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●No.73
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[ 484 ] まことに後生は一人のしのぎ
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2008/05/25 (Sun) 02:25
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◎往生は一人のしのぎなり。一人一人仏法を信じて後生をたすかることなり。よそごとのやうに思ふことは、かつはわが身をしらぬことなりと、円如仰せ候ひき(聞書171)
ひとりひとりが、我が身に引きつけての上のことだと思います。
南无阿彌陀佛
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●re.1
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[ 485 ] Re1:まことに後生は一人のしのぎ
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2008/05/25 (Sun) 21:10
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しかしながら、同時に、
◎しかのみならず善導和尚は、「同行・善知識に親近せよ」(礼讃)とすすめ、慈恩大師は、「同縁のともを敬へ」(西方要決)とのべられたり。そのゆゑは、善知識にちかづきてはつねに仏法を聴聞し、同行にむつびては信心をみがくべしといふこころなり。わろからんことをばたがひにいさめ、ひがまんことをばもろともにたすけて、正路におもむかしめんがためなり。かるがゆゑに師のをしへをたもつは、すなはち仏教をたもつなり、師の恩を報ずるは、すなはち仏恩を報ずるなり。同行のことばをもちゐては、すなはち諸仏のみことを信ずるおもひをなすべし(持名鈔)
であって、
「善知識にちかづきてはつねに仏法を聴聞し、同行にむつびては信心をみがくべし」
というお示しは、スローガンのように簡潔で、とてもありがたいと思います。
善知識に近づくのは → 仏法聴聞のため 同行にむつぶのは → 信心をみがくため というのは、とてもわかりやすいと思います。 頑固な私で、我ながらなさけないのですが、他の意見をよく拝聴し、進んでゆきたいです。
それでも、基本には、「一人の道を歩む」ことが大切だと思っております。 南无阿彌陀佛
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[ 487 ] Re2:まことに後生は一人のしのぎ
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2008/05/26 (Mon) 00:53
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◎往生は一人のしのぎなり。一人一人仏法を信じて後生をたすかることなり。よそごとのやうに思ふことは、かつはわが身をしらぬことなりと、円如仰せ候ひき(聞書171)
よく引用される部分は「一人のしのぎなり」なのですが。この文を終わりまで読めば、「よそごとのように思うこと」を戒める意味で「一人のしのぎ」と教えられていることが読めます。 いわゆる小乗にたいしての大乗を名乗る仏教において、「一人のしのぎ」を強調することには違和感を感じるのです。我執をつのらせる言葉のように感じますので。 私として読むには、心を凝らし自己を反省し、見失っている仏道に立ち戻れよとの御勧めが「後生は一人のしのぎ」であろうと受け取っております。
我が身の存在が見え、為すべきことを感じた次に、他への利益が現われようと思います。同行・善知識とはそのように私にすすめてくださる方々、それこそが尽十方無碍光のあらわれであろうと思います。
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[ 488 ] Re2:まことに後生は一人のしのぎ
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2008/05/26 (Mon) 00:54
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毎日 様
こんばんは。
まったく後生は一人一人のしのぎでございます。 仏法聞く人もあれば聞かん人もおります。
去年の報恩講である僧籍にあるお方が、夕食後で飲酒されておられました。 酔っておりますので同じことを繰り返し言うんです。
その時、周囲の同行衆のひとりひとりに語り掛け、「後生は一人しのぎですよ。仲良くお手て繋いで往くんじゃない。生まれて来るときも一人。還る時も一人。何も持って還られんのです。親も子も妻も兄弟も地位も名誉もお金も何もたのみにならんのです。」
「たのみになるのは弥陀であり、後生たすけたまえと弥陀をたのむのはその人その人。弥陀と差向いになって南无阿彌陀佛を頂くのはその人その人。行者を助けるのは弥陀であって善知識じゃないよ。忘れちゃならんよ。」
同じことばかり語り掛けられておられましたが、私は大変大事なことを申されておると思いました。
「同行にむつびては信心をみがくべし」
