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[ 107 ] 人生の目的とは
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2007/12/08 (Sat) 05:38
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毎日様、泥凡夫様、
「なぜ生きる」一部の見出しには 苦しくとも生きねばならぬ理由は何か @幸せはいとも簡単に崩れ去る A人生は地球より重い、なぜそういわれる? B「辛抱して生きつづけること」それが人生の目的なのか? C「なんと生きるとはすばらしいことか!」人生の目的を達成すれば、現在の一瞬一瞬が、かの星々よりも光彩を放つ D生きる意味を知って働け。さすれば、苦労も悲しみも報われる E幸福の歓喜のただ中に、思わぬ落とし穴が F幸せなのは夢を追う過程 達成すると色あせる「目標」 G人類の、びくともしない巨大な壁
僕には、まだよく分らないのですが、 人生には目的があると思って、人生を歩んでいるものなのでしょうか? 「信心決定」するのが、人生の目的なのですか?
でも、信心決定するには、今生だけでなく、過去世の宿業で決まるのではないのですか?
人生には目的がある→それが信心決定することである→それが出来ないものは八万劫中、無間地獄に堕ちて苦しむ
まあ、僕はそのように聞いてきたので、死ぬのは怖いし、しかしこのまま聞いていても助かる術はないと長年苦しんできました。
人生の目的をどのように思われますか
僕は、歌の題名ではありませんが「人生色々」だと思うのですが、こういう考え方はいけないのでしょうか?
教えて頂きたく思います。
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●re.1
admin |
毎日 |
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[ 108 ] Re1:人生の目的とは
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2007/12/08 (Sat) 15:41
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おやおや 様
御釈迦様が説かれたお話の中に、四諦というものがあるのです。(「諦」は「真理」という意味です。)
「苦集滅道」と言います。
苦諦とは、「生きることは、苦である」
集諦とは、「苦には、原因がある」
滅諦とは、「その原因は、滅することができる」
道諦とは、「滅する方法は、八つの正しい道である」
ですから、本来は、「目的がある」というよりも、「生きることは、苦である」ということなのです。
私たちは、怒ったり、妬んだり、憎んだり、文句を言ったり、そんなことばかりでしょう?
苦しみばかりじゃないですか。
よろこびがあっても、それを失うんじゃないかと恐れる。
逃げ道がないんじゃないかと思うくらい、苦しみだらけなのです。
そんな苦しみから逃れる道を、御釈迦様はたくさん示してくださいました。
本当に、たくさんたくさん、示してくださいました。
そして、そのどれもが、本当の道なのです。
御釈迦様は、如来ですから、四つの無量の心をお持ちでいらっしゃいます。
そこで、私たちの、苦しみを除こうとされたのです。
弥陀の救いがわかる方には、弥陀の救いのお話をされました。
そうでない方には、その方のためのお話をされました。
その教えを聞いたひとりひとりの方が、皆そのお話を大切にして、そして、今に伝えてきてくださっています。
このようにして、たくさんのお話をなさった後で、私たちに必要なすべてのお話がおわりましたので、ご入滅になりました。
これら全て、私たちには、はかり知ることのできない智慧で、その後どうなるかまで見抜いた上で、取られた行動なのです。
その結果、おやおや様は、釈尊のあわれみにより、弥陀のあわれみにより、楽であること限りない極楽浄土へと、救い摂られるのです。
2500年の壁は、釈尊にとっては、壁ではありません。当然、見通しておられたはずです。
私たちの側に目的があるというよりも、苦しくてどうしようもないのに、それを認めることすらできない私たちの側に目的があるというよりも、さまざまな如来の側に願があり、行があり、縁のない私たちを救おうとしてくださり、長大なる時間をかけて、縁をつくり、救ってくださったのです。
私は、ただただ感謝するばかりです。
浄土に参りますと、諸菩薩にお会いすることもできれば、仲間に加えていただくこともできます。
神通のある身同士、今度はどこに済度に往こうかと、楽しいご相談です。
私たちは、おろかだからこそ、抜擢されたのですね。
それを、よろこぼうではありませんか。
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[ 109 ] Re2:人生の目的とは
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2007/12/09 (Sun) 04:53
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毎日様
>私たちは、おろかだからこそ、抜擢されたのです。それを、よろこぼうではありませんか。
大教下巻 「人在世間 愛欲之中 独生独死 独去独来」 「人世間愛欲の中に在りて独り生じ独り死し独り去り独り来る」
僕は、今日こそ、心底、自分は孤独だと知らされたことは有りません。
例え、兄弟であろうと、親友であろうと、人は人を理解しては貰えないと思いました。
すぐ側で、その息遣いが分っても、その姿が分っても、その表情態度が分っても、僕も相手の気持を分ってもあげられないし、又の本当の気持を酌んでもらえないのだと思いました。
でも、だからこそ、そんな僕をずっとずっと、阿弥陀仏は僕を見守って下さっておられたと思うと、ただご恩報謝の念仏と、涙だけが出てくるだけです。
本当に、今生で救われて良かった。
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●re.3
admin |
毎日 |
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[ 110 ] Re3:人生の目的とは
