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●No.83
admin |
毎日 |
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[ 524 ] 人は、かろがろとしたるがよき(聞書)
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2008/06/03 (Tue) 00:15
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◎世間・仏法ともに、人は、かろがろとしたるがよきと仰せられ候ふ(聞書311)
世間のことも、仏法も、人は、カラッと、サラッとしているのが良いのだと、蓮師はおっしゃってくださっていると思います。
重々(おもおも)しいのは、むしろ良くないように思います。
手軽なのが良く、地位があって距離があるよりも、軽やかで、親しみやすいのが良いのだと思います。
また、
◎微音に物を申すをわろし(聞書311)
ともおっしゃっています。
こそこそ言ったり、かげで言うよりも、堂々と、大きな声で言うのが、良いことです。
南无阿彌陀佛
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[ 682 ] Re1:人は、かろがろとしたるがよき(聞書)
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2008/07/11 (Fri) 01:20
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>◎世間・仏法ともに、人は、かろがろとしたるがよきと仰せられ候ふ(聞書311) > >世間のことも、仏法も、人は、カラッと、サラッとしているのが良いのだと、蓮師はおっしゃってくださっていると思います。 > >重々(おもおも)しいのは、むしろ良くないように思います。 > >手軽なのが良く、地位があって距離があるよりも、軽やかで、親しみやすいのが良いのだと思います。
そうはおっしゃれど、なかなか他人に仏法のことを聞くのは、かなわないことです。 近所の人や職場の人に、仏教の話題を話すなど、とても考えられないことです。
毎日様が、獲信者を探してまわれといわれているのを、何度もお読みするのですが、実行にうつせません。
これは、まだまだ仏法がわかっていない、あるいは無宿善なのかもしれないと、思い悩むばかりです。
どうすれば、探し回れるようになりますか。
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●re.2
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毎日 |
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[ 683 ] Re2:人は、かろがろとしたるがよき(聞書)
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2008/07/11 (Fri) 01:40
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鈍べえ 様
宗教のことを人様にお伺いすることは、タブー感のあることですから、無理もないことだと思います。
だからこそ、御同行を得るよろこびは、また増すものだと思います。
私は、(獲信者を探しているとき)お客さまに「最近、南无阿彌陀佛に興味があるんです」と言って、引かれたことがあります。
現世も、来世も、しあわせになるためのこの道ですから、周囲との関係を悪くする可能性があるような行為を、する必要はないと思います。
(私は、信を獲てから、ものすごい勢いで現世が改善されてゆくのを実感しています。自分の気持ちを文書にしていましたので、それを読むと、よくわかるのです。)
信を獲ても、内心に秘めることを推奨している蓮師なのですから、獲信者を探している方も、秘めながらお探しするので良いのではと思います。
そうは言いながらも、「ではどうやって探したら良いのだ?」という問題につきあたります。
私も、そこで悩みました。
結局、どうしたら良いかわからず、御文様を読みましたり、南无阿彌陀佛を口に出しておりました。
そのうち、お約束の通り、導かれました。
南无阿彌陀佛、南无阿彌陀佛、おひとりのときに、口に出されるのが良いのではないかと思います。
阿弥陀様は、遠くて近い西方浄土から、見てくださっています。
すがる衆生を、見捨てるはずがありません。
南无阿彌陀佛
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[ 684 ] Re3:人は、かろがろとしたるがよき(聞書)
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2008/07/11 (Fri) 04:46
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毎日様
早速のご返事、ありがとうございます。
こうやって掲示板に書き込むことすら、なかなか勇気が必要でしたので、直接面と向かって仏法をお聞きするのは、どうすればよいのか、わからなくて非常に苦しいのです。
>結局、どうしたら良いかわからず、御文様を読みましたり、南无阿彌陀佛を口に出しておりました。 > >そのうち、お約束の通り、導かれました。 > >南无阿彌陀佛、南无阿彌陀佛、おひとりのときに、口に出されるのが良いのではないかと思います。
毎日様のお導きのように、まずは、御文さまをお読みし、南无阿弥陀仏を努めて口にするようにいたします。
また、こちらの掲示板であれば、何とか書き込む勇気をいただけたので、いろいろ聞かせていただければと思います。
南无阿弥陀仏
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[ 685 ] Re4:人は、かろがろとしたるがよき(聞書)
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2008/07/11 (Fri) 10:23
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鈍べえ様
鈍べえ様の勇気はとても尊いと思います。
毎日様の、お書込みすごく解り易いでしょう。
私も、毎日様に、この道くるまで、個人的にも、悩み等、聞いて頂きました。
何しろ、ここの掲示板の良いところは、毎日様宛てにメール送信できる事です。
お忙しい方ですので、なかなかお返事もままならないでしょうが、
でも、阿弥陀様にどうしても助けて欲しいと思う方は、必ず導いて頂けます。
私も、泥凡夫様に言われ、半信半疑で探しておりましたが、このように導かれました。
お陰様で、真実信心頂いている方のお書込みも増えてきております。
インターネットって、こんな時は、足を運ばなくても画面を見て話が出来るので楽ですね。
後は、鈍べえ様のお気持が、毎日様に届くかどうかだと思います。
