親鸞会について

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●No.20
菩提心
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[ 166 ] 御開山聖人御臨末之御文章 2012/07/03 (Tue) 21:37 △up ▽down
御開山聖人御臨末之御文章


まめやかに 念佛したまふこと 何より嬉しく 尊とく候へ。

信ずるも心なり。疑うというも心なり。我心にては往生せず。

我心さわりにあらず。信ぜさせたまふは佛智なり。

疑ひまどわしきは、我迷心なり。

此迷ひの心を助けんと誓ひたまふ、佛の心にて安く往生するぞと、信ぜよとなり。

この要を教んとて、疑ひ、のぞけといふなり。

疑ひ有ては往生せずと、あやぶむ心、すなはち疑ひにて有ものを、何事も疑ひ、まどわしきは、凡夫の常なり。

さりとは、佛は兼てしろしめして、助けんと誓ひ、たまえるものをと、機にとどこふらず、うちはなれて、

南无阿弥陀佛、南无阿弥陀佛と、たのむこそ、目出度往生にて候。  あなかしこ あなかしこ


此御ことわり、たれの人にも、能々(よくよく)伝て玉ふべく

  弘長二年霜月廿七日夜     親 鸞 御 判



毎日様

信心頂いておりましても、紆余曲折の道程を歩まなければなりませんでした。

そして今、上記の御言葉が有難く再度書き上げました。


●re.1
菩提心
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[ 167 ] 毎日様へ御報告 @ 2012/07/03 (Tue) 21:42 △up ▽down
泥凡夫様からお電話を頂きました。

「僕は間違っていました。探します。」

何を言っているのか、最初は理解できませんでした。

私は、いずれ泥凡夫様が善知識となられ、私達はそちらで一味同行、信後の味わいをと思っておりました。



それから、メールに添付されてきた御著書をコピーしたものを妹から渡されましたが、一向に読む気が起きませんでした。

それよりも、泥凡夫様が苦しんでいる中、私は、初めて○○県に行きました。


電話では、間違っていたと思い、黙って一人で行こうと考えていたが、やはり菩提心様や妹には一言、言わねばと仰っていました。

私はその時、この掲示板から行った人達には連絡を入れたのか聞きました。

毎日様には連絡入れましたが、その他に人には連絡つかないとの事でした。

その後、泥凡夫様もいろいろな御著書を拝読しておられたことでしょう。

私は、逆にもう一度、今ある御縁頂いた御著書をむさぼり読んでいました。

しかし、その時にはもうそこでの聴聞する気は全く起きてこなかったです。

●re.2
菩提心
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[ 168 ] 毎日様へ御報告 A 2012/07/03 (Tue) 21:45 △up ▽down
「僕は○○に行きます」

「○○?」
よりによって、どうして○○なの?

日本にはもっとそこではない、他にも沢山あるではないかと、無性に腹が立ち、怒りさへ覚えました。

しかし、聴聞した時、質問すると、周りの人から、「もう信心決定しているのだから、そんなに質問しなくても・・・」と言われました。

それ以前に、もうここには居られないという思いでいたので、怒りは沸きましたが、それよりもまず、確かめようと思いました。

今までパソコンに取り込んでいた御著書は、USBメモリが根元から折れてしまったので、香樹院師から取りこみ、香月院師等、関連しそうな処を無我夢中でメモリに入れて読んでいました。

そのうちに、御著書が泥凡夫様から送ってきました。

全く、前の会の「領解文」との違いに驚きました。

すると、あれだけ大事にしていた今までの本の内容が色あせて全く読む気が起きて来ません。かといって、送られた御著書にもなかなか手が出ませんでした。

●re.3
菩提心
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[ 169 ] 毎日様へ御報告 B 2012/07/03 (Tue) 21:49 △up ▽down
それからはパソコンゲームに没頭していました。

こういう経験は過去、ジャンヌ掲示板を探す時にも同じ経験をしていました。

仕事を辞め、雇用保険も切れ、かといって仕事がないと生活できないと、雇用保険がきれると直に、シルバー会員に登録しました。

又、仕事を辞めた時には、鬱の気分も残っており、古文書セミナーギャンブルセミナーに申し込みしました。(新聞に一緒に掲載されていた)。

ギャンブル依存症に申しこんだのは、丁度暇が出来たので、パチンコをしてみたら、連続当たりで、一時は、働かなくても簡単に儲かるんじゃないのと思ったくらいです。

その時、このまましていたら依存症になるのではと、パソコンで依存症を検索していた折りなので、直に申しこみました。

案の定、セミナーで受けた設問では、依存症一歩手前でした。

如何に今の日本の状況はギャンブルに汚染されているのだな、と実感しました。

又、アルコール依存症の人達の体験を聞かせて頂いて、みんな苦しんでいるのだと思いました。
しかし、これはみな病気だから、治療すれば改善するそうだが、それには同じ悩みを持つ者同志の語らいが大切だということでした。

ここで勉強していると、私も随分長く、宗教依存症になっていたのだと痛感しました。

私は、薬に頼らず、何とか打開しようと、ミニチュアダックスが入れる自転車かごを買って、晴れた日は、思うがまま走らせていました。
(5月、犬の予防接種に行った時、獣医さんから、○○さん、ちょっと有名人よ、と言われ驚きました。犬を走らせないで、必死に自転車こいでいる、60過ぎのおばさんを想像下さい。やっぱりキ印?)

犬に救われ、自然に救われ、そして御念仏に救われている私でした。
思いっきり、大声で南無阿弥陀仏と称えていました。涙が出て止まらない時もありました。
その涙を無邪気に舐めてくる犬の姿にどれほど癒されたか知れません。有難うサム。

●re.4
菩提心
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[ 170 ] 毎日様へ御報告 C 2012/07/03 (Tue) 21:53 △up ▽down
雇用保険を受けている時は、一月ごとに、自分の価値観が伏せていきました。

パソコンを相手にデーターを読んでいても、段々、仕事が無いのに気付かされ、相当の無力感を味わいました。

それに追い打ちをかけるように、受付では私より年上の人が、パソコンのデーターを見ながら、「又、探してみてください」と、相談もなしに簡単にハンコを押してくれます。

(一人の若い相談員の人は、それでもニッコリ笑って、すぐにハンコを押してくれるのが分かって、その人に当たらないかなと思っていました)

もうこれで雇用保険も終わり、とても続けてハローワークに行く勇気は有りませんでした。

シルバー人材に登録しました。説明を受け、直に下の階で内職をやっているのを知り、やってみました。

5〜6人の女性ばかりです。分担してやっています。

時給50円程。パチンコ台にどんどんお金が入ってしまうのとは大違い。

この時ほど、お金を得るって大変だと知らされました。

周りのみんなはとても元気です。

話をしていると、私と同じ思いをしてきた人が数名いたので、ちょっと気が楽になりました。

過去の栄光も地位もはぎとられていくんです。そこでいつまでも過去の栄光にすがっている人はここでは続きません。

でも例外はやはりここでもあります。公務員は天下りとして席が用意してあります。
いいですね。(ここで勉強してこなかったことを痛感します。)

有る人が、シルバーの事務の仕事もシルバーに任せれば、もっと安い人件費で済むのにと言っていましたが、成程、そうだと思います。

冷暖房の効いた部屋で仕事をしている人の給料が、炎天下で仕事をしている老人から出ている(全部ではないでしょうが、これも愚痴です)

あ、それにしても頑張るシルバー。私はハイハイってここでも下っ端。

●re.5
菩提心
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[ 171 ] 毎日様へ御報告 D 2012/07/03 (Tue) 21:57 △up ▽down
ダイエットを兼ねて、歩いて行き、シルバーセンターで仕事をしていると、面白い事を知ります。

こんなに歳をとっても、本当にお金には貪欲です。

お金への執着は、むしろ老人の上かも知れません。

又、年金の話しばっかり。誰がいくら貰っているか。

どうしてそんなに働くのか?趣味とぜいたく。孫へのおみやげ?
でも、病気や先行きの不安が一番大きいのだと思います。

2月に会員になったばかりなのに、誰それが亡くなったという話しも聞こえてきます。

そして、お節介な気のいい人とも知り合いました。

お菓子のレシピを書いてきて、すぐに作って見た?と聞いてくるうちに、「今日暇?」と電話が入って、尋ねると、すぐにシフォンケーキを作ってくださり、機材一切貸してくれました。
これでは作らない
訳にはいかないと、しぶしぶ家で作ってみたら、失敗続き。

でも今は私の十八番になりそうです。

毎日、センターに行っていたお陰で、時給750円の仕事を頂きました。

もちろん現場です。66才の男性と私のペアです。名字も似ていて、最初はよく間違えて返事をしています。

ここの状況は、もう少し後に書きますね。

●re.6
菩提心
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[ 172 ] 毎日様へ御報告 E 2012/07/03 (Tue) 21:59 △up ▽down
泥凡夫様から頂いた御著書の発行元は、以前より知っていましたから、そのHPを見ると、北陸でのお話があるのを知り、これを目標に御著書を拝読しようと決めました。

妹も定年になるので、何月何日になるまでは、あまりこの事には触れないでくれと言われていましたが、もう締め切り間近になっています。

それで妹に電話を入れると、もうその頃には、定年後に自由な時間が出来たせいか、あまり乗り気でないので、泥凡夫様に連絡を入れると、泥凡夫様もお母様、その他御同行達と参加されるということで、泥凡夫様から申し込んで頂きました。

地図は何枚もプリントアウトしましたが、運転するのは私でないので、何号線を曲がってと指示しても、道を間違えてなかなか会場に行けません。

あるラーメン店に行き聞くことにしました。
カーナビないの?とお客さんに云われましたが、もう時間がないと切羽詰まって見えたのか、そこの店主さんが、バイクで先導してくれました。

細い道や曲がった道を迂回しながら、一番早くいけるようにしてくれました。
お陰で、無事時間ぎりぎりに間に合いました。

何度も泥凡夫様からの心配したお電話を頂きました。その時はお世話になりました。有難う泥凡夫様。

●re.7
菩提心
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[ 173 ] 毎日様へ御報告 F 2012/07/03 (Tue) 22:03 △up ▽down
会場に辿りつくと、泥凡夫様は当然、お母様とも喜んで下さいました。

ドキドキした思いでドアを開けると、受付にかつて知った顔を見つけ、おもわず手を握っていました。

親鸞会をやめてもう6年以上会って居なかった人ですが、とても懐かしい顔。

先生のお話を聞かせて頂いて、その後円座になり、自己紹介や、法話の感想を一人一人話して行きます。

質問OKということで、自力の念仏は称えてもいいのか聞きました。


当然、泥凡夫様から云えば、私は信前になる訳ですよね。

先生は、信前でも信後でも南無阿弥陀仏を称えなさいと教えて下さいました。

親鸞会では信前でも念仏は称えるとは教えていただきませんでした。

私はその時胸のつかえが取れました。


辛かった時、御念仏大声で称えても、これは信前の御念仏なのだと、何度も口から出てくる御念仏を押しこめるようにしていました。

でも、信前もいいんだと思うと、とめどもなく後から後から出てくるのです。


その場所には、私が25年間恨み心を持っていた人もいました。

なんで、此の場所に殊勝に座っているのだろう?とあまり良い感じがしないので、部屋も違っているので、挨拶程度に、2日目を迎え、半日で帰るというその人と、分かれる時にこれからも宜しくねとお互い手を取り合っている自分が不思議でした。

翌日その人から、直に「今度勉強会があるから如何ですか?」と電話がありました。

車中長い時間、共にいるのは苦痛と思い、25年間の恨みを解消したいと思い、「若し貴女が私の信心と同じと言ってくれるなら、私が貴女を25年間嫌っていたまま一緒の車に乗るのは嫌なので、聞いてくれますか?」と云うと、彼女は快く聞いてくれて謝ってくれました。

言い終えた時には、私の思いはすっかり消えていました。

そして日曜日、まるでそんなことがあったのかというぐらい、笑ってその時の事を云い合える仲になっていました。

●re.8
菩提心
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[ 174 ] 毎日様へ御報告 G 2012/07/03 (Tue) 23:23 △up ▽down
当日彼女は当番ということで、早めに行って、お手伝いをさせて頂きました。

その時、以外な彼女の面を見て、人の見る姿など随分いい加減だと反省していました。

コの字に机を並べ、お菓子、お茶も後で出せるように用意しました。


正信偈の御勤めもあり、御住職?(先生とお呼びするのか分かりません)が現れた時には、思わず吉崎御坊でいつも眺めていた銅像と一緒だと思いました。

そして、きっとこれが蓮如上人時代の御説法の姿なのだと思いました。

私は泥凡夫様にメールし、出かけました。

自分の信心の確認の為です。と。

帰ってメールを読むと、私を批判するメール内容でした。

でも、私はその気持ちで出かけて良かったと思いました。


2006年1月18日にジャンヌ掲示板に書き込みしてきてから、これまで一度も阿弥陀様を疑っていないのに、どうしてこんなに苦しんでいるのだろう。

ずっと疑問に思っていました。


一味同行だと言って下さった彼女の言葉を信じて参加しました。

御住職が小声でずっと御念仏を称えるお姿に、500年前に私はやはりこのように聞いていたのではないのかと、そのお姿を眺めているだけで、うっとり微笑んでいました。

「嬉しいね」と仰って下さり、私も「ハイ、嬉しいです」と応えていました。

もうそこには、二人だけで誰も目に入らなくなっていました。


しかし、妹は全く私と逆の反応でした。

妹の姿を見ながら、この姿こそ今までの私の姿なのだと懺悔と、そして今救われている喜びに、御念仏は堰を切ったように溢れてくるのです。

「今、ここで、私一人」を救うと誓われた阿弥陀様は、「○江、○江、・・・・」と呼び続けておられます事も知らされました。

妹にも是非、今目の前に居られる御袖に縋って欲しいと思いましたが、声には出ませんでした。
せめて、御念仏だけでもと、お聞きしましたら、疑いの心ではその念仏は効果がないと。


●re.9
菩提心
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[ 175 ] 毎日様へ御報告 H 2012/07/03 (Tue) 22:55 △up ▽down
「同じ親から生まれて、姉は浄土、妹は地獄に往くんだよ」と云われても、妹の口からはなかなか必死な「たすけて欲しい」との言葉が出て来ませんでした。

「あわれ、あわれ、存命のうちにみなみな信心決定あれかしと朝夕おもいはんべり、まことに宿善まかせとはいいながら、述懐のこころしばらくも止むことなし」蓮如上人

過去何十年間いつも親鸞会でこのお言葉を聞いてきましたが、此の時ほど、善知識のお苦しみ、やるせなさを肌で感じることはありませんでした。

すぐにでも手を引っ張って、善知識の御前ですがって欲しいと思い続けました。

御文章の隅から隅まで、助かって欲しいとの蓮如上人のお嘆きを、今まさに、目前でみる思いでした。

あ〜、私も同じ事をして、前世で助からなかったのだ。妹の姿、そのままが私の姿。


「此の里に親の死したる子はなきか、御法の風になびく人なし」 親鸞聖人

親鸞聖人、蓮如上人という阿弥陀如来の化身まします時代に救われず、今また空しく流転の日々を過ごすのか。

善知識の思いとは裏腹に、妹はその場を離れました。

●re.10
菩提心
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[ 176 ] 毎日様へ御報告 10 2012/07/03 (Tue) 22:12 △up ▽down
>「同じ親から生まれて、姉は浄土、妹は地獄に往くんだよ」と云われても、妹の口からはなかなか必死な「たすけて欲しい」との言葉が出て来ませんでした。
>
>「あわれ、あわれ、存命のうちにみなみな信心決定あれかしと朝夕おもいはんべり、まことに宿善まかせとはいいながら、述懐のこころしばらくも止むことなし」蓮如上人
>
>過去何十年間いつも親鸞会でこのお言葉を聞いてきましたが、此の時ほど、善知識のお苦しみ、やるせなさを肌で感じることはありませんでした。
>
>すぐにでも手を引っ張って、善知識の御前ですがって欲しいと思い続けました。
>
>御文書の隅から隅まで、助かって欲しいとの蓮如上人のお嘆きを、今まさに、目前でみる思いでした。
>
>あ〜、私も同じ事をして、前世で助からなかったのだ。妹の姿、そのままが私の姿。
>
>
>「此の里に親の死したる子はなきか、御法の風になびく人なし」 親鸞聖人
>
>親鸞聖人、蓮如上人という阿弥陀如来の化身まします時代に救われず、今また空しく流転の日々を過ごすのか。
>
>善知識の思いとは裏腹に、妹はその場を離れました。
>

●re.11
菩提心
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[ 177 ] 毎日様へ御報告 11 2012/07/03 (Tue) 22:57 △up ▽down
そしてその場を離れる時に、「毎日の浄土真宗」は真宗ではないと言われ、今開けてみましたが、しかし、やはり味わいは間違いではなかったのだと、自分の過去ログは私の求道報告だと、有難く拝読しています。

2チャンネルに、親鸞会を批判している書き込みが有り、妹の家に行っては盗み見してうちに、会社にもパソコンが入り、パソコンの使い方も覚束ない時に、妹の夫から、パソコンの使い方を教えて貰ったから、今ここで書いている自分がいます。

そして毎日様と知りあわなかったら、こんなHPも出来なかった。

私は、いつもいつも泥凡夫様と毎日様がおられなかったらと思っておりましたが、
やはりその原点である、愚尼様の「赤子の気持ちになればいいのに」とのお言葉に今、一番感謝しています。

愚尼様はどうしておられるでしょうか?

