浄土真宗の教義について

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●No.8 admin 
毎日
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[ 33 ] 義なきを義とす 2007/11/29 (Thu) 16:57 △up ▽down
弥陀はどんな悪人でも救い、一度救ったら、摂取不捨だから、「義なきを義とす」なのです。
信前にも信後にも義はなく、決まっているのは、南无阿彌陀佛だけであり、ここには必要なすべてがありますから、そして、その他のすべては必要ありませんから、「義なきを義とす」であり、あくまでも、ひとりのしのぎです。
もし、「義あり」と見える人に、「『義なきを義とす』ですよ」と、あまり注意をしたら、「義なきを義とす」が義になってしまいます。
不思議なことです。

●re.1
おやおや
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[ 34 ] Re1:義なきを義とす 2007/11/29 (Thu) 21:34 △up ▽down
毎日様

「義なきを義とす」

実は、僕は書込みしていても、深くは理解できていないかも知れません。

これは、よくジャンヌ掲示板でも泥凡夫様が書かれていたお言葉です。


僕は、「自然法爾章」のお話をされた時に、はからうなとか、知らざるを知らずと為せ是を知るなり。

又、目の前に有る手のひらを見て、薄紙一枚でそれをさえぎれば、その向こうは見えない。しかし、その紙はずせば、手のひらはそのままある。だからはからうなと聞きました。


まず、義=[仏]教え・教義

はからう=@考えて、適切な処置をする。都合の良い方法を講ずる。取り計らう
     A相談する。協議する。
     B考え定める。計画する。
     C推しはかる。見当をつける。
     D手加減をする。あんばいする。
「可能」はからえる

「知らざるを知らずと為せ是を知るなり」=知りもしないことを、あたかも知っているかのように見せかけたりせずに、知らないことを知らないとすること、これこそがほんとうの意味での知るということだということ。

毎日様の 不思議なことです。
では、信を得てない者には、その心持ちが有りがたくて、不思議なのか、今一分りません。

毎日様は、少しでも有縁の人に分ってもらうのには、
親鸞聖人が、あの難しい「教行信証」から「和讃」そして「一念多念証文」へと
晩年に至る程、噛み砕いて書かれた意図をお分かり頂いていないと思います。

済みません。
でも、毎日様一人が分っているようで、これでは突っ込みしたくても、信前の者には対処できません。
毎日様のひとりしのぎで終ってしまいます。

僕は、本当に学歴が有りません。
ただ、今の取りえは、調べることは苦痛ではなく、不思議に楽しいからです(正直、これくらい勉強していたら、高校受験にも失敗することはなかったと思います)

僕は全てにおいて、人生のおちこぼれの代表者かも知れません。
だからこそ、阿弥陀様にすがったのです。

どうか、もう少し砕いて話して下さい。
一文不知の尼入道は、蓮如上人の時代の人ばかりでは有りません。

平成の時代にもいるのです。


●re.2 admin 
毎日
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[ 35 ] Re2:義なきを義とす 2007/11/29 (Thu) 21:41 △up ▽down
おやおや 様

「わかりにくい!」っていう突っ込み、大歓迎です。

ひとりで書いていると、本当に、(わかりやすいのか、わかりにくいのかが)わかりません。

おやおや様のように、突っ込んでくださる方がいると、それに対応することになって、そうやって目の前のことをやっているうちに、だんだん、私も説明ができるようになってゆくと思います。

ですから、お手数だとは思いますが、わかりにくいところがあれば、遠慮なく、ガンガン指摘してください。

どうも私の説明はわかりにくいらしくて、身近な人に、とんでもなく質問攻めにされている毎日です。

そうやって、何度も質問攻めされているうちに、幾度も聞かれることについては、少しずつ、わかりやすい説明ができるようになり、そして、私の理解も深まります。

誇張ではなくて、私の日々は、本当に質問攻めです。

わかりにくく書こうとしているわけではないのです。

何度でも、書き直して、少しでも、わかりやすいように、現代日本の、多くの方にとってわかりやすい表現になるように、単語の選び方も、文体も、工夫して行くつもりです。

今晩中には、また書き直して、新しい投稿をしますね。

何度でも、遠慮なく、「ここがわかりにくい!」って、突っ込んでください。

そして、どうにかわかりやすい説明になったら、今度は、内容がおかしいと思うところ等を突っ込んでください。御願いします。

●re.3 admin 
毎日
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[ 36 ] Re3:義なきを義とす 2007/11/29 (Thu) 21:43 △up ▽down
ひとまず、「義なきを義とす」の言い換えです。

「ルールが無いのがルールです」

と考えてみてください。

●re.4
彩名
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[ 37 ] Re4:義なきを義とす 2007/11/29 (Thu) 21:49 △up ▽down
やりたい放題ということですか。
●re.5
おやおや
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[ 38 ] Re4:義なきを義とす 2007/11/29 (Thu) 22:08 △up ▽down
毎日様