私も、毎日様のように、特に仏法を知らない人で苦しんでいる人に、南无阿弥陀仏を称えるように勧めています。
何だか、落ち着いてくると言ってくれます。
鈍べい様、お書込み有難うございました。
南无阿弥陀仏
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[ 686 ] Re5:人は、かろがろとしたるがよき(聞書)
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2008/07/12 (Sat) 12:39
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鈍べえ様
こんにちは、酒天童子といいます。
>そうはおっしゃれど、なかなか他人に仏法のことを聞くのは、かなわないことです。 近所の人や職場の人に、仏教の話題を話すなど、とても考えられないことです。
おっしゃるとおりです。 自分では、獲信できたときには喜びと興奮のあまり世間体を忘れ、周囲の方々に直球で仏教、仏法についていろいろ話したところ、一人を除いてほとんどすべての方々から”どん引き”されました。いまごろ、”あいつはなんか変な宗教に嵌っているぞ”なる陰口を叩かれていそうです。いや叩かれているに違いないです(笑)
自分としては、それで友人が去っていくなら仕方ない、くらいに考えていましたが、今思うともう少し上手なやり方があったように思います。
それで最近はまず、”自分の知り合いで霊能者に会った人がいて、前世を見てもらったそうなんだけれど、どう思う?”などと、その人が輪廻に関心があるかどうかをチェックします。それで、顔つきや表情などから否定的な人は大体わかります。輪廻や死後に否定的な人はその先にはまず、進めません。
興味を示された人がいたら、次に進みます。 ”人が輪廻するとしたら、一体どうなるのだろう?どう思うか?”と問いかけます。 そこから先は話しやすいと思います。
大事なのは一対一で話すことです。大勢いると、周りの人の目を気にして、本音を言わないことが多いからです。
そうして、難信の法、にふれるところまで行ったら、かならず相手の家に行くようにします。家族がいない状況を作ってもらいます。飲んだりしない席で話すことで、自分が大事なことを話すのだという意思を伝えます。
もし、相手の人が皇室を敬う方なら“明治天皇のご遺言”などを引用します。 相手の目を見て慎重に誠実に話しかけます。
まず、ほとんどの人は疑うので、即答は求めないです。一人でじっくり考えてもらいます。それで相手の人が本当に求める方ならば、必ず相手からいろいろ言ってきます。 私たちに出来るお手伝いはそこまでだと思います。また、それでよいと思います。
どうでしょうか?何か参考になりましたでしょうか?
凡夫の愚見です。それを超えたところで阿弥陀様はちゃんと見ていてくださる、と思います。
南无阿弥陀仏
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[ 687 ] Re6:人は、かろがろとしたるがよき(聞書)
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2008/07/12 (Sat) 15:46
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鈍べえ様 遠い北陸地に住む年老いた愚老と言います。宜しく。 大変な勇気をもって書きこみ下され有難う御座います、少しのご縁が有れば仏縁の因として ここに菩提心様がヒント出して下さっています。この掲示板は(極楽浄土求める人のために)・・是がヒントです。極楽浄土への道順が解らなければこの題目は書けない事です。 もう1歩勇気出してメールされる事お勧め致します。 人間界に不思議な鳥がいます.菩提心様かな、「ジュウイチ(十一)」というホトトギス科の鳥がいます。この鳥は、別名を「慈悲心鳥(じひしんちょう)」といいます。 それは「ジュイチー、ジュイチー」という声が、「ジヒシン、ジヒシン(慈悲心、慈悲心」)と聞こえたからだといいます。 時は、蓮如上人がお亡くなりになる明応8年のこと。 蓮如上人が病の床につかれているところへ、弟子の空善という方が、蓮如上人の心を少しでも和ませようと、ウグイスの入った鳥かごを枕もとへ持っていきました。 蓮如上人は、そのウグイスの鳴く声を聞いて、 ウグイスが「法を聞けよ、法を聞けよ」と鳴いている。このウグイスまでも「法を聞けよ」と鳴いているのに、人間に生まれ、親鸞聖人の流れを汲む私たちが、法を聞かなかったら何ともなげかわしい。とおっしゃられ、弟子の慶聞坊に自分で書かれた「御文章」を読ませ、念仏のありがたさをしみじみと味わわれたそうです。 今でもその鳥かごは、奈良県吉野の本善寺さんに残されているとか。 そして、江戸時代、大和(現在の奈良県)の清九郎さんのはなしです。 清九郎さんは、若いころ、ばくちに負けてはやけ酒を飲むという日々を過ごしていたそうです。アハハ〔愚老みたいです)そんなときに、まわりで鳴くウグイスの声に、「うるさい、朗らかな声で鳴きおって。何がそんなにうれしいんだ!」と大声でわめいては、小石を投げつけていました。やがて清九郎さんは結婚しますが、その奥さんは産後の肥立ちが悪く、子どもを残して亡くなってしまいます。そのころから清九郎さんは聴聞をはじめました。 あるとき、奥さんの里にお墓参りにいったとき、さきほどの鳥かごがある本善寺さんにお参りしました。そこでそのウグイスの話を聞いて、清九郎さんはひれ伏したそうです。 蓮如さまは「法を聞けよ」と鳴くウグイスを大切になさったというのに、若いころの私は、「法を聞けよ」と教えてくれるウグイスに石を投げつけていた。何と恩知らずなことをしたことか・・。それからというもの、清九郎さんはウグイスの声が聞こえると、「ご親切にありがとう。」と、ウグイスに返事をして、お念仏を称えたんだそうです。ご縁が有る事祈ります。 南無阿弥陀仏。
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[ 688 ] Re7:人は、かろがろとしたるがよき(聞書)
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2008/07/12 (Sat) 16:14
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鈍べえ様、愚老様、菩提心様
たびたびこんにちは、酒天童子です。
趣旨を取り違えておりまして、大変失礼いたしました。
鈍べえ様
毎日様はじめこの書き込みの方々のご意見、ご参考にしてください。
毎日様
すみません。内容を取り違えての書き込みです。 はやばやに削除してください。
南無阿弥陀佛
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●re.8
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毎日 |
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[ 689 ] Re8:人は、かろがろとしたるがよき(聞書)
