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●No.48
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[ 359 ] 信を獲るには(御伝鈔)
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2008/01/29 (Tue) 08:09
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他所にてお書きしたものを、加筆修正致しました。(スレッドの途中から、御伝鈔が出てきます。)
信を獲るには、信心決定の念仏行者を探し、その方は、次第相承の善知識を知っているはずですから、ご紹介を御願いし、次第相承の善知識に遭い奉り、六字の謂れを聞き開き、一心に弥陀をおたのみして、これにて極楽往生治定と知るべきなのです。
たったこれだけで、永劫の流転から抜けることができます。
凡夫直入易行、横超捷径です。頓教中の頓、これに過ぎるものはありません。
弥陀をたのめば、救われるのもアッと言う間であり、そのあまりの簡単さに、易行であると実感し、「こんなに簡単だったとは・・・ 自分で疑っていただけだった。自分で弥陀から逃げていただけだった。阿弥陀様、ごめんなさい、ごめんなさい」と涙も致しますし、そんな自分をも見捨てず救ってくださったうれしさに、涙もするものなのです。
南无阿彌陀佛
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●re.1
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[ 360 ] Re1:信を獲るには
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2008/01/28 (Mon) 18:24
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自力の心をふりすてるのは、自力ではできないのですから、 ふりすてようと自分であれこれ工夫しても、詮無きことです。 その方法を、次第相承の善知識から、教えてもらわなければなりません。
南无阿彌陀佛
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●re.2
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[ 361 ] Re2:信を獲るには
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2008/01/28 (Mon) 18:29
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凡夫直入の捷径なのですから、難しいことは、何もありません。 彌陀に救われることを望まれる方になら、誰にでも開かれている道です。 真実信心の招待状は、南无阿彌陀佛というかたちで、届いています。 この南无阿彌陀佛を目にし、呼ばれたと感じる宿善の機は、 その人身にて、南无阿彌陀佛という他力の行を致さねばなりません。
南无阿彌陀佛
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●re.3
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●re.4
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[ 363 ] Re4:信を獲るには
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2008/01/28 (Mon) 18:34
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◎ことに宗の淵源を尽し、教の理致をきはめて、これをのべたまふに(御伝鈔)
宗の淵源を尽すのですから、無宿善の機は聞くこと能わない、浅からぬ御勧化なのです。
そして、宗の淵源を尽し、教の理致をきはめますと、どのような凡夫にもわかる、とても簡単な教えになります。一文不知の方にもわかりますように、噛んで含めるように教えてくださいます。
永劫流転から抜けるという、とてつもないことを成し遂げるわけですから、これを「簡単なこと」にしてしまうのは、教の理致をきわめるとしか言いようがありません。
ふつうの智慧では、無理なことです。
南无阿彌陀佛
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●re.5
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[ 364 ] Re5:信を獲るには
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2008/01/28 (Mon) 18:40
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◎難行の小路迷ひやすきによりて、易行の大道におもむかんとなり
自分では無理とわかり、法に頭が下がる素地が開発されたということです。
「こんな自分ではどうにもならぬ」だから何とかしてほしい、救っていただきたい、という思いで、法に頭が下がります。
自然とそのようになるのを、宿善の開発と申します。
南无阿彌陀佛
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●re.6
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[ 365 ] Re6:信を獲るには
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2008/01/28 (Mon) 18:42
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「難行の小路迷ひやすき」つくづくそうだなあと、実感されます。
