浄土真宗の教義について

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●No.35 admin 
毎日
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[ 289 ] 中部経典第26経(聖求経) 2008/01/10 (Thu) 05:55 △up ▽down
以前、お伺いがありました、大乗非仏説につきまして、また別の観点から、書いてみようと思います。

「弥陀の教えは、釈尊が説いたものではない」という観念がありますと、釈迦弥陀二尊を説きます真宗の教えが、おかしなものに思えてきてしまうかもしれませんので、その疑心を晴らす少しでも助けになればと思いまして、書いて行きたいと思います。

うれしいことに、近年、春秋社様から、現代語訳原始仏典が刊行されました。

これにより、興味のある方の誤解も、解けるのではないかと思っております。

これまで、原始仏典を読むことなくして、「歴史上の釈尊は・・・」という記述をどこかで読みまして、不安になっている方が多いようだという印象を受けております。

聖求経では、初転法輪について説かれております。

もちろん、ここに於いて説かれております内容が、弥陀の救いであると「証明」や「実証」ができるわけではございません。

しかし、信心いただいている方から見れば、「なるほど・・・」と思える内容を含んでいると思います。

南无阿彌陀佛

●re.1
菩提心
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[ 290 ] Re1:中部経典第26経(聖求経) 2008/01/10 (Thu) 10:14 △up ▽down
毎日様

>うれしいことに、近年、春秋社様から、現代語訳原始仏典が刊行されました。

今、インターネットで調べました。

春秋社・原始仏典・中村元 のこれですか?

地元の図書館で、検索しましたら、蔵書欄に有りました。

>信心いただいている方から見れば、「なるほど・・・」と思える内容を含んでいると思います。

私のような無智な者でも、読めば少しは分りますか?

大乗非仏説の事では、被害家族の掲示板より知った訳ですが、「異安心について」の項目にもありますが、スッタニパータを調べていくうちに、法華経には、私でも解り易く読めるものがあるので、それも、図書館の蔵書で検索したら有りました。

真実信心頂くには、ただ、阿弥陀様に助けて欲しいと、この極悪人の私を助けて欲しい、それだけを思えばいいんですよね。

私は、愚尼様の赤子のようにとジャンヌに書いてあったので、本当に、子供のような気持で、阿弥陀様が助けてあげるよって言っているんなら、助けて貰おうと思いました。
そして、泥凡夫様のお導きにより、回り道しましたが、信心決定すること叶いました。

でも、不思議ですね。本当に何度も書いていますが、勉強なんて大嫌いの私が、なぜか、読んで見たくなります。

でも、私自身は助かっても、超人になった訳でもないので、毎日、ポカばっかりやっています。
必ず失敗や、忘れ物もします。
それでは、何が変わったか? 前のようにそれで落ち込むことが無くなりました。
先のことをあれこれ、悩まなくなりました。なるようにしかならないという気持になりました。

そして、毎日様の掲示板を眺めながら、後念相続できる、身の幸を有難いなと思えます。

●re.2 admin 
毎日
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[ 291 ] Re2:中部経典第26経(聖求経) 2008/01/10 (Thu) 12:12 △up ▽down
菩提心 様

>春秋社・原始仏典・中村元 のこれですか?

はい、そうです。


>私のような無智な者でも、読めば少しは分りますか?

はい、もちろん分かるところが多々あると思います。

分からないような気が致しましても、読んでいるだけで、何か変わってくることと思います。

真実信心いただくと、仏法がわかるようになってくるお約束があります。

聖求経につきましては、このスレッドで、感想を書いてゆきたいと思っています。

信心の沙汰というのは、自らの信心を表してゆくことでもありますので・・・

現代語訳ですので、全文引用できませんから、図書館の蔵書などを用いて、全文を見ていただけたら、うれしいです。

釈尊の教えは、本当にすばらしいです。


>大乗非仏説の事では、被害家族の掲示板より知った訳ですが、「異安心について」の項目にもありますが、スッタニパータを調べていくうちに、法華経には、私でも解り易く読めるものがあるので、それも、図書館の蔵書で検索したら有りました。

