讃嘆・味わいなど

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●No.26
ボン
関東の男性
[ 698 ] 修行者と羅刹 2009/02/21 (Sat) 01:46 △up ▽down
ボンです、こんばんは。
少し書き込みが途絶えているようですので、また、昔話をお許しください。

かつて同行様との会合の場で、智識様から「修行者と羅刹」の説話をよく聞かされました。
それは、お釈迦様が前世に、雪山童子としてヒマラヤで修行してしていたときのお話です。
(これ、もとはといえば、涅槃経のなかの一節らしいのですが・・・)

そのお話が、戦時中に小学校の国語の教科書として使われていたというのですから、
驚きですし、うれしい話ですね。(今のご時勢では考えられないですから・・・)

今となっては、うろ覚えで曖昧な部分もあるので、ネットで検索してみました。
で、ありました。さすがは、ネット社会です。(下記URL参照)

http://www.geocities.jp/yasuko8787/rasetu.htm

あらためて読み返してみて、やはり、名文ですね。
知識様も、この文章がお気に入りで、因縁を計る際に、いつも利用していました。

このお話のキモは、何といっても、修行者が仏のみことばの下の句を聞きたいがために、
羅刹の餌食になろうと、わが身を投げ出したということでしょう。そして、
身を捨てたからこそ、真実の言葉を獲得することができたというわけですね。

しかも、修行者が自らの修行の結果、仏のみことば(真実)を悟ったのではなく、
結局のとこと、羅刹に聞くことでしかそれにたどり着くことができなかった、
というところが、他力を暗示していて面白いですね。

聞くところでは、この御一流においては、「わが身を投げ出す思い」「自我を捨てる」
「人に聞く」「他者に身をゆだねる」などが、キーワードとなるとうかがいました。

そして、「修行者と羅刹」の逸話こそ、まさに当流の姿を現していると感じるのは
私だけでしょうか。

南无阿彌陀佛

●re.1
ボン
関東の男性
[ 699 ] Re1:修行者と羅刹 2009/11/14 (Sat) 13:47 △up ▽down
引き続きボンです、こんばんは。
自己レスにて失礼します。

その昔、「修行者と羅刹」の話にまつわって、ある同行様が、こういいました。
「世間でも『身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ』とよくいうでしょ」と・・・。

「うーん、なるほど、なるほど。さすが仏法の話になると、世間一般にも通じる
ところがあるのだな」と、そのときはそう思いました。

しかし、最近、調べて分かったんですが、これも仏法者の歌の一節だったんですね。
「山川の 末に流るる 橡殻も 身を捨ててこそ 浮かぶ瀬もあれ」

なんのことはない、すべて仏法にまつわるお話だったとは・・・。
「浮かぶ瀬」とは、「真実信心に当たるチャンス」を指すのでしょうね。

しかも、この歌の作者の空也上人というのは、法然上人よりも200年ほど前の人で、
民間における浄土教の先駆者と評価される方なのだそうです。
(皆さん、知ってました? 私は知りませんでした)

この空也上人の像がたくさん残されているのですが、なんと驚いたことに、
その像のすべてが、六体の阿彌陀佛を口から吐き出している姿をしているのです。
下の写真のような感じで、念仏を唱えるさまを視覚的に表現しているとのこと。

http://blog.shinise.ne.jp/staff/images/roku02.jpg

それにしても、「阿彌陀佛が六体」というところがすごいですね。
つまり、それは「南无阿彌陀佛の六字の名号」というわけでしょう?

南无阿彌陀佛を勧める仏法者が「身を捨ててこそ」という歌を残した・・・。
「修行者と羅刹」の話でも、前世の釈尊が、身を捨てて真実の言葉を聴いた・・・。
我々も、身を捨てる思いをなして、この御一流をいただいたのではなかったか・・・。

