浄土真宗の教義について

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●No.32
7
中部の男性
[ 280 ] 宿善について 2008/01/08 (Tue) 19:17 △up ▽down
毎日様、皆様こんばんは。

宿善について疑問に思うことがあります。
蓮如上人は、善智識にあうことの大切さとともに、信心獲得は「宿善まかせ」であると書いておられます。
また、善智識から六字のお謂れを聞き開かせていただくためには、「宿善開発」の時節が到来しなければならないとも、掲示板にて知ることが出来ました。
宿善に厚薄があることは、10数年以上前に聞き知ったことですが、当時は聴聞こそ宿善を厚くする最高の手立てであり、つぎに財施、そして人に勧めることが大事だと聞いてきたのです。
また、諸善も宿善を厚くするとも、聞きました。

また、最近別のところでは、私達の側に宿善はなく、阿弥陀様のほうに宿善があるとも聞きました。

どうも最近は、たしかに聴聞は獲信するために大切なご縁だとは思うのですが、それで宿善が厚くなったと考えるのは違うような気がしてきました。

いったい、宿善を厚くするためには、どうすればいいのでしょうか。
宿善まかせと聞けば、自分は薄いのか厚いのか気になって仕方ありません。
それとも宿善は、獲信者に早い人遅い人の差が出ることの理屈というか説明であって、求める側の立場としては、宿善を厚くしようなどと考えるよりも、
一日も早く阿弥陀仏の救いを求めるという姿勢が大事なのでしょうか。
宿善イコール宿縁であるとも聞きますので、仏縁を求めていけということでしょうか。

親鸞聖人、蓮如上人は宿善についてどうせよとおっしゃってみえるのでしょうか。
お答えいただけましたら、よろしくお願い申し上げます。

●re.1
大心
url 非公開の男性

↑大心様宛にメール
[ 281 ] Re1:宿善について 2008/01/08 (Tue) 23:11 △up ▽down
>263です。またこのサイトでは大信あらため大心でよろしくお願いします

皆様明けましておめでとうこざいます。みなさまの元日よりのお書き込み大変感心しています。毎日様いつもありがとうございます。

さて宿善についてですが、私の思うことを書きたいと思います。あえて御文そのた信宗聖典を引き合いに出しません。みなさま上手なのでおそらく同じような内容になると思いますので、あっ嫌味ではありませんので(^^)

 そうですね、私などはそのように考えこんでしまうとどうしてもいきずまってしまうので、人を勧化するときはまずその人の人柄を観察してこの人ならと思い、このような教え
もあるんですよと話をすすめていきます。そしてこの掲示板のように信宗の教えを伝えていくわけですが、まず必ずといっていいほど疑います、どれほど説明しようが教儀を理解
し、納得される方などほとんど稀なのです。また疑心などあって当たり前で、ああいえばこう言いの繰り返しをしているうちに、きりがないでしょうと、いったん計らうことを辞め、素直に聞いてくれと問いかけます、このように計らうていては聞けない教えなのですよと問いかけます、ですから私はこの人ならばと思ったならば知識のとこにつれて行き、その場で聞くのか、帰るのかその人に任せます。

 そこで素直に聞く方は宿善があるとし、帰られる方は無宿善の方であると思ってます。

私からすれば、私のまわりにいる方達、会社の同僚、友人、近所の方達はみな縁があると
思いたいのですが、簡単には信宗をあからさまに教える事などできません、親鸞聖人が
おっしゃるとおり、自分の好き嫌いなど関係なく縁のある方は離れずまた縁なきひとは自然と離れていくものだとおっしゃております。また縁のある間にこの教えを獲らせてあげなければとも思います。教えるほうも大変なのです、簡単にはいきません、これほど難しい事などないのですから。

