・選択したスレッドを表示しています。返信は▽downのフォームからどうぞ。 (「メール送信」ボタンを押すと、書き込み作者宛にメール送信ができます。ヘルプ)(「編集」ボタンで記事の編集ができます。)
|
|
|
[ 728 ] 「女人往生聞書」の味わい方
|
2009/03/20 (Fri) 05:32
△up ▽down
|
|
これは、彼女がこの掲示板を見ていることを前提にしての、書き込みである。
今年の1月13日付けで、金剛心様から色々な書類が入った封筒を頂いた。
その中に「女人往生聞書」も入っていた。
この掲示板でも、国会国立図書館のHPで読んでいたので、嬉しかった。
しかし、金剛心様から直ぐにお電話を頂き、一方的にお話されるだけで、わたしからの意見や感想を言おうとしたが、まるでマンガのバカボンのお父さんのセリフの語尾を丁寧にしたような話し方で、断定的にわたしの言葉を遮ってしまった。
少しばかり、金剛心様への興味から起こったことなので、言い訳できないが、わたしはいっぺんに疲れてしまって、間に入られた愚老様に、このまま書類を返した方が良いのか相談のメールを送り、そのままでもよいのではとの事で、手元に置いていたが、金剛心様の意向は、泥凡夫様に読んで欲しいとの事で頂いた書類は金剛心様の了解を得て、コピーして原本を送ることにした。
金剛心様は毎日様もご存じで、毎日様へ書類を送ったが、お礼の言葉一つもないとご立腹の様子であった。
金剛心様は次第相承の善知識と言われておられるのだから、多分彼女はそういう言葉に今一番興味を持って読むことだろう。
だから、わたしは何度も強調して、金剛心様から頂いた「女人往生聞書」と書いたのであり、最近よく彼女から「貴女は欲張りで何にでも興味を示しすぎだ、もっと落ち着いて、頂いていることを喜んだら」と忠告を受けている。
彼女が一番、わたしの変化を知っているので、いい加減にうちわ太鼓を鳴らし続けるわたしに対し釘をさして、平静な気持ちにさせようとしてくれる。
で、この掲示板に書いていることを知られたので、実は貴女の事も書いちゃたって言うと「いいよ、私の悪口書いても・・」と言ってくれた。
その前に、わたしがあまりに変わったので、彼女はわたしへの嫉妬もあると言っていた。
何で、そんなに喜べるのか不思議でならないと言った。
あんなに親鸞会で聞いていた時(彼女には内緒)は、この人はひがみ根性が大きく、相当鬱状態のようで、敬遠していたけれど、わたしが自分の身に起きたある現象から、貴女はズーと躁状態のままだという。
わたしもそう思う。でも、少しは落ち着いてきているよね。
南无阿彌陀仏
|
|
|
|
[ 729 ] Re1:「女人往生聞書」の味わい方
|
2009/03/20 (Fri) 05:10
△up ▽down
|
|
金剛心様の「女人往生聞書」には、添え書きで、「大蛇を見るとも女人を見るべからず二枚目」「女人を転ずることをうべからず5枚目」と書かれていた。
わたしは、有縁の善知識様より、つい最近お聞きした時、、女人の罪深い事もお話されたけれど、その女人の中には、私を産んでくれた母親も入るんだね。と悲しげな顔をされ、女人に対しての優しさを感じることができたのに、どうして金剛心様からは、それが伝わらないのだろうかと、何度も何度も目を通しながら、色々な思いが出てきた。
父の臨終の2日前に、叔母を連れて入院している病室に入った。
「お父ちゃん、わたし、○○」と、朦朧としている父の手を取った。
父は「おお、○○か」と、わたしの手を握ろうとしてくれた。
しかし、叔母が来ていることを知らせると、父はその手を振りほどいて、叔母の手をしっかり握りしめて、「姉ちゃん、姉ちゃん、姉ちゃん・・・・・・」 延々と続くのではないだろうかというぐらい叔母を呼び続けた。
わたしは、ずっと父親っ子と思っていたのに、最後の最後に、父は母親を恋しがっていたのだと知らされた。
父が3歳の時、母親に死なれ、姉が母親代わりに面倒を見ていたのだという。
臨終に近くなって、父の心の悲しみ、辛さが分かったようで、最初は少し叔母に嫉妬したが、父が声が出るまで言い続ける「姉ちゃん」がいつか「母ちゃん」って言っているように聞こえてきた。
そして、わたしはなぜかこの歳になって思うのは、子供にとって母親が若く死ぬのは本当に罪つくりなのだなと思った。
わたしは、蓮如上人が幼い子供を残していく何人もの妻をどのように思ったのだろうかと考えてみた。
きっとわが子を不憫だと思っていただろう。
そういう優しさがどうして金剛心様からは感じられないのだろう。
「弥陀の御代官」と言われるのが善知識。ましてや還相回向であり、ご自身が菩薩と公言されておられるのに、不思議。
わたしは、祖父が好きではなかった。
庭になっている枇杷の実を採ろうとして見つかって怒られた。
母から聞いた祖父は、わたしの命が助かる為に、どうしても当時高額の医療費がかかるので、田畑を売ってでも、という母の願いを最初は断ったそうだ。
しかし、それは孫とわが子では違うことを、お墓参りに行き、角がかけたお墓を見つけて思った。 お墓の後ろには、嫁がせた娘が病気になり、夫は戦争で亡くなったので、分骨してお墓を建立する旨のことが書いてあった。
親に先立つことも、罪になるのだろうか。
帖外御文の見玉尼公の場面を拝読する度に、祖父の寂しさが思い出される。
南无阿彌陀仏
|
|
|
|
[ 730 ] Re2:「女人往生聞書」の味わい方
|
2009/03/20 (Fri) 06:09
△up ▽down
|
|
わたしは金剛心様の「女人往生聞書」を読むにつけ、印のしてあるところより、印のしてないところに心が動かされた。
「おおよそ大経の四十八願にはまず女人往生の願をたてて別してこれをすくい、つぎに観経には韋堤希夫人を正機としてこれがために念仏往生のみちをとき、つぎに阿弥陀経には善男子善女人とつらねて念仏の機男女にわたることをあらわせり。 されば如来の慈悲は総じて一切の衆生にこうむらしむれども、ことに女人をもって先とし浄土の機縁はあまねく十方の群類にわたるといえども、もっぱら女人をもって本とせり。」
どうしてこんな肝心要のところに印がしてないのであろう。
最初の方には、「第十八の念仏往生の願に男女をえらばずみな攝すべき條は勿論なり。 しかれどもかさねてこの願をたてたまえることは如来の大慈大悲のきわまりなり」
ここにも印がしていない。
これでもかこれでもかと、女人のさわりの重い箇所や女人が悪道におもむく場所にはしっかりと印がつけられている。
わたしは逆だと思った。
自分を見つめて罪つくりだと思っている人はあえて、そんなところを強調しなくても自分で知っていることだ。
それは知らないから教えてやっているというのは傲慢だと思う。
自分が悪人だと思うから、救われたいとも思うのだし、阿弥陀様の慈悲を願うのだと思う。
金剛心様の印がついていない場所こそ、存覚上人の言いたかったことなのだと思う。
造りたくない罪も業が深い分、造らなければならない環境で生活していかなければならなかった女性に対しての憐みを救って下されるのが如来であり、どうか疑ってくれるなよという慈悲心からだと思う。
次第相承の善知識は、勉強するのを勧めるのだろうか。
そんな教えは、38年間も親鸞会で聞いている。
わたしは、だから彼女に伝えたいことは、次第相承の善知識は、普通の人なんだよ。
普段は少しも偉ぶらないし、ただ、貴女が助かりたいと思った時には、阿弥陀様の変わりに、浄土から来られた人だから、尊敬はしていきたいよね。
南无阿彌陀仏
|
|
|
|
[ 731 ] Re3:「女人往生聞書」の味わい方
|
2009/03/20 (Fri) 10:59
△up ▽down
|
|
菩提心樣
このスレッドの書き込みを読ませて頂き何故か目頭がうるみました。
私自身も48才の時に妻を亡くし、信心を頂いていても人間としての