ごめんなさい。

本当に智恵無き身で、恥ずかしいです。

でも、何故か、無性に叫びたくなったのです。

違うっていうのか、蓮如上人でも、分りにくく、今時の人は理解していないのに、これでは逆行になってしまうと思ったのです。

毎日様には、毎日様がしなければいけない使命とは、きっと、「偽宗」といわれる真宗を、本来の真宗に軌道修正して下さることだと思います。

無宿善の人を、誘う事は、掟に反することでしょうが、
まず、その宿善、無宿善の何たるかも分らない時代だと思います。

阿弥陀様さへ知らない時代だと思います。

せめて、この掲示板だけでも、真実信心とは、こういうことですよと

僕のような者が尋ねてきても、理解できるような掲示板にして欲しいと思います。

そして、阿弥陀様に救われることは、このように楽しくなるのです。

十種の益を漢字ばかりでなく、

毎日様の救われた、毎日様の喜びのお言葉の方が、心に響くと思います。

済みません。これは馬鹿な僕のたわ事と聞いてもらっていいです。

毎日様のような、お方こそ、無智な者にも、仏教を勉強している人にも、どのようにでも対処できるお方だと思いますので、僕は甘えて、勝手な書込みしました。


●re.6 admin 
毎日
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[ 39 ] Re5:義なきを義とす 2007/11/29 (Thu) 22:23 △up ▽down
おやおや 様

「智慧」ということであれば、「わかりやすく書けない」ということが、智慧が無いということなのです。

もとより智慧のない私ですけれども、おやおや様がご質問くださるおかげで、やりとりを交わしているうちに、少しでも、ましになれたらいいな、と思っています。

●re.7 admin 
毎日
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[ 40 ] Re6:義なきを義とす 2007/11/29 (Thu) 22:32 △up ▽down
彩名様

>やりたい放題ということですか。

「やりたい放題」ということとは、ちょっと違います。「何も押し付ける必要がない」という感じの方が近いと思います。

たとえば、弥陀は、どのような悪人でも救いますし、どんなに自分は善人であるとうぬぼれている人でも救います。

ですから、信前において、どのようであっても、救うのですから、何も押し付ける必要がありません。

そして、今生で救われない方でも、いつか弥陀は救ってくださいますから、何も押し付ける必要がありません。

信をいただくときでも、その方自らが望まなければ、弥陀をたのむことができませんから、押し付けても、どうにもならないのです。

信後においては、信をいただいている以上、もうその方は、極楽往生治定ですから、あれしろこれしろと、何も押し付ける必要がありません。

信をいただいたら、「もう、救われたから、いいや」と、離れる方も出てくるかもしれません。

それで、いいのです。なぜなら、その方は、私たちに用があったからではなくて、弥陀に用があったからです。

弥陀の信心は、ずっとその方の中に入っています。ですから、その方が弥陀を離れる心配はありません。ですから、大丈夫なのです。

わかりにくいかもしれないですね・・・ 気が向いたら、また質問してください。

●re.8 admin 
毎日
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[ 41 ] Re7:義なきを義とす 2007/11/29 (Thu) 22:46 △up ▽down
何も押し付ける必要がないから、ひとりのしのぎになります。

「ひとりのしのぎ」というのは、「自分ひとりの歩む道」ということです。

何かを押し付けたくなったとき、「何も押し付ける必要がないんだな、なぜなら・・・」と考えることができます。

なぜなら、信前の者であれば、弥陀がお育てくださっていて、いつか弥陀に救われるからです。

信をいただく者は、自ら強く、強く望んで弥陀をたのむのですから、何も押し付ける必要がありません。

信後の者であれば、もう救われています。浄土に往生して、佛になることが定まっています。ですから、何も押し付ける必要がありません。

このように、何も押し付ける必要がないとわかります。

そんな自分自身にも、何も押し付ける必要がないのです。もう、救われていて、為すべきことは成し遂げて、無上の善も行ったからです。

そして、その無上の善を行うことができたのは、あくまでも、弥陀のおかげ、善知識のおかげ、お手引き下さった方のおかげで、自分では、自分を救うことなど、できなかったのです。

自分が弥陀をたのめたのも、弥陀が育ててくださったからなのです。

そして、弥陀のお育てのおかげで、無事弥陀をたのむことができて、信心もいただけて、こんなにうれしいことはありません。

こうやって、自分は弥陀に導かれて歩んできていて、確かに、ひとりの道を歩んできました。

皆様のおかげでありますけれども、歩んできたのは、ひとりの道なのです。

そして、信をとったら、一日たてば、一日浄土に近づきます。その道を、またひとりで歩んでゆくのです。

その姿を見て、また弥陀をたのむひとが現れるかもしれませんが、それは、その人にその時期が来たからで、そういう時期に、私を見るように、弥陀がとりはからってくださっただけなのです。

