親鸞会について

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●No.18
菩提心
非公開の非公開
[ 152 ] グーグル検索してみると 2009/07/18 (Sat) 01:05 △up ▽down
仏教             5,600,000件
キリスト教          3,650,000件
創価学会           1,940,000件
本願寺            1,070,000件
禅宗             1,300,000件
浄土真宗             207,000件
真言宗              722,000件
親鸞会              101,000件
浄土真宗親鸞会          198,000件

釈迦             1,060,000件
法然               330,000件
親鸞               690,000件
道元             8,520,000件
弘法             1,300,000件
日蓮               241,000件
蓮如                50,100件
一休             3,830,000件
○森顕徹              23,600件

大無量寿経            110,000件
観無量寿経             35,500件
阿弥陀経              69,700件
般若心経             596,000件
法華経              134,000件
涅槃経               76,100件

教行信証             152,000件
歎異抄(鈔)           738,000件
選択本願念仏集           14,300件
往生要集             145,000件
一念多念文意            91,600件
西方指南抄              1,950件
六要鈔              199,000件
御文(章)         11,600,000件
正信偈大意             21,900件
なぜ生きる親鸞会          21,400件

信心決定           1,260,000件
一念帰命               3,050件
後生の一大事             6,090件
六字のいわれ         1,180,000件
六字のすがた        13,700,000件 (毎日の浄土真宗が一番最初に載っていた)
無間地獄             712,000件
真仮の水際              7,030件
一切衆生必堕無間             732件 (大半が親鸞会)


上記の数字を眺めてみると、色々な思いが出てくる。
(編集フォームでは綺麗に数字が並んでいるのに、何だか不揃い・・・意図した訳ではないのであしからず)

南无阿彌陀佛

●re.1
マサヒシ
北陸の男性
[ 153 ] Re1:グーグル検索してみると 2009/07/26 (Sun) 15:22 △up ▽down
はじめまして、ここに書くのは適当ではないかも知れませんが、私は浄土真宗の同行の家に生まれながら、常に教えに疑問を持って生きてきました。

 いわゆる仏教の指導者とは思えない生活言動をする坊主のお寺を願い寺に持ち、毎年のように自殺者が出る部落に住み、結局仏法や、親鸞の教えといっても、生きている人間には関係なく、死んだらどうだとかこうだとかしか言っていないではないかと、怒りさえ感じていました。

 その様な経過から、神秘学の学徒として霊的法則を学びましたが、ここ数年の絶望を味わう境遇から、他力によるしか救われないという体験をし、今まで如何に表面で霊的法則を知ってきたかを知り、深く学び直しました。

 すると、言葉では違ってはいるものの、他力により生きるという事や、根本は神秘学も仏法も変りはないと分かったのです。真理は1つですものね。

 そんな時、親鸞会の催しを覗き、親鸞さんのビデオを貸してもらい、親鸞さんの教えが自分が学んできた事と全く矛盾しない事をしりました。

 それで、1〜2度講演会に行ったのですが、高森さんのビデオでの弟子への態度に不審を持ち、あまり近づきたくないと感じ、距離を置きました。

 私の友人が富山の聖誕祭でしたっけ、それに参加したら、数千円のお布施は片手で受け取り、一万円以上のお布施は両手で受け取る所を見てきて、あれが仏教の教えなんだなぁ〜と感動していましたが、私は呆れました。

 その後、ビデオを返しに行きまして、どんな本を読めばいいかと聞くと、真宗聖典以外は必要ないと言われました。しかし、気になったのは、市販の本には解説が載っているが、正しい解釈が出来るのは高森さんしかいないから気を付けなさいという言葉でした。

 私は違和感一杯の親鸞会に入らずに、親鸞さんの真の教えに触れる事を望んで、独自に学ぼうと決意をしました。

 このような、素晴らしいサイトに巡り会えたのは感激です。

●re.2
菩提心
非公開の非公開
[ 154 ] Re2:グーグル検索してみると 2009/07/27 (Mon) 20:31 △up ▽down
マサヒシ 様

御書込み有難うございます。

十二分に、教義等の過去ログ読んで頂けると嬉しいです。

毎日様、泥凡夫様等、お読み頂けると分かってくると思います。

私達は、この道強制していません。

ただ阿弥陀様に心向ける人はおのずと導かれてくると思います。

私がこのスレッドを立てたのは、自分の目で確かめて欲しいと思ったからです。

どうしてこの道だけが正しく、他の道は間違いだって断定できるのでしょうか?