情から涙が止りませんでしたので・・・
金剛心樣も普段は普通の人です。
金剛心樣には他人に書類(カナ聖教等)を差し上げる時は線を引いたり
書き込みをしたりしない様に話すのですが聞き入れてもらえないのです。
熱心さのあまり聞くよりも話す事に熱中する傾向もあるのです。
私の親代わりの師です。でも仏法については大変勉強熱心な方です。
金剛心樣には叱られるかもしれませんが・・・
合掌 南無阿彌陀佛 南無阿彌陀佛。
|
|
|
|
[ 732 ] Re4:「女人往生聞書」の味わい方
|
2009/03/20 (Fri) 13:28
△up ▽down
|
|
金剛心様の線を引かれた部分、想像できます。 昔は、私もじゃじゃ馬でした。 菩提心様の要とお考えの場所は、答えの部分です。 金剛心様の線を引かれた所は、何故女人が先なのかと言う根拠の部分です。 あくまでも、私の想像です。 総じて善知識とは、人の話を聞くよりも、教えたい、知って貰いたいと言う心が強い為、必死に話すものです。
|
|
|
|
[ 733 ] Re5:「女人往生聞書」の味わい方
|
2009/03/20 (Fri) 15:57
△up ▽down
|
|
あずちゃんへ
自信教人信の書き込みは、阿弥陀仏に手を合わせてから、書き込みをしています。 愚尼は、卑しい心しか持てない最劣な普段の私です。 仏法の自信教人信を信じてここまで来て頂けた事、嬉しく思います。 別に、愚尼を好きになってもらえなくとも、自信教人信の書き込みを歓んで頂ければ、それこそ御恩報謝になったのではないかと思います。 金剛心様に確認したところ、大丈夫と言われたので、少し安心です。 とりあえず、地獄に行かずに済んだと云う事は、めでたいことだと思います。
忍草様へ
私の持っている善知識様から戴いた読み物には、まるで落書きじゃないかと言う程、◎に赤線に注記が沢山書き込まれています。 ひどいモノでは、たかが10行にも満たない1ページに印刷されているよりはるかに多いんじゃないかと言うほど手書きで一冊づつ書き込まれておられます。 女人往生につきましては、有り難い事に同じ立場の『女』に話を詳しく聞けた事、恵まれていたと思います。 奥深くまで理解しているとは思っていませんが・・・
善知識の陰の努力を知らない人は、口うるさいと文句を言うのです。
エサを蒔いてみました。何がかかるかなぁ〜〜 私も人が悪いでしょっ
精進精進の南無阿弥陀仏
|
|
|
|
[ 734 ] Re6:「女人往生聞書」の味わい方
|
2009/09/27 (Sun) 15:50
△up ▽down
|
|
忍草様
最初に掲示板に書かれた時の書き込み内容より、忍草様の思いが伝わり、わたしまで嬉しくなりました。
金剛心様より、書き込みは転勤になられた息子様に書いてもらっていたので、返信出来ないのが残念ですと書いておられました。
わたしは富山の地理に詳しくないので、それなら愚老様にでも頼んで教えて貰えばと考えました。
しかし、今の書き込みで納得しました。
忍草様と金剛心様は同じ一流の方なのですね。
最初、教義の方の掲示板を読んで、金剛心様は急にパソコン出来るようになられたのかと思いました。
でも、愚尼様の書き込みで、忍草様と金剛心様がどうも同じ人が書いていると思いました。
しかし、よくよく読んでみると、様と樣の違いに気づきました。
金剛心様は、何通かのお手紙に、必ずこの樣をお使いになっておられました。
するとやはり金剛心様は毎日様の事を、「あげ足鳥」と命名されたのかと、少し残念でなりませんでした。
忍草様なら、以前の書き込みの流れから、わたしの事をそう呼んでも、納得できますし、あの書き込みのように却って「やったね、婆じゃなくて嬉しいワン」なんて、正直全然怒りの思いも出てきませんでした。
金剛心様のわたしへの思いは手紙を拝読させて頂き、十二分に伝わってきました。
しかし、「泥凡夫様はもう少し知者だと思っていましたが、私達からみれば全く愚者としか言いようのない知恵しかないことが証明されました」と書いて来られました。
多分、忍草様は上記のようなお言葉を直の金剛心様からお聞きになられていると思います。
若し、わたしが忍草様のお立場で、善知識様のお立場の人がそういう事を言われたら、「あ、やっぱり、善知識様も凡人なんだな。 ちっともわたし達と変わらないんだな。でも、こんな言葉はせめて善知識様からは言って欲しくないな。」と思い、こんな凡夫でも救われる教えが有難いと思いながらも、心の中では、そんな善知識様を軽蔑すると思います。
わたしは、釈尊が、じっと相手の言われることを聞いてから、お話されたと本で読んだことが有ります。
若し、親代わりの師と仰ぎ、尊敬もされる金剛心様なら、なおそのようにして頂きたいと思います。
わたしは、正直疲れてしまいました。
今、初めて読んでの書き込みなので、簡単な感想にさせて頂きます。
南无阿彌陀仏
|
|
|
|
[ 735 ] Re7:「女人往生聞書」の味わい方
|
2009/03/21 (Sat) 10:12
△up ▽down
|
|
愚尼様へ
先ほど、妹から電話で、「ちょっと失礼しますは愚尼さんみたい」と電話が有り、「何を今さら、最初からそうだよ」って電話を切り、すぐに忍草様にお返事を書いていますので、まだ教義の箇所を読んでいません。
それで、愚尼様に対して、別のスレッドに書いたように、余程女人の怖さを暴露した内容を立て続けに披露しようかとも思いましたが、それもしなくて済んで良かったと思います。
愚尼様はとことん自分の事を自画自賛されて行かれると宜しいかと思います。
貴女を通して、反面教師として読んできました。
このような女性にだけは成りたくないと、わたしも精進精進、毎日阿弥陀様に促されて、御恩報謝のお念仏の日暮。 とても有難いと思います。
ここは誰が読んでいるか知れません。
せめて、念仏同行者と言われるなら、こんな馬鹿げたことをする必要もないと思います。
でも、それも煩悩具足の凡夫、わたしは貴女を通して、「女人往生聞書」を素直に拝読させて頂きました。
これも偏に、金剛心様から頂いた「女人往生聞書」で、これだけの事が書けてとても有難いと思います。
愚尼様
今後一切わたしから愚尼ちゃんとお呼びすることもないでしょう。
追伸
あ、そうそう、これで彼女との話すきっかけにもなりそうです。
愚尼様にえさを与えようとされたのは、これも阿弥陀様の知恵の中に入っていたかも知れませんね。
彼女がここを読んで、女人の怖さを少しでも分かってくれると嬉しいと思います。
南无阿彌陀仏
|
|
|
|
[ 738 ] Re8:「女人往生聞書」の味わい方
|
2009/03/21 (Sat) 16:19
△up ▽down
|
|
菩提心様へ
私は、金剛心様と直接お話をしました。
貴方に何言われようが、全然平気ですよ。 ちょっと前に流行った、想定ないですから。 貴方の書き込み、金剛心様がお読みになったら、どう思うでしょうね? 私もはっきり言わせて頂きます。 泥凡夫様に関しては、私も金剛心様と同じ思いです。 それも、電話で確認済みです。 私の張ったりだと思うのであれば、直接金剛心様に電話してご確認下さい。 ホントに、女性(にょしょう)とは恐ろしい生き物ですね。 阿弥陀様の憐れみの深さを、改めて、噛締めたいと思います。
金剛心様は、厳しく育てる役目のお方。 忍草様は、優しく宥める役目のお方。 喩えるなら金剛心様が父親だとしたら、忍草様は、母親です。
私の書き込みがお手引きのきっかけになるのなら、阿弥陀様が歓ぶことでしょう。 どうぞとことんまで私を嫌って下さい。
しかし、見る目がありませんねぇ。 あっ、私の方が、見る眼がなかった。 人の感情を逆なでしてしまう私は、下の下の下の最劣の女人です。
わざわざ、エサを蒔いときましたって言うエサを蒔いていたのをお分かりですか?
