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[ 1102 ] 信後の味わい7
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2010/06/11 (Fri) 12:31
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6月10日は、「ミルクキャラメルの日」ですよ。と主人が聞いているラジオから流れてきた。
6月10日は「時の記念日」。
自分の名前の由来を父から聞いていたわたしは、ちょっと寂しい気持ちが起きた。
時の記念日のポスターを書く宿題が有った。
小学4年生頃だと思う。
なかなかうまく書けないでいると、父が助けてくれた。
出来上がった作品は上出来だった。
これは父一人の作品だと思った。
それは廊下に貼り出された。
何にもしないのに、一生懸命に書いた友達と一緒に貼り出されている。
それでもまだ4年生のわたしには、罪悪感よりも廊下を渡る度に その絵を見るのが楽しかった。
阿弥陀様に救われるのもこんな感じかなと思ってみたりする。
阿弥陀様の御修行を丸貰い。
ただわたしはそれを有難いなと喜んでいる。
南无阿彌陀佛
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[ 1103 ] Re1:信後の味わい7
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2010/06/12 (Sat) 17:24
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菩提心様
ご無沙汰をしております。
久しぶりの書き込みですが、立ち上げられるのをお待ちしておりました。
また、記憶の片隅にでも自分の事を留めて下さって貰えてた事に、唯々感謝です。
貴女様もスランプを迎えられていたとか?
自身の方も、あれから色々ありました。
家族共々、世間的にもちょっと味わう事の出来ない様な一大事にも遭遇しました。
普通なら、落ち込みます。 いつまでも其処から抜け出せないでしょう。
でも、『悪を転じて、徳と成す正智』です。
其の出来事をきっかけに、色々な方と出会い、様々な味わいを受る事が出来ました。
其の事一つをもって様々に喜ばしてもらう事が出来ます。 それらを含めて『尊い』と思えます。
佛の本願を受けるという事は、この娑婆世界を生きて行く力を授かるという事なのでしょうか?
私自身、行き先は地獄かもしれませんが、『弥陀の掌間違いなし』という確信があります。 弥陀の掌ならば、極楽浄土の教主ですから極楽は間違いないでしょう。
『私が阿弥陀さんで、阿弥陀さんが私で。』そんな思いを味わいながら生活させて貰っております。
『なんと、思い上がった。』と思われるかもしれませんが、其れが今の自分の味わいです。
そんな思いを抱かせて貰えるまで、佛様に育てて貰えたのです。 後はこの世界で自分の味わいを伝えていくばかりです。 其れを報恩謝徳というのでしょう。
後は、使って貰うばかりです。
話が飛びました。 取り止めが無いですね。
申し訳ありません。 合掌
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[ 1104 ] 極道坊主様 書き込みありがとうございます。
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2010/06/14 (Mon) 14:37
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極道坊主様
>貴女様もスランプを迎えられていたとか? >自身の方も、あれから色々ありました。 >家族共々、世間的にもちょっと味わう事の出来ない様な一大事にも遭遇しました。 >普通なら、落ち込みます。 いつまでも其処から抜け出せないでしょう。 >でも、『悪を転じて、徳と成す正智』です。 >其の出来事をきっかけに、色々な方と出会い、様々な味わいを受る事が出来ました。 >其の事一つをもって様々に喜ばしてもらう事が出来ます。 それらを含めて『尊い』と思えます。
○転悪成徳正智・・・圓融至徳の嘉號は悪を転じ、徳をずるの正智
これは現生十種の益の「転悪成善益」と同じですか?
でも、どっちにしろ、大失敗を機に色々心に変化が出てきています。
まず、ものの考え方が少しは楽観的になりました。
又、見方が「あの人のせいだから」という気持ちが薄らいできています。
「縁」というものが有難くなっています。
この日本の中で、全然お顔も知らない人でも、何だか文章読んだだけでも安心したり、
大丈夫かな?なんて心配できる間柄って、きっとどこかで縁が有ったのではないかと思えるんです。
そう思うと、身近で顔を合わせる人にはもっともっと優しくしていきたいですね。
>私自身、行き先は地獄かもしれませんが、『弥陀の掌間違いなし』という確信があります。 弥陀の掌ならば、極楽浄土の教主ですから極楽は間違いないでしょう。 >『私が阿弥陀さんで、阿弥陀さんが私で。』そんな思いを味わいながら生活させて貰っております。 >『なんと、思い上がった。』と思われるかもしれませんが、其れが今の自分の味わいです。 >そんな思いを抱かせて貰えるまで、佛様に育てて貰えたのです。 後はこの世界で自分の味わいを伝えていくばかりです。 其れを報恩謝徳というのでしょう。 >後は、使って貰うばかりです。
すごいですね。
わたしは阿弥陀様に護ってもらっているだけです。
でも、阿弥陀様だけなんです。
女人往生を誓って下さる仏様は。
この娑婆世界の半分は女だから、こりゃ、釈尊も大変な地球に仏と来現されて 大変だろうなと考えるだけで、もう楽しくなってしまいます。
不遜な考えでしょうけど、
でも釈尊も善人ばかりの地球じゃないので、やりがいがあるでしょう。
極道坊主様もそんな地球の一員。
わたしも地球の一員。
いつかどこかで「おや?」。
菩提心さんじゃないですか? まあ、極道坊主さん、お元気?
こんな会話が浄土で交わせるなんて、有りうる話。
そんなに遠くない話です。
この悠久の時間に比べたら。
それまでお互いに、楽しくいけたらいいですね。
南无阿彌陀佛
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[ 1105 ] Re1:極道坊主様 書き込みありがとうございます。
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2010/06/15 (Tue) 00:44
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菩提心様
お返事下さいまして有難うございます。
>○転悪成徳正智・・・圓融至徳の嘉號は悪を転じ、徳をずるの正智 >これは現生十種の益の「転悪成善益」と同じですか?
多分、現生十益に数えられるのでしょう。
自分は教行信証の総序から引用しましたものですから、聖人様は十益の中より引かれたのだと思っています。
『難信金剛の信楽は、疑いを除き證を獲しむる真理なり。』と続くところです。
此の度の体験は、自分達家族の行動から引き起こした出来事ではありません。(因は備わっておったのでしょうが?)
ですから、「何故、自分達がこんな目に?」と思ってしまう事の方が、至極当然のような出来事です。
其れ故に納得出来かねる思いの方が強かったのです。
でも、女房と「世に不必要な事は、無いと聞かされている。」「受けるべくして、受けるとも聞いている。」「気付かねばならん事があるんじゃろうね?」なんて会話をしていると、なんだか立ち上がって歩けるような気がしてきました。
「一人じゃないんじゃから。」という、心強さも味わえました。 「佛の後ろ盾が有る。」「佛が智慧を下さる。」という確信がありましたから!
それらが結果として、前回の書き込みの如く形として現れて下さいました。 勿体無い事です。
人夫々、色々な体験を通して其れを機会に心(思い)を育てられるのでしょうなぁ〜。
楽観視できるようになれたのも『抜苦与楽』の慈悲心から恵まれる『智慧』の表れだと感じます。(決して楽ではないのですが。)
>又、見方が「あの人のせいだから」という気持ちが薄らいできています。 >「縁」というものが有難くなっています。
以上のように受け取れますのも、『因果の法則』其の道理に疑いを持たなくして貰っているからではないでしょうか?
>この日本の中で、全然お顔も知らない人でも、何だか文章読んだだけでも安心したり、 >大丈夫かな?なんて心配できる間柄って、きっとどこかで縁が有ったのではないかと思えるんです。
まことに、顔も名前も知らない者同士が『心を通わせる?』とでも云うのでしょうか? そんな光景は普通じゃありません。
此れも、不思議としか言いようの無い出来事です。 此れを喜ばずして、何を慶んだら良いんでしょうか? 勿体無い事ですよね!
些細な事かもしれませんが、足元にある小さな幸せを喜んでいけるのも、佛智不思議の表れだと思うんです。
師が言われました。 「なむあみだぶつの佛の字は一番下の足元にあろうが。 あれは佛様が『他人様の足元を戴いて行け。』と云うとってんで。 佛様が足元戴くいう見本を見せとってのに凡夫は何処見とんのかのぉ〜? 足元、喜べんで何をよろこぶんならぁ〜。」と。
少々、乱暴ではありますが納得させられました。 「本当じゃ。」と思ったからです。
話がそれちゃいましたが、上記の如く感じるならば仰る通り「身近な人達から優しく接して行けば良い。」と考えるのですが、やっぱりそうなってくれない自身が居るのも現実です。
>わたしは阿弥陀様に護ってもらっているだけです。
『護って貰っている。』という実感があれば、それで良いではないですか?
其処が、味わう事がなかなか出来なくて、もがき苦しんでいる人達もいるのです。 其処に辿り着くまでに、紆余曲折する方が沢山居るんですよ。(自分もそうでしたから。) 挫折される方も御出でだと聞いています。
『易行』とは、申されても簡単ではないと感じています。 でも、出所は一緒ですから、時機が来ればお互いに頷ける事が出来ると思っています。
護って下さっておられますから、其の足元で不自由無く、御育て戴けるのだと味わっています。
菩提心様、阿弥陀さんは、女人往生をお誓いです。 『護って貰っている。』という実感があるのでしたら、往生は間違いないと思います。
往生が間違いないのでしたら、女人にして成佛も間違いないのだと信じています。
女性無くして世界は成り立ちませんから、佛も長い時間をかけられて思案されたのでしょう。
その阿弥陀さんが、自身と一緒になって下さる、『佛凡一体』となって下さる。と聖人は仰せです。
『宇宙の覚体が自身と一緒になって下さるんだ!』と味わっています。
菩提心様もその覚体と一緒になられるんでしょうね? 既になっておられるのかも。 こうして文明の利器を駆使してではありますが、お話が出来るのも、心は既に浄土にて遊ばさせて貰っているからなのかも知れません。
死から先の不安が取り除かれましたので、『死』がひとつの通過点の如くなりました。
彼と此が吹き通しなりましたので、時期が来るまではこちらで出来る事をして待っていようと思います。
そんな思いから、前回のような書き込みになりました。
なんか、夢物語みたいになってしまいましたね。
つまらない話ですみません。 合掌
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[ 1106 ] 愚痴が言える唯一の阿弥陀様
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2010/06/15 (Tue) 14:29
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極道坊主様
>死から先の不安が取り除かれましたので、『死』がひとつの通過点の如くなりました。 >彼と此が吹き通しなりましたので、時期が来るまではこちらで出来る事をして待っていようと思います。
いいな〜。そんな御心境。
わたしが阿弥陀様に護られているって思うのは、タイトルに書いたとおりです。
人に愚痴ると、色々言われるじゃないですか?
特に金剛心の筈なのに・・・・なんてね。
でも、愚痴っても許してもらえる人。
例えば人間だったら、お母さんでしょう。
歳行ってから出来た孫としばらく同居することになって、丁度2日になります。
お嫁さんとっても大変。
でも見ていてやっぱりお母さんだな。
赤ん坊は、全て泣いて訴えます。
お腹が空いた時も、おしめが濡れた時も、甘える時も・・・・。
わたしなら途中で投げ出すようなことでも、しっかり護っています。
それを見ていると、わたしも阿弥陀様に護られていると感じるんです。
赤ん坊はまだ見た目かわいいでしょう。
でも、もう60になったわたしが泣いても誰も相手になんてしてくれません。
まあ、せいぜい馬鹿かと言われるのが落ちです。
そんな時、心から愚痴る相手が阿弥陀様。
だれもいない事務所で、今もどのように書類を作成しようか、ホトホト困っています。
そして、目には見えない阿弥陀様に愚痴っています。
そのうちに何となく、なんとかなるような気がしてきます。
そして何とかなっていくのです。
こんな世間の人が気づくような事、ずっとこの歳まで抱えていたなんて本当に情けないです。
でも、一番困らせる人がいてもいいじゃないですか?