 また、最近別のところでは、私達の側に宿善はなく、阿弥陀様のほうに宿善があるとも聞きました

 う〜む、意味がわからん、私はそのようには言いません。

 そうですね〜宿善は自分の過去世に積んできた善業もそうだし、もっとも強い縁は名号の謂れを聞いたことがあるとか、または観音・勢至など諸仏・諸菩薩方を信仰していたと
かの積み重ねどと思います、または過去世において仏を拝んだことのある方は必ず疑うことなく信宗に入るともいいますよね。

 私が一番に思うのは、現在このようにこのサイトにたずねてくる方達はみな宿善がある
と思ってます、無宿善の方はまずここまで来ませんから。

 例外としてたとえこの教えに興味などなく、まったく宗教にふれるのを嫌う人だとしてもある日突然なにかの拍子で目覚める方もいるのですから一外にはいえないのですが、
私が勧化するような人たちは私がこの教えを知らせなければどのようにしてその人がこの
教えを知ることができるのだろうか、とも思う訳です。そして素直に聞く方もいるのですからその人も宿善があったのどと後からわかる場合もある訳です。

それとも宿善は、獲信者に早い人遅い人の差が出ることの理屈というか説明であって、求める側の立場としては、宿善を厚くしようなどと考えるよりも、
一日も早く阿弥陀仏の救いを求めるという姿勢が大事なのでしょうか。

 その通りだと私は思います。毎日様や泥凡夫様など書き込みに興味を示すかたは宿善が
ある証拠なのですよ。

 私はこのように文章など書く機会などまったくない者でありますので恥ずかしいのですがよい練習だと思い書かせていただきました。

 また本年もよろしくお願いいたします。









●re.2
泥凡夫
非公開の男性
[ 282 ] Re2:宿善について 2008/01/09 (Wed) 00:12 △up ▽down
7 様

こんばんは。泥凡夫と申します。
宿善についてのご質問でございますが、御納得頂けるか分かりませんが私なりにお答えさせて頂きます。

まず、当流の勧化をなすには次のように行うように蓮師が申されております。

『それ、当流の他力信心のひととおりをすすめんとおもわんには、まず宿善無宿善の機を沙汰すべし。されば、いかにむかしより当門徒にその名をかけたるひとなりとも、無宿善の機は信心とりがたし。まことに宿善開発の機は、おのずから信を決定すべし。されば無宿善の機のまえにおいては、正雑二行の沙汰をするときは、かえりて誹謗のもといとなるべきなり。この宿善無宿善の道理を分別せずして、手びろに世間のひとをもはばからず勧化をいたすこと、もってのほかの当流のおきてにあいそむけり。』3−12

私共が申すように、当流には定めおかせられる御掟がございます。それを無視して誰もかれも手引きすれば真宗繁盛するようにも思いますが、残念ながらそうではなく、無宿善の機は必ず誹謗を成す故に、そのお方の行く末も案じられますし、ひいては真宗破滅を招くことにもなりかねません。引用の3帖目12通には「無宿善の機は信心とりがたし。まことに宿善開発の機は、おのずから信を決定すべし。」とございます。無宿善の機が信を獲れんのは分かりますが、「宿善の機は自ずから信を決定する。」とございます。これは自分だけで勝手に決定するという意ではございません。宿善の機は自ずから法を求め決定する。と理解頂いた方が宜しいと思います。何故かはもうお分かりと思いますが、蓮師は「五重の義」をお立てになられ、善知識に逢わねば往生は定まらん旨をねんごろにお示しであるからであります。

『されば弥陀に帰命すというも、信心獲得すというも、宿善にあらずということなし。しかれば念仏往生の根機は、宿因のもよおしにあらずは、われら今度の報土往生は不可なりとみえたり。このこころを、聖人の御ことばには「遇獲信心遠慶宿縁」(文類聚鈔)とおおせられたり。これによりて当流のこころは、人を勧化せんとおもうとも、宿善・無宿善のふたつを分別せずはいたずらごとなるべし。このゆえに、宿善の有無の根機をあいはかりて、人をば勧化すべし。しかれば近代当流の仏法者の風情は、是非の分別なく、当流の義を荒涼に讃嘆せしむるあいだ、真宗の正意、このいわれによりてあいすたれたりときこえたり。』4-1

