浄土真宗の教義について

新規スレッド作成タイトル一覧表示ログ検索ホームへ
  《prev 95 next》
・選択したスレッドを表示しています。返信は▽downのフォームからどうぞ。
(「メール送信」ボタンを押すと、書き込み作者宛にメール送信ができます。ヘルプ)(「編集」ボタンで記事の編集ができます。)
 
●No.95
現代人
関西の男性
[ 651 ] 御文について 2008/06/30 (Mon) 16:50 △up ▽down
毎日様
 ご無沙汰しております。

御文は、表現は易しいですが、文字通り受け取りますと殆ど自己の意業のように受け取れますね。難しいことです。  表現は意業だらけです。

「ひしとすがる思いをなして」、「一心に帰命する」、「一心に一向に」等がそうです。その意味では、導きが絶対に必要ではないでしょうか。
探しても、善智識が見出せませんので真宗の古い語録にヒントが見つかりました。
「一念の信」につきましても、非常に誤解を生みやすいと思います。
何か特別の電撃的な、あるいは神秘的な事象のように考えられるのが一般的であり、私もそのように受け取っておりました。
そうして、いつかは「一念の信」に直面するであろう。しなければならないと
計らっておりました。

南無阿弥陀仏をいただかない状態で、御文を拝読しても大きな壁がはだかっております。
何回読もうとも、根本的なところが間違っているかぎり、身にはつきません故に。

当面は、語録に頼るしか方法がありません。「一念の信」につきまして語られている書物は殆どありませんし、南無阿弥陀仏をストレートに語られていることも極めてまれです。 今更ながらこの現状に驚いておるところです。
真宗は、究極があまりにも簡単すぎて返って難しいのですね。



●re.1 admin 
毎日
url 非公開の非公開

↑毎日宛にメール
[ 655 ] Re1:御文について 2008/07/01 (Tue) 02:18 △up ▽down
現代人 様

お久しぶりでございます。

御文様は、読めば「わからぬ」とわかるようになっていると思います。

だからこその、「あひかまへて、他力の大信心のおもむきをねんごろに人にあひたづね」(御文3-1)であると思います。

真宗が難しくなるのは、佛智疑惑の根が深いからであり、そこから解放されるには、弥陀のお育て(宿善開発)を待つしかないと思います。

「南无阿彌陀佛にすべてがある」と言われても、わけがわからないし、「弥陀をたのめ」と言われても、「たのんだつもりでどうもたのんだ感じがしない」となってしまうだろうからです。

私の力至らぬことを、嘆くばかりです。

南无阿彌陀佛

●re.2 admin 
毎日
url 非公開の非公開

↑毎日宛にメール
[ 657 ] Re2:御文について 2008/07/01 (Tue) 16:56 △up ▽down
◎安心をとりて弥陀を一向にたのめば、浄土へはまいりやすけれども、信心をとるひとまれなれば、浄土へはゆきやすうして人なし(御文2-7)

南无阿彌陀佛

●re.3
泥凡夫
北陸の男性
[ 658 ] Re3:御文について 2008/07/02 (Wed) 00:20 △up ▽down
現代人 様

こんばんは。泥凡夫でございます。

>御文は、表現は易しいですが、文字通り受け取りますと殆ど自己の意業のように受け取れますね。難しいことです。表現は意業だらけです。

であるにも関わらず、凡夫の起こすところの信ではない。と申されておりますね。南无阿彌陀佛は凡夫よりは不廻向の行であるとも申されますが、凡夫所修の三業を浄土や弥陀に振り向けても往生の因にはならない。とも申され、区別をどうつけるのかさえ分からない状況であると思います。

>「一念の信」につきましても、非常に誤解を生みやすいと思います。
>何か特別の電撃的な、あるいは神秘的な事象のように考えられるのが一般的であり、私もそのように受け取っておりました。
>そうして、いつかは「一念の信」に直面するであろう。しなければならないと計らっておりました。

皆そうなのです。何か特別な自分になれるのだろうとか、神秘体験ができるのだろうとか。それは佛智を知らないからに他ならず、そのようにならねば信じられんという哀れな我等凡夫のすがたなのではないでしょうか。

>「一念の信」につきまして語られている書物は殆どありませんし、南無阿弥陀仏をストレートに語られていることも極めてまれです。今更ながらこの現状に驚いておるところです。