図書館は、本当にありがたいですね。

図書館にしても、御聖典の刊行にしても、ありがたい御仕事をなさっている方々が、たくさんいらっしゃることに、感動致します。


>真実信心頂くには、ただ、阿弥陀様に助けて欲しいと、この極悪人の私を助けて欲しい、それだけを思えばいいんですよね。

はい、そうです。特に、経典の学習が必要なわけではありません。


>
>私は、愚尼様の赤子のようにとジャンヌに書いてあったので、本当に、子供のような気持で、阿弥陀様が助けてあげるよって言っているんなら、助けて貰おうと思いました。
>そして、泥凡夫様のお導きにより、回り道しましたが、信心決定すること叶いました。
>
>でも、不思議ですね。本当に何度も書いていますが、勉強なんて大嫌いの私が、なぜか、読んで見たくなります。

本当に、不思議ですね。私自身も、こうして掲示板を運営したりしていますが、とても不思議に思っています。

きっと、阿彌陀様のお話を聞きたくなるからだと思います。

仏法を求める気持ちが出てくるのだと思います。

度衆生心も廻向されますが、「度衆生」と言ったら、釈尊のお話が最高です。

本当に本当に、南无阿彌陀佛は無上方便です。

間違いなく、仏法であります。

この「間違いなく、仏法であるのだなあ」というところを、今後書いて行きたいと思っています。


>でも、私自身は助かっても、超人になった訳でもないので、毎日、ポカばっかりやっています。

これは、もちろん、私もそうです。


>必ず失敗や、忘れ物もします。
>それでは、何が変わったか? 前のようにそれで落ち込むことが無くなりました。
>先のことをあれこれ、悩まなくなりました。なるようにしかならないという気持になりました。

南无阿彌陀佛、南无阿彌陀佛。

白道を歩むだけですものね。

はからうこともありませんし、はからう必要もない。ありがたいことです。

はからってしまうことすら、はからわなくて良いわけです。


>そして、毎日様の掲示板を眺めながら、後念相続できる、身の幸を有難いなと思えます。

私も掲示板を見ていて、「ありがたいな」と思っています。

真宗のお話を、いろいろな方がしてくださって、こんなにうれしいことはありません。

ひとりでも多く、信を獲る方が出てくることを、願っています。

南无阿彌陀佛

●re.3 admin 
毎日
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[ 293 ] Re3:中部経典第26経(聖求経) 2008/01/11 (Fri) 01:35 △up ▽down
釈尊のお話は、本当に、あまりにも、素晴らしく、最高に価値があるものであると思います。

一部だけを抜き書きするのは、もったいないことです。ぜひとも、通して読んでいただきたいのですが、真宗の救いを求める御同行の方に、参考になりそうなところから、書いてみたいと思います。

(ページ数は、すべて春秋社版です。原始仏典第四巻に収録されています。)

◎わたしの解脱は不動である。これが最後の生まれである。もはや再生することはない(393ページ)

釈尊が、輪廻から解脱されたことを宣言されています。釈尊は、この時点でニッバーナ(涅槃)を得ています。

そして、「再生しない」ことは、この経の中で、後に「不死」と説かれます。

念仏行者も、また一生捕処に至ります。不退転ですので、不動です。ただし、一念帰命しても、すぐに解脱には至りません。再生するかどうかは、還相廻向として、衆生済度を望むかに依ります。

◎生まれつき汚れの少ない人々がいますが、教えを聞かないで衰退しています。(かれらは)教えを理解できるようになるでしょう(394ページ)

◎世尊は教えを説いてください。理解する者たちも現れるでしょう(394ページ)

ブラフマー神のことばです。宿善について、説いていると思います。

このブラフマー神の勧請のおかげで、私のところまで、法が届いたのです。感謝致します。

そして、まず誰に法を説くかと言えば、師恩のある方、そして、同行です。

師は死去していました。

ウパカに会います。ウパカは、成就者がいることを信じません。

仲間に会います。法を聞くときには、「友よ」と呼んではいけないことを示します。

これは、観察を説いていると私は読みます。

仲間は、当初、聖道の観念から、抜ける事ができません。

無上の清らかな修行の完成は、現世において、みずからよく知り、感得し、成就できるものです。

そして、これは、出家の目的そのものです。

これは、あくまでも、行の完成とされており、証ではありません。

五人の修行僧は、ニッバーナを得ます。

五人の修行僧のニッバーナが、根源無明の破砕であり、真実の信心を得たことであるのか、私はさらに検討したいと思っています。

厭離穢土の教えが説かれます。

そして、行者の往還相廻向、すなわち、十念相続が説かれると私は読むのです。

真実信心いただいた後は、行住坐臥、念念相続致します。

このお経を繰り返し読むだけでも、信をいただいた方の心は、清められるでしょう。

私の解釈は無視して、世尊のことばに耳を傾けるだけで、洗い清められるでしょう。

世尊に感謝致します。

南无阿彌陀佛

●re.4
菩提心
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[ 308 ] Re4:中部経典第26経(聖求経) 2008/01/13 (Sun) 09:27 △up ▽down
毎日様