なんて、愚痴りながら仕事頑張ります。
でも夢物語のようなお話大好きです。
又、お聞かせ下さい。
南无阿彌陀佛
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[ 1107 ] Re1:愚痴が言える唯一の阿弥陀様
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2010/06/16 (Wed) 01:28
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菩提心様
極道坊主です。
甘えられる親が身近に居ると感じられる事は、忝くも勿体無い事だと思います。
世の人々はその様に頼れるものを感じているのでしょうか? 多分、常に孤独を感じているのではないかと思います?
「僕は、私は独りきりなんだ。」と思い込んでしまっているから、自身の思いも愚痴に出来ず、独りで抱え込んで解決が付かない儘ほったらかしにしているのではないですか?
ほったらかしなら、まだ幸いかもしれません。 愚痴る事も出来ず、思いにつぶされてしまって最悪の結果を選択される方も居るのです。
確かに、「独りで生まれ来て、独りで死んで行く。」のではありますが、折角の人生を与えて貰いながら、その成果を感じられないまま終わるのは寂しいと感じます。
其れは、自身がそれに逢う事が出来ましたから云えるのであって、大半は虚しく過ぎて行き、上記の如くも考え付かないし、思いも依らない筈です。
そんな中で、佛の後ろ盾を感じながら「護って貰えているんだ。」と確信の持てる事はナカナカ出来る事ではないのかもしれません。
何時まで経っても、親からすれば子は子なのです。 子が親を抜いて親になることは決してありません。
其の、甘えさせて下さる親が許して下さって御出でなのですから、誰に遠慮することなく甘えれば良いのだと思います。
周囲の人が、どう云おうと、どう考えようとそんな事は言わせておけばいい。 其れは其れが出来ている菩提心様に対しての嫉妬の心だと思います。
誰も彼もが戴ける所ではないものを、獲得されて御出でなのですから慶ばせて貰いましょう。
無限の命の親からすれば、たかだか50年や100年位等、乳飲み子同然です。 可愛いものなのですよ。
佛に向かって愚痴を言うのですから、多分其れをお聞きになった親さんが解決の方向に向けて、後押しを掛けて下さるのでしょう。
世の人々は、愚痴りながらも其れが愚痴のままで終わり、解決が付かぬまま誤魔化して時間ばかりを悪戯に過しているのだと思います。
解決が付いていませんから、時期を変えて倍になって返ってくるのでしょう。
それは、其の者が克服するまで幾度と無く繰り返されるのだと感じます。
師は「佛様の方を向いて生活させて貰とってみぃ、後の事は何とでもなるんで。」と云われました。
生活の中にあって佛様を見るのではなく、佛様を第一として、それを中心に置いての自身の生活だと戴いております。
多分、菩提心様も実感されておられるのだと感じます。
書き込みを読ませてもらう限りにおいては、常に佛様に護られて居られる事を仰っておいでだからです。
>こんな世間の人が気づくような事、ずっとこの歳まで抱えていたなんて本当に情けないです。
世間の人は、気付いた振りをしているだけなのでしょう。 今、気が付けたのは今が時期だから。
早いのではないでしょうか? 気付かず寿命を終わらす事に比べたら。 でも、其れが大半なのではないでしょうか?
本当に、よかったですね。 合掌
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[ 1108 ] これも善巧方便?かもしれない。
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2010/06/18 (Fri) 23:03
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極道坊主様
お返事有難うございます。
6月18日締め切りの書類作成、ぎりぎり間に合いました。
来年3月で心秘かに、仕事を辞めようと腹をくくっているんです。
しかし実際貰う年金額知ったら、そうもいかないかと・・・。
国民年金と比べても、全然変わらないんです。
低収入なのに、それなのに税金は払わなくてはいけないし。
でも、もう以前のわたしじゃ有りません。
そんなに落ち込んでいません。
これも自分が選んできた道。
成るようになっているんでしょう。
収入が無かったら、無い生活をすればいいだけですから。
それよりここ最近、理不尽な事多いなと思っていたんです。
今日その原因が分かりました。
「沈黙は金なり」というか。
そしてこの一言、口に出さないで良かったわ、という経験をしました。
大失敗はやっぱり阿弥陀様の善巧方便だったと思います。
そうでなくちゃ、わたしきっといい加減にしろと言いたいくらい。
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」
やっぱりそうだったのか。
わたしのせいじゃなかったんだわ。
それにしても、大失敗した時、かばってくれたのはその上司だから。
これで帳消し。
最近、やっぱり救われていて良かったなって思える事多いです。
そして周りに助けられているんだなと思います。
落ち込んでいても、きっと誰かが救いの手を差し伸べてくれます。
これはある善知識様のご著書から引用しました。
「南無阿弥陀仏を称える人と仏教に無関心で一度も口に出さぬ者があったとすれば、一度でも南無阿弥陀仏を口にした人を私は尊い幸福な人だと思う。
たとえ大学を出て一流会社に就職した優秀な人でも、念仏も口に出さない人は目もない、耳もない、口もない、鼻もない、舌もないのっぺらぼうの人間だと私はおもっている。
一声でも念仏した人は偉いと、それ程極端にまで私は思っている。
まして弥陀に帰命した人、即ち仏法に会った人は筆舌に尽くし難い尊い人だと思う、必定の菩薩であるから。
世の中にはこの様な仏になる菩薩方もおられるし、仏が菩薩あるいはそれ以下の声聞に姿を変えて出ておられる方もある。
(劣応身)だからあの人はたるい、抜けているとか賢いとか、人間世界の自分の物差しで見ていると大きな間違いを生ずる。
自分の近くで毎日そんな人と出会っている筈である。
南無阿弥陀仏という物差しで見なければ真の心は分からない」
上の場所を引用したのは、そうだなと思えるからだ。
きっとわたしが嫌いだと思っているその人こそ、菩薩ではないだろうか?
わたしを導いてくれているのではないだろうか?
末法の世に相応しい形で、わたしの周りにおられるような気がしてならない。
この頃、時々そのように思えるようになっている自分が有難いと思う。
しかし、それでも一日も早くこの娑婆世界を卒業できたらいいのにと思う。
ホントにぐうたらなわたしです。
南无阿彌陀佛
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[ 1109 ] サッカーの楽しみ方
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2010/06/28 (Mon) 21:46
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あまりサッカーはよく分からないけれど、今回は背番号を見ながら、とても楽しめた。
18番、本田選手。
有言実行。
衆生相手の十八願を思いながら、思わず応援したくなってくる。
22番 中澤選手。
還相回向を考えていた時なので、この数字も見放させない。
岡田監督はわたしの知り合いの人に似ている。
本人は否定しているけれど。
デンマークの対戦をビデオに録って置いたのを、何回も見ていた。
勝った試合だから、安心して観ていられる。
今のわたしの心持ちもそんなところだろう。
記憶法でアフリカ大陸を勉強したのも、楽しみの一因だった。
又、上司の祝賀会の準備も、色々な人の手助けで、サッカーを観る余裕ができているみたい。
相撲は最近、色々な問題を抱えている。
以前、善知識の奥様から、相撲にも、
十八願の謂われがあることをお聞きしていたけれど、とても残念だと思う。
岡田監督の希望通り、ベスト4に入って、この不景気を少しでも払しょくできたら嬉しい。
がんばれ、ニッポン。
南无阿彌陀佛
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[ 1110 ] 世界で一冊の本
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2010/06/28 (Mon) 21:44
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去年の12月、
六本木ヒルズでセミナーを一緒に受けた人から1冊の本が届いた。
薄い黄緑をしたカバー。
手作りのその本をそっと手に取る。
1ページ、1ページめくるごとに、
ジワーと涙が滲んでくる。
どんな思いで、製本したのだろう。
丁寧に活字を色分けし、読みやすいように大小の活字が並んでいる。
彼女の思いがその本の内容と重なっているのだと思う。
わたしは、ただパソコンに入れて後で整理しようと思っていた。
でも今、目の前の1冊の本となっているのを見ると、
きっと作者の人も感激すると思う。
商売で作った本でない。
世界でたった1冊の本。
彼女と作者が作り上げた本。
それをわたしが頂いている。
こんな御縁が有難い。
普通のおばさんにもこんな御縁が巡ってくることもあるんだね。
なんだか、人生捨てたもんではないと思う。
生きていて良かったわ。
南无阿彌陀佛
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[ 1111 ] こんな関係、理解できない。
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2010/07/01 (Thu) 12:56
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「ねえ、事務局、準備はかどっている?」と電話が入った。
「まあ、何とか、ところで彼女も出席するんですか?」
「ああ、来賓の受付をね」
妻、妻というからてっきり本妻さんと思っていたら、そうではない関係らしい。
まあ、人の事だし、わたしには関係ないことと思っていた。
しかし、祝賀会に、来賓の受付をするとは思わなかった。
他県の人を批判していたのに、最近は彼女を公の場にも連れていく。
これも人間の性だから、尊敬しようと思っていた。
でも、わたしにはとても信じられない。
「事務局は会った事ないの?それは楽しみだね」
出す方も出す方だけど、出る方も出る方だわ。
そしてみんなも公認しているのがわたしには考えられない。
これって普通なの?