自分が納得して歩んでいく道、

一味同行とはどういうことでしょうか?

私は、親鸞会で長年聞いてきましたが、安心、満足感は得られませんでした。

ですから、まず親鸞会の教えと全く違う道から探そうと思いました。

インターネットで調べると、私のように探してくる人は稀だと分かります。

今だに高森教を引きずっている人もいます。

でもそれもその人の過去世からの縁なのだと思います。

まず、仏教に御縁頂き、浄土門に御縁頂き、真宗に御縁頂くことが、グーグル検索するだけでも有難いと思います。

>私は違和感一杯の親鸞会に入らずに、親鸞さんの真の教えに触れる事を望んで、独自に学ぼうと決意をしました。

私はそういう気持ちはとっても大事だと思います。

私は直観(感)力を大事にしました。

そして、誰でも救われる教えを大事に考えました。

誰でも救われるということは赤子も痴呆も救われなければならないと思いました。

そうすると、まず自分の機を責めるような教えは間違いだと思いました。

赤子も痴呆の人も自分自身がどのような思いでいるのか分かりません。

私は又、「真仮の水際」の言葉にも違和感がありました。

それは上記のように、人それぞれに思いが違うからです。

どんな人をも簡単に救われる教えを阿弥陀様は法蔵菩薩として修行されてこられたのです。
しかし、それはあくまで易しい救われ方なので、簡単に信じられないのです。

その信じる事もすべて阿弥陀様から廻向されたものですから、私達がはからうこともないのです。

全て阿弥陀様がなされる事なのだと思います。

謗る人もすぐに信じられる人も、一切衆生の中に含まれます。

阿弥陀様がなされることだと思いますので、私には全然気負いなど有りません。

縁有る人が覗かれるだろうと思っているからです。

縁有って離れる人も、「摂取不捨」の御心が有難いです。

一度救った人は、決して弥陀は離さないからです。

一念帰命はおまじないでもなんでもありません。

阿弥陀如来が末法の私達に代わって御修行されたものを、阿弥陀様を信じるだけで頂けるのです。

阿弥陀様に助けて欲しいと頭が下がる人は、御文のように「十人は十人、百人は百人たちどころに救われる」教えです。

南无阿彌陀佛

●re.3
マサヒシ
北陸の男性
[ 155 ] Re3:グーグル検索してみると 2009/07/28 (Tue) 12:31 △up ▽down
 菩提心様、ご回答ありがとうございます。

 真理を求めてそれを探求する学徒である事は、決して1つの宗派に属さないと出来ない事ではないと思います。むしろ、そのような縛りこそが、真実から遠ざけるものなのだと思うのです。

 その理由から、特定の宗派には属さないやり方でやって行こうと思います。私の属する神秘学派は宗教ではなく、真実の探求の場ですから、私のこの姿勢にはなんら障害をもたらしません。20数年属していますが、月会費以外要求もありません。

 もし、教えていただけたらなのですが、浄土宗や仏教で分からないのは、何から学ぶのかです。私のような俗人には、学びの順序というものが大事だと思うのです。

 よろしかったら、おヒマな時にでもご回答いただければ幸いです。

●re.4
菩提心
非公開の非公開
[ 156 ] Re4:グーグル検索してみると 2009/07/29 (Wed) 08:13 △up ▽down
おはようございます。

>浄土宗や仏教で分からないのは、何から学ぶのかです。私のような俗人には、学びの順序というものが大事だと思うのです。

私も俗人ですので、きっと上記の質問でしたら、この掲示板の過去ログを読んで下さる方が早いと思います。

しかし、仏教や浄土宗が分からない人は救われないっていうのもおかしな話ですよね。

だって阿弥陀様の相手は十方衆生です。

もちろん、地獄・餓鬼・畜生界でも救っておられると思います。

でも、やはり過去世に何らかの御縁頂いているからこそ、マサヒシ様も興味を示して下さったのだと思います。

私はお陰様で、親鸞会を通して、基礎的な仏教用語を覚えられた事は有難いと思います。

まず、真実を求めようとする気持ちがあったからこそ、学ぼうと思ったのだと思います。

私は、過去の事を振り返ると、いつも見守られていたような気がします。

このような道に辿り着くようになっていたような気がします。

きっと、マサヒシ様もじっくり御自身の過去を振り返って見られると気がつくことが出てくるかも知れません。

どうして人間に生まれてきたんだろう?