親鸞会を辞めても2か所も回らなければならなかったのは、わたしに、『雑行、雑修、自力のこころをふりすてて』を身を持って知らせることであり、専修念仏しか残っていない事を知らせるための南無阿弥陀仏の大願業力だと思います

●re.12
菩提心
非公開の非公開
[ 178 ] 毎日様へ御報告 12 2012/07/04 (Wed) 10:42 △up ▽down
シルバーで知り合った人から教えて頂いたケーキ。

今、25年嫌っていた彼女からお褒めの言葉をいただき、そしてこのケーキのように、みんなに分けてあげられたら嬉しいです。

物流センターで中国輸出の部品の写真を撮ったり数を数えるのが私達の仕事。

それがいつの間にか、主に私だけ、掃除、段ボールの整理、それをガタガタ鳴る大きな入れ物に入れて移動します。

他の部所の人は若い男の人が運んでいます。

今は私は、段ボールの上に、ゴミ袋も乗せて移動します。
大風で飛んでいかないようにです。

先週までは、恥ずかしくて、重くて、暑くて、とどんどん愚痴が出てきていましたが、御念仏を称えると、「いいじゃない、誰に遠慮しなくても御念仏出てくるでしょ、○江」と阿弥陀様が見守って下さっているようです。

あれまで、連れの男の人に少しでも一緒に運んでくれればいいのにと思っていたけれど、彼が数を数えている間は、神経を集中しなければならないけれど、カメラは写しながらでも御念仏称えられます。

彼から、「あ〜」と深いため息が出ました。

「大丈夫、少しは休んでいいよ」と笑顔で言ったら、
「その言葉、本気?」と「まことの言葉よ」って言いながら、お互い笑っていました。

まことの言葉など出てこない私も阿弥陀様は、変えてくれるようです。

自分の心は、後から後から嫌な思いが起きてくるのに、すぐに阿弥陀様から訂正させられます。

愚痴一杯の私だから、どんどん嫌な心が出てきても、どんどん阿弥陀様より転回されているようです。

それが楽しくて楽しくて。「○江お前はお前の素のままで日暮らししなさい、いつも傍に付いているよ。そんなお前が可愛いから」

南無阿弥陀仏、私だけの阿弥陀様。そしてみんなの阿弥陀様。


毎日様、「毎日の浄土真宗」って看板あげちゃったけれど、でもここには阿弥陀様も、御釈迦様も、七高僧様も、親鸞聖人も、蓮如上人もおられて、ほほえんでおられると思います。
閉じないでおいて下さって有難うございます。

そしていずれ、一味同行として弥陀の浄土で再会し、衆生済度の御相談、楽しみです。

●re.13
観音菩薩
北陸の女性

↑観音菩薩様宛にメール
[ 179 ] Re1:毎日様へ御報告 12 2012/07/04 (Wed) 11:23 △up ▽down
菩提心 様


本当においしいケーキに感激しました。プロの味でした。暖かいお姉さんの味に感謝します。有難うございました。

>今、25年嫌っていた彼女からお褒めの言葉をいただき、そしてこのケーキのように、みんなに分けてあげられたら嬉しいです。

長い間お姉さんを苦しませて悲しませていたなんて知りませでした、それをお聞きした
だけで胸が痛くなるのを感じました。
知らないところで自覚にこそ乗らないだけでどれだけの数え切れない罪という罪を犯して
いる私かということを知りました。
この場をお借りして心からお詫び申し上げます。

思えば過去、私はどれだけの人を傷つけたことでしょう。
阿弥陀様を忘れて、それどころか阿弥陀様を踏みつけて至るところで罪を犯しています。しかも朝から晩までずっとです。
人に八億四干の思いがあると言われますがそれが全部罪ということですよね。
ちょっと考えただけでぞっとしますが、それが私です。
地面に穴を掘って掘ってそこへ頭を下げなければすみません。
私自身本当に謙虚になっていかなければ、法を仰がせて頂けないことを知らされます。
まだまだ未熟者の私です。

今後とも宜しくお願い致します。









>
>物流センターで中国輸出の部品の写真を撮ったり数を数えるのが私達の仕事。
>
>それがいつの間にか、主に私だけ、掃除、段ボールの整理、それをガタガタ鳴る大きな入れ物に入れて移動し>
>他の部所の人は若い男の人が運んでいます。
>
>今は私は、段ボールの上に、ゴミ袋も乗せて移動します。
>大風で飛んでいかないようにです。
>
>先週までは、恥ずかしくて、重くて、暑くて、とどんどん愚痴が出てきていましたが、御念仏を称えると、「いいじゃない、誰に遠慮しなくても御念仏出てくるでしょ、○江」と阿弥陀様が見守って下さっているようです。
>
>あれまで、連れの男の人に少しでも一緒に運んでくれればいいのにと思っていたけれど、彼が数を数えている間は、神経を集中しなければならないけれど、カメラは写しながらでも御念仏称えられます。
>
>彼から、「あ〜」と深いため息が出ました。
>
>「大丈夫、少しは休んでいいよ」と笑顔で言ったら、
>「その言葉、本気?」と「まことの言葉よ」って言いながら、お互い笑っていました。
>
>まことの言葉など出てこない私も阿弥陀様は、変えてくれるようです。
>
>自分の心は、後から後から嫌な思いが起きてくるのに、すぐに阿弥陀様から訂正させられます。
>
>愚痴一杯の私だから、どんどん嫌な心が出てきても、どんどん阿弥陀様より転回されているようです。
>
>それが楽しくて楽しくて。「○江お前はお前の素のままで日暮らししなさい、いつも傍に付いているよ。そんなお前が可愛いから」
>
>南無阿弥陀仏、私だけの阿弥陀様。そしてみんなの阿弥陀様。
>
>
>毎日様、「毎日の浄土真宗」って看板あげちゃったけれど、でもここには阿弥陀様も、御釈迦様も、七高僧様も、親鸞聖人も、蓮如上人もおられて、ほほえんでおられると思います。
>閉じないでおいて下さって有難うございます。
>
>そしていずれ、一味同行として弥陀の浄土で再開し、衆生済度の御相談、楽しみです。
>

●re.14
観音菩薩
北陸の女性

↑観音菩薩様宛にメール
[ 180 ] Re2:毎日様へ御報告 12 2012/07/04 (Wed) 11:26 △up ▽down
>菩提心 様
>
>
>本当においしいケーキに感激しました。プロの味でした。暖かいお姉さんの味に感謝します。有難うございました。
>
>>今、25年嫌っていた彼女からお褒めの言葉をいただき、そしてこのケーキのように、みんなに分けてあげられたら嬉しいです。
>
>長い間お姉さんを苦しませて悲しませていたなんて知りませでした、それをお聞きした
>だけで胸が痛くなるのを感じました。
>知らないところで自覚にこそ乗らないだけでどれだけの数え切れない罪という罪を犯して
>いる私かということを知りました。
>この場をお借りして心からお詫び申し上げます。
>
>思えば過去、私はどれだけの人を傷つけたことでしょう。
>阿弥陀様を忘れて、それどころか阿弥陀様を踏みつけて至るところで罪を犯しています。しかも朝から晩までずっとです。
>人に八億四干の思いがあると言われますがそれが全部罪ということですよね。
>ちょっと考えただけでぞっとしますが、それが私です。
>地面に穴を掘って掘ってそこへ頭を下げなければすみません。
>私自身本当に謙虚になっていかなければ、法を仰がせて頂けないことを知らされます。
>まだまだ未熟者の私です。
>
>今後とも宜しくお願い致します。
>
>
>
>
>
>
>
>
>
>>
>>物流センターで中国輸出の部品の写真を撮ったり数を数えるのが私達の仕事。
>>
>>それがいつの間にか、主に私だけ、掃除、段ボールの整理、それをガタガタ鳴る大きな入れ物に入れて移動し>
>>他の部所の人は若い男の人が運んでいます。
>>
>>今は私は、段ボールの上に、ゴミ袋も乗せて移動します。
>>大風で飛んでいかないようにです。
>>
>>先週までは、恥ずかしくて、重くて、暑くて、とどんどん愚痴が出てきていましたが、御念仏を称えると、「いいじゃない、誰に遠慮しなくても御念仏出てくるでしょ、○江」と阿弥陀様が見守って下さっているようです。
>>
>>あれまで、連れの男の人に少しでも一緒に運んでくれればいいのにと思っていたけれど、彼が数を数えている間は、神経を集中しなければならないけれど、カメラは写しながらでも御念仏称えられます。
>>
>>彼から、「あ〜」と深いため息が出ました。
>>
>>「大丈夫、少しは休んでいいよ」と笑顔で言ったら、
>>「その言葉、本気?」と「まことの言葉よ」って言いながら、お互い笑っていました。
>>
>>まことの言葉など出てこない私も阿弥陀様は、変えてくれるようです。
>>
>>自分の心は、後から後から嫌な思いが起きてくるのに、すぐに阿弥陀様から訂正させられます。
>>
>>愚痴一杯の私だから、どんどん嫌な心が出てきても、どんどん阿弥陀様より転回されているようです。
>>
>>それが楽しくて楽しくて。「○江お前はお前の素のままで日暮らししなさい、いつも傍に付いているよ。そんなお前が可愛いから」
>>
>>南無阿弥陀仏、私だけの阿弥陀様。そしてみんなの阿弥陀様。
>>
>>
>>毎日様、「毎日の浄土真宗」って看板あげちゃったけれど、でもここには阿弥陀様も、御釈迦様も、七高僧様も、親鸞聖人も、蓮如上人もおられて、ほほえんでおられると思います。
>>閉じないでおいて下さって有難うございます。
>>
>>そしていずれ、一味同行として弥陀の浄土で再開し、衆生済度の御相談、楽しみです。
>>

●re.15
菩提心
非公開の非公開
[ 181 ] 観音菩薩様へ 2012/07/06 (Fri) 02:31 △up ▽down
「信後の味わい」の場所、読んで下さいましたか。

有難うございます。

「毎日様は、もう信を頂いていますよ。菩提心様との対話、信を得た者同志の対話として喜んで読ませていただきました」


やはりそうですか。

私も全く違和感が有りませんでした。


私は、この毎日様の書き込みの中から、直の説法を聞かせて頂いているように思うことがたびたび有りました。

そして、自分が愛用している御文に、縮小して貼り付けています。

そこを読むたびに、心が癒されてきます。

縁有って、観音菩薩様ともここで会話頂き、本当に一味同行、感謝に堪えません。



貼り付けた場所、引用します。

一度、観音菩薩様も味わってみて下さい。


浄土に参りますと、諸菩薩にお会いすることもできれば、仲間に加えていただくこともできます。

神通のある身同士、今度はどこに済度に往こうかと、楽しいご相談です。

私たちは、おろかだからこそ、抜擢されたのですね。それを、よろこぼうではありませんか。

信をいただいて、後世のしあわせには、阿弥陀経です。

くり返し行うことが勧められていることは、信後の相続のためのものだということをわかっていると、やることも、大体分かります。

何があっても、「なむあみだぶつ」これで良くなるのだということを、意識して、口に出してみて下さい。

どんなことがあっても、浄土に往けるように、整えてくださっているだけなのです。

ものすごくたくさんの悪因があり、そして悪果に向けてひらきはじめているものがあり、既に因から果に転じており、時間の流れの中で現れてきます。

一念帰命のときに、残っている悪因は、すべて消していただいていますので、既に果へと転じているものが、すべて開き終わったところで、私たちは浄土へと参ります。

悪いことがあっても、悪因が悪果になってでてきているだけだと、これで良くなるのだと、なんてありがたいんだろう、と思って(言って)、そんな気持ちで「なむあみだぶつ」と言って行ってください。

弥陀は後世のことも忘れていません。相続してゆけば、本当に、しあわせにしてくださいます。

人間関係で、何か嫌なことがあったときには、「阿弥陀様は、どんな人でも救うんだな。そして、そのために、ものすごい苦労をなさって、一瞬たりとも、怒ったことも、ないんだな」と思いだして(言って)みてください。

そして、どんなことがあっても、「これで、良くなるんだな。どんどんでてきていいよ。どんどん、消しちゃうから」と思って(言って)ください。次第に出来事が変わります。

ことばを口に出すとき、意業がかかわってくるのですが、「本音」と言われる深い部分で内を考えているかが大事です。

しかし、弥陀はさらにもっと深い部分に信心を入れてくださっていますから、心の底の底に、最高の信心をいだいて、ことばに出すことができます。このため、信後のことばは、質が違うのです。

信心いただけば、もう何もしなくても極楽往生は治定していますし、残された後世をどんどん幸せにすることもできますし、そうして弥陀の光を輝かせているうちに、お手引きの御縁をいただけることもあると思います。

そうして、素晴らしい仲間の輪が広がって、これもすべて、弥陀のおかげなのです。

なんとありがたいことでしょう。弥陀はどこまでも私たちをしあわせにしてくださいます。

信心為先。素晴らしい原因をいただいたのですから、素晴らしい結果が、次々と付いてくるのです。

自分で善因を作れない私たち。その私たちが、この上無き善をなすことができたのですから、他力と申す他はありません。

変化は少しずつですが、確実に起ります。



やはりそうだった。

「なむあみだぶつ」ひとつ。

有難うございます。毎日様。

一味同行の有難さ。


後念相続を、ねんごろに現代風にやさしく、だれにでも分かりやすく伝えて下さっていると、こんな無知なわたしにも読めてきます。

もう宗教なんて超えていますよね。

ただ、「なむあみだぶつ」「なむあみだぶつ」「なむあみだぶつ」。










●re.16
観音菩薩
北陸の女性
[ 182 ] 本音と言われる深い部分で共鳴 2012/07/05 (Thu) 13:44 △up ▽down
菩提心 様

南無阿弥陀仏さまが一人働きされて お姉さんに遇わせて頂きました。

感謝申し上げます。

>浄土に参りますと、諸菩薩にお会いすることもできれば、仲間に加えていただくこともできます。
>
>神通のある身同士、今度はどこに済度に往こうかと、楽しいご相談です。
>

本当にワクワクします。

人智を超えた世界があるのですね。そこまでしないと信じられない私だったということ

だと味わいます。

>私たちは、おろかだからこそ、抜擢されたのですね。それを、よろこぼうではありませんか。
>
貴重な貴いお言葉をいただき ありがとうございます。

手帳に写させていただきました。知りたいお言葉が沢山ありました。感謝です。

まるで私のこころを分かっておられたかのようです。悩みが解消しました。

幾たびも お手間のかかりし 菊の華 南無阿弥陀仏

>
>そうして、素晴らしい仲間の輪が広がって、これもすべて、弥陀のおかげなのです。
>
>なんとありがたいことでしょう。弥陀はどこまでも私たちをしあわせにしてくださいます。
>
>ただ、「なむあみだぶつ」「なむあみだぶつ」「なむあみだぶつ」。
>

なむあみだぶつ一つで満たされます。

本当に不思議なことだらけです、十劫の昔からお呼びずめ 立ちずめのご苦労を

今日まで知らずに阿弥陀様を泣かせてきた私。

そんな私が南無阿弥陀仏でお返しさせていただくだけとは、本当に勿体ないやら 申し訳

ないやらで。
 
困ってそうで困ってない私しかありません。

なむあみだぶつなむあみだぶつ
>
>
>
>
>
>

●re.17
菩提心
非公開の非公開
[ 183 ] 信心の沙汰 2012/07/05 (Thu) 23:42 △up ▽down
観音菩薩様

「本音といわれる深い部分で共鳴」

有難いお言葉、感謝いたします。

観音菩薩様が、石川の会場で、私の心とピッタリと仰って下さり、観音菩薩様のお言葉を信じて、○○へ伺いましたが、そこで私は、全く違和感が有りませんでした。

そこで、どうしても違和感が出てきますのは、泥凡夫様とのメールのやりとりです。

ここは、信心の沙汰の場としてやっていきたいと思います。

まず、私は泥凡夫様にこのようなメールを差し上げました。



●re.18
菩提心
非公開の非公開
[ 184 ] Re1:信心の沙汰 2012/07/05 (Thu) 23:48 △up ▽down
>○田さんにずっと絶え間なく叫び続けておられる、
>「○江。必ず助けるぞ。我にまかせよ。おまえがどうなろうと、後生、全て引き受けたぞ。」とのお心だけなのです。



だから、あの石川の会場で、○○先生?の御念仏のお話で、全部納得出来たんです。

2006/1/18「見ています」と、初めてジャンヌに書き込みしてわずか1週間後の書き込みです。
私は、ジャンヌで「私はハッキリ正信頂きました。確信できます」と書き込みした時、泥凡夫様から、全く否定されました。

そして、次第相承の善知識を探しなさいと、2回違う道を探して、ようやく18願は南無阿弥陀仏の御念仏一つだと、ハッキリ領解できたと思いました。

日曜日に○○に出席するのは、私が18願を頂いているかの確認の為です。

実は、妹は誘われたその人から、「私が信心決定している、一味同行だ」と言っていると、私に電話がありました。

そして、妹と話をしている内に、どうしてこんなに今まで苦しんできたのかよく分かりました。

妹は私が、全く信心決定しているとは思っていませんでした。

又、その方とも直に電話でお話させて頂きました。

「今度の○○では、一味同行の方が集まります。○田さんが云っていた、口に入ったという体験をされた人もおられます。是非、一度参加してみませんか?」といわれました。

又、泥凡夫さんが、一味同行なら、○田さんの信心とピッタリ合って喜んでおられるでしょう?とも云われました。

そして上記の泥凡夫様の書き込みにどうしても違和感がありました。

上記の気持ちなら、もうジャンヌで経験済みです。

愚尼様の書き込みで、私は赤子になったつもりで床に入った翌朝、息子と夫の前で「御文章」を拝読しようと、或る人曰くと口を開けたとたん、口に球体(そういう感覚です)が入ってきました。ゴクンと飲み込んだ途端、今まで何十年も親鸞会で聞いてきたのに、その時から、読めてくるのです。もう驚きと喜びで、そばにいた二人は気が狂ったと申しておりました。

それから、私は一度も阿弥陀様の存在を疑ったことはありません。

ただ、辛い時、楽しい時、御念仏がとめどもなく出てきても、これは信前の念仏だと抑え込まなければいけない苦しさはありました。

又、妹の前では、喜びをあからさまに表現できないもどかしさがありました。

もう誰に遠慮することなく、御念仏称えられる身の幸有難く感謝しています。

それでも、全く妹は信じておりませんので、どういう結果になるか行ってみないと分かりません。


その人には、私が今まで嫌いだと思っていた事を話しました。
私が25年間、嫌っていたと聞いて驚かれ、泣かれました。そして謝って下さいました。

人は自分が気づいていないところで、どれだけの人の気持ちを苦しめているのか、本当に目に見え、感じている苦など、たわいないものなど知らされました。

私達の善悪など、私達の智慧で図り知れるものでしょうか?

