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●No.69
admin |
毎日 |
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[ 457 ] 報土往生に差別はあるか
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2008/05/10 (Sat) 12:49
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あるお講にて、報土往生に差別があるというお話を聞きました。
そのお講の中では、立場がある方の発言です。
その方の考えでは、信心いただいても、その後、罪を犯せば、報土に往くことはできず、報土の門の外で、泣いて詫びるそうです。
私は、そうは思いません。
如来の救いに差別はなく、六字の前には、皆平等であり、罪悪深重の私たちですが、如来は、そのままで、救ってくださると思います。
南无阿彌陀佛
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●re.1
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[ 458 ] Re1:報土往生に差別はあるか
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2008/05/10 (Sat) 13:04
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どうして、その方は、如来の救いを疑うようなことを言うのでしょうか。
三業からはわからないとは言え、そのようなご発言を聞くと、救われている方なのか、つい、疑ってしまいます。
疑わしい方には、「疑わしいですよ」と言える強さを持ちたいと思いました。
いろいろな組織で、組織で立場が上の人には、言いたい事が言えないと指摘されていると思います。
これを解決し、風通しを良くするには、自分が立場が上であれば、「俺のことなんか構ってちゃダメだ」と意見を出すことを推奨し、自分が下であれば、「言いたい事が言えない組織など、俺には必要無し」と言いたいことを言うことだと思います。
南无阿彌陀佛
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●re.2
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毎日 |
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[ 459 ] 次第相承の善知識は縛りになるか
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2008/05/10 (Sat) 13:06
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そのとき、もし、「次第相承の善知識」の存在が縛りになるのなら、その善知識は、善知識としての役に人生を捧げていないと思います。
それは、恐怖政治と似たところがあり、そのような恐怖を取り除くのも、また善知識の大切な役割であるはずです。
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●re.3
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●re.4
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[ 463 ] Re2:次第相承の善知識は縛りになるか
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2008/05/10 (Sat) 15:40
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お講という小さな組織でも上下ができてしまうのは、善知識も、行者も、間違っているからだと思います。
御同朋であるはずの真宗で上下ができるのは、善知識が自らの役を自覚できてないと言えると思います。
まるで善知識が偉いかのような態度を取る方は、私は嫌いです。
「神像を載せたロバ」の話を忘れ、皆が神像を讃えているのを勘違いしたら、笑われます。
善知識だからと言って、言う事を聞かせようとするのは、言語同断であるというのが私の立場です。
それは、立場の悪用です。
重責を忘れ、人の上に立つのであれば、本末転倒です。
また、善知識が言うことだからと言って、言うことを聞いてしまう行者にも、問題があると思います。
私は、そのような組織は嫌いです。
ひとりひとりが、弥陀を讃え、「親鸞は弟子ひとりも持たず」の精神を奉じることが大切と思います。
その上で、個人的な好き嫌いや相性に基づいて、居心地の良い場所で過ごすことが肝要と思います。
しあわせになるための真宗で、人間関係によって縛られて、苦しくなるなら、間違っています。
つきて離れて、それすら自由なところに、自由があると思います。
離れる人は勇気があると讃え、帰って来たら「ありがとう」と迎えるようでありたいです。
南无阿彌陀佛
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●re.5
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毎日 |
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[ 465 ] Re1:神像を捨てたロバ
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2008/05/14 (Wed) 15:31
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毎日 様
こんばんは。
盾となられたことに私は申し訳なく思っております。私も盾となります。
あるお講での報土往生の差別について発言された方は、曲解にもほどがあり、真宗を真宗でなくする恐れすらあることを自覚すべきであると私は思っております。
そもそも我等はわが身の罪の深きことをば打ち捨てて佛に任せ参らせる以上、悪事を心に留めて弥陀の顔色を伺う必要がどこにありましょうか。計ることのできない無上の慈悲で受け取って下さる弥陀をこそ頼りにして生きるだけしかないと私は思っております。
