浄土真宗の教義について

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●No.24 admin 
毎日
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[ 182 ] 選択集 後述 2007/12/25 (Tue) 04:54 △up ▽down
選択集 後述には、次のような一節があります。

◎それよりこのかた今日に至るまで、自行化他ただ念仏を縡とす。しかるあひだ希に津を問ふものには、示すに西方の通津をもつてし、たまたま行を尋ぬるものには、誨ふるに念仏の別行をもつてす。

ぜひ、有縁の方には、「希に津を問ふもの」「たまたま行を尋ぬるもの」になっていただきたいと思います。

また、「別行」という語は、選択集全文の中で、ここだけ、違う意味で用いられています。

無宿善の機が見る可能性もあるわけですから、本当に注意深いご製作なのです。

「念仏の別行」=「六字の謂れ」です。

化土往生の念仏と、報土往生の念仏と、双方を説かれていたのだと、私は思っています。

南无阿彌陀佛

●re.1
おやおや
非公開の非公開
[ 183 ] 化土往生の念仏と、報土往生の念仏?? 2007/12/25 (Tue) 09:12 △up ▽down
>「念仏の別行」=「六字の謂れ」です。
>
>化土往生の念仏と、報土往生の念仏と、双方を説かれていたのだと、私は思っています。


毎日様

念仏には2つ有るのですか?

僕は、信心決定したら、御恩報謝の念仏で良いと思っていました。

そこの点、もう少しお話して頂けませんか?

でも、毎日様

毎日様のお陰で、「漢字源」とか「古語辞典」を片手に、『教行信証』を拝読させて頂きますと、愚鈍の僕さへ、割符が合いますので、不思議とその内容がおぼろげながらも読めて参ります。

そして
「御文様は、一文字一文字が佛菩薩ということ」、このお言葉の深い意味も又、少しずつ分ってきました。

どんな人をも一味同行にさせて頂きます。そこには差別など有りません。

ただ、阿弥陀様を信じられる人は、どんな人もです。

だから、僕は救われたのだと思います。

僕は、毎日様が、「私たちは、おろかだからこそ、抜擢されたのですね」のお言葉に、娑婆世界では、到底お会い出来るような僕では有りませんが、一味同行、遠慮しないで質問できる幸せを感じています。

毎日様と泥凡夫様の「種」のようなお話も、僕もご縁有れば、聞けるのでしょうか?

僕と毎日様の、直接の次第相承の善知識様は違いますが、僕もそのようなお話聞けたらいいなと思っています。

でも、僕は次第相承の善知識様のお顔を拝するだけで、何となく幸せな気分になります。

還相廻向として、弥陀の勅命を受けてこの娑婆世界に来られた方だと思うだけで、嬉しくもあり、又、そのような柔和なお顔をされておられますので、尚、楽しくなります。

●re.2
泥凡夫
非公開の男性
[ 184 ] Re1:化土往生の念仏と、報土往生の念仏?? 2007/12/26 (Wed) 12:45 △up ▽down
おやおや 様

こんにちは。

毎日様の御釈、有り難いものとして頂けます。
毎日様の申されることはあくまでも信前の方々に対するメッセージであります。

当然ながら、信決定後の念仏は御恩報謝であると決まっております。
化土往生か報土往生かは御存じのとおり、「信」あるか否かで決まります。
その信こそ当流で頂かんといかん往生の「種」でございます。

真宗の「甘い果実」の喩え話はあなた様もお持ちの御著書に書かれております。

真宗の有り難い説法、聖教は皆、この「甘い果実」であります。これに酔うと他力という言葉に酔うことと同じであり、これを「無因外道」と呼ぶのです。人間は「甘い果実」が無いと聞いてくれんでしょう?しかし、果実だけではなくきちんと往生の正因たる「南无阿弥陀佛」という「種」まで食べんといかんのです。

「甘い果実」は信前の宿善の機にとっては「種」まで頂く御縁となり、信後の者は「後念相続」の助けとなるのです。ただ、「甘い果実」を食べねば助からんのではないのです。ここを誤ってはいかんのです。これを私はずっと、「知った分かったは往生の一段にとっては何の役にも立たん。」と申し上げてきた次第であります。

「甘い果実」だけに酔うと、あっちの説法は良かった。あの人の説法が頂ける。いやいやあっちの団体様の方がいいお話をするぞ。と、いつまで経っても種を頂かんで果実だけで満腹になっております。しばらくするとまたお腹が減りますのでどこぞの果実をあさり出すのです。

まず、歎異抄12の末尾を引きます。

『たまたま、なにごころもなく、本願に相応して念仏するひとをも、学文してこそなんどといいおどさるること、法の魔障なり、仏の怨敵なり。みずから他力の信心かくるのみならず、あやまって、他をまよわさんとす。つつしんでおそるべし、先師の御こころにそむくことを。かねてあわれむべし、弥陀の本願にあらざることをと云々』

