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[ 444 ] 信心の溝さらえの御心は?
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2008/04/18 (Fri) 07:01
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毎日様
「摂取不捨」のお約束ですから
どんなに私がその頂いた信心を捨てようが、忘れようが、疑おうが
私からおこした信心ではなく、阿弥陀様から回向されたものですから、
どうして、信心の溝さらえが必要なのですか?
そこのところが今ひとつハッキリしません。
頂いたものを、喜べる人は喜び、喜べない人も、阿弥陀様はご存知なのだから、あえて信心の溝さらえが必要なのか分りません。
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●re.1
admin |
毎日 |
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[ 445 ] Re1:信心の溝さらえの御心は?
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2008/04/18 (Fri) 22:49
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菩提心 様
あくまでも、私の考えですけれども、
1)信心いただいても、それが真実信心であるか、確かめてゆく (いただいたと思っても、異安心かもしれない)
2)信心いただけたことを、よろこんでゆく。日常生活を改善してゆく
の2つの意味があると思います。
この両者は、連動していて、御文様などの確かめ、御同行のことばやふるまい、雰囲気等による確かめなどの蓄積により、「ああ、本当に、本物の真実信心をいただけたんだ」と実感できることによって、さらなるよろこびも出てくると思います。
そして、真実信心をいただいて、御同行と讃歎してよろこんでゆくのは、しあわせで、たのしいことですし、真実の信心をいただいて、煩悩の残る自分が、どのように日暮らしをしたらよいのかも、学んでゆけますし、煩悩残る心とは言え、その心も、次第に晴れ渡ってゆくからです。
たとえ話をします。私たちは、両親から、身体をいただいております。
しかし、それをよろこんでいる方が、どれほどいらっしゃるでしょうか?
実際にいただいたからと言って、よろこべるとは、限らないのです。
私は、御同行とお会いしてゆくことは、とても大切だと思っています。
南无阿彌陀佛
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[ 446 ] Re2:信心の溝さらえの御心は?
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2008/04/19 (Sat) 04:38
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毎日様
そういう御心でしたか。
毎日様のように解説して頂けるとよく分ります。
そうですね。
御同行とお話していますと、おもわずうなずく事も多く、ついつい笑顔になっていきますね。
その為のお講なのですね。
お講が待ち遠しいです。
南无阿彌陀佛
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●re.3
admin |
毎日 |
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[ 447 ] Re3:信心の溝さらえの御心は?
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2008/04/20 (Sun) 05:45
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菩提心様ご紹介の『女人往生手鏡』、大変良い相続をさせていただきました。
懇切丁寧なお導きに、頭が下がりました。
先達には、素晴しい方がいらっしゃいますね。
素晴しい伝統ですね。
弥陀の親心を想い、両親への感謝がなってないと照らし出されました。
「凡そ十劫を歴たまへり」で、涙にむせぶ法然聖人。
私を救うために、そんなにも永い間、ご苦労くださった。
以前よりも、良くイメージできるようになったと思います。
つくづく、恩知らずの私です。
両親も、私を育てるために、どれだけ苦労したことか。
無力な赤子の私です。自力でまわりのせいにして、ただ泣き叫ぶだけでした。
この場を借りて、菩提心様に、感謝申し上げたいと思います。
南无阿彌陀佛
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●re.4
admin |
毎日 |
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[ 448 ] Re4:信心の溝さらえの御心は?
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2008/04/20 (Sun) 06:54
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◎信心はかはらじとおもひ候へども、やうやうにかはりあはせたまひて候ふこと、 ことになげきおもひ候ふ(御消息)
◎信を取る者、疑を懐けば、要ず聖教を引きて来し明む、 これを聞かん者をして、まさに能く惑いを遣らしめんと欲す(観経疏)
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[ 449 ] 信心の溝さらえの御心は?
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2008/04/20 (Sun) 14:26
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お久しぶりです。
「抑今度一七箇日報恩講のあひたにをひて 多屋内方もそのほかの人も 大略信心を決定し給へるよしきこえたりめてたく本望これにすくへからす さりなからそのまゝうちすて候へは信心もうせ候へし 細々に信心のみそをさらへて弥陀の法水をなかせといへる事ありけに候」 (御文章二帖)
私も蓮如上人の御心が気になっておりました。 @大略信心とは? A信不退でありながら「さりなからそのまゝうちすて候へは信心もうせ候へし」 とはどういう意味で仰ってみえるのか? B「細々に信心のみそをさらへて弥陀の法水をなかせ」にはどうすればいいのか?
ということです。
間違って異安心に落ち着いてはいけないから信後だと思っても信心の沙汰を勧められたのか、 真実信心いただいても凡夫はすぐに分からなくなってしまうからそんなもったいないことにならぬよう、お勧めくだされたのか、という疑問です。
私は両方の意味があったと受け止めています。異安心に迷わせないぞという御心と、 真実信心というものは消えないけれども分からなくなる、それはもったいないことですよ、という御心があったのではないかと受け止めています。 皆様は、どのように味わってみえるでしょうか?
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[ 450 ] Re1:信心の溝さらえの御心は?
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2008/04/20 (Sun) 21:59
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7様
こんばんは
先ほどまで、善知識様宅にお邪魔しておりました。
7様の御心も、有り難いですね。
一味の味は、又格別ですね。
私はお陰様で、善知識様のお近くにご縁頂きましたこと有り難いと思います。
やはり、御同行の方々と喜びを語り合えることは、本当に楽しいですね。
御文は「往生の鏡」
姿、謂れもよく理解出来るのが、又有り難いですね。
又、皆さんとお会い出来ること、楽しみです。
南无阿彌陀佛
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●re.7
admin |
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[ 451 ] Re2:信心の溝さらえの御心は?
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2008/04/21 (Mon) 03:09
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7様
◎信心決定のひとも、細々に同行に会合のときは、あひたがひに信心の沙汰あらば、これすなはち真宗繁昌の根元なり(御文4-8)
真宗繁昌というのは、信心決定の行者がひとりでも多くでることですから、その根本が、「信をいただいても、あひたがひに信心の沙汰をする」というのは、一見不思議であると思います。
同通に、
◎毎年の報恩講中において、面々各々に随分信心決定のよし領納ありといへども、昨日今日までもその信心のおもむき不同なるあひだ、所詮なきものか(御文4-8)
とあります。
つまり、自己申告の「信決定」の多くが、むなしいものであると歎いていらっしゃいます。
だからこその御文様であり、信心の沙汰であると思います。
一方、二帖初通におかれましては、「めでたく本望これにすぐべからず」ですので、おそらく実際に信決定していらっしゃったのではと思います。
(また、「大略信心」を、信前の心境の進展と捉えることについてですが、「よしきこえたり」ですので、おそらく御示談におきまして、みなさまがお話くださったのでしょうから、「大体信決定できました」と自ら言うことも、不自然なような気が致します。それに、「めでたく本望これにすぐべからず」。もちろん、蓮師が、皆をよろこばせるために、挨拶としておっしゃったと解することもできると思いますが・・・)
あくまでも、相続の大切さをお説きになってくださったのだと思います。
そこから先は、御さらえの具体的な内容であると思います。男性も、我が身にひきつけて御拝読することにより、御さらえになると思います。
かかるあさましき機をお救いくださった阿弥陀如来の御恩、まことにかたじけない限り、自分のようなものがいなければ、五劫思惟も、そもそも、菩薩に下りる必要もなかったお方。誠にもったいないことです。
失われる信心につきましては、
◎本願相応せざるゆゑ 雑縁きたりみだるなり 信心乱失するをこそ 正念うすとはのべたまへ(高僧和讃)
とありますように、本願相応していないのですから、これは、第十八願によらぬ信心であるということができると思います。
溝さらいですが、同行に会い、信心の沙汰をすることと、お聖教を読むことがあると思います。(あるいは、ご聴聞された内容を繰り返し味わって行くことや、真宗の本を読んでゆくことがあると思います。)そして、御恩報謝のお念仏を口から出すことがあると思います。そして、掟を守ることがあると思います。
たとえば、領解文を口に出しますならば、第十八願によらぬ信心であれば、違和感が生じ、「信をいただけていない」とわかるでしょうし、信をいただいている方であれば、「蓮師と違わぬ信をいただけた」とよろこべます。これは、御文様も同じであると思います。
7様と同じように、両方の意味があったと、私も受け止めております。
同じ話を聞いても、意を取り違えることもあるのが凡夫です。信決定したと言え、互いに話し合い、ご法義の理解を深めてゆくことにより、さらによろこべるのではと思うのであります。
また、真実信心のもよおしにより、「知りたい」気持ちも出て来ると思います。
未整理な文章で申し訳ありません。また書き込みたいと思います。
南无阿彌陀佛
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●re.8
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[ 598 ] Re4:信心の溝さらえの御心は?