一生懸命に聖教を読み込まれるご姿勢に頭が下がります。そこにお気づきになられるお方はなかなか少なく、また、そこで足踏みされて留まる方も数多しでございます。分からんなら知っておられる人に聞いてみよう。足を運んでみよう。その一歩ですら毎日様の申される通り、宿善の機にならねばできんものなのであります。

>真宗は、究極があまりにも簡単すぎて返って難しいのですね。

他力易行の道は、ただ南无阿彌陀佛をもって往生の因とする。口に称える念仏は御恩報謝であり、それを自身往生の因とおもうべからず。とも申されております。南无阿彌陀佛を頂き、南无阿彌陀佛と報謝して生きる。信心の体は南无阿彌陀佛であります。一文不知の尼入道の類であろうとも、罪はいかほど深くとも、南无阿彌陀佛の六字のすがたは我等一切衆生の平等に助かるすがたであるのです。

南无阿彌陀佛

●re.4
愚老
北陸の男性
[ 659 ] Re4:御文について 2008/07/02 (Wed) 13:33 △up ▽down
>現代人 様
>
>こんばんは。泥凡夫でございます。
>
>>御文は、表現は易しいですが、文字通り受け取りますと殆ど自己の意業のように受け取れますね。難しいことです。表現は意業だらけです。
>
>であるにも関わらず、凡夫の起こすところの信ではない。と申されておりますね。南无阿彌陀佛は凡夫よりは不廻向の行であるとも申されますが、凡夫所修の三業を浄土や弥陀に振り向けても往生の因にはならない。とも申され、区別をどうつけるのかさえ分からない状況であると思います。
>
>>「一念の信」につきましても、非常に誤解を生みやすいと思います。
>>何か特別の電撃的な、あるいは神秘的な事象のように考えられるのが一般的であり、私もそのように受け取っておりました。
>>そうして、いつかは「一念の信」に直面するであろう。しなければならないと計らっておりました。
>
>皆そうなのです。何か特別な自分になれるのだろうとか、神秘体験ができるのだろうとか。それは佛智を知らないからに他ならず、そのようにならねば信じられんという哀れな我等凡夫のすがたなのではないでしょうか。
>
>>「一念の信」につきまして語られている書物は殆どありませんし、南無阿弥陀仏をストレートに語られていることも極めてまれです。今更ながらこの現状に驚いておるところです。
>
>一生懸命に聖教を読み込まれるご姿勢に頭が下がります。そこにお気づきになられるお方はなかなか少なく、また、そこで足踏みされて留まる方も数多しでございます。分からんなら知っておられる人に聞いてみよう。足を運んでみよう。その一歩ですら毎日様の申される通り、宿善の機にならねばできんものなのであります。
>
>>真宗は、究極があまりにも簡単すぎて返って難しいのですね。
>
>他力易行の道は、ただ南无阿彌陀佛をもって往生の因とする。口に称える念仏は御恩報謝であり、それを自身往生の因とおもうべからず。とも申されております。南无阿彌陀佛を頂き、南无阿彌陀佛と報謝して生きる。信心の体は南无阿彌陀佛であります。一文不知の尼入道の類であろうとも、罪はいかほど深くとも、南无阿彌陀佛の六字のすがたは我等一切衆生の平等に助かるすがたであるのです。
>
>南无阿彌陀佛

尊い皆様のお言葉に知恵なき愚老の老人がとても出る幕では御座いませんが・・
当地には古く昔より三千メートルの立山信仰の場として地獄,極楽,絵説き図が有ります,其の中に布橋潅頂会では、立山登拝が許されなかった女性たちが白い死装束を身に付け、閻魔堂でざんげした後、「心掛けの悪い者は橋から落ちて竜に飲まれる」と聞かされ、目隠しをして(知識)に導かれて(布橋(三途の大河)を渡ったとされる。対岸(極楽浄土)にある真っ暗なうば堂で読経し、雅楽と声明が響く中、最後に夜明けに窓が開けられると、正面にまぶしい(阿弥陀如来)の光とともに雄山や浄土山が仰ぎ見えたという。終わって、血脈(約束)が渡され。往生出来たとゆうお札を頂き棺に納めて浄土行きとした。朱塗りの大橋は108枚の板で(108煩悩〕両欄干には48願の菩提玉と六字の玉の立柱,橋板裏には無量経が記され、閻魔堂より姥堂までは三本の真っ白い布が敷かれております。立山地獄には壮絶な血の池、針(剣)地獄,餓鬼田,今もモクモク上がる蕉熱地獄他色々有ります、頂上は極楽浄土阿弥陀世界と現わして昔は死に装束で男性はこぞってご来光を拝む行をしたものです。
難しい事言えませんが、平生往生の時知恵才覚は一時捨てて赤子の心(無心)に有縁の知識に導かれて浄土行きの(血脈〕切符を(信心決定)と心得る事ではないでしょうか、後念の後、ご文章等読み取りますと割符が合う如く歓喜踊躍すると思いますが。ご縁の善友様がおそばに居られると思います。合掌
南無阿弥陀仏。、