何が善で、何が悪なのか。


有漏の身でなく、無漏の身なれた人は、煩悩具足の凡夫でも、その煩悩で汚されてはいないのだと思いました。

きっと、内緒にしなければいけないと思ったのは、彼女なりの計らいがあったからなのだと思います。


(それにしても、このジャンヌ掲示板で書いてきたことを改めて読んでみると、相当苦しんで探していたのだと思います。何度読んでも有難いです。)

何はともあれ、一度参加して、その方達の法悦をお聞きしたいと思っています。

感想等、後日メールで報告できたら嬉しいです。

おやすみなさい。
       南無阿弥陀仏

●re.19
菩提心
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[ 185 ] Re2:信心の沙汰 2012/07/06 (Fri) 02:42 △up ▽down
泥凡夫様からのお返事です。



○○先生にお逢いになられに行かれるのですね。

ずいぶん○田様に苦しい思いをさせたんだなぁ・・・。
と文面から感じさせて頂きました。
ご縁であったとはいえ、本当に申し訳ない想いでいっぱいです。

--------------------------------------------------------------------------------
>日曜日に○○に出席するのは、私が18願を頂いているかの確認の為です。

どのように言われるか私は分かりませんが、
真実信心は誰かに認めてもらうものではない。個人個人が弥陀と差向いとなって頂く世界です。
これは松○先生から初めて法座に参加した際に言われたことです。

今になればそれは当然のことであることがはっきり分かります。
誰に認めてもらう必要もないのです。信心歓喜乃至一念が明確でございますので。

○○誌に掲載されていた体験談で、○○先生が、「あんた。わしにそれでええ。と認めて欲しいんか?」
「それでええ。」と言われて喜んでみても、「あんた。やっぱりあかんで。」と言われたらどうすんねん?と。

求道中はそれでいいよ。と認めて欲しい。そんな心は私にもありましたのでよく分かります。
しかし、それも自力の計らい=自力疑心であるというのはご信心を頂いた後ではっきり分からせて頂けます。

そもそも求道自体が自力疑心そものもなのですから。
分かりたい。ハッキリしたい。すっきりしたい。晴れ晴れしたい。etc・・・。
皆、疑心そのものであるとはっきりと分からせて頂けます。

信心とは私の特殊経験や号泣念仏でも喜ぶ心でもなんでもありません。
仏智を頂いた心そのものでございます。それが「南無」の心を聞かせて頂きない。と言われる所以でございます。

松○先生のお言葉をそのまま引用します。
『仏智の信心とは、仏智から出た真実の言葉にそのまま貫かれる心のことです。』
このお言葉そのままでございます。

「味わい」や「お喜び」は「付帯物」でございます。
また念仏そのものも含めて、これを握りこむ人が必ずいる。
29日の○○寺では信心の何たるかを、切れ味のあるご説法をされておられました。

○○先生のご著書にもありますが、もともとは故・○藤先生が申されたことであって、

現量・比量・聖教量。この3つで我が信は如何に。と信疑廃立を掛けてゆくのでございます。
信一念の時、疑心の正体とは何かというのがはっきり致します。(捨てものと言われるものです)

二種深信でいえば、このどちらにもツユチリほどの疑心もなくなります。
一枚の紙の表裏でございますので、片方だけということはありえないのです。
ただし、これは自分から信じるのではなく、仏智見を頂いて初めて信じる心も頂くわけでございます。

『一つには、決定して深く、自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかた常に没し常に流転して、出離の縁あることなしと信ず。 』
『二つには、決定して深く、かの阿弥陀仏の四十八願は衆生を摂受して、疑いなく慮りなく、かの願力に乗じて、定んで往生をうと信ず。』

同じ意味で御開山は「聞」を信巻で解釈されています。
『「聞」といふは、衆生、仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし、これを聞といふなり。』
ゆえに、「聞即信」と言われるのでございます。

仏願の生起本末は分解すると、先ほどの二種深信になります。

生起=機の深信
本末=法の深信

これらは簡単に言えば本願でございます。
つまり、本願につゆちりほどの疑いが出そうにも出ないのが信心の表層に現れた状態です。

29日の○○寺でも松○先生はこの件に関して「法体募り」を厳しくズバッと切っておられました。
微妙に疑いがあるような・・・無いような・・・。
でも必ず助けてくれる阿弥陀さんがおる。とお慈悲に引っ付く。
機と法が一体になっていない状態でございます。

先回の西○先生の法座の際にこんな図を描かれたかと思います。

私  信じる→  仏

この状態は私から信じに掛かっていますので必ず疑心が付きまといます。

私  ←信じる  仏

を頂いて初めて私は仏を信じることができるのでございます。

廻心とはおとぎ話のような仏説が真実であって、この世の方が偽物であると逆転してしまうことでございます。
・・・偽物であると分かってもそれに執着して過ごす哀れな私でございます・・・。
--------------------------------------------------------------------------------

つらつら感じるところを書き連ねてみました。
今後も私の体とご縁がある限り、頭を垂れてご聴聞させて頂きます。
○田さんと妹さんとご一緒できる機会があることを私はとても嬉しく思っております。


なむなむ。

●re.20
菩提心
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[ 186 ] Re3:信心の沙汰 2012/07/06 (Fri) 02:25 △up ▽down
私から泥凡夫様への返信



只今、○○より帰って参りました。

お返事有難うございました。

コの字型の机の配置で、正面に御仏壇の阿弥陀如来像、その斜め前で、○○先生の「六字釈」のお話をお聞きしました。

誰かの質問を皮切りに、わたしも質問させて頂きました。

色々お話させて頂く中、信を得た状況を話しさせて頂きました。

○○先生と、自分が想像していた、蓮如上人のお姿がだぶって見えました。

○○先生から「嬉しいね」と言われ、私も「ハイ、とても嬉しいです。」と答えました。

(省略)、
正面の御仏壇に挨拶されるように促されました。

御念仏が、後から後からとめどもなくあふれてきました。

一息ついて、御挨拶し、席に戻る途中、「良かったね」と声をかけて下さいました。

そして、妹の横に座っていた少年が、「どうしたら、信心決定できますか?」と先生に質問しましたが、それには無言でした。

しばらくして妹が、信じられないと告白しました。

その時、私も、ずっと妹が私の信心を疑い続けて、苦しい胸の内を訴えました。

先生は妹に、「同じ親に生まれても、喜んでいる姉と一緒の世界には行けないんだよ」と何度も何度も御話下さいました。

時間も終わりに近づき、周りの人からも色々云われていましたが、どうしても最後の疑いが邪魔をして聞けないようでした。

「そのまま助ける」という意味がどのようにそのままなのか分からないと何度も問い直していました。

しかし、○○先生のお姿と、妹に注がれる慈悲心には深く感銘しており、帰りの車中では、ここで信心決定したいという気持ちを云っていました。

車を運転していた方は、妹の旦那と同じ課に居たことも有り、妹の自宅に着いても、2時間も話しており、自宅に着いたのはこんな時間になっていました。

講話の終わった後、色々な人から、声をかけられました。皆、元親鸞会の人達でした。

こんなに多くの人が親鸞会を辞めてここに来ていたのかと驚きました。

親鸞会を辞めた○井の人も、これからはそれぞれ求道は個人個人の責任と云う事で、○○で続けるも良し、他で続けるも良し、そこは親鸞会と違い自由だと最初に皆で話したそうです。

ただ今日乗せて頂いた方は、○○に御縁頂いてからは、○○先生との御縁をかかさず聞いて来られたので、ぜひ○○先生のお元気な時に御縁頂いて欲しいと思いで、勧めて下さったようです。

妹の気持ちは、泥凡夫様からメール届くのか知りませんが、○○に行ってきた御報告をさせて頂きました。

泥凡夫様のメール、有難く拝読させて頂きます。

おやすみなさい。
       南無阿弥陀仏

●re.21
菩提心
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[ 187 ] Re4:信心の沙汰 2012/07/06 (Fri) 00:47 △up ▽down
泥凡夫様からの返信



おはようございます。泥凡夫でございます。

おお。なんまんだぶつ出ましたね!!
何方か言われたかと思いますが、これからのご聴聞が大事でございます。

(省略)

妹さんは妹さんのお育てがございます。
至心に廻向して下さっておりますので聞けないわけがない。
信心決定。信心決定。に掛かっている間は聞けないのです。
○田さんももうお分かりだと思いますが、鍵がこちら側にあるのですから。
鍵は私にはないのだ。と知らねば聞けるわけがありません。

>「そのまま助ける」という意味がどのようにそのままなのか分からないと何度も問い直していました。

「そのまま」とは文字通りそのままであって、「私のこのまま。」とか、「そのままとはどのまま?」などと考えてしまってはそのままにはならないです。

香樹院師の『ババよ。そのままのお助けじゃ。はい。いよいよこのままのお助けですね?いや。そうではない。そのままのお助けじゃ。お助けを持ち替えるなよ。』
とても端的であって私はこのやり取りが好きです。

「そのまま。」を「このまま(私のまま)」と受けては必ず後で何度も聞き直さないと納得できない状況になります。
既に手垢をつけてしまっていますので。

まごころのこもった清浄金剛心の必ず助けるの南無の心がそのまま私の信になります。

『念佛の雄叫び』で○○先生は南無の心に阿弥陀仏(其の行)がひっついている。と記されております。
つまり、南无阿彌陀佛が信の体でございます。

またお逢いしましょう。

●re.22
菩提心
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[ 188 ] Re5:信心の沙汰 2012/07/06 (Fri) 00:25 △up ▽down
ふと思い出したのでメールしますね。
既に御存じならご容赦を。

○○先生のブログ
省略

古家さんという僧侶さんのブログ
http://www15.ocn.ne.jp/~saisho/hotokeframe.html

ここを開けてビックリしました。
全く、泥凡夫様は私の信心など信じてはいなかったのだ。

そこで私は、微力ながら信心の沙汰をこの場所からしてゆきたいと思います。

根拠を聖典から書き写すのに、時間がかかります。

でも、観音菩薩様も仰って下さいましたが、「直感」を大事にして下さいね。とのお言葉、

私も愚尼様の書き込みを直感的に信じましたので、妹にも石川で感じた、「なんか変?」と思った、あの直感を思い出して欲しいと思いました。


●re.23
菩提心
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[ 189 ] Re6:信心の沙汰 2012/07/06 (Fri) 02:18 △up ▽down
>仏願の生起本末は分解すると、先ほどの二種深信になります。

>生起=機の深信
>本末=法の深信

>これらは簡単に言えば本願でございます。
>つまり、本願につゆちりほどの疑いが出そうにも出ないのが信心の表層に現れた状態です。

>29日の○寺でも松○先生はこの件に関して「法体募り」を厳しくズバッと切っておられました。



二種深信ですが、真宗辞典(法蔵館P595 )では、このように書いてあります。

機の深信と法の深信をいう。

他力信心の相の両面を表したるもので、即ち、自身は罪悪の凡夫で、機の深信とは、永劫に生死の迷いの世界を離脱することが出来ないと深く信ずることであるり、法の深信とは、阿彌陀仏の本願は、かかる罪悪深重のものを、救済して仏となすべき力あるものを、救済して仏となすべき力あるものと深く信ずることである。

これを、古来、佛願の生起本末を深信することであると称している。

仏の本願は、罪悪の凡夫のために生起せられたものであり、その願が成就して、それを信ずるものは救済されるというのが本末である。

故に、二種の深信とて、信心に二種あるのでではなく、仏の本願が信じられたことによる自己の現実相を知ることで、二面の相あることを表はした語である。

この説はもと観経に説く三心の中、第二深心を、善導が散善義に「二つには深心、深心というは、即ち是れ深く信ずるの心なり、亦二種あり。

以下は、泥凡夫様も引用の
『一つには、決定して深く、自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかた常に没し常に流転して、出離の縁あることなしと信ず。 』

『二つには、決定して深く、かの阿弥陀仏の四十八願は衆生を摂受して、疑いなく慮りなく、かの願力に乗じて、定んで往生をうと信ず。』
と、注釈せられた文より出でたものである。

上記の説明では、この説は観経の三心の中の深心と読めますよね。


それでは、親鸞聖人は愚禿鈔下巻(明治書院P458)では

竊(ひそか)に『観経』の三心往生を按ずれば、是れ即ち諸機自力格別の三心也
『大経』の三信に帰せんが為なり。諸機を勧誘して三信に通入せしめんと欲う也。

三信とは斬(こ)れ、即ち金剛の真心・不可思議の信心也
亦即往生とは斬れ則ち難思議往生・真の報土なり。

便往生とは即ち是れ諸機格別の業因果成の土なり。胎宮・辺地・懈慢界・雙樹林下往生なり。亦難思往生也と。
應に知るべし。


観経の三心(さんじん)=至誠心・深心・廻向発願心

大経の三信(さんしん)=至心・信楽・欲生

大観二経の三信と三心との問答が、教行信証の下巻と浄土文類聚鈔に載っています。

尚、浄土文類聚鈔には、「真宗の教行証を敬信す、特に知んぬ。佛恩窮盡しかたければ明らかに浄土文類聚鈔を用ふるなり矣。


泥凡夫様の迷いの心で、経典を眺めていても迷い心が膨らむだけです。
自分の機に合わせて納得しているに過ぎません。

十八願は、不可思議なので、説明してもこのように誤解されてしまうのだと思います。

泥凡夫様は、どのように妹を説得しているのか分かりませんが、まず富山に誘うよりも、
○○で、法談を勧めて欲しいと思います。

これは石川での経験でもそうですが、一味同行と喜んでいるなら、まず新参者に御縁頂くようにするには、その法縁を頂いた処を勧めるのが、朋友ではありませんか?

まして、その善知識様のお命が差し迫っているなら、なおさらそうするとおもいます。

それとも、一味同行ではないのでしょうか?

●re.24
菩提心
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[ 190 ] Re7:信心の沙汰 2012/07/06 (Fri) 08:52 △up ▽down
改邪鈔(明治書院P600)

一。同じく祖師の御門流と号する族因果撥無といふことを持言とすること、謂なき事

それ三経の中にこの名言をもとむるに『観経』に「深信因果」の文あり、若しこれを思へる歟、おほよす祖師聖人御相承の一義は三経共に差別なしといへども、『観無量寿経』は機の真実をあらはして所説の法は定散を表とせり。
機の真実といふは五障の女人・悪人を本として違提を對機としたまへり
『大無量寿経』は深位の権機をもて同聞衆として所説の法は凡夫出要の不思議をあらはせり。
大師聖人の御相承は専ら『大経』にあり。
『観経』所説の深信因果の語をとらんこと強ち甘心すべからず。
たとひ彼の経の名目をとるといふとも義理参差せばいよいよ謂なかるべし。
其の故は彼の経の 深信因果は三福業の随一なり。
彼の三福の業はまた人天有漏の業なり。なかんづく深信因果の道理によらば豈(あに)凡夫往生の望を遂げんや。
まず十悪において「上品に犯するものは地獄道に堕し、中品に犯するものは餓鬼道に堕し、下品に犯するものは畜生道に趣く」といへり。是れ大乗の性相の定むるところなり。
若し今の凡夫所犯の現因によりて当来の果を感ずべくんば三悪道に堕在すべし。
人中・天上の果報なほもて五戒・十善全からずばいかでか望をかけんや。
いかに況んや出過三界の無漏・無生の報国・報土に生まるる道理あるべからず。然りと雖も弥陀超世の大願十悪・五逆・四重・謗法の機のためならば、彼の願力の強盛なるに横さまに超截せられたてまつりて三途の苦因を永くたちて猛火洞然の業果をとどめられたてまつること、大きな因果の道理に背けり。
もし深信因果の機たるべくんば、植うるところの悪因の引かんところは、悪果なるべければ、たとひ弥陀の本願を信ずといふともその願力は徒事にて、念仏の衆生三途に堕在すべきおや。若し然りといはば弥陀五劫思惟の本願も釈尊無虚妄の金言も諸仏誠諦の証誠も徒事なるべきにや。
おほよそ他力の一門においては釈尊一代の説教にいまだその例なき通途の性相をはなれたる言語道断の不思議なりといふは凡夫の報土に生まるるといふをもてなり。
若し因果相順の理にまかせば釈迦・弥陀・諸仏の御骨折りたる他力の別途空しくなりぬべし。その故は助けましまさんとする十方衆生たる凡夫因果相順の理に封せられて別願所成の報土に凡夫生るべからざる故なり。
今、報土得生の機に与えまします佛智の一念は即ち佛因なり。
彼の佛因に引かれて得るところの定聚の位滅度に到るといふは即ち佛果なり。
この佛因・佛果においては他力より成ずれば更に凡夫の力にて濫(みだ)すべきにあらず。また撥無すべきにあらず、しかれば何によりてか「因果撥無の機あるべし」といふことをいはんや。
もともこの名言他力の宗旨を専らにせらるる当流にそむけり曾てうかがひ知らざる故歟、はやく停止すべし。

★撥無因果・・・五楚法事讃に「佛言を取らざるを外道となづけ、因果を撥無する見を空とす」等とあり、因果の道理を無視し、否定すること。撥無とは押しのけ、はねかえして、顧みざることをいう。

★三福・・・観経序文に「かの国に生ぜんとおもはんものはまさに三福を修すべし」となし、其の内容は、一には父母に孝養し、師長に奉事し、慈心にして殺さず、十善業を修す。二に三帰を受持し、衆戒を具し、威儀をおかさず、三には菩提心をおこし、因果を深信し、大乗を讀誦し、行者を勧進す。かくのごときの三事を名づけて浄業とす」とあり、これ散善の願行で、福は善に同じく世、戒、行の福、あるいは善と云われ、世福は常途世間の道徳、戒福は佛戒をまもるもの。行福は自利利他大乗を行ずることで、定善と共に方便の内容に攝せられる。即ち教行信証の化巻には、観経の穏顕を釈して、「然るに二善三福は報土の真因に非ず」と批判せられている。

●re.25
菩提心
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[ 191 ] Re8:信心の沙汰 2012/07/07 (Sat) 03:39 △up ▽down
泥凡夫様と石川での別れ際、「今日の先生は、法のお話をされましたが、機のお話しもしっかり、聞いて下さいね」と言われました。

どうしてそういう風に、法と機を別々に考えるのだろうと、フッと思ってしまいました。

>この件に関して「法体募り」を厳しくズバッと切っておられました。

確かに石川で、「信前も信後も御念仏を称えてもいいんですよ、」と言われた時、やっぱり御念仏だけで良かったのだと思うと、自分の意思とは関係なしに、口から御念仏がほとばしり出てきました。

その姿を見て、泥凡夫様は上記のような御言葉をメールで書いてきたのでしょうか?


これは○○で、先生の温かい笑みを含んだお顔を拝している時も同じように、御念仏が出てきます。

ただ、石川と○○での御念仏の感じ方は全く違っていました。

○○では、それぞれが救われた御念仏を称えているように聞こえました。

「また、もう御念仏だけを喜んでおります。」という、それが全てとういう婦人のお言葉を聞きながら、私もそうだそうだとうなずくだけでした。

私の隣で、うつむいて(その時は、先生しか眼中に入ってこなかったのでよく分かりませんが)、
ただ小声で御念仏を称えている声を聞きながら、あ〜やっぱり、御念仏って有難いなと思いました。

でも、それに反して、泥凡夫様のメールからは、とても一味同行の喜びが感じられません。

もっとも、全然私が信心決定していると思っていないからそうなんでしょう。

私は泥凡夫様の方が「機」の方に重きを持ちすぎていると思います。

阿弥陀様に救われるということは、阿弥陀様から廻向されたものを頂くだけですから、機も法も一体のはずです。

どちらも同時に頂いているのですから、機とか法とか区別できるものではないと思います。

十八願に入ると、もうみんな阿弥陀様からまるもらいだから、全然気張る必要もないし、私のままをご存じだから、そのまま安心の日暮らしです。

どうしても泥凡夫様のメールからは、気負いが感じられます。

自分の機を責めているように思います。

自分の機を責めてどうするんでしょうか?

迷った心で、自分の機をどのように図るというんでしょうか?