4帖目1通を引きますが、ここに分かりやすく書かれておりますね。

「念仏往生の根機は、宿因のもよおしにあらずは、われら今度の報土往生は不可なりとみえたり。」

過去世の種まきこそ「宿因」でございます。つまり、宿善の機は過去世の種まきによって既に定まっております。どれだけ善行を積もうとも覆すこと叶いません。善行を積んで己の宿善を厚くしようとされるも結構でありますが、そもそもそういった教えは当流にはございません。良きにつけても悪しきにつけても、一切の事象は過去世の種まきの結果でしか起こり得ないのであります。

そもそも善行など積めるものではございません。聖道の難行を歩まれるおつもりでしょうか。積んだ善行よりも悪行の方が山のようにあるのではありませんか。我等は。そういうと必ず返ってくる質問があります。ほう。では良いことなどせんでも宜しいのか?悪いことばかりしておっても良いのか?と。先にも申しましたが、良くも悪くも過去世の種まきでしか何事も起こりようがないのであります。歎異抄13を拝読されてみて下さい。

そんな我等ですら、そのままで宜しい。全て受け取る故に我に任せよ。そう申される弥陀をこそたのむべきではないのでしょうか。

最近よく引く機会がありますが、最後に「改邪抄」の15を引きます。

『それ本願の三信心と云うは、至心・信楽・欲生これなり。まさしく願成就したまうには、「聞其名号 信心歓喜 乃至一念」(大経)とらとけり。この文について、凡夫往生の得否は乃至一念発起の時分なり。このとき願力をもって往生決得すと云うは、すなわち摂取不捨のときなり。もし『観経義』によらば、「安心定得」といえる御釈、これなり。また『小経』によらば、「一心不乱」ととける、これなり。しかれば、祖師聖人御相承弘通の一流の肝要、これにあり。ここをしらざるをもって他門とし、これをしれるをもって御門弟のしるしとす。』

まず、当流の肝要を引かれており、これを知らんところは他門である旨を明かされております。「小経」、つまり「阿弥陀経」の「一心不乱」の前後を拝読すれば一見、自力の教えでありますが、隠義では第十八願を説かれております。故に引かれておるのです。

『自由の妄義をたてて信心の沙汰をさしおきて、起行の篇をもって、まず雑行をさきおきて正行を修すべしとすすむと云々 これをもって一流の至要とするにや。この条、総じては真宗の廃立にそむき、別しては祖師の御遺訓に違せり。正行五種のうちに、第四の称名をもって正定業とすぐりとり、余の四種をば助業といえり。正定業たる称名念仏をもって往生浄土の正因とはからいつのるすら、なおもて凡夫自力のくわだてなれば、報土往生かなうべからずと云々 そのゆえは、願力の不思議をしらざるによりてなり。当教の肝要、凡夫のはからいをやめて、ただ摂取不捨の大益をあおぐものなり。起行をもって一向専修の名言をたつというとも、他力の安心、決得せずんば、祖師の御己証を相続するにあらざるべし。宿善もし開発の機ならば、いかなる卑劣の輩も願力の信心をたくわえつべし。しるべし。』

信心の沙汰をさしおいて、雑行を先にして後に正行を修することこそ至極であると勝手なことを言っておる輩がおったわけです。五正行のうち「称名正行」こそ「正定業」であり、「往生の種」であります。他の4種すら「助業」であります。いわんやあらゆる善行(雑行)も往生の因にはなりませんし、そういったことをチラつかせて求めるものを惑わすは言語道断の次第であります。

また、この「称名正行」が「正定業」であると分かってあれこれ自分で行っても往生はできんのであります。それは「願力の不思議」を知らんからであります。これは「改邪抄」の1にもあります、『願力不思議の仏智をさずくる善知識の実語を領解せずんば、往生不可なり。』と深く繋がっておるからであります。