「たまたま、なにごころもなく、本願に相応して念仏するひと」とはどういう人でしょうか。「本願に相応して」とは「如実修行相応」しての意であり、つまり第十八願を既に頂いた人であります。「念仏するひと」とは第十八願を頂き報謝の念仏を称えておる人のことです。「たまたま、なにごころもなく」とは、引用後半に対する状態を指します。つまり、「学文してこそなんどといいおどさるること、法の魔障なり、仏の怨敵なり。」に対する状態です。

さて、どんな人なんでしょう。それは、「偶々、何の心得もなく、第十八願を頂いた人」です。これを蓮師は「一文不知の尼入道」と申されるのです。難しい聖教も知らん。字も読めん。意味も分からん。そういう人です。そういう人に向かって、いや聖教読まねば、知らねばならんぞ!!説法聞いてよく理解せねばならんぞ!!そのように脅しを掛ける人は法の魔障であり、佛の怨敵である。そう申されております。

つまり、真宗の要たる「南无阿弥陀佛」という往生の「種」を頂くが本懐であり、「甘い果実」もかじらねばならんわけではないのです。往生の正因はただ信心一つであり、それは「南无阿弥陀佛が体」である。たったそれだけなのです。

数多の聖教は何が言いたいのか。「南无阿弥陀佛が全て」である。そう言われておるのです。であるのに、方便に迷って第十八願に入らん機の何と多いことか。方便に迷っておるのであれば、聖教や説法という「甘い果実」を存分に味わい、佛の御心をよくよく知るべきであります。ただし、「種」まで食べねばそれは詮なきことであります。

再度、歎異抄12全体をあえて引きます。
心して頂いてみて下さい。私の言わんとする所が分かると思いますので。

『一 経釈をよみ学せざるともがら、往生不定のよしのこと。この条、すこぶる不足言の義といいつべし。他力真実のむねをあかせるもろもろの聖教は、本願を信じ、念仏をもうさば仏になる。そのほか、なにの学問かは往生の要なるべきや。まことに、このことわりにまよえらんひとは、いかにもいかにも学問して、本願のむねをしるべきなり。経釈をよみ学すといえども、聖教の本意をこころえざる条、もっとも不便のことなり。一文不通にして、経釈のゆくじもしらざらんひとの、となえやすからんための名号におわしますゆえに、易行という。学問をむねとするは、聖道門なり、難行となづく。あやまって、学問して、名聞利養のおもいに住するひと、順次の往生、いかがあらんずらんという証文もそうろうぞかし。当時、専修念仏のひとと、聖道門のひと、諍論をくわだてて、わが宗こそすぐれたれ、ひとの宗はおとりなりというほどに、法敵もいできたり。謗法もおこる。これしかしながら、みずから、わが法を破謗するにあらずや。たとい諸門こぞりて、念仏はかいなきひとのためなり、その宗、あさしいやしというとも、さらにあらそわずして、われらがごとく下根の凡夫、一文不通のものの、信ずればたすかるよし、うけたまわりて信じそうらえば、さらに上根のひとのためにはいやしくとも、われらがためには、最上の法にてまします。たとい自余の教法はすぐれたりとも、みずからがためには器量およばざれば、つとめがたし。われもひとも、生死をはなれんことこそ、諸仏の御本意にておわしませば、御さまたげあるべからずとて、にくい気せずは、たれのひとかありて、あたをなすべきや。かつは、「諍論のところにはもろもろの煩悩おこる、智者遠離すべき」よしの証文そうろうにこそ。故聖人のおおせには、「この法をば信ずる衆生もあり、そしる衆生もあるべしと、仏ときおかせたまいたることなれば、われはすでに信じたてまつる。またひとありてそしるにて、仏説まことなりけりとしられそうろう。しかれば往生はいよいよ一定とおもいたまうべきなり。あやまって、そしるひとのそうらわざらんにこそ、いかに信ずるひとはあれども、そしるひとのなきやらんとも、おぼえそうらいぬべけれ。かくもうせばとて、かならずひとにそしられんとにはあらず。仏の、かねて信謗ともにあるべきむねをしろしめして、ひとのうたがいをあらせじと、ときおかせたまうことをもうすなり」とこそそうらいしか。いまの世には学文して、ひとのそしりをやめ、ひとえに論義問答むねとせんとかまえられそうろうにや。学問せば、いよいよ如来の御本意をしり、悲願の広大のむねをも存知して、いやしからん身にて往生はいかが、なんどとあやぶまんひとにも、本願には善悪浄穢なきおもむきをも、とききかせられそうらわばこそ、学生のかいにてもそうらわめ。たまたま、なにごころもなく、本願に相応して念仏するひとをも、学文してこそなんどといいおどさるること、法の魔障なり、仏の怨敵なり。みずから他力の信心かくるのみならず、あやまって、他をまよわさんとす。つつしんでおそるべし、先師の御こころにそむくことを。かねてあわれむべし、弥陀の本願にあらざることをと云々』

