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[ 2912 ] Re1:北陸地方は、大雪で大変なのでしょうね(ーー;)
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2013/02/24 (Sun) 10:11
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>頭が痛いです(∋_∈) 助けて下さい!
他の誰かや、仏教書やらに助けてもらうと、それこそ後でもっと頭が痛くなる。 助けるのは誰? ひとつ所むくべしとは、どこ向くこと歟?
五濁増のしるしには この世の道俗ことことく 外儀は仏教のすかたにて 内心外道を帰敬せり
信なくば勤めて念佛すべし、精(いさ)みて申すべきなり。 念佛の申されぬは、往生が大事にならぬか、信心なきかの二なり。能々思ふべし。
口にだに南無阿弥陀佛をとなふれば 御名よりひらく信心のはな
有難がれ々々、喜べ々々、喜んだら助けてやらうとは仰せられぬ。 たのむ者を助けてやらうと仰せられるが弥陀如来の慈悲也。 そのお慈悲の由れが聞分けられ、心の内に浄土参が明かになると 自づと嬉しう思はるゝが、信を得たる印(しるし)なり。
>・・・合点した所です。
凡夫がわかったら、アウト!
一 おなじく仰せにいはく 心得たと思ふは心得ぬなり 心得ぬと思ふは心得たるなり
弥陀の御たすけあるへきことのたふとさよと思ふか 心得たるなり 少しも心得たると思ふことはあるましきことなりと仰せられ候ふ
一 一句一言を聴聞するとも たた得手に法を聞くなり たたよくきき 心中のとほりを同行にあひ談合すへきことなりと云々
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[ 2928 ] Re1:悪運?強運なのか?不思議な命
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2013/03/01 (Fri) 11:16
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「今日ばかりと思へ」ときいてます。
慶聞坊のいはれ候ふ。 信はなくてまぎれまはると、日に日に地獄がちかくなる、 まぎれまはるがあらはれば地獄がちかくなるなり。 うちみは信・不信みえず候ふ。 とほく命をもたずして、今日ばかりと思へと、古きこころざしのひと申され候ふ。
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[ 2933 ] Re4:悪運?強運なのか?不思議な命
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2013/03/01 (Fri) 21:56
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西玉子「私はいくらの味をしっているでしょうか?」 せん「いくらの味を知っているのならしっているのでしょうし、知らないのなら知らないのでしょうし・・・」
先便引用は「蓮如上人御一代記聞書」からです。 現代語訳は読まずに、原典を繰り返しよみましょう。 古語ですので、すぐに分からないのも当然です。 ----- 慶聞坊のいはれ候ふ。 信はなくてまぎれまはると、日に日に地獄がちかくなる、 まぎれまはるがあらはれば地獄がちかくなるなり。 うちみは信・不信みえず候ふ。 とほく命をもたずして、今日ばかりと思へと、古きこころざしのひと申され候ふ。
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[ 2939 ] Re6:悪運?強運なのか?不思議な命
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2013/03/08 (Fri) 08:57
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> [ 2927 ] あの世が近いのでしょうか?(ーー;) 前に、その仏みたいな人が、入口は解ってるのに入ろうとしないとか言われたのですが、
ということもあるのでしょうね。
御一代記聞書・九条から。
「他力の願行をひさしく身にたもちながら、よしなき自力の執心にほだされて、むなしく流転しけるなり」(安心決定鈔)と候ふを、え存ぜず候ふよし申しあげ候ふところに、仰せに、ききわけてえ信ぜぬもののことなりと仰せられ候ひき。
> [ 2932 ] 単刀直入的に 信心とられてる方からみて、私は どうなのでしょうか?ネット上で言葉のやり取りでは難しいとは思われますのと、色んな意味からしても難しいとも思いますし、私の信心は どうなのでしょうか?まだ、ダメな所でしょうか?
御一代記聞書・三十二条から。
朝夕、『正信偈』・『和讃』にて念仏申すは、往生のたねになるべきかなるまじきかと、おのおの坊主に御たづねあり。皆申されけるは、往生のたねになるべしと申したる人もあり、往生のたねにはなるまじきといふ人もありけるとき、仰せに、いづれもわろし、『正信偈』・『和讃』は、衆生の弥陀如来を一念にたのみまゐらせて、後生たすかりまうせとのことわりをあそばされたり。よくききわけて信をとりて、ありがたやありがたやと聖人の御前にてよろこぶことなりと、くれぐれ仰せ候ふなり。
お聖教を目に当てられていることとおもいますが、何よりですね。
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[ 2941 ] Re8:悪運?強運なのか?不思議な命
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2013/03/08 (Fri) 13:43
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> しかし、念仏は凄い言葉で表現 説明出来ない安心な心地にさせられ不安も苦しみも和らげ何とも言えないモノと思い感じる この頃です。
念仏はすごいですね。
・末燈鈔に、
さては、この御ふしんしかるべしともおぼえず候う。そのゆえは、誓願・名号と申して、かわりたること候わず候う。誓願をはなれたる名号も候わず候う、名号をはなれたる誓願も候わず候う。かく申し候うも、はからいにて候うなり。ただ、誓願を不思議と信じ、また名号を不思議と一念信じとなえつるうえは、なんじょうわがはからいをいたすべき。ききわけ、しりわくるなんど、わずらわしくはおおせ候うやらん。これみなひがごとにて候うなり。ただ、不思議と信じつるうえは、とかく御はからいあるべからず候う。おうじょうのごうには、わたくしのはからいはあるまじく候うなり。あなかしこ、あなかしこ。如来にまかせまいらせおわしますべく候う。あなかしこ、あなかしこ。
つねに浄土のごういん決定すとおおせられ候う。これめでたく候う。かくめでたくはおおせ候えども、これみなわたくしの御はからいになりぬとおぼえ候う。ただ不思議と信ぜさせ給い候いぬるうえは、わずらわしきはからいはあるべからず候う。
・御一代記聞書の第三十五条に、
罪のあるなしの沙汰をせんよりは、信心を取りたるか取らざるかの沙汰をいくたびもいくたびもよし。罪消えて御たすけあらんとも、罪消えずして御たすけあるべしとも、弥陀の御はからひなり、われとしてはからふべからず、ただ信心肝要なり
と。
・法然上人全集には、
仁和寺にすみける尼、上人にまいりて申やう。みづから千部の法華經をよむべきよし、宿願の事ありて七百部はすでによみをはれり。しかるにとしすでにたけ侍ぬ。のこりの功いかにしてをへ侍べしともおぼえ侍らずとなげき申ければ、としよりたまへる御身には、めでたく七百部まではよみ給へるものかな。のこりをば一向念佛になされ候べし
と。
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[ 2945 ] Re12:悪運?強運なのか?不思議な命
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2013/03/09 (Sat) 07:57
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西玉子さんのいわれますこと、よくわかります。 大筋、間違いでないかと。一文不知の尼入道が助かるのが真宗です。
如来よりの信が他力信で、 「御親側から働かれて、私に届いてると捉えていいのではないのでしょうか?」 の『捉えて』がとれるまで、無明業障の病やら、疑情やらで、なかなか叶わず分からなく。
西玉子さんは、宿善のおひとと見受けられますので、そこまで苦しんでらっしゃるご様子かと。 のどから自力の手が伸び出てきて、信心を鷲掴みしようとしているのもみえます。
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[ 2947 ] Re14:悪運?強運なのか?不思議な命
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2013/03/09 (Sat) 12:53
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やはり、西玉子さんは宿善の方かと感じます。
さて、一日でも早く子供に会いたいからと、卵のカラを早く割って生まれさせようとする親鳥はいますか? 養鶏場でもやらないのでは?