どうしてこのように、何もかもが符合してくるのだろう、と勝手に喜んでいる次第です。

南无阿彌陀佛

●re.2
毎日
url 非公開の非公開

↑毎日宛にメール
[ 700 ] Re2:修行者と羅刹 2009/02/23 (Mon) 02:23 △up ▽down
ボン 様

書き込みありがとうございます。

なかなかお返事申し上げず、申し訳ございません。

>どうしてこのように、何もかもが符合してくるのだろう

良いことばですね。うれしくなります。

すべて誤解かもしれないのですが、それでも、うれしくなるのだからいいのではないか、このうれしさがうれしい、と思います。

私は、苦しい時代がありましたので、こうしてよろこべるということだけでも、阿弥陀様に感謝しております。

空也上人の像は、写真でしかご拝見したことがないのですが、とても印象に残っておりました。

なぜ気になったのかを考えれば、私には、六字に縁があったのであり、弥陀のお育てのおかげがあったのだと思っております。

一文字一文字が、無限とも言ってよいほどの功徳がこめられ、仕上げられたものであり、その六字をいただけましたこと、誠にうれしいことです。

南无阿彌陀佛

●re.3
ボン
関東の男性
[ 1026 ] Re3:修行者と羅刹 2009/11/14 (Sat) 18:31 △up ▽down
皆さま、こんにちは

毎度、古いスレッドを引っ張り出してきて、申し訳ありません。

ここのところ、教行信証や六要鈔などにかじりついているせいで、
少し頭がゴリゴリになっているのではと思い、古いスレッドを読み返してみました。

そして、「修行者と羅刹」のお話を思い起こし、感慨を新たにいたしました。
お釈迦様の前世にあたる、あの雪山童子ですら、自ら悟ることができず、
羅刹の前に身を投げ出して、仏の言葉を聞こうとしたのだ・・・。

そしてまた、昔聞いたさまざまな言葉を思い出しました。
「仏法は知りそうもなき者ぞ知る」
「大水に飲み水なし、大火事に煙草の火が取れない」
「たとえ牛盗人といわれようとも、云々・・・」
など、など・・・

教行信証を読むと、「無数の法門がある」というようなことが書かれています。
しかし、末代の濁った世の中に住むわれわれ凡夫は、どうあがいたって
自力で悟り仏になることなど、しょせん無理な話でしょう。

仏法の書物をまともに読んではいけないのだと、つくづく思います。
そこには、とてもわれわれ凡夫にはまねのできないことが書かれている。
われわれに唯一できることは、物を知っている人に、頭を下げて聞くことだけです。
他力って、そういうことですよね。

御文に「他力の信心をもつて凡夫の往生を先とせられたる」とあります。
これは、他力の信心と往生が、すべてに優先するということでしょう。
仏教書を勉強して、その説のとおり修行して、往生につなげるなどということは
そもそも発想が逆転しているし、それこそ人知を超えたわざなのだと思えます。

人に聞くことは簡単なことなのだけど、自意識やプライドの高い人は、
その自意識やプライドがじゃまをして、人に聞くことができず、仏教書にかじりつき、
結果として、凡夫の唯一可能な法門から遠ざかるという、ごく単純で自明な理屈を
「往き易くして人なし」「難信の法」などと言うのでしょう。

よく「赤ちゃんでも聞ける」といいますが、「赤ちゃんだから聞ける」といった
ほうがいいかもしれません。たぶん、これは「悪人だから聞ける」に通じる
話だと思います。

思えば、私のような頭でっかちな人間が、どうしてこの純他力の法門にぶち当たる
ことができたのだろうと不思議な気がいたします。これを奇跡といわずに何を奇跡と
いうのだろうと・・・。遠く宿縁を喜ぶばかりです。

南无阿彌陀佛

●re.4
菩提心
非公開の非公開
[ 1027 ] Re4:修行者と羅刹 2009/11/14 (Sat) 18:30 △up ▽down
ボン様

こんばんは

>ここのところ、教行信証や六要鈔などにかじりついているせいで、
>少し頭がゴリゴリになっているのではと思い、古いスレッドを読み返してみました。

いつもお一人、根気よく書かれていて感心しています。

途中、コメント入れて流れを変えてもどうかと思い、ボン様が書いてあると、わたしも書こうかなと思って書いています。

わたしはこのようなボン様のお話も大好きです。

ゴリゴリの頭、ほぐして下さって、また色々善知識様との思い出のお話お聞きしたいと思います。

今、ちょっと休憩時間が出来たので、眺めて嬉しくなり書き込みしました。

>遠く宿縁を喜ぶばかりです。

わたしの何処に宿縁があったのか、とても不思議です。

いつも思っています。

お会いしたこともない方々と、このように仏法のお話が出来ること、
阿弥陀様に感謝です。

南无阿彌陀佛

●re.5
ボン
関東の男性
[ 1029 ] Re5:修行者と羅刹 2009/11/15 (Sun) 23:46 △up ▽down
菩提心さま、こんばんは。

>いつもお一人、根気よく書かれていて感心しています。
>途中、コメント入れて流れを変えてもどうかと思い、ボン様が書いてあると、
>わたしも書こうかなと思って書いています。

どうぞお気になさらずに、なんなりとコメントをしていただければと思います。
自分の楽しみでやっていることとは言え、適当にチャチャを入れていただいたほうが、
張り合いもでてきますので・・・。