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2008/06/13 (Fri) 22:11
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>真実信心というものは消えないけれども分からなくなる、それはもったいないことですよ、という御心があったのではないかと受け止めています。 皆様は、どのように味わってみえるでしょうか?
こんにちは7様
私は信心浅きものです。 それでもあえて言わせていただきます。 上記のようなものは、異安心の可能性なきにしもあらずではないでしょうか? 難しいことはわかりませんが、真実信心は揺るぎないものではないのでしょうか? 真実信心は納得できるものではありませんか? 他力は自力ではないですよね 頭で納得するものでしょうか?それはある意味自力ではないのでしょうか? 何も分からないままの書き込みです。ご容赦ください。 かしこ。
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[ 600 ] Re5:信心の溝さらえの御心は?
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2008/06/14 (Sat) 06:39
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>>真実信心というものは消えないけれども分からなくなる、それはもったいないことですよ、という御心があったのではないかと受け止めています。 >皆様は、どのように味わってみえるでしょうか? > >こんにちは7様 > >私は信心浅きものです。 >それでもあえて言わせていただきます。 >上記のようなものは、異安心の可能性なきにしもあらずではないでしょうか? >難しいことはわかりませんが、真実信心は揺るぎないものではないのでしょうか? >真実信心は納得できるものではありませんか? >他力は自力ではないですよね >頭で納得するものでしょうか?それはある意味自力ではないのでしょうか? >何も分からないままの書き込みです。ご容赦ください。 >かしこ
皆様方の尊いお言葉の数々智恵無き愚老ですがそのとうりですね。 嘆異抄には悲しきかなや,幸いに念仏しながら直に報土に生まれずして辺地に宿らんこと 1室の行者の中に信心異なることなからん為に泣く泣く筆を染めてこれを記す名付けて嘆異抄と言うべし外見あるべからず・・又、弥陀の慈悲にぬれながら智恵が浅きゆえ、大益を落とす。 とも、1念多念文意から・如来の本願を信じて1念するに必ず求めざるに無上の功徳をえしめ、しらざるに、広大の利益をうるなり・・とも愚老の知識様は良くわかりやすくこの様に言われました。信心決定し黄金の身となるに、時々座にて参詣し身体にかかるホコリを掃う事ですね。 解りやすく有り難く頂きました。 蓮如様の弟子で赤尾の道宗(現在行徳寺〕道宗21カ條・後生の一大事油断あるまじき事から始まる中、1日の嗜みはは朝の勤めにかかさじと嗜め1月の嗜めには近きところ御開山様のところのお座候ところへ参るべし、1年の嗜みには御本寺へ参るべし井波瑞泉寺蓮如様がこられる時には大雪をかきわけかきわけ懐中佛に手当てて急ぎて参詣した平素は尊い弥陀の誓願1ッ時もおろそかにできぬと48本の大きな栗の木を並べて寝るアハハ痛くて寝れないね、すれば自然とお念仏が出てくる尊い妙好人です.訊ねるととても感涙しああ。念仏者はこうもありたいと思いました.1人いて喜べば二人と思え二人いて喜べば三人と思えその内に一人は親鸞なり.平素は一味の同朋と仏法談義に花咲かし法実の味わい大事ですね.合掌 南無阿弥陀仏
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[ 601 ] Re6:信心の溝さらえの御心は?
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2008/06/14 (Sat) 08:26
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愚老様
同じ越中富山なのに、尊い妙好人がおられたことを知っても、今だ訪ねたことがありません。 いつも、4時間の正座、それの繰り返し。 回りを見ようともしませんでした。ただ、その時の心持ちで、帰路の高速道路の西方を眺め、喜んでいたこともありました。
しかし、このように愚老様のお言葉一つ一つが、とても有り難いです。
信心決定したら、もう勉強なんてしなくていいのよと、言われたので、そんなものかと思っていましたが、
>時々座にて参詣し身体にかかるホコリを掃う事ですね。
今は、よく分ります。
南無阿弥陀仏
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●re.12
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毎日 |
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[ 602 ] Re7:信心の溝さらえの御心は?
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2008/06/14 (Sat) 13:30
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菩提心 様
愚老様のおことば、ありがたいですね。
いながらにして、お講にて、お話をお伺いしているようです。
なかなか聞けないお話を、こうして書き込んでくださいますことの有り難さを思います。
同行様のおことばは、一言一言がありがたいです。
南无阿彌陀佛
愚老 様
お書き込み、ありがとうございます。
道宗様は、奥様のために蓮師に会いにゆくエピソードが好きです。
何という愛妻家なんだろうと、嘆じてしまいます。
本当に真剣に生きていた方だと聞いております。
愚老様のお話をお伺いしていると、あちこち訪ねたくなります。
紀行文のようなよろこびも与えてくださいます。
ありがとうございます。
南无阿彌陀佛
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[ 603 ] Re8:信心の溝さらえの御心は?
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2008/06/14 (Sat) 17:14
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>菩提心 様 > >愚老様のおことば、ありがたいですね。 > >いながらにして、お講にて、お話をお伺いしているようです。 > >なかなか聞けないお話を、こうして書き込んでくださいますことの有り難さを思います。 > >同行様のおことばは、一言一言がありがたいです。 > >南无阿彌陀佛 > > >愚老 様 > >お書き込み、ありがとうございます。 > >道宗様は、奥様のために蓮師に会いにゆくエピソードが好きです。 > >何という愛妻家なんだろうと、嘆じてしまいます。 > >本当に真剣に生きていた方だと聞いております。 > >愚老様のお話をお伺いしていると、あちこち訪ねたくなります。 > >紀行文のようなよろこびも与えてくださいます。 > >ありがとうございます。 > >南无阿彌陀佛
菩提心様 毎日様 尊いお言葉お返し下さいまして。世幾ばくもない愚老感涙しています.年が重ねるとチョットの感動が涙もろくなります。 真実信心決定・・とてて如何に信じるか?考えれば考えるほど難しく思います。 信心決定・・・知識様の説明はいとも簡単です。・・・信心とて・(極楽行きの切符)と思えば何かした安く考えられます。を貰う縁の人になるだけ 智恵・・要らない・学問・・必要ない、年齢・・関係無い・・お金・・六文錢、否・・ただ貰いや・・男女・・関係ない。覚えた、考えた、学んだ・励んだ・おらが、おらが・・全部駄目や 全部捨て心地べたにする機で赤子の心や唯々頼む一念や・そこに尊い阿弥佛の法が回向され機法一体の頂きものや。 御文・・それ八万の法藏しると言うとも後世を知らざる人を愚者とすたとひ一文不知の尼入道なりとゆうも,後世を知るを智者とすといえり、しかれば当流の心はあながちにもろもろの聖教をよもものをしりたりとゆうも一念の信心のいわれを知らざる人はいたずら事なりとしるべし、 されば聖人の御ことわりにも一切の男女たらん身は弥陀の本願を信ぜずは・(ふっと)・助かる事あるべからざると仰せられたり,云々ふっとが要や。 今ここに一台の自転車が通り過ぎた・・右から左・・・おお行った行った・・アアアア良く見えたこんなもので無いよ。これは(ふっと)とは言わないの・ 阿弥陀様の光明は極早・・早い早いもの・・何か知らないけど早い早いピューと是が(ふっと) 見るものでない見えるものでない頭が上がったその瞬間是で即得往生也・宿縁の菩薩也 今。世間で言うところの婚約者は仲人が居て(善智識)・・結納金が入れば00家(極楽)に嫁ぐいいなずけ。娘は00家の縁の嫁さんや・・しかし結納も無し婚約も無ければ何処に行くか解らない未だ娘やわ.即ち(無明又は無宿善,又は無安心)のお嬢さん。・・浄土行き先の決まった切符をおまんまの美味しい時(平生往生)に約束するこっちゃ・・ああ解りやすい法説きでした。・合掌。 いずれ40数年各仏閣訪ね訪ねてお文章と割符合わすが如く確信出来る尊い尊い高祖方の証明が残されて居ります。凄いの1事です。歓喜踊感涙後念相続の金剛心の寶になります。多分一味の方々、善智識はご存知でしょう。合掌・南無阿弥陀仏・
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●re.14
admin |
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[ 607 ] Re9:信心の溝さらえの御心は?