もちろん、親はそのとき、くちばしで卵をつつきますよね。 禅でも、卒啄同時(そったくどうじ)と教えられますね。
一般人からみて、どれが本物か分からない云々、おっしゃる気持ちよくわかります。 が、そこが迷いどころ。 判断できるような知恵があるなら聖道仏教で救いもさとりも得られるのでしょう。 それ叶わない我が身なればこそ、なおさら助けられるのは浄土門。
いくら、おかしな先生だらけ、偽物だらけと糾弾しても、 というか、そんな外事(そとごと)よりも、苦しいんだから自分が助かる事ひとつとなるのでは? 難治難病の診断だけされ、余命わずかだが私には治せないと医者にいわれ、その病気を治せる医者を捜している最中、 世の中ヤブ医者ばかり、薬づけにして金儲け主義のおかしな医者しかおらん、これではいかん、 医療業界の改革が必要だ、自分に何かできる事はないか、と使命感燃える人なんて、 まぁ、あまりいませんよね。 もちろん、変な医者とばかり会えば、偽物だらけと感じるでしょうが、そこにかかずらわっていましょうか?
本気度が、いろいろの自分の思いから、自分で知れます。 外事(そとごと)にケチつけたくなったり、自分の状態を誰かに承認してもらいたくなったり、と、 治療に向かない心が、自分では、まぁわからない。
・改邪抄・第八条より
宿善のある機は、正法をのぶる善知識にしたしむべきによりて、まねかざれどもひとをまよわすまじき法燈には、かならずむつぶべきいわれなり。宿善なき機は、まねかざれどもおのずから悪知識にちかづきて、善知識にとおざかるべきいわれなれば・・・
凡夫には、学問も何も、必ずしも必要ではない、 ただ念仏、と善知識は勧められます。
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[ 2949 ] Re16:悪運?強運なのか?不思議な命
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2013/03/09 (Sat) 17:31
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> 念仏をやってる時、肚に座ったような背中に張り付いたような体の中に棒みたいに入った感じや背中辺りにモミモミみたいなひくひくしたような感じは何なのですか?念仏してるときは、至って心和らぎ安心心地です。なまんだぶつ・・・合掌m(__)m
他力念仏をならっているさいちゅうなのでしょう、かね? ただ念仏。ありがたい
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[ 2950 ] Re15:悪運?強運なのか?不思議な命
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2013/03/09 (Sat) 17:31
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西玉子さん、せんさん、間に入って申し訳ありません。 西玉子さん、初めまして。かめと申します。
西玉子さんの書かれるものをずっと見ていました。 ご自分が信心決定しているのかとかなり悩んでおられるご様子。 私なりに思うことはずっとあったのですが・・・。
私は信心決定していない身。 しかし、法はきちんと正さないといけないと自分なりに思う気持ちもありまして・・・。 また、困っている人がいるのに放っておいていいのだろうか。 言うべきことは言った方がいいのではないか。 しかし私は信心決定していない身であるし・・・。 でも他に言う人もないし・・・。 そんなことを考えていましたが、やはり勇気を出して書かせてもらうことにしました。 お二人のお話が落ち着いてきたところなので迷惑だったかもしれませんが。
西玉子さん、私は信心決定していない者です。 私の言うことには多くの方が反対されるだろうことも承知しております。 そんな私の言うことだとどうかご理解した上でお読み願えればと思います。
私は思うのですが、西玉子さんがもし、自分が信心決定しているかどうかわからなくて、そのことを苦にして悩んでおられるのだとしたら、 それは信心決定されていないのではないかと思うのです。
ある方がおっしゃっていました。 信心をいただくというのは、念仏一つで事足りる身にさせてもらうことだと。 念仏一つで事足りるというのは、色んな救いが他にあるかもしれないけれども、 自分はこの念仏で大丈夫です、これ一つで自分は生きていけます、と言えるようになることではないかと思います。
自分が信心決定しているかどうかでひどく悩むというのは、 事足りていないことの現れのように感じます。 現状に不足を感じる心がどこかにあるということではないでしょうか。
また、話は変わりますが、 私は信心決定という経験は、何らかの神秘体験とは違うように思います。 西玉子さんは特殊な神秘体験をされたご様子。 それを否定はしません。 嘘をおっしゃっているとも思いません。 けれどもそれと信心とは別物ではないかと私は思うのです。 西玉子さんは神秘体験に救いを求めていらっしゃるようにお見受けしますが、 真宗の救いとはそういうものではないと思うのです。
「あくまで」私の思うことですけれども、 今後西玉子さんが真宗に救いを求められるとしたら、 おのずと神秘体験からは一歩距離を置くことになると思います。 (距離を置くだけで必ずしも否定する側にまわるということではありません)
真宗は迷信にとらわれないと聞きます。 それは迷信が嘘だからというのではなく、 それが救いとは関係がない、 もしくは迷信に惹かれる心が救いを邪魔しているからなのだと思います。
神秘体験に頼らなければ心のむなしさを埋めることができないということは、 念仏一つで事足りていないという証拠だと思います。
身勝手なことをずいぶんと書きました。 私は私に言えることを言うしかなく、 それを間違っているという人もたくさんあるでしょうが、 ともかく私は失礼(どころか罪かもしれないですね)を承知で書かせてもらいました。
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[ 2952 ] Re17:悪運?強運なのか?不思議な命
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2013/03/09 (Sat) 20:24
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> 確実に、今日は地獄に行ってこい!明日は、餓鬼に行ってこい!と(∋_∈) > そのとおり。今晩は。せん様。やはり、そうですか。(∋_∈)そのとおりは、効けまする(∋_∈)
> 神仏に寄るには、自我を捨てて禊的に向こうに心魂を洗ってもらわないと > 向こうからの一方通行なので、自分は邪魔するばかり。 西玉子さんは、自力の臭みもご存知のようですし、ただ念仏のお人のご様子ですから、 機会あれば善知識にご縁もたれ、念仏にたすけられているのでしょう、何も不足ないですね。 不足なしとは、安心してよいのやら?安心しても、そのとおり(∋_∈)。自力念仏は、苦しく 他力念仏は、安心心地。善知識の見張りが二人付けられて、肚に背中に憑けてあるのでしょか?(∋_∈) 弥勒菩薩が、羨ましい・・・。なまんだぁ〜・・・合掌m(__)m