どうしてあの時死んでいたかもしれないのに今生きていられるんだろう?

あの時、とても辛く死にたい気持ちもあったのに、死なずに生きているんだろう?

そういう気持ちで自分自身を眺めて行くうちに、きっと終着点が見つかると思います。

今生で助かる道は見つかっていても疑いの思いがある間は、目の前にあっても気がつかないものです。

私の場合は、探すより方法がなかったので、まずインターネットから親鸞会の批判あるベージをくまなく探しました。

探して何が分かってきたかというと、聞かされてきた教えが間違っていたと知らされました。

私はそれも探してみて体験したことです。

もちろんインターネットもそうですが、直感的に自分に適ったところへは直に尋ねて行きました。

ジャンヌでのやりとり(このHPの泥凡夫様の書き込みご参照下さい)を、メールで送り読んでもらったりもしました。

教義の九様のお示しの後藤善因様の御著書があると、大学の図書館にも筆記しに行きました。

手紙も出しました。

そういう思いをして行くうちに、私は心の底より阿弥陀様に救われたいと思いました。

私は、そういう道を辿ってきましたが、そんなことをしないでも十方衆生が相手の本願は、赤ちゃんでも、今ひん死の人でも平等に救われるのです。


南无阿彌陀佛

●re.5
マサヒシ
北陸の男性
[ 157 ] Re5:グーグル検索してみると 2009/07/29 (Wed) 19:49 △up ▽down
菩提心様、ご回答ありがとうございます。

 なるほど、仏法を学ぶのに型は無しなのですね。私は私のやり方で関わってゆきたいと思います。

●re.6
ボン
関東の男性
[ 158 ] Re6:グーグル検索してみると 2009/08/04 (Tue) 20:40 △up ▽down
マサヒシさま、はじめまして。

横レスにて、失礼いたします。

マサヒシさまの何事にも妄信することなく、客観的に疑問する心を持ち、
物事を深く探求しようという姿勢に敬服をいたします。

真理を探求しようとする心は、多かれ少なかれ誰しも持ち合わせていますが、
真理(または真実あるいは本当のこと)を探す方法や程度は、人それぞれだと思います。

学問という方法をとる人もいれば、日々の生活のなかにそれを探そうとする人も
いるだろいし、真理などにさほどこだわらない人もいるかもしれません。
また、すすんで嘘をつき、世の中を惑わす人もいるかもしれません。

そして、仏法を学ぶことは、真理を探究する助けにはなるかもしれませんが、
仏法は本来、世の中の真理を解明する目的で説かれたものではないと思います。
仏法とは読んで字のごとく「仏になる方法」を説いているのだと私は聞きました。

しかし、その「仏になる方法」については、多数の様々な経文で様々な方法が
説かれていると聞いております。人間の性格や性分が様々であることを見越して、
それぞれのタイプの人間が入ってきやすいように様々な「仏になる方法」が
説かれているのだそうです。

真宗などの浄土門は、その様々な仏法のなかでは、相当の変り種といわれています。
多くの宗派は自力難行の道を説くなかで、唯一、浄土門だけが他力易行の道を
説いているからです。

しかし、それらはすべてお釈迦様の説かれた法ですので、どれが正しく、
どれが間違っているということではないと言われています。
いわば、すべてがそれなりに正しいのだと思います。

かといって、私はそのすべての方法を知ろうとも思わないし、そのすべてを確認し
検証しようとも思いません。私はただ、たまたま縁のあった法を大切にしようと
思っているだけです。

真宗では、「信心を先とする」ということがよく言われます。
この言葉は、返す返すも深い言葉だと、いつも感じ入っております。
ここでいう「信心」とは、「自ら信じる心」ではなく、「いただいた信心」
を指します。

「浄土真宗を学ぶ順序」についての質問にたいしては不適切かも知れませんが、
もし浄土真宗に順序があるとすれば、「信心を先とする」ということではないか
と思います。「学ぶことが先」ではないと思います。