急に、疲れが出てきた。
やっぱりあの失敗はこの為だったのだと思った。
そう思わなければ、とても不愉快な気持ちが起きて収まりそうにない。
あと2日、ようやく「妻」、という人の実物が拝まれる。
冷静に人間関係が観察できたらと、興味と意地悪な心が出てくる。
それにしても馬鹿な上司だと思う。
隠している事の清さも有るだろうに。
(こんな上司、やっぱり尊敬できないわ)
南无阿彌陀佛
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[ 1112 ] Re1:こんな関係、理解できない。
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2010/07/04 (Sun) 08:05
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来賓の受付は御家族の方がされておられた。
一人の女性が花束を抱えて、親戚・友人の受付で挨拶を交わしている。
ピンときた。
受付の後始末を終え、テーブルについた。
国会議員初め、知事代理の挨拶をひな壇の席で一人上司は聞いている。
奥様は足が悪いということで、テーブルの席におられる。
宴会もすすみ、わたしもお世話になった方のテーブルを回って自分の席につく。
まず、奥様に挨拶をした。
自分の席について、奥様と彼女の席を眺めてみた。
奥様は一人である。
周りは来賓ばかりで、丁度選挙中なので色々な席で挨拶していて、誰もいない。
その一方、彼女の席は、彼女の席だけ空いている。
彼女の姿を追うと、あちこちと飛び回り、忙しそうである。
わたしの席の隣は、上司と同じ支部の人で、女性だったので心置きなく話ができた。
新年会の時、旅館の仲居さんと今回の件で、彼女が出席するか話しをしていた。
その仲居さんが、わたしに耳打ちした。
「やっぱり、参加したわね。今の彼女は3人目よ」
支部の会合の後の反省会でも、彼女と一緒に参加するという。
隣の女性から、全部が全部喜んで参加しているのではないと言われた。
その彼女は、わたしの傍には絶対に来ない。
隣の女性の所までは、お酌をしにくる。
丁度上司が傍に来たので、
「理事長、彼女を紹介して下さいよ」と声をかけた。
上司は、「え、初めてだったかな」と言われながら、彼女の席に連れて行ってくれた。
「まあ、○○さんね。」と気安そうに挨拶されてビックリした。
自分の席に戻り、隣の人に「まさか下の名前で呼ばれるとは思わなかった」と言った。
二人で呆れていた。
無事、滞りなく宴会も終わり、理事長、奥様、発起人の前を招待客が通られる。
奥様は毅然として立っておられる。
天皇陛下の拝謁にも奥様は足が悪いと出席されなかった。
しかし、それは嘘だというのが一目瞭然に分かった。
杖一つ持ってはいなかった。
家族も周りもみんなが公認しているこんな関係、やっぱりわたしには違和感がある。
ずっと、世間的道徳を上司の口から聞かされ、
内心それは違うだろうと、やっている事と言っている事の姿を見てきたわたしには、 今回の祝賀会で、ようやくけりが着いた感じがした。
これも善巧方便だと思う。
上司の表裏を逐一、見てきたわたし。
この15年間があったらこそ、この娑婆世界から逃れたいという気持ちも強くなったのだと思う。
それにしても、奥様と彼女の対照的な態度が印象的だった。
また、しばらくは色々なところから、
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」っていう感じで、わたしの耳に入ってくるだろう。
南无阿彌陀佛
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[ 1113 ] 巣立ち
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2010/07/05 (Mon) 10:32
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早朝になると、庭先から小鳥のさえずりが聞こえる。
もう朝だな、と耳に入る声で感じる。
最近「ポー、ポー」という鳴き声を聞いていたが、まさか小さな庭でふ化しているとは思わなかった。
犬の糞の始末をした紙を、窓越しのゴミ箱に入れようと思いっきり大きな音を出した。
バサバサという音と共に、木陰からずんぐりな鳥があわてたように現れた。
その少し前に、主人から
3羽の鳥がいるようだと聞かされていた。
「お父ーさん、いたいた。きじばとみたい」と主人に言った。
ソーと、もう一度、小さな庭を覗いてみた。
あかめがしの木に雄雌つがいの親鳥がいた。
しかしどこを探しても小鳥は見つからない。
小一時間程すると、又バサバサという音がした。
巣立ったのだと思う。
今朝少し離れたところから「ポー、ポー」という鳴き声が聞こえた。
なぜかわたしを応援していてくれたようなタイミング。
わたしも巣立っていきたいね。
南无阿彌陀佛
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[ 1114 ] 3連休の楽しみ方
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2010/07/16 (Fri) 16:15
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近代デジタルライブラリー 国立国会図書館
http://kindai.ndl.go.jp/index.html
「還」の字が気になって、「藤谷還由」というお名前を知りました。
現世利益和讃をUSBメモリに取り込み拝読しています。
あまりに楽しいので、この3連休に全部取り込もうと思います。
読みずらい字は拡大でき、分からない字や言葉はすぐに検索できます。
ずっと死んだら無間地獄と聞いてきたのに、死ねば涅槃の衆生となる身。
このような御著書を読むにつけ、極楽浄土は近き彼の岸。
「南無阿彌陀佛をとなふれば 十方無量の諸佛は 百重千重囲繞して よろこびまもりたまふなり」
ずっと信心決定するとどうなるのだろうと想像していました。
この方の説教もずしんと心に響きます。
このような御著書を拝読すればするほど、 お釈迦様の教えは、愚鈍な私の為。
女人・貧乏人と書かれた場所を読むと、なんだか嬉しくなってきます。
だって阿弥陀様の正客だもの。
(でも、現実には貧乏人は嫌です。しかしそれも少しずつ楽な気持ちになっています。)
あの取り越し苦労の思いがきつかったわたしが、
ようやく成るようにしかならない心境に変わったんです。
この先、どのように変化していくのか、自分自身に興味があります。
南无阿彌陀佛
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[ 1115 ] 花はす公園にて
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2010/07/20 (Tue) 13:28
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車が大好きな犬を置いていくのも忍びがたく、一緒に連れて出かけた。
すごく暑く、朝から照りつける太陽。
それでも浮かれて蓮の花の可憐さに、独り悦に入っていた。
ゆらりゆらり風にそよぐ花弁の彩は、極楽浄土と比べられないだろうな・・・。
すると、足元で犬の「ギャー」という叫び声が聞こえた。
犬の足を踏んでしまったのだ。
しかし、大したことがないと思って、そのまま1キロ程犬を引っ張り歩いていた。
泥だらけの中を少し歩かせた。
今度は汚れていると思って、小川で身体を洗おうと思った。
そこにいくと、男の人が親切(?)に川の中央まで犬を連れて行って下さった。
側におられる奥さんに、「初めての経験なんです」と犬の様子を見ながら話をしていた。
上に上がってきた犬は、もうわたしが引っ張っても身動きしない。
娘が引っ張るとついて歩く。
「お母さん、犬の足の動きがおかしいよ」と言われて初めて異変に気付いた。
妹に運転を代わってもらい、車の中で犬の身体をタオルで乾かし娘の座席の側に犬を座らせた。
前の座席から、犬に触ろうとしたが、そっぽを向かれてしまった。
医者に電話をして見ると、大事を取って連れてくるように言われた。
足は心配することもなく、又以前に犬が獣医師に2カ月飼われた事もあり、診療代は無料にして頂いた。
しかし今朝になっても犬は、食べるものを貰う時と、車の鍵を持った時だけわたしに吠える。(自己主張)
そのあとは、昨日の様子を覚えているのかじっとたたずむ後ろ姿がやけにもの悲しい。
犬にとっては虐待の日だったと娘に言われた。
陸亀を名古屋から連れて帰り、その陸亀をひっくり返してみた。
「起き上がるかなと思って、ひっくり返してみた」と言うと、娘から大声で叱られた。
どうも亀は内臓の位置がしっかりしていないので、下手をすると死ぬこともあるという。
「お母さんに飼われた動物は可哀そうだわ。」
そう言われて思い出したが、小さい時から
せみ、とんぼ、ほたる、野うさぎ、めだか、どじょう、ざりがに、猫、金魚、 ハムスター、犬等
捕まえたり、拾ってきたり、貰ったりして全部死なせてきた。
「これも無常だから」って娘に言うと、呆れられてしまった。
でも、知らず知らずにそういう環境で生き物は死んでしまうという思いはしていたことが この道につながっていたのだと思う。
それにしてもあの時の恨めしい犬の表情が目に焼き付いている。
「ねえ、僕の事ホントに分かってくれているの?」
分かんないよ・・・。
でも絶対神通力貰ったら、将来は極楽浄土の蓮の台で一緒だよ。
南无阿彌陀佛
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[ 1116 ] 特賞ゲット→?
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2010/07/25 (Sun) 08:55
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地元の夏祭りを見に行った。
目的はチラシの端に付いている紙をイベント会場の抽選箱に入れる為。
会場で妹と焼きそばを食べて、直ぐに家に戻ってきた。
1週間夏休みが取れたということで、息子夫婦、孫も一緒に家に居る。
焼きそばを食べた後なのに、テーブルには二人が作ったおかずが置いてある。
それも一緒に食べる。
これじゃ、全然ダイエットになっていない。
主人も、友達3人とイベント会場に行っている。
鬼の居ぬ間に、少し気晴らしに一人出かけた。
そして数時間後。
怒っているかな?と主人の様子を窺う。
変だな?いつもなら怒られそうなのに。
孫も居て賑やかだからかな。
「温泉御招待ペア10組」の中に入ったそうだ。
「お父さん、やったね。暑い中わざわざ抽選箱に入れに行ったわたしのお陰だね」
「いや、違うね。ピンと来ていたんだ。何だか当たる予感がしていた。孫は出来るし、庭で鳩の卵が産まれたから。」
そばで息子が、 「墓の掃除をしてきたからだね、きっと。」
3にんそれぞれ勝手な事を言っている。
全く、くじ運には恵まれないのに、期待してないと当たるかも?
そして期待して宝くじを買おうとしているこの家族。
馬鹿な親子だけれど、とっても気楽な家族。
娘から貧乏家族と言われているけれど、
内心、世間的には貧乏家族でも、極楽にいずれは住まいする家族。
思わず、ニタニタ。
貴女もそのうち一緒になれるといいよね。
↓ 時間経過
どうも抽選には当たったらしいが何の景品があたったのか定かでないのが今分かった。
「何それ、いい加減ね」とわたしと息子で主人に言った。
あれだけ昨日の晩は、温泉・温泉って娘にも電話を入れたらしい夫が、
そんな事言ったかなっていう感じ。
あ〜あ、目の前に品物を見るまでは信じられない。
でも、不思議だな。
小川独笑居士のお言葉ではないけれど、まず生きて戻ってきた人はこの世に一人もいないのに、この教えを信じられるなんて。
これこそ不可称・不可説・不可思議。
南无阿彌陀佛
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[ 1117 ] 年を取るとは
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2010/07/30 (Fri) 12:47
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理事長を通して、渡した筈の生命保険の満期金が本人に渡っていないという。
「ちゃんと渡しましたよね。領収書も有りますよ」と電話口で焦った口調で反論した。
「すぐに腹を立てる、一体誰から聞いたんだ?」と上司に反対に怒られた。
何十万円ものお金、とても弁償出来ない。
そりゃ必死に弁解しますよ。
こんななら、振り込みにすれば良かったと思った。
最近、わたしもボケてきたと思うが、周りも段々思考力が乏しくなって、直ぐに相手のせいにしがちだ。
留守電を取ると、苦情が有るから電話をしてくれという男性の声がした。
早口でなかなか電話番号が聞き取れない。
下の彼女に聞いて貰って、相手に電話をした。
一方的に、「なぜ留守電にしておく。どこに行っていた。それで苦情相談窓口か!!」
途中、口を挟もうとしても自分が正しいと主張するので、電話を切るまで相当の時間がかかった。
全く勝手に勘違いしている。ここは消費生活相談窓口でない。
暑さのせいか、かりかりしていて、それで最後には勝手に自分から電話を切る。
2枚のFAXが流れてきた。
4か所訂正せよ、と書かれている。
1枚は他所の分。
その1枚の分は、本人の申請書とおりに生年月日を記した書類。
若しかして、わたしの間違いかも?とすぐに書類を探し、確認してみた。
やはり本人の字である。
訂正の理由書を東京に送ると、本人確認の運転免許書が必要だという。
早速、本人に手紙、留守電を入れたが返事がない。
どうして人の過ちはすぐに指摘するのに、自分の間違いにはスローな対応。
こんな人に限って、何かあると一番先に文句を言って、自分からは謝らない。
暑い中、少しでも経費節減と思い、クーラーも入れずに頑張っているのに…グスン。
こんな時は仕事をしていても、いつも辞めたいと思う。
そして、「もう少しの辛抱」と自分を慰める。
それにしても勝手な人が多くなった。
時々、やさしい言葉をかけてくれる人に会うと、まるでオアシスみたい。
これが修行だなと思う。
それでも修行していても、以前とは少し成長できているみたい。
笑って対応が出来た。
阿弥陀様のお陰です。有難うございます。
南无阿彌陀佛
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[ 1118 ] まさかの人間関係
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2010/08/01 (Sun) 22:00
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友人から新築して引っ越したという葉書が届いたので、二人寄せて貰った。
御主人が亡くなり、一人暮らしに合うような、とても素敵なお宅だった。
話題は尽きることなく、予定していた時間は大幅に過ぎてゆく。
そろそろ帰ろうと思った頃、彼女の口から聞き覚えのある名字が出た。
その名字は、有り触れた名字でないので、やはりわたしの知っている人であった。
一緒に行った人には、一時期その人の事をわたしが愚痴っていたので、その人も聞いて覚えていた。
わたしが過去に知り会った中でも、一番思い出したくない人だった。
20年以上も前の僅か2年ぐらい職場で一緒だったが、今でも強烈な印象の人だった。
陰で人の輪を乱し、それを見て喜んでいるような人だった。
でも、不思議にその人は順調な人生を歩んでいる。
しかし珍しいその名字から、彼女の事で盛り上がった。
友人は、御主人を知っていたが、間違い電話をして、奥さんであるその彼女と1回しか話していないらしい。
だからわたしの情報を聞くまで、彼女の事を知らない筈なのに、その1回の電話の声で、 わたしの言っていることに違和感がなかったそうだ。
電話は相手の顔が見えないので、 最初の声は特に気を付けなければと3人で反省した。
しかし、変わった名字も善し悪しみたい。
その人の名字が変わっていなければ、話題にも上がらなかった。 変わった名字でなくて良かった。
南无阿彌陀佛
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[ 1119 ] たがが外れる?
