心を決定すべくんば、真実真実、聖人(親鸞)報謝の懇志にあひかなふべきものなり(俗姓の御文)
蓮師には、このようなお示しもございます。
また、歎異抄にも、
◎いかに宝物を仏前にもなげ、師匠にも施すとも、信心かけなば、その詮なし。一紙・半銭も仏法の方に入れずとも、他力にこころをなげて信心ふかくは、それこそ願の本意にて候はめ(歎異抄18)
とございます。
南无阿彌陀佛
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[ 67 ] Re4:後生の一大事について
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2008/02/29 (Fri) 21:57
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毎日様
夜分に丁寧にお言葉を下さり、ありがとうございました。
お忙しい中、コメントくださり感謝しております。
すみませんが、教えていただいた言葉の意味について、
この親鸞聖人のお言葉は今まで
聞いた事がありませんでしたので、言葉の意味がわからないところがあります。
「仏法の信・不信をあひたづねてこれを聴聞して」と教えてくださっておりますが、
「信・不信」を「たづねる」は具体的に何をたずねるということでしょうか。
また後生を解決するには「弥陀をたのむ」ということと教えて頂きましたが、
「弥陀をたのむ」とはどういうことでしょうか。
言葉は、親鸞会でもきいたことがあります。
弥陀をあて力にするとか、雑行雑修自力の心を捨てて弥陀をたのめとか
聞いたことがありました。
しかし、未だによく分かりません。色々と周りの人に質問もしましたが、
なぜか、まったく分からないのです。
頭だけでもこのように思っているのですが、以下の理解は正しいのでしょうか。
根拠は知らないのですが、聞いた記憶だと、
・雑行は、後生の一大事を助かろうとして、阿弥陀仏以外の仏や菩薩や神に 仕える行為と聞きました。
・また雑行には、諸善万行、六度万行の意味もあると聞きました。 「これだけ善に努めているから後生の一大事、助かるだろう」と、修善をあて力にする心(これを自力の心)。このような自力の心でやっている諸善とききました。 但し、”善をやるな”ということでなく悪い心掛け(自力の心)を捨てよともききました。
・雑修は五正行(読誦、観察、礼拝、称名、讃嘆供養。おつとめのこと?) であり阿弥陀仏一仏に向かっての行為(正行)だからやらねば信功は進まないが、心掛けが悪いから、雑修と嫌われ捨てよといわれると聞きました。(五正行をやるなではなく、悪い心掛けをすてよと聞きました。)
・自力の心は、身口意の三業を良くして後生の一大事、助かろうとする心と聞きました。 自力のある間は他力には絶対に入れないが、他力に入ったら自力は一切なくなる(一念で廃り 他力に入る)とききました。
このような質問ですみませんが、
よろしくお願いします。
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●re.15
admin |
毎日 |
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[ 68 ] Re5:後生の一大事について
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2008/02/29 (Fri) 22:35
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WS 様
私は彌陀に救われまして、まだ今生の時間も残っているようですが、もはや自分が救われました現在思いますことは、ひとりでも多くの方が、彌陀に救われて欲しいということです。
遠慮は、全く要りません。
>この親鸞聖人のお言葉は今まで聞いた事がありませんでしたので、 >言葉の意味がわからないところがあります。 >「仏法の信・不信をあひたづねてこれを聴聞して」と教えてくださっておりますが、 >「信・不信」を「たづねる」は具体的に何をたずねるということでしょうか。
「俗姓の御文」は、(親鸞聖人ではなくて)蓮如聖人のお示しでございます。
「仏法の信・不信をあひたづね」のような意味の内容は、蓮師の御文様にも、繰り返し登場して参ります。
まずは、ぜひ、御文五帖八十通を、とりあえず3回通読してみてください。インターネットから、無料にてダウンロードすることもできます。
「信・不信」を「たづねる」とは、文字通りの意味です。
信心獲ているとは、どういうことなのか。信心獲ていないとは、どういうことなのか。尋ねて(質問して)ゆくのです。
これにより、必ず南無阿弥陀仏に導かれまして、獲信することができるのです。
しかも、「尋ねる」とは、面と向かって尋ねてゆくのです。
ことばだけでは伝わらない「何か」が互いにやり取りされますので、そのようにして、獲信者を探してゆきます。
>「弥陀をたのむ」とはどういうことでしょうか
言葉上の言い換えであれば、いろいろ言うことができます。
「彌陀におまかせする」「彌陀に全託する」「彌陀に帰命する」・・・
しかし、そのような言い換えを聞いたところで、獲信できますでしょうか?