阿弥陀様から廻向されたから、自分の機も見えて、そこから懺悔の思いも出てくるのだと思います。

でも、阿弥陀様ってそんな私の機なんって、とっくにご存じで救って下さっているんですから、

やはり私に出来る事は、御念仏一つに収まると思います。


●re.26
菩提心
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[ 192 ] 今にして思えば 2012/07/08 (Sun) 04:13 △up ▽down
ひとつも此の道無駄な事はなかったのだ。

阿弥陀様の善巧方便だったのだと思う。

★善巧・・・・善く巧みに方法をめぐらすこと。衆生の機にしたがいて、善くそれに相応した種々の強化利益を施すこと。教行信証の信巻に「大聖衿愛の善巧」とある。
   衿(きん)・・・あわれむの意

★善巧方便・・・よくたくみに衆生の機に相応せる種々の方法を用いて導き救うこと。高僧和讃に、「釈迦彌陀は慈悲の父母、種々に善巧方便し」とある。

★方便引入・・・浄土和讃に観経について、真宗教興の縁由を述べ、「大聖おのおのもろともに、凡愚底下のつみびとを、方便引入せしめけり」等とあり、仮に種々の手段をめぐらして、衆生を真実の経に導き入れること。

何か口に飛び込んだのもそうかも知れない。

阿弥陀様の慈悲心は誰にでも降り注がれているのだから、きっと今までに不思議な出来事として、日常茶飯に起きていても、それに気づかないで過ごしているのかも知れない。

今振り返ると、死んでいてもおかしくなかった私が、こうしてここで書いているのも、これ全て阿弥陀様の善巧方便だとしか思えないからだ。

まず、妹として私の一年後に生まれ、ずっとここまで一緒にこれたのも、妹無くしてこれない道だからだと思う。

きっとどこかで挫折していたことだろう。

「姉が浄土、妹が地獄」、これも全く善巧方便で、ちょっと先に私が喜びを獲ただけで、二人一緒に浄土に往けるようになっていると思う。


●re.27
菩提心
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[ 193 ] Re1:今にして思えば 2012/07/08 (Sun) 04:53 △up ▽down
19歳で親鸞会を知って、「後生の一大事」を聞かされ、八万劫中大苦悩を受けると(随分中身は違ったが)教えて貰わなかったら、私は後生など気にもしなかったのだと思う。

37年間も、そこで在籍しなければ離れられなかった縁なのだろう。


ジャンヌで書き込みして、○○の事を泥凡夫様に質問したことがある。

そこは「機募り」ですよ、と否定された。


まず、○○から、一番遠くを探そうと探しているうちに、妹が一冊の本を手にした経由で、一番目の処に行った。

そこで、初めて仏法の勉強の楽しさを教えて頂いた。

「聖典だけでなく、辞書も買って自分で調べなさい。」

この掲示板でも、毎日様に少しでも近づこうと、電子辞書も買った。

泥凡夫様と、ようやく連絡がつき、前の会の御著書を頂いた。

一人、被害家族の会に書き込みをしていた事を、妹と一緒に親鸞会から離れた法友に反対され、泥凡夫様から、毎日様を紹介して頂いた。

ここで書き込みしている内に、一回目の所と、泥凡夫様が信じている所との違いが分かって、妹に知られずに、そちらに行こうと決心した。

しかし、気づいてみると、やはりここでも妹がいる。

2回目のところでは、ここが真実信心を得た場所だと思い、信後の味わいを書いてきた。

仕事の失敗と、そこでの善知識様宅での失敗が重なり、鬱病みたいな状況に陥った。

しかし、それでもたまに聴聞をしてきたが、しかし、段々私は苦しくなってきた。

全然、行く気も失せていた時の泥凡夫様からの、○○へ行くという電話。


○○を「機募り」と泥凡夫様がジャンヌで書いていなかったら、私はもっと違う道を選んでいたのだろう。

いやむしろ、「救われた、助けられた」と書いた時、その信心は間違いだと言われなかったら、私はきっと、ここには登場していなかったのだ。


そして、泥凡夫様が○○を紹介して下さったから、観音菩薩様とも知り合い、○○の先生ともお会いすることが出来た。

それを思うと、やはりこれは阿弥陀様の善巧方便だと思う。

泥凡夫様への一方的な「信心の沙汰」も、善巧方便なのだと思う。

私達は、観経のような三福など全く出来ない愚か者。

全て阿弥陀様にすがることしか出来ない愚か者が「南無阿弥陀仏」一つで大安心、大満足の身にさせて頂いている。

この私の何処に、一つの善など出来ようか?

それでも、お前一人が正客だと、十八願に重ねて、三十五願の誓いに涙せずにはおれません。

●re.28
菩提心
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[ 194 ] 三つ子の魂百まで 2012/07/09 (Mon) 02:14 △up ▽down
意・・・幼児の性質は一生変わらないということ。


日曜日から、御嫁さん、孫二人としばらく同居することになった。

上の孫(2歳4カ月)と一緒に、近くの小学校の滑り台で遊んだ。

帰り際、父と小学生低学年の親子がいたので、「こんにちは」と挨拶した。

お父さんの方も、「こんにちは」と挨拶をしてくれたと思ったら、孫もつかさず「こんにちは」と小首を傾けて、笑顔で応えている。


私は嬉しくなって、お嫁さんに、「○ちゃんのお母さんが教えたのね。とても嬉しいわ」と言うと、お嫁さんは、「それ、お義母さんの事ですよ」と言われた。

「お義母さんが、いつも孫を散歩させている時、誰にでも挨拶しているのを、聞いていたんですよ。」

そういういえば、ようやくしゃべれるようになってきたと思っていたら、昨日聞いた孫の口から、「ごめんね」「ありがとう」「だいじょうぶ?」「痛い?」等、随分思いやりの言葉が出ていたので嬉しかった。


この頃、散歩をする時、「○○ちゃん、阿って言ってごらん」「あ」、「彌って言ってごらん」「み」というように、最後までこんな調子で阿弥陀仏と言わせている。

何も知らないけれど、きっと耳の奥底で聴いていると思うと、仏縁が生まれてくるように思えた。

それは生まれたばかりの、下の子にも、抱きながら、耳元で「南無阿弥陀仏」の御念仏を称えている。

いつか、それが華開く時が来るだろう。


私の記憶には、祖父から、「御仏壇の所で、手を合わせてから箸を持ってくる」ように言われていたが、妹には記憶がないという。

食事の時は、母から「米粒には3人の仏様がいる」と教えられ、一粒の米を、(ここに一つ)と思いながら、三回に分けて食べていた記憶もしっかりある。

あまり好きではなかった祖父だけど、しっかりと仏縁を結ばせてくれていたのだと思うと、有難くなった。

上の子の仏縁の為にも、これからも阿弥陀様の事をイメージ出来るような言葉を使って聞かせたい。


今までの経緯を、夜御嫁さんに話した。

そして、「ごめんね、○ちゃん、若し苦しくって嫌だなと思ったら、南無阿弥陀仏と称えて、阿弥陀様にすがってね」と言った。

二回、ここがそうだと思う所に連れ回したが、それでも嫌な顔をせずに御嫁さんはニッコリ笑って応えてくれた。


●re.29
菩提心
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[ 195 ] 段ボール運搬について 2012/07/10 (Tue) 01:25 △up ▽down
土曜日妹の家で、姪も遊びに来ていたので話した。

最近の仕事事情、特に大手の製造会社が完全に我が地元から撤退するそうで、330余名の人達が職を失うそうだ。

その人達が、ドッとハローワークに押し掛けてくると思うと・・・と凄く不安がっていた。

今、姪もハローワークから職業訓練校に半年通っているから、尚その不安は大きいだろう。

そんな時、「叔母ちゃんは今どんな仕事しているの?」と聞かれた。

大雑把な仕事の内容を話していたが、つい愚痴が出てしまった。

「あのね、1畳分ぐらいの大きさの鉄の箱に一杯段ボールを山積みにしてその上に、ゴミ袋2つ乗せて運ぶのよ。恥ずかしいし、重いし、今は暑いし・・・」

冬になったらどうして運ぶんだろうと、雪の中を運ぶイメージを膨らませて、今から嫌で仕様がないと思って、多分そんな言葉が出てきてしまったのだと思う。

つかさず姪から、「全然恥ずかしくないよ。どうして恥ずかしいと思うの」と言われた。

結構人の視線を気にする姪なのに、「恥ずかしくない」とハッキリ言われて、何を今まで自分は嫌がっていたのだろうと思った。

姪達からみると、恥ずかしいとか言っていられない状況なのだと思う。

本当に、御先真っ暗な状況の日本。

私達世代は、まだ全員が中流意識の中で育ってきた。

今は貧富の差が段々激しくなってきた。

低収入世帯程、消費税税率アップで一番影響を受けるそうで、益々貧富の差は歴然としてくるのだろうか?

低収入の息子夫婦を心配し、そしてこの時代に生まれてきた孫達の将来がとても心配になっていても、金銭的な補助などして上げる程の余裕など無い。

もう私にしてあげることは、いつも阿弥陀様がついているっていうことを、幼い子供に伝わったら有難いと思うだけである。


月曜日、案の定、段ボールとゴミ袋の山はそのままだったが、姪の言葉を思い出して、すぐに運ぶことにした。

今回は何の抵抗も起きて来なかった。

すごい炎天下だったが、時折、屋内に居る時よりも、涼しい風が吹いてくると、何故か「南無阿弥陀仏」と称えて護れていることを実感した。

そして、これにはとても嬉しい付録がある。

●re.30
菩提心
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[ 196 ] ひらめき 2012/07/10 (Tue) 01:34 △up ▽down
土曜日に段ボールの事で姪の言葉から反省させられたので、先週の出来事を思い出していた。

先週は、カメラ撮りが忙しくて、本来私のやるべき仕事の段ボールの整理も出来なかった。


いつも後に手をやって、暇そうにして大声を出している正社員と派遣社員を見て居ると、ついついイライラしてきている。

そんな時、余計な言葉を言われ、反発して、いつもは手伝ってくれるその派遣社員に「うるさい、邪魔」と言ったきり、無言で仕事に精を出していた。


それから3日間。全く会話は無かった。

金曜日にどうしても金具が必要になって、聞いてみても場所は教えてくれても、それ以上の会話はない。

ちょっとまずいかなと思っていた。


日曜日、ひらめいた。

「そうだ、この前、チーズケーキが好きだと言っていた」それを作って、月曜日に彼に渡そうと思った。

案の定、月曜日もぷりぷりの顔で全く無視していた彼に、声をかけた。

「先週は、ごめんなさい。カメラの仕事で頭が一杯になっていて、段ボール整理してくれていたの、忘れていてごめんなさい。お詫びにチーズケーキ作ってきたから食べてみて」と手渡した。

彼は会社の冷蔵庫に入れて、3時の休憩時間に食べると言っていた。


この部所の良いところが一つ有る。

部外の会社、又社員のおみやげは、きっちり(私達昼からのシルバー)にも分けてくれるのだ。

彼だけに食べて貰うつもりが、皆から「おいしかった」と笑顔で挨拶された。

勿論彼は、いつもの調子で、彼女と大声でしゃべるようになっていた。

そして、「○○さん、レシピ教えてよ。でも本当はいつも頑張っているの知っているんだ。それにしても○○さんは、とてもいい笑顔するよね」と明るい声で話しかけてきた。


やっぱり、このひらめき間違い無かった。

「佛凡一体」なら、良いと思うことは、仏様の思い。

そう思って、即実行に移したら、案の定、良い結果となって帰ってきた。

これも、シルバーで知り合った人のお陰だ。

何の取り柄もなかった私が、シフォンケーキとチーズケーキで、人の和を育んでいける。

阿弥陀様有難う。こんなお膳だてもしていて下さっていたんですね。

●re.31
菩提心
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[ 197 ] 同僚の言葉 2012/07/11 (Wed) 05:21 △up ▽down
シルバー派遣から、面接に行った時、一人の男性だけが嬉しそうな顔をしていた。

その彼と、一緒に仕事をすることになった。


仕事をしだして4カ月目だが、会社の内情も少しは分かってきた。

会社の建物は一緒だが、そこには子会社も含まれていて、色々な人間関係が有りそうだ。

又、同じ部所内でも、発送先に対して人を分けているようだ。


例の暇そうな大声を張り上げる女性社員と、その派遣社員は一緒に組まれているようだ。

だから、他がどれだけ忙しそうにしていても余計な事はしないみたい。

その女性社員は、私に「暇な時間をどうやってすごすかもこれで、結構苦痛なの」と平気な顔でいう。
派遣社員が、今までやってきた仕事を全部してくれているという。
そして、その派遣社員がやっていた仕事を私が引き継いだという訳だ。

部長も部長だと、ぐちぐち言う部長に「いい加減にして欲しい」と心の中で思っていたが、その彼女が部長を助けていたらしく、全然彼女がさぼっていても何も言わない。

その反面、私達には、少しのミスも許されない。
たかがシルバー、されどシルバーか知らないが、いつも中国の税関の厳しさを引きあいに出され、挙句の果ては、自分(部長)の首どころか、社長、会社、行きつくところは日本国の存亡にまで発展する。

時折、傍に来て、タイでは時給160円ぐらいで一生懸命働いていると、誰に言うともなしに言っている。

嫌な奴と心の中で、気にしないように努力していた。

でも、最近は御念仏を人知れず称えるようにしている。

今週は出荷数が多く、山積になっている段ボール箱でフロアは一杯だ。

一人黙々、彼は動いている。

そこに部長が来て、ねちねち嫌みを言ってくる。

例の二人は相も変わらず、おしゃべりしている。

写真を撮っている途中で、カウントして欲しいと彼に頼まれた。

どう計算しても、5時には済みそうにもない。

「えー、今から」と言うと、「そんな事言わないでお願いしますよ、○○さんなら、絶対してくれるって、信じてますから」と言われた。

「どうして、あそこにいる人に頼まないの?」と聞くと、「みんな忙しいから・・・」

彼がこれで、2回続けて長期休んでいるのを知っている。

うつ病だとも知っている。

そして、最近彼の父親が、この7月に違う県から異動で私達2階の部長としてやってきた。

社員の彼女は私に「大の男が泣いて帰るなんて、そんな女々しい男なんて、この会社に必要ない」と言った訳も分かってきた。

先週、助けてくれた他の部所の人に、部長の事をちょっと言ってみたら、この会社ではまだまだ優しいのだと云う。どんな人間関係なんだろうと、びっくりした。

この事を息子に言ってみたら、「どこでもそうだよ。一番に社員がかわいいの」と言われた。

社員、その下に派遣社員(ハローワークからの紹介も含め)、最後にシルバー。

まあこういう構図がハッキリ分かれていることは、この会社では間違いない。

シルバーの私達が残業して、部長にハンコを貰いに事務所に行くと、もうそこには女性社員は一人も残っていない。


そんな思いの中で、でもその彼から「僕の事、一番気にしてくれているの、○○さんだけだから」と言われると、ついつい62歳の私は頑張ってしまい、もうヘトヘト。

●re.32
菩提心
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[ 200 ] 不思議な話 2012/07/14 (Sat) 04:34 △up ▽down
ある日、友達の家に遊びに行った。

彼女は、頭も良く、親切で親思いで優しい。

しかし、過去からの色々な思いもあってか、母親の悪口をいつ聞いても(そんなに言わなくてもいいのに)と心の中で思っていた。

その日も、テーブルについて話していたが、余りに悪口ばかり言うので、思わず「やめて!!」と私自身もビックリするくらいの大声を張り上げた。

すると、同時に大音が部屋から聞こえた。

彼女は外に飛び出して行った。私の車が追突されたと思って外に飛び出したのだ。


彼女が外に出ている間、私はなぜかその時、「誰か」が見ていてくれていると確信した。

その時の状況を、その後、泥凡夫様に話したら、「きっと隕石が落ちたんですよ」と言われ、ガッカリした事がある。

同じように毎日様に話したら、「そんな事もあるよね〜」って受け止めて頂いた。


それが、今週刊文春の「風まかせ赤マント」の椎名誠の文章が目に入った。

『奇跡の生還へ導く人』(ジョン・ガイガー、伊豆原弓訳=新潮社)は、絶対誰もいる筈のないところに現れる“誰か”のことで、サードマンと呼ばれる。
ユーレイではなく、死の危機に瀕した人を助ける“誰か”だ。
かなり有名な探検家、冒険家、遭難者がこのサードマンに救われている。

この大音を聞いて後、息子が名古屋で知り合ったという会社員(今は高野山で得度している)から、「お母さんの魂が暗いので、僕の所に来なさい」と息子から電話が入った。

私は、全然違和感なく、その話に乗った。

妹からは、親鸞会でいう「後生の一大事があり、地獄に行くのか」聞いてくるように頼まれた。

名古屋から帰ってきて、すぐに「ジャンヌ掲示板」に書き込んだ。

それから、赤子のような気持ちになって寝て起きて「御文章」を開け、「或る人」と口を開けた瞬間、何か球体らしきものを飲み込んだ。

もうその時の、喜び様は傍で見ていた主人も息子も驚いていた。

すぐに、その会社員に電話を入れた。

「お母さん、全然驚く事はないですよ。ちょっとお母さんの魂に筆の先で触れたようなものです。読めるのはお母さんが過去に何度も生まれ変わって勉強していたからですよ」と言われた。

その後、会社員は得度も受け、奥の院にも行き、そしてその高野山の御住職から、「過去に私と一緒に修行していた間柄で有る」と教えて頂いた。
高野山の三本の指に入る有名な方らしいのだが、私には今でもピンとこない。


でも、仕事を辞めるきっかけになった、ある整体師(占いもする)に、今年3月頃、泥凡夫様、妹、私の行く道を尋ねた事がある。

白い着物を着て、手に数珠を持って、嬉しそうにしている私の姿が見えると仰って下さった。

私は、いつも私を見守って下さる人がいると感じたのは、あの大音を聞いた時からである。


○正覚の大音。響き十方に流る。

又、その声は、十方世界何処に居ても聞こえます(口業の徳)

○微風徐く動て諸の枝葉を吹くに。無量の妙法の音聲を演出す。其聲流布して諸仏の国にあまねく。

そこへ風が動て諸々の枝葉を吹くと。無量の法音を出る。其聲が十方世界に透り渡る。

○其音を聞くものは深法忍を得て、不退転に住す。仏道に成るに至るまで。耳根清徹にして苦患に遭ず。

 衆生ありて此の音を聞くものは。無上法忍の益を得て。正定聚不退転の現益を蒙り。臨終一念の夕。大般涅槃を得る迄は、耳清らかで苦しみを受けない。



その声を聞いたのだと今は喜んでいる。

●re.33
菩提心
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[ 201 ] ひらめき即実行 2012/07/14 (Sat) 03:08 △up ▽down
朝4時に目が覚めた。

「よし、今日はシルバーの人にケーキを作ろう」と思い、チーズケーキ、シフォンケーキを作り、焼上がる時間までに、気にいった「なす」と「きゅうり」のレシピを、インターネットから取り込んで、自分のドキュメントに入れている。

徐々にレシピも増えている。

姪から教えて貰った「鳥ハム」も作ってみた。

とても、おいしい。

同居してどうなるだろうかと心配したが、全く姑根性のひとかけらも出てこない。

お嫁さんから、「孫の為にもこのまましばらく一緒に住みたい」とも言われた。

「あはは、息子が単身赴任ね。いいんじゃない。」


朝食を食べて、孫を連れて、大きな公園に散歩に出かけた。

朝一なので、誰もいない。最高。

孫のお気に入りの滑り台がある場所まで行った。


そこに、孫と同じような子供を連れたお母さんがいた。

「こんにちは」と挨拶する。そばで孫も「こんにちは」と挨拶する・

子供は、はにかんで下を向いている。

お母さんが、「この子気が弱いんです」と言って、暗い顔になった。

「あら、お母さん! 気が弱いんじゃないのよ。優しいのよ。優しいところを褒めてあげてね。褒めて上げられるのはお母さんが一番よ。そして優しい子供で嬉しいって言ってあげて」

「私も孫にいつも言っているの。泣きそうな顔したら、すぐに貴女の笑顔は世界一よ。ってね」

分かれる時、随分、その親子の顔が明るくなっていた。


11時半過ぎに、昼食を取って会社に行く。

まだ「チーズケーキ」の余韻が残っている。

淡々と仕事をこなしていく。

不思議にピッタリと時間通りに仕事が収まる。

どれもこれも仏様の思うように、私は動かされているように思える。

疲れたら爆睡。

●re.34
菩提心
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[ 202 ] 孫が薬を飲む時 2012/07/15 (Sun) 08:38 △up ▽down
お尻が、赤くただれている。

ネットで調べてみると、あせもか、とびひか判断がつかない。

そうこうしているうちに、まぶたが異常に盛り上がってきた。

お嫁さんが、心配して皮膚科に連れて行くことにした。

まぶたは虫さされ、お尻はとびひ、頭はあせも。

3種類の薬を服用することになった。

嫌がる孫に、主人も御嫁さんも、「飲まない子は悪い子」と言って無理に飲ませようとする。

私は、「そういう言い方は却ってよくないよ」と二人に言った。

「○○ちゃんはいい子だよね。いい子はお薬飲めるんだよ。早く飲んで、お外に行って散歩しようね」と言うと、しばらく様子を見ていると、自分からすすんで飲んでみようという行動をした。

その様子を見て、私はこのように思った。


「二種深信」のことだ。

阿弥陀様に救われるには、己の機を責めてどうするのだろう。

信心決定して初めて知らされる己の機なのに、どうして救われる前から、ああでもない、こうでもないと、己の機を推し量るのだろう。


自分で気がつかないところで、どれ程の罪を造ってきたのか、本当に自分で知りつくす事など出来るのだろか?