南无阿彌陀佛

●re.9
おやおや
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[ 44 ] Re8:義なきを義とす 2007/12/01 (Sat) 15:17 △up ▽down
毎日様

これで、僕もようやく理解出来ました。

僕も、はやく毎日様と一味同行になりたいと、その思いは深くなります。


昔のことで、誰が書いていたのか、覚えていませんが、

その時高校生だった僕が、感動したのを覚えています。(おおよその内容)

文章を書く時は、読んでいる人が内容を分りやすいように、考えて書く努力をしています。それが、今の時代は、横文字とか、あえて難しい言葉を使うのが、文章の価値をあげているように錯覚している人がいるようです。

僕は、丁度学校の宿題の読書感想文を書くために、参考の為に、図書館で読んだように思います。

読書感想文の宿題だったので、なお覚えているのかも知れません。

先日も、講習会に行ってきました。
その講習内容のテキストを見ながら進めていくのですが、大部分がカタカナばかりなのです。
英語のカタカナ読みの横に[ ]して日本語の訳を入れているのです。
僕は、講習を受ける対象者が分っていないなと思いました。
英語がバッチリ出来る人なら、日本語訳も入らないし、日本語訳を入れるぐらいなら、最初から日本語だけの方がスッキリすると思ったのです。

これは僕のひがみかも知れません。
被害家族の会のあれあれさんは、確か数学が苦手だと書いてあったと思いますが、僕は全く英語が駄目です。

多分、これは文章ばかりでなく、会話でもそうなんでしょう。
僕は、どうも結論を先に言わず、ながながとその経緯を言ってから、結論を言おうとするので、みんなから、「ところで結論は?」と言われています。

だから、ここの掲示板では、対象者は誰なのか、しっかり把握して欲しいと思ったのです。
被害家族の会から、こちらに掲示板を作りましたと言われるなら、親鸞会にご縁ある方で、そして、被害家族の仏教を理解していない方若しくは、他宗の人で、浄土真宗になじみの無い方では有りませんか?

毎日様は、いずれは、すばらしいご著書等を発表されるお方なのですから、どのような人にも分るような文章でお願い出来たら嬉しいです。

今時の人は、阿含経もいいですよと、言っても多分、「ハイそうですね」と読んで見る人はどれぐらいいると思いますか?(信後の人もです)

被害家族の書込みさへ、じっくり読んでいないのです。

僕は、頭が悪いので、とても画面を見ながらでは、理解出来ないと思ってプリントアウトして読んだお蔭で、気がついたのです。


●re.10 admin 
毎日
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[ 46 ] Re9:義なきを義とす 2007/11/30 (Fri) 05:02 △up ▽down
おやおや 様

わかりやすく述べられるのが、一番だと私も思っています。

コミュニケーションのために言葉を発するのは、相手の方にわかっていただくのが、一番の目的だからです。

その方が、わかった部分だけが、その方に届くのですから、わかる部分が多い程、良いのだと思っています。

(その方がわからない部分については、話している時間、そして、相手の方の時間が無駄になっているようなものだと思います。)

この掲示板ですが、真実信心を求めている方、そして、信を得た方を対象にしています。

少しずつ、求める方にとって、探しやすい場所になってゆくことでしょう。

今時のほとんどの人は、「阿含教もいいですよ」と言っても、読んでくださらない方のほうが、多いだろうと思います。

「典拠は何ですか?」と、知ろうとするために質問する方は少なく、批難するために質問する方が多いように感じています。

私は、八正道の名を知っても、その内容は、何年間もわかりませんでした。

なぜなら、どのお経に説明があるのかが、わからなかったからです。

同じ様に、南无阿彌陀佛をはじめて聞いたのは、幼少時でしたが、その六字の謂れを聞くまでには、かなりの時間がかかりました。

お経を読めない方でも救われるのが真宗、知的に教義を納得してからでないと進めない方でも救うのが真宗で、どちらの方も救われます。

前者の方のために説明するのにも手間がかかりますし、後者の方のために説明するのにも、手間がかかります。

この手間をかけてゆくことが、大切だと思っています。

ご開山も、両方のタイプの方のためにご説明を遺してくださっているように思います。

そして、中には、説明が要らず、すぐに直感的に信じる方もいると思います。この方の場合は、あまり手間がかからないのだと思います。

智慧ある身であればともかく、私の場合は、何事も、現場で実践することにより、少しずつ、上手になってゆくのだと思います。

これからも、わかりにくいところや、おかしいところを、どんどん指摘していただけたら、うれしいです。




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