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2008/06/15 (Sun) 22:50
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愚老様
◎長跪合掌、為仏作礼。未擧頭頃、即得往生極楽世界。蓮華尋開。(観経)
仏の為に礼を作せば、未だ頭の擧げざるあひだ、即得往生極楽世界。
「擧」の上半分は、「與」であり、これは、「舁(かつぐ)」と、「牙」からできております。
「舁」は、上からさしのべた両手と、下から差しあげた両手を意味いたします。
「牙」は、「噛み合ったもの」であり、もうひとつ、噛み合ったものがございます。
ここに、もうひとつ「手」を添えたのが「擧」であり、私はこの「手」は親鸞様であると思います。
「未」は、その途中を表す字でございます。
そして、「擧」には、「出し切る」の義もございます。
どこまでも、尊いことでございます。
南无阿彌陀佛
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[ 608 ] Re10:信心の溝さらえの御心は?
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2008/06/16 (Mon) 09:03
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>愚老様 > >◎長跪合掌、為仏作礼。未擧頭頃、即得往生極楽世界。蓮華尋開。(観経) > >仏の為に礼を作せば、未だ頭の擧げざるあひだ、即得往生極楽世界。 > >「擧」の上半分は、「與」であり、これは、「舁(かつぐ)」と、「牙」からできております。 > >「舁」は、上からさしのべた両手と、下から差しあげた両手を意味いたします。 > >「牙」は、「噛み合ったもの」であり、もうひとつ、噛み合ったものがございます。 > >ここに、もうひとつ「手」を添えたのが「擧」であり、私はこの「手」は親鸞様であると思います。 > >「未」は、その途中を表す字でございます。 > >そして、「擧」には、「出し切る」の義もございます。 > >どこまでも、尊いことでございます。 > >南无阿彌陀佛
毎日様 >◎長跪合掌、為仏作礼。未擧頭頃、即得往生極楽世界。蓮華尋開。(観経) 愚老の浅知恵では当時はとても理解困難でした。今、詳しく解説して頂くととても解り安いです 。さすが文殊菩薩様化身にしての毎日様の尊いお言葉です。ありがとう御座いました。合掌・ 今、思えばお講の場は一文不知の婆さん爺さん方が多く、とても難しい前説法では理解に苦しむ 故、善智識様は(ふっと助かること有るべからず・云々)を0000稽首作禮即得往生不退転と言っても??何が何だか解らない者の為に口の中の硬い食べ物を噛んで砕いて赤子の口に持って行くように母心で諭されたと思います。ご苦労の程が伝わって来ます。 南無阿弥陀仏
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●re.16
admin |
毎日 |
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[ 609 ] Re11:信心の溝さらえの御心は?
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2008/06/18 (Wed) 00:35
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愚老 様
軟語為衆故説麁であり、また、和光同塵。
心に沁み入る、じーんと来るお話をなさるために、相当のご苦労があったことと思います。
六字をどこまでも噛み砕いてくださるのが善知識です。
一文不知でもいただける、一文不知だからこそいただけるこの法ですから、本当は難しいことは何もないのですが、だからこそ、難しいのだと思います。
易行であるが故の難信です。
わかりやすいお話が、最高だと思います。
心が感じなければ、何にもなりません。
南无阿彌陀佛
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[ 610 ] Re12:信心の溝さらえの御心は?
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2008/06/18 (Wed) 12:10
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>愚老 様 > >軟語為衆故説麁であり、また、和光同塵。 > >心に沁み入る、じーんと来るお話をなさるために、相当のご苦労があったことと思います。 > >六字をどこまでも噛み砕いてくださるのが善知識です。 > >一文不知でもいただける、一文不知だからこそいただけるこの法ですから、本当は難しいことは何もないのですが、だからこそ、難しいのだと思います。 > >易行であるが故の難信です。 > >わかりやすいお話が、最高だと思います。 > >心が感じなければ、何にもなりません。 > >南无阿彌陀佛
毎日様 軟語為衆故説麁であり、また、和光同塵。 善知識様には一文不知の如何にも成らない老若男女の為本当にご苦労のかけっぱなし。尊い阿弥陀様からの回向の南無阿弥陀仏頂いた頂いた言いながら一−二度顔見られなければ・・ウウ信じて居るんだろうか?疑いかけはしないだろうか?と思案しご心配かける凡夫です。合掌 再度この良い時節に訪ねたい所・法然様、親鸞様、蓮如様、他沢山有りますが。 京都円山公園の奥・安養寺(吉水の草庵〕裏手には念仏発祥の地、大きな石碑の法垂窟が有ります.知恩院からは除夜の鐘で有名ですが鐘楼から(ほたるのいわや、・・一丁)と石碑があり山道ですが法垂窟まで行けます。当地は眞葛原と言い法然上人様夢想のお告げに、善導大師が上半身は墨の衣下半身は金色の姿にて紫雲に乗じて現れ法垂窟にて阿弥陀様の真実正法を聞きただされた所と聞いて居ります。親鸞上人29歳の時も真実法を法然上人より賜ったところで御座います・愚老以前、知恩院から山道より訪ねました。法垂窟の近くにて一人のご老人が竹箒で落ち葉をかき寄せて居られた。ご苦労様と声を掛けました所、私長年ここの掃除で・・ああそうですか。色々話が弾んでその方が言われ事が以前不思議が有りましとおっしゃり案内された法垂窟の近くに瓦吹きの腰掛け場所に案内されこの写真私が窟内部を撮りましたと言って本当に古い額が一枚吊るして有りました。良く見ると窟の内部に金色の南無阿弥陀仏と浮き出て居りました。 ああ、凄いお写真ですね、の一言で唯々称名念仏称えるばかりでした。現在の赤々と窟内部には灯明がお花が有るでしょう、随分以前のことですがあのご老人居られるか如何か?知恩院には徳川家康、縁の寺であちこちに葵の御紋が見ることが出来ます。徳川家康公は次第相乗の善智識様とも聞いた覚え有りますが・・南無阿弥陀仏。
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[ 611 ] Re13:信心の溝さらえの御心は?
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2008/06/18 (Wed) 16:11
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愚老様
愚老様のお書込みの場所、私も是非、行って見たい場所です。
私の知人も、縁あって、昨年一人で行ってきたそうです。 最初、場所が分らず、近くにいるお坊さんにお聞きし、その場所に向かう時、背後から、あざけりのような3人ぐらいの笑い声がしたそうです。 すぐ側なのに、その謂れも知らない。 それが、今、知って、良かったと言っていました。
又、私も、愚老様とも、是非お会いして、直にお話お聞きしたいなと思っていました。 それで、勝手に、ある県の人かと思い、図書館の電話帳で探しましたが、見当たりませんでした。 それを、毎日様にお話しましたら、よくやるねっていう感じでちょっと呆れられてしまいました。 でも、仏法のお話は尽きることが有りません。 二人で、「こんな凡夫が、娑婆の縁が切れたら、すぐ仏なんて、信じられないけれど、やっぱり阿弥陀様はすごいね。」その話ばっかりです。
特に私なんて、何処から見ても、ただのオバサンなのに、阿弥陀様は、ひょっとして間違って救って下さったんだろうかなんて、夢の中で夢を見ているようです。
愚老様のお話、本当に信じられないようなお話ですが、でも一流の人には受け継がれているお話ですよね。
もっと、もっとお聞きしたいです。
南无阿彌陀佛
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[ 612 ] Re14:信心の溝さらえの御心は?