あっまた、逆なでしてしまった。 女って、何処まで行っても意地汚いですね。
とことん汚い女は、とことん汚い自分をさらけ出した方が分かりやすくて良いと思います。 私は、仏法に飾りは必要ないと思っています。 精進・精進 南無阿弥陀仏
|
|
|
|
|
|
|
[ 742 ] Re10:「女人往生聞書」の味わい方
|
2009/03/22 (Sun) 08:23
△up ▽down
|
|
菩提心様、愚尼様
どうか冷静になられてください。
お二人とも熱心なあまりのお書き込みと思います。
教学にくらい私にはお二人のいろいろな
お言葉、とても勉強になっております。
女性が非常に醜い存在であるなら、それを抑えて
できる限りこれからもいろいろなこと
教えていただけたらと願っております。
|
|
|
|
[ 743 ] Re11:「女人往生聞書」の味わい方
|
2009/03/22 (Sun) 09:00
△up ▽down
|
|
高野豆腐様
どうも御忠告有難うございます。
文面では届かないのでしょうか?
わたしはすこぶる落ち着いていると思います。
ただ、このままの状態でずっとやっていくと、あらぬ方向へいくようで、もう一度よく過去ログ等を読んで頂きたいと思ったからです。
この場所は最初、「その他」として出来た場所です。
そこに歓喜をつけて欲しいと愚尼様の希望がありました。
何故、愚尼様が「歓喜」を入れる必要があったのか、
わたしは、ずっとそれをジャンヌ掲示板の時から知っているからです。
ですから、純粋に信心決定したい人と、ただ自分の信心が正しいと主張する人を区別して頂きたいと思ったからです。
わたしは必死にこのようなHPを探してきました。
そして、今お互いに一流と思える人と、ここでお互いの信心を喜びたいと思いました。
信心の沙汰は、一方的に相手の信心を批判することでしょうか?
そして、喜んでいる人に貴女の信心は間違っていると言うことでしょうか?
そうではないと思います。
わたしはこの道は強制されるものではないと思っています。
一人一人が納得して、自分の道を歩んでいけることこそ、尊いと思います。
ましていわんや、仏教に縁があり、真宗に縁が出来、その教えにはただ念仏で往生できるのではなく、一念帰命の行が有ることを知っているだけでも、わたしは果報者だと思います。
わたしはこのスレッドは、わたしの一番身近で、いつも話の出来る人へのメッセージですので、彼女がどう取ってくれるかで充分なのです。
高野豆腐様の意にそぐわない事もありましょうが、わたしは、弥陀のお計らいを信じています。
南无阿彌陀仏
|
|
|
|
[ 744 ] Re11:「女人往生聞書」の味わい方
|
2009/03/22 (Sun) 09:02
△up ▽down
|
|
女とは、所詮男には想像を絶する醜い生き物です。 実は、菩提心様の、私への書き込み、とても喜んで見ています。 女は、すぐに結託して悪事を働くものです。 何事においても、好き・嫌いと判断をつけ、自分の意見に合わなければ、徹底してこき下ろそうとするのが、女です。 女は、悪い智恵が多いです。と言うか、悪いことしか浮かばないんです。 女は『女人往生聞書』のとおりの生き物です。 なにせ、十方衆生の男が束になってかかっても、女ひとりの方が勝ると言われています。 それだけ醜い生き物なのです。 仏をいただいていても、女だけで讃嘆すれば、気が付けば、嫉み・僻みばかりの会話になってしまうのが現状です。 女の恐ろしさは、半端ではありません。 女の一念、岩をも通す、と言う言葉があるくらいですから。 眼を覆っても多い切れないのが女です。
男性は、こんな女のやり取り、いい加減にしろとお叱りになるお気持ち百も承知です。 高野豆腐様のお書き込みの内容も、想定内です。
|
|
|
|
|
|
|
[ 746 ] Re13:「女人往生聞書」の味わい方
|
2009/03/23 (Mon) 07:58
△up ▽down
|
|
『女人往生聞書』に、女は、地獄の使いなりって書いてありました。 縛り付けて地獄に落とす怖い生き物です。 女の欲は、底がありませんから。 口で有り難いなんていくらでも言えるんです。 本当に有り難いと思うなら、この身を持って示せばいいだけの事です。
身は卑しくとも、信心をいただいたら、姿は女でも、心は菩薩だと言う事をご承知おき下さい。
|
|
|
●re.15
|
毎日 |
非公開の非公開 |
|
[ 748 ] Re14:「女人往生聞書」の味わい方
|
2009/03/23 (Mon) 20:47
△up ▽down
|
|
愚尼 様
「有難いと思うから、身をもって示す」というのは、「ありがたい」と「身をもって示す」の間に、ワンクッション入る気がします。
ありがたい場合は、意識せずして、知らず知らず、行動に出てくるものだと思うのです。
つまり、わざわざ示すまでもないことなのだと思います。もう既に、示されているからです。
だからこそ、なおありがたい。
何もしていないつもりで、如来のお手先にさせていただけるわけですから。
愚尼様は、とても苦しそうに見えます。
そして、おそらくそれは、教義の違いから来ているのだと思います。
「〜しなければならない」という考え方は、そうしない自分を責めることになりがちだと思います。
抜苦の教えで、苦しみが増えるのは、どこかおかしいと私は思います。
苦しみには、一切の意味を認めないのが、仏様の教えであると思います。
苦はあくまでも、解消されるべきものです。
そして、苦しむひとも、その苦しむお姿が、他の導きになってゆくのかもしれません。
それでも、私としては、苦しみは減ることを願いたいです。
いつも感謝しています。
南无阿彌陀佛
|
|
|
|
[ 749 ] Re15:「女人往生聞書」の味わい方
|
2009/03/23 (Mon) 21:39
△up ▽down
|
|
ご心配有り難う御座います。 私は、別に苦しんでいませんよ。 とても楽しんでいます。 諸仏・諸菩薩・諸神に見守られての修行です。 私は、弥陀の使いとして、弥陀の強縁も授かり衆生済度に勤めるだけです。 この世の四苦八苦は消えることはありません。 諸苦毒の中に身を置いているのは、自分だと言う理解もしていない。
|
|
|
●re.17
|
毎日 |
非公開の非公開 |
|
[ 760 ] Re16:「女人往生聞書」の味わい方
|
2009/03/25 (Wed) 02:43
△up ▽down
|
|
菩提心 様
いつも書き込み、ありがとうございます。
菩提心様は、普通のお気持ちで日常を書き込んでいらっしゃるかもしれませんが、読んでいる私の心はあたたまり、感動することも多いです。感謝しております。
[ 728 ] >わたしはいっぺんに疲れてしまって
菩提心様が疲れてしまう理由に、「どう思われるかが気になる」「否定的に思われることを、悪いことだと考えている」ことがあるのではないかと思います。
菩提心様は、以前、この掲示板に書き込むときにも、私から叱られるのではと恐れることがあると書き込んでいらっしゃったと思います。
そのようなお気持ちと、こうして疲れてしまうこととの間には、関係があるような気が致します。
せっかく救われたのですから、そのような気持ちも乗り越えて、ラクになっていただけたらと思います。
