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[ 319 ] こちらでは初めまして。
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2008/01/14 (Mon) 19:07
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皆様、御元気で御活躍の事、御歓び申し上げます。 ふと思うところがあり書き込んでみました。 この法は、宿縁が無ければ聞けないとは言っても、一人でも多くの方々に阿弥陀如来の済度を願って欲しいと願うばかりです。 とかく、人間は、脳と云う理性のコンピューターの電算機で物事を変換してしまうものですね。 人間にも本能が与えられています。仏法は、この本能に働きかけるものだと思います。 皆が皆、本来持っている仏欲なのだと思います。 しかしながら、理性と云うもので捻じ伏せて本能は、人間として我慢しなければならないものとし、先ず最初に押さえつけられ易い仏欲を抑えてしまうようなイメージを最近感じます。
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●re.1
admin |
毎日 |
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[ 322 ] Re1:こちらでは初めまして。
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2008/01/15 (Tue) 03:18
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愚尼 様
私も、佛欲というものは、あると思います。
子供のときから、「悟りたい」「お釈迦様のようになりたい」と思っていました。
途中で、「自分には、無理だな」と思いながらも、心のどこかでは、希望を捨てずにいました。
それが、良かったのだと思います。
ですから、浄土で菩薩になったり、滅度に至れると聞いて、とてもうれしく思うのです。
菩薩様にもなりたかったですので、弥陀に感謝しています。
(ですけれども、いきなり次如弥勒というのは、想像以上で、恐縮致しました。)
済度ができますことも、夢のようです。
南无阿彌陀佛
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[ 323 ] Re2:こちらでは初めまして。
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2008/01/15 (Tue) 22:59
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何を書いたら良いのか、浮かびませんが、皆、知らず知らずに自分の弱さや悪い心を隠す為に、知識や名誉やお金と云う鎧を身に付けてしまっている事に気がついて欲しいです。 自分は常識人と偽り、心の底では、褒められる欲望に駆られています。 取り敢えず、心に思った事を書かせて頂きました。
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[ 325 ] Re3:こちらでは初めまして。
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2008/01/15 (Tue) 23:13
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>愚尼さまが登場されたことによって、この掲示板に華がそえられたような感じです。 > >どこの肩を持つことも無く、わからないことを素直に聞く。 > >これが私の法の求め方なんです。
それで良いと思いますよ。その人その人で考えも違うし、捉え方も違って当たり前です。 みちくさ様が思う事を質問なり疑問を書いていけば良いと私は思います。 みちくさ様への返事は、泥凡夫様や、毎日様や、菩提心様にお任せして・・・ 私は、隠居の身と宣言させて頂きましたので、老婆心程度の書き込みに留めたいと思っています。
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[ 326 ] Re4:こちらでは初めまして。
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2008/01/15 (Tue) 23:58
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愚尼 様
こんばんは。泥凡夫でございます。 お久しぶりでございます。お元気そうで何よりでございます!!
みちくさ様も来られて、かつての日々が再現されたようでございますね。 良くも悪くも御縁でございますので、皆様と一緒に私もお邪魔させて頂いております。
>皆、知らず知らずに自分の弱さや悪い心を隠す為に、知識や名誉やお金と云う鎧を身に付けてしまっている事に気がついて欲しいです。 >自分は常識人と偽り、心の底では、褒められる欲望に駆られています。
おお!!これはまったく私のことでございます。誠にお恥ずかしい限りであります。私はやはり泥凡夫でございます。悲しきかな凡夫の自性と分かっても無くならんのです。故に、わが身の罪深きことをば打ち捨てて佛に任せ参らせる。この一念こそ尊み仰いでおる次第であります。
またお会いできて嬉しい限りでございます。
南无阿弥陀佛
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[ 328 ] Re5:こちらでは初めまして。
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2008/01/16 (Wed) 00:21
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みちくさ様へ
かたくなに、『これが私の法の求め方なんです。』と、肩肘を張らずに、肩の力を抜いて耳を傾けてはいかがでしょうか?