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2008/06/19 (Thu) 08:12
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>愚老様 > >愚老様のお書込みの場所、私も是非、行って見たい場所です。 > >私の知人も、縁あって、昨年一人で行ってきたそうです。 >最初、場所が分らず、近くにいるお坊さんにお聞きし、その場所に向かう時、背後から、あざけりのような3人ぐらいの笑い声がしたそうです。 >すぐ側なのに、その謂れも知らない。 >それが、今、知って、良かったと言っていました。 > >又、私も、愚老様とも、是非お会いして、直にお話お聞きしたいなと思っていました。 >それで、勝手に、ある県の人かと思い、図書館の電話帳で探しましたが、見当たりませんでした。 >それを、毎日様にお話しましたら、よくやるねっていう感じでちょっと呆れられてしまいました。 >でも、仏法のお話は尽きることが有りません。 >二人で、「こんな凡夫が、娑婆の縁が切れたら、すぐ仏なんて、信じられないけれど、やっぱり阿弥陀様はすごいね。」その話ばっかりです。 > >特に私なんて、何処から見ても、ただのオバサンなのに、阿弥陀様は、ひょっとして間違って救って下さったんだろうかなんて、夢の中で夢を見ているようです。 > >愚老様のお話、本当に信じられないようなお話ですが、でも一流の人には受け継がれているお話ですよね。 > >もっと、もっとお聞きしたいです。 > >南无阿彌陀佛
菩提心様 探さないで下さい、アハハしかし今、実存しております。見てがっかり聞いてがっかり、仏法談義は昼夜二日三日談義しても絶対飽きることは御座いません嬉しくて嬉しくて一つ一つが菩薩の心、阿弥陀様の心だからでしょうね。抱える悪煩悩、光明に照らされ摂取不捨故、抱える菩薩の心にならせて頂ける阿弥陀様の大慈悲心のお蔭です.南無阿弥陀仏。 毎日様がおっしゃられた、お言葉、鉄下駄が磨り減るほどでも他力の妙法を探し求めなさい。 有縁の知識様に遇えばたちどころに心の病は解決致します。そのとうり、正に尊い菩提心様、信心決定され、言葉では言えない万来の拍手と合掌で良かった良かった尊いねとしか言い様が有りません。ご縁ですね。 仏縁は各自さまざまで絶対、他を非難、中傷等は禁物です.各々のご縁ゆえそれが又、因となり縁となり最後には阿弥陀様のお膝元に届くでしょう。 私の知人のお方で貴女に負けない古株の女性〔嫁)が居られました.お話致しましたが中々聞き入れ下さらなくて.反対に難しい経典の説明されハイハイ、是もご縁と思い、・・しかし姑さんはご縁で一味の人となり亡くなれてもう13回忌です。連れ添いのご主人並び子供、孫までもご縁の人となられました。通夜の夜親類縁者の人達が集まり夜遅く迄偲んでおられました。深夜2時当夜は闇夜ながら何故か一人の人が戸外にでて大声で叫びましたアレ凄いわ”皆慌てて何事”。真っ暗闇の天空に見事な2重の七色の大虹がお棺会場を囲むように東より西方〔浄土)に大きくくっきりでていたわけです。余りにも不思議と?闇夜故?、何故何故とカメラに収めて居られました。夜明けまで共に其の話に室内は異香がくんくんと・・明けて葬儀が終わり火葬場にて又異変、火葬した台車を取り出す何十年仕事に従じの人が、唯オオオー一声。皆の面前に出された白骨が真っ白で光輝いていたのです。皆、信じられん、老いたおばさんが・・不思議としか言い様が有りませんでした。南無不可思議光燭光のお蔭様かね。お嫁さんもご縁がありますように。合掌・ 南無阿弥陀仏。 >
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[ 613 ] Re15:信心の溝さらえの御心は?
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2008/06/20 (Fri) 07:12
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愚老様
>探さないで下さい、アハハ
残念!! でも、ここで、色々なお話お聞きできるのも楽しいです。
>貴女に負けない古株の女性〔嫁)
なんとなく想像出来ますね。
でも、掟があるので、実はお嫁さんだけ知らないってこと有るんですね。
お嫁さんも、ご縁があると宜しいですね。
臨終の模様は、この道探して歩いている内に、色々の御著書にも書いてありました。 不思議ですね。
でも、何と言っても、凡夫が仏になる以上の不思議はないですよね。
一味同行として、これからも、楽しいお話聞かせて下さい。
南无阿彌陀佛
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[ 614 ] Re16:信心の溝さらえの御心は?
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2008/06/20 (Fri) 11:13
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>愚老様 > >>残念!! でも、ここで、色々なお話お聞きできるのも楽しいです。>>貴女に負けない古株の女性〔嫁) > >なんとなく想像出来ますね。 > >でも、掟があるので、実はお嫁さんだけ知らないってこと有るんですね。 > >お嫁さんも、ご縁があると宜しいですね。
> >臨終の模様は、この道探して歩いている内に、色々の御著書にも書いてありました。 >不思議ですね。 > >でも、何と言っても、凡夫が仏になる以上の不思議はないですよね。 > >一味同行として、これからも、楽しいお話聞かせて下さい。 > >南无阿彌陀佛
菩提心様 探さないで下さい、アハハ 残念!! でも、ここで、色々なお話お聞きできるのも楽しいです。 はい、愚老も年ばかり経ていて・何時か毎日様が念仏懇親法話の集いでも有れば是非参加させて 皆さんと喜びたいですね。 菩提心様は以前お尋ねの会では神明に参詣は絶対のご法度で参れば蛇道に落ち八満功の苦受けると聞かされたと言われましたね。故に鳥居にくぐる事は無かったと思います。 お嫁さんが本願聞く耳持たなかったのも姑さんが神信仰が元故と思います・・お母さん〔姑)伊勢やら熱田や日光やらあちこち参ってばかりで・・愚痴って居られました。・・ しかし蓮師様のお文章・・神明と申は、それ仏法において、信もなき衆生のむなしく地獄におちん事悲しみ、おぼしめしてこれを何として、救わんが為にかりに神と現れていささかの縁をもってついに仏法にすすめいれしめん為の方便本地は阿弥陀如来なり。 お嫁さん聞かされていた事も事実なのです。元祖法然上人・・1向専修之七箇條問答 第一に神を信ぜざること、はなはだもって、無道なり、それわが朝は、神国として霊験いまだにあらたかなり、天照大神のご子孫として、國のまつりごとをもて、世をおさめたもう、神の威光あらにして、人の心もたけきがゆえに、他国大國よりもうちとらず、神の守護したまうゆえに、仏法も繁昌する、わが朝なり、いかでか一向専修の行者として、神をもちいざらんや、この不審あきらめずば、専修の行を破すべし、いかん? 聖人答えていわく、専修の行者はことに神を敬い、たてまつる事、そのこころざし深し、ただし 神において二種の神あり、一つには権社の神、二つには実社の神なり実社の神と申すは、あるいわ人の生霊死霊の魂、或いは畜類の魂かようのもの多く、神と崇め、やしろを作り。あるいは 今宮若宮,なんどと、崇める,神のたぐいなり。この実社を崇め,信ずれが、今生には諸病を身に受け,病の中に、年月をおくり、蛇道に落ちる事、七百生なり、かるがゆえに実社の蛇神をば 信ぜざるなり、権社の霊神と申すは往古の如来深位の菩薩衆生利益のため、かりに神明のかたちを現じたもう、和光同塵は結縁のはじめ、八相成道は,利物のおわりとなれば、今生には,七難 を守り、九曜の難をのぞきたもう、来世には来迎引接し、佛菩薩となりて往生極楽の本誓を成就す、かるがゆえに権社の霊神をば、深く敬うべし、実社の蛇神をば、そむきて、信ぜざるなり、そのとき、法皇、聖人を禮したもう、第一の不審をひらきたまいけり、八宗の祖師,先徳の人々 不審を開き,聖人を敬いたてまつるなり、・・・ 尊いお言葉ですが智恵が浅き故・・まどいますね、あえて神明に特別な思いせずとも称名念仏のその中に全ての功徳が収まっているんですが。・・稲田御坊参詣の帰り日光山東照宮徳川家康公、・・昔参詣しました。黄金の間・・床の間に南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と細かく書き残した掛け軸一本吊るして有りました記憶です。家康公も尊いお方でしたね。次第相乗の善智識とは。菩提心様はお尋ねされたことは当然ないと思いますが・・? 念仏行者の一味の人には寶が隠されていますね。又の機会に・・ >
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●re.22
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[ 615 ] Re17:信心の溝さらえの御心は?