あなた様は、私には宿善が無いのかもしれん。そう思われておるのでしょう。弥陀はあらゆる衆生を助けずば我、正覚ならじ。とお誓いであります。そう。あなた様が救われないようであれば私は佛にはならん。そう申されております。それをこそ仰ぎ、あなた様が正意であると感じた有縁の場所を必死にお求めになられれば宜しいのです。

私が知っております方々はとりあえず、今までの知った分かったをかなぐり捨てて法をお求めになられました。

南无阿弥陀佛

●re.3 admin 
毎日
url 非公開の非公開

↑毎日宛にメール
[ 283 ] Re3:宿善について 2008/01/09 (Wed) 13:59 △up ▽down
大心 様

あけまして、おめでとうございます。書き込みありがとうございます。

貴重な体験からのお話、心より感謝申し上げます。

とても実践的で、勉強になりました。

いわゆる教学とは別次元の、信に役立つお話であると思います。

このようなお話は、誠に貴重であると思います。

思うところを、書いていただければ、うれしいです。


泥凡夫 様

往年のジャンヌを見るようで、感動致しております。

もう幾度も書きましたことで、再度書く事は、はばかれるのでございますが、それでも、貴重な書き込みをいただきましたことに、感謝申し上げたいと思います。


7 様

お二方のおこたえで、よくおわかりになるのではないかと思います。

私からと致しましても、

>求める側の立場としては、宿善を厚くしようなどと考えるよりも、
>一日も早く阿弥陀仏の救いを求めるという姿勢が大事なのでしょうか。

「その通りです。全くその通りです」と申し上げます。

「宿善を厚くする」というのは、来世以降のことを考えているのです。

方法はいくつかあるようですが、「南无阿彌陀佛」と口に出すことは、ものすごく宿善になるはずであると思います。

ですから、無宿善の機に対しても、「南无阿彌陀佛は尊いと思っていますよ」とお伝えすることは、良いことなのだと思います。また、自余の浄土門を否定してはいけないのであると思います。

これが、「絵像よりも名号」にも関連していることだと、私は思っています。

たとえば、どなたかが木像なり絵像をご覧になったとして、なかなか観想してくださらないでしょう。

しかし、名号であれば、「あ、南无阿彌陀佛ですね」と口に出してくださる可能性もあるのです。観想もやりやすいのです。これで、宿縁を得ていただけますし、宿善の機であれば、さらに尋ねてくださることでしょう。

これまで多くの方の積み重ねにより、六字は知られてきました。

ですから、真宗に興味のない方でも、冗談でも、「なむあみだぶつ」を言ったことがあることでしょう。誠に誠に、大乗相応の地であります。

一方、否定せずして、まねかずして、宿善有る機は、十八願を求めます。

そのような機には、一日も、一刻も早く、弥陀をたのむ事こそ肝要であると、お伝えするのです。

◎いかにも一日も片時もいそぎて信心決定して、今度の往生極楽を一定して、そののち人間のありさまにまかせて、世を過すべきこと肝要なりとみなみなこころうべし(御文4-13)

当流では、信心為先です。

もし、やりたいならばのことではありますが、教学も、聴聞も、信を獲てから存分に為せばよいことです。



と、ここで一度書き終えたのですが、「もう少し」と思って書きましたら長くなってしまいました。以下蛇足でございます。


口伝鈔から引いてみます。

◎十方衆生のなかに、浄土教を信受する機あり、信受せざる機あり。いかんとならば、『大経』のなかに説くがごとく、過去の宿善あつきものは今生にこの教にあうてまさに信楽す。宿福なきものはこの教にあふといへども念持せざればまたあはざるがごとし。「欲知過去因」の文のごとく、今生のありさまにて宿善の有無あきらかにしりぬべし。しかるに宿善開発する機のしるしには、善知識にあうて開悟せらるるとき、一念〔も〕疑惑を生ぜざるなり。