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[ 2954 ] Re18:悪運?強運なのか?不思議な命
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2013/03/10 (Sun) 00:36
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西玉子さん、やはりお邪魔だったようですね。どうもすみません。 お邪魔とかじゃなく、話す相手が私じゃなく、こちらの本物様へ向けてが良いのでは?と思いますよ(⌒‐⌒)私の今までのログ見てわかるでしょう。なまんだぶつ・・・合掌 >不足、不安とかじゃなく信心決定されたベテラン様からの見解と判断を、自分勝手に思い決めずにと思い、こんな事か、こうーゆ事か、みたいな事と。意地悪なのか?師匠的な如来の代官みたい方が口難しで身近で遠いで、頭痛の種と悩んで、こちらの信心決定ベテラン様の見解を伺い訪ねて参考にと思ってます。
ということなのでしたら私の杞憂ということになります。失礼しました。
>悪行の数知れずが生かされ、そのまま楽園じゃ帳尻が合わないでしょう。 こちらに対しては少しだけ・・・。無視してもらっても構いませんが。 死んで楽園に行くのかどうかは私にはわかりませんが、 善悪無差別の救いだと思いますので帳尻とかはないと思います。細かいことですが。
>私から言えば親鸞和尚も比叡山の密教修行されて、観音様に神秘体験されてるではないですか。
私が神秘体験について、「距離を置くだけで必ずしも否定する側にまわるということではありません」とお断りをしたのはまさにそのことで、 神秘体験は厳しい修行をされた方やそういう素質のある方には起こるだろうと思います。 けれども、それと真宗の救いとは別物だと私は考えている、ということです。 親鸞聖人も観音様の示現を得られることを目指して励めとは言われていないと思います。 聖人にそのような体験があっただけで、それと阿弥陀如来の救いはまた別物なのではないかな、と。
どうも失礼しました。これに対しては無視してもらっても構いません。
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[ 2957 ] Re21:悪運?強運なのか?不思議な命
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2013/03/09 (Sat) 23:23
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>>西玉子さんは、先生と生徒、どちらが先と思っているのでしょうか?先生と思います。
洋の東西を問わず(欧州や中国や・・・)、 「生徒の準備ができて先生が現れる」、というのがあります。 ” When the students are ready, the teacher appears.”
蓮如上人は、「宿善開発して、善知識にあわずば往生はかなふべからざるなり。」 とか「五重の義」などで、宿善開発が一番にあげられています。
私たち凡夫は、いろいろのことが逆さまに見えるのですよね。
・執持抄・第四条より
世のひとつねにおもへらく、夜の明けて日輪出づと。いまいふところはしからざるなり。弥陀仏日の照触によりて無明長夜の闇すでにはれて、安養往生の業因たる名号の宝珠をばうるなりとしるべし。
・口伝抄・第三条より
本願寺の上人あるとき門弟に示してのたまはく、「つねに人のしるところ、夜明けて日輪は出づや、日輪や出でて夜明くや、両篇、なんだち、いかんがしる」と云々。うちまかせて人みなおもへらく、「夜明けてのち日出づ」と答へまうす。上人のたまはく、「しからざるなり」と。「日出でてまさに夜明くるものなり。そのゆゑは日輪まさに須弥の半腹を行度するとき、他州のひかりちかづくについて、この南州あきらかになれば、日出でて夜は明くといふなり。これはこれたとへなり。無碍光の日輪、照触せざるときは永々昏闇の無明の夜明けず。しかるにいま宿善ときいたりて不断・難思の日輪、貪瞋の半腹に行度するとき、無明やうやく闇はれて信心たちまちにあきらかなり。しかりといへども、貪瞋の雲・霧かりに覆ふによりて、炎王・清浄等の日光あらはれず。これによりて、〈煩悩障眼雖不能見〉(往生要集・中)とも釈し、〈已能雖破無明闇〉(正信偈)と等のたまへり。日輪の他力いたらざるほどはわれと無明を破すといふことあるべからず、無明を破せずは、また出離その期あるべからず。他力をもつて無明を破するがゆゑに、日出でてのち夜明くといふなり。これさきの光明・名号の義にこころおなじといへども、自力・他力を分別せられんために、法譬を合して、仰せごとありき」と云々。
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[ 2959 ] Re23:悪運?強運なのか?不思議な命
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2013/03/10 (Sun) 09:11
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> 私の準備が出来て、還相の先生が現れる?ですか? > > (◎-◎;)どうゆー意味ですか?なまんだぶつ・・・合掌m(__)m >
・御一代記聞書・第八十九条
一、聖教を拝見申すも、うかうかと拝みまうすはその詮なし。蓮如上人は、ただ聖教をばくれくれと仰せられ候ふ。また百遍これをみれば義理おのづから得ると申すこともあれば、心をとどむべきことなり。聖教は句面のごとくこころうべし、そのうへにて師伝・口業はあるべきなり、私にして会釈することしかるべからざることなり。
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[ 2961 ] Re25:悪運?強運なのか?不思議な命
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2013/03/10 (Sun) 16:03
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> 学長さんも、本は捨てろと。念仏だけみたいに最後は言うてたような? > たいていの人にはそうですが、西玉子さんに限っては、それは気にせずともよいかと・・・
> 私の感覚的ですが、シックリも安心安堵もし、本来の自分じゃないとハッキリ自分ではわかります。手引きされ念仏や謂われをしり念仏で、宿善開発になりわかる方から仏側から見極めて還相回向みたいな事ではないかと?思ったりしますが、 > 私の場合では手引きも還相も、その師匠的な人の感じと言うか?理屈ぬきさを感じますが、 > 誤解でも間違いでもないように思いますが・・・
> 向こうが、ハッキリ言わないので安心できないのとヘビの半殺しみたいで、 > 他の二人の信心決定された往相?の方は、大丈夫!その中に、あると。会うたび聞きます。 > しんどいこととおもいます。