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2010/08/04 (Wed) 17:46
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執行部会議が終わった。
重い荷物を理事長に託すと、下まで持って降りて欲しいと頼まれた。
いつもなら車のキーを渡される。
「あ、車まで行かなくてもいいよ。銀行の前までで」
あ〜ぁ、やっぱりだ。
とうとう、最後の羞恥心も無くなったのだと思った。
公にしたせいか、予想通り、堂々とわたしの前にも顔を出すようになった。
それでも、にこやかに笑って
「御苦労さまです。この前は、おめでとうございました」と深く頭を下げて応対した。
大無量寿経の五悪段の個所を思い出す。
「きれいな人を見ては流し目を使ってみだらな振舞いをし、自分の妻をうとましく思ってひそかに他の女性のところに出入りする。そのために家財を使いはたして、ついには法を犯すようになるのである。 このような人々も法令で禁じていることを恐れないものであるが、こういう悪は人にも鬼神にも知られ、太陽や月の光も照らし出し、天地の神も記録している。このようにして、悪を犯したものは、おのずから地獄や餓鬼や畜生の世界で、はかり知れない苦しみを受け、その中を転々とめぐって、果てしなく長い間浮び出るときがなく、その苦しみを逃れることは難しい。その痛ましさはとてもいい表すことができない。これを第三の大悪、第三の痛、第三の焼という。 その苦しいことはちょうど燃えさかる火に身を焼かれるようである。」
この世の理不尽な事は、きっと因果応報で、裁かれるのだろう。
上司だけではない、このわたしもどれだけの事を過去世してきたか分からない。
それが、今生が打ち止めだと思うと、嬉しくなってくる。
五悪段の場所を読んで反省したり、上司に対して今生だけの楽しみにうつつを抜かして と哀れな気持ちになってくる。
奥様の怨み辛みを二人で背負って行くのだろうか?
こういう思いも阿弥陀様に救われたから、尚一層起ってくる気持ちかも知れない。
しかし、これからどんどんわたしの前に姿を見せるだろう。
そのうち、事務所の中までやってくるかも?
有りうる話。
じっくり観察してみたい。
意地悪なわたし。
南无阿彌陀佛
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[ 1120 ] 口癖
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2010/08/06 (Fri) 11:32
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「○○さ〜ん」と改札口を出て行こうとする後姿に声をかけた。
きょとんとしながら振り返ってくれた。
「久しぶりね。元気そうで良かったわ」と話しながら、二人電車に乗った。
彼女は東京から帰ってくるお孫さんを米原駅まで迎えに行くところだという。
時間が有ったので、終着駅の待合室で少し話を続ける事になった。
近くに居ても、なかなか話す機会がなかった。
お互いの近況報告をしていた。
何の心配もないと思った彼女にも、大きな心配事が有るらしい。
「ねえ、人生満塁逆転ホームランっていうことも有るかも知れないから、気落ちしないでね。又今度ゆっくりと会いたいね」と言った。
「○○さんは、いつも明るいね」と言われた。
「そんな事ないよ、お金がないから今でも働いているよ。貧乏暇なし。」
「そういえば、勤めが一緒の時もいつも『お金がない』って言っていたよね、きっと貴女の口癖ね」と彼女からも言われた。
下の彼女からも言われているので、最近はなるべく一緒に買い物などしないようにしている。
下の彼女は、わたしといると優位に立てるみたいで、益々「お金がない」って言いそうになる。
最近はそういう答え方をしなければならない人とか場所には近づかないようにしている。
言霊ではないけれど、そんな事ばかり口に出すから、尚お金と縁がなかったみたい。
で、すぐに言い返した。
「あ、しまった。又言っちゃったね。反省、反省。」
「今は、感謝する言葉を言うようにしているよ、例えば、有難う、嬉しい、楽しいってね。」
彼女から、「○○さんとここで会えて良かったわ、米原まで少し楽な気持ちで行けそう」と頭を下げられた。
阿弥陀様、でもわたしの一番言っている言葉は、「南无阿彌陀佛」。
気がつくと、いつもボソボソ言ってます。
有難うございます。阿弥陀様。
南无阿彌陀佛
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[ 1132 ] 来た道
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2010/08/16 (Mon) 12:25
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新築した知人の家で、前回新築した彼女と共にお邪魔した。
前回の彼女の独壇場。
ずっと愚痴話。
いつも「わたしは、わたしは」と口を挟む場所もなかっただろうと知人に言われた。
確かにそういう場面は少なかったけれど、でも以前のようには彼女の愚痴話を聞いていても疲れない。
至極もっとも・・・理屈に合うからだ。
その彼女が言った言葉にうなづく。
今老人ホームに99歳の母親を預かってもらっている。
その母親が骨を折り、病院に入院し、ようやく退院してきたそうである。
その病院の看護師に愚痴を言ったら、娘より年下のその人から
「いずれ行く道ですから、優しくしてあげて下さいね」と言われたそうだ。
間髪いれず、彼女は反論した。
「いずれ行く道かもしれないけれど、来た道はそれぞれ違うでしょ。」
お母さんの生き様を見てきた彼女には、言いたい事が山ほど有っての言葉だと思う。
来た道か〜。
ふっとその言葉がなぜかわたしの心の中で、すとんと落ち着いた。
彼女は全く前世を認めない。
でも、わたしは今生の60年間の人生だけではないと思っている。
来た道を今生だけと思っている彼女とわたしの違い。
そんな二人がかみ合うことはないので、黙って聞いている。
お墓参りに来た弟に、「今生はね・・・」と話しかけたら、大笑いされた。
「変な姉・・・普通そんな言い方しないよ」
今生があるから、前世も信じられ、来世も信じられる。
やっぱりこんなこと信じられる人って、少ないんだろうな。
「それ、一切の女人の身は、後生を大事に思い仏法を尊く思う心あらば、何のようもなくたのまん女人は、必ず極楽に往生すべき事、更に疑あるべからず、斯様に思い取りての後は、ひたすら彌陀如来の御助けにあづかるべき事のありがたさ又とうとさよと深く信じて、寝ても覚めても南无阿彌陀佛 南无阿彌陀佛と申しべきばかりなり、これを信心をとりたる念仏者とは申すものなり」 御文5−17
33年振りに「木造如意輪観世音菩薩坐像」が御開帳になると花火の音が聞こえる。
お盆休みも今日までなので、とても素晴らしい御縁。
早速、行ってこよう。(親鸞会にいた時と心持ちが全然違う)
きっとこの道来るまでに、このような御縁も有ったのかも知れない。
そのような一つ、一つが仏縁に繋がっていたのだろう。
南无阿彌陀佛
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[ 1136 ] あ〜空しい
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2010/08/27 (Fri) 16:56
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下の彼女から一緒に昼ごはんを食べようと誘ってくれたので、久々にコーヒーを頂きながら、日常会話をしていた。
その時持ってきた子機の電話が鳴った。
お世話になった弁護士の先生が亡くなったというFAXが事務所に流れてきたから、若しかしてと思って電話をかけてくれた友人。
密葬ということで、詳しいことは何も書いてないということで、事務所で待つことにした。
電話が有り、今晩が通夜で、自宅で執り行われるらしい。
直ぐに家に帰り、喪服に着かえお尋ねした。
本当に家族親戚の人だけであった。
玄関のチャイムを鳴らしてもなかなか誰も出て来なかったが、旧姓の名前を言うと、奥様が出て来られた。
「どうして知ったの?」と聞かれたが、貴女は家族同然だからと、遺体の傍に案内して下さったが、遺言で、子供、孫以外は顔を見せるなということで、お顔も見られず、早々にお邪魔して帰ってきた。
医者に行った時には、肺炎ということだったらしい。
弁護士らしく、入院している間に葬儀の内容も遺言書にしていたらしい。
仰々しい花は要らない。野の花でいい。
コスモスの花が3つの花瓶に入っていた。
ちょっと変わっていた先生だったけれど、奥様と同様、
学歴で差別するような先生でなかった。
そんなご夫妻から、妹のように接して貰った10年間。
みんな死んでしまう。
もっと長生きして欲しかった。
「先生、有難うございました。」
本当に君は勉強が嫌いだねって言われ続けてきたけれど、でも「憲法」の憲が大好きで自分の子供の名前に付けました。
子供の名前を呼ぶ時、きっと先生の事思い出すでしょう。
「先生、さようなら」
南无阿彌陀佛
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[ 1138 ] Re1:あ〜空しい
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2010/08/27 (Fri) 22:28
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段々悲しみが思い出と共に深くなってくる。
友人に、「連絡してくれて有難う」と電話をした。
「どうしようか迷ったけれど、制服を着ていた頃からの御縁だから、きっと喜んでくれると思って連絡したんだよ」と彼女に言われた。
定時制高校を一日も休まずに行けたのも、先生のお陰だ。
父と同じ73歳で亡くなり、同じように暑い夏の日。
色々心配も掛けたし、叱られた事も数多い。
でも、時として兄のように接してくれた。
退職する3日前から、台所からおいしい匂いがする。
わたしの為に、フランス料理の本を買い、フランス語の辞書を片手に、シチューを作ってくれていた。
ワイン酒とケーキの横には、一枚のカードが置いてあった。
「長年御苦労さま、元気な赤ちゃん産んで、又遊びにおいで・・・」
涙が流れてくる。
主人から「○○先生の奥さんから電話」と受話器を渡された。
「今日は有難う、明日のお葬式も自宅でするから、斎場でお骨も一緒に拾ってね」と言われた。
丁度、休みで良かった。
明後日は仕事。
あんなに熱心に本願寺にお参りしていた先生は、どこに行ったのでしょう。
阿弥陀様、どうかどうか神通力が頂けたら、先生に会わせてくださいね。
そしてお礼を言わせて下さいね。
南无阿彌陀佛
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[ 1139 ] 家族葬に参列して
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2010/08/30 (Mon) 13:49
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遺言書と、それをかたくなに守る奥様。
初めて参列して、良かったと思った。
白装束はしない。菊の花は嫌い。死に顔は見せない。
お棺の中には、昔使っていた原稿用紙と、私の顔を書いてくれた二人の子供さんの絵を入れて貰った。
5歳と3歳の子供がわたしの天然パーマの頭を上手に描いたと、あまり笑い顔を見せない先生が大笑いされた。
その絵を見ながら、時々笑い顔を思い出し、頑張ろうと思っていた。
先生の遺影の写真はその時の顔と一緒だった。
「とっても素敵なお顔ね」と娘さんに云うと、
「私の結婚式の後の写真なの」と、外国に一人旅立ち、ずっと一人暮らしを続けていた娘さんが遅い結婚をして安心した顔なのだろう。
直に孫も出来、その時に娘さんの住む海外で流れていた音楽が気に入った奥様の希望で、その曲をバックにお棺はコスモスの花でいっぱいになった。
極身内だけの葬儀。
他人は、昔と今の事務員と、奥様がボランティアで日本語を教えている中国からの留学生ご夫婦。
今の事務員から、当時まだ学生だった私を娘だと思っていたらしいと聞かされた。
わたしは兄や姉と思っていたけれど、どうにも心配で見ておれなかったのだろう。
イタリア料理が好きで、斎場の帰りは、イタリア料理店のレストランで会食をした。
同じテーブルに奥様、そして中国人ご夫妻等。
流暢に日本語をお話されるその中国人の御主人の事を奥様は
「結局は最後は人柄ね」とその人を褒めておられた。
先生も弁護士にふさわしい正義感の人。
奥様も同じように、曲がったことは大嫌い。
そんな中で、意識はしていなかったけれど、基礎的な物の考え方を教えられたのだろう。
今は弁護士の数も当時より、3倍に増えているらしい。
教えてくれた事務員も、今の事務員も、これからはお金で動く弁護士が増えそうだと心配していた。
お金よりも、勝てる裁判。
最高裁の判例にも幾つか載った。
もう化石のような先生だった。
明るい少し横顔を向いた写真。
本当に家族のように接してもらっていたのだと、最後の最後に確認させて頂いた。
阿弥陀様もはらはら、どきどきわたしを見て下さっていたのだろう。
「六八の弘誓のそのなかに 第三十五の願に 彌陀はことに女人を 引接せんとちかいしか」
南无阿彌陀佛
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[ 1140 ] 疲労困憊
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2010/09/01 (Wed) 09:59
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続けて葬儀が有り、日曜日の会議の議事録作成。
ボーとしていて考える気力もでてこない。
このままこの暑さが続くのだろうか?