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2008/07/12 (Sat) 16:47
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酒天童子 様
趣旨は異なりますが、有縁の方のお役に立つのではないかと思います。
また、探されている方にとりましても、逆の視点から理解できることで、 お役に立つのではないかと思います。
酒天童子様さえよろしければ、このままにしようと思いますが、如何でしょうか。
これもまた、阿弥陀様のお導きかもしれません。
私も今晩、また書き込みたいと思います。
南无阿彌陀佛
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[ 690 ] Re9:人は、かろがろとしたるがよき(聞書)
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2008/07/14 (Mon) 00:34
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菩提心さま 酒天童子さま 愚老さま そして 毎日さま
私のために、かくも多くの方からの書き込みを頂けたことうれしく思います。
>この掲示板は(極楽浄土求める人のために)・・是がヒントです。
勇気を改めて頂きました。 そうです。 本当はこうすれば、よいのだとは思ってはいたのです。 しかし、いきなりこのようなことをして、大丈夫なのか。 また、だまされているのではないか。 心配が、憶測を呼び、そこまで足が踏み出せませんでした。 御文様を読み、お念仏をとなえるなどと、また、一人の世界に戻って満足する気になっていました。
毎日さま、今しばらくお時間をください。 なんとか、あと一歩を踏み出す覚悟をしてみます。
南无阿弥陀仏
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●re.10
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毎日 |
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[ 691 ] Re10:人は、かろがろとしたるがよき(聞書)
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2008/07/14 (Mon) 10:11
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鈍べえ 様
あせることは、ないと思いますよ。
阿弥陀様は、すがる衆生を、必ずお救いくださいます。
私にできることなど、何もないのです。すべて、弥陀のおはたらきです。
そして、酒天童子様。私も救われました後、有頂天になりまして、 うれしくなってしまいまして、誰にでもお伝えしたい気持ちになりました。
「こんなカンタンなことなのだから、誰でも弥陀に救われた方がいい」
そう思ったものです。
しかし、難信之法であります故、信じていただけないのです。
一方、どうしてこんなに疑い深い私が、信じることができたのか。
弥陀のお育てによると言う他ありません。
私には、自分も人様も、どうにもできません。
どこまでも、宿善まかせなのだと思います。
今は、救われましたことをよろこぶばかりで、楽しい日暮しをさせていただいております。
信を獲まして、しばらくの間は、疑いも出ましたが(今でも出るのですが)、 時がたつにつれて、御恩報謝の南无阿彌陀佛も少しずつ積もり、 阿弥陀様に護られて、幸せな毎日を過ごしております。
すべての行がこもる、御恩報謝の南无阿彌陀佛。
なんとすばらしいものをいただいたのだろうと、日々感謝しております。
南无阿彌陀佛
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[ 692 ] Re11:人は、かろがろとしたるがよき(聞書)
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2008/07/14 (Mon) 09:58
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鈍べい様 この愚老、箸にも棒にもかからない悪たれ凡夫でした、書きこみに有る精九様、まわりで鳴くウグイスの声に、「うるさい、朗らかな声で鳴きおって。何がそんなにうれしいんだ!」と大声でわめいては、小石を投げつけていました。50数年前の愚老は高校球児でした。当時、可愛そうに電線に親子ツバメがピイピイ鳴いていました無情にも小石を拾い、直球で一羽落としてしまいました。上記に精九郎様の縁起書きながら、思い出しては懺悔の涙して居りました。必ず因果の果が・・。愚老、32歳頃書置き致しましたが2ヶ月に一度の葬儀の夢想・・もう近々終末で死としか思わなかった、しかしこの夢想が有縁の知識様によるご縁で煩悩の葬儀だったんですね。 又、疑惑等は人の倍々抱え、石橋三度渡る、どころか五度も疑い深い愚老でしたが。真実信心、蓮如様のご文章と割符を合わす尊い教えに現在まで最高の徳を得た者として喜びの日々送って居ります。自信教人信と言いますが、難信之法・・人様をお救いするなんて本当にざるで水を汲むように難しいです。毎日様とは有縁の知識様は当然違いますが法然ー親鸞ー蓮如様へと尊く相伝ひきつがれた善智識様は現在確かに存命して居ります。鈍べい様慌てること有りません必ず尊い貴方の有縁の知識が現れます。 南無阿弥陀佛。
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[ 693 ] Re12:人は、かろがろとしたるがよき(聞書)
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2008/07/14 (Mon) 10:18
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鈍べえ 様
こんにちは酒天童子です 。 小生、幸運にもこの毎日様のホームページを発見し、書き込みをさせていただくようになりましたが、毎日様はじめ菩提心様、愚老様ほか、ここに書き込みをせれたかたとはどなたとも面識すらありません。(いずれ、ご縁があればお会いできると思っておりますが、、)
ましてや利害関係などは全く感じたこともありません。お顔や住所すら知らない仲であります。
それでも、こうして書き込みをいたしますのは、弥陀におすがりし、信心をいただいたことを喜び、一人でも多くの方が弥陀の救いにあずかれるようにとの毎日様のお気持ちに賛同するからでしょう。
信前、私も疑っておりました。それまで仏壇に手をあわせることすらしない人間でした。
今、やっと少しながら勉強を始め、これが釈尊直々に2500年、綿々と伝え継がれてきたものであることを知り始めたしだいでございます。
このホームページを通じて、情報を交換できていろいろ教えていただき、また励ましをいただきまして感謝いたしております。小生はこのホームページのバイブレーションが好きです。