出来るという人程、傲慢だと思う。

それより、誰でも救って下される阿弥陀様の大慈悲心を、もっともっと分かって貰える方が、仏に近づく勝縁になると思う。


阿弥陀様に救われたいと思う時は、「今、ここで、私一人」だろうが、阿弥陀様の大慈悲心は「いつでも、どこでも、だれにでも」かかっているのだ。


●re.35
菩提心
非公開の非公開
[ 204 ] 子供の成長 2012/07/17 (Tue) 03:52 △up ▽down
妹の孫と私の孫、二人とも女児だが、最初ははにかんでいたが、いつの間にか二人仲良く遊んでいる。

この頃の子供の成長は、目を見張るぐらいだ。

朝、公園に遊びに連れて行って、遊具の順番待ちをしている時、なかなか変わって貰えないので、「済みません、順番に変わって貰えませんか?」と声をかけた。

私はその事を忘れていたが、夕方、その二人が我が家で遊んでいると、「順番、順番」と、交互に滑り台で遊んでいる。

この頃の子供の前では、悪い事は出来ないなと反省する。

良い事も悪い事も、全て吸収してしまう。

教えなくても、悪い言葉や態度は身についてしまう。


それにしても、大津のいじめ自殺は、報道を聞いていても心が痛む。

生徒の目からしても、いじめだと感じているのに、全く無頓着な先生。

親はどこまで気づいていたのだろうか?

子供はどんどん成長しているのに、私達親は、そんな子供の成長に気づかずに、いつまでも子供だと思いがちである。

子供には子供の人生が有る。

それを、温かく見守っていけるような親であり、先生であり、社会であったらと思う。

●re.36
観音菩薩
北陸の女性
[ 206 ] Re1:子供の成長 2012/07/17 (Tue) 11:37 △up ▽down
お孫さんの成長は、素晴らしいものがありますね。

良いも悪いも即吸収して、大人を驚かせてくれます。

よいこととわるいことが裏表で一つなんて、まるで二種深信みたいですね。

どちらが表に出るかは親の育て方だったり環境だったりして、それこそ

いつでも、どこでも、だれもが、優しかったり、怖かったり。

本質的に人間が悪としたら、優しさは何処から出るのでしょう。

やはり、それはその人の中に優しい方が存在ましますという事ではないでしょうか。


私が子育ての頃、子供ってなんて素晴らしいのだろう、と強く思いました。

子供は、希望であり、宝であり、夢だなぁ、と思ったものです。

あれから〜随分時間が過ぎましたが。

少子化時代唯一子供は、心安らかに育って欲しいと願います。本当に。





●re.37
菩提心
非公開の非公開
[ 208 ] Re2:子供の成長 2012/07/18 (Wed) 03:02 △up ▽down
>少子化時代唯一子供は、心安らかに育って欲しいと願います。本当に。

観音菩薩様

本当ですね。

子供が欲しくても、なかなか出来ない人もいるのに、かたや虐待されている子供もいる。

なかなかうまく世の中回っていませんが、それでも弥陀の大慈悲心は誰にもかかっていると思います。

この私も、息子からは虐待していたと今でも言われます。

成績表を貰ってきて、あまりの悪さに(自分の事を棚に上げて)、激昂してしまい、足蹴にしていました。

とても人には偉そうな事言えませんね。

でもそんな私でも救われたんですから、不思議としか言いようが有りません。

いつ、どこで、仏性が華開くか分かりません。

全ての人に仏性が有るとお聞きしております。


私は今でも心が辛くなる思い出が有ります。

内職で忙しい時、そばで息子がぐずって泣きやみません。

イライラして、2歳ぐらいの息子をそのまま押入れに入れてしまいました。

ようやく仕事も片付き、押入れを開けると、そこにはぐったりした息子がいました。

頭に手をやると、熱が有りました。

まだ口に出して、うまく話せないのに、真っ暗な中でどうしていたのだろう。

その夜夢を見ました。

全く欄干一つない橋の向こうに、息子が立っています。

気がついて側に行こうとした瞬間、息子がその橋から落ちてしまいました。

一瞬の出来事でしたが、直ぐに目が覚めました。

その後、時々今もその夢を見ます。

あ、夢で良かったと思います。

夢で良かったと安心することは、他でも良く有ります。

横道それてしまいましたが、虐待された子も、した親もその傷は一生残ると思います。


世知辛い世の中、せめて安心して暮らせる世の中になって欲しいものです。


観音菩薩様、

観音菩薩様は、阿弥陀様の脇侍として、勢至菩薩様と共に救いの手をさしのべて下さいます。

まるで生きた観音菩薩様として、私を見守って下さり、感謝いたしております。

これからも場所柄、近くに住まわせて頂いておりますので、ぜひお会いして又お話お聞かせ下さい。

いつも読んでいてくださり、有難うございます。


●re.38
菩提心
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[ 211 ] 地獄行き 2012/07/20 (Fri) 04:43 △up ▽down
「○○さん、部長が写真の事で呼んでいるよ。」

「えー、あの部長が」

恐る恐る事務所に行くと、パソコンの前で、他の部長と相談しながら、画面を覗き込んでいる。

どうも写真の撮り方が、上手に出来ていないようだ。

色々、指示を受けて、もう頭の中はごちゃごちゃ。

「ちょっと、待って下さい」

丁度、一休さんの漫画で、トンチを働かす時、両手を頭でトントン叩いている場面があったが、正しくその姿のまま。

頭を叩いて整理してみる。

気がついてみたら、二人の部長から、「よくは撮れているんだけれど・・・」と言われながら、「頑張って下さい」と事務所から出てきていた。


鬱っけの人は、最近は、私をいじってくる。

私も、「そんな人は地獄行きよ」と笑って返す。

「そりゃないですよ。僕は天国に行くんです。○○さんこそ地獄行きですよ。」

「そうね、じゃあ、天国行ったら、私を助けてね。」

そんな他愛もない話に盛り上がる。

今の望みは彼がいつも元気で明るい感じでいて欲しい。

「○○さん、今日は帰しませんよ。もっと、しっかり頑張って下さいよー。」

「だから地獄行きっていうのよ。もう腰も折れないぐらいへとへとなのに。」

そして彼のちょっと出かかっているお腹にポンと手で叩く。

私とどっこいどっこいの出っ張り。

あ、今日も無事終わりました。

有難い、有難い、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・・・・。

●re.39
観音菩薩
北陸の女性
[ 213 ] Re1:地獄行き 2012/07/21 (Sat) 15:59 △up ▽down
>有難い、有難い、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・・・・。

この一言がありがたいですね。

どんなに大変な思いで頑張っているか隅々まで阿弥陀様がご存知です。

そんなことはお構いなしに南無阿弥陀仏で返していける世界を知っているからこそ

出てくるお念仏。

何一つ無駄なものはないのですね。

苦労もなんのそのと増々輝いておられる菩提心さま。

職場の人との会話に地獄行きが飛びでるのもさすがと思いました。

やっぱり福井かな…都会じゃそうは行かないだろう…って。

浄土真宗の地盤があるってこういう事ではないでしょうか。

なんとも有難い事です。

生活はすべて念仏の助けとなるようにしなさい、と菩提心さまが教えてくださって

おられるように思いました。ありがとうございます!

南無阿弥陀仏…

叔父が菩提心さまと同じ所に住んでいるのも、不思議なことです。

私も叔父の顔を見に近々尋ねたいと思います。

時間が許せばその時はよろしくお願いいたします。

過去に叔父が母を尋ねて二度ばかり来ているのにほったらかし状態で…ずっと気になって

いるものですから。

母も年老いてきてますし、一度お会いしたいのもあって行って来ます。

母を連れて。







●re.40
菩提心
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[ 215 ] Re2:地獄行き 2012/07/22 (Sun) 05:49 △up ▽down
観音菩薩様


>母も年老いてきてますし、一度お会いしたいのもあって行って来ます。
>
>母を連れて。
>
もう行かれましたか?

御親戚の方の近所に、昔は仲良くさせて頂いた方がいます。

子供は今でも、付きあっていますが、私は疎遠になりました。

すぐ傍にいても、縁有る人はどんどん変わっていくと思います。

又、真横にいても、同じ浄土真宗の門徒と言いながら、その中身は千差万別です。
定年退職した後、別院でバイトをしていたお陰で、役僧が出来るそうで、お葬式にはバイトに出かけるそうです。
私達の団地では、一番収入が有ると主人に言っているそうです。

シルバーでも、息子さんが得度を受けて有難いというお母さんと知り合いましたが、中身を聞くと、寺のお手伝いをしていたお母さんの御縁で、そこの住職の代わりを頼まれたそうです。一生生活に困らないと安心したお言葉でした。

親鸞聖人は、どのようなお気持ちでおられるのでしょう?

私は、名もない一主婦ですが、それでも第三十五願が嬉しいです。

重ねて四十八願で誓って頂けたこそ、今の私が居るからです。

疎遠になってしまったその人に、今でも顔を会わせるのはあまり好みません。

そんな私だからこそ、尚一層阿弥陀様の御慈悲がかかっていると思います。

とても信心決定しているような私じゃないですよね。

だから尚、泣けてきます。

●re.41
菩提心
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[ 217 ] 阿弥陀仏と観音の関係? 2012/07/23 (Mon) 05:30 △up ▽down
「奇跡の生還へ導く人」の著書を図書館で借りてきた。

読んでいて、観音菩薩の三十三変化を思い浮かべて、こんな本も借りてきた。

ここで観音菩薩様もお出で下さったので、この著者の宇宙観に興味を引かれたので一部抜粋したいと思う。


「観音図典」  著者 西上青曜   朱鷺書房 

五世紀の初めに訳されたという『観無量寿経』の中で、阿弥陀如来を中心に大勢至と観音の脇侍の三尊形式が完成するが、これはイランの光明思想を受けた結果といわれる。
阿弥陀の言語は二通りある。
アミターユス (Amitaus 無量寿)
アミターバ (Amitabha 無量光)
二つ共にかつて釈尊を形容した言葉だったらしい。その音写が阿弥陀である。
阿弥陀如来は西方に仏国土の極楽(スカーヴァティーSukhavati)を持っているとされる点からも、西方との文化交流が考えられるし、古代イラン(ペルシャ)の光明神アフラ・マズダやミトラ神ともよく似ていて、関係の強さが分る。
同じように阿弥陀が中尊とした三尊形式の大勢至や観音も古代イランの影響を受けていることが知られるのである。
ここからもアヴァローキテシュヴァラが水神を源流としている点が説明できる。
阿弥陀が光明神であるアフラ・マズタやミトラの影響を受けたとすると、同じゾロアスター教のアナーヒター女神との三尊形式が考えられ、アナーヒタ―女神の水神としての働きは大勢至(マハー・スターマ・プラープタMaha-sthama-prapta)となって、宝冠に水瓶をつける形となる。
また、アナーヒター女神生産・豊饒・多産吉祥の観念が観音(アヴァローキテシュヴァラ)としてまとめられたと見られる。
イラン高原の中、ターク・イ・ブスターンには帝王とアフラ・マダス神とアナーヒター女神の三尊形式が残っていて、前には池水がある。これは「観無量寿経」や「阿弥陀経」の編纂された時代より二百年遅れているとはいえ、当時の山尊形式とアナーヒター女神の関係が見てとれる。
後半密教時代になって、大勢至は観音の変化身の一つとして胎蔵マンダラの中に組みこまれた。
阿弥陀の原名アミターバは無量光であり、光明神としての性格を持っている。又、その身体は黄金身(黄金は太陽の分身としての意味がある)であることからも、太陽光・光明との関係はつよい。
水瓶を持ち、水神関係の姿をとどめる観音が宝冠にその阿弥陀の化仏をいただいている関係は、光と水の関係を示し、それは光の作用による水の働き、すなはち、生命発生・誕生のメカニズムを暗示する。
言葉を変えていうと、現代科学でいうところの光合成である。ここから最初の生命体が始まったのであり、崇高な生命神としての観音の立場を物語っている。
阿弥陀を中心にした脇侍、観音と勢至の三尊形式にしろ、仏陀を中心にした観音と弥勒の三尊形式にしろ、生命誕生を讃えた古代西方文化の形であり、光明神と水神の組合せである。
生命あるものの全ては、この三尊形式の影響下にあるとして見れば、すなおにその力の偉大さが納得できる。仏教的教義はそれをいろいろに荘厳して伝えてきたものと解釈できるのである。
極楽での往生を願う形は、私たちの肉体が死を通じて原子に分解されても、次の苦のない世界で新しい生命体として再生したいと、生命誕生(再生)の神秘力を握る神に祈るスタイルであり、三尊形式にはこうした願いが秘められている。

●re.42
菩提心
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[ 218 ] 「忍」の人 2012/07/26 (Thu) 07:09 △up ▽down
カメラ撮りの仕事を終え、カウントの仕事に取りかかる。

1個でも多いと、重い関税がかかるというのは、案外まゆつばでもないのが、最近他の人から聞いて驚いた。

慎重にカウントしていると、シールに貼られている数と大幅に数が多い製品が出てきた。

いつもの彼に報告した。

彼は上司に伺いをし、その対処として、例の正社員に報告しているのが、私の方からも見えている。

物流部なので、色々な輸出製品の窓口で受付をするのが、彼女と派遣会社の彼だ。

様子を窺っていると、どうも彼の方が彼女の言い訳に打ち負かされてしまったようだ。

私の方に向かってくる彼の表情は「忍」の一字だ。


それに比べて、私は全く違った。

その前日、派遣会社の彼から注意を受けた。

燃えるゴミを無造作に袋に入れていると、離れた所から、「ちょっと、○○さん、ちゃんと燃えるゴミとプラスチックのゴミを分別して入れているの」と大声で言われた。

この仕事は本来、貴方の仕事ではないかと、無性に腹が立ってきた。

丁度、正社員の彼女の傍のゴミ箱の中身を処理しているところだったので、小さな声で、彼女の「怒らせると、危ない危ない」という言葉が聞こえてきた。

私がカメラ撮りをしている場所は、目の前が、段ボールの空き箱がたまっている場所だ。

そこへ、彼女も派遣会社の彼も含めて、他の社員が遠くから、空き箱をほおり投げてくる。

側まできて、置いてくる者は一人もいない。

ホントにおかしな部所だと思う。

一人、一人が空き箱を整理すれば良いのだし、紙とプラスチックの箱が分かれているなら、そのように入れればいいのに、二度手間は要らないと思った。

派遣会社の人も、今の私のような屈辱的な気持ちは味わいたくないのだと思った。

そのイライラ感が家の玄関前まで続いていて、車庫に入れると同時に結果が現れた。

後部ドアに接触してしまい、丸1カ月働かねばならない羽目に陥った。

自分ながら情けない。


そんな出来事が有った後の彼の言動を見て、反省させられた。

私なら、とても我慢できないと思った。

彼は「忍」の人だ。
鬱っけだと同情していたが、とんでもないと思った。

「善財童子」が善知識を求めていくお話があるが、私の目の前に善知識がおられると思った。

又、シルバーの人も、真面目な人と最近は思っていたので、そのように思って周りを見てみると、私に教えて下さる知識ばかりなのかも知れないと思う。

どこかへ行って、知識の御話を聞くのもとても有意義だと思うが、日頃の生活の中に、真の仏法は生きているのだと思える。

まだまだ、私の修行は足りないね。

それでも、ニッコリほほ笑んでおられる阿弥陀様を感じることが有難い。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・・・・。

●re.43
菩提心
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[ 220 ] やはり親心 2012/07/29 (Sun) 07:32 △up ▽down
息子も名古屋から帰ってきているので、地区の祭りに参加した。

知り合いの人の近くの河川敷で行われているというので、息子夫婦、孫二人も一緒だ。
祭りの賑やかさに心を奪われ、孫が少しくしゃみをしていても気にもかけない。

で、帰ってきてオリンピックの中継を見ながら、得意の爆睡モードに入ってしまい、朝方目が覚めた。

「起きろ」と旦那に呼ばれて、「もう、うるさいって」ってしぶしぶ起きて、犬のフンの後始末をしていた。

その間、そばで旦那(今は主人と呼びたくない)が、いつまでもギャーギャー文句を言っている。

旦那の言うことは、いつも理に叶っている事が多いし、親切心で言っているのだけれど、それを頭から言われると、ついつい反抗したくなる。

ギャーギャー言っている内容は、孫が熱を出して、親二人が何度も起きて介抱していたそうである。

その間私は全く意識なし。

やはり親とは有難い。

親なればこその行動である。


阿弥陀様は私の親である。

それも、世間の親とはけた違いの大慈悲心。

孫にも心をかけず、爆睡している私に、阿弥陀仏の親心が働いておられる。

息子夫婦の姿を通して、ちょっと爪の先程の恩を感じる親不幸な娘です。

(くすん、62歳の娘か、もっと若い乙女の時に出会っていたら、この娑婆世界楽しく生きて行けたのに)

という、強欲が生まれてきます。

ごめんなさい。阿弥陀様、どこまで行ってもこんな私です。

南無阿弥陀仏  南無阿弥陀仏  南無阿弥陀仏・・・・・

●re.44
菩提心
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[ 221 ] アレルギー 2012/07/31 (Tue) 23:41 △up ▽down
どうしてこんなに頭が痒いのだろう?

