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●No.7
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毎日 |
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[ 22 ] 人を変える事は、凡夫にはできない
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2007/11/29 (Thu) 08:45
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真宗では、「義無きを義とする」と言います。
凡夫ですから、信をいただけば、知っている方に、どうしてもわかってほしいと思ったり、どうしても、信を取ってほしいと思います。
これは、何をしているのかというと、お育てを弥陀におまかせするのではなくて、自分で弥陀の代わりをやろうとしているのです。
「一切群生蒙光照」なのですから、すべての生命は、弥陀のお育てにあずかっているのです。
信を取れば、「自分が、がんばったから」と、つい思ってしまうのが、凡夫です。
あくまでも、弥陀の身放の光明のお育てにより、正信に導かれたのだと思っています。
そうして、救われたことを、本当にありがたいと思います。
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●re.1
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[ 23 ] Re1:人を変える事は、凡夫にはできない
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2007/11/29 (Thu) 08:59
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この話しには、つづきがあります。
信をいただくと、弥陀の心光に摂取されていますから、心光常護の益を得ています。
すると、どうなるか。
実は、信心いただいた行者からは、色光も、出ていると、私は思います。
これは、弥陀の信心が尊いからです。
金色の佛像は光りますが、私たちの体は光りません。
ですけれども、光らない私たちの体でも、光りもの(アクセサリー)を付けていたら、光ります。
それと同じ様に、色光出るはずがない私たちの心でも、弥陀の摂取の心光に包まれていますから、光っているのです。
ですから、内に愚にして、外に賢なのです。
どろどろの煩悩にまみれた心を内に持っていますが、弥陀の信心が光っているのです。
そして、この煩悩のすみずみにまで、弥陀の信心が、染み渡っています。
これにより、煩悩即菩提となります。
あくまでも、尊いのは、弥陀であります。
お金を持ってお店に入れば、店員さんがよくしてくださる。これは、自らの人格というよりは、お金の力です。このように、自らが愚でも、弥陀の光は尊いのです。
外の賢は、弥陀が現してくださるものなので、信をいただけば、行者は、そのままで、お手引きをしないとしても、色光を発していることになります。
見本にならない愚かなままで、見本になっているのです。
そんな愚かな私が、救われているからです。
次如弥勒であり、極楽浄土に往生できる。
つくづく佛智は不思議です。
この種の話しは、私が思うところを述べているだけですので、間違いも含まれていると思います。将来意見も変わるかもしれません。
今のところは、このように思い、よろこんでおります。
南无阿彌陀佛
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[ 24 ] Re1:人を変える事は、凡夫にはできない
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2007/11/29 (Thu) 09:24
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毎日様
>信を取れば、「自分が、がんばったから」と、つい思ってしまうのが、凡夫です。
>あくまでも、弥陀の身放の光明のお育てにより、正信に導かれたのだと思っています。
>そうして、救われたことを、本当にありがたいと思います。
済みません。読解力が有りません。
若し、信を取った後ならば、「義なきを義とす」 これ、全て阿弥陀様のお計らいだから、凡夫の考えることではないですよ。 だから、南無阿彌陀佛の御恩報謝の念仏を喜びなさい。 とは分るのですが、
信を得る前の僕は、いつまでも自力の心があるから、 「自分はがんばったから」の思いが抜けないのでしょうか?
それとも、死ぬまで凡夫だから、
>凡夫ですから、信をいただけば、知っている方に、どうしてもわかってほしいと思ったり、どうしても、信を取ってほしいと思います。
という気持は抜けませんよ。 だから、信を頂いたことが有り難いと思えるのでしょうか?
それこそ真実信心の一念帰命すれば、そこはいっぺんに理解出来るのでしょうか?
助かりたい思いも、助けたい思いも、全て弥陀よりのお計らいだと聞いております。
その要が分りません。
助かったつもりの人が助けようとするのは、どういうことなのでしょう。 これを「自障障他」ということですか?