鈍べえ様のお心にはどう映るのでしょうか?拙い愚見です、お笑いください。
南無阿弥陀佛
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[ 694 ] Re13:人は、かろがろとしたるがよき(聞書)
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2008/07/16 (Wed) 02:10
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みなさま、何度も勇気付けていただきありごとうございます。
確かに少し、あわてすぎているかもしれません。
こちらのホームページで、改めて真宗まことを知ったという喜びから、あるいは、獲信した方々を知った喜びから、舞い上がっているのかもしれません。
この状態が長く続かないことは、以前の経験で分かっているはずですのに、お恥ずかしい限りです。
少し落ち着いて、御文様を片手に、お念仏を唱えながら、有縁の道を求めたいと思います。
南无阿弥陀佛
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●re.14
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毎日 |
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[ 707 ] Re15:人は、かろがろとしたるがよき(聞書)
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2008/07/23 (Wed) 06:19
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皆様の、ご好意に甘えて、教義とは離れますが、もう一つだけ質問させてください。
実は、私は、縁あって妻子のある身です。 私自身は、結婚前から、真宗とのご縁があったのですが、妻と子には、そういったご縁がないようです。 ですから、信心決定した方、ひいては善知識を探したいと思っても、なかなか妻子にそういった話もできず、つい足を踏み出せずにいるところです。 いや、それ以前の仏教を話題にすることも、ためらわれます。 その理由は、もちろん宗教に対する偏見からです。 阿弥陀仏のお救いはまことだと思えるから、妻と子にも法謗罪を作らせることなく、伝えたいのですが、そうすると第一歩を踏み出しきれません。 いや、これによって自分自身が求められなくなることを心配しているのかもしれません。
自分自身が信心を獲てない状態で、何を他人の心配をしているんだと、獲信された皆さんには、笑われるかもしれませんが、たぶん、このことが、私の今一番の悩みのタネです。 御文さまを拝読すること、お念仏を称えること、ここのHPを読むことぐらいは、家族に隠れてでもできることですが、出歩くのはなかなか、困難なことです。
皆様も、独身の方ばかりではないように推察するのですが、ご家族には、どのように話をしてこられたのでしょうか。 とりとめのない質問で申し訳ありませんが、お話いただけると幸いです。
南无阿弥陀佛
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[ 708 ] Re16:人は、かろがろとしたるがよき(聞書)
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2008/07/22 (Tue) 04:39
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鈍べえ様
まず、私の意見から述べさせて頂きます。
五重の義が揃って、初めて信心決定できるのですから、宿善の有る方が条件です。 親鸞聖人はじめ蓮如上人も、宿善・無宿善を見極められたと思います。
又、一念帰命は、一生に一回だけでの事で宜しいのですから、後はどのような日暮ししようが、構わないのです。
まず、鈍べえ様が信心決定されれば、もう阿弥陀様は、鈍べえ様を離さないのですから、鈍べえ様のお姿を通して、御家族の方々も変わってくると思います。
>伝えたいのですが、そうすると第一歩を踏み出しきれません。
鈍べえ様、その一歩を踏み出しましょう!!
後生は一人のしのぎなら、まず鈍べえ様が信心決定することです。
後は、阿弥陀様のお計らいです。
最近、私も、ますますそのように思えてきました。
どうか、勇気を持って、その一歩を踏み出して下さい。
南无阿弥陀佛
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[ 709 ] Re17:人は、かろがろとしたるがよき(聞書)
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2008/07/22 (Tue) 10:55
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鈍べえ様 梅雨明け日本列島連日猛暑日です。有名な、寒くとも、袂に入れよ北の風、西〔浄土)から吹くと思えば・・親鸞上人,日野佐之門、厳冬の門前にて歌われた、現在、枕石寺さんです。 この連日の猛暑なら・・聖人なんと歌われるでしょう?猛暑とて、心浄土は,八功徳水、南無阿弥陀仏一つなりけり、アハハ暑いのでたわけた事,言って申し訳有りません。 そうですね。親鸞上人様29歳、蓮如上人8歳、法然上人42歳〔決定日)、又高祖方自身の身体の誕生日がおのお違い有ります様に信心決定も各自各自違うと思います。宿善開発して有縁の知識に依り煩悩の解決は縁因ゆえ、 しかし,愚老の今迄知る所の一味の方々は殆どご夫婦そしてお子様も全て信心決定して居られます親鸞様も然り蓮如様も然り御夫婦お子様共早い遅いの違いが有りますが念仏の人であり善知識様でしょう。 最近愚老の所ではご主人が幼小の頃母親に連れられて信心の縁となって居られました、結婚され奥様には2人の子供達が・・しかし奥様は32年間もの間ご主人が安心の人とは露ほども知られなかった。母親が〔抑止門)で・・奥様、2年前ご縁で信心決定されました。主人の母親(姑)、ねいちゃん(奥様のこと〕この頃お参りして居られるがや、・・何処に参ってるの?奥様、ご縁で親鸞上人の教え頂いてるです・・?嫁,姑、二言三言、で良かった良かった。 姑様と嫁とが手を取り合って歓喜したそうです.今はご主人の事も共に喜び合え、先月、娘ご夫婦が信心決定、8月には東京に居られる娘さん,子供達3人も是非是非との懇願です。 鈍べい様心配は無用です。貴方の尊い信心は阿弥陀様ちゃんとご存知です。貴方とご縁が有る奥様、そして子供達も全てご縁のもとに集まって居られるんです。 奥様は多分、今時、新興宗教に世間があれこれ煩わしい問題が起こっておるゆえ宗教と言えば?不信をもっておらるかも知りません。しかし古来より伝わる真実信心の教えには必ず同感されるでしょう。とわ言っても中々言い出しにくいでしょう、・ 愚老の思いですが・・この九月二十二日―11月十八日まで九州国立博物館にて『本願寺展- 親鸞と仏教伝来の道 -』に、龍谷大学が所蔵する貴重資料48件、228点を出品します。