浄土真宗の教義について

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●No.99
毎日
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[ 718 ] 信後の相続において疑いが晴れることについて 2008/07/28 (Mon) 12:34 △up ▽down
『願生帰命弁』という本には、次のような記述がありました。

「例えば日の出の時少し曇っていて、後に雲が晴れた時日光が明らかになったとして、其の時初めて日の出と思うのではない」

さすがに日が出れば気付きそうなものですが、それでもわからぬくらい、煩悩の雲が厚いかもしれないのが私であると思います。

佛智を疑い、「他の行者は救われても、自分だけは、自力が強くて救われぬのではないか」と考えていた私でした。

信を獲ても、すぐにはわからず(すぐにわかったこともあったのですが)、次第に迷雲が晴れ、それでも、いまだに晴れきっていないと思います。

それでありながら、救われていると感じることができ、また、晴れた雲もあるのですから、ありがたいことです。

南无阿彌陀佛

●re.1
菩提心
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[ 722 ] Re1:信後の相続において疑いが晴れることについて 2008/07/29 (Tue) 06:52 △up ▽down
毎日様

ごくごく身近のお方が、気に入っている本なら、数百回、数千回を読んでいるって知って、その方天才だと思っていたので、やっぱり努力されておられるんだと感心しちゃいました。

毎日様ともお話して、教行信証を書かれた親鸞聖人は宇宙人みたいっておっしゃっていたけれど、この方を知って、きっと親鸞聖人も数千回も色々の御著書を読まれてきて、末代の私達の救われる道を顕かにされたんだろうと思います。
それは、法蔵菩薩の御心とも一緒ですね。

そのようにして、簡単に救われる道を、残して下さったのだと思います。
私達はただ信じることだけ。
でも、それがなかなか信じられない。
それでも私は、信じられて嬉しいです。

一日、一日が報土に近づいています。
でも、ご同行の温かい励ましや、このような場所で語らう中で、私はこのような道程を踏んでくるようになっていたんだなと最近つくづく思います。

回り道のようでいて、回り道ではなかった。
それは、私にとって必然だと思います。
だからこそ、摂取不捨のお言葉が身に沁みて喜びに変化しているのだと思います。

人それぞれの求道の道は違いますが、ここに集う皆様の思いが、本当に有り難いです。

南无阿彌陀佛

●re.2
愚老
北陸の男性
[ 723 ] Re2:信後の相続において疑いが晴れることについて 2008/07/29 (Tue) 09:34 △up ▽down
毎日様
菩提心様
先日来、突風やら豪雨で被害が風神やら雷神やら竜神三十三天のお方々何が気に食わぬお怒りです.人間世界も憤懣やるせない人誰彼かまわず殺す,恐ろしい因果の世界です。
阿弥陀様・いや化身の閻魔大王・・・”オイ、お前はそれで良いのか”是は他人ごとではございません、自分自身に言い聞かせて居られます。
聞其名号信心歓喜、・・年若くとも、佛のみ教につとむる者は、雲を出でし月の如く、この世を照らす、(法句経382)
信心穫得して眞の念仏行者となった人は妙好人であり聞信できた人とも言います,何を聞信したと,如来の本願を聞いて信じたのであり,南無阿弥陀仏のいわれを聞信することですね、聞と言えば,唯、耳で聞くと言うのでなく,相手の中に自身を投入して一体に、投入とて自力でなく如来大悲のお任せであり、佛の誓願聞き開いて念仏すれば、もう、大慈悲の願海に入れされているのです、これが聞信なのです。親鸞様、一念多念証文に・・聞其名号と言うは本願の名号を聞く
とのたまえり、聞くと言うは本願を聞きて疑う心を聞くと言うなり,又,聞と言うは信心をあらわす御法なり、云々。信心を得て,名号のいわれを聞いたと出来るのです、信心穫得するご縁は各自色々でしょう、しかし真宗の易行門の教えにあうことは全く稀有な事です。
愚老も後念相続、白蓮華のように泥の中から咲いても泥の染まらないように・・親鸞様のお言葉
にこのたび、疑網に覆蔽せられれば、かえってまた、昿劫を逕歴せん,誠なるかな、摂取不捨の真言,超世稀有の正法、聞思して遅慮することなかれ、・・深きお心味わい行住座間に南無阿弥陀仏の日々送りたく思います、南無阿弥陀仏。