昨日、図書館へ、「原始仏典」7巻を借りに参りまして、ビックリしました。
戸棚から、出してくる本の厚さにです。
1冊、8千円以上と書いて有りましたが、現実には、見ておりませんでしたので、
借りようとした私も、図書館の人も、お互いに、ホントにこれ読めるのっていう感じです。

とても2週間では、7冊は無理だと思い、取り合えず、1・2・4巻を借りました。
早速、昨晩から、ざっと読もうと思い、ページをめくっておりました。

以前のお世話になった会で、浄土真宗のお話をして下さいました先生は、印度へ13回程行かれたそうです。観光地ではなく、経典に説かれた箇所を探して歩く旅だったそうです。
ですから、その時のお話を少ししか聞かせて頂いておりませんでしたが、道なき道を探して歩かれたこともあるそうです。最初尋ねた時は、お釈迦様の時代と全く変わらない様子も、最後昨年行かれた時と状況はかなり違って観光地化されているところもあったそうです。
でも、一度は、印度に行ってくるといいねと、おしゃって下さいました。でも、それは、ただの観光地ではないところです。ご同行の方達も、皆さん、感慨深く、私に語って下さいました。
その時の写真集を分けて頂きました。君が写って居なくても、欲しいの?と不審がられましたが、その写真と、このご著書を拝読させて頂いても、なぜ「大乗非仏説」を信じられるか、その方が不思議だと思えます。

人それぞれ、考え方は違うのでしょうが、
私は、すんなりと、このご著書に溶け込むことが出来ました。
毎日様のように、熟読できる知恵は有りませんが、感覚的に、その場で、お釈迦様のお話を聞いているような思いが出てきます。
そして、そのような先生のお話や、写真集が手に入った御縁も又、この道来る時の大事な道しるべだったのだと思います。

かつて、ジャンヌ掲示板において、「元幹部会員」様が、『スッタニパータ犀の角』は最も古い経典だということで、すぐ本屋へ買いに走りました。

そして、今、毎日様や泥凡夫様より、このようにすばらしい教えをうけております。

私の御縁ある善知識様は、お仕事が大変忙しいお方なので、なかなかお会い出来ません。(でも、とても優しく、気さくなお方ですので、私のような者にでも、いつも笑顔で接して下さいます)。

ですから、毎日様の、質問は掲示板でどうぞと、書いて下さいますことは、私にとって、とても嬉しいことです。そして、必ず答えて下さることです。
多分、もっとお忙しくなられると、このHPも存続出来なくなるかも知れません。
私は、後念相続の為ですが、
まだ、真実信心得られておられない方は、是非、この掲示板より疑いを晴らして頂きたいと思います。

「原始仏典」の第1巻には、幾度も固執した考えをしてはいけないと説かれています。
私のように、知恵なき身でも、読んでみようと思っています。
まして況や、親鸞会で教学を勉学された方々ならば、一層、読んで見られるとよく理解出来ると思います。
親鸞会で学んだ「因果の道理」等、理に適っていないということ、分ると思います。

南无阿彌陀佛

●re.5
菩提心
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[ 315 ] Re5:中部経典第26経(聖求経) 2008/01/14 (Mon) 08:13 △up ▽down
毎日様

今、おおまかにしか「原始仏典」を拝読していませんが、私はとても引かれた箇所があります。

第1巻、第12経 「非難されるべき教師のたとえ」露遮経

見出しにはこのように書かれています。

ローヒッチャという名のバラモンは、「素晴らしい真理を得たとしても、それを他人に説いてはならない。無意味である」という考えをもっていた。かれに対して、世尊は、「そのような考えは、間違った考えで、そのような考えをもつものは、地獄・畜生の世界へ行く」と諭す。
さらに世尊は、世間には、三種の非難されるべき教師があり、その第一は、自身が修行者の境地を得ていなくて、心構えのできていない生徒に教えを説く教師であり、第ニは、自身が修行者の境地を得ていなくて、心構えのできている生徒に教えを説く教師であり、第三は、自身が修行者の境地を得ているが、心構えのできていない生徒に教えを説く教師である、と説く、
そして、世間で非難されない教師とは、真理を知り、清浄な修行を明らかにし、優れた生徒をもつ教師(すなわち如来)であると説く。


