浄土真宗の教義について

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●No.171
かめ
非公開の男性
[ 2769 ] 親鸞聖人ご自身の信 2012/07/08 (Sun) 15:20 △up ▽down
私ばかりが立て続けに質問をしまして申し訳ないことですが、どうしてもお聞きせずにはいられないことですのでどうかご容赦ください。

親鸞聖人が29歳で比叡山を下りられ、その後六角堂へ100日参籠されたそうですが、その折の親鸞聖人のお心について想像してみたく思います。
このときの聖人は不安で一杯だったことは間違いないでしょうが、それがどのような不安だったかと考えますと、自身が根無し草であるかのような不安だったのではないかと私は思うのです。
後生助かることを祈られたそうですが、その根底にはそのような気持ちがおありになったのではないかと思います。

観想の行によって後生助かったという実感も持てず、またその行をやり通すこともできず、さらには、例えやり通したとしても本当に救われるのだろうかというお気持ちだったと思います。
阿弥陀仏の救いを疑っているのではなく、阿弥陀仏の救いがわからない、実感できないという意味です。

無常の娑婆世界の中には自分の立つべき大地が見つからず、自身の存在の根っこを欠いているという不安が、果たして極楽往生することによってどのように救われるのかがわからない。
例え臨終において浄土へ往かせていただいたとしても、根無し草の住む国が苦しみの国から幸せの国へ移るだけであって、自身が根無し草であることには変わりがない。
それに、例え後生が助かったとしても今生は根無し草の一生を送らねばならない。
しかし、阿弥陀部仏の救いは絶対だ。それなら、どうしてこの根無し草である自身に「一人」の人間として大地にしっかりと根を張った生き方ができるのだろうか。

と、そのような思いをお持ちになっていたのではないかと思うのです。
以上書きましたことは私自身の現在の心を書かせていただいたので、それをもって親鸞聖人のお心を計るのは大変な失礼にあたるかもしれませんが書かせていただきました。

この直後に法然上人とお逢いし、聖人の不安や疑問が一挙の瓦解し信心決定されましたので、真宗の教理の出発点といいますか核となるべきものがこの六角堂参籠時代にあったと思うのですがいかがでしょうか。

皆様はどのようにお考えでしょうか。
お叱りでも結構ですのでご意見くださると幸いです。

●re.1
菩提心
非公開の非公開
[ 2770 ] Re1:親鸞聖人ご自身の信 2012/07/10 (Tue) 07:30 △up ▽down
御参考までに一読お願い致します。

通俗親鸞聖人御一代記より

第三章  (百夜の参籠)

生死の大問題について聖人の煩悶は日を追ってその極点に達して来た、語るに友なく訴うに師を得ず、只便りととしたまうは神佛の加護であります。
そこで二十八歳の十月一日から三十七日の間根本中堂の薬師如来や山王七社へ御参籠なされて、何とぞ末代有縁の法に値して下され、どうぞ真の知識を授けさせられ出離の大道を教えて下されませとお祈りなされたけれども、あわれ何のお告げもなかったのであります。

三たびわが聖人は大乗院へお閉じ籠りになりました。
それは同じ年の十二月上旬の寒気肌を刺すような時でありました。
この度は密行とて終日終夜人が入ることも、人に会うこともなさらぬのであります。
侍従の正詮房は不審に思はれ、或夜ひそかに聖人の御様子を窺うて居らるゝと、わが聖人は夜半すぎ丑満つる頃谷底へ降りさせられ氷を砕いて水垢離を取り、それから院へお帰りなさると、堂内に薦(こも)を布いてその上に趺座(ふざ)し、かつて十九の御時磯長(しなが)の御廟で受けさせられた聖徳太子の霊告である『我三尊化塵沙界、日域大乗相応地、諦聴々々我教令、汝命根応十余歳』と絶ゆるがように消えざるがように、時々合掌なされてはうなずきてお唱えなさるのである、又時には泣くが如く訴えるが如く、この範宴の命も今年限りで御座います、今となりて未来の明るみが見つからず、このまゝ死ねば二八年の長き月日は木や石の様に値打ちのないもので御座います。
何卒出離の要津(ようしん)を教えて下さいませと、そのあわれなお声は火影暗き室に沁み渡り、思わず正詮房も身ぶるい致しました。

いよいよ三七日満願の夜となりました。
もう聖人は身心ともお疲れなされ出るものは涙と涸れたお声ばかりである、その夜丁度暁近くでありました、不思議にも妙なるお声で、
『善哉々々汝が願い将に満足せん、善哉々々我が願い将に亦満足せん』
夢にもあらう、現つにもあらず、この如意輪観音から霊告をお受けなされたわが聖人は深くお喜びなされたが、その年もいつしか暮れていよいよ二十九の春をお迎えになりました。

如意輪観音の霊告は暗い聖人の御心の中へ一道の光を加えれたのであります。
そこでこの度聖人は更に猛心を起こしたまい、その年の一月十日から洛陽六角堂の観音へ百夜の祈願を籠めようとせられたのであります。
どういう理由で六角堂をお選びになったかと申せば、この六角堂の御本尊も大乗院の御本尊も、同じ如意輪観音様であるし、ことに十九の御時に霊告をお受けになった聖徳太子の御建なされた由緒があるからであります。
まだ春とは言いながら一月です。雪や氷は踏みわけさせられ、毎夜草鞋掛できらゝ坂を百夜の御通いであります。吾々は吸うてみることも叶いませぬ。

丁度満願の三月十二日の夜でありました。
六角堂の観音様は、末代出離の要路は念仏に如くなし法然上人今苦海を度す、彼所に至り手出離の養津を問うべし、とアリアリと示現なされました。
これを「嘆徳文」にはあゆみを六角の精舎にはこび百日の懇念をいたすところ、まのあたり告げを五更の孤枕に得てと仰せられてあります。