●re.3
毎日
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[ 724 ] Re3:信後の相続において疑いが晴れることについて 2008/07/29 (Tue) 10:55 △up ▽down
愚老 様

本当に、私のような泥の心にも、何も変わらず、金剛の南无阿彌陀佛、だからこそ救われるのだと、感謝致しております。

報謝のお念仏を申せる自身がうれしく、それでも、私が報謝のお念仏をお称えするときに、その心には自力の念仏の心が残っており、疑いが残っていることもわかるのであります。

それでありながら、私の疑い等ものともしない南无阿彌陀佛。だからこその、疑心無しであると思います。

あれこれ考える凡夫の心でありますが、それらすべてを差置いて、ただただ南无阿彌陀佛が、私を浄土へ連れていってくださるのだと思います。

南无阿彌陀佛

●re.4
泥凡夫
北陸の男性
[ 741 ] Re4:信後の相続において疑いが晴れることについて 2008/08/12 (Tue) 10:12 △up ▽down
毎日 様

こんにちは。暑い日が続きますね。

今日は姪の8歳の子が私に質問してまいりました。
「ねぇ。おじちゃん。たまにね、のの様(弥陀)なんて居ないんだ。のの様なんて居なくなっちゃえ。と悪い想いが出てくるの。そんなこと思っちゃダメ。思っちゃダメ。って思っても消えないの。わたし大丈夫かなぁ。ちゃんとのの様のところに行けるかなぁ。」

とても大事なことを言うと思いました。

「無くならないよ。悪い行動をしないようにすることは頑張れば少しはなくなれるかも知れないけど、心に想うことはどうにもならないんだよ。どうにもならないから、のの様が助けてあげるって誓ってくれてるんだよ。いい子になった人だけを助けてくれるんじゃないの。そういう悪い心を持ったままでおいで。って言ってくれてるんだよ。」

8歳の子供が嬉しそうに良かった。と満面の笑顔を見せてくれました。

心に想う悩みなどを口に出して問うこと。8歳でもできることができんようになっております大人の何と多いことか。

難しい聖教の一文字も分からぬ幼子が後生を問うすがたに頭が下がりました。

南无阿彌陀佛

●re.5
毎日
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[ 742 ] Re5:信後の相続において疑いが晴れることについて 2008/08/12 (Tue) 10:34 △up ▽down
泥凡夫 様
みなさま

しばらく出掛けておりまして、ご返信もできず、申し訳ありませんでした。

これから、ご返信できない時期もちょくちょくでてくると思いますが、こちらの掲示板は、ライフワークと思い、じっくりと取り組んでゆきたいと思っております。

無論、凡夫の計画など、どこでどうなるものかはわかりませんが・・・

思惑果てたら、笑ってやってください。

「思ったことを素直に口に出す」のは、子供の美点と思います。

周囲の大人としては、せっかく「思ったことを口に出し」ているのに、「そんなことを言うものではない」「へ理屈を言うな」のような否定をせず、美点は育ててゆくこと肝要かと思います。

泥凡夫様の優しいお言葉は、ご令姪様の心に灯をともしたことと思います。

阿弥陀様は、阿弥陀様を疑う人も救ってくださるし、それを口に出す方は素直と褒めてくださるし、そしてもちろん口に出せなくても救ってくださるし、勇気があってもなくても救ってくださるし、良くても悪くても救ってくださる、大きな方であると思います。

私は、私もそのような存在になりたいと願い、だからこそ、浄土に往きたいと思います。

もう、流転の必要がないのです。

必要だから流転するのではなく、済度に出掛けるようになるというのは、しあわせなことです。

欲にまみれ、みにくい心の私ですが、死ぬまでの間、蓮の華の中で育ててもらっている気持ちでおります。

汚れは綺麗にすれば良いのですが、これまで私にはその方法がわかりませんでした。

心光常護の御光の蓮の中、お育ていただくことをよろこんでおります。

南无阿彌陀佛



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