浄土真宗の教義について

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●No.74 admin 
毎日
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↑毎日宛にメール
[ 491 ] 金剛の信心について(鋸喩経) 2008/05/28 (Wed) 04:32 △up ▽down
鋸喩経には、このような喩えがのっています。

◎たとえば、修行僧たちよ。ある人が鋤とかごをもってきて、こういうとしよう。わたしはこの大地を大地でなくしよう、と。かれはあちこちを堀り、そこここを散らし、あちこちでつばを吐き、そこここで小便をする。おまえは大地ではない、おまえは大地ではない、と。修行僧たちよ、あなたはそれをどう思うか。その人は、この大地を大地でなくできるだろうか。

同じように、ある人が、汚いことばで持って、態度で持って、あるいは、悪しき気持ちでもって、「そんなものは信心ではない、信心ではない」と言おうとも、金剛の信心を、信心でなくすることはできるのでしょうか。

南无阿彌陀佛

●re.1
泥凡夫
北陸の男性
[ 492 ] Re1:金剛の信心について 2008/05/27 (Tue) 01:19 △up ▽down
毎日 様

こんばんは。

>同じように、ある人が、汚いことばで持って、態度で持って、あるいは、悪しき気持ちでもって、「そんなものは信心ではない、信心ではない」と言おうとも、金剛の信心を、信心でなくすることはできるのでしょうか。

鋸喩経の喩えは実に良いことを言われておると思います。
大地を変えようと試みて大地で無くなるようであればそれは信心の体が己の心であるからです。凡夫の心など如何ようにも変化します。精神的病に冒されれば思考も変化しますし、極論、麻薬や覚醒剤を用いれば、心はもう勝手にあっちの世界に行ってしまうでしょう。無記になれば何もかんも忘れてしまいます。死ぬまで弥陀一佛や。もう感謝でいっぱいだ。どう思われようともそれは後念のお喜びのすがたであって、それを信心とは言わんのです。

さて、大地が大地たる所以は大地が「南无阿彌陀佛」でできていることにあるのです。これは如何様に凡夫が変えようと試みても絶対に壊れることがありません。

信心の体は南无阿彌陀佛である。これは真宗真実信心の鉄則であります。南无阿彌陀佛は金剛不壊であります故に。

今日も有縁の人のために毎日様宛に独り言を申しました。

南无阿彌陀佛

●re.2 admin 
毎日
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↑毎日宛にメール
[ 498 ] Re2:金剛の信心について 2008/05/28 (Wed) 04:35 △up ▽down
泥凡夫 様

こうして、鋸喩経のみことばと、私の書き込みを並べてみてみますと、仏説の素晴しさに打たれます。

>どう思われようともそれは後念のお喜びのすがたであって、それを信心とは言わんのです。

尊い導きをありがとうございます。

信心の体は南无阿彌陀佛。いくど味わいましても、素晴しいおことばです。

そして、有縁の方のために、念のためお書きしますと、鋸喩経においては、阿弥陀如来にいただく金剛の信心のたとえとして説かれているわけではございません。

しかし、私がその箇所を読みますと、味わいとして、金剛の信心のことを思い浮かべるのです。

南无阿彌陀佛



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