「もう、こんなのは、やめたいなあ」と、そういう実感が育つまで、難行の小路を、広く見えて細い道を行かねばなりません。
そして、細く見える難信之道、易行の大道に赴くのです。
誰をも受けとめる広い道、彌陀の大悲が、お待ちしております。
南无阿彌陀佛
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●re.7
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[ 373 ] Re7:信を獲るには
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2008/01/29 (Tue) 08:13
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◎あくまで凡夫直入の真心を決定しましましけり(御伝鈔)
「あくまで」というのは、親鸞聖人だからこその真心を決定したのではなく、特別な修行を為した方、特別な知力がある方だからこその真心なのではなく、「あくまでも」凡夫直入の信心をご決定なさってくださったということです。
だからこそ、私たち凡夫が救われる教えになったのです。
南无阿彌陀佛
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[ 376 ] Re8:信を獲るには
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2008/01/29 (Tue) 15:07
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>[ 362 ] Re3:信を獲るには >◎たちどころに他力摂生の旨趣を受得し、あくまで凡夫直入の真心を決定しましましけり(御伝鈔)
毎日様も、親鸞会のビデオを観て御存知でしょうが、
法然上人の元へ、足を運ぶ場面があったと思いますが、 何日も出かけているような場面だったと思うのです。
でも、ここでは 「たちどころに」とは立(ち)所に、ということで 事態の進展や解決などが要する時間が非常に短いさま、と辞書には書いて有ります。
随分、ビデオの描写とは違います。 そこの場面では、法然上人に直に手を挙げて、質問している親鸞聖人のお姿もありました。
又、法然上人から、教えを受け、親鸞聖人が信心決定する場面もあったようです。(2人だけの時)。この時、空白の時間があるのです。 その当時、真剣にビデオを見ていない私は、友達からその空白の時間にも意味があると聞かされました。
毎日様の流れを邪魔するようですが、 この「たちどころに」は、とても重要だと思います。
だらだら聞いて救われるのではないからです。
私は、毎日様より、 もっと、詳しくお聞きしたいと思います。
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●re.9
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毎日 |
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[ 377 ] Re9:信を獲るには
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2008/01/30 (Wed) 13:07
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菩提心 様
「たちどころに」は、私もとても大切だと思います。
◎しかるに宿善開発する機のしるしには、善知識にあうて開悟せらるるとき、一念〔も〕疑惑を生ぜざるなり(口伝鈔)
この開悟とは、指授開悟であり、指で描く様に六字の謂れを授け、六字を開き、その意味を悟らせることを指していると思います。
「悟」の「五」とは「互」であって、「吾」は、「面と向かってしゃべる」ことです。つまり、面授をさしています。これにより、「心」にハッと気付くことがある。「なるほど、そうだったのか」とわかります。
◎釈迦如来これを説きのべたまはずは、娑婆の衆生いかでか出離のみちをしらん。されば『法事讃』(下)の釈に、「不因釈迦仏開悟 弥陀名願何時聞」といへり。こころは、「釈迦仏のをしへにあらずは、弥陀の名願いづれのときにかきかん」となり。たとひまた、釈尊西天に出でて三部の妙典を説き、五祖東漢に生れて西方の往生ををしへたまふとも、源空・親鸞これをひろめたまふことなく、次第相承の善知識これを授けたまはずは、われらいかでか生死の根源をたたん(持名鈔)
ここでは、「開悟」を「教え」との釈義です。
おそらく、親鸞様は、法然様にお会いしたときに、たちどころに法に頭が下がり、思う所をお話しし、源空聖人はその意を受けとめ、当日、あるいは翌日には、すぐに六字の謂れを聞き開くことができ、一心に弥陀をおたのみ申し上げたのではないかと思います。
南无阿彌陀佛
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[ 378 ] Re10:信を獲るには
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2008/01/30 (Wed) 15:01
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>おそらく、親鸞様は、法然様にお会いしたときに、たちどころに法に頭が下がり、思う所をお話しし、源空聖人はその意を受けとめ、当日、あるいは翌日には、すぐに六字の謂れを聞き開くことができ、一心に弥陀をおたのみ申し上げたのではないかと思います。
全く、私もそのような状況でした。
善知識様方(お二人の善知識様が同席)は、ご自分からは、一切、聞きなさいとは、おっしゃって下さいませんでした。
「御縁があったら、いつでもいいですよ」と言われ、無理には、勧めて下さいませんでした。
私は、再度、頭を下げて、「是非、お願いします。絶対今生で助かりたいです」とお願い致しました。
多分、私の機を見ておられたのかも知れません。
お陰様で、私も、翌日、「六字の謂れ」を聞き開くことができました。
南无阿彌陀佛
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