開催されます.親鸞像やら,教,行,信,證,他、イベントもあり。奥様が落語等に興味ある方なら、 [3]「落語のルーツは浄土真宗のお説教!?」 パート(1) 落語 立川笑志(来春立川流真打決定) パート(2) 節談説教 佐々木高彰(熊本教区常法寺住職 又,音楽に興味のお持ちのお方なら、 [4]「こころに響く浄土の調べ」 パート(1) 「宗祖降誕奉讃法要」(音楽法要) 出演:筑紫女学園中学・高等学校聖歌隊 パート(2) 雅楽コンサート 出演:声明と雅楽の会、和雅音 それとなしにお誘いして少しながら関心もたれたら、,御家族皆様が阿弥陀様のご縁が有れば理想ですが・・当地では大抵は奥様が聞いて子供達が聞いてご主人が聞いて喜んで居られます。 親鸞様は玉日君を観音菩薩様の化身として、玉日様は親鸞上人弥陀化身として生涯お互い拝み合い敬い合いの生活でした、今も稲田御坊の六角堂より恵心尼〔玉日)御陵お互向かい合わせに安置されて居ります。鈍べい様、慌てず少し少しずつ、ご縁を結んで下さい。 南無阿弥陀仏。
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[ 710 ] Re18:人は、かろがろとしたるがよき(聞書)
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2008/07/22 (Tue) 11:34
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愚老様
毎日、うだるような暑さですね。NHKニュースで、全国一暑いって放送が流れていました。もう、そのニュースを聞いただけで、どっと汗が流れだしそうです。
>鈍べい様心配は無用です。貴方の尊い信心は阿弥陀様ちゃんとご存知です。貴方とご縁が有る奥様、そして子供達も全てご縁のもとに集まって居られるんです。
愚老様のお書込みで、私も安心しました。 私も、自分が信を頂けましたので、その様子を見て、息子夫婦、友達も信心決定することが出来ました。何れは、主人や娘夫婦と思っています。 私も、全然あせっていません。 自分がまず信を得て、喜んでいると、自然にその雰囲気が伝わってくると思っています。
でも、よく最近は一味同行っていいなと感じるんです。 仏法の友達は、親子以上だなと思うんです。 だって、人には自分の醜さをごまかせても、そんなもの分っての阿弥陀様ですから、全然、遠慮せずに何でも語ることが出来ます。 隠しようがないですよね。少しも偉ぶる必要もないですよね。
鈍べえ様 若しかして、愚老様の御縁ある方が、その会場にきておられるかも知れませんね。 已・今・当・・・何れは全て、弥陀に救われる私達です。 南无阿弥陀佛
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[ 711 ] Re19:人は、かろがろとしたるがよき(聞書)
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2008/07/23 (Wed) 06:19
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菩提心さま 愚老さま
お二人の心からの、忠言、諫言、心に響きました。
>後生は一人のしのぎなら、まず鈍べえ様が信心決定することです。 >後は、阿弥陀様のお計らいです。
そうですね、やはり、まず私自身からはじめないといけませんよね。
>この九月二十二日―11月十八日まで九州国立博物館にて『本願寺展- 親鸞と仏教伝来の道 -』
わざわざ私の近場でのご縁を教えていただきありがとうございます。 面白そうな内容ですので、もしかしたら、誘っていくことができるかもしれません。
>貴方の尊い信心は阿弥陀様ちゃんとご存知です。貴方とご縁が有る奥様、そして子供達も全てご縁のもとに集まって居られるんです。
そうだと、どんなにうれしいことか。 ともかく、私自身の獲信を急がねばなりません。
>仏法の友達は、親子以上だなと思うんです。 >だって、人には自分の醜さをごまかせても、そんなもの分っての阿弥陀様ですから、全然、遠慮せずに何でも語ることが出来ます。 >隠しようがないですよね。少しも偉ぶる必要もないですよね。
私も、早くみなさんと一味の世界へ出られるよう、がんばってみたいと思います。
南无阿弥陀佛
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●re.20
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毎日 |
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[ 712 ] Re20:人は、かろがろとしたるがよき(聞書)
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2008/07/23 (Wed) 04:40
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鈍べえ 様
みなさまおっしゃいます通り、鈍べえ様に求める気持ちがありますならば、必ずや弥陀は導いてくださると思います。
善知識様から六字の謂れを聞き開き、機法一体の南无阿彌陀佛、我が身に体験し、信心決定、よろこびの人生を送っていただければ、私もうれしいです。
弥陀はすべてをご存知なのですから、鈍べえ様のまわりの方も、意味があって、その場所にいらっしゃるはずであると思います。
一人一人の宿善開発ですので、あせることはないと思います。
他にたよることなく、弥陀をたよられますように。
南无阿彌陀佛
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[ 713 ] Re21:人は、かろがろとしたるがよき(聞書)
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2008/07/24 (Thu) 18:31
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鈍べえさま
こんにちは酒天童子です。
鈍べえさまのメールを読み返しているうち、鈍べえさまの苦悩も伝わってきます。 自分も家内には内緒でした。 ただ、信心決定してからは考え方が変わったのも事実です。 私自身は自分のご縁のときには何のためらいもなかったのですが、やはり家族に話すときにはかなりためらいました。
結局、いろいろとあれこれと悩んでいたことは杞憂だったのですが、もし賛同を得られなければ、それどころか誹謗されたら、と考えるとなかなか一歩を踏み出すことは大変でしょう。
それはよくわかります。
皆さんおっしゃるようにきっと、それらのいろいろな状況を含めて、今現在自分がこういう環境にいることが自らの”業”とでも呼べるものなのでしょう。 そうしてその状況は自分にとって、ある意味”困難なもの”を多く含んでいるのではないでしょうか? その困難なものを私たちは”試練”という呼び方をするのではないでしょうか?
