浄土真宗の教義について

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●No.6 admin 
毎日
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[ 21 ] 異安心について 2007/11/29 (Thu) 04:42 △up ▽down
スッタニパータです。なぜ、「誤」ではなくて、「異」であるのか、書いてあります。

南无阿彌陀佛


886 世の中には、多くの異なった真理が永久に存在しているのではない。ただ永久のものだと想像しているだけである。かれらは、諸々の偏見にもとづいて思索考研を行って、「(わが説は)真理である」「(他人の説は)虚妄である」と二つのことを説いているのである。

887 偏見や伝承の学問や戒律や誓いや思想や、これらに依存して(他の説を)蔑視し、(自己の学説の)断定的結論に立って喜びながら、「反対者は愚人である、無能な奴だ」という。

888 反対者を<愚者>であると見なすとともに、自己を<真理に達した人>であるという。かれはみずから自分を<真理に達した人>であると称しながら、他人を蔑視し、そのように語る。

889 かれは過った妄見を以てみたされ、驕慢によって狂い、自分は完全なものであると思いなし、みずからの心のうちでは自分を賢者だと自認している。かれのその見解は、(かれによれば)そのように完全なものだからである。

890 もしも、他人が自分を(「愚劣だ」と)呼ぶが故に、愚劣となるのであれば、その(呼ぶ人)自身は(相手と)ともに愚劣な者となる。また、もしも自分でヴェーダの達人・賢者と称しているのであれば、諸々の、<道の人>のうちには愚者は一人も存在しないことになる。

891 「この(わが説)以外の他の教えを宣説する人々は、清浄に背き、<不完全な人>である」と、一般の諸々の異説の徒はこのようにさまざまに説く。かれは自己の偏見に耽溺して汚れに染まっているからである。

892 ここ(わが説)にのみ清浄があると説き、他の諸々の教えには清浄がないと言う。このように一般の諸々の異説の徒はさまざまに執著し、かの自分の道を堅くまもって論ずる。

893 自分の道を堅くたもって論じているが、ここに他の何びとを愚者であると見ることができようぞ。他(の説)を、「愚者である」、「不浄の教えである」、と説くならば、かれはみずから確執をもたらすであろう。

894 一方的に決定した立場に立ってみずから考え量りつつ、さらにかれは世の中で論争をなすに至る。一切の(哲学的)断定を捨てたならば、人は世の中で確執を起こすことがない。

●re.1
おやおや
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[ 26 ] Re1:異安心について 2007/11/29 (Thu) 09:56 △up ▽down
今、親鸞会でもよく話題になっていますよね。

僕も、親鸞会発刊の「土蔵秘事」の本を持っています。

すでに、釈尊の時代から、このように説かれていたのですか?

だから、蓮如上人が、御文の中で、何度も何度も「信心の沙汰」をしなさい、と言われるのですね。

蓮如上人が、僕達の後生を間違えないように、お示し下さる為にも、お講という形で、門徒衆の方々に、御文を通して、「間違えてくれるな」というお気持で残されたと思います。

きっと、御文がなかったら、僕達の真実信心の要が分らなくなっていたかも知れませんね。

僕も又、このように毎日様より、信心の間違えを正して頂いていると思います。

僕も、真実信心頂いた折には、毎日様よりお聞きし、後念相続できると思います。

誰も書かないので、僕ばかりの相手で申し訳ありません。


●re.2 admin 
毎日
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[ 30 ] Re2:異安心について 2007/11/29 (Thu) 10:00 △up ▽down
おやおや 様

ひとりに話すのも、一万人に話すのも、同じですよ。

どちらかが価値高い、ということは、ありません。

●re.3 admin 
毎日
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[ 31 ] Re3:異安心について 2007/11/29 (Thu) 10:05 △up ▽down
>蓮如上人が、僕達の後生を間違えないように、お示し下さる為にも、お講という形で、門徒衆の方々に、御文を通して、「間違えてくれるな」というお気持で残されたと思います。

これは本当に、そう思います。

その思いやりに守られて、私は、信心をいただけたのだと思います。

ありがたいことです。

そして、御文を読むことを勧めてくださった愚尼さんに、感謝しています。

過去ログで、ひとり奮闘していた愚尼さんの姿が、とても印象に残っています。

南无阿彌陀佛

●re.4 admin 
毎日
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[ 51 ] Re5:異安心について 2007/11/30 (Fri) 05:53 △up ▽down
おやおや 様

愚尼さん、どうされているのでしょうね。

過去ログを本当に幾度も繰り返し読んだ、なつかしいジャンヌですが、近頃は、すっかり変わってしまっていますね。

私も、なぜかあの時期に親鸞会について検索したから、あの時期のジャンヌを見ることができたのです。

ありがたいことです。

●re.5 admin 
毎日
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[ 65 ] Re1:ジャンヌ掲示板のプリントアウトから 2007/12/02 (Sun) 06:34 △up ▽down
おやおや 様

被害者の会も、ジャンヌも、よくわからないページです。

ですけれども、愚尼さんの奮闘するお姿、そして、泥凡夫様の詳しいお書き込みを見まして、私も書き込んだのです。

ご縁は、どこにあるかわかりません。

おやおや様のプリントアウトは、貴重な資料であると思います。

私は、ジャンヌの掲示板を見てから驚いて、ずっと過去ログを読み続け、ひと通り読み終えたところで、すぐに書き込みをしました。

救われるご縁があるかもしれないのに、躊躇する必要なんてないからです。

●re.6 admin 
毎日
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[ 80 ] Re3:ジャンヌ掲示板のプリントアウトから 2007/12/03 (Mon) 01:41 △up ▽down
おやおや 様

救われた方からすれば、本当に易行であり、何もあやしいこともありません。

しかし、これを外側から見ると、あやしいし、恐いのです。

そもそも、後生のことを考える人自体が、今の世では少数派でしょう。

ですから、「後生の一大事の解決」を訴えてくださっている親鸞会様は、
この点において、人々を助けていると思います。

私は、信をいただいています。

ですから、私の知り合いは、弥陀の浄土のそばにいるように見えます。

ですけれども、何も尋ねない方は、遠くにいて、私に尋ねる方よりも遠いのです。

時間や、地理的距離は、弥陀にとっては、何の障害でもないはずです。

あくまでも、宿善の開発だけが問題であって、そのためにお育てくださっているのだと
思います。

どんなに易行でも、弥陀が実際に救ってくださっても、それをわかる方は、
希中の希です。

自信教人信は、難しい上に、さらに難しいのです。

ですから、ひとりもお手引きできなくても、問題ないのです。

正信に辿り着く方は、本当に希です。

正信に辿り着いた方は、この上無き善行をなし、人中の分陀利華になったのです。

南无阿彌陀佛



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