「弥陀をたのむ」方法は、善知識が相承してきておりますので、善知識に聞く他はありません。
通常の「言い換え」の法話を聞きまして、興味を持たれた方は、尋ね歩き、獲信者を探し、「弥陀をたのむ」とは何か、「六字のいわれ」とは何かを教えていただくのです。
ただし、獲信者は、「六字のいわれ」そのものは、教えてくださいません。
「六字のいわれ」を教えてくださるのは、次第相承の善知識です。
獲信者にお会いして、思う所をお伝えし、お互いに、先に進みたいということになりましたならば、善知識をご紹介くださることと思います。
>しかし、未だによく分かりません。色々と周りの人に質問もしましたが、 >なぜか、まったく分からないのです。
これは、わからないのが当たり前で、獲信者にお会いし、次第相承の善知識から六字のいわれを聞き開くまでは、わかりません。
>・雑行は、後生の一大事を助かろうとして、阿弥陀仏以外の仏や菩薩や神に >仕える行為と聞きました。 > >・また雑行には、諸善万行、六度万行の意味もあると聞きました。 >「これだけ善に努めているから後生の一大事、助かるだろう」と、修善をあて力にする心(これを自力の心)。このような自力の心でやっている諸善とききました。 >但し、”善をやるな”ということでなく悪い心掛け(自力の心)を捨てよともききました。 > >・雑修は五正行(読誦、観察、礼拝、称名、讃嘆供養。おつとめのこと?) >であり阿弥陀仏一仏に向かっての行為(正行)だからやらねば信功は進まないが、心掛けが悪いから、雑修と嫌われ捨てよといわれると聞きました。(五正行をやるなではなく、悪い心掛けをすてよと聞きました。) > >・自力の心は、身口意の三業を良くして後生の一大事、助かろうとする心と聞きました。 >自力のある間は他力には絶対に入れないが、他力に入ったら自力は一切なくなる(一念で廃り >他力に入る)とききました。
これらは、大体正しいです。
五正行についての理解は、おかしいところもあると思います。
しかし、そのような教義上の細かい理解よりも優先されることは、もし、WS様が獲信を望まれるならばですが、獲信者を探すことです。
実際上のアドバイスとしては、「(善知識ではなく)獲信者を探す」ということになると思います。
また遠慮なく、ご質問ください。
南无阿彌陀佛
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[ 69 ] Re6:後生の一大事について
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2008/03/01 (Sat) 01:30
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毎日様
どうも有難うございました。
御文章ですが、そばに置いて、繰り返し拝読したいと思います。 (とはいっても親鸞会発行のものしか持ってなかったです。 法蔵館の真宗聖典もありますが。)
なお直接、獲信者に質問するということですが、
周りにそう簡単に獲信者がいてあえるとはとても思えないです。
(実際にはきいたことありませんが、私の勝手な計らいですが、 親鸞会には少なくともそんな人いるような気がしないです。 講師の方なら救われていてもいいのに、聞いたことないです。 獲信したかも(らしい?)と思っていた(いわれている)人達も 多くは辞めていたと思いますし。世の中に普通にいるのでしょうか?)