偉そうに言っている私自身、日々さまざまな困難に直面して四苦八苦しています。それでもこうした永い永い苦しみと困難な旅路もようやくゴールが見えた。 今はその喜びがすべての悩み苦しみをも凌駕し、どこかで落ち着いて自分を眺めていられる“もう一人の平安の自分”がいます。
たぶん、毎日様はじめ菩提心様、愚老様方々は鈍べえさまのお心は十分お察しなのだと思います。
でも、それでもあえて”一歩を踏み出して”と言っているのだと思います。
毎日様はあせることはない、と仰いますが、明日の朝、無事に目を覚ます保証は誰にもありません。 考えようによってはこれも“一つの試練”なのかもしれませんね。
だらだらと申し訳ありません。 鈍べえさまへ、というよりも自分自身に言い聞かせる意味で書いたようです。
ご笑覧ください。
南无阿彌陀佛
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[ 714 ] Re22:人は、かろがろとしたるがよき(聞書)
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2008/07/24 (Thu) 22:13
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鈍べえ 様
こんばんは。
御家族に胸の内を話して御自分の求道を認めて欲しい。ひいては御家族も御本願に逢わせてあげたい。その御心よく分かります。
御文を拝読されておられるようですので既によくお分かりかと思いますが、当流は信をもって先と致します。そして人を勧化するにあたって、宿善と無宿善を分別せよとうるさく申されております。
『一つには、自身の往生すべき安心をまず治定すべし。二つには、ひとを勧化せんに、宿善無宿善のふたつを分別して勧化をいたすべし。この道理を心中に決定してたもつべし。』御文4-1
また、当流には定めおかせらるる御掟がございます。先ほどの御文4-1には下記のような続きがございます。
『しかればわが往生の一段においては、内心にふかく一念発起の信心をたくわえて、しかも他力仏恩の称名をたしなみ、そのうえにはなお王法をさきとし、仁義を本とすべし。また諸仏菩薩等を疎略にせず、諸法・諸宗を軽賎せず、ただ世間通途の義に順じて、外相に当流法義のすがたを他宗・他門のひとにみせざるをもって、当流聖人のおきてをまもる真宗念仏の行者といいつべし。』御文4-1
奥様はあなた様に深き御縁あって夫婦となられ、お子様はその御縁をかりて子としてお生まれになられたのであります。弥陀はあらゆる御方便を尽くされ御本願に導いて下さります。私共の想いなどはるかに超えたお働きによって導かれてゆくのです。いつの日か振り返れば弥陀のお導きの御手の中にあったのだとお気づきになられる時も来るかと存じます。
南无阿彌陀佛に全てがあり、この六字唯一つにて往生する理を、必ず良き人に導かれ聞き開いて下さいませ。凡夫が往生するほどの一大事です。何の遠慮がありましょうか。
南无阿彌陀佛
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[ 715 ] Re23:人は、かろがろとしたるがよき(聞書)
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2008/07/25 (Fri) 04:21
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毎日さま 酒天童子さま 泥凡夫さま
お言葉ありがとうございます。
>一人一人の宿善開発ですので、あせることはないと思います。 >他にたよることなく、弥陀をたよられますように。
そうでした、ことは自分の後生の一大事でした。
>毎日様はあせることはない、と仰いますが、明日の朝、無事に目を覚ます保証は誰にもありません。 >考えようによってはこれも“一つの試練”なのかもしれませんね。
確かにこれまでの自分の行動の結果なのでしょう。
>南无阿彌陀佛に全てがあり、この六字唯一つにて往生する理を、必ず良き人に導かれ聞き開いて下さいませ。凡夫が往生するほどの一大事です。何の遠慮がありましょうか。
その通りでございます。忘れておりました。
なんというか、これほど多くの人に自分の後生を心配していただいていると感じるだけで、心強く感じます。 何とか、一歩を踏み出したいと思います。
南无阿弥陀佛
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●re.24
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毎日 |
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[ 716 ] Re24:人は、かろがろとしたるがよき(聞書)
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2008/07/25 (Fri) 15:59
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鈍べえ 様
まずは、自身がよくよく「信心決定した」と確認される事肝要と存じます。
我らは短命の機であり、せっかくご両親の縁からいただいた人身でありますが、信心決定し、永劫の流転から逃れるかどうかも、ただただご縁まかせです。
「宿善開発」と言っても、何をしたら良いのかわかりません。
結局、弥陀をたのむしかございません。
信を獲たと言っても、それが本当に真実かどうかを確認することもできません。
それでも、「信を獲た」と感じ、よろこぶことができます。
こう書いて参りますと、「確認できる」と言ったり、「確認できない」と言ったり、「あせる必要はない」と言ったり、「短命の機である」と言ったり、一貫性がないような表現になってしまうのですが、これはこれで、表現上は矛盾したままで、お伝えしたいことがあるのです。
信を獲た暁には、その味わいをわかっていただけると存じます。
わけのわからぬことばかり申し上げまして、誠に申し訳ない限りです。
「凡夫が佛になる」不可思議なこの道です。
御同行、一味となってくださいますことを、願っております。
南无阿彌陀佛
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[ 717 ] Re25:人は、かろがろとしたるがよき(聞書)
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2008/07/27 (Sun) 23:36
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鈍べえ 様 こんばんは 泥凡夫様 はじめまして、酒天童子といいます。
泥凡夫さまの仰せのとおり、御文にありますように今回の人生にて弥陀をたのむことが出来るや否や、それは”宿善まかせ”でありましょう。
自分は信心浅く、おそらくは鈍べえさまの足元にも及ばない浅学非才の輩であります。
御文でさえ、いまだちゃんと読めたことすらありません。
”この宿善、無宿善の道理を分別せずして、手びろに世間の人をもはばからず勧化をいたすこと、もってのほかの当流のおきてにあいそむけり”
私自身、ときどき宗教の話をするに、あまりにも安易になりすぎたのではと、反省することも多いです。 でも、わからないのです。この人に宿善があるのか無いのか。とにかく当たってみなくては、という思いがあります。
ひとりでも多く自分に縁のあった人に救われてほしい、ましてや両親や兄弟、家族親類縁者などは、ひときわです。
今は鈍べえさまにどこまでどういう風に声をかけて良いのか、それさえもわかりません。
鈍べえさまが本当のところ、どのように内心受け止めていらっしゃるのかも、正直わかりません。 こんな時は心から”他心通”がほしいと思ってしまいます。
私には御文や泥凡夫様のお言葉は、あたたかくもありますが時に厳しくも感じられます。
突き放して、それでもあきらめずに求めてくるもののみが宿善の可能性あり、ということなのでしょうか?