ここにも、開発の仕方については、特に書いてありませんね。

御文様から読み取れることは、開発の仕方は、「聴聞→たづねる」ということだと思います。

御文様の御拝読は、「聴聞」に相当することです。蓮師の説法以上の聴聞など、あるはずがないではございませんか。

「聴聞にきはまる」のですから、御文様を拝読すれば、良いのであります。

そして、次は、「他力の大信心の次第をよく存知したらんひとにあひたづねて」(御文1-11)、信心決定することです。

「次第をよく存知」というのは、もちろん、「次第」相承の善知識様でしょう。

「次第をよく存知したらん」の「ん」は、私は「仮定」と解します。

つまり、「他力の大信心の次第をよく存知している人がもしいれば、そのひとにあひたづねて」ということです。

「大信心」というのは、如来がくださる信心ですので「大」がついています。

自力の信心ではないということです。

そして、「信心の次第」という言い方自体、ふつうではないでしょう?

(信心を「穫る」という言い方も、ふつうではないのです。)

「次第」とは「順序」という意味ですから、「信心の順序」これを知っている方です。

また、「よく存知」とあるでしょう?

「よく」とは、何でしょうか? ただ信をいただいただけでは、「存知」はしますけれども、「よく」ではないわけです。相承をいただいていないからです。


せっかくですので、もう一カ所引きます。

◎今日よりして、他力の大信心のおもむきをねんごろに人にあひたづねて(御文3-1)

こちらでは、「おもむきを」「ねんごろに」「人に」ですから、これは、信決定者に会うように、ということです。

信決定者には、「ねんごろに」たずねねばならないのです。

「親しみ深く、正直に、熱心に」と解すれば良いと思います。

そして、「おもむき」というのは、「様子」という意味なのですが、「信心の様子」というのも、変な言い方ですね。(もちろん、顕義においては、「趣旨」という意味です。)

「信心のすがた」という言い方も、御文様には幾度も出てくるのですから、この「おもむき」も「様子」と解せるはずです。

(もう少し言いますれば、この「おもむき」とは、「面向き」でありまして、「顔を向けること」なのです。そこから、「向かせる」「うなづかせる」のような意味も感じられます。)

(つまり、「大信心のおもむき」とは、「大信心の趣旨」「大信心の様子」「大信心のうなずき」のような意味が感じられ、「うなずき」を漢語で言えば、「領解」になると思います。)

御文様は、本当にありがたいです。

◎されば南無阿弥陀仏と申す体は、われらが他力の信心をえたるすがたなり。この信心といふは、この南無阿弥陀仏のいはれをあらはせるすがたなりとこころうべきなり(御文2-14)

南无阿彌陀佛

●re.4 admin 
毎日
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↑毎日宛にメール
[ 284 ] Re4:宿善について 2008/01/09 (Wed) 15:12 △up ▽down
7 様

◎外相に当流法義のすがたを他宗・他門のひとにみせざるをもつて(御文4-1)

これは、とても大切な掟です。

まず、「当流法義のすがた」というものがあることを示しています。

そして、これは他宗・他門のひとには、見せてもらえないものなのです。

宿善開発の機のみが、これを見る事叶うのです。

http://shinshu.in/forum/forum.cgi?act=select&id=1&vine=17&pastno=0#115

も、よろしければ、ご覧ください。

南无阿彌陀佛

●re.5 admin 
毎日
url 非公開の非公開

↑毎日宛にメール
[ 292 ] Re5:宿善について 2008/01/10 (Thu) 13:02 △up ▽down
大心 様

>私からすれば、私のまわりにいる方達、会社の同僚、友人、近所の方達はみな縁があると
>思いたいのですが、簡単には信宗をあからさまに教える事などできません、親鸞聖人が
>おっしゃるとおり、自分の好き嫌いなど関係なく縁のある方は離れずまた縁なきひとは自然と離れていくものだとおっしゃております。また縁のある間にこの教えを獲らせてあげなければとも思います。教えるほうも大変なのです、簡単にはいきません、これほど難しい事などないのですから。