愚尼様とのやり取り、「丁々発止のバトル」と言われてしまったそうで、そのような書き込みを続けることにより、だんだんラクになるかもしれないと思います。
そして、金剛心様とのお電話でも、言いたいことがあるのなら、金剛心様がしゃべっていても、菩提心様も、言いたいことを電話口でしゃべってゆけばいいと思います。
お釈迦様の真似をしようとしても、凡夫ですからね、なかなかむずかしいと思います。
ですから、相手に釈尊の真似をさせようとするよりも、「言いたいことがあるのに我慢してしまう自分」に問題を見て、「聞いてくれないのだから、こちらから言っちゃえ!」としゃべってゆけばいいと思います。
そして、お互い、相手の言うことを聞かずに、しゃべりつづける2人。楽しいですよね。
そしてそれもまた、ひとつのコミュニケーションです。
「思うところを、言いましょう」と連師がおっしゃってくださっているのは、誠に由ありと思う次第です。
真宗は、本当にすばらしい教えであると思っています。
南无阿彌陀佛
|
|
|
●re.18
|
毎日 |
非公開の非公開 |
|
[ 761 ] Re17:「女人往生聞書」の味わい方
|
2009/03/25 (Wed) 02:46
△up ▽down
|
|
愚尼 様
衆生済度に精を出してゆこうとなさっているとのことで、誠にすばらしいことだと思います。
そして、愚尼様が、そのような態度でまわりに接したとき、おそらく多くは、「お呼びでない」という態度をされるだろうと思います。
それは、仕方ないですよね、だって、実際に呼んでないわけですから・・・
弥陀があせっているとは思えませんが、愚尼様は、あせっていらっしゃるわけです。
なぜかと言えば、極楽往生治定とは思いとっていないからだと思います。
そして、弥陀はとても大きな力を持っているわけですが、その力で、力なき衆生に押し付けたりは、していないですよね。
それは、慈悲心により、そうなさらないのだと思います。
本当に、お育てくださっているのであると思います。
もちろん、あせるからと捨てる弥陀でもありませんし、あせったからといって、仏道修行が進展するわけでもなければ、信心いただいていれば、退行するわけでもないわけです。
不思議な教えであると思います。
南无阿彌陀佛
|
|
|
|
[ 763 ] Re18:「女人往生聞書」の味わい方
|
2009/03/25 (Wed) 09:26
△up ▽down
|
|
この人間界の人生なんてあっという間だと考えています。 金剛心様へも、忍草様へも、私は、話したい事は、しっかりと話しましたよ。 言いたい事も気兼ねなく親しくお話をさせて頂きました。 色々と、面白いお話を沢山聞かせて頂きました。 阿弥陀様にいただいた宝を『宝の持ち腐れ』にしたくないだけです。 私は、鉄の鎧を着ているんじゃありません。悪を恐れない弥陀の鎧を着ているんです。 女と言う身はホントに不自由です。 でも、不自由は不自由なりにこの世を楽しんでいます。 浅学ならまだしも、無学の私です。
合掌 南無阿弥陀仏
|
|
|
|
[ 764 ] Re19:「女人往生聞書」の味わい方
|
2009/03/25 (Wed) 14:06
△up ▽down
|
|
毎日様
[ 760 ]のお返事、その通りでした。
わたしは、いつまでも「味わい」の場所にこだわってきたのは、ジャンヌ掲示板の「自信教人信」様の飾らない普通の言葉があったからです。
すぐには開ける勇気が出ませんでした。
毎日様の温かい御助言で、少しばかり勇気が出てきました。
わたしは、毎日の40分間を色々考えたり、自然を見ながら歩いています。
とっても楽しんでいます。
そんな事を味わいの中で書いていくうちに、縁ある人が居るかも知れませんね。
忍草様や、極道坊主様のお言葉も有り難くなりました。
愚尼様
阿弥陀様は、女人を愚尼様のようには捉えておられないと思います。
阿弥陀様は、こんな女人を一番可愛いと思ってくれていると思います。
不出来な子ほど、親は可愛く不憫だと言います。
わたしはその不出来な子供です。
だから、思う存分甘えられるので、嬉しいです。
南无阿彌陀佛
|
|
|
●re.21
|
毎日 |
非公開の非公開 |
|
[ 766 ] Re20:「女人往生聞書」の味わい方
|
2009/03/25 (Wed) 23:42
△up ▽down
|
|
愚尼 様
>阿弥陀様にいただいた宝を『宝の持ち腐れ』にしたくないだけです。
また、「揚げ足取り」と思われるのかもしれませんが、弥陀の宝は、「腐る宝」なのでしょうか?
愚尼様がこのように思うということは、弥陀からの宝は、いただいただけでは完全ではなく、「お手引きして補わねばならないもの」であるということになるのではないでしょうか?
お手引きしなければ、腐っていって、極楽往生の因にはならないような信心ということでしょうか?
南无阿彌陀佛
|
|
|
|
[ 769 ] Re21:「女人往生聞書」の味わい方
|
2009/03/26 (Thu) 13:32
△up ▽down
|
|
毎日様へ
何でお手引きにつなげるんですか? 私は、別に善知識の御前に行者を連れて行く事が素晴しい事だなんて言ってません。 腐りますよ。 假土ならまだいいけれど。 弥陀の兆戴永劫の恩を忘れずにお念仏を称えるだけで良いって、お考えですよね?
合掌
|
|
|
●re.23
|
毎日 |
非公開の非公開 |
|
[ 770 ] Re22:「女人往生聞書」の味わい方
|
2009/03/26 (Thu) 15:15
△up ▽down
|
|
愚尼 様
>何でお手引きにつなげるんですか?
直感的なものですね・・・
愚尼様の御書き込みを読んだ方で、お手引きしていない自分を責める方が出てこないように、というような思いが込められていると思います。
そもそも、愚尼様は、私の信心を否定されていて、愚尼様認定の善知識様のもとで、信心獲り直した方がいいとお思いなのではないですか?
先日の御書き込みで、信心獲り直しについての御書き込みもあったことですし、できれば確認しておきたいことです。
>腐りますよ。
これは、弥陀からいただいた信心が腐るということなのでしょうか?
私は、信心は金剛のもので、腐ることはないという考えです。
>弥陀の兆戴永劫の恩を忘れずにお念仏を称えるだけで良いって、お考えですよね?
信心さえいただいていれば、信後の称名0篇でも、極楽往生できるという考えです。
「弥陀の兆戴永劫の恩を忘れずにお念仏を称えるだけで良い」ではありません。
「弥陀から真実の信心をいただくだけで良い」という考えですね。
そして、必要性にかられてすることと、感謝の気持ちからもよおされて行うことは、また別のことだという考えですね。
感謝を強制するのは、本末転倒だとも考えます。他者に強制するものではなく、自ら深めてゆくものでしょう。
南无阿彌陀佛
|
|
|
●re.24
|
毎日 |
非公開の非公開 |
|
[ 772 ] Re23:「女人往生聞書」の味わい方
|
2009/03/26 (Thu) 15:55
△up ▽down
|
|
愚尼 様
それと、「お手引きしよう」という気持ちが問題なのは、相手におもねる気持ちがでてきてしまうことです。
そういうのは、下心と言って、仏は嫌うものでしょう?