> ボンクラゆえに、時間かかり掲示板を頭のイカれたのが汚すと思われる方もありましょうし、 > 今の所、毎日様も静観されてるのでしょうから掟や抑止には大丈夫なのでしょうか?(ーー;) > これ、いっさい気にしないでOKです。
> ネット上の文字に目も頭も疲れました。 > そうですよね。しばらくお休みしましょう。 時々のぞきますから、気が向いたらというか、気になる事あれば、書き込みしてください。 パソコンおもちでしたら、スマホよりは見やすいかもしれないですね。
> 僧侶さんとか、布教されてる方ですか? > でないです。どこの宗派にも属していません。
> せん様の知り合いの還相のベテラン先生は 九州地方に知り合いはおられませんか? > 知っている人がいるといいのですが・・・ごめんなさい。
・法然上人のお言葉。 信心よわしと思はば、念仏はげむべし。 決定心えたりと思うての上に、なお心賢からん人は、よくよく念仏すべし。 ・親鸞聖人のお言葉。 ただ念仏して弥陀にたすけられまいらすべし」と、よき人の仰せを被りて信するほかに、別の仔細なきなり。
・ある師のお言葉。 信なくば勤めて念仏すべし、いさみて申すべきなり。 念仏の申されぬは、往生が大事にならぬか、信心なきかの二なり。よくよく思うべし。
よくよく聴聞なさいませ。
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[ 2963 ] Re27:悪運?強運なのか?不思議な命
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2013/03/10 (Sun) 19:35
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> 仏、仏の代官がそんな仕打ちしますか?(∋_∈) > なんでもするでしょうね。
> 北陸まで上れば、還相さんに見極めてもらえますか? > 見極めてもらう、というのが我がはからい。
・淨土真要鈔より
善知識は諸仏・菩薩なり、諸仏・菩薩の総体は阿弥陀如来なり。 その智慧を伝へその法を承けて、直にも与へ、また知られん人に導きて法を聞かしめんは、みな善知識なるべし。 しかれば仏法をききて生死をはなるべきみなもとは、ただ善知識なり。
みづから法を説きてきかするひとならねども、法をきかする縁となるひとをも善知識となづく。
> 最初は、仏みたいな眼差しと言霊で手引きして逃げられんように勝手にして、最近は睨んで念仏しとります。(∋_∈) > みな因縁でしょう。
・改邪抄・第八条より
宿善のある機は、正法をのぶる善知識にしたしむべきによりて、まねかざれどもひとをまよわすまじき法燈には、かならずむつぶべきいわれなり。宿善なき機は、まねかざれどもおのずから悪知識にちかづきて、善知識にとおざかるべきいわれなれば・・・
> 聴聞は、法話に行け?聴聞も聞法も=念仏で良いのですか?(ーー;) > 他力念仏には諸行万善みなおさまっていると聴聞します。
> 人間が、信心を認めるのはダメみたいにも、ある人に聞きましたが、アンタは大丈夫と何度でも言い切る人は、何者ですか?菩薩だろうとは思いますが...。 > その人がどういった心から言われるのか分かりませんので、何ともはかりかねますが。 如来より賜る信心、誰が認可できるのでしょうか。
> 何で私は、捕まったのですか? > 因縁でしょうね。
> 仏界に行く前に、天界辺りで心の準備みたいにして往く訳にはいかないのでしょうか?(ToT) > そういうのもアリでしょう。聖道仏教に八万四千の法門あるので・・・ 淨土門は寄り道なく、悪人凡夫が仏に成る教え。因明でなく直入。
> 1つ聞きますが、信心決定したら逃げ場なしですか? > なし。
十方微塵世界の 念仏の衆生をみそなはし 摂取してすてざれば 阿弥陀となづけたてまつる
という和讃で、親鸞聖人は「摂取」の左訓にこう記されています。
摂は、ものの逃ぐるを追わえ取るなり。 摂はおさめとる、取は迎えとる。
>(このままじゃ、どっちに転んでもスッキリと釈然としませんし、せん様がよろしければ、チョコチョコ覗いてくださいよ(^人^)泥凡夫様や毎日様や自信教人信様や菩提心様や他の信心ベテラン様は忙しいようで...。せん様が、来なくなると止まりな(・・;)) > 了解しました。
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[ 2964 ] Re28:悪運?強運なのか?不思議な命
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2013/03/10 (Sun) 21:35
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せん様 西玉子様
はじめまして私は西玉子さんの友人です。 見極めてもらいたいという西玉子さんの言葉は、自力の計らいのように見える文章ですが、本人に会って話をする限りは意味合いが違うようです。 今晩は。たに様。ひさしぶりです。私の表現文章力の無さから語弊もありと?ですか?(ーー;) 「南無阿弥陀仏に疑いはない。だけどこれが信心なのですか?」という気持ちが書かれています。もちろん人に認定されたといってもそれは信心とは関係のないことです。ただ、「これが信心なのか?」という疑問を人にぶつけると、どうしても「人から認定されないと信心にならない」と思っている人の言葉のようになってしまいます。※蓮如和尚が、信心の事は、他の信心決定した人と話せみたいに言われたようで、自分で勝手に決めたり思い込みじゃダメなんだろうと思い、こちらに本物様を感じ聞いてもらって、また参考にも勉強にもなります(⌒‐⌒) 西玉子さん、「人からの認定された信心」は真実信心ではありません。南無阿弥陀仏に疑い無いのが信心です。※疑い所か、逃げ場なし状況みたいです。南无阿彌陀佛を疑う所か乗っ取られてますようです。その内、自分の意思とかなしに操られるのかな?(∋_∈) またよろしくお願いします。 忙しい所、有り難うございますm(__)m。なまんだぁ〜・・・合掌m(__)m
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[ 2966 ] Re29:悪運?強運なのか?不思議な命
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2013/03/10 (Sun) 21:20
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たに様
> はじめまして私は西玉子さんの友人です。 > はじめまして。
> 見極めてもらいたいという西玉子さんの言葉は、自力の計らいのように見える文章ですが、本人に会って話をする限りは意味合いが違うようです。 > おっしゃるとおりでしょうね。私もそんな風に感じます。
> 「南無阿弥陀仏に疑いはない。だけどこれが信心なのですか?」という気持ち・・・ > そう思われていると思ってました。 そうでしょう。
疑いは、安々と知れるものではないので・・・ 疑いを知らされ、疑いが障りとなっていることを知らされ、どうにもならぬものが助かるのと知らされるので、疑いないと言っている人・思っている人は、疑いの知れぬ人。
