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●No.47
admin |
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[ 358 ] 御恩報謝のお念仏
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2008/01/28 (Mon) 18:10
△up ▽down
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信を獲りまして、お聖教を読んでゆきますと、「違わぬ信心いただいた」とよろこべます。
そして、機法一体であることもよくわかりますので、南无阿彌陀佛の尊さもわかります。
当流には、南无阿彌陀佛以外に信がないこともわかります。
御同行に遭うこともできます。遭いがたき法の友に、出会わせていただくことができるのです。
ふりかえって、世間を見渡しますと、いかに値い難き法に出遭えたのかもわかります。(これは知恩報徳の益であると思っています。一切世間難信之法であるような世間において法を授かることにより、凡夫にも、実感しやすくなっていると思います。)
感謝もろくろくできなかった自分が、信後には、信前に比べれば、はるかに感謝の気持ちを出しやすくなり、また育てることもできるのです。このこと自体がありがたくて、また感謝できます。
どうにもならない機であったのに、弥陀には感謝が出来る・・・
このありがたさはどこから来ているかと言えば、南无阿彌陀佛からなのですから、「南无阿彌陀佛・・・」とただ唱える他はありません。
ありがたくてありがたくて、南无阿彌陀佛と唱えていれば、さらにうれしくなってきます。
南无阿彌陀佛
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●re.1
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[ 367 ] Re1:御恩報謝のお念仏
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2008/01/29 (Tue) 03:23
△up ▽down
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◎信のうへは仏恩の称名退転あるまじきことなり。あるいは心よりたふとくありがたく存ずるをば仏恩と思ひ、ただ念仏の申され候ふをば、それほどに思はざること、大きなる誤りなり。おのづから念仏の申され候ふこそ、仏智の御もよほし仏恩の称名なれと仰せごとに候ふ(聞書178)
◎蓮如上人仰せられ候ふ。信のうへは、たふとく思ひて申す念仏も、またふと申す念仏も仏恩にそなはるなり。他宗には親のため、またなにのためなんどとて念仏をつかふなり。聖人(親鸞)の御一流には弥陀をたのむが念仏なり。そのうへの称名は、なにともあれ仏恩になるものなりと仰せられ候ふ云々(聞書179)
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