そんなこと考えもしなくて、思っていることを言ってゆけばいい。
心に信心があれば、そのはたらきは自然と出てくるものだから、自然でいいのだと思います。
そうすれば、ひとりでも、さわやかで、楽しいっていうのが、すごくいいところです。
他のひとは、あくまでも他の人なんです。
そのひとには、そのひとの道がある。
だから、愚尼様には愚尼様の考えがあることが自然ですし、私とあまりにも考えが一致するようなことがあれば、それは不自然なことで、おかしい。
あんまり意見が一致するそぶりを見せるひとも、あやしいんですよ。思ったことを言わないで、一致するふりをしているだけかもしれない。
そうすれば、こっちがよろこぶと思っているんですね。
金剛心様なんかも、はじめは私を持ち上げるような書き方をしていたと思うんですよ。
そうやって、もちあげておいて、「あなたはわかってない、浅学の念仏の行者である!」と「どーん」と落とす。
それはそれでひとつのやり方なのかもしれませんが、本来のものではないと思いますね。
違うと思うなら、はじめからそう言えばいいので、これは私も、改善せねばならぬところです。
もちろん、私には間違いがあると思いますので、でも、それを私がわかるには、あれこれやりあって、意見交換をして、そしてようやくわかると思うんです。
わからないのに、わかるふりをするのもおかしなことですし。わからないことは、やっぱりわからないし、同意できないことは、やっぱり同意できない。
でも、おはなししているうちに、得心するところがあれば、同意もできて、意見も変わるかもしれない。
金剛心様がはじめ私を持ち上げていたというのは、金剛心様も、思ったことが言えなくて、つい、おもねっていたんだと思います。
つまり、金剛心様のお姿を通して、自分のすがたが知らされる。
だからやっぱり、金剛心様も、菩薩なんだと思いますよ。
こう言って、あんまり思い上がられてもイヤですが。
私の中にあった差別意識は、「善知識が上、自分が下」というようなもので、これによって、自分の言いたいことが言えなくなっていたところがあると思います。
私の有縁の善知識様は、「弟子は師を超えてはならないのだ」ということを、「自分を超えてはならない」という意味にとれる文脈で言ったことがあります。
このとき、私は心の中で、「あれ?」と思いましたが、口に出しては言えなかったですからね。弱い私だと思います。
超えるとか超えないとか、そんなことを考えていること自体がびっくりですね。
だけど、そこで私が口に出して問うてゆけば、真意は違うところにあって、私の誤解だったかもしれないわけですから。
「御同行に上下もないでしょう」と、言ってあげればよかったと思っております。
この道は、あくまでも、ひとりで歩んでいるわけですが、たまにお会いしてお話すれば、やっぱり楽しい。それでいいんだと思いますね。
六字は一緒にいますから。
南无阿彌陀佛
|
|
|
|
[ 774 ] Re24:「女人往生聞書」の味わい方
|
2009/03/26 (Thu) 18:23
△up ▽down
|
|
毎日様へ
袖摺りあうも他生の縁。 今生では、他人でも、無始以来の永の年月、何時どの時に親だったかも知れぬものを。 魚さえ親のおもいにて 馬鹿な奴は、善知識の前に行者を連れて行く事が功徳だと思っている。 縁は、造っていくものです。 私は、阿弥陀仏に感謝しても感謝しきれない恩を感じているからしているだけです。 毎日様ってとってもプライドが高いんですね。 自分が、貶される事を極端に恐れる人は、相手に褒められる事をするものです。 褒められて生きてきた人は、貶されたり、叱られるとすぐへそ曲げる。 経釈論は、見るものではありませんよ。深く読むものです。 叱る人を嫌うのは悲しい事です。 人間界でも、自分を悪く言う人が本当に自分の事を思っている人だと言うでしょう。
善知識は、師ですよ。深くおもいをなし、大切にしなさいという言葉、お聖典の中に書かれていたと思いますけど・・・ 善知識は、親ですよ。
後、人間としても礼儀がないですね。 金剛心様が、菩提心様にお願いして、毎日様に書類をコピーして送ったそうですね? 別に、毎日様が、金剛心様を嫌っていてもそれに関しては、何も言いませんが、思いやりも配慮もない方だと判断させていただきます。 毎日様が、受け取りましたと、どんな形でも金剛心様に伝えるのが人間としての礼儀だと思います。 何の連絡もなされなければ、書類をコピーして、送料まで負担して送った菩提心様が、本当に送ったのか、金剛心様は分からないんですよ。 菩提心様が疑われてしまうんですよ。 そんな事も分からないんですか? そういう人間を畜生と言うんです。 私は、嫌われ者ですから、何思われても平気です。 この文章を読んだ毎日様の怒りなんて想像できます。
先ず第一歩は、無条件で相手を好きになること。 そして、どんなに悪い部分が見えても、相手の良いところを探し、好きで居続ける事。 人として基本です。 私は、毎日さんも大好きです。 みんな好きです。
猫がすり寄って来れば、猫の顔を見て、必ず人間に生まれて来いよと、猫の目を見て心の中で言います。 これがゆくゆくの仏縁に繋がり、お手引きの基本です。
私は、私の事を嫌いになる人ほど、好きになって行く偏屈な奴です。 あしからず
南無阿弥陀仏
|
|
|
●re.26
|
毎日 |
非公開の非公開 |
|
[ 775 ] Re25:「女人往生聞書」の味わい方
|
2009/03/26 (Thu) 17:16
△up ▽down
|
|
愚尼 様
たしかに、私はとてもプライドが高くて、傲慢なんだと思います。
そして、愚尼様には、私が、
>褒められて生きてきた人は、貶されたり、叱られるとすぐへそ曲げる。
このように見えるのですね?
日々、ほめられたり、文句を言われたり、けなされたりですね。
>叱る人を嫌うのは悲しい事です。 >人間界でも、自分を悪く言う人が本当に自分の事を思っている人だと言うでしょう。
私は、自分が叱る人を嫌っているとは、思っていませんよ。
「嫌う」というよりは、そういう人には「言いたいことがたくさんある」という感じでしょうか。
一体、どういうつもりでそういう言動をなすのか、知ってゆきたいと思います。
叱られたら、しおれて聞いていなければいけないのですか。
一体どういう意図でおっしゃっているのか、明確にしてゆくことによって、わかりあってゆけるのではないでしょうか。
それに、自分を悪く言うひとの中には、ただ性格が悪いだけの人もいると思います。
自分のことを本当に思ってくださっているなら、わざわざ悪く言うこともないんじゃないかと思いますが・・・
「自分のことを思ってくれているかどうか」の判断基準が、「自分を悪くいうかどうか」というのは、おかしいと思います。
仏様の教えは、不悪口ですしね。
愚尼様の考え方ですと、自信を持って悪口為すことになると思います。
そして、愚尼様は、悪口を言いながら、自分は相手のことを「本当に思ってあげている」と思っていることにはなりませんか?
悪口言うよりも、優しく教えてあげればいいだけだと思います。
南无阿彌陀佛
|
|
|
●re.27
|
毎日 |
非公開の非公開 |
|
[ 776 ] Re26:「女人往生聞書」の味わい方
|
2009/03/26 (Thu) 17:41
△up ▽down
|
|
愚尼 様
叱る側も、叱られる側も、思うことをことばにしてゆくことだと思います。
怒って叱っているひとも、叱られて悲しみを出しているひとも、どちらも良くない感情を出していることになると思います。
もし、叱るなら、ほがらかに叱り、もし、叱られるなら、ほがらかに叱られるのが良いことなのではないでしょうか。
そして、そうなったとき、それはいわゆる「叱る」というかたちにはなっていないのだと思います。
それに、叱られたからって、言いたいことを我慢することないと思いますよ。
どんどん根拠を問うて、納得したら、自らの行いを直せば良いですし、叱っている方が誤解しているかもしれませんし、叱っている方が、間違った考え方をしている可能性もあるわけです。
「間違いを指摘しているのに・・・」とおっしゃっていた方がいらっしゃいましたが、そう言う自分が間違えている可能性はないのでしょうか。
とにかく、思っていることをことばに出してゆくことです。
そして、そのときの基準が、
不妄語であり、不悪口であり、不両舌であり、不綺語なのではないでしょうか。
掲示板の場合は、みなが見ることできるので、不両舌を押さえる効果もあると思います。
ただ、仲違いをさせてはいけませんので、みなが仲良くなるように、工夫してことばを用いねばなりません。
これは、私も今後こころがけてゆかねばならぬことだと思っております。
いずれにしても、「自分を悪く言う人が本当に自分の事を思っている人」ということには私は反対の立場で、「悪口言うのは、性格が悪い人」というのが、基本的な立場でございます。
南无阿彌陀佛
|
|
|
●re.28
|
毎日 |
非公開の非公開 |
|
[ 777 ] Re27:「女人往生聞書」の味わい方
|
2009/03/26 (Thu) 17:54
△up ▽down
|
|
愚尼 様
そして、「自分を悪く言う人が本当に自分の事を思っている人」のようなことを言う人は、悪口を言いたいひとで、自分が悪口を言うのを、正当化したいのではないでしょうか。
あるいは、悪口言う自分が非難されないように、防衛線を張っているとか、そんな程度のことが多いような気がします。
ですから、おそらくご自分の都合で悪口言っているだけだと思いますので、あまり気にすることないんじゃないかと思います。
もちろん、その内容は検討しなければなりませんが、それは内容の問題であって、悪口自体に積極的な意味があるとは思わないのです。
つまり、何が欠点で、何が短所で、どこに問題があって・・・ということを伝えてゆくことと、「悪く言う」ことは、あまり関係がないということです。
たとえば、愚尼様は、全然人の話を聞いていないと思うんですよ。
ですけれども、愚尼様の言動を見ると、そうやって他人を注意しているのが常ですから、自分のことは見えていないですよね。
そしてそうやって生きてゆけば、孤独になってゆくと思います。
つまり、「袖摺りあうも他生の縁」とは書いていますが、逆のことをやっていると思います。
「言うこととやることが逆」これもよくあることで、怒っているひとも、「怒ってないよ!」って言ったりします。
だから、発言を聞いているだけでも真意はわからなくて、やっぱり話していったり、ふだんの行動や、その結果をよく見ることだと思います。
でも、別に悪くはないと思います。だって、みんな凡夫なんですから。
短所があるのは仕方がない。私だって、間違いなく短所のかたまりです。
だから、できる範囲で、向上してゆこうとすることだと思います。
南无阿彌陀佛
|
|
|
|
|
|
|
[ 779 ] Re28:「女人往生聞書」の味わい方
|
2009/03/26 (Thu) 19:37
△up ▽down
|
|
愚尼様
>金剛心様が、菩提心様にお願いして、毎日様に書類をコピーして送ったそうですね?