南无阿弥陀佛

●re.3
おやおや
非公開の非公開
[ 185 ] よくよく分ります。 2007/12/25 (Tue) 19:36 △up ▽down
泥凡夫様

有難うございます。

分ります。分ります。分ります。

どこを読んでも、どこから読んでも分ります。

歎異抄の有り難さ、よくよく分ります。

一味同行とはこういうことなのですね。

割符が合うとはこういうことなのですね。

ただ、涙が溢れてきます。

僕は、泥凡夫様や毎日様のように、うまく伝えられませんが、でも、この心は、一味です。

歎異抄3 でお返しします。
善人なほもて往生を遂ぐ、いはんや悪人をや、しかるを世の人つねに曰く「悪人なほ往生す、いかにいはんや善人をや」と、この條一旦その謂あるに似たれども本願他力の意趣に背けり、その故は自力作善の人はひとへに他力をたのむ心缺(か)けたるあひだ弥陀の本願にあらず、しかれども自力の心を廻(ひるがへ)して他力をたのみたてまつれば真実報土の往生を遂ぐるなり、煩悩具足のわれらはいづれの行にても生死を離るることあるべからざるを憐みたまひて願をおこしたまふ本意悪人成仏のためなれば他力をたのみたてまつる悪人もとも往生の正因なり、よて「善人だに往生す、まして悪人は」と仰せ候ひきと、云々。

  南无阿弥陀佛

●re.4
泥凡夫
非公開の男性
[ 186 ] Re1:よくよく分ります。 2007/12/25 (Tue) 20:00 △up ▽down
おやおや 様

こんばんは。
少しでもお分かり頂ければ嬉しい限りでございます。
後念相続としてのお喜びとはそういうものであります。
御開山御一流でいうところの「御同行」とは、「如実修行相応した人々」のことを言うのです。「六字をこの身に頂いた人々」をいうのです。機によってマチマチにならん故に、「同行」というのです。

逆に、説法山ほど聞いてきた。聖教もよく分かっておる。他人に説法も上手にできる。念仏も山ほど称えてきた。そういう人であっても、それは先にいう「甘い果実」だけ食べて満腹になっただけであり、「種」まで頂いておらんのであれば、それは「不如実修行相応」であり、残念ながら報土往生は不可でございます。

当流が信をこそ先とせねばならんことがよくお分かりになったと思います。肝心要を頂かんで、聖教を知った分かったなどと大きな顔をしておっても、子供に利剣を持たせて振り回させると同じ。他者も傷つけ、己も傷つく。まったく自損損他にしかなりません。

そういう理を時間が掛かってもよくお分かりになられた時、有縁の方々にも聞かせてあげられるではありませんか。いいですか。誤ってはいかん所です。信後、「喜ばねば助けん」のではないのです。「弥陀をたのんだ」(如実修行相応)衆生を救うが本願でございます。お忘れなきように。

聖教も分からん。難しいお経もあげられん。ただ、なんまんだぶ・なんまんだぶ。と報謝の念仏を称えておるだけの人は喜びが足らん。もっと喜べ!!少しは説法でも聞け!!などと思わんで下さい。機によって今生のあり様は様々であります。しかし、頂いた六字は皆平等であります。何の違いもありません。お分かりですね。

私のように疑い深い人間とは違って、ただひたすら報謝の念仏する御同行をこそ私は尊いと感じます。良きにつけても悪しきにつけても、そういうことには目をくれず、ただ仰いで尊とむすがたには頭が下がります。

南无阿弥陀佛

●re.5
おやおや
非公開の非公開
[ 187 ] 偉そうなことは言えないですが。 2007/12/26 (Wed) 00:17 △up ▽down
泥凡夫様

>聖教も分からん。難しいお経もあげられん。ただ、なんまんだぶ・なんまんだぶ。と報謝の念仏を称えておるだけの人は喜びが足らん。もっと喜べ!!少しは説法でも聞け!!などと思わんで下さい。機によって今生のあり様は様々であります。しかし、頂いた六字は皆平等であります。何の違いもありません。お分かりですね。

僕もそう思います。

聖教を読んで助かる教えなら、それこそ赤子が助かる筈が有りません。
又、病気や交通事故などで、脳に障害がある人などは助かる縁がなくなるのでしょうか?
僕のように、頭の悪い者は、いつ理解出来るというのでしょうか?
そんなことある筈がないです。

遠方にまで、聞きに行く必要も有りません。
多大なお金も必要有りません。
又、自分が造った悪業だと言って、懺悔する必要も有りません。
僕の悪業など、阿弥陀様はとっくに分って、それでも助けると言って下さっておられると思います。

一念帰命した人は、皆平等です。

教えを受けている僕も、教えて下される泥凡夫様も、毎日様も、頂いた真実信心は同じです。
僕は、泥凡夫様や毎日様を尊敬こそしておりますが、卑下等しておりません。

又、外見で、人の判断など出来ないと思います。

これも、自分が信を頂いたお蔭で、視野も広がってきましたし、生かされていると思えるようになったからでしょうか?