もうかきむしりたいぐらい頭がかゆい。

目までかゆくなり、瞼まで腫れている。

そういう状態が、十日間ぐらい続いている。

勤め先では、冗談で「こき使われているから、瞼がこんなに腫れてしまって」と言うと、
「アハハ、寝相が悪いんじゃないの」と言われて、ハイおしまい。

娘からかかってきた電話で、今の状態を言って、「どうも白髪染めをしたからだと思うけれど、貴女は大丈夫?」と聞いて見た。

「私は大丈夫だけれど、どうして?」と娘。

「今、ネットで調べて見たら、どうもアレルギー反応を起こす人もいるらしいの。」

私の電話の内容を聞いて、そこはやはり娘だと思った。

「お母さん、すぐ病院行った方が良いよ。アナフィラキシー・ショックってことにもなりかねないから」と心配してくれる娘。

こういう時の私の行動は素早い。

翌朝、すぐに自転車で出かけた。(片道55分。ここが変人と言われる所以。この炎天下に)

やはり植物アレルギーのせいだと分かった。

化学製品を材料にしていない、自然の植物だと安心して娘や友達から勧められ使用して3回目にこういう状態になった。

注射を一本して貰ったら、あのもの凄いかゆみは治まった。

すぐに医者に行くように勧めても、主人のように「もう、絶対○○には帰らないから」と娘に絶縁状を言い渡されて、ようやく医者に行くことにした。

そして今頃、こんなならもう少し早めに行けば良かったと言っている。

ただ有難い事に、私が行った所の医院や病院を主人に紹介したところで、主人は全て治療して良くなっていることだ。


私はこのように思った。

私のような煩悩悪障の塊には、やはり阿彌陀様の注射一本でいとも簡単に治るんだな。

でも私の取り柄は、すぐにそれを実行してきたことだ。

インターネットという世界で、こうしなさいと言われたらすぐに、そうしようと思って行動したから、今の私があるのだ。

息子の勧めに、すぐに名古屋に飛んで行ったのもそうであり、
ジャンヌ掲示板でのやりとりで、書き込み反対されても書いてきたお陰である。

そこには、愚尼様も泥凡夫様も毎日様も居られたらこそだといつも感謝している。


「書き込みをしているぐらいで、その人の性格なんて分かるの?」と前の善知識様が、泥凡夫様が連れて来たお二人に尋ねると、「ハイ」と答えて下さった。

私はその時、とても嬉しかった。

そして、ジャンヌ掲示板に書いてきて忘れられない書き込みが今も有難い。その場所を少し引用して行きたいと思う。


私はそれを「娘の母を思いやる心」と同じように、阿弥陀様からの、どんな方法でも助けてやるよとの御心だと感じている。

阿弥陀様の大慈悲心は、大宇宙に注がれているからこそ、こんな所にもその阿弥陀様の大願業力はかかっているのだと思う。

こんな時代に合わせての御方便。

●re.45
菩提心
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[ 222 ] 淡々と・・・ 2012/08/03 (Fri) 06:41 △up ▽down
日々少しずつ変化していることを実感する。

あのイライラ感は、自分の心から起きていること。

それを自覚した所から、新しい自分、周りの変化に気づいてくる。

ただ淡々と自分の仕事をこなしている中で、周りを気にしなくなってきた。

すると、

あの部長が、カメラを手にして出荷する写真を撮っている。

違う部所の部長も応援にかけつけてくる。

あの大きな声を張り上げている正社員の声は、時より聞こえなくなり「無」の時間を与えてくれている。

派遣社員の人は、ゴミの分別はしておいてくれる。

それに感謝して、段ボールを処理する。

その御褒美は、今いる場所が「如何に涼しいところ」だと実感できたこと。

全く環境は変わっていない筈なのに、少しずつ、少しずつ、良い方向に自分も周りも変化していると実感できる。

部長に仕事の事で質問した。

「僕は、何人もの仕事の把握をしているんだ。とてもそんな小さな事まで覚えていられないよ。」と言われた。

「あら、部長さんって聖徳太子のような人かと思ってました。」とつい言葉が出てきた。

部長はちょっと照れ笑いをする。

私は媚びて言ったのではない。

ただ自然に口から出てくる言葉を言ったのだ。

そんな言葉が出てきて有難い。

そうだ、これも私の言葉ではないんだと思えてくると、本当に周りの人の反応が楽しくなってきている。

ちょっとした会話にも、「お釈迦様、極楽、地獄、観音様、帝釈天、宇宙に感謝・・・・」、そしてなぜか合掌してしまうしぐさ。

有難うございます。阿弥陀様。

南無阿弥陀佛、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・・・


あ、それにしてもアレルギーの痒みは、仕事をしている時は、全く感じないけれど、家に帰ると、かゆく、目や顔は今でも腫れぼったい。

娘の膠原病もどきの現象も、私の遺伝から生じているように思える。

今は、娘の事が一番気がかり。

いつの間にか、亀は1匹から5匹に増えている。

そんなブログを見ながら、娘のやさしさを知り、有難いと思った。

娘と息子の会話では、やはり私は相当の「悪母」らしい。

そんな悪母に育てられていても、それに影響されずに育ってくれて有難い。

(ねえ、私も少しは成長してあの世に逝きたいよ)と心の中で思う。

悪母をここまで成長させてくれている家族。魂の集り。

不思議な縁の集りに感謝。

●re.46
菩提心
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[ 223 ] 魂の友 2012/08/04 (Sat) 08:19 △up ▽down
妹から、花火大会の誘いの電話が入った。

今は金曜日に変更されて、職場帰りの人も多く、私も仕事を終えて妹宅まで車を走らせた。

着くとすぐに花火会場の近くまで家族(妹の夫)に車で送って貰った。

今まで何度か会場にまで足を運んだが、昨日の花火大会は最高であった。

場所も天候にも恵まれ、花火が満開の華を散らした後には、オレンジ色の月がぽっかり浮かんでいる。

その調和の美しさに、思わず心の中で合掌したくなった。

これも阿弥陀様のご褒美のようで嬉しかった。

それはつつましく、大それたものではないが、ただ彌陀と向かい合わせで生きている。


妹と話しながら帰る。

ここ少し疎遠であったが、でもそこは妹である。

そして仏法の話を中心に、朝方4時ぐらいまで妹宅に居た。

仏教に出会い、「信心決定」の意味も教えて頂いて、今その身の仕合わせを感じながら生活させて頂いている我が身。

同じ味わいを、今度は「魂の友」として語りつくせる日々は遠くないと思った。

大宇宙の友と友。

そういう世界観が広がっている。

過去世から、幾たびも幾たびも生まれ変わり、死に変わり、縁を結んできたからこそ、今生で姉妹となり、法縁に廻り会えたのだろう。

全て阿弥陀様の御念力。

南無阿弥陀仏  南無阿弥陀仏  南無阿弥陀仏・・・・

●re.47
菩提心
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[ 224 ] セミの鳴き声 2012/08/06 (Mon) 05:38 △up ▽down
朝4時50分、アブラセミの鳴き声が外から聞こえた。

北側の姥捨て部屋の私の部屋も、二重窓のせいで冬は快適に過ごせた。

しかし、窓を二回開けるのも面倒になり、又後の家が改築するということで、カーテンも閉めて、開かずの窓である。

そういう生活環境が変わったことも忘れ、今年はセミの鳴き声が聞こえないと勝手に思い込んでいた。

昨晩は窓を開けて寝てしまったからだろう。

でも、律儀に狭い庭で、6年の幼虫生活(アブラゼミの場合)を経て、今ようやく声を出して泣いている。

それが終わる頃には、もう秋の虫の音。

そして、僅か10分位の時間の経過で、色々な小鳥のさえずりが聞こえる。


改築すると聞いて、増築するのかと思ったら、家族が減ったので、二階の一部分を壊し平屋にするそうだ。

どの位の高さになるのか、窓の配置とか、気になって窓を開けて確認してそのまま寝てしまったのだろう。

以前はその家の二階の窓から、私の部屋は丸見えなので、カーテンを閉めている事が多かった。

又、冬は雪が落ちてきて、父から貰ったドウダンツツジの枝は折れてしまい、大きくなれない。

でも今年からは、その衝撃も少なくなるだろう。

私には最高の部屋に変わってきたのだ。

朝日が入る。

窓は横開きでなく、開閉式になり、窓枠も小さくなって私の部屋まで見えなくなった。

ドウダンツツジと一緒に貰った、ギンモクセイも喜んでいるだろう。

このギンモクセイには不思議な逸話がある。

何年経っても、ギンモクセイの花が咲かない。

主人と二人、結構大きくなったその樹の前で、「日も入らないし、若し今年咲かなかったら切ろうか。」と話していた。

この話をしたせいか、それはそれは芳しい香りを放って、真っ白な花が満開になった。

以前この「毎日の浄土真宗」で、愚老様とお話したけれど、こんな小さな庭に、3年間うぐいすの鳴き声がしたのも、今にして思えば不思議な事だと思う。

阿弥陀様の御慈悲は、セミにも鳥にも樹木にも平等にかかっているのだと、この小さな自然の中からでも感じることができる。

それにしても、太陽の日差しはなんと有難いことだろう。

●re.48
菩提心
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[ 226 ] トイレでの会話 2012/08/07 (Tue) 06:57 △up ▽down
トイレに行くと、シルバーから同じように派遣できている私と同じような年齢の人と少し話をした。

「暑いね。でもこの暑さもアッと云う間ね。お互い自分の身体を労わって頑張りましょうね。」と声をかけると、

「あら、そんな風に言ってくれるの貴女だけ。」と言われた。

「普通は、御苦労さんって言ってくれるけれど、なかなか自分の身体まで心配してくれないのよ」とも言われた。

少し話しながら、

「私、人生に落ち込んで自殺しようと考えて実行しようとした時、遠方の父が訪ねてきたの。まさか、どうして父がと思って、そこからかな。あ、自分は生きているんじゃない、生かされているんだと思えるようになったの。」

「だから、そう思えるようになってから、時々自分の手を眺めて感謝している」

「何の取り柄もないけれど、でもしっかりこの手は動いてくれている」

「それに母が小さい時から、貴女は近眼だから、向こうから来た人には誰でもかまわず会釈しなさい。だからお陰さまで挨拶だけは癖になって有難い。」

「それに昔から美人じゃないから、少しでも笑顔で何とかカバーしてきたからかな?」

その彼女はエキゾチックな顔をし、スタイルは抜群だ。

その彼女から「貴女の周りには人が寄って来るでしょう」と聞かれた。


人は寄ってこないけれど、犬は子供のように私にまとわりついてくる。

まだまだですね。

●re.49
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[ 227 ] 信じて疑うなかれ 2012/08/11 (Sat) 06:25 △up ▽down
私に対するエールような文章を見つけたのでここに引用した。


「マーフィーの成功人生の法則」  著者 謝世輝  より

願望を具現化し、それを達成する期限を定めたら、次にその大願成就を心から信じることーつまり信念を培うことが重要になってくる。

たとえば、あなたが脱サラ・独立を決意し、それを実行に移したとしよう。この時、あなたは成功に向けて毎日想念を繰り返し、自分なりに積極的な気持ちを抱いて行動したとする。ところが、ある日、突然ミスを犯し、大口の取引がパーになったとしよう。おまけに別の得意先からは不渡りを出され、多額の借金を抱えたとする。

問題はこの時だ。つまり、ピンチやアクシデントに見舞われた時、「やっぱりオレには会社経営なんて無理だったんだ」「もうダメだ。限界だ。世の中、そんなに甘くなかった」と思うか、「このピンチを必ず乗り越えてみせる」「何が何でも成功してみせる」と思うかで、その後のあなたの人生の展開に大きな違いが出るのである。

なぜなら、前者の場合、「必ず」とか「絶対に」という信念が備わっていないため、挫折感にかられ、消極的になり、願望を放棄してしまうことになる。しかし、後者のように「このピンチを乗り越え、必ず成功してみせる」という信念があえば、道が遠く見えても、数多くのピンチに見舞われようとも、それに打ち勝つための勇気と積極的な考えが維持できるため、そのうち周囲の状況が変わってきて、願望成就が可能になるのである。

自動車王ヘンリー・フォードにまつわる話にこんなエピソードがある。
フォードは従来にない全く新しいタイプのエンジンの開発を試みた。それは八個のシリンダーを一つのエンジンに組み込ませるという、従来にない画期的なものである。
だが、フォードから製作を命じられた技師たちは「それを作るのは理論的に不可能だ」と勧告した。しかし、フォードは「何としてもでも作れ」と厳命。こうしたやりとりが何年も続いたが、いつまでたっても完成しない。ついに技師たちは「不可能なものは不可能だ」という最終結論を出した。

が、この時、フォードはこう叫んだ。
「私にはそれがどうしても必要なのだ!」
ところが、それから数カ月して、その「不可能」が「可能」になった。いうまでもなく、つまり「V・エイト・エンジン」の開発に成功したからである。

この話から私たちはある教訓を得よう。そう、たとえ失敗の連続であっても、ピンチやアクシデントに多々見舞われても、「いつか必ず願望を達成させてみせる」という強い気持ち、すなわち信念を維持し続ければ、あらゆる難関は突破できるということだ。
ちなみに、フォードは若い時に、ニューソートの思想家トラインの世界的な名著である「無限界との協調」を読み、“大宇宙霊”に目覚め、人間の想念が“大宇宙霊”と合致する時、そこから無現のパワーが汲み出せることを確信していた。だからこそ、たゆまない信念があれだけ持続できたのだ。

では信念はどのように培っていったらいいのだろう。
これについて述べると、フォードのように“大宇宙霊”の存在に気づくことが先決だ。それを神と呼ぶか呼ばないかは、あなたの自由だが、とにかく「私たちは“大宇宙霊”とつながっており、そこから無限の恩恵が受けられる」という認識を深めることが重要なのである。

そのためには前章でも述べたように、その種の本をできるだけ多く読み、学習を行うことが望ましい。毎日、学習(読書)を続ければ、信念が除々に強まっていくため、想念の効果も変わってくるだろう。併せて日々の体験を通して、「願望は本当にかなう。“大宇宙霊”は存在するんだ」という気持ちを強めることである。「百聞は一見にしかず」ではないが、体験することによって、初めてその存在が認識できる場合も多いのである。

つまり読書と体験を組み合わせることによって、信念はだんだんと培われるようになるのである。

●re.50
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[ 228 ] Re1:信じて疑うなかれ 2012/08/11 (Sat) 06:30 △up ▽down
>「必ず」とか「絶対に」という信念が備わっていないため、挫折感にかられ、消極的になり、願望を放棄してしまうことになる。しかし、後者のように「このピンチを乗り越え、必ず成功してみせる」という信念があえば、道が遠く見えても、数多くのピンチに見舞われようとも、それに打ち勝つための勇気と積極的な考えが維持できるため、そのうち周囲の状況が変わってきて、願望成就が可能になるのである。


ここを読んで、ふっとあの頃を思い出し、今までプリントアウトをしたものを取り出してみた。

当時は、保存する方法が知らなかったので、全てプリントアウトしたけれど、ここに書き写す時は、ちょっと、大変。

ジャンヌ掲示板に、「死ぬ前に獲心したい」というHNで登場して下さった毎日様。

私はこのHNを見て、「絶対に」信心決定したい人が現れたと思った。

その後、「雲明」に変更されました。

今そこを読んでいます。懐かしいです。

そこで、懐かしい頃の、特に私がこの道くる時に、私を励まして下さった印象に残った書き込みをもう一度書いて行きたいと思う。(今日からお盆休みになったので)

インターネットの世界でも、心にいつまでも残っていてそれは私には宝だと思えるからだ。

そのように、阿弥陀様は私を導いて下さっていたのだと思う。

●re.51
菩提心
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[ 229 ] 今でも感謝している掲示板の内容 2012/08/13 (Mon) 06:31 △up ▽down
私を導いてくれた書き込み。(一部抜粋)

「見ています」  2006・1・18
投稿者  謗法の者

初めまして
愚尼様、泥凡夫様、みちくさ様
ジャンヌ掲示板は知っていましたが、過去ログの見方が分からず今日に至りました。
三方のやりとりに対して興味があります。(なぜ親鸞会の人はしらんぷりするのでしょう、割り込んで自説を言えばいいのに)

でもここしばらくないので心配しております。
自信教人信さんがジャンヌに書き込みしてからの内容をプリントアウトしました。
愚尼様、御文を何回も読めば私のような無知なものでも分かりますか?