・唯信鈔文意より
「信」はうたがひなきこころなり、すなはちこれ真実の信心なり、虚仮はなれたるこころなり。虚はむなしといふ、仮はかりなるといふことなり、虚は実ならぬをいふ、仮は真ならぬをいふなり。
本願他力をたのみて自力をはなれたる、これを「唯信」といふ。 また「唯信」はこれこの他力の信心のほかに余のことならはずとなり、すなはち本弘誓願なるがゆゑなればなり。
> 「これが信心なのか?」という疑問を人にぶつけると、どうしても「人から認定されないと信心にならない」と思っている人の言葉のようになってしまいます。 > 「これが疑いなのか?」が出てくるのかと。
骨折って聞け、解脱の耳を澄まして聞け。 先人は、そう聴聞を勧められます。
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[ 2968 ] Re31:悪運?強運なのか?不思議な命
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2013/03/11 (Mon) 10:23
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> 天界行きは難しいのでしょうか?(ToT) > いえいえ、聖道仏教の階梯(かいてい)進めばいけるでしょう。
> なんの断りもなしに!容赦なし。問答無用みたいで(∋_∈)後は、確実に濃き使われる(ToT)順序ってモノがあるのではないのですか? > 淨土門は、了解できない凡夫お目当ての教え。 さとし分からすことのかなわない者があいてで、順序は逆。
> 弥勒菩薩の説法を56億7千年聞いて勉強してから往こうと思いますが、いかがなもんでしょか?(ToT) > 聖道仏教でいけますよ。 そういうことも、あるかと思います。 ですが、そんなことで判定しようとする心は、どこからくるのでしょうか? 他力でないですよね? まさにお望みの「弥勒菩薩の説法を56億7千年聞いて・・・」の聖道仏教の道ではないですか。
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[ 2970 ] Re33:悪運?強運なのか?不思議な命
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2013/03/11 (Mon) 07:53
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> 判定と言うか、一部屋に信仰事になり神仏習合、陰陽道的な事に縁ありで、そのまま祀って師匠の遠回りと念仏1つで、他は放置。念仏する時も、気配を感じます。安心心地で不安とかないです。魔物、外道じゃないと思います。見守りでしょう(⌒‐⌒) > 聖道のいき方叶わずとなら、いったん聖道門はさしおけ、と法然上人いわれますのを、 親鸞聖人、教行信証に引用されています。
それすみやかに生死を離れんと欲はば、二種の勝法のなかに、しばらく聖道門を閣(さしお)きて、選んで浄土門に入れ。 浄土門に入らんと欲(おも)はば、正・雑二行のなかに、しばらくもろもろの雑行を抛(なげうち)ちて、選んで正行に帰すべし。
神仏習合も、陰陽道も、魔物・外道じゃない尊い存在も、みな差し置いた方が淨土門に入っていく。 聖道も、神仏習合もいろいろの宗教も、もちろん本当の師が教える道を如説に進めば、救済を得るのでしょうが、私たち凡夫の手に負えないという者に淨土門が開かれています。 さしおくのは、聖道ばかりでなく、いろいろと・・・
のゆえ、師はあなたを、「遠回り」の「念仏」と言われるのでしょう。 ただ念仏ではなく。
> 聖道門のような厳しい修行や勉強や諸々な事は出来ないでしょう。 > 仏教は内道のおしえですから、滝にうたれたり千日回峰とか、写経読経いろいろのことは その事そのものが修行のように思ってしまうのが凡夫の邪見。 そうした折りにあぶり出されるモノを知り成仏する道をすすむのが仏法者。
外儀のすがたはひとごとに 賢善精進現ぜしむ 貪瞋邪偽おほきゆゑ 奸詐ももはし身にみてり
五濁増のしるしには この世の道俗ことごとく 外儀は仏教のすがたにて 内心外道を帰敬せり
> ひたすら、ただ念仏で御親に委ね道標を決めてもらおうと観念もしとります。 > 「ただ」に? 観念とは降参のこと?
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[ 2972 ] Re35:悪運?強運なのか?不思議な命
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2013/03/11 (Mon) 19:06
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>>ただ念仏ではなく。←ただ念仏ではなく。とは、深い意味合いですか? > ただ。
>>「ただ」に?ひたすら、無心で念仏です。 > ほんとうに無心?
> とはぐらかされ内心激怒で、 > それそれ。
> 私は、墜ちるのですか?!と、聞けば、それ以上堕ちないと。(∋_∈)どうーゆ意味ですかね? > 仏教分からん人は、知らずに堕ちる。 淨土門の人は、知って堕ちる。
> ナマクラなので、念仏で向こうが段取り付けてくれるのでしょうしと思いもします。 > 「のでしょうしと思いもします」を取ってもらえますのだけど・・・
> やっぱり御六字念仏の無上甚深彌妙法?が、最高の功徳で良いのでしょか? > 一声称念するに、至徳成満し、衆禍みな転ず。
・教行信証・化土巻より
善本とは如来の嘉名なり。この嘉名は万善円備せり、一切善法の本なり。ゆゑに善本といふなり。 徳本とは如来の徳号なり。この徳号は一声称念するに、至徳成満し衆禍みな転ず、十方三世の徳号の本なり。ゆゑに徳本といふなり。 しかればすなはち釈迦牟尼仏は、功徳蔵を開演して、十方濁世を勧化したまふ。阿弥陀如来はもと果遂の誓を発して、諸有の群生海を悲引したまへり。
> やっぱり信心決定が良いと思いますか? > 極楽参りの道中は、何物にも比べものになりませんね。
> 今日は、地獄!明日は餓鬼! > つらいですか?
> でも。もう、私がアレコレ考え思っても無駄だろうとも降参です。 > せいぜい抵抗なさいませ。
> 念仏始めて3ヶ月頃、師匠に私は、仏縁とかないでしょ。と、そんな事はない。向こうが離さんとか言われてて、上手い事してやられたみたいにも思います。諦観とも聞いたような。気が付けば深い所に捕まえられたのですかね?そう成りたくて成れない人もあれば、私の意思とかなしに成る人もありで、仏は優しいだけの顔付きじゃなし、容赦なしの厳しさもありで、捕まったら逃げ場なし。永遠の寿命と永遠の済度みたいになるのでしょか? > そのまま、そのまま。
> 神仏と契り交わしたら恐らく、そんな事じゃないのかと?喜んで良いのやら悲しいのか、そんな次元じゃないのでしょう。御親が、えらい大願成就したから、総動員で働かされ休みなし。超ハードスケジュールみたいな感じがします(ToT)なまんだぁ〜・・・合掌m(__)m > (ToT)