何度もごめんなさい。 多分、つづきが出る間に、書き込み入れたと思います。
今、つづきの毎日様の御心、分るような気がします。 僕も、一日も片時も急いで、一味同行の身になりたいと思います。
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●re.3
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毎日 |
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[ 25 ] Re2:人を変える事は、凡夫にはできない
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2007/11/29 (Thu) 09:41
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おやおや 様
わかりにくい文章で、誠に申し訳ありません。
もともと、書きにくい内容だと思います。
このような内容でも、面と向かって話すと、少しは伝わりやすくなるような気がしますが、やっぱりわかりにくいかもしれません。そもそも、私が間違っていることを言っているかもしれません。あくまでも、ご参考にしてください。
正信いただくと、常行大悲の益、知恩報徳の益がいただけますから、伝えたい気持ちも出てきます。
本来、凡夫は、偽物だったら道連れにしたい、本物だったら自分だけのものにしたい、という思いを出すものなのです。
そんな凡夫が、「救いたい」という気持ちが出てくる。なんと尊いことでしょうか。
これは、確かに、本当に尊いことなのです。
先程の書き込みは、さらにこの先を書いたのです。
せっかくの尊い救いたい気持ちに、さらに凡夫の煩悩がからまってきます。
ですから、救おうとしているのに、腹が立ったり、いろいろになったりするのです。
そんなとき、弥陀のおかげであること、はからっても仕方ないことを考えたり、弥陀はどんな極悪人でも救うことを考えると、そして、一念残らず清浄な気持ちであったことなどを考えると、気持ちが落ち着くのではないかと思います。
凡夫の欲でお手引きしようとする気持ちと、弥陀の現世利益によっての慈悲心と、これらがすべて関係して、しかし、弥陀はそのすべてをわかった上で、助けてくださっているのですから、結局心配要らないのですが、そうは言っても、心配したりもしてしまうのです。
こう書いていても、わかりにくいことを書いていますね。佛凡一体は、一見矛盾していることなので、うまく書きにくいです。
それと、御恩報謝の南無阿彌陀佛も、よろこばなくても良いのです。どんな気持ちで唱えても、御恩報謝です。
気持ちを作るのは、意業。口に出すのは、口業です。口業にて、御恩報謝できるのです。
「自分が、がんばったから」の思いが抜けないことも、心配ありません。
「よく、がんばったね」と、自分を褒めてあげてください。
一念帰命しても、いっぺんには理解できないと思います。
私も、わからないことだらけです。
それでも、信心いただけば、変わります。「変わらない」とも言われますが、変わります。
助かったつもりの人が助けようとするのは、自障障他だと思います。
これは、弥陀の救いに限らないのです。
自分にはできないことについて、教えようとする人も、どの分野にもいます。
疑問があれば、どんどん書き込んでいただければと思います。
凡夫が仏になる程の一大事に、何の遠慮も要りません。
要についてですが、真実行こそが要です。頭で理解しなくても、行じさえすれば、もう要はわかっており、無上の善を為し、極楽往生治定です。
その他のすべては、重要ではありません。南無阿彌陀佛の六字に、すべてが含まれています。
この一点だけが真宗です。後のすべては、おまけです。
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●re.4
admin |
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[ 27 ] Re3:人を変える事は、凡夫にはできない
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2007/11/29 (Thu) 09:46
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おやおや 様
>僕も、一日も片時も急いで、一味同行の身になりたいと思います。
私も、同じ思いです。
幾度でも質問してくださって構いませんが、それは、早く信を取ってほしいからに過ぎません。
対話によって、信が取れるわけでもなければ、説法聞いて信が取れるわけでもないのです。
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●re.5
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[ 28 ] Re4:人を変える事は、凡夫にはできない
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2007/11/29 (Thu) 09:50
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おやおや 様
「わかろうとする」これも、自力作善の働きなのです。
もちろん、わかろうとして良いですし、私も、いろいろなことをわかりたいと望んでいます。
しかし、「わかったら信が取れる」ということではありません。
あくまでも、次第相承の善知識にお会いして、六字の謂れを聞き開かないといけないのです。
自力の捨て方も、すべて教えてくださいます。
抜けない自力も、他力によって抜くことができるのです。
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●re.6
admin |
毎日 |
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[ 29 ] Re5:人を変える事は、凡夫にはできない
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2007/11/29 (Thu) 09:58
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おやおや 様
私には、おやおや様を救う事、叶わないのです。
あくまでも、弥陀の摂取の心光によらねばなりません。
ですから、一刻も早く救い摂られてほしいです。
私たちは、短命の機ではありますが、宿善開発し、救われることが定まると、守護されて、それまで生き伸びることができると聞いております。
しかし、私は、絶対に死んではならないと、信をいただく直前は、かなり注意していました。つくづく凡夫です。
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