私は、釈尊の時代に、ハッキリとこのように正しい教師(善知識)を顕かにしていたのだと受け取りました。

この時は、確かに聖道門の教えでしょうが、浄土門の私達においても、如何に、正しく教えなければいけないし、又正しく教える知識を探すことが大切だと思うのです。

死んで何とも思わない人はそれでもいいでしょうが
私は、死んで地獄へ行くのは絶対嫌だと思っていましたし、しかし、長年、死んだら無間地獄と聞いて苦しんできましたが、
それは、正しく説かない知識から聞いてきたからであると思います。

私は、今信心決定の身にさせて頂いて、[仏説まこと] と知らされます。

信心を得れば、このような御著書においても、佛凡一体の身であるからこそ、感じ取れるのでしょうか?

なぜか、自分でも、不思議だと思います。本当に心から、今、お釈迦様から教えを受けているような思いで、有り難く、そして、頬がゆるんできます。

毎日様は、お手元に、このご著書をお持ちなのですか?
私も、一冊ずつでも、手元に置きたいと思いました。

南无阿彌陀佛

●re.6 admin 
毎日
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[ 321 ] Re6:中部経典第26経(聖求経) 2008/01/15 (Tue) 03:41 △up ▽down
菩提心 様

>信心を得れば、このような御著書においても、佛凡一体の身であるからこそ、感じ取れるのでしょうか?

真宗も、やはり仏法であるからだと思います。

(「やはり仏法」どころか、釈尊の出世本懐です。)

ご引用の箇所は、信心を獲た方が、宿善の有無を沙汰して説くことに対応していると思います。

信心を獲ずして説くのではなく、信心を獲ても、誰にでも説くのではなく、宿善の有無を見極めて説く。

原始仏典は、思い切った買い物でしたが、揃えました。春秋社様からは、ジャータカも出ているのです。こちらは、今は新刊では手に入りませず、いずれ、入手したいと思っております。

釈尊のお話しは、世間のお話を超越していて、ただただ驚くばかりです。

南无阿彌陀佛

●re.7
菩提心
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[ 381 ] Re7:中部経典第26経(聖求経) 2008/02/03 (Sun) 06:42 △up ▽down
原始仏典(第七巻) 愚者と賢者ー癡慧地経

親鸞会被害家族の会にも、少し書いたのですが、
一日1本の槍で突かれても、苦しいのに、朝・昼・晩にそれぞれ100本の槍で突かれる苦しみは、どれ程のものか。

そして、そばにある小石をとりあげ、あのヒマラヤの山の大きさと比べたらと、地獄の苦しみは、どれ程のものでしょう。

そして、私達人間は全て無間地獄に堕ちると聞かされ、今も辞めずにいる友達がいます。

しかし、ここには、
「愚か者の三つの特徴」
「現世における愚か者の三つの苦しみ」
「地獄で味わう苦しみ」
「畜生に生れて味わう苦しみ」
「人間に生まれ変わることの難しさ」
「愚か者のやり方を賭博の負けにたとえる」
「賢者の三つの特徴」
「現世における賢者の三つの悦び」
「天界で味わう悦び」
「転輪王の七宝」
「転輪王の四つの不思議な力」
「転輪王の悦びに勝る天界の楽」
「高貴な人の家に生れる」
「賢者のやり方を賭博の勝ちにたとえる」

上記のように、釈尊は、解り易く、説かれていたのですね。読んでいても理解できます。

他の経典でも、くどいぐらいに同じお言葉を繰り返して、説かれています。

私は、今、このように、調べれば、どのような方法でも調べられる事は、本当に有り難い時代だと思います。

まして、この掲示板は、「ハッキリと信心決定したい人、信心決定した人を対象にしているHPです」。

具体的に助かる方法を示して下さいます。

後は、尋ねることだけですね。

改めて、毎日様のHP有り難いです。

●re.8 admin 
毎日
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[ 397 ] Re8:中部経典第26経(聖求経) 2008/02/27 (Wed) 13:47 △up ▽down
菩提心 様

中部教典第42教『ヴェーランジャカ経』に説かれている、良き在家信者の転生先です。(原始仏典第5巻です。)

兜率天
楽変化天
他化自在天
梵身天
光天
少光天
無量光天
光音天
浄天
少浄天
無量浄天
遍浄天
広果天
無煩天
無熱天
善現天
善見天
無劣天

そして、これらの天の後に、報土往生が説かれていると、私は読んでいます。
さらにわたしは、当現の二益が説かれていると解しています。

南无阿彌陀佛



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