南无阿彌陀佛

●re.7
マサヒシ
北陸の男性

↑マサヒシ様宛にメール
[ 159 ] Re7:グーグル検索してみると 2009/08/04 (Tue) 21:35 △up ▽down
 ボン様、はじめまして。書き込みありがとうございます。

>そして、仏法を学ぶことは、真理を探究する助けにはなるかもしれませんが、
>仏法は本来、世の中の真理を解明する目的で説かれたものではないと思います。
>仏法とは読んで字のごとく「仏になる方法」を説いているのだと私は聞きました。

 ここは私もその様に感じています。私の学んだ神秘学は、宇宙と人間との関係を明らかにし、輪廻転生、カルマ、人生の意味と、どこに向かって歩むのかなどの教義でした。仏になるという教義はありません。

 そこには霊学と日常生活を完全に融合させる努力があり、この人生を如何に魂の目的に合わせて生きて行くかを教わります。この世でたった今、自分が大宇宙に守られて生きている事。自分で生きているのではなく、生きることを許されている事などを本当に理解出来ない人は、自分から会を去って、変な魔法団体や新興宗教に入ります。

 私はそこの教義にはなんの疑いも持っていません。それは、数年前、もう死んだほうがましという状態で苦しんだその時、突然に、自分ではない、しかし、最高にやさしい強力な力が私を救い、それ以降人生が変り、はっきりと、これから進む道が見えたのです。その事は本来教えられていた事なのに、全く表面でしか学習していなかった事を思い知らされました。

 結果、多くを失いました。そして偉大な事を得たのです。この頃はまだ、親鸞聖人のお言葉には触れていませんでした。浄土宗の同行の家に生まれているのにです。

 しかし、親鸞聖人の生き方などは少々興味があって好きでした。ある時、親鸞会の講演の終わりに講師に質問をして、日頃からあった浄土宗のお寺の態度への疑問が解け、親鸞聖人をもっと知りたいと思い、あれこれと探しましたら、ここに到着しました。

 このご縁に大感謝をしております。


>「浄土真宗を学ぶ順序」についての質問にたいしては不適切かも知れませんが、
>し浄土真宗に順序があるとすれば、「信心を先とする」ということではないか
>と思います。「学ぶことが先」ではないと思います。


 実はこれも最近そう思えます。それでもあえて質問をしますのは、信を得るという事の難しさがあり、私は死に目にあって今までの全ての人生の積み重ねを捨てさせられ、心臓が潰れるほどの悲しさに耐え、その時救われて信心を得たので、少しは分かります。いや、分かっているだけだと云われるかもしれませんが、御文を毎日読む時に感じる無常の喜びは何ものにも変えがたいもので、地獄を見る前よりは信を得てるのでは?と思ってます。

 話はそれましたが、信を得るために学ぶというのではなく、信を得るその時までにはどんな学び方があるものなのかなぁ〜と思ってのことでした。

 現に、私は聖典を手にした時、全く迷いました。初心者ですから(笑)

 そんな訳で、御文を読むのだと書いてありその通りした事は大変助かりました。

 私は浄土真宗の獲信者にお会いする事は出来ないと思っています。純粋な同行ではありませんので。

 ですが、浄土真宗の教えは、私が救われた時に決まった、進むべき道にピタリと合うもので、これを学んで行く決意は変りません。

 このたびはご回答ありがとうございました。





 

●re.8
ボン
関東の男性
[ 160 ] Re8:グーグル検索してみると 2009/08/13 (Thu) 02:25 △up ▽down
マサヒシさま、こんばんは。亀レスですみません。

信をいただくということは、ある意味で、大変たやすいことです。
ここが、真宗が“易行道(易しい行の道)”だと言われる所以だと思います。

しかし、信をいただくということは、ある意味で、難しいことであるかもしれません。
といいますのは、あまりにもたやす過ぎて信じることができず、入ってくることができ
ないからです。これが、いわゆる“難信の法(信じ難い法)”だと言われる所以だと
思います。

また、信は少しずつ徐々にいただくのではなく、瞬時にいただくものだと思います。
真宗が“頓教”であるという所以が、ここにあるのだと思います。
“頓”の字には「急に」とか「にわかに」といった意味があります。

他力の信心は、文字通り“赤ちゃん”でもいただくことができます。
逆に、知恵や知識がついてくると難しい面もあると思います。
知恵や知識が邪魔をしてしまうわけですね。