講組織を組織化された蓮師のお心は信心をピッカピカに磨き上げて還るの意ではなく、あくまでも信後相続を意図されたのだと私は思っております。
磨いてピッカピカにしたいのですが、ピッカピカにならん己がおります。 自分の心をいくらピッカピカにしても栓なきこと。 ピッカピカにならん己を知り、故に尊い南无阿彌陀佛に繋がるのではないかと思っております。そうすると、ピッカピカの南无阿彌陀佛であると知り、またそれを次世代にも伝えてゆけるのだと思っております。
大事なことは「南无阿彌陀佛」自体は何の変わりもないということだと思います。 あの人はピッカピカの信心だ。あの人は濁った信心だ。そうなれば各別の信心でしかないからであります。ピッカピカになったと自分勝手に思ってしまう人も出てくるでしょう。
縁あれば大量殺人も犯すであろう私です。 ただ南无阿彌陀佛。私は何も持っておりませんので南无阿彌陀佛で往生するのだ。そうお約束された弥陀を尊び、行住坐臥に報謝の念仏を称えるしか残っておりません。
>頑固な私で、我ながらなさけないのですが、他の意見をよく拝聴し、進んでゆきたいです。
これは私は是であると思います。 自分の信心は如何であるのか。善知識とは何であるのか。往生一定御助けは治定とは何であるのか。現在の真宗では様々な見解がございます。何を是として進まれるも、これまた個々人の有縁の道であり、それすら弥陀はお見通しです。
私も教理や真宗の何たるかに悩んだ時期がございました。 真宗なんぞ聞かんかった方がよっぽど楽だったのではないかと苦しんだ時期もございました。
ただ、私には正邪を見極める眼はもっておらんこと、世界で一番の悪人であること、弥陀より他にたのみにできるものがないということだけは分かりました。
今日も有縁の人のためにも毎日様に向けて独り言を申しました。
南无阿彌陀佛
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●re.4
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毎日 |
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[ 489 ] Re3:まことに後生は一人のしのぎ
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2008/05/26 (Mon) 01:14
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鷹森 様
お書き込み、ありがとうございます。
法のお話ができ、とてもうれしいです。
>この文を終わりまで読めば、「よそごとのように思うこと」を戒める意味で「一人のしのぎ」と教えられていることが読めます。
私も、全く同感です。
「我が身に引きつけて」弥陀の御修行も、この自分のためであると、それがわからねばならぬと思っております。
やもすると、他を批判するばかりなのが私で、自分の書き込みを読み直すと(さいわい、文字として残っておりますので)、そこに多くの悪口を見つけまして、ひやひや致します。
本当に、救われるはずのない自分であると思います。
自分以外のすべては、もはや還相の菩薩かもしれません。
「一人一人仏法を信じて後生をたすかること」というのは、本当に尊いお導きであると思います。
他をどうこうするよりも、自分をどうにかせねばなりません。
最近は、自信教人信につきましても、「自ら信じ、人を教え、信ぜしめよ」とも読めると思うのです。
この自分が救われることこそ肝要と思います。
それが小乗にならないのが、如来の佛智だと思います。
この道では、自分が救われれば、他も救われます。
「こんな阿呆な自分が救われる。ましてや君も救われる」ということが、わかると思います。
我執があるのが我らのすがた。これはどうにもなりませんが、その我執のあるままで、一人一人が、弥陀に救われることが、大切だと思います。
ひとまず、自分が救われることにこだわるのは、求道の過程として、大切ではないでしょうか。
南无阿彌陀佛
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●re.5
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[ 490 ] Re4:まことに後生は一人のしのぎ
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2008/05/26 (Mon) 04:18
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泥凡夫 様
こんばんは。
私は、真宗に出会えて、弥陀をたのむことができ、よろこんでおります。
そして、我執は、私の中にあります。我欲も、ふんだんにございます。
「信心を磨く」というのは、弥陀の金剛の信心、たとえばこれが、綺麗な鏡のようなものであるとして、それに汚れがついてしまう。
中には綺麗な鏡があるのですが、汚れがついてしまうと、鏡面がわからなくなります。
だから、磨いてゆけば、また現れる。
そのようなイメージで読んでおります。
汚れて汚れて、隠れてしまっても、それでも、その中には、金剛の信心がある。
そして、この肉体を地上においてゆくとき、幸いなことに、つもりつもった汚れもおいてゆくことができ、真実の信心によって、報土へと往けるのだと思います。
ありがたいことです。
南无阿彌陀佛が、我ら凡夫に仏法を語らせます。