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2007/12/09 (Sun) 05:42
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おやおや 様
大経には、仏教の素晴らしい教えがたくさん書いてあります。
本当に、ひとりのしのぎのこの道です。
何があっても、「なむあみだぶつ」と、無碍の一道を歩んでゆきます。
ご同行、ご同心は、この道を共に讃嘆するときの姿であって、皆、凡夫でもあるのです。
さまざまな方を目にするとき、どんな悪人でも、どのような方でも救う弥陀の清浄な心の素晴らしさがわかります。
そして、そのために、どのような方でも救うために、法蔵菩薩様は、一瞬たりともイヤだなと思ったり、怒ったこともないのです。だからこそ、成就した光明です。
どれほど、法蔵菩薩様の覚悟が深かったか、わかります。
私たち凡夫の覚悟など、浅い上に、末通りません。
そして、法然上人の選んでくださった三部教に、間違いはありません。
この3つに、意味があるのです。
お経様の価値は、はかり知れず、そこに秘められた佛智にも、限りがありません。
人間の言葉で書いてありますが、私たちがふだん使っている言葉とは、別のものです。
信をいただいて、後世のしあわせには、阿弥陀経です。
くり返し行うことが勧められていることは、信後の相続のためのものだということをわかっていると、やることも、大体分かります。
まずは、意味がわかるもの、現代語訳や、書き下しを読んでください。
浄土の荘厳さが理解できれば、厳密なことを考える必要はありません。
そのようにして、大体の意味がわかってから、漢字のお経を繰り返し上げて、そしてまた意味がわからないところがあったら、調べて上げてみて下さい。
なぜ、阿弥陀経を繰り返し上げるのかと言えば、単に「短いから」ではありません。
そして、小経をあげるのが面倒だとしても、「南無阿彌陀佛」があります。
何があっても、「なむあみだぶつ」これで良くなるのだということを、意識して、口に出してみて下さい。
どんなことがあっても、浄土に往けるように、整えてくださっているだけなのです。
ものすごくたくさんの悪因があり、そして、悪果に向けてひらきはじめているものがあり、これは、既に因から果に転じており、時間の流れの中で現れてきます。
一念帰命のときに、残っている悪因は、すべて消していただいていますので、既に果へと転じているものが、すべて開き終わったところで、私たちは浄土へと参ります。
悪いことがあっても、悪因が悪果になってでてきているだけだと、これで良くなるのだと、なんてありがたいんだろう、と思って(言って)、そんな気持ちで「なむあみだぶつ」と言って行ってください。
弥陀は後世のことも、忘れていません。相続してゆけば、本当に、しあわせにしてくださいます。
南无阿彌陀佛
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[ 111 ] Re4:人生の目的とは
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2007/12/09 (Sun) 06:34
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毎日様
つくづくこのHPを立ち上げてくださって有り難いと思います。
リンク先の経典や七高僧方のご著書等を、すぐ開けて拝読させて頂いています。
益々、内容も充実していくことでしょう。
今、僕には、直接仏法を、お話して頂ける人がいません。
でも、ここには、仏典等も拝読出来、
又、毎日様、泥凡夫様が、質問すれば教えて下さいます。
それも、雨、風、雪の中を足を運ぶこともなく、机の前で教えを頂ける身が幸せです。
お忙しい中、本当に有難うございます。
そして、愚鈍な僕をいつも温かくお言葉かけ下さいまして、心から嬉しいです。感謝しております。
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●re.5
admin |
毎日 |
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[ 112 ] Re5:人生の目的とは
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2007/12/09 (Sun) 07:31
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おやおや 様
ご聖典を公開してくださっている方々がいらっしゃることを、本当にありがたいと思い、感謝しています。
インターネットには、図書館以上に便利な特性があります。
私も、足を運ぶことなくして、こうしておやおや様とお話できることを、深く感謝しているのです。
人間関係で、何かイヤなことがあったときには、「阿弥陀様は、どんな人でも救うんだな。そして、そのために、ものすごい苦労をなさって、一瞬たりとも、怒ったことも、ないんだな」と思い出して(言って)みてください。
そして、どんなことがあっても、「これで、良くなるんだな。どんどん出てきていいよ。どんどん、消しちゃうから」と思って(言って)ください。
次第に、出来事が変わります。
ことばを口に出すとき、意業がかかわってくるのですが、「本音」と言われる深い部分で何を考えているかが大切です。しかし、弥陀はさらにそのもっと深い部分に信心を入れてくださっていますから、心の底の底に、最高の信心をいだいて、ことばを出すことができます。
このため、信後のことばは、質が違うのです。
信心いただけば、もう何もしなくても極楽往生は治定していますし、残された後世をどんどん幸せにすることもできますし、そうして弥陀の光を輝かせているうちに、お手引きのご縁を、いただけることもあると思います。
そうして、素晴らしい仲間の輪が広がってきて、これもすべて、弥陀のおかげなのです。なんとありがたいことでしょう。
弥陀は、どこまでも私たちをしあわせにしてくださいます。
信心為先。素晴らしい原因をいただいたのですから、素晴らしい結果が、次々と付いてくるのです。
自分で善因を作れない私たち。その私たちが、この上無き善を為すことができたのですから、他力と申す他はありません。
変化は少しずつですが、確実に起こります。
南无阿彌陀佛
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