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2008/06/20 (Fri) 15:37
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愚老 様
私、無知蒙昧の身ですから、法話などはとてもとても・・・
菩提心様もおっしゃっていましたが、「阿弥陀様は、すばらしいね!」と讃歎しているのが楽しく、せいぜいおしゃべりをしているだけです。
たわいも無いおしゃべり。頭の良い方にはバカにされるでしょうが、それが楽しいのです。時の過ぎるのを忘れます。不思議と飽きないのです。
そして、愚老様のお話くださるエピソード、とても楽しいです。
家康様は尊いお方で、法然聖人を尊敬なされ、ご配慮くださった方と聞いております。
この地に生まれたうれしさが、愚老様のご文章を読んでおりますと、実感されてきます。
各地を訪れるのが、楽しみになりました。
私のような醜い凡夫ですら、御恩報謝を為したいと思うのですから、人身持たぬ尊い生命の方々がそう思いますのは、もちろんのことだと思います。
天人共に御恩報謝を為しますのも、阿弥陀如来の広大な徳がある故です。
そして、私などとは、そのおはたらきぶりが違います。
私は泥にまみれ、欲にまみれた哀れな凡夫ですが、現に神様であらせられます権社の神様も、「私なんかよりも、阿弥陀様を讃歎してください、お願いします」と、思っているはずと思います。ありがたいことです。南无阿彌陀佛。
阿弥陀様を頭に載せて、衆生済度に回っておられる観音様のお姿が、思い出されます。
なのじ いせてんしやうだいじんぐう。 むのじ くまの三じよごんげん。 あのじ 八まん大ぼさつ。
◎故に一たひ南無阿彌陀佛と稱へ奉れば、もろもろの佛を尊み奉り、并びに神明籠らせ玉ふと崇奉る謂なり(伝法然聖人)
また、
◎南の一字に七萬五千佛のほとけを納め玉ふ(伝法然聖人)
どこまでも尊い、南无阿彌陀佛。鋳によってできた、尊いもの。
金の鉱石から金を溶かし出して、尊い純金ができるように、すべての徳には弥陀のおかげ、その弥陀が集ってできたこの六字。
救いは完成しており、輝いていると思います。遍照の徳がございます。
南无阿彌陀佛
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[ 616 ] Re18:信心の溝さらえの御心は?
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2008/06/23 (Mon) 08:19
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>愚老 様 > >私、無知蒙昧の身ですから、法話などはとてもとても・・・ > >菩提心様もおっしゃっていましたが、「阿弥陀様は、すばらしいね!」と讃歎しているのが楽しく、せいぜいおしゃべりをしているだけです。 > >たわいも無いおしゃべり。頭の良い方にはバカにされるでしょうが、それが楽しいのです。時の過ぎるのを忘れます。不思議と飽きないのです。 > >そして、愚老様のお話くださるエピソード、とても楽しいです。 > >家康様は尊いお方で、法然聖人を尊敬なされ、ご配慮くださった方と聞いております。 > >この地に生まれたうれしさが、愚老様のご文章を読んでおりますと、実感されてきます。 > >各地を訪れるのが、楽しみになりました。 > >私のような醜い凡夫ですら、御恩報謝を為したいと思うのですから、人身持たぬ尊い生命の方々がそう思いますのは、もちろんのことだと思います。 > >天人共に御恩報謝を為しますのも、阿弥陀如来の広大な徳がある故です。 > >そして、私などとは、そのおはたらきぶりが違います。 > >私は泥にまみれ、欲にまみれた哀れな凡夫ですが、現に神様であらせられます権社の神様も、「私なんかよりも、阿弥陀様を讃歎してください、お願いします」と、思っているはずと思います。ありがたいことです。南无阿彌陀佛。 > >阿弥陀様を頭に載せて、衆生済度に回っておられる観音様のお姿が、思い出されます。 > >なのじ いせてんしやうだいじんぐう。 >むのじ くまの三じよごんげん。 >あのじ 八まん大ぼさつ。 > >◎故に一たひ南無阿彌陀佛と稱へ奉れば、もろもろの佛を尊み奉り、并びに神明籠らせ玉ふと崇奉る謂なり(伝法然聖人) > >また、 > >◎南の一字に七萬五千佛のほとけを納め玉ふ(伝法然聖人) > >どこまでも尊い、南无阿彌陀佛。鋳によってできた、尊いもの。 > >金の鉱石から金を溶かし出して、尊い純金ができるように、すべての徳には弥陀のおかげ、その弥陀が集ってできたこの六字。 > >救いは完成しており、輝いていると思います。遍照の徳がございます。 > >南无阿彌陀佛
毎日様 重ね重ね尊いお言葉肝に入ります、 阿弥陀様を頭に載せて、衆生済度に回っておられる観音様のお姿が、思い出されます。 おっしゃられたお言、迷路のまどう衆生をいかに救いとるか阿弥陀様の御変化、時には千手観音 様の様にあの手が駄目ならこの手と我が頭正面に頂き置く阿弥陀佛にすがって呉よのご心労、本に尊い事です。南無阿弥陀仏。 観音頂戴冠中住,種々妙相寶荘厳、能伏外道魔驕慢、故我頂禮弥陀尊・・12禮文より 先日,遠路より訪ねて来られた一味の方と蓮如上人縁のお寺で大変有名なお寺でございます。当寺に10年程前より何回も訪ねる内、当寺の大ばあちゃん(82歳)のお方と大変懇意になり遠路の方が又、是非との思いでお尋ね致しました。大変喜ばれられ、さあさ庫裏の方え案内されお茶を頂きなら話が弾んで居りました。そこへ当寺の若住職(63歳)入ってきるや、・・・いきなり誰かいな、何の用事や”・・まあ、暫らく暗黙でしたが,前持ってお土産等送付して有りましたので・・ おばあちゃんが今度のお土産頂いたお方と紹介され一応収まりました。今時、物売りか,年寄り騙しの悪たれ者に見られたか・・アハハ・・当席に座られあれこれ仏法談話になりました。 まあ、今時と言いますか寺と門徒の境は取れなくて先ず頭ごなしの一方的な話です。 最後は貴方々には解らんだろうが念仏を維持するには大変な修行や”念仏行者と言うくらい辛い辛いもんや、未だ座禅や山岳修行の方がまだ樂やわ・・越後の七不思議も不思議不思議なんて皆方便でそれで信は不思議の念仏になってしまうわ・・・ううんさすがに聞く一方でしたが・・我慢できず・・・ 御住職さま・・念仏は南無不可思議,南無不可説、南無不可思議光と言うじゃ有りませんか?と お尋ね申しあげましたら・・・だから念仏の修行が大変ながや”・・ううんこれより話有りませんでした。蓮師の御文章に何度も出てくる・・念仏の行者・・どう味わっていかれるんでしょう。難不可思議。 南無阿弥陀仏。
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[ 617 ] Re19:信心の溝さらえの御心は?
