浄土真宗の教義について

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●No.161
一凡夫
非公開の男性
[ 2559 ] お久しぶりです 2011/10/18 (Tue) 20:13 △up ▽down
幾つか下の書き込みに書き込みをし、それ以来ここに来ておりませんでした。

こちらの皆様はいかがかなと思い、久しぶりに尋ねてみましたが、

皆様、お元気で、信心を確固と相続されておられるようで、安心しました。

嗚呼、何と阿弥陀様の本願の誓いの尊さよ。

南无阿彌陀佛

●re.1
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2560 ] Re1:お久しぶりです 2011/10/20 (Thu) 03:38 △up ▽down
一凡夫さま、こんばんは。

また、ご登場いただきまして、とてもうれしく思います。

これを機会に、この類まれな掲示板を盛り上げていただければ、うれしく思います。

どうぞよろしくお願いします。

南无阿彌陀佛


●re.2
一凡夫
非公開の男性
[ 2564 ] Re2:お久しぶりです 2011/10/23 (Sun) 05:41 △up ▽down
ボン様、ご返信ありがとうございます。

こちらに書き込みをさせていただいた後、ちょっと多忙となり、
ご返信へのお礼が遅れまして、申し訳ありませんでした。

皆様、日々念念相続され、信心歓喜されておられること、同朋としてうれしく
思います。


先日、ふと鈴木大拙の著書を久しぶりに手にしてみました。
鈴木大拙と言えば「禅」。しかし、彼は真宗に関する著作も非常に多いのです。
理由は、「禅」の境地と、「念仏」が至る境地(主に妙好人を取り上げていますが)が、
非常に似ているからです。鈴木大拙は、真宗の中に真実を見いだしていたため、
『教行信証』を英訳したりしたんでしょうね。

大拙の言葉の中に、「念仏は相対性を超え、内なる自己に達することであり、
往生とは禅でいうところの「悟り」であり、浄土は死後の世界のことではなく、
今ここに現前することである」という旨の言葉があるほどです。
つまり、現生正定聚についてまで言及しているのです。


タイなどの上座部仏教の僧侶が日本にもおられるようで、釈尊と同じ
正覚を求めている若者も少なからずいるようです。
その僧侶達は、「日本の禅ではそういう境地には入れない」と言っているようです。
しかし、例えば道元などの言葉を読むと、他宗とは言え、鋭いことをおっしゃっています。

「自己をはこびて万法を修証するを迷とす。万法すすみて自己を修証するはさとりなり。」と。

人間が頭で考えて真実を掴もうとしたり、悟りを開こうとしても「迷い」の世界に
入るということです。逆に、一切の存在が、あちらのほうから現われてきて、
私達に気付かせてくれるのが、さとりである、と道元は言っているわけです。
さすがに、一つの道を生涯を掛けて進んだ偉人であると思います。

大拙も、道元も、人間が理屈で考えても真理は見えてこないという点で同じことを
言っています。咀嚼して言えば、人間が自己を捨て、万策尽きた時に、
真実は向こうからやってくるということでしょう。

そういう観点から考えても、親鸞聖人が如何に深い境地におられたかを切々と感じます。

念仏して信心を取りたいと幾ら頑張っても無理なことに気付かず、いたずらに一生を
送る方がほとんどでしょう。「信心を取る」という言葉が悪いのかもしれません。
信心は、我々がもうバンザイですと自己の無能を知り、自我が崩壊して倒れたその一瞬、
我々に与えられるのです。

有り難いことです。実に有り難いことです。

長くなりました。つれづれなるままに書かせていただきました。
乱文お許しくださいませ。


南无阿彌陀佛

●re.3
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2565 ] Re3:お久しぶりです 2011/10/24 (Mon) 00:39 △up ▽down
一凡夫さま、こんばんは。

さっそく、お書き込みをいただきまして、ありがとうございます。

鈴木大拙という方につきましては、まったく存じ上げませんでしたので、とても勉強にな
ります。教行信証なども含めて、仏典の英訳を多数なされているようで、素晴らしいこと
です。

私の家系が、代々、曹洞宗の檀家になっておりますので、道元の名前ぐらいは知っており
ます。檀家とはいっても、葬式やいわゆる法事をするくらいのもので、これといって何の
知識もありませんので、道元のお話もまた、興味深く承りました。

>「自己をはこびて万法を修証するを迷とす。万法すすみて自己を修証するはさとりなり。」と。

この言葉は、浄土真宗のお坊さんの言葉と言われても、素直に受け止めてしまいそうです。
やはり、曹洞宗も、浄土真宗も、釈迦一代の法なので、あい通ずるところがあるのでしょ
うね。

私などは、心が狭いものですから、一旦、真宗の御一流で救われたと思い込むと、無意識
のうちに、他の宗派を軽んじてしまう傾向があるようですが、やはり、それ相応の敬意を
払うべきものだということが、少しは理解できたような気がいたします。

どうもありがとうございました。

南无阿彌陀佛

●re.4
一凡夫
非公開の男性
[ 2566 ] Re4:お久しぶりです 2011/10/24 (Mon) 02:17 △up ▽down
ボンさま

こんばんは。私はもう50代の初老の域に入っておりますが、若い頃はそれはそれは
悩んだものです。分かりもせずに、色んな本を読みました。その結果、御一流に救われ
たわけです。

法然上人も、親鸞聖人も、釈迦一代の教は全てを読んで理解されていたでしょう。
その中から、間違いなく、浄土三部経のみが釈尊の真意であり、三毒にまみれた
我々が救われる道はこれ以外にはない、と確信するに至ったわけです。

しかし、他宗の人間も自己が信ずるところを最も優れたものであると考えているわけ
ですから、これを誹謗してはいけませんね。

>私などは、心が狭いものですから、一旦、真宗の御一流で救われたと思い込むと、
>無意識のうちに、他の宗派を軽んじてしまう傾向があるようです

これは私も同じです。ただ、自分の経験からしても、救いを求めて彷徨っている
人々ですから、獲信させていただいた我々は、腹を立てることなく、他宗を誹謗する
ことなく、そういう人々の中から、宿縁のある方々に六字名号の謂れを命ある間に
聞いていただきたいという気持ちをも持たなければならないと常々思います。

タイやスリランカに行き出家しようとまで思い詰める若者。どんなに頑張っても悟り
などは開けないわけですが、彼らの真摯な思いは尊重してあげるべきですね。
それが後世の宿善となるわけですから。

時に、難度海を渡する大船に乗っていることのありがたみを忘れ、腹を立てたり、
ムキになったりするのが我々凡夫です。

「念仏を被る」の部分を大変興味深く読ませていただきました。
獲信者が「なむあみだぶつ」と念ずると、阿弥陀様も「なむあみだぶつ」と我々を
念じてくださいます。

誠に有り難いことです。


南无阿彌陀佛



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