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[ 7 ] 掲示板開設待っていました。
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2007/11/25 (Sun) 14:01
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毎日様、待っておりました。
親鸞聖人は「教行信証」 蓮如上人は「御文章」 毎日様は「この掲示板から・・」
僕ら凡夫が、救われる道を、平成時代に合うように分りやすく、解説して頂けると助かります。
きっと、その時代、時代に、次第相承の善知識は、色々と残していると思います。 多分、掟があり、表だって活躍していないから分らないのでしょう。 でも、「偽宗」とまで言われている時代です。
毎日様の御奮闘、見守っています。 そして、僕も見守って下さい。(すごく心強いです)
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●re.1
admin |
毎日 |
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[ 9 ] Re1:掲示板開設待っていました。
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2007/11/25 (Sun) 15:38
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おやおや 様
ありがとうございます。
掲示板にも書き込んでゆきますし、HPからも、いろいろな記事を読めるようにしてゆこうと思っています。
インターネットには、求める方が検索エンジンで探してくださるという利点がありますので、ある程度記事がたまったところで、SEOもかけてゆく予定です。
「実際にお会いするのは気がひけるけれど」という方も、気楽に読めることも利点です。
◎御一流の義を承りわけたるひとはあれども、聞きうる人はまれなりといへり。信をうる機まれなりといへる意なり(聞書56)
◎蓮如上人の御掟には、仏法のことをいふに、世間のことにとりなす人のみなり、それを退屈せずして、また仏法のことにとりなせと仰せられ候ふなり(聞書57)
◎一宗の繁昌と申すは、人のおほくあつまり、威のおほきなることにてはなく候ふ。一人なりとも、人の信をとるが、一宗の繁昌に候ふ(聞書122)
聞書の現代語訳は、
http://www2.saganet.ne.jp/namo/sub4.htm
で読むことができます。リンク集も、作成してゆきますね。
あくまでも、平成時代の求める方々が、真実信心をいただく助けとなるように、内容も充実させてゆく予定です。
おやおや様が見守ってくださること、私も心強いです。
浄土に往く前に、往生への道を遺してゆこうと思っています。
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●re.2
admin |
毎日 |
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[ 11 ] Re2:掲示板開設待っていました。
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2007/11/25 (Sun) 17:28
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おやおや 様
被害者掲示板への書き込みに、補足致します。(あちらで補足するのも、気がひけますので・・・)
◎法友を得る幸せを、褒め称える。 己より優れた者、また、等しい者。 彼らとは、親しみ近づくべきである。 法友が居なければ、罪科なき行を修め、 修行者たるもの、犀の角の如く独り歩め。(スッタニパータ47)
ここでわざわざ、「己より優れた者、また、等しい者」と2つにわけて書いてありますが、これは、私はもちろん、「善知識」「善友」を指すと思っております。(善知識は、善友でもあり、また、ご同行でもありますので、己より優れ、また、等しいのです。あるときには、善知識であり、あるときには善友であり、あるときには、凡夫なのであります。)
阿含のお経も、信後の相続に役立ちます。信前は、あくまでも信を取ることを目指すのが良いのですが、そのように踏み切れない方、また、疑心を除きたい方のためにも、役立ちます。
信を取る前に出てくる不安は、多くは、「土蔵秘事なのではないか?」「釈尊の教えであるのか?」この2つに集約されると思っておりますので、この2点につきまして、正面からお答えできるコンテンツを準備してゆきたいと思っております。
また、信後には、信前の気持ちは、もうわからなく(記憶に頼るしかなく)なってしまいますので、信前の気持ちを残しておくのも、後の方のためになるのではないかと思います。
ジャンヌにて、「死ぬ前に獲信したい」と書いていましたときには、そのような気持ちがございました。恥ずかしいような内容でございますが、後の方の参考になりますようにと、一例として記した次第です。(もちろん、自らが求めるためでもございます。)
南无阿彌陀佛
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[ 12 ] きっと役に立つことでしょう
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2007/11/26 (Mon) 16:22
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僕は、なぜかこのような時代に、毎日様のような方が現れたことに不思議な思いをしています。 将来、毎日様も、次第相承の善知識として、よく親鸞会で言われてきた、教学も兼ね備えた善知識になられるように思います。 そして、このような道程を経てきた事も、将来の有縁の人の目に留まることでしょう。
でも、僕は今、色々の善知識の幼少時代に関するご著書を拝読して思うことは、子供の時から、そのような方は仏法に帰依する心があると書いてあります。
毎日様の書込みも読ませて頂き、そのように感じております。
僕は、僕もある事を大事に思い、それを根底に書き込んでいます。 誰も信じられないと思います。 僕さへ、「何これ」って感じですかね。 でも、何故か、その思いを胸に書き込んでいます。 いつか、今生でご縁ございましたなら、その思いをお話出来ることも有るでしょう。
あ、それから、返信1の聞書きの現代語訳、僕もプリントアウトして読んでいますよ。 本当に、インターネットってすばらしいですね。
すばらしい経典もさることながら、色々な人が支えておられると思います。 とても感謝しています。そして、見たい時に読める。嬉しいですね。
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●re.4
admin |
毎日 |
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[ 13 ] Re1:きっと役に立つことでしょう
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2007/11/26 (Mon) 00:29
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おやおや 様
確かに、「お釈迦様は尊い」という気持ちは、一度も揺らいだことはありません。
私はこれは、「一応日本も仏教国なのだから、知らず知らず幼少期から、『お釈迦様は尊い』ということが前提となっている文化に育ったからだろう」と、以前は解釈していました。
近頃は、また別のことを考えております。
信をいただくまでは、いろいろ不思議なことがあることも、あるようですね。(私にも、いろいろとありました。)
すべて、お導きであるのでしょう。
おやおや様のお気持ちを、この耳に拝すことができる日を、楽しみにしております。
インターネットは、誠にすばらしいですね。
私も、いくつもの掲示板、そして、たくさんの記事にお世話になっています。
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