●re.5
酒天童子
関東の男性
[ 660 ] Re5:御文について 2008/07/02 (Wed) 21:10 △up ▽down
現代人 様

はじめまして、酒天童子と申します。

>>>御文は、表現は易しいですが、文字通り受け取りますと殆ど自己の意業のように受け取れますね。難しいことです。表現は意業だらけです。
>>

御文は信前の方からみると、ちんぷんかんぷんだと思います。


>>であるにも関わらず、凡夫の起こすところの信ではない。と申されておりますね。南无阿彌陀佛は凡夫よりは不廻向の行であるとも申されますが、凡夫所修の三業を浄土や弥陀に振り向けても往生の因にはならない。とも申され、区別をどうつけるのかさえ分からない状況であると思います。

もろもろの善行は雑業であり往生に回向できないということでありましょうか?

>>
>>>「一念の信」につきましても、非常に誤解を生みやすいと思います。
>>>何か特別の電撃的な、あるいは神秘的な事象のように考えられるのが一般的であり、私もそのように受け取っておりました。

実際、そうかもしれない、と。一度そう思ってみるのも良いのではないでしょうか?

>>>そうして、いつかは「一念の信」に直面するであろう。しなければならないと計らっておりました。
>>

不思議なことに、現代人様ほどの知識も見識もない、私のようなものでも”一念の信”にはあえます。それどころか私の子供はまだ小学生ですが、問題なく”一念の信”を獲得できました。経験や見識、年齢などは信を戴くには関係ないとしたら、、、。

>>>「一念の信」につきまして語られている書物は殆どありませんし、南無阿弥陀仏をストレートに語られていることも極めてまれです。今更ながらこの現状に驚いておるところです。

私も恥ずかしながら、記述や書物が無きゆえに、それらは”存在しないもの”と思っておりました。どころか私は”大乗非仏説”論者でもありました。
驚くべき、無知であります。それでもそんなことは関係ありませんでした。

>>
>>一生懸命に聖教を読み込まれるご姿勢に頭が下がります。そこにお気づきになられるお方はなかなか少なく、また、そこで足踏みされて留まる方も数多しでございます。分からんなら知っておられる人に聞いてみよう。足を運んでみよう。その一歩ですら毎日様の申される通り、宿善の機にならねばできんものなのであります。

泥凡夫様
書き込み方もわからず、割って入って申し訳ありません。
素直になれないのが、我々ですかね。凡夫が救われる分水嶺、あれこれ計らうのを止めることができるか否か、縁をすんなり受け入れるか否か?わかりません。


>>
>>>真宗は、究極があまりにも簡単すぎて返って難しいのですね。

あれこれ考えたら堂々巡りするでしょう。考えてわかるものなら、先師は苦労しないはずでは?ましては”難信の法”などとは呼ばれないのでは?