ここは違います。
泥凡夫様に送ったのです。
こういう掲示板ですから、誤解もあるかも知れませんが、そういう細かな行き違いもありました。
私は、金剛心様に内緒で、泥凡夫様に勝手に送っていません。
お互いに、金剛心様には泥凡夫様に送ってもいいですか?
泥凡夫様には、金剛心様の意向を伝えて送りました。
多分、それ以前に、金剛心様と毎日様とのやりとりがあったかは知りません。
ただ、私は、御存知のように、自信教人信様や、みちくさ様や、泥凡夫様や、毎日様の一人でも欠けていたら、この道に辿り着けなかったと思います。
ただ、そのように尊敬している人や感謝している私に、やはりお二人の批判の御言葉を金剛心様からは聞きたくないと思いました。
金剛心様のお手紙の中に、
「大経を本書と言い、六要鈔を末書と言われている。それ程浄土真宗を知る上では最も大事な書物とされているのです」
と書かれていたのです。
でも、それ程大事な御著書なら、まず金剛心様がお勧めの法蔵館の真宗聖典に載ってもいても当然だと思うのですが、載っていないですね。
だから、金剛心様の断定的なもの言い、考え方は、多分お釈迦様の中道の教えからは外れると思います。
まあ、愚尼様も性格が強そうですから、金剛心様には負けないでしょうが、私はやっぱり疲れてしまいますね。
疲れる人とは、お付き合いはなるべくしないようにと思います。
私は仕事柄、色々な人と接して来ましたが、よくあの人は性格は好いんだけど、何しろ口は悪いね。という人は信用しないようにしています。
口先がいい人で、性格が悪い人はごまんといますから、性格が良くて口でも優しくいう人を探したいと思います。
でも、不思議に波長が合うという言葉は当たっていると思います。
今は波長の合う人の中で生活させて頂いています。
これも色々な人と接してきて、自分がされて嫌なことは人にはしないでおこうと思ってきたからかも知れません。 それでも誤解されるんですが。
又、おかげ様で子供の頃から、母から誰にでも挨拶する事は、厳しく言われて育ってきたのでそれには感謝しています。
そのせいか、知らない人とも案外仲良くなれます。
一つ思い出話ですが、学校の用務員さんと仲良くなり、私のクラスだけコークスを沢山もらいました。後で、聞いたらみんなから嫌われていたのですが、毎日挨拶するようになり、そのうちに用務員室で、全日制の人が帰るまで待たせて貰いました。
そういう性格だったから、金剛心様や愚老様のような年配のお方から、毎日様や愚尼様のようなお方とも、お話できたのかも知れません。
南无阿彌陀佛
|
|
|
|
[ 780 ] Re29:「女人往生聞書」の味わい方
|
2009/03/26 (Thu) 20:10
△up ▽down
|
|
愚尼様
愚尼様がご自分の事を愚かな女って書きこむ度に、やっぱり「嘘」言っているなと思います。
愚尼様が真実信心頂いているなら、尚更、嘘つきだと思います。
愚かな女は、救われると嬉しくなるものです。
もう三悪道に行かないだけでも、喜びになります。
愚尼様はご自分の事を
「真実信心頂いた特別の人」と自惚れていると思います。
自惚れているから毎日様に食ってかかるのです。
本当に苦しい思いで、人生歩んできた人は、表に現さないと思います。
じっと、それこそ地獄の果てまで、秘密として持っていくと思います。
だから、救われた事が有難くなるのです。
ずっと、人間の悪性を内心に秘めながらも、阿弥陀様はそれも御承知で救って下さったので、私は、嬉しくなるのです。
阿弥陀様は、相手を選ばない。
もう、お前の悪いところは承知しているから、遠慮しないで側においで。
私は、絶対裏切らない阿弥陀様の御側で甘えているような思いをしています。
裏切られてきた時もあったので、裏切らない阿弥陀様に抱かれているように思います。
会社に行く時の40分間は、私と阿弥陀様の会話の時間でもあります。
心の中で、阿弥陀様を思い浮かべると、どんなに曇っている日でも、ボワーと太陽が現れてきます。
そんな時、あ〜見守って下さっているんだな
その思いは何とも言えない心から安心、満足できる時間です。
南无阿彌陀佛
|
|
|
●re.32
|
毎日 |
非公開の非公開 |
|
[ 781 ] Re30:「女人往生聞書」の味わい方
|
2009/03/26 (Thu) 21:00
△up ▽down
|
|
愚尼 様
金剛心様については、教義面での考え方にいろいろと違いがあるとは思いますが、面識もございませんし、嫌っているような実感は、私としては、あまりないです。
どちらかと言うと、「たくさんお話したいことがあるなあ」という感じで、御書き込みをご拝読しておりますと、とても勉強になりますので、お返事くださいますことに、感謝しております。
立場の違う方のお話だから勉強にならない、ということはないと思います。
そして、同じ部分もないわけではありませんし、弥陀を尊ぶ部分については、共通しているのですから。
御礼についてですが、金剛心様からのお便り、書面にていただきましたが、メールにて御礼申し上げました。
そのメールにはお返事ございませんので、もしかしたら、金剛心様のもとに届いていないのかもしれません。
あるいは、書面に対して書面ではなく、メールで御礼申し上げたのが、礼儀にかなっていないということでしょうか。
確かに、私はあまり礼儀がきちんとしていない人間だと思います。つい非効率だと感じることが多いからだと思います。
私と致しましては、受け取りの確認も大切かもしれませんが、きちんと内容を読みまして、教義の面から正面からお答えしてゆくことが、礼にかなうという考えです。
意見の違うところを洗い出してやり取りしてゆくところに、互いの角が取れて丸くなることもあるのではないかと思います。
私の場合は、金剛心様からいただいた内容を自分なりに検討してゆくのにも、かなりの時間がかかります。
今のところ、私はあまり自分の立場が変わったと感じていませんが、それはまだまだ、やり取りが不足しているからだと思います。
教義は大切なのですから、10年かかっても、20年かかっても、少しずつでも、進めてゆけば良いと思い、あまりあせっておりません。
しかし、この点について、金剛心様から私にはご連絡ございませんので、金剛心様のお気持ちを、愚尼様の御書き込みから推測することは、避けたいと思います。
愚尼様が、私のことを畜生であって、思いやりも配慮もないとご判断くださいましたことにつきましては、承りました。
改善できるよう、日々努めて参りたいと思います。
そして、愚尼様は、「自身の考えを表明する人」を見ると、相手のことを嫌っていると判断するみたいですね。
考えを表現するからと言って、嫌っているとは限らないと思いますよ。
南无阿彌陀佛
|
|
|
●re.33
|
毎日 |
非公開の非公開 |
|
|
|
|
[ 783 ] Re32:「女人往生聞書」の味わい方
|
2009/03/27 (Fri) 21:44
△up ▽down
|
|
菩提心様 毎日様
極道坊主で有ります。
「煩悩即菩提」良く耳にする有り難い佛語で有ります。
煩悩成就の此の身が、それらを断ずる事無くして救われるのですよね?