これも、奇跡であると思います。
わけがわからぬ六字である。
そこに佛智があると思います。
南无阿彌陀佛
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[ 493 ] Re5:まことに後生は一人のしのぎ
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2008/05/27 (Tue) 01:43
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毎日 様
こんばんは。 就寝前にもうちょっとだけお付き合い下さい。
>「信心を磨く」というのは、弥陀の金剛の信心、たとえばこれが、綺麗な鏡のようなものであるとして、それに汚れがついてしまう。 > >中には綺麗な鏡があるのですが、汚れがついてしまうと、鏡面がわからなくなります。 > >だから、磨いてゆけば、また現れる。 > >そのようなイメージで読んでおります。
私共の毎月のお講において善知識様が常に同じことを申されております。
「浅ましい日暮らしではあるが、せめて月に一度皆で集まって弥陀を讃え、そして皆で信心について話し、そして己とは何であるのかを知りましょう。そうやって少しでも凡夫のアカを落としましょう。勉学が身についていないので難しいお経などを交えてお話ができんですいません。」と。
お講の理想的なあり方などもあるのかも知れませんが、私共は私共なりにで宜しいのではないか。そう皆で話し合っております。
南无阿彌陀佛
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●re.7
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毎日 |
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[ 494 ] Re6:まことに後生は一人のしのぎ
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2008/05/27 (Tue) 09:41
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泥凡夫 様
>「浅ましい日暮らしではあるが、せめて月に一度皆で集まって弥陀を讃え、そして皆で信心について話し、そして己とは何であるのかを知りましょう。そうやって少しでも凡夫のアカを落としましょう。勉学が身についていないので難しいお経などを交えてお話ができんですいません。」と。
私はこれは、とても素晴しいことだと思います。
仏法を皆で話す(おしゃべりする)ことができる場があるのは、本当に尊いことだと思います。
南无阿彌陀佛
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[ 495 ] Re7:まことに後生は一人のしのぎ
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2008/05/27 (Tue) 16:07
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毎日様
泥凡夫様
お久しぶりです。
純粋に、喜ばれている法友のお姿を通して、私も嬉しく思うことが最近有りました。
難しい勉強等しなくても、(それでも法語は有り難いです)
身を乗り出して、大きく頷いて、
「嬉しい」って、心からの静かな喜びをかみ締めておられる、その姿が尊いです。
その姿を、善知識様も、嬉しそうに「良かったね」と微笑まれているお姿を拝するのも嬉しいです。
何だか、嬉しい、嬉しいの書込みでした。
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●re.9
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毎日 |
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[ 944 ] Re9:まことに後生は一人のしのぎ
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2008/12/04 (Thu) 08:18
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過去ログから上げてきました。
これは、犀の角にも通ずるお言葉だと思いますが、
どうしても泥凡夫様の御縁ある僧籍の善知識様の御言葉が有り難くて・・・。
私、もう信心決定したから、早く死にたいって泥凡夫様にメールしました。
本当に、こんな苦しい娑婆世界からお別れしたいって書きましたら、100歳まで生きて下さいってのお返事。
で、長年真実信心の身の泥凡夫様の過去ログを一気に読んでみました。
そこで、この善知識様の御言葉を私も味わいたいと思います。
そして、いつも善友様に励まして貰ってようやく後念相続できているのだなと思います。
泥凡夫様、ここからお返事書きます。
とても100歳なんて生きるなんてしんどいです。
でも、御縁頂いて、いつまでも励まして頂いて感謝しています。
有り難うございます。
早く、風邪治して下さいね。
南无阿彌陀佛
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