叔母の葬儀に参列した。
見覚えのある住職だった。
抑揚をつけて「正信偈」をお仏壇に向いてあげておられる。
しかし、過去帳を見せて貰いに行った時の様子を思い出し、あまり良い感情が出て来なかった。
式も終り、身内の人で別部屋で、軽い食事をした。
こんな時にしか親戚と会うこともない。
近況報告や子供時代の頃の話が出てくる。
どのような縁戚なのかもよく分からない。
親しくして頂いた従兄が手術して入院しているという。
わたしの歳になると、病気の一つや二つは皆持っている。
隣の席に、住職の補佐役の方が座られたので、質問した。
「人間死んだら何処に行くのですか?六道輪廻って言葉がありますが、地獄に行くのですか?」
「いいや、みんな極楽に往けるんだよ。」
「悪人正機って言ってね、人間は見方によって、悪人になったり善人になったりするんだ。だから善人でもなく悪人でもない。阿弥陀様はそんな善人も悪人も助けるんだね。浄土真宗では死んだらみんな極楽に行って、そこで一生懸命に人助けしているんだよ」
「だから、死んで極楽に往けるんだから安心して、今の生活を大切に生きることだよ」
「じゃあ、大変ですね。今の内によく寝ます」と正直そんな気持ちになっている。
極楽浄土に往けるなら、もうどこでもいいから、背伸びしてゆっくり休んでいたいな。
南无阿彌陀佛
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[ 1141 ] 愚痴聞きビジネス
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2010/09/08 (Wed) 09:36
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世の中、こんな商売が生まれているのを知った。
お金を払ってでも、愚痴を聞いて貰いたいそうだ。
10分、千円。
どれだけわたしは、阿弥陀様に愚痴を聞いて貰っているかしら?
お金に換算すると、もう億単位かな。
「本願疑惑とも云う恐ろしき病は、一体如何なるものでしょうか、専門の方も色々研究しておられますが、それはそれは恐ろしい根本無明の愚痴なのです。 この愚痴より三毒の煩悩が起る、三毒より百八、百八より八万四千の煩悩となって、われわれは苦しみ悩んでいるのです。癌のようなものです。 癌は生れつき潜んで付着していても一向見つける事が出来ませんが、四十五十の時来ると顔を持ち上げて猛威をふるい、名医妙薬も如何ともし難く遂に死に至らしめるでしょう。 本当に無始以来六道輪廻と迷わしたのは、この愚痴であったのです。 諸佛菩薩の医者も匙(さじ)を投げ、万善万行の妙薬も効果なく、為に衆生も泣き諸佛菩薩も泣いたのです。 然るに、唯一人阿弥陀佛は諸佛に勝った願を建て、永劫の修行によって南无阿彌陀佛 の妙薬と、摂取心光の注射を発見し、釈迦如来はじめ三国七祖の名医により、宿善開発の身となり、この極難信の名号と光明によって、今度初めて全快し今や有漏の穢身は変わらねど、心は浄土に住み遊ぶ事が出来たのです。
噫弘誓の強縁は多生にも値ひ難く、真実の浄信は億劫にも獲難し、遇行信を獲ば遠く宿縁を慶べ
・・・・この摂取の心光は、信を頂いた一念の時より死ぬ臨終の一念まで、この私を護りづめ、しかも光明の中には無数の化佛ましまして、真実信心を守って下さるのです。 そのお陰で喜ぶ日もあり煩悩に邪魔されて、疑ってもみたり、本当に日々浅ましき事でありますが、諸佛菩薩のお陰で一日一日と浄土往生が近づいております。旅行の目的地が近づいているのです。」 (高名興仁師御著書より)
愚痴を言いつつ、娑婆の日暮らし。
腰を痛めて、ようやく仕事に行こうと思っていると、「台風だから休んでいいよ」と電話が入った。
「ラッキー」と思ったが、自分の都合で上司を評価しているのがちょっと心苦しい。
南无阿彌陀佛
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[ 1143 ] ホントかな?
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2010/09/13 (Mon) 15:51
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日曜日、近所の息子さんが結婚するということで、お祝金を持って行った。
近所だけどなかなか会う機会がないので、よもやま話に花が咲いた。
今年の夏の異常気象か、3軒共、冷蔵庫が壊れてしまったらしい。
我が家も、夜中にガタ、ガタと音がすると思っているうちに、全く冷却装置が効かなくなった。
「機械も寿命だから仕方がないね」と言いながら、帰ってきた。
息子が「この部屋のクーラー効いてないよ」と言いながら、リモコンを操作している。
午前中はしっかり部屋も冷えていたらしい。
扇風機を2台回しても、中の空気を循環させているだけだから全然涼しくない。
久しぶりに孫もいるのに可哀そうだからと、電気屋に修理の依頼をした。
3年前に息子と大型電気量販店で、2台買うと更にお得というキャッチコピーに心動かされ購入した。
しかし、以前のクーラーは高額で、修理代がかかっても、値打ちがある商品だったらしい。
電気店の店主から「安物買いの銭失い」と主人が言われたと携帯電話の向こうで怒鳴っている。
結局新しいクーラーを買う羽目になった。
買ったクーラーメイカーには、その部品が最初から無いらしい。
そしてもう一台のクーラーもいつ、寿命が来るか分からないから、 わたしも息子も馬鹿親子だと主人から言われた。
「馬鹿親子か? うっふん。嬉しいな。」と一人にんまりした。
こんな心持、とても分かって貰えないだろうね。
それにしても今月の出費は、底なし沼のよう。
それでも、主人や息子の楽天的な考え方に、わたしも少し感化されてきている。
「金は天下の回り物」
南无阿彌陀佛
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[ 1146 ] 悦に入る
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2010/09/16 (Thu) 16:07
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明日、出張で上司と共に東京に出かける。
理事長、事務局同時の会議は初めてである。
グリーン車と、普通車だと思いやれやれと思っていたが、行きは隣同士の席の切符を貰った。
もちろん普通席。
昨日、仕事で理事長から「僕は裁判官のようなものだ」と訳の分からぬ理屈を言われた。
ある人が不祥事を起こした。
其の人から委嘱状を返して貰い、再度推薦者を決めて申請するように言われていた。
しかし、このような事は日頃から、トップが責任を取ると言っている上司が穏便に事を勧めてくれていると思っていた。
それが、昨日の電話では、「僕が直接言うと、悪人を裁く事になるから、事務局が書類を作って提出しなさい」と仲裁に入ろうとしない。
もう誰に頼っても仕方がないと思い、直接本人に電話を入れ了承して貰った。
空の雲行きを見ながら、自転車で出かけた。
往復1時間半ぐらい。
自転車を漕いでいるうちに、心配していた腰の具合も良くなっている。
孫を抱いているのはわたしには負担が大きい。
それが全く苦にならず、却って軽くなったようである。
しかし委嘱状を貰いに行った家族の人も本人も全く悪びれた様子は無かった。
ちょっと落胆したが、帰りに書類を提出してきた。
事務所に着くと同時に、雨が降り出した。
最近はこのような事が多いと思う。
どうしようかと悩んだり、考えていてどうしようもないと腹をくくると、うまい処理の仕方が思い浮かぶ。
これも阿彌陀様のお陰だと一人、悦に入る。
それでも昨日は一日、上司に対して、怨み辛みの思いが出ていた。
果して、明日の行事は、うまく行くのだろうか?