獲信者を探すとはどういうことでしょうか。 (どうやって探すのでしょうか。)
また、善知識と獲信者の違いもよく分からないのです。
どうして善知識ではなく、獲信者を探すのがよいのでしょうか。
すみませんが、よろしくお願いします。
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●re.17
admin |
毎日 |
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[ 70 ] Re7:後生の一大事について
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2008/03/01 (Sat) 02:18
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WS 様
御文章は、「我らが往生の鏡」です。一文字一文字が佛菩薩と思って、御拝読いただけたらと思います。
私は、親鸞会発行の御文章を確認したことがありませんので、内容までは知らないのですが、通常の御文と内容が一緒であれば、どこの発行のものでも、問題ないと思います。(五帖八十通すべて掲載されているものが望ましいです。また、現代語訳ではなくて、原典をおすすめ致します。)
獲信者は、いますけれども、とても少ないです。「希有人」とある通りです。
易行ですけれども、なかなか信を獲ることが難しいのは、獲信者に会うのが難しいからなのです。
獲信者は、善知識を知っているのですから、獲信者を探すことができれば、もう信は目前であると言えると思います。
そして、獲信者は、世の中にふつうにいます。
ただ、外相に出していませんので、ふつうに見てもわかりません。(この掲示板にも、たびたび書き込んでくださる菩提心様の場合は、同じ会社の方は知っているようですね。いろいろなパターンがあるのだと思います。)
私が知っている方でも、ふつうのOLの方もいます。この方の場合は、同じ会社の方も、ひとりも気付いていないかもしれません。
ですから、上下を問わず尋ねることが大切なのです。
ですけれども、いきなり聞いたら、引かれてしまいます。
ですので、尋ねる際には、まず、しあわせそうな人を見つけたら、
「しあわせそうですね」とお話をしていって、「何か秘訣でもあるのですか?」のように聞いていったら良いと思います。
(私は、「最近、南无阿彌陀佛に興味が有るんです」と、当初は直接的に聞いていったために、仕事関係の方に引かれてしまった経験があります・・・)
真宗のお寺であれば、いきなり信心について話込んでいって大丈夫だと思います。
獲信者の探し方ですが、まずは、お聖教を読むことになると思います。
そして、お聖教に合致する獲信者を探すのです。
私は、直接お会いした方にお聞きしたり、インターネットのサイトを探したり、掲示板を探したり致しました。結局、私は掲示板で出会った方にお手引きいただきました。
その経験がありますので、こうしてサイトを立ち上げました。
善知識ではなく、獲信者を探すのは、獲信者がいることによって、善知識だとわかるからです。
まずお聖教をご拝読するのは、お聖教の内容に合致することによって、獲信者とわかるからです。
これだけの説明では、わかりにくいと思います。
質問がありましたら、遠慮なく、尋ねていただければうれしく思います。
南无阿彌陀佛
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[ 71 ] Re8:後生の一大事について
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2008/03/01 (Sat) 16:03
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WS様
同じ親鸞会を聞いてきた一人として書込みいたします。
親鸞会で使用した、御文章は中身も同じです。
ただ、心情的に、親鸞会からこの道来た私にとって、親鸞会の御著書は見たくないのです。
ですから、この掲示板でもお示しの「御文」ひらがな版を愛用しています。
私は、ジャンヌの書込みを直感的に信じました。
今から思うと、よくWS様のように書き込んだのが不思議です。
もう、恥ずかしいとか、人がどう思うかとか考えてもいませんでした。
ただ、親鸞会の辛さから逃れたい、それだけでした。限界でした。
善友様を探しなさいと、ただそれだけを目標に探しました。
若し、WS様がどうしても、助かりたいと思う気持が確かならば、もうそこには、門は開かれているではありませんか?
掲示板でなくても、毎日様に個人的にメール送信出来る方法もあるではありませんか?
助かりたいという気持が行き着くところは、
聖典や御文に何が書いてあることではありません。勉強じゃありません。
今、一息切れたらという、必死さです。
それが、毎日様に届くかどうかだと思います。
絶対絶対、この掲示板から、真実信心を獲る方は現れてくると思います。
南无阿彌陀佛
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[ 72 ] Re9:後生の一大事について
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2008/03/01 (Sat) 23:22
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どうも有難うございます。
獲信された方におあいし、よくよくお聞きしたいと
思います (私はこちらの掲示板にはそのような方がたくさんいらっしゃると 思います)。
>絶対絶対、この掲示板から、真実信心を獲る方は現れてくると思います。
心を打たれる思いがします。
自分も求めようという気持が強まりました。
毎日様にぜひともお会いしたいと思っていましたが、
メールをお送りすることができる仕組みがあることを 知りました。
わからないことがありましたら(たくさんありますが) 質問したいです。
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●re.20
admin |
毎日 |
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