不勉強なものの愚見であります。ご教示していただけると幸いです。
南无阿彌陀
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●re.26
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毎日 |
非公開の非公開 |
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[ 719 ] Re26:人は、かろがろとしたるがよき(聞書)
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2008/07/28 (Mon) 12:48
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酒天童子 様
私も、ある人に宿善があるかないか、わかりません。
ではどのようにして見て行くのかと言えば、酒天童子様もおっしゃってくださいましたように、少しずつお話をしまして、その反応を見てゆくことだと思います。
また、自身でも、自分に宿善があるかないか、わからないものだと思います。
その場合、やはり自分で自分の心を見て、救われたいのかどうか、そして、直感にて、「本当」と感じるかどうか、そういったことを感じながら、自ら判断し、有縁の道を進んでゆくのだと思います。
そして、互いに互いの気持ちを確かめ合いながら、少しずつ、歩みを進めてゆくのが本来の道なのではという感覚が、近頃は致しております。
もちろん、これも愚見に過ぎないことです。
我らの慮りを超えて、弥陀がはたらいてくださっていることと思います。
ただただありがたい、六字であると思います。
南无阿彌陀佛
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[ 720 ] Re27:人は、かろがろとしたるがよき(聞書)
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2008/07/28 (Mon) 19:23
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酒天童子 様
こんばんは。泥凡夫と申します。
>私には御文や泥凡夫様のお言葉は、あたたかくもありますが時に厳しくも感じられます。
蓮師の御文はそれはそれは有難いものです。私の言葉は皆様に不快を与えることも多々あるかと思います。事実、有縁の御同行に私に叱られてここまで来た。と言われたことがございます。生来の筆不精と智恵浅き身でございますので、思ったことをそのまま書いてしまう故だと思っております。ここは誰に非難されても返す言葉もございません。誠に申し訳なく思っております。
しかし、毎日様の申されるように、少なくても言葉のキャッチボールをしなければ相手がどう思っているのかすら分からんので、私がお答えできる疑問であるのか否かは別として、キャッチボールを通じてお互いに何かを感じてゆくのではないかと思っております。全部納得はできんが、それでもなお、その道を聞いてみよう。信じて歩いてみよう。と思われた有縁の方々に頭が下がります。これ皆、弥陀の願力の賜物以外の何物でもございません。
究極的には、この人には宿善がある。この人には無い。と凡夫が見極めることなどできんのです。では誰が見極めるのか。弥陀が見極めるのであるとしか言いようがないのであります。
大経下巻にこのようにあります。
『佛語彌勒。如來興世、難値難見。諸佛經道、難得難聞。菩薩勝法、諸波羅蜜、得聞亦難。遇善知識、聞法能行、此亦爲難。若聞斯經、信樂受持、難中之難、無過此難。是故我法、如是作 如是説 如是教。應當信順、如法修行。』
『仏、弥勒に語りたまわく、「如来の興世、値い難く見たてまつり難し。諸仏の経道、得難く聞き難し。菩薩の勝法、諸波羅蜜、聞くことを得ることまた難し。善知識に遇い、法を聞きて能く行ずること、これまた難しとす。もしこの経を聞きて信楽受持すること、難きが中に難し、これに過ぎて難きことなし。このゆえに我が法、かくのごとく作し、かくのごとく説き、かくのごとく教う。応当に信順して法のごとく修行すべし。』
「善知識に遇い、法を聞きて能く行ずること、これまた難しとす。もしこの経を聞きて信楽受持すること、難きが中に難し、これに過ぎて難きことなし。」
やはり宿善の機でなければ、これはかなうものではないように思われます。
少し長くなりますが有縁の方々のために御文3-2を引用させて下さい。
『そもそも、阿弥陀如来の他力本願をば、なにとように信じ、またなにとように機をもちてかたすかるべきぞなれば、それ、弥陀を信じたてまつるというは、なにのようもなく、他力の信心といういわれをよくしりたらんひとは、たとえば十人は十人ながら、みなもって極楽に往生すべし。さてその他力の信心というは、いかようなることぞといえば、ただ南無阿弥陀仏なり。この南無阿弥陀仏の六つの字のこころをくわしくしりたるが、すなわち他力信心のすがたなり。されば、南無阿弥陀仏という六字の体をよくよくこころうべし。』
まず、酒天童子様もよくよく御存じの他力信心の理を記されております。
『まず「南無」という二字はいかなるこころぞといえば、ようもなく、弥陀を一心一向にたのみたてまつりて、後生たすけたまえとふたごころなく信じまいらするこころを、すなわち「南無」とはもうすなり。つぎに「阿弥陀仏」という四字はいかなるこころぞといえば、いまのごとくに弥陀を一心にたのみまいらせて、うたがいのこころのなき衆生をば、かならず、弥陀の御身より光明をはなちててらしましまして、そのひかりのうちにおさめおきたまいて、さて、一期のいのちつきぬれば、かの極楽淨土へおくりたまえるこころを、すなわち「阿弥陀仏」とはもうしたてまつるなり。』
続いて善導様の六字釈をやさしく説き明かされております。