ちょっと、駅まで違う人の切符を買いに出た。
帰り道、元親鸞会の人で、前の会で一緒だった人と2年ぶりぐらいに会った。
通りすがり、「明日東京へ仕事で行くの」と言うと羨ましがられた。
心の中は違うのに、やっぱり表情からはそう見えるのかな。
『触光柔軟の願』のお陰かも知れない。
有難い事だと思う。
南无阿彌陀佛
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[ 1148 ] 敬老の日
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2010/09/20 (Mon) 16:20
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今、娘夫婦、息子も名古屋に帰った。
夫婦二人と、犬の静かな生活に戻った。
昨日はインターネットで検索して、娘婿がバーベキューの後に、バームクーヘンを作ってくれた。
炭火の上で、3時間かけて作ってくれたのを、アッという間に平らげた。
午前中は、釣ってきた鯛で、鯛飯を作ってくれた。
とっても美味しかった。
老人の日の希望は、家族と一緒にすごせる事がトップにあがるらしい。
その点、今が一番我が家はその恩恵を受けていると思う。
でも、これも主人が子供の事を大事に思っているからだろう。
母親が死んだら実家に帰らないと言われるが、我が家は全く反対。
きっと主人が死んだら、誰も帰って来ないかも知れない。
子供達を見送る姿から、ふっと両親が同じように見送ってくれた姿を思い出した。
いつまでも振り返ると手を振っていてくれた両親。
同じように時は流れて行くのだろう。
でも、わたしは「あ〜疲れた」と、腰を擦りながら、早々に玄関に入ろうとする。
「自分が一番かわいい、一番大事、それがお前だ。とても信じ決定しているように思えない」と呆れたような声が聞こえる。
「お父さん、どうしてこんなわたしが信心決定したんだろうね。不思議だね。」と答えた。
どうしてこんな自分勝手なわたしが救われたんだろう。
阿弥陀様の摂取不捨の誓願が有難い。
能力なしのわたしは、明日からの仕事が憂鬱。
さてっと、今から少し仕事の復習しようかな。
南无阿彌陀佛
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[ 1149 ] 凸凹コンビ
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2010/09/21 (Tue) 13:56
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研修会の帰り、わたしは北陸三県の参加者と別行動を取った。
日頃からグリーン車しか乗ったことがないのか 側で、「座席がせまい、リクラインがどうとかこうとか・・・」うるさい。
挙句の果ては、彼女と彼女の子供の自慢話。
心の中で、(自分の孫でもないのに)と、ついつい返事もおざなりになってくる。
東京駅では、寿司を食べようとわたしに言っていた。
地元ではおいしい寿司のお店なら山ほどあるのに、わざわざ東京で食べなくてもと思った。
東京駅の改札口を出ると、ブロック会でお世話になっている他県の理事長から声をかけられた。
信越線から来る人と合流するということで、一緒に行動した。
大人が7人、東京駅をうろうろする羽目になった。
理事長のいう寿司屋になかなか辿り着けない。
会議の始まる時間も迫ってきたので、仕方なく目的地の駅の構内のレストランに入ることにした。
そして初日の研修も終え、ブロック毎にホテルに戻り、男性は近場の飲み屋に行ったらしい。
わたしはくたくたで、部屋に戻りすぐに寝てしまった。
早朝、迎賓館あたりを散策した。気持ち良かった。
研修も終り、地元の役員さんから仕事の電話が入ったのを口実に、その場で別れた。
東京駅で頼まれたおみやげを買っていると、向こうから理事長達が歩いてくる。
今朝一番に、隣の県の事務局から電話が入った。
「○○さん、貴女が今回一緒に行動しなかったのが良く分かったわ、お宅の理事長に振り回されて・・・」と愚痴を言われてしまった。
結局、前日の寿司屋を探して入ったらしい。
昨晩の男性の飲み会でも、遅れて行った他県の理事長が割勘損をしたとボヤイていたそうだ。
成るほど、そう言えば、「割勘で4千円は安かった」とわたしに言っていたような。
「有難うございます。ちょっと学習能力が出来たようで。今回は随分楽させて貰いました」と笑って答えた。 「でも、子供じゃないですから、別に一緒に行動しなくてもと思うんですが」と、ボヤイていたという理事長に言いたい。
この15年間で、わたしの上司の言動はもう分かっても良さそうだと思う。
その行動力のお陰で随分と助かってきたけれど、ここまで来ると、やっぱりしんどい。
東京に行く道中、絶対公言しないようにとわたしに念を押して置きながら、全部隣の県の事務局から内容を言われた時にはビックリした。
80歳と60歳のコンビは、今後どうなることやら。
名古屋のお世話になっている人から電話が入った。 「ちょっと、君の声が聞こえたから心配してね」
「あら、○○さん、それは豊橋ぐらいで、悩んでいた思いが飛んだんですか?心配して頂いて有難うございます。でも何とかやっていますので安心して下さい」と答えた。
「お母さんは、みんなに感謝できる人だから」と嬉しいお言葉を頂いた。
なかなか感謝出来ないけれど、阿弥陀様がそのようにさせて下さるのだろう。
やっぱり、理事長にも感謝しなくては・・・と思いつつ、着信電話番号を見ると、なかなか思えない。
南无阿彌陀佛
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[ 1152 ] 秘密
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2010/09/23 (Thu) 10:04
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娘がブログをしているのは本人から聞いて知っていたが、どこを開ければ読めるのかは教えてくれなかった。
先日帰ってきた時、亀の動画を見せてくれた。
ちょっと席を離れたすきに、お気に入りに登録した。
娘に分からないように、別のフォルダに入れたつもりが、お気に入りの最近の場所にある。
でも登録したけれど、中身は読めないだろうと思っていたので、気にしていなかった。
今、ひょっとして読めるかなと思って、マウスのボタンを押してみた。
最近の娘の情報が良く分かる。
親には直に言わないが、こんな事を思っていたのかと、覗き見するような気持ちで読んでみた。
子供が出来ない分、亀にそそぐ愛情は半端じゃない。
一度、何気なく「子供はまだ作らないの」という言葉で叱られ泣かれてしまった。
難病かも知れないと、教職を辞め、結婚し夫婦二人幸せに暮らしている。
「あって地獄、なくて極楽」 ★財産とか子供とかいうものは、むしろないほうが気楽だということ 金があれば盗難の心配、子供がいれば子育てに苦労はつきもの、金も子供もあれば地獄の苦しみ、なければ極楽のように気楽だということ。
ふっとこんなことわざが思いをよぎる。
こんなこと娘に言ったら半殺しの目にあうことだろう。
しかし親はいつも子供に苦労はさせたくないのだと思う。
今頃、母が好きな人の結婚に反対した意味が分かったような気がする。
自殺するかも知れないと言われ反対された結婚。
確かに結婚していたら、きっともう生きていなかったかも知れない。
仏法との縁も切れていただろう。
そう思うと、一つ一つの出来事には偶然はないような気がしている。
私達の智慧では計り知れない事がこのわたしを守ってくれたような気がする。
阿弥陀様の大慈悲心が母と例えられるのも頷ける。
娘の優しさを垣間見るブログ。
いつも元気でいて欲しい。
南无阿彌陀佛
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[ 1154 ] 流れに身をまかせられるかな?
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2010/10/03 (Sun) 19:52
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仕事の業種に関連する法律施行について、去年の暮れより、対処方法がよく分からないまま月日が過ぎていた。
しかし、忙しい時に色々なことが重なる。
今一番頼りにしていた役員さんが、東京の出張中に具合が悪くなったそうだと理事長から朝一番に電話が入った。
本人に確認しようとしても連絡がつかないから、わたしも電話をするように指示された。
ようやくご家族と連絡がついた。東京の大学病院に救急車で搬送されたそうだ。
ここ数日の疲労が重なったそうで、一応理事長に連絡をする。
「あ、彼と連絡着いたよ、別に何ともなかったらしい」と、理事長の呑気そうな声。
「そうですか、じゃあ、ご本人には私達が何も知らないということで通しましょう。」と電話を切った。(でも少し心配。何だかしゃべられそう。)
そばで聞いていた主人が、「きっと東京では、○○県には人材がいない、と呆れられているんじゃないか」と言われた。
時代の流れもあるだろうが、この業界はきっとこれからもっともっと厳しいだろうと思う。
わたしが就職した頃は、もう陰りが見え始めていた時で、それから一度も好転した事がなかった。
そんな中、わたしの給料も上がることなく、会費も上げずにやってきた。
それを自慢げに、「僕の県だけは会費は上げたことがない」と言われると、複雑な心境になる。
これから先どうなっていくのか。
考えても仕様がないよね。
これも縁かな。
今、鬱状態でないのが、唯一有難い。
わたしの能力に限界があるのは、よく承知したので、現状をうまく乗りこなせればいいと思っている。
わたしの苦労は、目先の苦労ではないから。
あ〜、それにしても欲深な、未練たっぷりなわたしです。
「老いらくの 立居につきての くるしみは ただねがわしきは 報土往生」
「極楽は 日に日に近く なりにけり あわれうれしき 老いのくれかな」
「たのめとの 教えの法に ひかれつつ 弥陀たのむ身と なれるうれしさ」 蓮如上人
南无阿彌陀佛
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[ 1155 ] 心の変化
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2010/10/13 (Wed) 14:26
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下の彼女から、昼時間近場を散歩しようと誘われた。
健康診断の検査結果が思わしくなかったそうで、彼女からの提案だった。
しかし、過去何回もそう言われてやってきたが続いたためしがない。
今回も3回目で、「途中から行くから」という電話が入り、一応携帯電話を持って歩いたが鳴らなかった。
事務所のビルに着くと、3階の隣部屋から、彼女の元気な声が聞こえる。
ちょっと、腹立たしい気持ちが起きた。
続けて二日、ドアのノックをしたが応答がないので、一人で歩くことにした。
段々晴れる日が少なくなってくる季節なので、思う存分この天気を楽しみたいと思った。
ススキの穂が一日過ぎると、伸びているのが良く分かる。
彼岸花の赤い色もさえなくなっている。
しかし少し汗ばんだ頬にあたる秋風のさわやかなこと。
これで、1週間。
最初彼女を気にしていた思いも薄らいできた。
人は人。わたしはわたし。
そう割り切ったと思っていると、彼女から「体調が悪いから、しばらく歩くのやめる」という電話がかかってきた。
「いいよ、又元気になったらね」と、今日は街中を歩こうと決めた。
知らないお店の前を歩いていると、色々な匂いがしてくる。
事務所の中で、ずっとパソコンを開いているよりも健康的である。
戻ってからは、床の掃除に励んだ。
ドアを開放しているせいか、下の階でおしゃべりしている声が聞こえる。
彼女の明るい声が階段を通して、聞こえてくる。
日を送る毎に、心落ち着いているような気がする。
とても有難いと思う。
嫉妬心が薄らいでいく。なんてすがすがしいのだろう。
これも阿弥陀様のお陰です。
南无阿彌陀佛
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[ 1157 ] 懐かしい名前
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2010/10/13 (Wed) 22:09
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わぁ〜、山野。
こんな名前と過去に御縁あったよね。
もう何十年前だろう。
こんなわたしのつたない書き込みに反応する人ってどんなんだろう?