親様の願い、真にありがたく、勿体無く思います。
しかし、やもすれば此の言葉、投げやりの遣りっ放しの開き直りの言葉に使われてしまう様な気がします。 自分も「煩悩が菩提心の種なんだから。」と煩悩より起こるさまざまな事柄を肯定し続けて生活してきました。 誤解が有りました。 知りませんでした。
でも、「煩悩」は何処まで行っても「煩悩」であって「菩提」では有りません。
「煩悩」と「菩提」を繋ぐ「即」という字は(=)等号では決して無い。
「煩悩」≠「菩提」なのだと感じさせられました。
「即」の字は、すぐに、とか、そのままとか言う意味だと書いて有りました。
直訳すれば、煩悩そのまま菩提という事になりますが、自分はそうではないと思います。(そんなの言葉の受け取りようじゃん。といわれれば反論致しかねます。)
それは、親様の願いが私に届いて下さって初めて「即」の字が生きてくるのだと思っています。 其れは、此の教えに縁を結んで貰った時からジワジワと感じられました。 「信心の関門と言われるものを越させて貰った。」という実感を知らされた時からはハッキリと感じられます。
「煩悩」は「煩悩」。 自分自身ではどうする事も出来ません。
佛様の願いが届いて下さって苦の因の「煩悩」が“すみやかに”喜びの因の「菩提」に変えて貰えるのだと思っています。 また、縁となり新たな「菩提」を生じてくれるものと思います。(自分独自の解釈かもしれませんが。)
縁に至れば押せる事の出来なくなる「煩悩」。 沸々と腹の底で煮え立っている「煩悩」。 自身の力でどうにか出来れば既に悩まんで済んだので有ります。
それらを目当ての佛様の願いです。 其の願いが今此処に届いて下さっております。 私の方は懈怠で常に忘れるものしか持ち合わせて居りませんが、佛様は付かず離れず自分の行く所に居られます。
全ては御名號の一人ばたらきです。 やはり此方からの要らん世話は無用だと思います。
考え違いの点あるようでしたら御指摘下さい。
合掌
|
|
|
|
[ 784 ] Re32:「女人往生聞書」の味わい方
|
2009/03/27 (Fri) 21:54
△up ▽down
|
|
皆様へ
強い意志を持って臨まなければ、この法は、護れません。 お聖典は、未安心の者が見ても、法を謗る事の無い事を願って、公表できるものを載せています。 お聖典に載せたくとも、載せられないものがあります。 全てを公表すべきだと言うのなら、一念帰命も公表したらいかがですか? お聖典は、未安心の者へのお手引きともなり、また信心いただいた者への教科書でもあります。
この穢土に住んでいて、この世を疎ましく思い、女人は、この身を疎ましく思えなれば、信後の話は、聞けません。
この世は、五濁にまみれた穢い世界だと知ることです。
私は、自惚れも強いですから、高慢ちきの強情っ張りです。
怒りっぽい、人を貶す事が大好きですから。
本当に、腐りますよ。 他人事でお聖典を読んだら間違えます。 自分に書かれていると思えれば、どんな言葉文字文か何様だか、十分分かると思います。 信心いただいて間もない人は、自分でも理解出来ると、勝手な思い込みで解釈してしまうものです。
金剛信さまが仰っていましたが、毎日様へは、何度か直接送ったそうです。 会って話しをすれば、分かってもらえると言ってました。
色々な方と言いながら、自分の意見に合わなければ、つまらない揚げ足を取り、考えの違う人が去って行きました。
私は、ジャンヌの凡々さんが毎日様に思えてなりません。 弥陀に刃向かっているのは、果たしてどちらなのでしょうね?
泥凡夫様の鼻は、ピノキオだとご自分を言っていましたが、ピノキオの鼻は、嘘をつくと伸びるんですよ。 私の鼻は、天狗なもんで、煽られれば煽られるほど天に向かって伸びます。 伸び過ぎて、極楽を通り越してしまいましたよ。私の鼻の先端は、どこにあるのかしら?
くわばらくわばら
合掌 南無阿弥陀仏
|
|
|
●re.36
|
毎日 |
非公開の非公開 |
|
[ 785 ] Re33:「女人往生聞書」の味わい方
|
2009/03/27 (Fri) 22:40
△up ▽down
|
|
愚尼 様
お聖典に公表できる内容が載せてあり、愚尼様も公表できる内容を述べているのであれば、両者は、似たものになるはずなのではないかと思います。
そして、金剛心様のおっしゃることを、愚尼様を通して理解しようとは思いません。第三者を通して理解しようとするのは、間違いのもとだと思うからです。
つまらない揚げ足かどうかは主観の問題なので、そのように解釈されるのであれば、それはその方の自由だと思います。
一方、私は「つまらない揚げ足」とは考えていないのですから、「何を大切と考えるか」ということについての意見の違いだろうと思います。
ですから、もし「つまらない揚げ足」と考える方がいらっしゃるなら、なぜ私がそれを大切と考えるのか問うことができると思います。
愚尼様は、「去る人がいる」と言い、それを問題視しているようですが、私はそれを問題視していません。
なぜなら、私は考えの違う人を説得することを重視していないからです。
それに、仏教だけでも、たくさんの法門があります。その方のご縁の道を行くのが良いことだと考えています。
そもそも、私のもとを去るひとがいることを、愚尼様がご心配することもないので、愚尼様は、ご自身のもとを去るひとがいることを、ご心配なさったら良いのではないでしょうか。
大切なのは、自らが歩んでゆくことだと私は思います。
そのすがたに共感するひととは話が合うでしょうし、そうでないひととは、話が合わないだけのことです。
そして、愚尼様は私と意見が違うということだと思います。私の考え方に、受け入れがたいものがあるのでしょう。
そして、話が合う人とも、すべての意見が一致することは、ないはずだろうと思います。
それでも、相性が良ければ、意見が一致しなくても、良い関係は続けることができます。
私は、いろいろな意見を歓迎します。そして、意見が違うところについては、話し合いたいと思います。
話すのが面倒なひとは、離れてゆくでしょうが、その人に対して、「私と話し合ってゆかねばならない」と主張することに正当性があるとは考えないのです。
あくまでも、基本は、一人のしのぎにあると思います。
愚尼様も、「話を聞き入れてもらえない」と思うのであれば、去ればいいだけのことです。
ご自身の納得するところで、お話を聞いてゆけば良いのだと思います。
ひきとめる必要も感じませんし、そして、また書き込みたい気分になって、そのときまで、この掲示板が継続していれば、書き込んでいただけたらうれしく思います。
南无阿彌陀佛
|
|
|
●re.37
|
毎日 |
非公開の非公開 |
|
[ 786 ] Re34:「女人往生聞書」の味わい方
|
2009/03/28 (Sat) 00:12
△up ▽down
|
|
極道坊主 様
「煩悩即菩提」確かに、(良くない意味での)開き直りにも使われると思います。
しかし、信心獲ておれば、いずれは、信心の不思議なはたらきによって、「あ、これはそういう意味ではない!」と気づくと思います。これは、煩悩即菩提のはたらきであると思います。
そして、二種深信によりまして、煩悩を感じたときに、「こんな醜い私が救われたんだ」とよろこびの気持ちが出てまいるようにもなるのです。これも煩悩即菩提のはたらきであると思います。
そして、よろこびにとどまらず、かたじけなさ、感謝の気持ちも出て参ります。これも、煩悩即菩提のはたらきであると思います。
感謝が高まって参りますと、まわりから見ても、変化がわかるようになって参ります。これも、見るからに煩悩が強かった者が変わったからこそ、まわりにもよくわかるのです。これも、煩悩即菩提のはたらきであると思います。
変化を見たまわりのひとが不思議に思い、念仏行者に問うでありましょう。問う気になったのは、その者も、自身の煩悩のはたらきに悩まされているからでございます。これも、煩悩即菩提のはたらきであると思います。
このように、これは極一部でございますが、六字を内に持つ者は、菩提の染み込んだ煩悩を持つように、知らず知らず、変えられているのだと思うのです。
南无阿彌陀佛
|
|
|
|
[ 787 ] Re35:「女人往生聞書」の味わい方
|
2009/03/28 (Sat) 04:43
△up ▽down
|
|
愚尼様
>私は、ジャンヌの凡々さんが毎日様に思えてなりません。
困ったものですね。
どうして貴女は勝手な思い込みを平気でそのように書き続けるのでしょう。
全く、ジャンヌ掲示板の最後の流れと変わらないと思います。
だから、私は危惧するのです。
貴女が書けば書くほど、きっと金剛心様や忍草様のイメージがおかしくなると思います。
貴女は全然一貫性がないのです。
この掲示板の過去ログでも、一時貴女は泥凡夫様に丁寧に応対していますが、
>泥凡夫様の鼻は、ピノキオだとご自分を言っていましたが、ピノキオの鼻は、嘘をつくと伸びるんですよ。
のような書き込みをされています。
ジャンヌ掲示板においては、御同行の方ですねって泥凡夫様を褒めちぎった後に、少し違うと分かったら、批判する。
それを読んできた貴女を含めて、真実信心を見極めたいと思いました。
お陰様で、見極める事が出来ました。
貴女が気になっているのはみちくさ様の事ではないのですか?