泥凡夫様へ お久し振りです。みちくさ様よりこのページを教わりました。 老婆心とは言え、ついつい書き込みをしたくなってしまいます。 よっぽどの暇人なんですね、私って・・・
私の体の方ですが、こうしてパソコンに向かえるだけ、回復してきたんだと思います。 病に伏している時は、体を休める事と自分の体もままなりませんから・・・ 元気になった証拠かな? ご心配かけました。
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[ 329 ] Re6:こちらでは初めまして。
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2008/01/16 (Wed) 00:29
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愚尼 様
>老婆心とは言え、ついつい書き込みをしたくなってしまいます。 >よっぽどの暇人なんですね、私って・・・
弥陀のお力に背中を押されておるからであると思います。 愚尼様がジャンヌで孤軍奮闘されておられたこそ、皆様がおられるのであります。 本当にありがとうございます。
>私の体の方ですが、こうしてパソコンに向かえるだけ、回復してきたんだと思います。 >病に伏している時は、体を休める事と自分の体もままなりませんから・・・
本当に良かったです。
南无阿弥陀佛
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[ 332 ] Re7:こちらでは初めまして。
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2008/01/16 (Wed) 12:01
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泥凡夫様へ
私は、孤軍奮闘したつもりは、今でもありません。 ただ、疑問に思ったことを問いかけて行った末の出来事でありました。 気が付いたたら、質問していた私は、質問される立場へと逆転して行ってしまった末の出来事で、今思うと、『若気の至り』だと深く反省しています。 何で書き込みなんかしてしまったんだろうと今でも思う事があります。 でも、私を期に、何らかの働きかけがあり、気が付いたら、一人の為を思い書きこんでいたモノが、なんとも多数の方々に働きかけてくれていたのだと思うと、今更ながらにビックリしてしまいます。 普段の私など、見るもみすぼらしいそこらのオバサンでしかないものが・・・ 今でも心を痛めているのは、凡々様とのやり取りです。 まるで罵声の飛ばし合い、泥仕合の様なやり取りだったと深く反省しています。 造らなくてもよい罪を凡々様には造らせててしまいました。 その他の、私に敵対している読者の方々も沢山居た事でしょう。 いらぬ罪を造らせてしまった事に、胸が痛みます。 ジャンヌで私の書き込みを通して色々な形の縁があり、救われた方々はさて置き、反発心や疑念の念を持たれてしまった方々にお詫びしてもお詫びのしようもありません。
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[ 333 ] Re8:こちらでは初めまして。
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2008/01/16 (Wed) 16:50
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愚尼様
>普段の私など、見るもみすぼらしいそこらのオバサンでしかないものが・・・
私より、お若い愚尼様がそんなことおっしゃるなら、この私はどうしたらいいのでしょう。 せめて、愚尼様はお姉さまであり、私がオバサンなら、分ります。
でも、オバサンパワーってすごいと思いません?
いつの間にか、愚尼様の周りは、男性ばかりじゃないですか。
早く、元気になられて、あの時の愚尼様に戻って下さい。
みちくさ様、愚尼様、泥凡夫様が一同に集るなんて、本当に嬉しい限りです。
掲示板でなく、皆一同で、お会い出来ると楽しいですね。
いくら、極楽浄土へ往けるといっても、やはり今生でお会いしたいですね。
(だって、極楽浄土って、皆同じ顔らしいですから)
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[ 334 ] Re9:こちらでは初めまして。
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2008/01/16 (Wed) 17:27
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極楽に往けば、今の現在の姿形をお互いに知る事が出来ますよ。 六通の神通力で全て、過去世から見られるのですから。 繋がりがあれば、いずれお会いする事でしょう。 私もオバサンです。結婚が遅かった為に子供は小さいですが、れっきとしたオバサンです。 子供に年を聞かれ、永遠の24歳です。年が明けると23歳になり、誕生日の度に、ケーキ屋さんでのろうそくは、24本!と答えています。 今の時代、年を取っても子供は産めますよ。 極楽に往ったら、自分と縁の深かった者から順番に救う為に、また人間界に下りて来ます。挨拶など交わしている暇など、信心をいただいた者にそんな余裕はありません。 私は、良くサバサバしていて女にしておくのが勿体無いといわれています。 男みたいな性格なのでしょう。 男友達のほうが多い気がします。 今は、育児に追われ、友達どころではありませんし、母親と云う女性を堪能しています。 来る者拒まず、去る者も出来るだけ離れていかない様にとは思っていてもこれも縁で去って行く人を繋ぎ止めるのは至難の業ですね。 そう言えば、みちくさ様が、自信教人信の私を男だと思っていたくらいですから。
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●re.11
admin |
毎日 |
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[ 335 ] Re10:こちらでは初めまして。
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2008/01/17 (Thu) 02:10
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愚尼 様
>挨拶など交わしている暇など、信心をいただいた者にそんな余裕はありません。
愚尼様だったかは覚えていないのですが、私が信前にジャンヌに書き込んでいたとき、私は救われたくて、肩肘はってがんばっていたと思います。
それはやはり、自らが救われたいためでもありますし、「求める」ということについて、自分なりの先入観があったからだと思います。
また、救いを標榜する偽の方々への、反感もあったのだと思います。
そのとき、「救われれば、熱意もなくなるかもしれませんよ」のようなアドバイスを、どなたかから受けたように記憶しています。
もちろん、私の思い違いかもしれません。
実際、救われてみますと、徐々に、力が抜けてきました。
お約束通り、心がやわらかくなってきているのだと思います。誠に不可思議なことですが、弥陀の救いは、真実の仏法であると思います。
そして、近頃思われるのは、「自然法爾」ということです。
「求める」と言っても、それすら、自力の心にすぎず、結局は、宿善のもよおしに過ぎない。
宿善無ければ、求めることもできない私たちです。
宿善無くして求めれば、自然と悪知識に魅せられてしまいます。
ただただ、三毒に翻弄されて、流転をつづけている私たちを、阿弥陀仏は、深く哀れんで、救いの方便を成就してくださいました。
「自然法爾」の「然」には、他力を感じます。
時期が来て、私は救われました。そのような予定だったからですけれども、それをよろこんでいます。
南无阿彌陀佛
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