>尊い皆様のお言葉に知恵なき愚老の老人がとても出る幕では御座いませんが・・
>当地には古く昔より三千メートルの立山信仰の場として地獄,極楽,絵説き図が有ります,其の中に布橋潅頂会では、立山登拝が許されなかった女性たちが白い死装束を身に付け、閻魔堂でざんげした後、「心掛けの悪い者は橋から落ちて竜に飲まれる」と聞かされ、目隠しをして(知識)に導かれて(布橋(三途の大河)を渡ったとされる。対岸(極楽浄土)にある真っ暗なうば堂で読経し、雅楽と声明が響く中、最後に夜明けに窓が開けられると、正面にまぶしい(阿弥陀如来)の光とともに雄山や浄土山が仰ぎ見えたという。終わって、血脈(約束)が渡され。往生出来たとゆうお札を頂き棺に納めて浄土行きとした。朱塗りの大橋は108枚の板で(108煩悩〕両欄干には48願の菩提玉と六字の玉の立柱,橋板裏には無量経が記され、閻魔堂より姥堂までは三本の真っ白い布が敷かれております。立山地獄には壮絶な血の池、針(剣)地獄,餓鬼田,今もモクモク上がる蕉熱地獄他色々有ります、頂上は極楽浄土阿弥陀世界と現わして昔は死に装束で男性はこぞってご来光を拝む行をしたものです。
>難しい事言えませんが、平生往生の時知恵才覚は一時捨てて赤子の心(無心)に有縁の知識に導かれて浄土行きの(血脈〕切符を(信心決定)と心得る事ではないでしょうか、後念の後、ご文章等読み取りますと割符が合う如く歓喜踊躍すると思いますが。ご縁の善友様がおそばに居られると思います。合掌
>南無阿弥陀仏。、

愚老様、こんばんは
まったく同感でございます。現代人様、考えてわかるものではありますまい。ご縁のありそうなかたは思い当たりませんでしょうか?
現代人様が”そうだ、わかっていそうな人に、教えてください”とお聞きするだけで、すべて解決に向かうような気がするのですが、、、。
なにもわからないものの、言い分であります。知識ない故、お許しください。



●re.6 admin 
毎日
url 非公開の非公開

↑毎日宛にメール
[ 661 ] Re6:御文について 2008/07/03 (Thu) 00:40 △up ▽down
酒天童子様

親子でいただいているのですね。尊いことです。

酒天童子様のお子さまとして生まれてきて、良かったですね。

最高の子孝行(?)だと思います。

誰もあげることのできないプレゼントを、弥陀からいただけたのですから、とてつもないことであると思います。

南无阿彌陀佛

●re.7
菩提心
非公開の非公開
[ 662 ] Re7:御文について 2008/07/03 (Thu) 07:11 △up ▽down
>現代人様、考えてわかるものではありますまい。ご縁のありそうなかたは思い当たりませんでしょうか?
>現代人様が”そうだ、わかっていそうな人に、教えてください”とお聞きするだけで、すべて解決に向かうような気がするのですが

そうですね。
一番の近道は、
まず、毎日様にメール送信してみることですね。

現代人様の熱意が伝わるかどうかだと思います。

「信心が先」です。

その後、じっくり御文を読まれる、それは又読み方が変わってくると思います。

その門を開けるのは、誰でも有りません。
現代人様、貴方なのですよ。

●re.8
酒天童子
関東の男性
[ 663 ] Re8:御文について 2008/07/03 (Thu) 11:41 △up ▽down
毎日様

自分は業が深く、弥陀を頼むまでに長年さんざんと右往左往し、時に絶望し、人生を恨みもいたしました。情けなくどうしようもない自分であります。

たぶん、子供は過去世においてすでに弥陀に十分お育ていただいていたのでしょう。
尊いのは自分ではなく、子供の宿縁でございましょう。

まだ、何もわからぬまま、それでも往生治定であります。
後の人生、長いかもしれませんが、御恩報謝の人生であります。
不思議になにもいわなくても毎朝、仏壇の前でお念仏を唱えております。