翌十三日であります、わが聖人は六角堂へと志したまいわら草履で加茂川のほとりまでお出でになりますと、思いがけなく安居院の聖覚法印にお出遇いなされました。お互いに旧知の間柄で間柄でありますから、わが聖人は日頃御所存のありのままを具にお物語遊ばすと聖覚法印は、ハタと横手を打ちて、「さてさて貴僧はまだ御存じなさなぬか、今東山吉水は法然上人と申す方が、専修念仏の法を弘めたまい、誠に末代の明師、出離の要津この上もない有難いことで御座います、拙僧も近頃彼の上人の弟子となりました。貴僧も早やゝゝ参詣せられよ」と、委細のお物語、わが聖人は昨夜お受けなされた霊告を思い合わせ給い、これこそ法印の教えではない、如意輪観音のお引合せと涙を袖は絞りてお喜びなされました。

聖覚法印は、「拙僧もこれから吉水へ参ろうと思うております、いざご案内」と手を取らんばかりにせらるゝので、わが聖人は、「貴僧の御親切は身に沁みて有難うござりますけれども、六角堂へお礼参りをいたしたくもあり、先ず今日は山へ帰り師匠へもこの旨申し上げ、弟子の者へもよく申し聞かせ、明日吉水の禅房へ推参しようと思いますから、何分貴僧より宜しくお取次の程を願います」とお別れになり、さてその日叡山へお帰りなされた聖人は、お弟子方に向かわせられ、「自分が一月以来六角堂に百夜の祈誓をこめたは外でもない、出離の要路を教えて下されとお願いした所、昨夜救世観音のお告げに今吉水のほとりに知識あり、それを尋ねて法を求めよ」と仰せられたれば、「自分は今これからお師匠様にお暇を願い、吉水に入門しようと存ずる、御身達も長々とこの不徳の範宴に随従してくれしこと厚く御礼を申すぞ、これからはますます仏道修行に精出してくれるよう」と仰せられ、それから慈鎮和尚の御許にお出でになり、年来御所存の程を詳しく申し上げられ、お暇を賜るようお願いなさると、さすがの慈鎮和尚も驚かせられ、「其方は幼年より才智すぐれ、抜群の法器であったから、余も特別に心を用いてきたので、今更手放すということは実に惜しいけれどもしかし、出離の大事にはかへ難し、今はその方の望みに任すがよかろう」と仰せられたので、聖人は年来洪恩何時の世にか報じ申すことができましょうと、厚く御礼を申しのべさせられ涙ながらに御前を退出せられました。

「浄土宗の中に真あり仮あり、真というは、選択本願なり、仮というは定散二善なり、選択本願は浄土真宗なり、定散二善は方便仮門なり、浄土真宗は大乗中の至極なり(末灯鈔)


我々末代の為に、親鸞聖人、法然上人とこの世にお生まれになられ、艱難辛苦されてこられたお陰で、「専修念仏」が世に広まったのでしょう。

かめ様も、佛縁深き方だと思います。

きっとこのように、阿弥陀様の御縁は、後生助かりたいと思う人には、色々な縁を結んで下さると思います。

ご質問のお陰で、親鸞聖人の御一代の一部を拝見させて頂きました。

深く感謝申し上げます。   南無阿弥陀仏


●re.2
菩提心
非公開の非公開
[ 2771 ] かめ様のお陰で 2012/07/11 (Wed) 11:49 △up ▽down
かめ様

通俗聖人御一代記  は「大富秀賢」氏の御著書でした。

私は、この本は、吉崎御坊のおみやげの店の中で求めました。

今改めて拝読させて頂くと、よく浄土真宗ということが理解できます。

又近代デジタルライブラリーで検索しましたら、香樹院師の編集もしておられました。

すごく嬉しくなって、今週中にUSBメモリに取り込むつもりです。

かめ様も、一度取り込んでから読んでみると、よく理解出来ると思います。

御縁頂き有難うございました。

●re.3
かめ
非公開の男性
[ 2772 ] Re1:かめ様のお陰で 2012/07/11 (Wed) 22:28 △up ▽down
菩提心様、こんなに長い文章を書き写してくださってどうも有難うございます。
大変なご苦労だったと思います。

こちらの文章は初めて読ませていただきました。
当時の聖人のどうしようもないお気持ちが見えてきそうで、非常に助けとなります。
この頃の聖人はご自分の命がもうないという実感がおありだったのですね。
そのことを忘れていました。

私には根無し草という感覚はありますが、自身が欲深く罪深くとても助かる身ではないという感覚はあまりありません。
ましてや自分ほど罪深い人間はいないとは口が裂けても言うことはできません。
どうしてもどこかに自分を誇ってしまう心があります。
自分が善人だとは思いませんが、自分が人間の中で最も悪い人間だとも思いません。
切羽詰っているようでいて、実は今生きているということにあぐらをかいているのかもしれないと感じました。
出離の縁はないのですよね。

機の深信というお言葉もありますが、それは自己暗示のように自身に言い聞かせれば良いものなのか、それとも厳しく自己反省を重ねる内に自身の罪深さが見えてくるものなのだろうか、などとまた考えてしまいます。
とりあえずのところは反省が大切なことは間違いがないと考えますので、厳しく自己を顧みていこうとは思いますが。


デジタルライブラリーというものがあるのですね。
お教え下さいましてどうもありがとうございます。こんなに便利なものがあるのですね。利用させていただきます。

私の方こそご縁に感謝致します。
どうも有難うございました。



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