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2008/06/23 (Mon) 20:44
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愚老 様
御書き込み、有り難う御座います。 延命十句観音経冒頭「観世音、南無佛」この「佛」も阿弥陀如来であると、 私はいただくのでございます。
それにしても、「あら、やうもいらぬとりやすの安心や」「あら、こころえやすの安心や」「あら、往きやすの浄土や」(御文2-7)行き易の道(ゆきやすのみち)があるときに、難き陸路のお念仏、禅より山岳修行より難きとの御自負御自慢・・・やはり、難いのは、行ではなくて信であります。
そうは申しましても、無論、この「難き信」とは、如来に信をいただくが難きにはあらず、如来は大慈大悲故に、尊い信を易くくださり、あくまでも、我らの信が難き故に、行き易い道がある事、信じることできず、聞く耳も無く。
◎俗いはく、「さては大坊主分にて御座候へども、さらに聖人一流の御安心の次第をば、御存知なく候」・・・坊主答へていはく、「誠にもつて貴方は俗人の身ながら、かかる殊勝の事を申され候ものかな、いよいよ我等は大坊主にては候へども、いまさらあさましくこそ存候え、早々うけ給り候べし」(帖外御文)
してみるとこの御坊様は、やはり偉い御坊様と拝されるのです。
◎大に坊主、悦んで殊勝のおもひをなし、まことに佛在世にあひたてまつりたるこころして解脱の法衣をしぼり、歓喜のなみだをながし、改悔懺悔のこころいよいよふかくして申されける(帖外御文)
◎まことにこの坊主も、宿善の時いたるかとおぼえて、仏法不思議の道理もいよいよありがたくこそおぼえはんべり(帖外御文)
南无阿彌陀佛
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[ 620 ] Re20:信心の溝さらえの御心は?
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2008/06/24 (Tue) 09:46
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>愚老 様 > >御書き込み、有り難う御座います。 >延命十句観音経冒頭「観世音、南無佛」この「佛」も阿弥陀如来であると、 >私はいただくのでございます。 > >それにしても、「あら、やうもいらぬとりやすの安心や」「あら、こころえやすの安心や」「あら、往きやすの浄土や」(御文2-7)行き易の道(ゆきやすのみち)があるときに、難き陸路のお念仏、禅より山岳修行より難きとの御自負御自慢・・・やはり、難いのは、行ではなくて信であります。 > >そうは申しましても、無論、この「難き信」とは、如来に信をいただくが難きにはあらず、如来は大慈大悲故に、尊い信を易くくださり、あくまでも、我らの信が難き故に、行き易い道がある事、信じることできず、聞く耳も無く。
毎日様 愚老は毎日様の当欄は本当に解りやすくつ次々と頂くお言葉が肝に染み渡ります.合掌 又、泥凡夫様のお言葉は又、尊く頂けます。有り難い事です。 このように初めてに人にもよく理解して頂く縁となり信心を持って弥陀の本願頂く縁が一番と思います。抑止門ゆえ中々奥深く諭に語れず,絵図にも書けず難しい法門でご苦労されます。 赤尾の弥七が部落の人々が念仏売りの弥七と名付けられ、・・蓮如様お尋ねの折申し上げました所念仏売りとは結構なる名でないか・・おおいに売って貰わねばならぬ、・・しかし中々買い手が少ないでな・・と言われた・・・ 時代です。願作佛心と検索・法然上人の門下にはほんの数人とも・・ウウン,合掌 南無阿弥陀仏。 > >◎俗いはく、「さては大坊主分にて御座候へども、さらに聖人一流の御安心の次第をば、御存知なく候」・・・坊主答へていはく、「誠にもつて貴方は俗人の身ながら、かかる殊勝の事を申され候ものかな、いよいよ我等は大坊主にては候へども、いまさらあさましくこそ存候え、早々うけ給り候べし」(帖外御文) > >してみるとこの御坊様は、やはり偉い御坊様と拝されるのです。 > >◎大に坊主、悦んで殊勝のおもひをなし、まことに佛在世にあひたてまつりたるこころして解脱の法衣をしぼり、歓喜のなみだをながし、改悔懺悔のこころいよいよふかくして申されける(帖外御文) > >◎まことにこの坊主も、宿善の時いたるかとおぼえて、仏法不思議の道理もいよいよありがたくこそおぼえはんべり(帖外御文) > >南无阿彌陀佛 >
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●re.26
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[ 622 ] Re21:信心の溝さらえの御心は?
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2008/06/26 (Thu) 01:46
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愚老 様
誠に難しい法門であり、宿善開発は、私にはどうにもならないことです。 ただただ、我が身の宿縁をよろこぶばかり。 流転に次ぐ流転、やっと今生にて、引き上げていただけました。南无阿彌陀佛。 真の同行と雖も手引きはできず、真の知識と雖も信を獲らせることはできず、 ただただ、如来のひとり働きなのだと思います。 それでも、つい、私は、自分でも何かができると思い上がってしまうのだと思います。 そんな自分であれば、聖道も歩けるでしょうに、どこまでも凡夫である私です。 私には何もできず、せめてできるのは、御恩報謝ばかり。 救い上げていただたいた大恩に報いようと、南无阿彌陀佛。 多くの方は、また流転してゆかれます。 私は、悪人だからこそ、先に救ってもらえたのだと、如来に感謝するばかりです。
南无阿彌陀佛
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[ 627 ] Re22:信心の溝さらえの御心は?
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2008/06/26 (Thu) 11:34
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>愚老 様 > >誠に難しい法門であり、宿善開発は、私にはどうにもならないことです。 >ただただ、我が身の宿縁をよろこぶばかり。 >流転に次ぐ流転、やっと今生にて、引き上げていただけました。南无阿彌陀佛。 >真の同行と雖も手引きはできず、真の知識と雖も信を獲らせることはできず、 >ただただ、如来のひとり働きなのだと思います。 >それでも、つい、私は、自分でも何かができると思い上がってしまうのだと思います。 >そんな自分であれば、聖道も歩けるでしょうに、どこまでも凡夫である私です。 >私には何もできず、せめてできるのは、御恩報謝ばかり。 >救い上げていただたいた大恩に報いようと、南无阿彌陀佛。 >多くの方は、また流転してゆかれます。 >私は、悪人だからこそ、先に救ってもらえたのだと、如来に感謝するばかりです。 > >南无阿彌陀佛
毎日様 仏法有縁とは有り難いことです・ 良く知識様が仏法に遇うことも信心〔浄土の切符)うることも因縁、因縁故に教えに遇う事も 因縁、その因縁が開くことは大変難しいと三千年に1度咲く優曇華?の花が咲くようとも 四海に何処に浮き沈みしていつかわからない、一本の浮かぶ大きい○〔穴)の開いた大木に三年に1度大海亀が空気を吸いに浮かび○〔穴)に首を出すくらい難かしい。尊い本願・・遇、行信を獲ば遠く宿縁を慶べ親鸞様のお言葉、唯々、有り難く・・合掌 この如何にもならない悪太郎〔愚老)のような者、目当ての慈悲の如来様に本に報謝念仏の日々です。 阿弥陀如来様の立像の前に三猿が、本家の墓所に入り口に瓦吹き小屋に大きな石造の六地蔵あり上の欄間に三猿が、閻魔十王の入り口に三猿、日光の三猿に謂れ有り。
南無阿弥陀仏。
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●re.28
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毎日 |
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[ 630 ] Re23:信心の溝さらえの御心は?