今まで、善知識が七高僧以来○○先生お一人なのか不思議でした。
その間、妙好人と呼ばれた方はおられたと思いますが、その方達は善知識もおられないのにどうして救われたのか不思議でした。


その返信として、

「御指名に預かっては・・・」   2006・1・18
投稿者  愚尼

心ある人には、プリントアウトして欲しかったので嬉しいかぎりです。
蓮如上人御一代記聞書には、御文100回読めと書かれています。
100回も読めば。蓮如上人が、何を伝えたかったかが分かってくると言われます。

仏法は、知らならそうな人が知っていると聖典に書かれています。阿弥陀様に極楽に救い上げて欲しいと願っていれば、必ず、阿弥陀様が、縁を結んでくれます。

良い子になる必要はありませんよ。

私はとてもお馬鹿さんです。そういう人が弥陀の正客です。


「Re:御指名に預かっては・・」  2006・1・18
投稿者  謗法の者

早速のご返事ありがとうございます。

○○先生の御著書「なぜ生きる」を1000回読めば解るとお聞きしました。
しかし、内容が私には難しすぎていつも途中で投げ出してしまいます。

愚尼様の書き込みを見ながら今、御文を拝読させて頂いております。
100回という数ではないでしょうが、今まで簡単に飛ばして読んでいたのが申し訳ないと知らされます。

一度お聞きします。過去(今は知らない)に、専任講師より御文(親鸞会では御文章)の中で、1帖目第14通、2帖目1、2、3、6、10、15通、3帖目第10、11、12、13通、4帖目第1、6通は当時の時代背景があるので朝晩の勤行の時ははずすように言われました。愚尼様は全部拝読されておられるのでしょうか。

私は聴聞不足もあるでしょうが、皆さんのように法論はできません。

ただ、今はなぜか愚尼様の御文のお言葉がこのジャンヌから消えないで欲しいと思うばかりです。


「Re2:御指名に預かっては・・」  2006・1・18
投稿者  愚尼

親鸞会が読むなという所を重点的に読みましょう。なぜ読むなと言ったか、理由がよく分かると思います。

御文は、5帖80通、一文字一文字が、仏・菩薩だと思って一字一句過たず、そのまま読みなさいと教えられています。


「Re3:御指名に預かっては・・」  2006・1・19
投稿者  謗法の者

昔、一度だけ○○先生に直にお会いする機会がございました。
何か質問はと聞かれ、「沙汰」とはなんでしょう、と答えました。
先生は一笑され、この子を連れてきた専任講師に後で聞いて見なさいと言われました。
でも、御文章には「沙汰をせよ」と書かれています。

他の専任講師は「後生の一大事」「五重の義」「雑行」「宿善」等を先生にお聞きになる姿を拝聴して、感嘆してしまいました。
親鸞会は頭の出来る人の集りなんだと思いました。

もう一度、親鸞会に入会したきっかけを心に刻み、御文を拝読させて頂きます。

それまでは書き込み致しません。

愚尼様、有難うございました。

●re.52
菩提心
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[ 230 ] Re1:今でも感謝している掲示板の内容 2012/08/14 (Tue) 05:34 △up ▽down
Re:「見ています」  2006・1・18
投稿者  泥凡夫

こんばんは、縁ありまして書き込みを行っておりました泥凡夫と申します。
御縁がありましてここで同行の方と知り合わせて頂きました。
弥陀のお計らいに感謝する次第でございます。

過去何度も書きましたが、「御文(章)」は我等凡夫の往生の鏡でございます。一つとして無駄なものなどございません。信を獲るとはどういうことなのか。これは真宗に縁厚いお方なら、必ずぶつかる問題です。

そこで蓮師は後世の我等の為に「御文(章)」を残されておられるのです。
そこには、信を獲るとはどういうことなのか、きちんと記されております。正信の同行ならば、割符を合わすようになるのです。まさに明らかに知られたり。でございます。

信前は「道しるべ」となり、信後は「割符を合わすが如く」明らかになるものです。

残念ですが、聞法を一生続けられても信は獲られません。信じられないなら、10年20年50年聞法精進してみて下さい。難しい教えを覚えて来いと弥陀は申されておりません。そのまま来いと申されております。
信を獲るというのは、私達凡夫の「心持ち」を問われているのでは無いからです。これをどうにかしようとやればやるほど苦しむだけでしょう。それは己の罪深さ故に苦しいのではないのです。自力を自力で何とかしようとしておるから苦しいのです。その先ハッと開ける世界を体験できるのは私は既に経験済みです。
しかし、これは凡夫の起こす所の信に他なりません。これを弥陀から頂いたのだと思うならば、救われる道の極めて狭いものになるでしょう。御文と割符を合わすことも難しくなります。

他力はこれ即ち、弥陀でございます。御文の中で、理解不能の部分も多々ございますでしょう。何故分からぬのか?簡単です。正信を獲ていないからでございます。


真宗は何より信を先にせねばなりません。

真の善知識は何でしょうか?親鸞会様の○○氏のことですか?それでは我田引水の意を感じるだけでございます。善知識は「実語相承、次第相承の善知識」でなければならぬのであって、日本にただ一人などありえません。全国にたくさんいらっしゃいます。

●re.53
菩提心
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[ 231 ] Re2:今でも感謝している掲示板の内容 2012/08/13 (Mon) 15:25 △up ▽down
Re:「彼の方へ」   2006・1・23
投稿者   みちくさ

>みちくささんの疑問について
>私は全然疑問に思いません。だって全ての人を助けるのが阿弥陀様だとそのようにうけとったからです。
>みちくささんの疑問が続いていたから、愚尼様、泥凡夫様のお言葉を知ることが出来たんです。
>そこが有難いんです。いくらあなたがそこの点を私にぶつけてもわたしとあなたの境地が違うので分かりません。


謗法の者 様へ

あなたは私よりもずっと進んでいる、とだけいっておきましょう。
「彼の方」とは親鸞会のご友人ですか?

●re.54
菩提心
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[ 232 ] Re3:今でも感謝している掲示板の内容 2012/08/13 (Mon) 15:26 △up ▽down
「尋ねてみました」   2006・2・10
投稿者  凡夫

泥凡夫

>なるほど。仏法求道者のあるべき姿でございますか。
>何をそんなに硬くなられておられるのか?簡単です。私が答えましょう。自分の諸善を往生の因にしたいと心の何処かで思われておるからです。蓮師が詠まれて信後の嬉しさの文について別の方が御質問頂きお答え申し上げました。信前では有難いと思って居ったことは本当の有難さではなかった。とあるのはまさにあなた様の今の状態なおです。

>善知識を求める姿勢は蓮師が言われておるでしょう。上下を問わず頭を下げろと。

>では普段何をしていれば良いのか。「南無阿弥陀仏」しかないでしょう?当流はこの六字に全てがあるのです。六字を離れた教えも信もございません。

>蓮師の御文中に、信とは何かをたくさん書かれてございます。その部分を抜き出してよくよく御拝読下さい。そして、もし何かに気が付かれましたら、それを大事にして下さい。


信前のものはこの文を何度よんでも分からないと思います。
もう十分ではないのでしょうか?
もう、御手引きする時期がきているのではないでしょうか?



Re:「信心決定できました」    2006・6・28
投稿者   凡夫

謗法の者さま

信心をいただけておめでとうございます。すべて割符が合わすごとくお分かりになると思います。

私は皆様ほどは勉強していませんが、ただ「自分ではどうすこともできません。助けてください。すべてお任せします。」ただ、これだけでした。

幸いにして、有縁の○○さまにお手引きさまにより会わせていただき、○○に御○○をいただきました。

しかし、毎日毎日作る罪を消していただいているのに、日ごろの忙しさのせいにして、感謝を忘れています。でも、こんな凡夫でも助けてくれる、こんな凡夫だからこそたすけていただいたのだと思います。
感謝しています。   南無阿弥陀仏  南無阿弥陀仏

本当に良かったですね。  南無阿弥陀仏 

●re.55
菩提心
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[ 233 ] Re4:今でも感謝している掲示板の内容 2012/08/13 (Mon) 15:37 △up ▽down
Re:○○会長の体験とは何か   2006・8.10
投稿者  元幹部会員

あずき様

>しっかり考察したいと思います。

そうですね。
「無条件服従」はある意味、楽なのですが、流されてしまい主体性を失ってしまいます。自分の頭で考えることが肝要です。真正の釈迦の遺言と伝えられる「自らを灯明とし、法を灯明とせよ」(「他人をたよりとせず、法を島とし、法をたよりどころとせよ」)と「無条件服従」の教えは矛盾します。

>妄執の消滅を求めて、怠らず、明敏であって、学ぶこと深く、こころをとどめ、
>理法を明らかに知り、自制し、努力して、犀の角のようにただ独り歩め。

>音声に響かない獅子のように、網にとらえられない風のように
>水に汚されない蓮のように、犀の角のようにただ独り歩め。
>経典『スッタニパータ犀の角』


『スッタニパータ犀の角』は最も古いとされる原子経典であり、釈尊の生の説法に近い内容とされています。
二―チエも終生座右の銘として手元から手放さなかったと伝えられています。

>自分の直感力は大切にしたいと思います。
>案外本人さえ気づかない能力かも知れません。
>そして自分の心に正直になること。
>それを目安に読んで見ます。

人生は1回きりしかありません。
後悔のないように勇気をもって生き抜きたいものですね。
その時あなたの持たれる「直観力」が発揮される日がやってくると信じます。


「さっそく買って読んで見ました。」   2006・8.18
投稿者   あずき

なかなか自ら読もうとしませんが、このような掲示板に書き込みさせていただいたお陰ですばらしい本に巡り合えることも、嬉しいことです。
多分、一生読まずにいたかも知れません。
釈尊の生の説法と拝すれば、心も静まり日々の行いにも努力していこうという気持ちになります。
今、色々な知識を得ようとすれば、何処からでも得られます。
考えて見れば、幸せな時代に生を受けているのだと思います。
それを生かすのも殺すのも、全て自分だと考えます。
真宗聖典や御文章等、普段縁遠いご著書ですが、皆様のやりとりがあって興味も出てきて読もうという気持ちになりました。重ねがさね有難うございました。


Re:「さっそく買って読んで見ました。」   2006・8.25
投稿者   元幹部会員


レスおくれてすみませんでした。
>なかなか自ら読もうとしませんが、このような掲示板に書き込みさせていただいたお陰ですばらしい本に巡り合えることも、嬉しいことです。
>多分、一生読まずにいたかも知れません。

私はスッタニパータを初めて読んだ時は、誠に恥ずかしながら、少しも感動しませんでした。ただ字を追って解釈しただけに過ぎなかったのです。
良いことが教えられていると思い、スッタニパータで「生きた釈尊」を感じられるようになったのはずいぶん後になってからのことです。

それは、親鸞会が教えている、「所詮は廃された小乗の教え」「方便の教え」という色眼鏡に囚われていたからなのでしょう。

あずきさんのほうが、私よりも遥かに色眼鏡なしに、純金の教えをそのまま紛い物と見誤らずに受け取ることのできる直観力、洞察力を持っておられるということを意味しているのでしょう。


>釈尊の生の説法と拝すれば、心も静まり日々の行いにも努力していこうという気持ちになります。
>今、色々な知識を得ようとすれば、何処からでも得られます。
>考えて見れば、幸せな時代に生を受けているのだと思います。

全くそのとおりで、何せ、この地球上の仏様は釈尊ただおひとりなのですから。
一回しかない人生において主体性を決して失わず、力強く生き抜くことの大切さを釈尊は教えられていると思います。そのことは仏教で言う無我説と矛盾しません。


>それを生かすのも殺すのも、全て自分だと考えます。

ケネディ大統領の座右の銘で、上杉鷹山のことばに「為せば成る。為さねば成らぬ何事も、成らぬは、人の為さぬなりけり」を思い出しました。


>真宗聖典や御文章等、普段縁遠いご著書ですが、皆様のやりとりがあって興味も出てきて読もうという気持ちになりました。重ねがさね有難うございました。


袖触れ合うも多生の縁といいますが、こちらこそ書き込んだ甲斐があり嬉しく思っております。掲示板のゆうさんに感謝いたします。

私も真宗聖典や御文章等が縁近い、とはお世辞にもいえませんが、またなにかありましたら書き込んでみてください。


★元幹部会員様は、(私は本願寺関係者でも○光会関係者でもありません。念のため)と書かれています。
どこでどうして聞いておられるのでしょうか?

>でも、ネットでもいまは便利な時代になって情報収集は瞬時にできます。

短時間で調べられるとも書いてありますので、きっと元幹部会員様も、一味同行として日々生活されておられることでしょう。
当時は、読めなかった内容も、今は深く読めてきますのでとても有難いと思います。

●re.56
菩提心
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[ 234 ] 娘のブログ 2012/08/22 (Wed) 02:58 △up ▽down
娘がブログを書いているので、娘の心情を垣間見る事が出来て嬉しい反面、少しドキドキしながら読んでいる。

亀1匹が、3匹から5匹も飼っているのを知って、大きな陸カメがうようよしている夢まで見てしまった。

お盆休みに娘宅に行くと決めた日に、亀1匹が死んだ。

その経緯をブログで読んで知っていたので、どう応えてあげたらよいか。

「あのね、あんまり小さいので火葬しても骨も残らないみたいなの」との娘からの電話。

「それじゃ、あずき(兎の名前)の横に埋めたら、その間、冷凍庫に入れて置けば」と変人な私はそう答えた。

盆休みで帰っていた息子に乗せて貰い名古屋に行き、娘夫婦の車で地元に帰ってきた。

娘のブログを開けて見たら、その時の状況が書かれていた。

コメントを読んで、優しい人との交流で娘も癒されていることを知って嬉しくなった。


名古屋では案の定、私の子育て批判の言葉で始まった。

自分ではそうでもないと思っているが、やはり虐待されたと思っているようで、これは私が死ぬまで言われ続けられそうである。

どうしてこんな落ちこぼれの母親から、息子も娘もやさしく育ってくれたのだろう。

やはりこれも主人のお陰?

どこに行っても御小言頂戴する私です。

不完全な私を、家族という形で育てて貰っているのだろう。

「縁」の有難さを痛感する毎日。

今生での家族の縁。一日一日大事にしたい。

落ちこぼれの私だから、阿弥陀様は見捨てないで下さったのですね。

有難うございます。阿弥陀様。

●re.57
菩提心
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[ 235 ] 観音菩薩様宅へお邪魔しました。 2012/09/10 (Mon) 10:36 △up ▽down
観音菩薩様のお誘いで、御自宅に伺った。

私の自宅からそう遠くないので助かった。

親鸞会を離れ、最初にお世話になった会長宅とは隣在所であり、同じ道に玄関がある。

真実探して行くと、必ず弥陀が導いて下さるのだと実感した。

彼女のお宅は、まるで私からみたら天上界のようだ。

しかし天上界でも、そこはやはり六道の世界。

極楽浄土ではない。

悩み、苦しみは地獄の苦ではないが、皆同じような悩み、苦しみを持っている。

信心決定しても、それは変わらない。

じゃあ、何が変わったって?

そう、何だか死ぬのが怖くなくなったというか。

私は、地獄だけは行かずに済んだという喜びがふつふつ沸いてくる。

それでも、阿弥陀様はその苦しんでいる地獄までも、私一人を助けずにおれないと飛び込んで下さるという。

本当に有難い仏様。


彼女宅で、「極悪人」同志の語らいは、世間の語らいとはまた趣きの違いがあり、アッと云う間に時間が過ぎていく。

「仏法は聴聞に極まる」の御言葉で、拝聴させて頂いたDVDから流れるお声は、そのまま仏様の御説法。

自然に涙が溢れ、それは「南无阿弥陀仏」の御念仏として私の口からほとばしるようだ。

不思議だと思う。極悪人が御念仏を称えられる身になる。

「いつゝの不思議をとく中に、仏法不思議にしくぞなき、仏法不思議といふことは、弥陀の弘誓に名けたり」  高僧和讃


お招き下さって有難うございます。観音菩薩様。

それにしても、観音菩薩様は、私の今まで思っていたイメージとちょっと違う面を見せて下さって、ますます近い存在になりましたわ。(ちょっと嬉しいかな?)

●re.58
菩提心
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[ 236 ] 泥凡夫様と同じ法座で話を聞く。 2012/09/29 (Sat) 06:41 △up ▽down
観音菩薩様の車で、富山の法座に出かけた。

真の知識が私にはおられなかったので、弥陀の御慈悲に疑いはなかったが、随分遠回りをしてきてしまった。

観音菩薩様との御縁がなかったなら、私は気づかずに過ごして来ただろうか?

しかし、阿弥陀様はやはりそうではなかった。

遠回りしたように見えても、それは信後の私の楽しみを増幅させるものだったのだ。

親鸞会の看板が北陸高速道路に掲げてある、其の道を私は弁円の気持ちと同じ思いで通り過ぎた。

(山も山 道も昔にかわらねど かわりはてたる我こころかな)


外観は現代風だが、屋内は荘厳なたたずまいの御寺であった。

御住職は、まだお若くしかし仏教大学の教授をされておられるという。

御示談では、傍にいる妹の手を取って、阿弥陀様の本願をお伝えして下さっている。

私は、何と妹は幸せ者だろうと思った。

現実に弥陀が手を取って、「わしを信じて頼んでくれ」と拝まれているような光景だった。


その日は、はるばる新潟から泥凡夫様親子がお見えになるのは知っていた。

6月以来、全く連絡もしていなかったので、どんな顔をして挨拶しようかなと思っていたが、いらぬ心配は必要なかった。

今の私は、心底信心決定して弥陀頼む一念の有難さを知っていたので、一味同行として何のわだかまりもなく手を取り合って再会を喜んだ。

御住職のお話は、やはり教授でもあることから、御文の内容も詳しくお話された。

「御文第四帖 第十通 今の世の章」のお話の感想で、御門徒の中の老人が、どうして蓮如様は女人だけに書かれているのかちょっと不服そうであった。

私は心の中で、(ふっふふ、ちっとも女の恐ろしさを知らないんだ。女って怖いよ。)とつぶやいて、改めて三十五願の誓願と、蓮如上人の女人に対する優しさを感ぜずにおれなかった。

しかし、今ここで同じ場所で、泥凡夫様と法座を聞いている不思議さ、有難さがひしひしと感じてくる。

遠回りしてきているようで、それは全て阿弥陀様の手の内のことだったのだと思える。

積もる話は山ほどあったが、それはおいおい又の機会ということで、お別れした。

●re.59
菩提心
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[ 237 ] 1週間ぶりの仕事 2012/10/03 (Wed) 06:04 △up ▽down
「お久しぶりです」と声をかける。

尖閣問題と棚下ろしが重なって、明日から休んで欲しいと部長に言われた。
一緒にシルバーから来た男性はそのまま仕事があるらしい。

家に帰っても、何だか少し落ち込んだ。

そして、嫉妬もした。


しかし、有難いと思う。

心が少しずつ変化している。

心持ちを阿弥陀様が転換して下さっているようだ。

まず、彼が重宝がられるのは、力があるからだ。

重たいものを梱包するのには力が必要だ。

それを知らせて貰えた。有難い。


普通の日に休めたので、

孫と何十年ぶりかに、水族館に出かけた。

イルカショーも2回も見た。

魚を天上から見える場所で、孫と一緒に寝転んだ。

水族館の係員から、「やはり普段の日が一番ですね。ゆっくり見学して下さい」と言われ、その通りだなと思った。

又、富山の御住職のお話は、第4金曜日ということで、初めて参加させて頂いた。

これも休みが続いたお陰だ。

そして仕事に就ける有難さもひしひしと感じられた。

この歳で、仕事を得られる事は、多いに感謝すべき事だと思った。


私はどんな心持ちで1週間振りに顔を合わせようかと考えていたが、

「お久しぶりです」と、自分でも驚くくらい明るい声が出た。

山積みの段ボールを見て驚いたが、そこは淡々と片づけていると、部長が声をかけてきた。

「通れないくらい一杯で悪いね」と初めて聞く言葉である。

シルバーの男性からは、「長く休めて何処に行ったの」と聞かれ、きっと今までの私なら、ムっとするところだが、

「お陰さまで、仏教大学の先生のお話を直に聞けて嬉しかった」と素直に言え、「この歳で社会に参加しているので、やっぱり仕事が有ると嬉しいね」とも言えた。

その男性もニコニコして、二人でカウントの仕事をする。


有難う御座います、阿弥陀様。

私は毎日知らされる事が多いです。

本当に救われて良かった。

●re.60
菩提心
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[ 238 ] 憶念 2012/10/03 (Wed) 07:00 △up ▽down
「信心の溝さらへ」が大事だと妹に言われた。