クリックして見ないけれど、これも御縁だと思っている。
今も生きているかしら。
随分えこひいきしていたけれど、最後は悲しい顔してわたしの前に現れたっけ。
高校生のわたしでも、きっと良いこと無いと思っていたけれど。
悲しい思いをしたんだね。
先生っていう立場も忘れて、普通のおじさんの顔。
そんな思い出がよみがえってきました。
南无阿彌陀佛
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[ 1158 ] 報恩講
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2010/11/04 (Thu) 11:16
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先週、報恩講が地元でありました。
遠方より、有縁の善知識様がお見えになり、約一年ぶりのお説教を聞かせて頂きました。
善知識様は、「観想の念仏」と「専修念仏」の違いをお話されました。
美濃の女性の同行が、信心を喜んでおったそうです。
しかし、年月が行くにつれ、女性は疑いの心が深いので、何とも言えない心持ちになってきて、心配になり讃岐の庄松同行を訪ねました。
そこで、庄松同行から、猫の話を聞かされました。
ちょっと、うろ覚えなので、インターネットで、「庄松同行」と「雄猫」で検索してみました。
やさしい真宗法話 http://homepage2.nifty.com/NYAMANI/houwa/houwa16-6.htm で探せました。
その場には、御同行の方以外に地元の方も多数聞いておられましたので、詳しいお話はされませんでした。
南无阿彌陀佛を「やまびこ」で譬えられましたが、うまく説明できません。
つくづく頭悪いな〜と思いました。
でも、最初に、善知識様が 「親鸞聖人は弥陀の化身、蓮如上人は親鸞聖人の再来」のお言葉は信じられるので、有難いなと思います。
有縁の善知識様のお住まいの地域は、浄土真宗の門徒はほとんどおられないそうです。
お東、お西、高田派と、節回しは色々ですが、それでも勤行をすれば、それなりに統一されて聞こえるそうです。
善知識様は、それを大変に喜ばれておられました。
浄土真宗が盛んな地域に生を受けたのも、きっと故有ることなのでしょう。
久々の御説法。なんとも言えない安心、安堵感。
一年前と全く変わらない心持ち。
庄松同行のような人に尋ねなくても、安心満足な日々を過ごしています。
南无阿彌陀佛
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[ 1159 ] 親鸞聖人のDVD
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2010/11/14 (Sun) 07:23
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親鸞聖人750回忌記念企画として「親鸞展」が地元で開催されていた。
昼休み時間に出かけることにした。
金曜日のせいか、見に来る人はそう多くなかった。
それでも熱心にメモを取る人や、阿弥陀如来の仏像の前で合掌している老婦人の姿があった。
音声器を借りて聴きながら会場を回っていたが、別棟から流れる音声が大きくて、良く聞こえなかったのは残念だった。
しかし丁度、小学生の団体と入れ違いになったらしく、会場の人から「運がいいですね、うるさくなくって」と声をかけられた。
「小学生でも観に来るんですか?やはり仏教王国ですかね。」となんだか嬉しくなってきた。
会場を出ると、親鸞展に関する色々な物が売っていた。
会場で見た親鸞聖人の動画がDVDになって置いてあった。
「法垂窟(ほたるのいわや)」の場所が映っていた。
まだその場所へ行ったことがないので、欲しいと思い買い求めた。
夜、DVDを見ながら寝入ってしまった。
「そうだ、京都へ行こう」のJRのキャッチコピーではないけれど、そうだ、「信後の味わい」を書いて行こうとなぜか朝、目覚めた瞬間にそう思った。
わたしだけの信後の味わいが有る筈だ。
阿弥陀様は一人一人に呼び掛けておられる。
親鸞聖人は阿弥陀様の化身。
眠っている間に、ずっと語りかけて下さったようでとても有難かった。
「やまびこ」のように、 わたしが「ヤッーホー」と声を出すと、「ヤッーホー」と応えてくれる。
それと同じように、いつでもどこでも意識的にも無意識的にもずっと一緒だと思った。
もうずっと一緒だから、臆病にもならず、えらぶることもなく、自分が思うがまま表現しても阿弥陀様だけは許してくれるだろう。
そんな思いがしてきた。
そして、「今」喜べる事を表現していければ、それが未来につながっていくのだろう。
蓮如上人は御恩報謝の御念仏と書いて下さったが、「やまびこ」だと思うと、無理なく称えられることが、まことに有難く、このわたしにピッタリだ。
太陽や月や星を眺めても、草や花や鳥や虫を見ても、すべて「南无阿彌陀佛」。
南无阿彌陀佛
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[ 1160 ] 検査入院中
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2010/11/15 (Mon) 14:09
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昼休み時間に携帯電話が鳴った。下の彼女からだった。
今日も朝から顔が見えないと思っていたが、出てみるとか細い声がする。
「どうしたの?、先週風邪ひいているって聞いていたけど」と言うと、
「今、入院中。先生は事務所に行っても良いというけれど、とてもその元気が出てこない」という。
まだしばらくは検査の為に入院するらしい。
「又電話してきてね。見舞いに行くから」と電話を切った。
血液検査で肝臓に関する数値が高くて、急きょ入院したらしい。
わたしも妹から電話を貰い、糖尿の気がするからお互いに自覚して気をつけるように言われたばかりだ。
姉妹だけあって、年齢が行くほどに、体質が似てきている。
インターネットから、「糖尿病」「高血圧」「高脂血症」「中性脂肪」「動脈硬化」に効果がありそうな関連するレシピを取りだした。
「こんにゃく」「豆腐」「わかめ」「しいたけ」等の料理をした。
お陰で少し体重が減少中だ。
今までのわたしなら、こんな現象も見過ごしてきた。
しかし今は違う。
彼女の検査入院の知らせも、妹からの助言も有難いと思う。
身体は黙って耐えてくれている。
我慢の限界まで、このわたしを支えてくれているのだと思う。
昔仕事で、何の取り柄もないわたしだと思い荒んだ気持ちの時 精一杯動かすのを見て、「頑張ってくれて有難う」と自分の手をさすっていた。
そんな純粋な時も有ったのだ。
でも歳が行くと、当たり前のように、足が痛い、腰が痛いと愚痴が出て来る。
そんな思い上がった気持ちが最近は薄らいできている。
自分の肉体に感謝したい。そんな思いが起きて来る。
有難いと思う。
南无阿彌陀佛
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[ 1161 ] 二十四の瞳
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2010/11/17 (Wed) 05:29
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「二十四の瞳」の映画を観に行った。
何度かテレビでも放映されていたので、おおよそのあらすじは覚えていた。
懐かしい俳優が出てくると、「随分若かったんだな」と思わずにんまりしてくる。
そんな時、携帯電話の音が鳴った。
直ぐに電源を消そうともせず、電話に出て話している声が聞こえる。
「今、映画を観ている最中なのよ、・・・・・又電話するから」
老人になってくると無頓着になってくるのだろうか。
観に来ている人の大半はわたしより年上だった。
映画の中で、時代が一気に8年(?)程過ぎて行くのだが、どれも成長した子供の顔が同じだったので、長い期間をかけて撮っていたのかな?と思った。
その実態は、インターネットのお陰で知ることができて、納得できた。
映画を観ている最中、隣の人に小声で、「何、言っているのかよく聞こえない」と言った。
その彼女も同じだったので、どうも耳が遠くなったのではなく、映画自体が古いので聞きづらいのだろう。ちょっと安心した。
2時間30分の長い映画だったので、帰るのも遅くなり、主人に電話して駅まで迎えに来てもらった。
車に乗るそうそう、怒鳴られた。
どうも携帯電話に何度も電話を入れていたそうである。
しかし、朝、家を出る時に映画を観に行くから遅くなると出かけたのに、いつもの時間に駅に迎えにきていたらしい。
そんなこと、わたしに文句を言われても。聞いていないあんたが悪いのよとは言えずに黙っていた。
「でも、お父さん、映画館では携帯電話マナーモードにするの常識でしょ。今開けて電話有ったの知ったんだから」とは何度も言った。
理事長から、組合員の家族の死亡連絡が入っていたので、何度も携帯電話をわたしにしてきたのだという。
理事長も主人も、あせって電話してきても時間的に無理な事ぐらい分かりそうなものだと思った。
馬耳東風。主人のガミガミ声も、最近は一過性だと思って、あんまり反抗せずに聞き流していた。
そして一日が過ぎ、食卓に、一杯のカニが置いてある。
近所の人からの貰いものらしいが、それでもわたしの大好物。
「昨晩はちょっと悪かった」
いいえ、いいえ、お父さん。私達、凡夫ですから。
それにしても、馬耳東風なら、同じように「気にすることないよ。理事長の事なら」と言われたばっかり。
やはり理事長も主人もよく似たタイプなのかな?
一回り違う同じ干支なので、寅年には食われっぱなしとは理事長にはいつも言われるけれど。
喧嘩をしても、すぐに仲良くなれる夫婦は有難い。
死亡した人は100歳、2か月前に奥様94歳で亡くなられた。
でもこんなに長生きしたくない。
南无阿彌陀佛
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[ 1162 ] 童謡
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2010/11/22 (Mon) 22:41
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「二十四の瞳」の映画には、子供達が、童謡「七つの子」の歌声が流れるシーンが多く出ていた。
わたしも子供の頃、この歌を聞いて、カラスって優しいんだなと思った。
夕暮れ山に帰って行くカラスを見ながらそう思ったものだ。(今はそうは思わないが、でも賢いとは思う)
今朝、NHKの録画を見ながら、台所で朝食の支度をしていた。
スズメの様子を見ながら、「「スズメの学校」を書いた作詞家はすごいな」と独り言を言っていた。
スズメの縄張り喧嘩は結構激しいそうだ。
小学生の時、スズメの学校の先生は嫌いだな。
メダカの学校の先生はきっと優しいんだろうなと思っていた。
そこでインターネットで調べてみた。
「スズメの学校」と「メダカの学校」では作られた時代背景が違う事を知った。
学校で教わった歌だけれど、子供心は純だからスーと入ってしまうのだろう。
二十四の瞳の映画では、戦争が有り、教育方針も一変した。
しかし絶対変わらないものは、『愛』なのだろう。
先生であり、母親の愛情は、一人の生徒も死なせたくない。
生きて帰ってきて欲しい。
そんな先生と巡り合った生徒はきっと幸せだろうと思う。
カラスもスズメも、一生懸命に子育てをしている。
今は親さへ、育児放棄をする時代だから、先生に多大な期待をしてもいけないのかな。
小学生がいじめに会い、自殺しても担任は見て見ぬ振りをしていたのだろうか?
こんなニュースを聞くたびに、少しでも気がついてくれる先生に巡り会っていたらと思う。
とても辛くなってくる。
南无阿彌陀佛
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[ 1163 ] 就職氷河期のニュースを見て
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2010/11/22 (Mon) 23:39
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丁度名古屋から帰ってきていた息子と台所で話をしていた。
ニュースで今年の大学四年生の就職率が過去最低だという。
「今の学生は大変ね。少し子育て時代がズレていて助かったわ」と息子に言った。
一流大企業に希望する人の就職率が、半分にも満たない。
しかし、中小企業の求人希望者は4倍を超しているらしい。
息子と二人、「何だかマスコミの影響に踊らされているのも有る」と思った。
不景気、就職難。
最近は、就職活動に親子も一緒に勉強したり、相談したりしているそうだ。
又、教育資金にかかるお金も半端じゃないらしい。
高等教育を受けさせるためには、親の資産、月収も多くないといけない。
わたしの周りも、親は勿論、祖父母の年金収入も視野に入れている人もいる。
家族揃っての収入所得は相当なものだ。
でも「博士が百人いる村」の話を、ユーチューブで見ると悲しくなってくる。
みんながみんな、博士号を取るとこういう感じ?