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[ 2975 ] Re37:悪運?強運なのか?不思議な命
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2013/03/11 (Mon) 20:18
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法然上人に教えを請われた人の中に、「禅勝房」という人がいます。
若き頃、比叡山で修行されたようですが、自身の修行で何ともなるとも思えず山を下りて、法然上人と所へ参りました。 ちょうど、親鸞聖人と同じ年の頃の人です。 親鸞聖人は、法然上人と40歳の年が離れていて、29歳の時に、69歳の法然上人の所へ通われました。 禅勝房も、親鸞聖人と同じような時期に、法然上人の所へ通われたようです。
さて、よくよく教えを受けて、往生疑いなしの身になったその禅勝房、私たちに有り難い言葉をいろいろと残してくれてます。(少しご紹介)
「淨土門を求め進むには、往生極楽がやすき事と心得るまでが大事なり。 そう心得てしまえば、往生やすい事なり。 いろいろと教える僧侶・学匠があるが、法然上人の仰せには、そんなに難しいことではなかった。」と。
またあるとき、禅勝房が人に、「往生とは、どのように思い定めておられるか?」と尋ねると、その人は、「左のこぶしを右のこぶしに打ち付けようとする時に、うちはづすことがないように、確実なことだよ。」というのを聞いて、禅勝房は、「あら危なっかしい。」というと、言われたその人は、「じゃあそれよりもっと、どんなふうに思い定めておられるのか?」と返せば、禅勝房は、「往生とは、生あるもの死に帰すほどに確実なことだ。わがこぶしにて、わがこぶしを打ち付けるのは、はずれてしまう事もあるだろうし。」と言いました。
「念仏をおっくうに思う人は、無量のたからを失う人だ。 念仏に勇みある人は、無辺のさとりをひらくこと叶う人だ。」
などなど。
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[ 2979 ] Re39:悪運?強運なのか?不思議な命
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2013/03/12 (Tue) 08:30
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> わたしのボンクラな戯言や普通の人から見たら、アンタ頭は大丈夫か?みたいなのは大丈夫なのだろうか?と、思いますが(・・;) > 西玉子さんにかぎらず、そんなあなたがお目当てと助くる手立て下さるるが阿弥陀如来。 いろいろ考えて何かして何とかなるなら、甲斐あるというモノ。 諸仏に見放されたような奴、無明の酒に酔っ払っている私らには、酔さましの白湯(さゆ)の如くなる念仏させて頂くよりほか、どうしましょう?。
> せん様は、管理人様とか知り合いですか?かめさんって信前の人に、私が言うのも変とは思いながら、教えられた事や参考になればと思い書きましたが、せん様から見て、ダメなのはハッキリ厳しく教えて下さいよ(^人^)なまんだぁ〜・・・合掌m(__)m > 無明の病にかかった者が、常識風味なことはいえても、本当にそれが合っているのかどうか判断出来ないですからね。 ただし、掲示板の運営趣旨は理解出来ますので、ウッカリしていたことあれば改めたいと思います。(もちろん、仏法のことに遠慮は無用)
----- 先便で出ました「禅勝房」、叡山を降りて法然上人に教え請われたとき、いろいろ質問されたことからひとつ。(古語のままですが、わかりますよね?)
一、後生をば彌陀の本願をたのみ申さば、往生うたがひなし。現世をば、いかゞはからひ候べきと。
上人の給はく。 現世をすぐべきやうは、念佛の申されんかたによりてすぐべし。念佛のさはりになりぬべからん事をばいとひすつべし。一所にて申されずば、修行して申べし。修行して申されずば、一所に住して申べし。ひじりて申されずば、在家になりし申べし。在家にて申されずば、遁世して申べし。ひとりこもり居て申されずば、同行と共行して申べし。共行して申されずば、一人こもり居て申べし。衣食かなはずして申されずば他人にたすけられて申べし。他人のたすけにて申されずば、自力にて申べし。妻子も従類も、自身たすけられて、念佛申さんためなり。念佛のさはりになるべくば、ゆめゆめもつべからず。所知所領も、念佛の助業ならば大切なり。妨にならばもつべからず。 総じてこれをいはゞ、自身安穏にして、念佛往生をとげんがためには、なに事もみな念佛の助業なり。三途にかへるべきことをする身をだにも、すてがたければかへりみはぐくむぞかし。まして往生すべき念佛申さん身をば、いかにもはぐくみもてなすべし。念佛の助業ならずして、今生のために身を貧求するは、三悪道の業となる。往生極楽のために自身を貧求するのは、往生の助業となるなり
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[ 2981 ] Re41:悪運?強運なのか?不思議な命
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2013/03/12 (Tue) 20:06
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> 無明業障の闇をブチ破るのが、破暗満貫?如来が還相さんを回向?使いで現れて触光柔軟?みたいなので柔軟な仏心注入され日々念仏で、白から無色透明な金剛心みたいな信心にさせられるような事でしょうか?それで普通なら諸々の心配や不安がなくなり死んだら死んだみたいに平気になり、普通なら悩んだりジタバタなる気持ち考えがなくなるみたいな事でしょうか? > 浄土真宗に「二種」の回向あり。 本願一乗は、頓極・頓速・円融・円満の教なれば、「絶対不二」の教と、知るべし。
・教行信証より
謹んで浄土真宗を案ずるに、二種の回向あり。一つには往相、二つには還相なり。往相の回向について真実の教行信証あり。(略)夫れ真宗の教行信証を案ずれば、如来の大悲回向の利益なり。ゆゑに、もしは因、もしは果、一事として阿弥陀如来の清浄願心の回向成就したまへるところにあらざることあることなし。因、浄なるがゆゑに果また浄なり。知るべしとなり。 二つに還相の回向といふは、すなはちこれ利他教化地の益なり。
・正像末和讃より
南無阿弥陀仏の回向の 恩徳広大不思議にて 往相回向の利益には 還相回向に回入せり
往相回向の大慈より 還相回向の大悲をう 如来の回向なかりせば 浄土の菩提はいかがせん
> 今までの私との話しを振り返り、せん様から見て私は阿弥陀ほとけに捕まって逃げ場なしの状態でしょうか?(ーー;) > 或人尋ねて云く「何程きいても、愚図愚図しています、一言きかせておくれ。」 答えて曰く「お前様も愚図か、私もくづくづぢゃ、けれども其ぐづのままで来いと仰せられたら、まんざら嫌気もないでのう」 問、「それでも信心肝要と仰せられるが、其信心が何時得られたやら訳りませぬもの。」 答、「信を得ると云うは、ハイと云うまでのことでありますげな。」
(註)愚図・・・愚はおろか、図ははかりごと。肚のなか気持ち悪い?