『されば、世間に沙汰するところの念仏というは、ただくちにだにも南無阿弥陀仏ととなうれば、たすかるようにみなひとのおもえり。それはおぼつかなきことなり。さりながら、浄土一家においてさように沙汰するかたもあり。是非すべからず。これはわが一宗の開山のすすめたまえるところの、一流の安心のとおりをもうすばかりなり。宿縁のあらんひとは、これをききて、すみやかに今度の極楽往生をとぐべし。』
口称念仏にての往生は極めて不定である旨を明かされた後に、それでも浄土一門において、それを義とする場所もあるので是非するには及ばんことを申されております。これはあくまでも御開山の勧めた真宗における安心の次第でありますので、宿縁のある人はこれを聞いて速やかに平生業成、只今往生一定の身となられよ。と勧められておられます。
人を勧化するにあたり、優しく柔らかに説き聞かせられる人もあり、私のように思ったことを言う輩もあり、それでもそれぞれを御縁として宿善の機は先の大経下巻のように「善知識に遇い、法を聞きて能く行ずること」ができるのではないでしょうか。
実際、勧化するにあたり智恵深き人も多々おられます。その方々に対してはそれなりに御聖典などを根拠にお話しなければ聞く耳すら持ってはくれんかも知れません。しかし、私は残念ながら智恵浅き身でありますので、そういう方々を満足させるだけのものを出せんのが現実であります。また、ややもすれば誤りもあります。嘲り笑われるやも知れません。
逆に何も難しいことなど知らんが、ひとすじに願に生きる人のすがたに心を動かされる人もおります。これは幾千万の言葉より重いのではないかとも思っております。
私はそのどちらも御縁であると信じております。何を根拠に信じておるかと言えば、弥陀の大願業力はあらゆる衆生に分け隔てなく届き、過去・現在・未来において必ず皆共に往生すると信じておるからであります。
私は私に御縁ある人に対して、私なりにできる限りのことをお伝えし、それでもいいから聞かせろ。と言って頂けることを大事にしております。
南无阿彌陀佛
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[ 721 ] Re28:人は、かろがろとしたるがよき(聞書)
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2008/07/29 (Tue) 00:38
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酒天童子さま 毎日さま 泥凡夫さま
お世話になっております。
私のつたない質問に、みなさま、真剣にご回答いただいており、まことにもったいなく存じます。
様々なお言葉をいただけると、そのたびに自分自身を、様々な方向から見直すことができるため、非常にありがたいです。
この掲示板という形式だからこそ、できる方法だと思います。 何のご縁か、今の世に生まれさせていただいてよかった。
なかなか先へ進めない自分ですが、なんとかかんとかやっております。 ちなみに、今は、この掲示板を一通りプリントアウトして、読み切ろうとしております。 いや、教学は無用と言わると、なんとも言い返せないのですが。
また、バカな質問をするかもしれませんが、よろしくお願いします。
南无阿彌陀佛
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[ 725 ] Re29:人は、かろがろとしたるがよき(聞書)
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2008/07/30 (Wed) 08:40
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泥凡夫様 鈍べえ様
こんにちは、酒天童子です。
>生来の筆不精と智恵浅き身でございますので、思ったことをそのまま書いてしまう故だと思っております。
>私には御文や泥凡夫様のお言葉は、あたたかくもありますが時に厳しくも感じられます。
泥凡夫様、申し訳ないです。こうお伝えしたいと思っていたのです。 私には御文や泥凡夫様のお言葉は、時に厳しくもありますが、あたたかいものです。
どんな方からでも、何かを伝えられようとしていると、感じた時、わたしは言葉の意味を考えるのではなく、その人の思いを心で感じ取るように心がけています。 それができているかどうかは全く自信がありません。
しかしながら、時々聞いているうちに(読んでいるうちに)その方の熱い想いや気持ちがどこからともなく心に湧きあがってくることがあります。 そのとき、私は至福を感じます。そして、自分がその想いに共鳴して、言葉を超えて共感を得ることができることもあります。
泥凡夫様、丁寧かつ親切にご教示していただきありがとうございます。
>人を勧化するにあたり、優しく柔らかに説き聞かせられる人もあり、私のように思ったことを言う輩もあり、それでもそれぞれを御縁として宿善の機は先の大経下巻のように「善知識に遇い、法を聞きて能く行ずること」ができるのではないでしょうか。
まったくそのように思います。そもそも、凡夫の私などに人の宿善の有無などわかるはずはありませんでした。すべて弥陀の計らいでありましょう。 また、私自身、思ったことを言ってしまう直情径行な人間です。 ただ、人は自分の思ったことを極力わかりやすく表現し、人の表現をできるだけ理解しようと努めて互いに切磋琢磨してゆけるのでしょう。 このように弥陀のお力によって、自分をすこしでも高めていけることはこの上ない喜びです。
鈍べえ様
>ちなみに、今は、この掲示板を一通りプリントアウトして、読み切ろうとしております。
私もそのようにして、勉強させていただきました。このサイトは本当に有り難いものです。 是非、最初のほうまでたどり着いてください。 そうして、愚見であり、口はばったいですが、言葉だけではなく、毎日様、泥凡夫様、菩提心様、愚老様たちのお心を感じ取れれば、心から信頼する気持ちも生まれてくるのではないでしょうか?
ついつい、偉そうなことを書いてしまいます。恥ずかしい限りです。
南无阿彌陀佛
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