この掲示板も、いろいろとにぎやかなほうが楽しいですし・・・。

どうぞよろしくお願いします。

南无阿彌陀佛

●re.6
菩提心
非公開の非公開
[ 1030 ] Re6:修行者と羅刹 2009/11/16 (Mon) 07:26 △up ▽down
ボン様

>この掲示板も、いろいろとにぎやかなほうが楽しいですし・・・。

やっぱりにぎやかなほうが楽しいですよね。

いま、集中して読んでいる時間ないですけれど、このように過去スレッドも読み返しできるのは有難いですね。

また新しい発見しているようで、とっても楽しいです。

何しろ「抜苦与楽」。

信心決定した後は、色々な波が押し寄せてきても、南无阿彌陀佛の六字に護られていますから、やはり大船に乗っている心地がするのでしょう。

煩悩はそのままで救われる世界。

本当に生きていて良かった!!。

有難うございました。

南无阿彌陀佛

●re.7
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 1174 ] Re7:修行者と羅刹 2011/06/22 (Wed) 02:02 △up ▽down
皆さま、こんばんは。

またまた古いスレッドを引っ張り出すことをお許しください。
「修行者と羅刹」のお話は、他力の法をいただく姿をなぞらえたとしか考えられないと、
最近またつくづく思います。

しかも、このお話が比較的古い部類の「涅槃経」というお経のなかの逸話であるという
ことを考えると、私たちのいただいたものが、脈々と受け継がれてきたものであると、
確信せざるをえません。

修行者は、長い間の難行苦行に疲れきったときに、仏の言葉らしきものを口にする羅刹と
出会うわけです。こんなに疲労困憊するまで修行しても、探し求めても悟りを開くことが
できないのなら、そこにいる羅刹に聞いてみようと思ったとしても不思議はありません。

しかし、その羅刹も、空っとぼけて、おいそれとは下の句を教えてはくれません。それど
ころか、「おまえの血肉を食わせてくれたら教えてやってっもいい」などと、無理難題を
ふっかけてくる始末です。

実は、この羅刹は、最後には帝釈天の姿に変化するわけですが、いずれにしても仏の化身
だったのに違いありません。まず始めに恐ろしい羅刹の姿で修行者に対峙したのも、自分
の餌になれと無理難題をふっかけてきたのも、おそらく、因縁をはかっていたのでしょう。

修行者が羅刹の脅しにもひるまず、羅刹の口をめがけて敢然と飛び込もうとしたときに、
羅刹は帝釈天の姿に変化して、修行者をうやうやしく受け止めたのです。それこそ、「身
をすててこそ浮かぶ瀬もあれ」ということです。

つまり、何もかもかなぐり捨てて、一心に、無心に、飛び込む勇気があるのかどうかとい
うことなのですが、これがなかなかできないのでしょう。これは、ある意味でとても簡単
なのですが、ある意味では難しいことだと思います。

宙を飛ぶのは人間業ではありませんが、身を投げる動作くらいは、難しい技術を習得しな
くてもだれでもできますから、そういう意味ではとても簡単なことです。しかし、いっさ
いをかなぐり捨てて、相手に身を委ねるというのは、これまで積み重ねてきた修行や、こ
れまで生きてきた人生にたいするプライドや未練というものが邪魔をして、なかなかでき
るものではありません。そういう意味では、難しいともいえます。

しかし、鬼の形相をした羅刹の口に飛び込むのは、並大抵のことではありませんが、阿弥陀様
の胸に飛び込むのは、もう少し易しいような気がするのですが、どうなんでしょう。

仏に対して「白紙委任状」が出せるかどうか。これは、やはり、結果論ではありますが、
因縁のなせるわざなのでしょう。もし、「仮に身を捨ててでも、この稀有の法を聞こう」
という思いに至ったのなら、「遠く宿縁を喜べ」ということなのですね。

返す返すも、ありがたい(有り難い)ことです。

南无阿彌陀佛

●re.8
唯物信者
海外の男性

↑唯物信者様宛にメール
[ 1183 ] Re8:修行者と羅刹 2011/07/08 (Fri) 22:13 △up ▽down

ボン様&毎日様/菩提心様

いいお話聞かせていただきました。

私なんかは「わろき心で、下種の勘繰り」の塊です

他力は「白紙委任で、すべてお任せ」の意味よくわかりました。

この掲示板に接していると、段々と、凡夫の自力心から他力への道を歩めるように感じつつあります。

ボン様他皆様のお導きに感謝!

南無阿弥陀仏




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