浄土真宗の教義について

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[ 288 ] かつはまた宿善のある機は(改邪鈔) 2008/01/10 (Thu) 03:53 △up ▽down
◎かつはまた宿善のある機は正法をのぶる善知識に親しむべきによりて、まねかざれどもひとを迷はすまじき法灯にはかならずむつぶべきいはれなり。

他所で訳を求められましたので、まずは、こちらにお書きしたいと思います。

まず、「かつは」ですが、これは、現代語の「または(論理和の義)」「かつ(論理積の義)」とは、意味が違います。

漢文の「且つは・・・且つは・・・」という句法から来ており、「一方では、・・・。一方では・・・」の義です。

ですから、「かつはまた」で、「一方では、また」となるでしょう。

「べき」は、以前も書きました様に、私は「予定・運命」と解します。

「べし」には、現在の状況を推量する場合と、その時点よりも先の未来の推量があるのですが、私はここでは、後者を採ったわけです。

宿善のある機は、いずれ、「正法をのぶる善知識に親しむ」ことになるということです。

よって、「べき」には、「ことになっている」をあてます。

「によりて」は、「に因りて」ですから、原因を示します。「のであるから」と訳します。

ここまで、「一方ではまた、宿善のある機は、正しい法を述べる善知識に親しむことになっているのであるから」。

「まねく」は、補うとしたら、「招き寄せる」と解します。また、「ども」は、逆接恒常条件と私は解します。したがって、「まねかざれども」は、「招き寄せなくても」です。

この「まねく」ですが、私は、「善知識が」「行者を」「まねく」と解しています。そして、「まねかざれども」は、「むつぶ」に係ります。

「まじ」は、「打ち消しの当然」と解します。「はずがない」です。

ここまで、「招き寄せなくても、ひとを迷わすはずがない法灯には」。

「いはれ」は、「言われていること」と訳します。

「なり」は、断定です。

ここまで、「かならず親しくすることになっていると言われていることである」

つづけまして、「一方ではまた、宿善のある機は、正しい法を述べる善知識に親しむことになっているのであるから、招き寄せなくても、ひとを迷わすはずがない法灯には、かならず親しくすることになっていると言われていることである」

文全体の構造としては、「一方ではまた、〜と言われていることである」です。

「宿善のある機は正法をのぶる善知識に親しむべきによりて、まねかざれどもひとを迷はすまじき法灯にはかならずむつぶべき」が、「いはれ」の連体修飾部となっています。

このような解釈が、信を獲る上での、直接的な助けになるかはわかりませんが、原典に親しむ助けにはなるかもしれないと思います。

私と致しましては、あくまでも、訳文よりも原典をおすすめ致します。

皆様の、ご参考になれば幸いです。

南无阿彌陀佛



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