自分を顧みて、恥ずかしくなります。頭が下がる思いです。

南无阿彌陀佛

●re.9
愚老
北陸の男性
[ 664 ] Re9:御文について 2008/07/03 (Thu) 13:24 △up ▽down
酒天童子様
年老いた愚老です、宜しくお願い致します。
たぶん、子供は過去世においてすでに弥陀に十分お育ていただいていたのでしょう。
尊いのは自分ではなく、子供の宿縁でございましょう
尊いお子様、過去世に大きな善本徳本を積んで来られんですね、親をして最高の徳とお子様は無上の親孝行されましたね。お釈迦様のお弟子で慈孝と言う方のお話聞いた事有るんですが酒天童子様のお子様と同じです。尊いです。南無阿弥陀仏。
随分経ちました、愚老にも娘に,孫(男)二人居ります来春,大學卒業と同じに就職に就きますが・・この孫が四歳と六歳の時,娘に連れられて、善知識の話を聞きました、当日別に二人のお方が居られて知識さまが話されました
・・アハハ。終わって孫、二人顔見合わせ、・・お兄ちゃんわかった?解らん・・隆志わかった?解らん其処で今度は知識様は二人に地獄図と極楽図2枚並べて撲達どちらに行きたいかな?二人は当然綺麗な極楽図を指差し・・こっちや”・・知識様は二人に地獄の閻魔様の所も(丁度寒い冬でした)暑くて丁度、良い所やよ”アハハ否だ否だ・・是でもうお願い致します、簡単な者でした、終わって二人は、阿弥陀様と結婚と聞こえたそうで・・アハハ娘はそうや、阿弥陀様と結婚したんやよ”何か納得したようです。はーい。
後念相続・・本願誹謗の罪・・宮殿に金の鎖に五百歳又、含華にて浄土の拝めず・・
新興宗教が頻繁な世の中,子供には迷わず親の念仏みて孫達も信じているようです。結婚とは忘れているでしょうけど、アハハ。
南無阿弥陀仏。

●re.10 admin 
毎日
url 非公開の非公開

↑毎日宛にメール
[ 667 ] Re10:御文について 2008/07/04 (Fri) 13:13 △up ▽down
酒天童子様

◎過去の宿善あつきものは、今生にこの教にあうて、まさに信楽す(口伝鈔)

宿縁あるが故に、酒天童子様のところに、お生まれになったのであると思います。

私は、今でも、怒りや恨みに翻弄されておりまして、本当に情けない凡夫です。

こんな私をも、阿弥陀様は、限りなく守ってくださいます。

◎一心に弥陀に帰して往生をねがふものには、諸仏・菩薩かげのごとくにしたがひ、諸天・善神昼夜に守護して、一切の災障おのづからのぞこり、もろもろのねがひかならずみつべき義を釈したまへり(持名鈔)

南无阿彌陀佛

●re.11
現代人
関西の男性
[ 670 ] Re11:御文について 2008/07/05 (Sat) 11:09 △up ▽down
皆様の御教示に感謝いたします。

まずは、南無阿弥陀仏を相続しつつ聞いてゆきたいと願っております。
どうなるかは分かりません。 すぐに懈怠の念が生まれますからね。

「ご返事のしようがありません」と言うのが正直な気持ちです。

●re.12 admin 
毎日
url 非公開の非公開

↑毎日宛にメール
[ 671 ] Re12:御文について 2008/07/05 (Sat) 11:18 △up ▽down
現代人 様

お書き込み、ありがとうございます。

懈怠の念が生まれるのが私たちですが、懈怠しつつも、真宗を心にかけてくださって、うれしいです。

私も、懈怠しながらの、御恩報謝の南无阿彌陀佛です。

懈怠な凡夫も救われる。浄土門ならではであり、ありがたいことと思っております。

南无阿彌陀佛

●re.13
愚老
北陸の男性
[ 674 ] Re13:御文について 2008/07/06 (Sun) 08:39 △up ▽down
現代人様

まずは、南無阿弥陀仏を相続しつつ聞いてゆきたいと願っております。
どうなるかは分かりません。 すぐに懈怠の念が生まれますからね。

北陸に住んで居ります年老いた愚老です。毎日懈怠の日々送って居ります。
現代人様関西のお人とお見受け致します。関西は大坂を中心に近郊都市に多くの一味の念仏行者様が居られます。大坂には尊い次第相乗の善智識が居られます。弥陀にすがる心起こる内は必ず有縁の善友様に導かれる事確信致します。諦めないことです。
南無阿弥陀仏。

●re.14
愚老
北陸の男性
[ 675 ] Re14:御文について 2008/07/07 (Mon) 08:04 △up ▽down
富山市東部に魚津市が有ります。昔から真宗大国として伝えられた念仏踊りです。
扇子を両手に持って蝶が舞うように踊ることから蝶六踊りと言います。
蝶六保存会では真宗念仏踊りの詞章として大切に保存をし後世に伝承していくよう努めている。

信後相続【二十八日口徳】(歓喜嘆)

