浄土真宗の教義について

新規スレッド作成タイトル一覧表示ログ検索ホームへ
  《prev 33 next》
・選択したスレッドを表示しています。返信は▽downのフォームからどうぞ。
(「メール送信」ボタンを押すと、書き込み作者宛にメール送信ができます。ヘルプ)(「編集」ボタンで記事の編集ができます。)
 
●No.33
現代人
関西の男性
[ 285 ] 御文 読んでは見たが 2008/01/09 (Wed) 16:03 △up ▽down
毎日様

あれから、御文と安心決定抄を拝読しました。

感想としましては、安心決定抄の方が親しみやすかったです。

御文では、「南無阿弥陀仏のすがたをこころうるなり」と示されておりますが
自分の心を点検する気持ちが動くのです。

「決定の心をとれ」−とれたかどうか。 本当にとれているのか と言う具合にです。
こうなると、いつまでもキリがありません。「一念も疑いなければ」とありますが、本当に疑いがないのかどうかと。 これも同じパターンですが。
御文を読むとある種の計らいが生まれてなりません。

易しいはずの文章、余計に難しくなりました。

●re.1 admin 
毎日
url 非公開の非公開

↑毎日宛にメール
[ 286 ] Re1:御文 読んでは見たが 2008/01/09 (Wed) 16:50 △up ▽down
現代人 様

書き込みありがとうございます。

また、御文様と安心決定抄御拝読とのこと、尊いお姿に頭が下がります。

>御文では、「南無阿弥陀仏のすがたをこころうるなり」と示されておりますが
>自分の心を点検する気持ちが動くのです。

あくまでも私見をお書き致しますが、それで良いのです。

点検し、領解が合わぬなら、領解が合うよう、御文と一致する信心をお探しください。

有縁の方がいらっしゃるならば、「どうすれば信が獲れるのか」と問うて行くこと肝要でございます。

真実信心は、御文様の中にもありません。繰り返し拝読するだけで、信を穫れるというわけではございません。

御文様は、宿善ある機に、気付いていただくためのものです。

>こうなると、いつまでもキリがありません。

凡夫の心にキリがないのは、その通りですが、終着点がございます。

◎『御文』のこと、聖教はよみちがへもあり、こころえもゆかぬところもあり、『御文』はよみちがへもあるまじきと仰せられ候ふ。御慈悲のきはまりなり。これをききながらこころえのゆかぬは無宿善の機なり(聞書53)

読み違えがないからこそ、信心獲ていなければ、「何か違う」とわかるのでございます。

改悔文(領解文)に付されております文如上人の教誡でございます。

◎右領解出言の文は、信証院蓮如師の定めおかせらるるところなり。真宗念仏行者、すでに一念帰命、信心発得せる領解の相状なり。このゆゑに古今一宗の道俗、時々仏祖前にしてこの安心を出言し、みづからの領解の謬りなきことを敬白するなり。しかるに、そのあひだ後生の一大事を軽忽し、みづからたしかに弥陀をたのみたる一念の領解もなく、またこの領解文をも記得せざる類あり。あるいは記得し出言しながら、心口各異にして慚愧せざるのものあり。はなはだ悲歎すべきところなり。こひねがはくは一宗の道俗、この出言のごとく、一念帰命の本源をあやまらず如実相応して、すみやかに一大事の往生を遂ぐべきものなり。このゆゑにいまひめおきし蓮師(蓮如)の真蹟を模写し印刻して、家ごとに伝へ、戸ごとに授けて、永く浄土真宗一味の正意を得せしめんと思ふものなり(文如上人)

「みづからたしかに弥陀をたのみたる一念の領解」(文如上人)これすなわち、「たのむ一念のとき、往生一定御たすけ治定と存じ」(改悔文)でございます。

これが無いなら、いたずら事であるのです。

「心口各異」であるのであれば、「慚愧」せねばならぬとあります。

ところが、皆慚愧することなく、「ありがたや」と出言するにとどまることを嘆いておいでです。

「これまで何をゆったりしておったのだ」と慚愧し、一刻でも早く信を獲る事肝要であると存じます。

南无阿彌陀佛

●re.2 admin 
毎日
url 非公開の非公開

↑毎日宛にメール
[ 287 ] 慚愧について 2008/01/10 (Thu) 03:21 △up ▽down
「慚愧」には、さまざまな義があるのですが、ここでは、「慚」は、自らに謝り、「愧」は、弥陀に謝るので良いと思います。(これを、意識的にするということではありません。自然と、そのような感情が出てくるのです。)

やさしいはずの御文がむずかしくなってしまうのは、信を獲らないままで、理解しようとなさっているからではないかと思います。

御文はやさしいですから、信を獲っていなければ、「信を獲っていない」とわかるのです。

そして、「これは、信を獲らなければ、わからないのだ」ということまで、わかってきます。

御文様には、信を獲っていない方が、信を獲るにはどうすれば良いのかまで、きちんと書いてあります。

あとは、それが信じられるかどうかだけです。

気付けば、簡単なことなのです。

気付いたときに、慚愧が起こります。しかし、それは、御文の中の宝をついに見つけたときですから、それほど否定的な感情には、ならないと思います。

南无阿彌陀佛

●re.3
現代人
関西の男性
[ 298 ] Re1:慚愧について 2008/01/11 (Fri) 20:48 △up ▽down
>あとは、それが信じられるかどうかだけです。
>
>気付けば、簡単なことなのです。


ご教示本当に有難うございます。 

ここですね、最後には。 
う〜ん。 何とも返答のしようがありません。無いものは無いですから。

まずはお礼まで。

●re.4 admin 
毎日
url 非公開の非公開

↑毎日宛にメール
[ 299 ] Re2:慚愧について 2008/01/12 (Sat) 01:13 △up ▽down
現代人 様

お礼までいただき、感謝に堪えません。

私の読みにくい文章を読んでくださいまして、本当にありがとうございます。

気付いてほしくて、直截的に書きますと、角が立つような言い方になってしまうような気が、近頃致しております。それでも、暖かく受け止めてくださいまして、誠にありがとうございます。

心より、感謝申し上げます。

聞いている方が、少しでも気分よく聞けるよう、方便に習熟してゆかねばならぬと思っております。


>ここですね、最後には。 
>う〜ん。 何とも返答のしようがありません。無いものは無いですから。

本当に、宿善まかせですものね。

この掲示板や、あるいは他所でもよろしいのですが、まずは、信心獲てそうな方々のお話をいろいろとお伺いしているうちに、じわじわと進展するのではないかと存じます。

「聴聞にきはまる」というのは、そのような意味ではないかと思っています。

自宅にて、真実信心の話しを聞けるように考えて開設しましたのが、こちらの掲示板でございますので、お時間あるときに、興味のある記事を覗いていただけたら、うれしいです。

あとは、ほんの少しずつでも、声に出しながら、御文様を読んでいただけたら、信をいただく上で、必ず助けになると存じます。

南无阿彌陀佛



《 返信フォーム》

なまえ
住所
性別
メアド(任意) (掲示板上では非公開。届いたメールに返信して、はじめて相手の方にアドレスが伝わります。)
サイトのURL(任意)
投稿タイトル
メッセージ
パスワード (記事を編集する際に必要です。)


p.ink

(C) 2007- Mainichi no Jodoshinshu All rights reserved