きっといつかは貴女の思いが通じることも有るでしょう。
でも、これって私達がお手引きするって考えるのは傲慢だと思います。
あくまで阿弥陀様とみちくさ様の御縁でしょうから。
まあ、あまり一人勝手な思い込みの書き込みだけは御遠慮願いたいものですね。
南无阿彌陀佛
|
|
|
|
[ 788 ] Re36:「女人往生聞書」の味わい方
|
2009/03/28 (Sat) 08:58
△up ▽down
|
|
毎日様へ
やはり、礼だけは尽くして頂きたいと思います。 金剛心様に事実確認しました。 行き違いと私の勘違いをこの場を持ってお詫びいたします。 大変失礼いたしました。 金剛心様に確認したところ、最初に書類を送った時にメールを頂いたと聞きました。 内容は、受け取りました。有り難う御座います。という返事だったと言っていました。 その後、何通か書類を送ったけれど返事はなかったと言っていました。
菩提心様へ
私自身がお手引きしたからって私の徳になるなんて考えていませんよ。 私は、もう地獄に堕ちないのだから、どうでもいいんです。 一人でも多くの者と縁を持ち、一緒に極楽に往きたいと思うだけです。 私は、阿弥陀仏から莫大な功徳をいただいている訳だから、これ以上は望みません。 ただ、一人でも多くの者に、弥陀の功徳をいただいて欲しいだけです。
私も完璧な人格者じゃありません。自分では気が付かない、人に不快に思われる行動があります。
皆様へ
黙っていたら、相手には何も通じません。 先ず、自分を曝け出す事が、相手に自分を受け入れて貰うための第一歩だと思っています。
また後で書き込みます。
合掌 南無阿弥陀仏
|
|
|
|
[ 789 ] Re37:「女人往生聞書」の味わい方
|
2009/03/28 (Sat) 11:03
△up ▽down
|
|
愚尼様
>私も完璧な人格者じゃありません。自分では気が付かない、人に不快に思われる行動があります。
>先ず、自分を曝け出す事が、相手に自分を受け入れて貰うための第一歩だと思っています。
そうですよね。すごく不快ですね。
でも、ここでこれ以上曝け出す意味あるんでしょうか?
毎日様からも
>愚尼様も、「話を聞き入れてもらえない」と思うのであれば、去ればいいだけのことです。 >ご自身の納得するところで、お話を聞いてゆけば良いのだと思います。
って言われていますが、
本音は構って貰いたいのかしら。
私はここで有縁の人と仏法讃嘆していきたいなと思っているんですけれど。
何だか、貴女が書き続けると、彼女が今楽しんでいる本がかわいそうです。
だって、その本を出しているところは、富山の○○講ですからね。
南无阿彌陀佛
|
|
|
●re.41
|
毎日 |
非公開の非公開 |
|
|
|
|
[ 791 ] Re39:「女人往生聞書」の味わい方
|
2009/03/28 (Sat) 16:19
△up ▽down
|
|
人を見て、法を見ず。
毎日様の道は、近そうで羨ましい。
菩提心様へ
ご意見有り難う御座います。 私がとても邪魔なようなので、私は、このホームページにも未練がありませんので、これで失礼させて頂きます。
金剛心様とのご縁頂き感謝いたします。
皆様へ
今まで、こんなどうしようもない私にお付き合い下さいまして、有り難う御座いました。
私は、死んだらどこへ行くのでしょうね?
それでは、さようなら
合掌 南無阿弥陀仏
|
|
|
|
[ 792 ] Re40:「女人往生聞書」の味わい方
|
2009/03/28 (Sat) 21:57
△up ▽down
|
|
愚尼様
>私がとても邪魔なようなので、私は、このホームページにも未練がありませんので、これで失礼させて頂きます。
人の所為にするのはよくないと思います。
でも、毎日様はお優しい方だから、そんな貴女を待っているでしょうね。
お元気で。
一日も早く心身共に御快復されますように。
追伸
若し、戻ってくる時には、激情な貴女はまっぴら御免ですから。
南无阿彌陀佛
|
|
|
|
[ 793 ] Re41:「女人往生聞書」の味わい方
|
2009/03/28 (Sat) 22:55
△up ▽down
|
|
愚尼様
御無沙汰しております。極道坊主であります。
失礼を承知の上で書き込みさせて下さいね。
今一度、ゆっくりと一人ででもお風呂にでも入られまして、天井を仰ぎながら深呼吸でもされて下さい。「何を小癪な。」とお思いになるかもしれませんが、今一度試して下さいませ、御念佛と共に。
天井を仰いでおりますと、色々な事が思い浮かばれます。
そして、この教えに御縁を結ばれた当初の事を、その時の気持ちを回想されてみては如何でしょうか?
また、今迄とは一味も二味も違った味わいがある事と思います。
人間は、言葉足らずの舌足らず。 愚尼様の懸命なお心とは違った方向に向いて行っているようにも感じます。
言葉に表す事の難しさを心得る者は、必ず佛の本意を汲む事でしょう。
其の為にも、今一度ゆったりとお風呂にでも入られまして、心身ともに暖めて戴けませんか?
要らぬお世話かもしれませんが、どうかよろしく。
教義とも、味わいとも関係の無い書き込みで申し訳有りません。
合掌
|
|
|
●re.45
|
毎日 |
非公開の非公開 |
|
[ 794 ] Re42:「女人往生聞書」の味わい方
|
2009/03/29 (Sun) 00:50
△up ▽down
|
|
極道坊主 様
「など」とございますし、どうかお気になさらないでください。
気楽なおしゃべりの場としてお考えいただけたらと思います。
「真宗関連」というのは、かなり広い意味で考えております。
やさしいことばかけは、弥陀の御心に通じるものがあると思います。
一方、私のことばは、とげとげとしており、誠に申し訳ないと思っております。
おそらく、私の中にある不安や恐れが、ことばにトゲとなって出てしまっているのであると思います。
なんと恐がりの自分なんだろうと思うのです。
このような恥ずかしいすがたを見せてばかりですのに、また御書き込みくださり、感謝しております。
南无阿彌陀佛
|
|