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2008/06/27 (Fri) 00:43
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愚老 様
私のような信外の軽毛が、ご縁をいただけましたこと、誠に信じられぬ僥倖でございます。南无阿彌陀佛。
ここに至るまで、どれ程の佛菩薩のご苦労があったことでしょう。南无阿彌陀佛。
見えども見えず、聞くに聞こえず、言うに言えない、それでもその先にあるものは、お聴きしたことがあるように思うのですが、忘れてしまいました。
他にも、うろ覚えの謂れは、いろいろとあり、知らないお謂れも、山のように沢山あると思います。
本当に、無知な私です。
たまたまご縁いただき、六字をいただいて、このわずかな六字を、ただただ慶んでいるのが私であって、知識も智慧もないのです。
何も知らぬ私でもよろこべる六字、もはや地上での歴史も永く、たくさんのお謂れが、各地にご方便として残されていることと思います。
御相承弘通のご苦労が偲ばれ、私も、ご縁あれば、さまざまな謂れを見聞して参りたいと思うのです。
南无阿彌陀佛
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[ 632 ] Re24:信心の溝さらえの御心は?
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2008/06/27 (Fri) 09:39
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>愚老 様 > >私のような信外の軽毛が、ご縁をいただけましたこと、誠に信じられぬ僥倖でございます。南无阿彌陀佛。 > >ここに至るまで、どれ程の佛菩薩のご苦労があったことでしょう。南无阿彌陀佛。 > >見えども見えず、聞くに聞こえず、言うに言えない、それでもその先にあるものは、お聴きしたことがあるように思うのですが、忘れてしまいました。 > >他にも、うろ覚えの謂れは、いろいろとあり、知らないお謂れも、山のように沢山あると思います。 > >本当に、無知な私です。 > >たまたまご縁いただき、六字をいただいて、このわずかな六字を、ただただ慶んでいるのが私であって、知識も智慧もないのです。 > >何も知らぬ私でもよろこべる六字、もはや地上での歴史も永く、たくさんのお謂れが、各地にご方便として残されていることと思います。 > >御相承弘通のご苦労が偲ばれ、私も、ご縁あれば、さまざまな謂れを見聞して参りたいと思うのです。 > >南无阿彌陀佛
毎日様 愚老の随分昔聞きただした知識様からの説明とて確かとは言い難いですが。多分、一味のお方なら歓喜して感涙されると思います。まして菩提心様には神明三門くぐる事絶対なかったお人と思います故もっと確信して喜ばれると思います.合掌。、浄土の山門〔陽明門別名日暮門)日光みず〔参り)して結構ゆうな、・・お年よりの懐かしい言葉ですが・・西方浄土に恍惚と輝く浄土門にいりぬるならと山門外に見ざる、言わざる、聞かざる・先人の家康公も大変尊い人です.有り難いことです。各地に有る三猿の謂れ理解です。 毎日様のおっしゃられた、見えども見えず、聞くに聞こえず、言うに言えない。そうですね。 もう少し奥義が含んで居りました。この場にては説明画像できませんのでメールにて転送致します。合掌 南無阿弥陀仏。 > >
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[ 633 ] Re25:信心の溝さらえの御心は?
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2008/06/27 (Fri) 12:00
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愚老様
>まして菩提心様には神明三門くぐる事絶対なかったお人と思います故もっと確信して喜ばれると思います
そうなのです。 今では、同行の方々には笑われるのですが、いつも蓮如上人はそこに鳥居が有ると分ると、何キロ先から、見ないように笠で頭を隠して通られたと聞いてきました。 (1回見ると、五百回、蛇に生まれ変わると聞いていました)。 ですから、いつも思っておりました。 神社の前の人(専任講師の奥様を思って)は、一体いつ助かるんだろう? 私は、子供をお祭りに連れて行ったことが有りません(自分で出かけるまでは関知しませんが)。
そして、前の会のおじさん(かの書店の店主さんに紹介された人。店主さんは、この方が善知識と思って紹介下さったそうです。極最近知りました)に連れられて、方々のお寺や、神社も連れて行ってもらいました。 お地蔵様のお話を伺って、初めて世間を眺め回して思ったのは、必ず大きな三叉路には、お地蔵様が立っておられるのに気付きました。
私は、今朝、観音菩薩の漫画の本を読んでいました。 このような本さえ、手に取ることは有りませんでした。 去年から今年にかけて一年間、仏像の本を購読しました。 初めて、ゆっくりと仏像等を眺めて、おもわず、涙が出てきました。 「一向専念無量寿仏」と聞かされ、それ以外の仏や菩薩、ましてや神を拝むのはいけないと、固く守ってきました。 ずっと、変人扱いされてきました。 でも、御文をよくよく拝読されれば、愚老様のお書込みのように、諸神、諸菩薩を疎かにするなと書かれていますね。 全く同じ文章なのに、逆に読めてしまう箇所が随所にありますよね。 信心決定して読めてくるところですね。 でも、それが逆縁になったのではないかと思います。 とても、有り難いです。
そして、行きたい場所がどんどん増えてきました。 嬉しいです。(でも、行けなくても、ここで満足できます) それに、死んだら神通力も頂けますから、その時に、思う存分、行けると思って、今から楽しんでいます。
南无阿彌陀佛
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[ 634 ] Re26:信心の溝さらえの御心は?
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2008/06/27 (Fri) 12:09
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>愚老様 > >>まして菩提心様には神明三門くぐる事絶対なかったお人と思います故もっと確信して喜ばれると思います > >そうなのです。 >今では、同行の方々には笑われるのですが、いつも蓮如上人はそこに鳥居が有ると分ると、何キロ先から、見ないように笠で頭を隠して通られたと聞いてきました。 >(1回見ると、五百回、蛇に生まれ変わると聞いていました)。 >ですから、いつも思っておりました。 >神社の前の人(専任講師の奥様を思って)は、一体いつ助かるんだろう? >私は、子供をお祭りに連れて行ったことが有りません(自分で出かけるまでは関知しませんが)。 > >そして、前の会のおじさん(かの書店の店主さんに紹介された人。店主さんは、この方が善知識と思って紹介下さったそうです。極最近知りました)に連れられて、方々のお寺や、神社も連れて行ってもらいました。 >お地蔵様のお話を伺って、初めて世間を眺め回して思ったのは、必ず大きな三叉路には、お地蔵様が立っておられるのに気付きました。 > >私は、今朝、観音菩薩の漫画の本を読んでいました。 >このような本さえ、手に取ることは有りませんでした。 >去年から今年にかけて一年間、仏像の本を購読しました。 >初めて、ゆっくりと仏像等を眺めて、おもわず、涙が出てきました。 >「一向専念無量寿仏」と聞かされ、それ以外の仏や菩薩、ましたや神を拝むのはいけないと、固く守ってきました。 >ずっと、変人扱いされてきました。 >でも、御文をよくよく拝読されれば、愚老様のお書込みのように、諸神、諸菩薩を疎かにするなと書かれていますね。 >全く同じ文章なのに、逆に読めてしまう箇所が随所にありますよね。 >信心決定して読めてくるところですね。 >でも、それが逆縁になったのではないかと思います。 >とても、有り難いです。 > >そして、行きたい場所がどんどん増えてきました。 >嬉しいです。(でも、行けなくても、ここで満足できます) >それに、死んだら神通力も頂けますから、その時に、思う存分、行けると思って、今から楽しんでいます。 > >南无阿彌陀佛
菩提心様 はーい貴女様にはさぞビックリして腰をぬかすかも?しかし信実信心は是ほど尊い謂れが先人の尊いお方が遺してくださいました。余り多数で一挙に公開できません。 40数年の縁のところの事です。1つずつ照会致しますが。画像等は無理です。 毎日様のメールに当、愚老のアドレス送信しました故、毎日様より届いた画像見て歓喜踊やくして下さい。合掌。貴女のそれに、死んだら神通力も頂けますから、・・?平生往生の時(神通具足)・南無阿弥陀仏。
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[ 635 ] Re27:信心の溝さらえの御心は?