ここに同行の 御茶呑み咄し、聞けば誠に 御縁となりて、二十八日 御日柄なれば、今日は緩りと 御茶呑むまいか、あまり渡世の 世話しき儘に、売るの買うのと 日夜を明かし、済むの済まぬと 子孫のことに、腹もたてたり 笑いもしたり、罪業ばかりで 月日をくらし、大慈大悲の 御恩の程に、懈怠ばかりで 年月送る、今日も空しく 過ぎ行くことは、電光稲妻 矢を射る如く、今日の御恩が 有るまいならば、今に無常の 日暮れとなりて、耳も聞こえず 眼力きかず、足手まといの 妻子や孫や、金銀財宝 家蔵田畑、山も林も うち捨ておいて、持つもならねば 持たせもならず、死出の山路や 三途の大河、阿傍羅刹に 追い立てられて、一人泣く泣く 閻魔の庭に、業の秤や 浄玻璃鏡、向うその時 いい訳たたず、右も左も 剣の山よ、追いつおわれつ 幾千万刧、焼かれ焦がされ 身を切り裂かれ、こぼす涙に 天をば仰ぎ、大地たたいて 七転八倒、泣けど叫べど その甲斐ないと、聞くも恐ろし、地獄の苦患、逃れがたきは 我身の上ぞ、数の仏の 御慈悲にもれて

とても叶わぬ 悪人なりと、見捨てられたる 大罪人を、阿弥陀如来は 助けん為に、五刧思惟に 思いをくだき、阿鼻の炎や 紅蓮の氷、毒の中にも 幾千万劫、忍び難きを 忍ばせ給い、私一人の その身代わりに、あなた一人が 身に引き請けて、一願積んでは 衆生をがために

一行積んでも 女人がためと、汗と膏の 御修行中に、施し給いや 御眼は、一恒河の 砂の如く、与え給いや 御身の耳は、毘富羅山の、如くとなりて、切らせ給いや 御身の肉は、千須弥山の 如くとなりて、捨てさせ給いや 御身の骨は、大鉄円山 如くとなりて、はがせ給いや 御身の皮は、三千世界の 大地の如く、しぼらせ給いや 御身の血汐

四大海より 多しと御座る、わけて女人は 疑い深く、五障三従の さわりがあると、女人成仏 誓いをたてて、重ね重ねの 御苦労なるぞ

釈迦の往来 八千やたび、弥陀の本願 聞かさん為に、かわるがわるに 七高僧と、印度や天竺 日本までも、渡り給いし 仏の御慈悲、知らぬ我身に 知らさん為に、高祖聖人 藤原氏へ、誕生まします 松若君の、わずか御年 九才の春に、輿や車を 乗り捨て給い、栄華栄耀の 御身の上が、娑婆は暫しと 無常をや観じ、滋鎮和尚の 御弟子となりて、比叡の御山へ 登らせ給い、二十年来 御修行中に、薬師如来へ 千日参り、それが足らいで 都のあなた、慈悲を司の 六角堂へ

寒さ夜な夜な 百夜の間、三里余丁の 山坂道を、雨やあられや 雪踏み分けて、谷を越えさせ 加茂川越えて、女人成仏 近道あらば、教え給えと 心に祈誓、さても不思議や 御夢想ありて、御告げあらたに 名も吉水の、清き流れの 御身の上が、妻や子供に 交わり給い、在家同事の 御身とならせ、人に笑われ 恥しめられて、義理も人情も 、我等が為に、教え下さる 念仏門が、南都北嶺の 嫉みに依りて、京も田舎も 厳守停止、師弟諸共 御身の仇と、土佐や越後に 流され給い、輿や車の 御身の上が、墨の衣に 墨袈娑懸けて、紺地草鞋を がまにて脛巾、笈も背中に もったいなくも、杖と笠とて 御苦労ありて

風の吹く夜も 雪降る中も、石を枕に 御難儀かけし、足も血潮に 北国関東、二十年余ヶ年 御化導ありて、弥陀の本願 聞かさにゃおかぬ、大慈大悲の 念力故に、こんな愚鈍や 手強き者が、今は邪見の 角をば折りて、御恩御慈悲と 細々ながら、耳を傾け 心を鎮め、聞く気出来たは 只事ならず、口に述べるも 恐れがあるぞ、八家九宗と 並ぶる中に、分けて我等が 御縁が深い、かかる御苦労 あるまいならば、こんな邪見や 慳貪者が、弥陀の本願 聞き分けましょうか、京も田舎も 日本国中、御化導あまねく 広まり給い、此処に居ながら 畳の上で、他力不思議の 南無阿弥陀仏、機法一体 願行具足、助け給えも 助かる法も、何もかも皆 此御六字に、こめて収めて たたんで巻いて、是をやるのじゃ 貰えよ早く、貰えさえすりゃ 悟りの都

