浄土真宗の教義について

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●No.37 admin 
毎日
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[ 295 ] 御文現代語訳について 2008/01/13 (Sun) 03:57 △up ▽down
御文、御文、と申しておりますので、質問されたりも致します。

手頃なものとしては、『現代の聖典 蓮如 五帖御文』(法蔵館)をおすすめします。

この本が優れているのは、原典が併記されていることです。

そして、コメントは(大意)として、はっきりと分離されていることです。

(ですけれども、「コメント」という扱いではなく、「大意」となっています。)

勉強になることが、いろいろと書いてあると思います。

ただし、「信を獲る」という観点からすると、この「大意」や「現代語訳」には、私たちとは異なる立場のことも、書いてあると思います。

内々の勉強会(お講)のためであれば、このような「大意」や「現代語訳」へのコメントの小冊子を作ることにより、既にある資源(現代語訳)を活用することができると思います。

(真実信心いただいている方のコメント付きであれば、役に立つものが世の中にたくさんあると思います。)

しかし、原典の文字が小さいのです。

原典の文字が小さくて、大意と現代語訳の文字が大きいのです。

私からすれば、原典の文字をこそ、一番大きくするべきだと思いますが、出版の都合上、一般向けの書籍としては、仕方がないことでありましょう。

(私のHPでも、引用が小さい文字になっています。)

原典の文字をとても大きくして、大意は一番小さく、現代語訳も、大意ほどではないけれども、小さな文字で、という形式が、良いのではないかと思います。(拝読用としては。)

それでも、原典を参照しながら現代語訳を読めること、手軽に持ち運べる大きさであること等から、「どうしても現代語訳を」という方には、おすすめ致します。

それでもあくまでも、現代語訳は参考であり、大意はさらなる参考であって、あくまでも、原典が大切であると思います。

意味があまりわからなくても、ふりがな付きの原典を用い、原典を拝読することを、あくまでも私はおすすめ致します。

それでわからない箇所の参考として、現代語訳を参照するような使い方が良いと思います。(ただし、現代語訳を見て納得してしまうのも良くないと思いますので、あくまでも、原典を読み解く上での参考です。)

信を獲るために読んでいるはずですのに、現代語訳を繰り返し読んだり、あるいは、大意だけを繰り返し読んでいったりしたら、ずれて行ってしまいます。

真実信心がそのまま表されているような現代語訳が見つかりましたら、ご紹介したいと思いますが、現代語訳をあまり調べていないこともあり、私は知らないのです。

ですから、現代語訳を求める方にも、本当は、おすすめしたいのは、これです。

『御文章 ひらがな版―拝読のために』(本願寺出版社)

そもそも拝読のためのものですので、文字も大きいですし、丈夫な装丁ですし、ふりがなも付いています。しかも、安価(税込み735円)ですので、おすすめです。

(これも、「大意」というかたちで、現代語訳ではありませんが、解説が付されております。また、脚注もございます。脚注には参考になるものが多いですが、大意は、無視して読んでほしいと私は思います。御文様の文字は、大きくなっています。また、五帖全部の収録ではありません。かなづかいも、現代かなづかいに直されています。)

とこのように、現代語訳を求められても、とりあえずはその要求にこたえながらも、最後は原典をおすすめするのが良いと思っています。要求にこたえるところは長く、本当のおすすめは短く、というのが、真宗的な流儀であると思います。

何を聞かれたときにも、使える形式(フォーマット)です。そして、実際に行うことは、相手の方のご選択に任せるのが良いのだと思います。

御拝読用の御文として、私がもっともおすすめしたいものは、次の書き込みにございます。

南无阿彌陀佛

●re.1 admin 
毎日
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[ 301 ] Re1:御文現代語訳について 2008/01/12 (Sat) 13:16 △up ▽down
御文様ですけれども、一番のおすすめは、

『御文 昭和新刻 ひらかな版』法蔵館 法蔵館編集部(編) 昭和56年

です。和綴じの装丁でありまして、理想的です。

ただし、お値段が少し高めで、3500円+税金になります。

法蔵館075-343-5656にお願い致しますと、代引きで送っていただけます。

お近くの書店に御願いすれば、送料の必要もなく、お取り寄せできるようです。

この場合、少しお時間いただくこともあるそうです。

南无阿彌陀佛

●re.2
菩提心
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[ 304 ] Re2:御文現代語訳について 2008/01/12 (Sat) 14:19 △up ▽down
毎日様

確かにこれはお勧めですね。

大きさも手頃です。

私は、この空いている箇所に、

毎日様や泥凡夫様からこの掲示板から教えを受けて、感銘を受けたところを
縮小して貼り付けています。

時々、落ち込んだ時は、眺めてホットしています。

御縁頂いた方々の、ご助言は、私の拠り所です。

 南无阿彌陀佛

●re.3 admin 
毎日
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[ 307 ] Re3:御文現代語訳について 2008/01/13 (Sun) 04:04 △up ▽down
菩提心 様