人間には、自らの知恵や知識に頼ろうとする“性(さが)”があるようです。
いわゆる“自力根性”です。これがないと、この世(軽い地獄)では生きて
いけないのでしょうね、きっと。だから“難信の法”なのだと思います。

南无阿彌陀佛

●re.9
マサヒシ
北陸の男性
[ 161 ] Re9:グーグル検索してみると 2009/08/13 (Thu) 22:20 △up ▽down
>ボンさま、ご回答ありがとうございます。
>
>信をいただくということは、ある意味で、大変たやすいことです。
>ここが、真宗が“易行道(易しい行の道)”だと言われる所以だと思います。
>
>しかし、信をいただくということは、ある意味で、難しいことであるかもしれません。
>といいますのは、あまりにもたやす過ぎて信じることができず、入ってくることができ
>ないからです。これが、いわゆる“難信の法(信じ難い法)”だと言われる所以だと
>思います。


 確かに信を得ることは易しすぎるから、大人には難しいのだと思います。この世の知識が一番だと思う心が得る事を難しくしますよね。

>
>また、信は少しずつ徐々にいただくのではなく、瞬時にいただくものだと思います。
>真宗が“頓教”であるという所以が、ここにあるのだと思います。
>“頓”の字には「急に」とか「にわかに」といった意味があります。


 この点は私にはまだ完全理解がありません。と言うのは、確かにあのどん底の時に得た絶対他力の感覚の時よりも、親鸞さん(あえて聖人と今は呼びません)や蓮如さんの教えを知った今の方が、他力に満たされている感覚が強いので、その分信が強まったと思っているからです。

 こう思っていると言う事は本当の信ではないかも知れませんね。しかし、私にとっては今の所これしか無い様ですので、このまま行きたいと思います。

>
>他力の信心は、文字通り“赤ちゃん”でもいただくことができます。
>逆に、知恵や知識がついてくると難しい面もあると思います。
>知恵や知識が邪魔をしてしまうわけですね。
>
>人間には、自らの知恵や知識に頼ろうとする“性(さが)”があるようです。
>いわゆる“自力根性”です。これがないと、この世(軽い地獄)では生きて
>いけないのでしょうね、きっと。だから“難信の法”なのだと思います。


 私の学んだ所によりますと、この世に生まれて何かをする為にある人間は、世俗的な知恵を得なくては何も出来ないのであり、あのイエスでさえ、3つの言葉(アラム語など)を人から教わったのであり、初めから話したなどと考えるべきではない云う事でした。

 この世の知識なくして人の役になどたてる訳はないので、大いに学ぶべきだと思います。ところが、この知識を多く持ったという事で、真の知識を受け入れなくなるのですから厄介ですね。


●re.10
ボン
関東の男性
[ 162 ] Re10:グーグル検索してみると 2009/08/17 (Mon) 02:27 △up ▽down
マサヒシさま、こんばんは。

この世を生きていくうえで、知恵や知識は大事なものと思います。

先に私は、「知恵や知識が他力の信心獲得の邪魔をする」というようなことを
言いましたが、これは不正確な言い方であって、誤解を招くかもしれません。

他力の信心獲得の邪魔をするのは、「知恵や知識そのもの」ではなくて、
「知恵や知識をある程度は身に付けているという気持ち」または
「知恵や知識に頼ろうとする気持ち」なのではないかと思います。

自分のこれまで得てきた知恵や知識をもとにして、さらに精進していけば、
何かをつかめるかもしれないという気持ちは、尊い心がけだと思いますが、
それは自力本願の心であり、他力本願とはかけ離れた考え方だと思います。

一心不乱に苦しい修行を続けていけば、いずれは「仏になる」ことができる
のかも知れません。

それと同じように、数限りない知識を学び、数限りない経験をとおして多くの
知恵を身に付けていけば、その延長線上に「仏になる」道が見えるのかもしれ
ません。たぶん、想像を絶するほどの超人であれば、それも可能かもしれません。

しかし、自力本願では仏になれないという諦めのような気持ちが起こったときに、
たぶん、少し他力の道に近づくのではないかと思います。

ただし、私は他力が良くて、自力が悪いというつもりはまったくありません。
「仏になる」または「悟りを開く」ための方法が仏法だとすれば、お釈迦様は、
たくさんの異なった方法(道)を私たちに示していただいているのだと思います。

南无阿彌陀佛



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