楽の身となる 因じゃよ貰え、貰え貰えと 御勧めなさる、弥陀の本願 六字のいわれ、それを貰うに 手間暇いらず、知恵もいらねば 才覚いらず、富貴貧賤 姿によらん、罪も報いも 如来に任せ、かかる者をと 御受けが出来りゃ、あとと待たせず その場ですぐに、摂取不捨とて 光明の中に、修め給いし 大慈の不思議、最早何時 命が尽きよと

姿婆の因縁 終わるやいなや、花の台で 神力自在、かかる事ばり 聴聞すれば、娑婆は暫く 夢見し如く、善きも悪しきも 宿業次第、彼尊任せと 此の世の事に、ままにならぬが 御縁となりて、欲しい惜しいの その下からも、思い出しては ご恩の程に、命ながらえ あるそのうちに、仏祖知識の 御恩を学び、国の掟を 必ず守り、親に孝行 おこたるまいぞ、後生大事も 此の世の義理も、知らぬ我身に 教えの知識、かかる御恩を 御恩と知れば、善きにつけても 悪しきにつけて

思い出しては 行住坐臥に、唱えまいかや 只南無阿弥陀仏

【鶴と亀】 ▲魚津、蝶六踊り歌詞



さてもこれから 皆様方よ、この屋座敷は 目出度い座敷、上から鶴さんが 喜び下りる、下から亀どんが 喜び上がる、鶴と亀とが 舞い戯れる、そこで鶴さんの 囀ること聞けや、これさ亀どん これ亀どんよ、此で合ったも 因縁なれば、どうじゃ私と 夫婦になって、言えば亀どん 考えこんだ、そこで鶴さんの 言う事聞けば

足の長いのが 気にくわないか、首の長いが 気にくわないか、言えば亀どんふり上げて、足の長いは いやでもないし、首の長いのも さて厭わねど、この世世間の 言う噂には、鶴は千年 私は万年、遠い祖先の 伝えが御座る、貴方死なれた その後なれば、九千年の 後家の暮らしそれが何より 辛くてならぬ

アハハこれもしかしたら・・以前書きこみした。鶴亀のろうそく立ての事みたいね、・・知りませんでした。

南無阿弥陀仏。












●re.15
毎日
url 非公開の非公開

↑毎日宛にメール
[ 676 ] Re15:御文について 2008/07/08 (Tue) 01:48 △up ▽down
愚老 様

二十八日口徳、ありがたいですね。

蓮師の作なのですね。知りませんでした。

ありがたくいただけることが、ありがたいです。

そして、鶴亀。まさに、愚老様のお話そのものです。

このお話のつづきまで、教われていることが、うれしいです。

ありがとうございます。

南无阿彌陀佛

●re.16
菩提心
非公開の非公開
[ 677 ] Re16:御文について 2008/07/08 (Tue) 06:03 △up ▽down
毎日様

>蓮師の作なのですね。知りませんでした。

このように、口と体で、知らず知らずに教えを説かれておられたのですね。

私も、ずっと口ずさんでおりましたが、

愚老様のお書込みは、本当に有り難いと思っています。

どうしてこんな私にも、阿弥陀様の助けるぞの御心が届いたのか。

やはり、私は悪人だったからでしょう。

毎日、仕事の帰る道すがら、西方の空を眺めます。

一日落ち込んだ日等、御念仏称えながら自転車をこいでいます。

その空の模様は、日々の私の心を表わすように、もう空全体が光明のように、太陽の光が雲間から出て来ると、思わず「阿弥陀様、助かって嬉しい」と声に出してしまいます。

南无阿彌陀佛



《 返信フォーム》

なまえ
住所
性別
メアド(任意) (掲示板上では非公開。届いたメールに返信して、はじめて相手の方にアドレスが伝わります。)
サイトのURL(任意)
投稿タイトル
メッセージ
パスワード (記事を編集する際に必要です。)


p.ink

(C) 2007- Mainichi no Jodoshinshu All rights reserved