つくづく、同感です。

教えることも、難しいです。

本当に、簡単に救われますのに・・・

南无阿彌陀佛

●re.6
7
中部の男性

↑7様宛にメール
[ 309 ] Re6:宿善について 2008/01/13 (Sun) 11:07 △up ▽down
大心さま、泥凡夫さま、毎日さま、迅速かつご丁寧なお答え真に有難うございました。
お礼の一言も申し上げず、大変失礼いたしました。

皆様のおかげで、宿善についてよく分からせていただきました。
人生短し、宿善を厚くしようなどとノンキに構えず、今すぐに弥陀の救いを求めて
進む他はないとの思いに至りました。

ありがとうございました。

●re.7 admin 
毎日
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↑毎日宛にメール
[ 314 ] Re7:宿善について 2008/01/14 (Mon) 05:44 △up ▽down
7様

うれしい書き込み、ありがとうございます。

◎信に二種あり。一つには信、二つには求なり。かくのごときの人、また信ありといへども、推求にあたはざる、このゆゑに名づけて信不具足とす(化土巻)

でございます。

また、

◎かかる世のなかの風情なれば、いかにも一日も片時もいそぎて信心決定して、今度の往生極楽を一定して、そののち人間のありさまにまかせて、世を過すべきこと肝要なりとみなみなこころうべし(御文4-13)

でございます。

7様は、もう十分におわかりのことと思いますけれども、それでも、有縁の方のためもありますので、引かせていただきました。

そもそも、弥陀は「自力の信を仕上げてから来い、善を積んでから来い」とおっしゃっておりません。

「その身そのままで十分であるから、弥陀をたのめば皆救う」とおっしゃってくださるのであると思います。

「もっと宿善を積まねばならぬ」という方は、結局、弥陀のお誓いを信じていらっしゃらないのです。だからこそ、信不具足であるのです。

自力の信は要らない救いであるのに、信不具足であるが故、求めることができない。おもしろいことでございます。

どうか、弥陀をおたのみください。弥陀は間違いなく、救ってくださいます。

南无阿彌陀佛

●re.8
愚尼
非公開の女性
[ 327 ] Re8:宿善について 2008/01/16 (Wed) 00:05 △up ▽down
宿善についてですが、私の主人は、私と会って一緒に生活をしていましたが、十年と云う月日を費やし、やっとの事でご信心をいただく事が出来ました。
その間、善知識さんのところへ足を運び、善知識さんも呆れるほどの頑固者でしたが、善知識さんに会って一年後にようやく宿善開発して、弥陀をたのむ心にさせて頂きました。
宿善とは、いつ来るものか人それぞれです。
長く時間のかかる方も居ます。
信心をいただいている者が辛抱強くなければ、救いの手は届かないのだと思います。
何においても素直が一番。人の話を信じる心が大切だとつくづく思います。

●re.9
7
中部の男性

↑7様宛にメール
[ 330 ] Re9:宿善について 2008/01/16 (Wed) 00:50 △up ▽down
毎日様
 いつもありがとうございます。今は一日も早く往生極楽を治定させていただきたいと願うばかりです。

愚尼様
 お気遣いありがとうございます。
 ご夫婦揃われての信心決定、本当に素晴らしいことだと思います。
 自分も信心決定したいと思ってから15年、早くも経過してしまいました。
 今はついに真実信心に巡り合えた!との思いと期待に満ちています。
 素直に求めさせていただきたいと思います。

●re.10
愚尼
非公開の女性
[ 331 ] Re10:宿善について 2008/01/16 (Wed) 01:06 △up ▽down
7様

馬鹿になるのが一番の早道だと思います。
求める方向がずれている可能性もありませんか?

お陰さまで主人がいただいて、これで家族全員がご同行になれました。
智恵も才覚も、お金も、地位も、名誉も何の役にも立ちません。

いつかきっと求めていれば必ず出会える事でしょう。



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