私はたとえ法然様に騙されて地獄に堕ちようとさらにもって後悔などない。何故であるかといえば、自分では自分をどうすることもできん。善を積むことよりも悪の方が山のように多く、日々他者に苦労の涙を流させる、さらに佛菩薩の金言を今まで聞かんできた恐ろしい男でございます。南无阿彌陀佛を頼りするしか残ってはおらんからです。真宗に御縁深き方々はそう思うが思うまいが、結果的にそういう事実を如来は教えておられるのであります。お前は極重悪人であると。
そう申された御開山の御心を汲まれたある有縁の善知識様の御心をこそ私は是として歩いております。
世の中には不思議な現象もたくさんあると私は思います。そういうことに否定的な人は、科学万能であると思っておるだけで、しかし科学の現実を知らないだけで、未完である故に進歩しているのだということなのです。
そういう議論はどうでもよろしく、真宗行者が吉日良辰を選ばずという大本はどのあたりにあるのか私なりに考えを致したことがあります。
吉日良辰が単なる迷信であるというのであればそれはそれで宜しいのですが、それを頼りとする人が出てまいります。そういう人は大事なことを忘れておるのです。
あらゆる事象が自分によって起こされ、良くも悪くも選びとって進んでいるのも自分自身であるということです。
吉日良辰を頼りとする時、その気持ちも分からなくもありません。とんでもなく苦しくなれば頼りとしたくなるかも知れません。しかし、それが自分の希望(欲望)通りになれば称賛し、期待はずれであれば相手にしなくなる。何と自分勝手であることか。
あらゆる事象の原因を他者(吉日良辰)のせいにしておるだけであるということなのです。
真宗行者は先に申した通り、弥陀と差し向いになるのは他の誰でもない自分自身です。 良きにつけても悪しきにつけても、ただ南无阿彌陀佛。悪行悪口を重ねて日暮しておるのは自分自身なのです。
不思議現象はあるのでしょうが、私は泥凡夫が一念に往生を遂げるほどの不思議はないという蓮師の御言葉こそ是であると思っております。
他者に指を指すなど恥ずかしくてできんような男でありますが、毎日様と同様に敢えて発言させて頂きました。
南无阿彌陀佛
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●re.7
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毎日 |
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[ 466 ] 本願念仏正定業
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2008/05/12 (Mon) 22:45
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◎本願の念佛には、ひとりだちをせさせて助をさゝぬ也。助さす程の人は、極樂の邉地にむまる(禪勝房傳説の詞)
本願の念佛は、それだけで、往生を定める業なのであって、それ以外のすべては、必要のないものであると思います。
それでありながら、
◎さりながらも、惡をあらためて善人となりて念佛せん人は、ほとけの御心にかなふべし(禪勝房傳説の詞)
なのであって、悪人そのままで、そのままのお念仏で往生するのでありますが、御恩報謝のかたじけなさに、あくまでもできる範囲で、善行はげむことも、大切であると思います。
もちろん、貫けません。だからこそ、ありがたき、お念仏であると思います。
南无阿彌陀佛
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●re.8
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毎日 |
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[ 467 ] Re1:本願念仏正定業
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2008/05/13 (Tue) 23:16
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泥凡夫 様
ご心配おかけしております。
泥凡夫様のご紹介だから参ったわけですが、せっかく御伺いしても、真宗のお話は無く、長時間お話ししても、真宗のお話は無く、それは、私の求めるものではありません。
もちろん、好みは人それぞれですから、真宗のお話など、好きでもなく、話したくもない方も、世の中には多いでしょう。
しかし、私は、真宗のお話をしたり、真宗のお話を聞くために参ったのであり、方便として、他のお話をする必要もないのではないかと思います。
私が聞きたいのは、阿弥陀様がどういう方であるかとか、真宗の救いがいかに素晴しいかですとか、そういうお話なのです。
ジャンヌの掲示板で、泥凡夫様のお書きになった記事を読むのも楽しく、むさぼるように繰り返しお読み致しましたし、実際お会いしてお話しても、とても楽しく、やはり、相性というのは、あるのだと思います。
紹介でお会いしても、相性が合うのかがわかりません。
命よりも重い後生をあずかるのが善知識、その役は、本当に重いものだと思います。
疑い深い私が、ようやく信じたこの道ですが、似た場所にいる方でも、同じ道を歩まれているとは限らないとわかりました。
とても疑い深く探してきましたのに、紹介であるために、簡単に心を許してしまったわけですが、これからは、よくよく観てゆきたいと思っております。
同心なのかもしれませんが、それも、よくよく話し合わねば、わかりません。
そもそも、真宗について話合うことがないのですから、同心かどうか、感じられません。
お会いしても、信心の沙汰はなく、そこは避けているという印象でした。
誠に、難信之道であり、難遭遇のこの道です。
私は、嫌われたところで、もともとひとりですし、嫌われて当たり前の性格です。
ただただ、弥陀をたのむばかりです。
南无阿彌陀佛
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●re.9
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毎日 |
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