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[ 52 ] 自力作善とは
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2007/11/30 (Fri) 06:07
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毎日様
もう少し、自力作善の事、詳しく知りたいです。
具体的に、こういうことを自力作善というのです。
って書いて下さると、僕のような者はすぐ納得できると思うのです。
自力の作善では、そのまま自力の作った善としか受け止められません。
その自力の作善がなぜ、ダメなのか教えて下さい。
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●re.1
admin |
毎日 |
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[ 53 ] Re1:自力作善とは
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2007/12/01 (Sat) 07:29
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おやおや 様
「自力作善」は、「自力で善を作る」という意味ですから、おやおや様の解釈の通りです。
どんな教えでも、用語がひとり歩きしがちです。
なぜなら、用語は、覚えれば、わからなくても、そのまま話すことは、できるからです。
「自力」「他力」という用語も、かなりひとり歩きしていると思います。
簡単に言えば、真実行以外は、すべて自力です。
私たちが何かをすれば、自力に決まっているのです。
ふつうに考えれば、「他力なんて言ったって、そんなのやりようがないじゃないか!」となるはずで、それを期待した用語だと思うのですが、それを自分の頭で考えて「自力じゃダメだ、他力にしなくちゃ」とやったりするから、わけがわからなくなっても来るでしょうし、用語がひとり歩きしているようにも見えるわけです。
「他力」なんですから、自分で考えてもわからないのです。自分で考えてわかるなら、「自力」です。
ですから、知っている人に聞かなければなりません。
そして、信をいただいた後であれば、「ああ、なるほど、他力であった」とわかるのです。
もちろん、善を為すのは良いことです。自力作善は、ダメではないですよ。奨励されるべきことです。
自力作善がダメなのではなくて、所詮凡夫が行う善だから、それだけでは、とてもではないですけれど、最高の浄土である、弥陀の極楽浄土には行けない、ということです。
つまり、永劫の流転から抜けるには足りない、というだけで、善行は、もちろん、できるなら、した方が良いのです。
でも、そんな凡夫を弥陀は自分の浄土に救い摂りたい。弥陀は衆生を、なんとかして助けたいのです。
そこで、南无阿彌陀佛を完成し、他力の行を作り上げました。
自分では善行のできない凡夫に、弥陀の善行を廻向する仕組みを作り上げたのです。
ですけれど、そのためのスイッチというか、きっかけの行をやってもらわなければならないわけです。しかも凡夫に。
本当は、そのために、ものすごい数の舞台を準備して、凡夫はそこで流転しながら、ものすごい数の佛のお育てにあずかり、幾度も人身を得て、苦しみ、よろこび、弥陀の救いへと導かれてくるのです。
そしてついには、易行の門をくぐり、易行にて、簡単に救われてしまいます。
ですから、真実行という他力の行を為すことは、凡夫の自力作善をはるかに超えた、最高の善行を為すことになります。
これが因となり、弥陀から真実信心をいただき、それが因となって、命終を迎えると、相続された命は、弥陀の極楽浄土に生まれるのです。
弥陀は、招待券付きで浄土を作ったのです。
そして、自力作善よりも、はるかに楽なのが、弥陀の真実行です。
最高の善行を、あっと言う間に、楽にできる。
だからこそ、最高の教えであり、真宗なのです。
「浄土を作る」というのは、宇宙を創るようなものですよ。
私たち凡夫に、そんな善行を為すことができるでしょうか。
そのような弥陀が廻向してくださる善行なのですから、私のような凡夫が行う善行を、はるかに凌駕しているのです。
南无阿彌陀佛
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●re.2
admin |
毎日 |
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[ 55 ] Re2:自力作善とは
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2007/11/30 (Fri) 07:00
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浄土でわかりにくければ、ディズニーランドでも良いのです。
あれを自分で建設するのは、とても手間ひまがかかります。
不可能ではないとしても、事実上、無理だと思います。
たとえば、幾度も生まれ変わって、ひたすら建設すれば、ひとりでも、作り上げることができるかもしれません。
ですから、「何度でも生まれ変わってでも、やります」という方は、本当にやり遂げるのかもしれません。
実際、私たちは、ひとりではないですが、石器時代からずっと技術を積み重ねて、あのようなものが作れるようになってきたのです。
私たちが、石器時代の人間でも、誰かがディズニーランドを作ってくれたなら、そのチケットをもらって、入るだけで良いのです。
もちろん、弥陀の浄土のチケットは、南无阿彌陀佛。この六字に、すべてがあります。
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[ 56 ] Re3:自力作善とは
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2007/11/30 (Fri) 19:54
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毎日様
自力作善の意味、なんとなく理解しました。
これもやはり、信を頂いてから、自力、他力の善の違いも、教えて頂きながら分ってくるのではないかと思います。
それよりも、毎日様の僕への回答の速さにビックリします。
もう、僕はへとへとです。
後で、読み返すと、随分偉そうな書込みで、恥ずかしい限りです。
今日、他県へ仕事に行っていました。 寝不足状態です。
頭切り替えて、又質問させて下さい。 お願いします。
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●re.4
admin |
毎日 |
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[ 57 ] Re4:自力作善とは
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2007/12/01 (Sat) 07:31
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おやおや様
「他力の善は、南无阿彌陀佛。その他の善は、すべて自力の善」で、良いと思います。
書き込みは、いつでも構わないのです。
あくまでも、気楽に、お願いします。
「義なきを義とす」のが、当流なのですから。
書き込みたい気持ちのときに、書き込むだけで良いのです。
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●re.5
admin |
毎日 |
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[ 61 ] Re5:自力作善とは
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2007/12/01 (Sat) 06:49
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おやおや 様
南無阿彌陀佛は、これまで自らが為してきた全ての善をはるかに超えて、無上にすばらしい善行です。
英雄的行為を一度したがために、生涯讃えられる方がいらっしゃいます。
そのように、南無阿彌陀佛を一度為した方は、生涯、人中の分陀利華なのです。
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●re.6
admin |
毎日 |
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[ 120 ] Re6:自力作善とは
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2007/12/11 (Tue) 04:34
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「南無阿弥陀仏」を唱えていたとしても、六字の謂れを知らず、弥陀を確かにたのんだこともないのであれば、それは、自力作善です。
そして、「六字の謂れ」とは言いますが、「九字の謂れ」「十字の謂れ」とは言いません。
そう聞いて、「それはそうだな」と思えないならば、まだ六字の謂れは知りません。
(このような誤解を防ぐ意味もあって、九字名号、十字名号も残されているのだと思います。)
「他力をわかった!」と言っている人も、多くは自力の範疇で、他力を想像しているに過ぎません。
このような誤解をしてもらいたくないので、そこで求めるのをやめてほしくないので、一枚起請文や、領解文が残されています。
両者とも誠に誠に名文ですが、短いですので、むりやり自分の体験をそこに押し込めて、わかっているつもりになる方が出てきてしまいます。
ですから、何より間違いのないのが御文様です。
御文様は、全体が領解文とも言えるもので、我らが凡夫の往生の鏡、一文字一文字が佛菩薩です。
御文様に、「弥陀をひしとたのんだ」自らの姿が映されておらないなら、いまだ弥陀から信心いただいておりません。
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●re.7
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毎日 |
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[ 160 ] Re7:自力作善とは
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2007/12/20 (Thu) 00:54
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◎また一心について深あり浅あり。「深」とは利他真実の心これなり、「浅」とは定散自利の心これなり(教行信証)
この「定散自利の心」こそが、自力の信になります。
南无阿彌陀佛
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