一日過ぎる程に、頂いた信の有り難さ、嬉しさが、こみ上げて参ります。

僕は、本当に何処にでもいる、五欲にまみれた人間です。

そんな僕が、感謝できるのも、阿弥陀様の御心を頂いたお蔭です。

そして、僕も、有り難いな有り難いなと報謝の念仏者として生きていきたいと思います。

この先、二河の道を阻む、欲や怒りは起るでしょう。

でも、僕には、二尊の呼び声と、善知識様、親友様がおられます。

どうか、これからも僕を見守って下さい。お願い致します。

  南无阿弥陀佛




●re.6 admin 
毎日
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[ 188 ] Re1:偉そうなことは言えないですが。 2007/12/26 (Wed) 03:00 △up ▽down
おやおや 様

>僕の悪業など、阿弥陀様はとっくに分って、それでも助けると言って下さっておられると思います

つくづく私も同感です。

自分のように疑り深く、悪業重ねてきた罪人を、弥陀も本当に救ってくれるのかと、
ヘンなところに自信があった私です。

そこを背中を押していただきまして、無事弥陀をおたのみすることできました。

こんなにしあわせなことは、ありません。

念仏衆生摂取不捨、極楽往生治定ですから、何の心配も要りません。

もう、解決済みかもしれませんが、念のために、説明致しておきます。

念仏には、2つどころか、もっともっとたくさんあります。

その中に、化土往生できる念仏と、報土往生できる念仏があります。

報土往生の念仏とは、六字の謂れを聞き開いた上での南无阿弥陀仏です。

真実信心いただいている方は、報土往生の念仏を既に行っておりますから、あとは御恩報謝のお念仏で間違い有りません。

なむあみだぶつ、なむあみだぶつ・・・

私もなにかと称えております。

報土往生の念仏は、宿善開発の行者にしかお話できません。それでは、宿善(開発の)無い方には、あるいは、公に対してはどうするかと言えば、化土往生の念仏を説くことになります。

そして、同時に真実信心についてお話もすれば、「どうもこれでは良いとは思えないのですが・・・」と、相手の方が問うきっかけにもなると思います。

もちろん、化土と言っても弥陀の浄土ですから、それはそれは素晴らしいところです。

信をいただけば、「確かに易行だ」とわかりますから、おやおや様のような方であれば、ぜひ、多くの人に、まわりの方に、救われてほしいと思うと思います。

もちろん、私も、ひとりでも多くの方に救われてほしいと思っています。

この気持ち、いかんともしがたいですね。

混乱させてしまい、申し訳ありませんでした。

また、泥凡夫様、貴重なお書き込み、ありがとうございます。

有縁の方が、よろこんでくださると存じます。

南无阿彌陀佛

●re.7
おやおや
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[ 189 ] 本当に混乱してしまいました(苦笑) 2007/12/26 (Wed) 09:17 △up ▽down
毎日様

毎日様や泥凡夫様の尺度と、僕の尺度では、桁が違うということ、これで歴然でしょう。

でも、一味なんですよね。

頂いた真実信心は紛れもなく、同じだから、あうんの呼吸というか、泥凡夫様や毎日様に心を預けられる安心感が有ります。

僕は、本当に、毎日様がこのHPを立ち上げて下さり、感謝しています。

又、泥凡夫様からも、このようにジャンヌと変わらず、真実信心のお話聞ける嬉しさで、昨晩はうとうとしている状態でした。

毎日様のお書込みは、僕にとって、驚くばかりです。

でも、僕は、楽しいので、その場所を探して読んで見たくなります。

又、勢至菩薩等のお話も有りますし、段々大変でしょうが、宜しくお願いします。

  南无阿彌陀佛

●re.8 admin 
毎日
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[ 190 ] Re1:本当に混乱してしまいました 2007/12/27 (Thu) 03:24 △up ▽down
おやおや 様

弥陀の救いは本当にありがたく、そして、(信前において)難信ですね。

信じることができて、救いにあずかることができたことを、よろこびたいと思います。

もちろん、弥陀に同じ信心いただいている方は、皆一味です。

真実の平等が、そこにありますね。

本当に本当に、ありがたいことです。

南无阿彌陀佛



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