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ある師、「御化導に逢うて、あぁそうであったか、何を方角違いして居りましたやら、と、道理・理屈の分かった所で気済みをして居るのは、皆苦替えをして居るだけのききようぢゃ。そんなことは皆無駄事である」と云うて、これではあれではと、小言云うて居るものには相手にならなんだ。
(註)気済み・・・ホッと納得。苦替え・・・気済みして、今の問題が別の問題に化けているが分からない。
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ある師、「信の頂けぬは、明師に逢はざるが故也。こごとが尽きぬのは、きき様がたらぬ故也」
> 掟、抑止とは、ある一人の国王が〜阿弥陀仏になるお伽噺のような本当の話し信じられず、疑う事や真の仏法僧を罵ったりするような事と思いますが、どうですか? > そんなようなことなのでしょうね。
> 在家の後の○世が、読めず解らずで今のところは、奉り念仏できます。法然和尚みたいに六万回とかの毎日の念仏は無理で、その日のサイクルの中で、できる範囲で内仏に仏飯、花、蝋燭、線香を供えて、身を塗香で浄め平常心にし五体投地し念仏です。最近は、自力から他力?別物が入ってるのか?肚に背中に棒の一本入ってるような、背中に張り付いてる感じと、モミモミ、ひくひくみたいな感じで、気にしないようにしてます。慣れてきたのか?前に言われた念仏の練習させられてるのだろって思うようにしてます。トイレでも、風呂でも、感謝の念仏を自力なのか?わからずです。 > これめでたく候う。かくめでたくはおおせ候えども、これみなわたくしの御はからいになりぬとおぼえ候う。ただ不思議と信ぜさせ給い候いぬるうえは、わずらわしきはからいあるべからず候う。(親鸞聖人のお手紙)
> せん様は、信前〜信後は、作法と言うか?どんな奉り方で、どんな感じでされてますか? > 念仏は浄・不浄を嫌わず、時處諸縁を選ばず。堪えんにまかせて、行住坐臥、ただ念仏申すべし。 たとえ余事をいとなむとも、念仏申し々々これをする思いをなせ。余事をし々念仏すとは思うべからず。(法然上人のことば)
> ※貧求 貧は、士の常なり。で、来てる所に今に至りです。師匠に、金になる事も、現世では必要みたいに言われます。金儲けや欲張りがないようで、施し的な何かが出来て、そこそこの日暮で満足できるようで、回りの派手なのが、昔の自分もそうーゆ時期もありましたが、普通に欲張り的な心が、あんまり沸かないし 悪行も卒業で、女がどうのの回りの話しに具合悪くなり、色んな意味から変わった自分がいるようです。 > 念仏様々ですか、ね。
> 南無阿弥陀仏だけぞ!って、言うても、聞いた相手の近代人が信じられず罪つくりになるのかな?とも思います。 > そうでしょう、時機しだいでしょうね。
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[ 2983 ] Re43:悪運?強運なのか?不思議な命
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2013/03/14 (Thu) 16:39
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西玉子様
せん様の以下の4つのご文に共通しているのは、二種の回向ということです。 細かい文字の意味は、特段説明しなくても、大まかにはそういうことです。
西玉子様の救われたらどうなのるのかということについて、「往相廻向」「還相回向」の二つの回向を阿弥陀仏より受けとるということを、せん様はいわれています。 回向とはさし向けるという意味で、阿弥陀仏より私に「往相」と「還相」と二つさし向けてくだされるということです。 往相は、浄土往生する働き、還相は「利他教化」とありますが、人々を教え導くことをいいます。その二つを、阿弥陀仏から私にさし向けてくださり、私はそれを受け取るということです。
>>浄土真宗に「二種」の回向あり。 >>本願一乗は、頓極・頓速・円融・円満の教なれば、「絶対不二」の教と、知るべし。 >>たに様に、通訳してもらわないと厳しいようです。私の教学なさの頭脳では、何回も電車内で読みますが少しだけ、感覚的にみたいな(・・;) >>・教行信証より >> >> 謹んで浄土真宗を案ずるに、二種の回向あり。一つには往相、二つには還相なり。往相の回向について真実の教行信証あり。(略)夫れ真宗の教行信証を案ずれば、如来の大悲回向の利益なり。ゆゑに、もしは因、もしは果、一事として阿弥陀如来の清浄願心の回向成就したまへるところにあらざることあることなし。因、浄なるがゆゑに果また浄なり。知るべしとなり。 >> 二つに還相の回向といふは、すなはちこれ利他教化地の益なり。 >> >>・正像末和讃より >> >> 南無阿弥陀仏の回向の >> 恩徳広大不思議にて >> 往相回向の利益には >> 還相回向に回入せり >> >> 往相回向の大慈より >> 還相回向の大悲をう >> 如来の回向なかりせば >> 浄土の菩提はいかがせん
ある師という人の言ったことに関しては、どなたの言葉か私はわかりませんので、コメントはしません。
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[ 2994 ] Re1:彼岸入り
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2013/03/18 (Mon) 07:58
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先般の蓮如上人のお聖教、6枚目の真ん中あたりから「金剛の信心」のくだり読まれましたか?
信心を取りたるか取らざるかの沙汰をいくたびもいくたびもよし(聞書三十五条) 聖教はよみやぶれ(聞書六十九条)
・解脱の耳をすませよ
まづ世間にいま流布してむねとすすむるところの念仏と申すは、ただなにの分別もなく南無阿弥陀仏とばかりとなふれば、みなたすかるべきやうにおもへり。それはおほきにおぼつかなきことなり。京・田舎のあひだにおいて、浄土宗の流義まちまちにわかれたり。 しかれどもそれを是非するにはあらず、ただわが開山(親鸞)の一流相伝のおもむきを申しひらくべし。それ、解脱の耳をすまして渇仰のかうべをうなだれてこれをねんごろにききて、信心歓喜のおもひをなすべし。(御文(御文章)・三帖五通)
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[ 2997 ] Re3:彼岸入り
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2013/03/18 (Mon) 13:58
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>> 信心を取りたるか取らざるかの沙汰をいくたびもいくたびもよし(聞書三十五条) >> 聖教はよみやぶれ(聞書六十九条) >> >読み破るほどに、読まないとボンクラ頭の私にはダメなんでしょね(◎-◎;) >
・親鸞聖人のお手紙