一流大学を卒業して、一流企業に就職する人が全部幸せになれる構図。
これは迷信であり、盲信。
世の中、こんな迷信、盲信がまん延している。
又この逆も有る。
どんなに傍目から不幸に見えても、心から満足して生活を送っている人もいる。
親鸞聖人は、「教信沙弥」の生き方に共鳴を受けられていたと言うが、案外幸せは名もないところにしっかり根づいているのかも知れない。
そういう人には程遠いが、しかしこの道を知ったわたしは、お金で買えることの出来ない宝を息子夫婦、孫に与えられて満足。
久しぶりに見る孫の姿の成長ぶりに、心癒される。
赤ん坊自身は気が付かないけれど、幸せをみんなに与えている。
赤ん坊の周りにはきっと幸せのパワーが充満しているのだろう。
それと同じように気が付かないけれど、わたしの周りにもパワーが充満している筈だ。
わたしを護って下さっているから、わたしは前向きに生きていけるようになってきている。
しかし、このパワーは大宇宙に降り注いでいる。
ただ気がつかないだけかも知れない。
南无阿彌陀佛
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[ 1164 ] いい兆候
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2010/11/25 (Thu) 15:54
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「角が生えた寅年に怒られた」と電話を取るなり言われた。
「それ、私の事ですか?奥さんの事ですか?」と直ぐに切り返した。
電話を掛けてきた人の奥様とわたしは同じ生まれ歳だ。
若い時から理事長とも仲が良く、会議で出張中の車の中で二人がそれぞれ付き合っている女性の事を話している。
寝たふりして聞いていた事もある。
いつも仲が良いので、信頼関係は良好だと思っていた。
しかしお金で縁が切れることもある。
理事長と電話の主が最近、よりを戻したことは他の役員さんから聞いて知っていた。
二人が酒を酌み交わす仲に戻ったのは、それはそれで良かったと思った。
「毎日、あれしろ、これしろと煩くてね。」と奥様の事をけなしている。
「結構じゃないですか。健康だから言えるんで、病気で寝ている人には言えないですからね」
「随分、事務局、元気いいんだね」と言われた。
「わぁ、お陰さまで、なるべく嫌な言葉や思いは打ち消して、前向きに考えるようにしているからですか?声の調子で分かりますか?」
「声の調子というか・・・まあ元気そうで何よりだ。ところで、電話をした用件だけど」とようやく本題に入った。
その人から、地元の新聞に載った内容を東京の方にも送って貰うように頼まれていたのだ。
それから半年経って、来年1月の全国の組合誌に載せる為に東京から問い合わせが有ったそうだ。
随分わたしも気になっていた。
「もうすっかり忘れていたんだけれど、その後又新聞に載ったからそれを送る事にしたから」と大変嬉しそうだった。
「○○さん、どうも忘れた頃に、良い情報が有るみたいですね。済みませんが、その記事の内容わたしにも貸して貰えませんか?もうすぐ1月の組合たよりを出す時期なんです。是非お願いします」と電話の前で頭を下げる。
ラッキー。一つ記事をゲットしそう。
それにしても、一年って短い。
「事務局と話していて気がついたんだけれど、僕、すごく取り越し苦労が多かったんだけれど、考え方を変えて随分気が楽になった事があったよ」
「そうですね、考え方一つで随分楽になりますね。有難うございました。せいぜい寅歳の奥さんに優しくして下さい。」
南无阿彌陀佛
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[ 1165 ] mono
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2010/12/03 (Fri) 12:12
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>「角が生えた寅年に怒られた」と電話を取るなり言われた。 > >「それ、私の事ですか?奥さんの事ですか?」と直ぐに切り返した。 > >電話を掛けてきた人の奥様とわたしは同じ生まれ歳だ。 > >若い時から理事長とも仲が良く、会議で出張中の車の中で二人がそれぞれ付き合っている女性の事を話している。 > >寝たふりして聞いていた事もある。 > >いつも仲が良いので、信頼関係は良好だと思っていた。 > >しかしお金で縁が切れることもある。 > >理事長と電話の主が最近、よりを戻したことは他の役員さんから聞いて知っていた。 > >二人が酒を酌み交わす仲に戻ったのは、それはそれで良かったと思った。 > > >「毎日、あれしろ、これしろと煩くてね。」と奥様の事をけなしている。 > >「結構じゃないですか。健康だから言えるんで、病気で寝ている人には言えないですからね」 > >「随分、事務局、元気いいんだね」と言われた。 > >「わぁ、お陰さまで、なるべく嫌な言葉や思いは打ち消して、前向きに考えるようにしているからですか?声の調子で分かりますか?」 > >「声の調子というか・・・まあ元気そうで何よりだ。ところで、電話をした用件だけど」とようやく本題に入った。 > >その人から、地元の新聞に載った内容を東京の方にも送って貰うように頼まれていたのだ。 > >それから半年経って、来年1月の全国の組合誌に載せる為に東京から問い合わせが有ったそうだ。 > >随分わたしも気になっていた。 > >「もうすっかり忘れていたんだけれど、その後又新聞に載ったからそれを送る事にしたから」と大変嬉しそうだった。 > >「○○さん、どうも忘れた頃に、良い情報が有るみたいですね。済みませんが、その記事の内容わたしにも貸して貰えませんか?もうすぐ1月の組合たよりを出す時期なんです。是非お願いします」と電話の前で頭を下げる。 > >ラッキー。一つ記事をゲットしそう。 > >それにしても、一年って短い。 > > >「事務局と話していて気がついたんだけれど、僕、すごく取り越し苦労が多かったんだけれど、考え方を変えて随分気が楽になった事があったよ」 > >「そうですね、考え方一つで随分楽になりますね。有難うございました。せいぜい寅歳の奥さんに優しくして下さい。」 > >南无阿彌陀佛
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[ 1166 ] 記憶違い
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2010/12/03 (Fri) 12:33
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日曜日に理事会が有る。
溜まっていた会費等を納めて欲しいと役員さんに連絡を入れた。
「ちょっと、会費は分かっているけれど、他の集金って何なの?」
ドドーっと心臓が高鳴る。
3か月前の状況を把握しようとしても、なかなか思い出せない。
「イヤーそんなもの貰ってないよ」
書類を引っ張り、日付を確認して再度電話をする。
「分かりました。では済みませんが、もう一度確認して頂けませんか?」
話しながらようやく記憶も少しずつだが思い出してきた。
こんな状況が多くなって来ている。
これではいけないと「備忘録」のノートを作っていたが、もっとその時の状況を書いておかないとまずいなと思った。
物忘れか断定的に違うと言い切られてしまう。
そう頭ごなしで言われると、本当に委縮してしまう。
特に歳が行くと、「それじゃ一度調べてみる」とは言わない。
「そんなものは預かっていない。いや払った。」と言われることが多くなってきた。
少し、へこんでいたら
息子さんから電話が有り、記憶を二人で辿って行った。
「それなら家のレジの中に入っています。これの事ですか?」
「あ、それです。良かった。その分のお金、日曜日に頂きたいんです。宜しくお願いします」
「済みません、親父少しボケてきたかも知れません。」
肩の力が抜けていくような感じがした。
すごく疲れる。
でも、こうしてわたしも歳を経て行くのだな。
でも、どんなにボケても、この信はこの身体に染み込んでいる。
南无阿彌陀佛
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[ 1167 ] 仕方がない?
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2010/12/10 (Fri) 23:45
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「今日の会議、今までと全然雰囲気違いましたね」と荷物を運んでくれた役員さんに言った。
「きっと、○○さんが来たからじゃないか」とわたしと同じ意見だった。
理事長と犬猿の仲だとは聞いていたが、今回初めて会議に出席した。
理事長とその理事の席がお互い顔を向ける格好になり、その理事の横にわたしが座った。
理事長の顔をしっかりと観察できた。
硬直した顔色、厳しい口調、理事長の狼狽振りが良く分かった。
その理事の受け答えは理に叶っているせいか、会議では他の役員さんからの意見も沢山出て、一番盛り上がった。
翌日、理事長が事務所に来て、椅子に座った早々、
「事務局、君も分かっていると思うが、○○には気を付けるように。彼は僕の意見には全て反対だから。僕と一緒に仕事をするつもりなら肝に銘じて置くように」と言われた。
その理事を陰で根回して理事にしたのは理事長でしょう?・・・自分でそう言っていたじゃないですか(と心で反論した)。
同業者で有り、それも同じ地区の人を、呼び捨てにするのは聞いていても嫌な感じ。
しかし、会議の中で、この業界の事業者の47%が70代以上で、20代以下は0,5%と知って、これでは後ろ向きの意見ばかりが出てきても仕方がないのかなと思った。
すると理事長のワンマン振りも、活性化の為には少しは役に立っているかな?
午後から役所に陳情に出かけると言っていたが、仕事を終えてビルの駐車場を見ると、彼女が一人助手席に座っているのが見えた。
わたしの感情は、理事長を上げたり下げたり忙しい。
南无阿彌陀佛
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[ 1168 ] 劣等感からの脱却
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2010/12/25 (Sat) 10:30
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http://www.youtube.com/watch?v=eGEd0yZ_7Gg&feature=related 〜 http://www.youtube.com/watch?v=URTQ_d_xMT0&feature=related
ユーチュブ 斎藤ひとりさん劣等感を理解する。より
わたしの気持ちを代弁してくれるようで、何度も視聴していた。
今年叙勲を頂いた理事長も劣等感の塊。
その理事長に、丁稚奉公していた時に殴られたという役員さんも劣等感の塊。
エンドレステープのように、いつまでも愚痴を言い続ける。
理事長は、一応劣等感から卒業出来たようだが、最近は長く居座った意図に気付いた人もいて、離れて行く。
「理事長が辞めると、みんな脱退しそうですね」と言うと、 「みんな慕ってくれて有難い」という返事。
(違いますよ。ようやく理事長と縁が切れてスッキリすると思っているんですよ)
わたしも馬鹿だから、処世術が分からず、ついつい言葉に出して大声で反論されたけれど、最近は事の流れを観察できるようになってきた。
わたしも劣等感から卒業できるかな?
これが今生の修行なら、今の職場の縁は確かに勉強になる。
20歳と13歳年上の役員さんの姿こそ生き字引。
二人とも仕事では成功しているし、家族にも恵まれている。
しかし愚痴も嫉妬も執着心も半端じゃない。
人間が日々生きている姿。
水面上は何事もなくとうとうと流れる川のよう。
底面では岩にぶつかり、砕けはじかれ、それでも最後には海に流れ着く。
これからは感謝の気持ちも加わって、心穏やかに過ごせたらわたしの人生満点かな?
「ハイデガー=存在神秘の哲学」より
おなじ存在神秘にめざめながら歩こうとするぼくたちにとって、ひとごとではないはずだ。 それに、失敗事例ほど、たくさんのことを教えてくれるケースもない。 臆せず、かといって偏見ももたず、淡々とわたっていくことにしよう。
南无阿彌陀佛
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[ 1169 ] 地震
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2011/03/12 (Sat) 07:01
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本当に、いつ死ぬかわからないということを体験したように思います。
たくさんの方が、1日にして、 実際に死んでしまいました。
幸いなのか、幸いでないのか、 私の身体は、無事でした。
南无阿彌陀佛
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[ 1170 ] Re1:地震
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2011/03/14 (Mon) 21:18
△up ▽down
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毎日様
ご無沙汰をいたしております。
未曽有の大惨事、何を云わんとされておるのか考えさせられます。
ご無事でしたか。それは何よりでございました。
「生けるものは生かしめたもう・・・・」なのでありましょう。
生きるべきなのですよ。 其の様に感じます。
これからも宜しくお願い致します。 合掌
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[ 1171 ] 15年間の締めくくり
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2011/04/08 (Fri) 23:49
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ようやく会計監査も終わり、晴れて職場からの解放。
万歳!!と思っていたが、そうは問屋が下ろさない。
少しは魂のレベルも向上しているかと思っていたが、やはり全然変わっていなかった。
次の事務局の引き継ぎをスムーズに済ませられると思っていた。
しかし今日、女のバトルが始まって、周りの数名の男性はビックリ仰天。
今まで座っていた私の机から「○○さんに全然、引き継ぎ教えて貰っていません!!」と大声でまくし立てられた。
でもね、教えるつもりの私に、
「小学生にでも出来る仕事って聞いてます。」
「主人に帳簿を見せたら、家計簿に毛が生えたぐらいの仕事だ」と言っていました。
だんだん腹が立ってきた。
貴女の方から少しでも早くって言うから、向かい風の中を1時間もかけて自転車こいで行ったのに、そんな言われ方して、それでもニコニコ教えるの?
昼食にとパンを買って行ったのに、お茶の1杯も出してくれず、
「半分あげようか」と言うと、
「私、一日一食しか食べません」と言われ、パンも口に出来ずに早々に事務所から追い出された。
堪忍袋の緒も切れて、わたしも反撃してみたけれど。
やはり、ロングヘヤーでミニスカートをはいてスラッとして年の若い人には叶わない。
貴女は仕事が出来るでしょ、と言い残して事務所を去った。
もう携帯電話の着信には反応しないぞーーー。
それにしても、「理事長の変わりはいるけれど、事務局の変わりはいない」と言っていた理事長が、「僕に感謝しているなら、教えてくれてもいいだろう。僕の電話には必ず出てくれるね」
いいえ、絶対教えません。
理事長、貴方が事の発端だって自覚していないんですもの。
貴方の二枚舌はもう沢山。
せいぜい80の老体に鞭打って、名誉欲と色欲と金銭欲にどっぷり浸かってください。
もう過去とはさようなら。
3月11日、東日本大震災の報道を傍らで見ながら、それでもわたしは今日を生きています。
南无阿彌陀佛
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