なぜか、浄土に行くまで、時間がございますね。

◎しづかにおもんみれば、それ人間界の生を受くることは、まことに五戒をたもてる功力によりてなり。これおほきにまれなることぞかし。ただし人界の生はわづかに一旦の浮生なり、後生は永生の楽果なり(御文2-7)

いつのことだか覚えていませんが、私も五戒を保って、人身を持つことができ、そして、弥陀に救われることができて、本当によかったと思います。

◎かかる世のなかの風情なれば、いかにも一日も片時もいそぎて信心決定して、今度の往生極楽を一定して、そののち人間のありさまにまかせて、世を過すべきこと肝要なりとみなみなこころうべし(御文4-13)

気がついてみれば、「そののち人間のありさまにまかせて、世を過す」のお仲間にさせていただきまして、うれしい限りです。

「ありさまにまかせて」ですので、流れ流れです。

とにかく浄土が楽しみですね。

南无阿彌陀佛

●re.4
鈍べえ
九州の男性
[ 697 ] Re4:御文現代語訳について 2008/07/16 (Wed) 22:40 △up ▽down
毎日さま

せめて読んでいる本だけでも、救われた方々の真似をしようと、
『御文 昭和新刻 ひらかな版』と『御文章 ひらがな版―拝読のために』を
取り寄せて読み始めました。

前者は、amazonでも、法蔵館のHPでも、新刊を手に入れられなかったので、古本を手に入れました。
今から25年以上前の出版物ですが、和綴じのせいか、しっかりしています。

後者は、古文のままでは、あまりに何を言っているかわからない部分だけ参照するつもりです。
真反対の理解をすると、鏡になりませんから。

ともかく平日は、この2冊の御文さまを、朝晩読み進めようと思います。

南无阿弥陀佛

●re.5
愚老
北陸の男性
[ 699 ] Re5:御文現代語訳について 2008/07/17 (Thu) 09:22 △up ▽down
鈍べい様
素晴らしいお方ですね。愚老は最初が仏法・・ウウウン?まあ本当の所,佛が何で法が何で御文章?8代目蓮如様と聞かされてもチンプンカンプンの無知でした。引き換へ鈍べい様はもう既に御文章を拝読とは当時の愚老とは天地の差です。
信心頂き初めて色々な佛知恵を頂き今、考えるとあの当時の無知が嘘の様です。南無阿弥陀仏この六字の中に一切経の功徳を封じ込めた教えなのですね。
今度、ネットで、古文書、オークションにて今、大河ドラマ、篤姫、徳川家定の江戸時代に同じ時代の東本願寺20代目の法主で釋達如と花印を押した蓮如上人様の御文章〔広島の旧家蔵だし)多分当時ご門徒様に配られたものと思います。原文のもの安く落札させて頂き毎朝愚老も一段ながら拝読させて頂いて居ります。カナ文字で読みづらかったが馴れると上手く読める様になるものですね。
往古の蓮師様の当時思い出しては有り難くご恩の思いです。
南無阿弥陀仏。

●re.6
泥凡夫
北陸の男性
[ 701 ] Re6:御文現代語訳について 2008/07/24 (Thu) 21:49 △up ▽down
鈍べえ 様

こんばんは。泥凡夫と申します。

御文をお求めになられてのご拝読、誠に頭が下がります。

毎日様が先に御引用の御文4-13でございますが、信後の有り様を語られております。

『かかる世のなかの風情なれば、いかにも一日も片時もいそぎて信心決定して、今度の往生極楽を一定して、そののち人間のありさまにまかせて、世を過すべきこと肝要なりとみなみなこころうべし』

「今度の往生極楽を一定して」まずはこれが大事中の大事です。真宗は信をもって先と致します。第十八願は老少善悪の人を選ばす。の意はお分かりかと思いますが、誰も彼もただの御助けではありません。信を要と致します。その理を聞き開くにはどうしたら良いのか。蓮師は御文を通して我等に語りかけておられます。

そののち人間のありさまにまかせて、世を過ごすべきこと肝要なりと皆様心得て下さい。

そのように申されております。「そののち」即ち信後、あれをせねばならぬとか、あれが罪だこれが徳だなどと煩わしい生き方を強いられんところは有難いことです。

ありさまにまかせるとは、過去世の御縁によって良いこともあるでしょうし、悪いこともあるでしょう。あらゆる事象が御縁あれば起こりうるのであります。信後、すぐに浄土に参るお方もおるでしょう。長生きして、たくさんの方々の御縁となる方もおるでしょう。信を獲たとて死なんようにはなりませんし病気にもなります。怒りも嫉みも暇なく襲って来ることでしょう。

しかしながら、如何様になろうとも構わない。摂い取ったら絶対に捨てない。その弥陀の御心こそ頼りにして生きたいものであります。

当流は義なきをもって義と致します。「南无阿彌陀佛」は長時の行であるが故に、懈怠して生きております我等であっても「南无阿彌陀佛」は臨終の一念まで働き続けております。

ただ、御文にもうるさいほどに申されておりますように、報恩の大行としての称名念仏は奨めておいでであります。またこれは行住坐臥を問われません。

南无阿彌陀佛



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