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2008/06/27 (Fri) 12:32
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愚老様
>貴女のそれに、死んだら神通力も頂けますから、・・?平生往生の時(神通具足)
>?平生往生の時(神通具足)
これって、今から頂けるということですか? よくまだ理解できないです。
教えていただけませんか?
それと、 毎日様からのメール、楽しみに待ってます。
あ、例の吉崎御坊のゲーム、 泥凡夫様も、御本人が、自分で名前、書いてあるって、忘れていたらしく、私が興信所にでも、頼んだのかと思って、不審がられてしまったそうです。 (まあ、それぐらいパソコンの前で何かヒントはないかと釘付けでした・・ですから運動不足で、ますます皮下脂肪がたまりっぱなしでーす。) その、ゲームがどうも気になって、お聞きするんですが、あれって、結局、ゴールに到着するんでしょうか? 信心の溝さらえから、そのまま蓮如上人のお言葉が聞こえるんですけど。 御解答、お願いします。
南无阿彌陀佛
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[ 636 ] Re28:信心の溝さらえの御心は?
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2008/06/27 (Fri) 17:14
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>愚老様 > >>貴女のそれに、死んだら神通力も頂けますから、・・?平生往生の時(神通具足) > >>?平生往生の時(神通具足) > >これって、今から頂けるということですか? >よくまだ理解できないです。 > >教えていただけませんか? > >それと、 >毎日様からのメール、楽しみに待ってます。 > >あ、例の吉崎御坊のゲーム、 >泥凡夫様も、御本人が、自分で名前、書いてあるって、忘れていたらしく、私が興信所にでも、頼んだのかと思って、不審がられてしまったそうです。 >(まあ、それぐらいパソコンの前で何かヒントはないかと釘付けでした・・ですから運動不足で、ますます皮下脂肪がたまりっぱなしでーす。) >その、ゲームがどうも気になって、お聞きするんですが、あれって、結局、ゴールに到着するんでしょうか? >信心の溝さらえから、そのまま蓮如上人のお言葉が聞こえるんですけど。 >御解答、お願いします。 > >南无阿彌陀佛
菩提心様 先ほど毎日さま宛に一枚の画像添付送信いたしました。毎日様より説明受けて下さい.其の画像は全て同じ場所でとおし画像です。 (神通具足)先日有るお方が信前、信後、相続の件で毎日様にお問いかけ下さいましたね。 11願、22願への成就に就いて、無碍の一道、度無所度の義、真実信心等について・・ 信心は18願にて一念帰命の往生の願です・即得往生です。平生の時善智識のもとに帰命の一念をもって其の時の時刻をさして往生は定まるなり・・御文章・間違いなしです 往生は一期に一度とも書かれて居ります。2度、3度は有りません・・ 唯、大きく分けて、入一門、入ニ門、入三門、菩薩の世界、諸仏の世界、弥陀世界 阿弥陀経の・例え地球一つの浄土とし、それをを千、寄せて小千世界、その小千世界を千寄せて中千世界、その中千世界、千寄せて大千世界全て寄せて三千大千世界と説かれて居ります、お仏壇が一門,ニ門,三門が丁度弥陀様、蓮如、親鸞が居られる弥陀世界52段の世界ですね・・・ 愚老の知識様にはすべて聞きただして、嘆異抄五條,親鸞父母孝養のためとて一遍にても念仏もうしたる事未だ候はず、その故は一切の有情皆もて世々生々の父母兄弟なり何れも何れもこの順次生に仏〔この部分が普通解らない所,即ち,有縁の縁の佛、還相)となり助け候なり,我が力にて励む善にても候はばこそ念仏を回向して父母をも助け候はめ,唯自力を棄てて急ぎ悟りを開きなば(一念帰命菩薩、−諸仏―如来)六道四生のあいだいずれの業苦に沈めりとも神通方便〔済度神通)を以って先ず有縁を度す〔済度して助ける)なり云々・御念相続の菩提心慈悲心にて衆生済度と共に尊い阿弥陀佛に対してのご恩報謝ではないでしょうか・? 愚老の浅知恵では説明不足と思いますが又毎日様に今度画像にてお送りさせて頂きます。 六神通,十ニ観想等又後日・皆様はご存知と思います九品佛が現わして居られる各、神通見られたこと有ると思いますが、全て諸仏,如来様は神通を現わして居られますね。合掌 その、ゲームがどうも気になって、お聞きするんですが、あれって、結局、ゴールに到着するんでしょうか? はーい私の場合最後の上がりで蓮如上人様のお声を聞きましたと思います。うすうす記憶ですが 当地の体験会場では蓮如様の大きな像の横の煩悩のみぞを杓で水を汲んでさらえると 蓮如上人のお声が聞かれますね・・仏法は若き時嗜め、年ゆけば身体もままならず耳も遠く・ 急げ,急げ・・でしたか?・・・ 南無阿弥陀仏。 >
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[ 639 ] Re29:信心の溝さらえの御心は?
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2008/06/27 (Fri) 19:39
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愚老様
やっぱり私、頭悪いです。 一、ニ度読ませて頂いても、よく分からないです。 40年と、僅か半年の真実信心の経歴の差。
でも、一味なんですよね。 行き先は、阿弥陀国、そこには、親鸞聖人も、蓮如上人もおられるのですね。 そして、愚老様と、私どっちが先でしょう。 無常迅速。 私、狭心症なので、「愚老様、お先に!」って、ことも有りですね。
今、メール、届きました。 又、詳しく、毎日様よりお聞きしたいと思います。
ゲームの方ですが、愚老様の説明ですと、やっぱり私もゴールしている見たいです。 一緒に、名前が載らないのが残念です。
親鸞会では、教学が無知な女でも、救われてしまう有り難さ。 今日の夕日、とても綺麗でした。 ずっと、念仏称えていました。 一日、一日がとっても、有り難くなるんです。 みんなの何気ない言葉が嬉しくなるんです。 もう、最高に幸せ。
南无阿彌陀佛
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[ 640 ] Re30:信心の溝さらえの御心は?
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2008/06/27 (Fri) 21:05
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>愚老様 > >やっぱり私、頭悪いです。 >一、ニ度読ませて頂いても、よく分からないです。 >40年と、僅か半年の真実信心の経歴の差。 > >でも、一味なんですよね。 >行き先は、阿弥陀国、そこには、親鸞聖人も、蓮如上人もおられるのですね。 >そして、愚老様と、私どっちが先でしょう。 >無常迅速。 >私、狭心症なので、「愚老様、お先に!」って、ことも有りですね。 > >今、メール、届きました。 >又、詳しく、毎日様よりお聞きしたいと思います。 > >ゲームの方ですが、愚老様の説明ですと、やっぱり私もゴールしている見たいです。 >一緒に、名前が載らないのが残念です。 > >親鸞会では、教学が無知な女でも、救われてしまう有り難さ。 >今日の夕日、とても綺麗でした。 >ずっと、念仏称えていました。 >一日、一日がとっても、有り難くなるんです。 >みんなの何気ない言葉が嬉しくなるんです。 >もう、最高に幸せ。 > >南无阿彌陀佛
菩提心様 とんでも御座いません愚老はとても皆様とはかなわない無知ですよ。 菩提心は最高尊いお方で御座います。 年の順序間違いなく愚老です・・アハハ浄土には解っていながら・・煩悩故・・娑婆世界良くないね・アハハ解っていながら・・しがみついて、たわごと空ごと言ってます、念仏一つですね。合掌 愚老の近くに居られる一味の女性です多分菩提心様ぐらいの年齢と思われますが毎日の西方浄土朝早くからのご来光・・もう最高と感涙して日暮して居られます。 観想の一つ、(日相観)ですね。濁汚の凡夫の目では尊い如来様は・・しかし光明摂取された菩薩の心で無心で拝むと間違いなく尊い御尊像拝むこと・・心眼・・夢想で又お願いします・合掌 白山からの早朝ご来光阿弥陀様・・うっすら・・勿体無い画像ですが今度毎日様宛お送り致します。又転送お待ち下さい。 南無阿弥陀仏。
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