まづおのおのの、むかしは弥陀のちかひをもしらず、阿弥陀仏をも申さずおはしまし候ひしが、釈迦・弥陀の御方便にもよほされて、いま弥陀のちかひをもききはじめておはします身にて候ふなり。もとは無明の酒に酔ひて、貪欲・瞋恚・愚痴の三毒をのみ好みめしあうて候ひつるに、仏のちかひをききはじめしより、無明の酔ひもやうやうすこしづつさめ、三毒をもすこしづつ好まずして、阿弥陀仏の薬をつねに好みめす身となりておはしましあうて候ふぞかし。 しかるになほ酔ひもさめやらぬに、かさねて酔ひをすすめ、毒も消えやらぬになほ毒をすすめられ候ふらんこそ、あさましく候へ。煩悩具足の身なればとて、こころにまかせて、身にもすまじきことをもゆるし、口にもいふまじきことをもゆるし、こころにもおもふまじきことをもゆるして、いかにもこころのままにてあるべしと申しあうて候ふらんこそ、かへすがへす不便におぼえ候へ。酔ひもさめぬさきになほ酒をすすめ、毒も消えやらぬに、いよいよ毒をすすめんがごとし。薬あり、毒を好めと候ふらんことは、あるべくも候はずとぞおぼえ候ふ。 仏の御名をもきき念仏を申して、ひさしくなりておはしまさんひとびとは、後世のあしきことをいとふしるし、この身のあしきことをばいとひすてんとおぼしめすしるしも候ふべしとこそおぼえ候へ。 はじめて仏のちかひをききはじむるひとびとの、わが身のわろくこころのわろきをおもひしりて、この身のやうにてはなんぞ往生せんずるといふひとにこそ、煩悩具足したる身なれば、わがこころの善悪をば沙汰せず、迎へたまふぞとは申し候へ。かくききてのち、仏を信ぜんとおもふこころふかくなりぬるには、まことにこの身をもいとひ、流転せんことをもかなしみて、ふかくちかひをも信じ、阿弥陀仏をも好みまうしなんどするひとは、もとこそ、こころのままにてあしきことをもおもひ、あしきことをもふるまひなんどせしかども、いまはさやうのこころをすてんとおぼしめしあはせたまはばこそ、世をいとふしるしにても候はめ。また往生の信心は、釈迦・弥陀の御すすめによりておこるとこそみえて候へば、さりともまことのこころおこらせたまひなんには、いかがむかしの御こころのままにては候ふべき。
>>・解脱の耳をすませよ >この解脱の耳をすませよ。とは?感じるような事でしょか?(・・;) > 親鸞聖人、和讃で、
大聖易往とときたまふ 浄土をうたがふ衆生をば 無眼人とぞなづけたる 無耳人とぞのべたまふ
と。見る眼、聞く耳をふさぐ、うたがいというものがあると教えています。
> ←これは、おうように念仏じゃなく、行的なじゃなく、信じる信行的な事かな?と、思いますが・・・。渇仰とは?どうーゆのですか? > のどのかわき(渇き)をいやさんとの思いのごとく、仰ぐ。と
> 話し変わりますが、せん様は、日曜劇場とんびは見ましたか?昨日は、最終回で、最後らでお父さん有り難うは泣けましたよ(ToT)少し前の昭和の人間臭さと信仰心と仏説・仏心の籠ったように見てましたよ。私は、本来(ToT)ような男ではないのですか?仏心注入されたから?世代的な?私と親父や私とヤンチャ坊主との事が、重なりそんな感じになったのか?不思議な感じです。 > とんびは、家族が見ていて、私も見たいと思っていたので、録画してある全回分、残してもらってます。近々見たいと思ってますが、その時が楽しみです。昭和40年代〜のドラマでしたかね。
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[ 3001 ] Re5:彼岸入り
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2013/03/18 (Mon) 16:08
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> せん様。今、聖教を聴聞しました(◎-◎;)少し、わかったような?5回目です。ソロソロ届けばデカイA-3サイズです。 > 聴聞ご苦労様です。 A3サイズは大きくて見やすくていいですね。 ちなみに、昔の人のお聖教は、ちょうどA3サイズくらいの紙に書写して、これをふたつ折りにして、1冊50枚程度(今風に言えばA4×100ページ)〜が標準的なボリュームのようです。なので安心問答は17枚くらいなので、普通の1/3か1/4くらい。 A3とかA4など外国の規格サイズと、日本のお聖教のサイズがほぼ同じくらい、という偶然(?)は不思議ですね。一尺と1フィートも、ほぼ同じ。ガロンと一貫も・・・
>これが、如来のような阿修羅のような師匠が、 >杖を渡したぞ。なのか?とも、別の方から聞いたような?(ーー;)私が、見る眼、聞く耳をふさいだ時の杖なのか?(・・;)なのか?みたいな事を前に別の信心様に、師匠が杖を渡して安心されたみたいに言われましたが、私は今一、ピンと理解できませんが・・・。 > モーゼの杖、というおはなしがあります。
・聖書「出エジプト記」より
神様「その手に持つ物は、何かね?」 モーゼ「杖です」 神様「それを地面に投げよ」 言われるまま、モーゼは杖を地面に投げた所、その杖は蛇になってしまい、びっくりしたモーゼは蛇から後ずさりすると、神様は、「お前の手で、その蛇のしっぽを掴め。」と仰せられるので、モーゼは手を伸ばして蛇を掴むと、蛇は手の中で杖になった。
仏典も聖書も、蛇は悪役、似たような譬えにつかわれることもありますね。私たちも「喉から手が出る」とよく言いますが、喉から出てくるのは、ただの手なんかでなく、蛇が出てきてますよね。
> 念仏してる時、喩えが汚くてスミマセンが、蟹が泡ふくような、口からヨダレのよあな蜜が垂れるようになるから、頭垂れてやるとヤリズライし、間段なくやれには難しくもありで、念仏行者さんは、皆、口から蜜の垂れるような蟹の泡ふくようになり念仏しながらヨダレ飲みながらみたいになると思いますが?どんなもんですか?(・・;) > まじめになされば、そんな風にもなるでしょうね。 「口角泡を飛ばす」が気になるとき、下向きたいとき、肉声出さず心の内で念仏申させたまへ。
> 念仏を寝言で唱えるようになれば本物でしょうね。そうしてくれと、御親にお願いしてお委せコースになれば、私のようなナマクラには良いように思いますが、恐らく感謝報恩を込めてやれみたいになるだろうと思ったりします(ToT) > 肉声や口角泡を飛ばせないときは、心の中で。 人と会って話しているときも、ご飯食べているときも、誰かに怒り心頭のときも、いつでも嗜みなさるべし。 といっても、自動車運転中など、あんまり注意散漫になるとまずい場合もありますので、機嫌をはからって、お嗜みなさるべし。
・或人の、法然上人へのお尋ね(一日1万回以上、一食に三度)
問、日別の念仏の数遍は、相続にいるほとは、いかかはからひ候へき。 答、善導の釈によらは、一万已上は相続にてあるへし。たたし一万返をいそき申て、さてその日をすこさむ事はあるへからす、一万返なりとも、一日一夜の所作とすへし。総しては一食のあひたに三度はかりとなえむは、よき相続にてあるへし。それは衆生の根性不同なれは、一准なるへからす、こころさしたにもふかけれは、自然に相続はせらるる事なり。
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[ 3003 ] Re7:彼岸入り
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2013/03/18 (Mon) 23:11
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> まだまだとても無色透明な域ではないようで。 > 浄土の法門は、悪人凡夫が仏に成る教え。真っ黒クロスケそのまま助かるんよ。 往生の信心、よくよくならいませ。
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[ 3029 ] Re3:[
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2013/03/19 (Tue) 12:36
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>>往生の信心、よくよくならいませ。←これが、難題な私(ToT) お休みなさい。なまんだぁ〜・・・合掌m(__)m
南無阿弥陀仏と称えて疑い無いままが信心です。信心とは習うものではありません。
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[ 3088 ] Re3:[
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2013/03/23 (Sat) 13:56
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西玉子様
>今は解らんでも、後から、この事か、あの事か、みたいになってくるのかなともおもったりしますが?(ーー;)信心とは習うものではありません。 どんなもんですか?(・・;)
今は分からなくてもそのうち分かります。 自分の心の中を詮索して「発見」する信心ではありませんよ。 南無阿弥陀仏に疑い無いのが信心です。
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