石川での聴聞、座談に誘われたが、時間的にとても行けないと思った。

自分の運転技量も心配だ。

しかし、妹の必死さも感じられたので、行くことに承諾した。


私は、親鸞会の聴聞会場である老婆が「ここで信心決定する人は一人もいない」とまだ聴きはじめて間もない頃に言われた事がある。

そのお婆さんは、ずっと念仏を称えておられた。

しかし、専任講師は空念仏と言ってそのお婆さんを馬鹿にしていた。

また御念仏を称えている人の周りに行かないようにも言われた。

だから、私はずっと観音菩薩様とお会いするまでは御念仏の尊さがよく分からなかった。

石川、京都で質問させて頂いて初めて、心より御恩報謝の御念仏を称える事ができたように感じる。

そういう点でも、真の知識より仏法を聞かせて頂き、信心の溝さらえも必要だと思える。

それでもやはり私には、「信心の溝さらえ」は少し不服だった。

私は、本当に救われたと思った時から、一度も阿弥陀様の存在を疑った事がないからだ。


「香月院語録」より

六六  口も心も

「一念の安心を催うされてよりの、ありがたや尊うとやの相続心は初一念の信心が、そのまま相続せるとその体別に非ず。

信を得たる体が南無阿彌陀佛なれば、心も口も一つなり、

信後に称える念仏さへ南無阿彌陀佛ゆえに、心も口も一つなり、

況や今はありがたや尊うとやと心なれば、初めの信心と別の心の出づる筈なし、

最初の一念のありがたや尊うとやと喜ぶのが相をかえたる計りなり。

初一念の信心相続は、たとえば水と波の如くなり、

然れば、相続心というは、初一念の信心をかえずに臨終まで通る心ゆえに、憶念の心つねにしてと仰せられるなり。」

あの時、私の口から声高らかに御念仏が沸いて出てきた。

しかし、それは信前だと言われ、そして信前の御念仏を否定していた親鸞会の呪縛からなかなか抜けられないでいたのだろう。

今は、憶念の心常にしての思いで、この口から何気なく出てくる御念仏が有難い。

●re.61
菩提心
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[ 239 ] 作詞家N氏の映像を見た感想 2012/10/04 (Thu) 10:43 △up ▽down
ワイドショーを見ていると、作詞家で有名なN氏の壮絶なガン治療の戦いの様子が語られている。

最前線の陽子線治療である。

我が県でも行われている。

高額の治療費がかかるが、N氏はきれいに治っているそうである。

諦めないで治療方法を探したそうである。

「怠慢」「臆病」「無知」は最大の罪。

N氏の言葉である。有難い言葉だと思った。

まるで私に贈ってくれた言葉のようである。

次第相承の善知識を探せと、探せたのは怠慢では出来ない。

憶病を奮い立たせて、ジャンヌ掲示板やこの掲示板でも質問してきた。

本当に無知だった。

井の中の蛙ではないが、自分の考え、思考だけが絶対ではない。


この時、御一代記聞書本の中の

七一「蓮如上人仰せられ候、『堺の日向屋は三十万貫を持ちたれども死にたるが佛にはなり候ふまじ。大和の了げんは帷子(かたびら)一つをも着かね候へどもこのたび佛に成るべきよ』と仰せられ候よし」

の御言葉がふっと思い出された。

今死ぬという思いで、治療方法を必死に探して助かったけれど、十年後の豊富を聞かれても、後生の心配までは語られなかった。

約三百万円の治療代をかけても、この寿命を延ばしたい。

しかし、又病気が再発したり、他の病気が併発したらどのような思いになるのだろう。

お金に糸目はつけないだろう。

そして、その時も高額の治療費を出しても助かりたいと思うのだろうか?

その時は体力も気力も無くなっているかも知れない。


財産も地位もない私だけれど、「このたび佛に成るべきよ」。

まだ体力も気力も有った間に、仏法に御縁が出来て有難い。

御恩報謝の御念仏。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・・・・・・・

●re.62
菩提心
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[ 240 ] ユーチュブより 2012/10/06 (Sat) 13:23 △up ▽down
以前、この掲示板より愚老様から、ユーチュブから阿弥陀如来の映像を教えて頂いた。

日本と違い、中国の映像は又違う趣きがある。

仏教は中国から伝来していると実感できるぐらい数多くのアニメがあった。

親鸞会から出している親鸞聖人の比ではない。

親鸞会を辞めた時、全部処分してしまったが、ちょっと残念な気もしている。


極楽や地獄絵図がリアルである。

音楽もいい。中国語の語りもスーと耳になじんでくる。

漢字だけや、英語で訳されているものもある。

英語も苦手。中国の映像なので、漢字だとなんとなく読めるので、自分勝手に想像してみる。

特に仏教の因縁話が多い。

当時面白かった話を検索してみても、なかなか見つからない。

あっちこっちパソコンをいじっていたら、こんな場所をみつけた。

南無阿彌陀佛1〜30

南無阿彌陀佛17
t15FQ&feature=relmfu">http://www.youtube.com/watch?v=sM_Zjet15FQ&feature=relmfu

周利槃特(しゅり・はんどく)の話によく似ている。

その周利槃特を主人公にしたアニメもある。
http://www.youtube.com/watch?v=ypYoN_TWopc&feature=related


本当に楽しい。

難しい説法より、こんなアニメがどんどん日本語で読めると有難い。

阿弥陀様の大慈悲心は、やっぱり世界のあちこちで広がっていると感じた。

●re.63
菩提心
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[ 241 ] 一味同行の有難さ 2012/10/08 (Mon) 20:28 △up ▽down
石川の座談に参加させて頂いた。

自分で運転しようと思ったが、一緒に行こうと誘って下さり、それも御自身が運転して下さるというので、御言葉に甘えて同乗させて頂いた。

車中では、親鸞会での思い出話や、現在の心持ちをお聞きした。

とても有意義で楽しかった。

私はその座談で、自分の体験話をしたが、いつも支離滅裂な話しぶりでどこまで理解して頂いたかは解らなかった。

座談を終えた時、二人の婦人から「貴女は法は受けて喜んでいるが、機は半分ぐらいだからこれからもよく聞いていくといいですよ」とアドバイスをして下さった。

その時、私はよく理解出来なかった。

私の信心決定を疑っているということだろうとは思った。

私は直に、先生にお伺いし、これからどうして私は行けば良いのか質問した。

逆に先生の方から質問を受けたが、答えられなかった。

そこで自分で出した答えが、「これから私は阿弥陀様と対峙して、自分を見て行きます」。

しかし、二日間娘夫婦が帰っているので、なかなか自分を見つめる時間が無かったが、

どうしても自分の機を見つめるよりも、救われている喜びの方が大きいので困ってしまった。

どうしてもその会に馴染めないのは、どの人も自分の機を前面に出してくるので、私のようにただ阿弥陀様に救われたと喜んでいる者にはやはり奇異に映るのだろうか?

娘夫婦も帰ったので、直に自分の心境を観音菩薩様にお電話で聞いて頂いた。

そこは一味同行。

私の疑問は氷解していく。

私は、今まで直に真実法味を話せる人がいなかったのだと思うと、彼女からの「これからはどんどん南無阿弥陀仏を称えて行きましょう」の御言葉が、実に有難く御念仏がほとばしります。

そして口ではうまく言えなかったが、私の気持ちを代弁しているところを見つけたので引用したい。


阿弥陀仏の本願(暁烏敏)

信の心が燃え立って来ると、自分の賤しい身分も、向こうの人の尊い身分も、身分のこと

などちっともいえなくなって、ただ一つに融ける心のみが明らかになってくるのです。

だからこの点でいえば、自分の身も忘れ、仏も忘れ、凡夫も忘れて、ただ先徳が申された

ような「惚れ惚れと弥陀の御恩の深重なることを思う。」、とただ惚れ惚れとした心持ちなんであります。

この心の底から静かに私共は、法蔵菩薩の四十八願の一つ一つが自分の願として聴聞さして頂けるのです。

●re.64
菩提心
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[ 242 ] 親様育ち 2012/10/10 (Wed) 11:12 △up ▽down
観音菩薩様から貸して頂いた「われらの求道時代」という御著書を仕事場に持って行った。

仕事が始まる十分ぐらいに少し読んで見る。

仕事中は他人の行動が気になって、なかなか御念仏が出てこない。

もう、喉仏まで御念仏が込み上げてくるのが実感できる。

チャイムと一緒に、そそくさと片づけて帰り支度をし、直に廊下に出た。

今まで抑えていた御念仏が堰を切ったように飛び出してくる。

嬉しくて嬉しくて、涙でびしょびしょに濡れた顔を家族に見られたくなくて、孫を抱いてそのまま車に乗せて観音菩薩様宅まで出かけた。

「あ〜、私はこの南無阿弥陀仏が称えたかったのですね。」と救われていても、未だ信前だと言われ続けてきたけれど。

同じように観音菩薩様も信心を得ながら、そこに真の知識がおられないばっかりに、色々苦労されてこられたから、貴女の心持ちが手に取るように分かると言って下さった。


そんな御著書の中から

・・・・その歌と先生の「佛敵」をたのみの綱として赤児が母親の乳ぶさに吸いつくように念仏の乳を吸わせていただきますと、私は毎日のように息が切れて暗い谷底へ落ちていくが、私が落ちても落とさぬ親様がまします。こんな尊い親様を知った以上は私は落ちてもよい。この呼び声を聞いた上は一切親様に委せよう。一人々々が自分の因縁の世界に活きるのだから子供の成長も養育も宗教心の芽生えも一切を親様に委せて、私は病床で静かに念仏させて戴こうと落ち付きました。・・・・・・


伊藤「真宗同行の中にも聴聞育ちと親様育ちというのがあるのですがね。聴聞や学問では二十年三十年と念を入れても解らぬ他力信が、親様育ちの人はスッと横道を抜ける。そんな尊いものを戴いては人生観も変り、病気にも好影響を来たしたでしょう」

きっと、私は親様育ちだろうと思った。

親様育ちだから、いつまでも有難いのだろう。

あの阿弥陀様の胸に飛び込んだ時が忘れられない。

●re.65
菩提心
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[ 243 ] 閻魔帳 2012/10/15 (Mon) 01:12 △up ▽down
「○江さん、仕事行っている?」
「はい。シルバーに登録して、今働いています。」

前の会でお世話になった、おじさんから電話が入った。

「そりゃ、良かった。実はワープロの調子が悪いみたいなので、見て貰えないか?」
「いいですよ、それじゃ仕事が終わったら行きますね。」

夕食の弁当を2つ、お菓子を買って、おじさん宅に出かけた。


ワープロは、活字入力以外は全部スムーズに動作できる。

「おじさん、肝心要が動かないんじゃ、どうしようもないね。」と、ワープロを横に置いて、部屋の周りに飾ってある色々なものを見ていた。

おじさんは、「閻魔帳があるんだ」と見せてくれた。

親鸞会を辞めて、おじさん宅に初めて電話を入れた日。

その時の会話。

人数。期間。

そうか、おじさんの所で、毎月1回、欠かさず17カ月も通っていたのか。

二人で思い出話をしながら、持ってきたお弁当を食べた。

ここでも色々なことが有ったなと思う。

自分の信じる道に行きたいと頭を下げた時、「分かった」と、笑顔で承知して貰った。

心の中は果たしてどうだったか分からない。

でも、おじさんは嬉しそうに私に熱いお茶を注いでくれる。

あの時の辛かった事も、まるで幻の出来事のような気がする。

おじさんの「閻魔帳」には、

「善知識を探しています。知りませんか?」と久々に熱心に尋ねる人が来る。

と書いてある。それが、○江さんだよ。と言われた。

「そんな事も有りましたね。きっとおじさんとも過去世からの因縁でしょうね。」

今でも、縁有る人を囲んで法座を開いている。

おじさんの話を聞きたい人。

そこから離れた私。

付いたり離れたり、そんな風に臨終まで生きていく。

おじさんの「閻魔帳」には、今日の出来事もしっかり書いてあることだろう。

●re.66
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[ 244 ] 犀の角のようにただ一人歩め。 2012/10/20 (Sat) 18:42 △up ▽down
ある人が、釈尊時代は「和合僧」であり、皆仲良くやっていたと聞いていると言われた。

国語辞書では、「仲よく親しみ合う僧衆の教団。律では成員五人以上とする。」と書いて
ある。

五逆罪の中の「和合僧を破る」を親鸞会でも言われ、説法や教学の中でもよく注意された。

五逆罪の中で戒められたということは、釈尊の時代でさえ守る事が難しいということではないか?

今は末法の時代。

和合僧はなかなか出来るものではないと私は思う。

まして、私達は凡夫ではないか。

信心決定しても、この身は汚れきった、諸仏にさえ逃げられた情けない私。

私の心の奥底は、誰一人分かってはくれない。

色々な思いを口にすれば、それは争いの元にもなろう。

そんな時、釈尊の御言葉が有難い。

一人、歩んで行きなさいという釈尊と、そのまま来たれという阿弥陀様。



原始仏典  犀より

仲間の中におれば、休むにも、立つにも、行くにも旅するにも、常に人に呼びかけられる。

他人に従属しない独立自由を目指して、犀の角のようにただ一人歩め。

四方の何処にでもおもむき、害心あることなく、何でも得たもので満足し、
もろもろの苦難に耐えて、恐れることなく、犀の角のようにただ一人歩め。

金の細工人が見事に仕上げた二つの輝く黄金の腕輪を、
一つの腕にはめれば、ぶつかり合う。

それを見て、犀の角のようにただ一人歩め。

このように二人でいるならば、我に饒舌といさかいが起こるであろう。

未来にこの恐れがあることを察して、犀の角のようにただ一人歩め。

実に欲望は色とりどりで甘美であり、心に楽しく、種々のかたちで心をかく乱する。

欲望の対象にはこの憂いのあることを見て、犀の角のようにただ一人歩め。



私にジャンヌ掲示板で教えて下さった上記の御言葉を、今体現していると思う。

●re.67
菩提心
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[ 245 ] 正客 2012/11/05 (Mon) 06:43 △up ▽down
友達からお茶会の招待券が送られてきた。

毎年送られてきたのに、全く作法も覚えておらず今回はとくに大恥をかいた。

ここ一年ぐらいご無沙汰の友達を尋ねて見ると、丁度玄関先で花に水をやっている所であった。

文化祭でお茶会があるからと誘ってみると、喜んで行く行くと言ってくれた。

電車で一駅分を、歩いて会場まで行った。

途中、この一年分を取り戻すように話が尽きない。


早速、まず招待券を送ってくれた友達の御茶席にお邪魔した。

丁度始まる寸前だったので、末席に座って、正面に和服で座っておられるご婦人の様子を見よう見まねで事なきを得た。

もう一箇所回れるので、余り混んでいないところで並んで待っていた。

友達が、「あの場所なら、隣に荷物が置けるからあの場所にしよう」と決めて、前席の人が立ちあがったと同時にその場所目がけて即座った。

座ってしばらくして、ちょっと周りを気にかけて見ると、私の隣には、和服を召した恰幅の良い男性、その隣には上品な御年輩の和服の御婦人。

周りの人から、「先生、先生」と声を掛けられている。

隣の友達に「ちょっとこの席まずいんじゃない?」と耳打ちした。

二人でもぞもぞしていたら、小声で懐紙をどうぞ・・・と言われたが、彼女と目を合わして黙っていた。


でも、前に置いておいてもどうしたら良いのかさっぱり見当がつかないので、意を決して隣の男性に聞いて見た。

そこからはもう二人とも「すみません」の連発。

まず、私達の座った場所は、正客の場所。

何から何まで分からず、先に行ったところとも少し違うようで、見よう見まねも出来ず、こうなったら仕方がない。

その都度、お聞きしながら、事はすすんだ。

その先生と呼ばれている人から、「正座が出来る人なら、誰でも出来ますよ、これから習ってみたら」と勧められた。

彼女と二人、「この歳ではその正座も出来ません」と笑って返したが、帰り際、彼女が「まあ、人それぞれだからね。」

「そうだね。人それぞれ」

特に文化祭の場。

趣味に生きる人も、千差万別。

絵画や書道や華道や・・・・・


私もその中の一人。

阿弥陀様に「正客」と太鼓判を押されている私。

有難い。南無阿弥陀仏・・・・。

●re.68
菩提心
非公開の非公開
[ 246 ] 仕事 2012/12/02 (Sun) 15:37 △up ▽down
気にしていた鬱っけの人が配置転換された。

時々見かけるが、顔色も良くなってきた。
その後を、違う人が受け持つことになった。

挨拶程度は交わしていたが、あまり話し声を聞いたことがなかった。

その人が、直接私達と仕事をすることになった。

部長に仕事の事で質問すると、必ず「僕は何十人もの人を把握しなければいけない、そんな細かい事聞くなら自分でやった方がまし」という答えが返ってくる。

しかし、失敗すると、「会社の存亡。僕の給料も出てこない」と言う。

その無口な彼の下で働いて数日後に、彼は胃腸炎を起こして入院してしまった。

一週間後、彼が出社してきていた。

午後からの私の仕事内容も変り、訳が分からずてんてこ舞いだった。

重たい物は、彼には相当無理なようで、今度はギックリ腰を起こしてまたまた休んでしまった。

そして、それをカバーするのが、何でシルバーの私なの?

もう一人のシルバーの人は係長の手伝いで最近は一緒に仕事をしていない。

カウント、写真撮り、さばいてもさばいても減っていない。

部長のお気に入りの、社員と派遣社員から、「ほらほら頑張って!今日中に片づけないと月曜日には新しい品物が入ってくるから」とせかしてくる。

思わずとても今日中には出来そうにないので、嫌だけど部長に訴えた。

しかし、やはりこの部長に訴えても全く進展しないことはよく分かった。

私はまだ、そんなにこの会社に固執する事もないが、まだ若い彼らに同情してしまう。

こういう部長はモラハラ?

部長達3人の笑い声を聞きながら、私は有難くて、南無阿弥陀仏を心の中で称えている。


信心を得る人は娑婆に住めども娑婆の人ではない。おっつけ極楽に往生せねばならない。
・・・・・
御助け候へと功徳の宝海に流れ入りたてども、果縛の水の勢いが強き故に、命が有る内は、煩悩菩提と一味とは悟れぬようなれども、即得往生住不退転迷いの元の河へは戻らぬ。
おっつけ果縛の勢がつきたれば、直ちに弥陀胴体の悟りを開く一味平等の御利益は今日からはや定めてあるほどに有難く御慈悲を喜ぶ他はなきなり。  (香巌院講師法話より)


部長への一時の怒りは、笑顔に戻り、出てくる言葉は感謝の言葉。

仕事も不思議に片付いている。(どんなに忙しくてもなるようになっている)

「○○さん、月曜日休まないでね」

声をかけてくる社員の言葉を素直に受け取ろう。  南無阿弥陀仏・・・



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