浄土真宗の教義について

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●No.157
唯物信者
海外の男性

↑唯物信者様宛にメール
[ 2516 ] 一休和尚vs連如上人 2011/08/02 (Tue) 17:42 △up ▽down

他力の心を表現した面白い歌をみましたので書き込みます

その昔、一休和尚が親交のあった蓮如上人に歌を送った

「阿弥陀には、まことの慈悲は、なかりけり、
       たのむ衆生を、のみぞたすくる」-----一休和尚


コレに対し蓮如上人の返歌は

「阿弥陀には、へだつる心は、なけれども、
       蓋(ふた)ある水に、月は宿らじ」

阿弥陀様のご慈悲の光はすべてに平等に注がれているのに、光をいただく、
衆生の側で心に蓋(ふた)をしていたのでは映るもの映らない=いただけるものも、いただけない。

問題は我々(私)の側なんだなあ!!     
      

●re.1
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2517 ] Re1:一休和尚vs連如上人 2011/08/03 (Wed) 00:26 △up ▽down
唯物信者さま

まったく、おっしゃるとおりです。
やっとつかみかけたご縁を、くれぐれも大事にしてください。

南无阿彌陀佛

●re.2
サラ
非公開の非公開
[ 2520 ] Re2:一休和尚vs連如上人 2011/08/04 (Thu) 11:48 △up ▽down
唯物信者さま

法然聖人も、同じようにうたわれています。

  月影のいたらぬ里はなけれども
       ながむる人のこゝろにぞすむ

  往生はよにやすけれとみな人の
       まことのこゝろなくてこそせね


親鸞聖人は、信巻(本)の最後に、

 それ「自障」は愛にしくなし。「自蔽」は疑にしくなし。
 ただ疑・愛の二心了に障碍なからしむるは、すなわち浄土の一門なり。

と。
疑いが蓋になっているというが、私たち凡夫は、この「疑い」が問題にならない。


また、三信いずれも、「疑蓋無雜」が説かれてます。

・如来の至心をもって、諸有の一切煩悩・悪業・邪智の群生海に回施したまえり。則ち是れ利他の真心を彰す。故に、疑蓋雑わること無し。(至心)
・何をもってのゆえに、正しく如来、菩薩の行を行じたまいし時、三業の所修、乃至一念・一刹那も疑蓋雑わることなきに由ってなり。(信楽)
・欲生はすなわちこれ回向心なり。これすなわち大悲心なるがゆえに、疑蓋雑わることなし。(欲生)

(至心)以如來至心回施諸有一切煩惱惡業邪智群生海。則是彰利他眞心。故疑蓋無雜。
(信楽)何以故、正由如來行菩薩行時、三業所修、乃至一念一刹那、疑蓋無雜。
(欲生)欲生即是廻向心。斯則大悲心、故疑蓋無雜。


理解しては超えられないので、よくよく聞いてください。

●re.3
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2523 ] Re3:一休和尚vs連如上人 2011/08/08 (Mon) 00:11 △up ▽down
サラさま、唯物信者さま、皆さま、こんばんは。

> それ「自障」は愛にしくなし。「自蔽」は疑にしくなし。
> ただ疑・愛の二心了に障碍なからしむるは、すなわち浄土の一門なり。
>
>と。
>疑いが蓋になっているというが、私たち凡夫は、この「疑い」が問題にならない。

この「凡夫は疑いが問題にならない」というのは、とてもうれしいですね。
浄土一門は、疑いの心があっても、それを差し障りのないものにするということですよね。
私のような疑り深い人間にとっては、心強い言葉です。

しかし、それも浄土一門に入らなければ、その限りではないということですね。
まずは、門に入ることですね。門に入ってから、すべてが始まります。

>理解しては超えられないので、よくよく聞いてください。

まったく、おっしゃるとおりですね。
超えてから(門に入ってから、聞いてから)、少しずつ「理解」することが可能になった
くるのだと思います。

唯物信者さま、わき目をふらず、まっすぐに、目の前の門に向かって歩いてきてください。


南无阿彌陀佛

●re.4
サラ
非公開の非公開
[ 2526 ] Re4:一休和尚vs連如上人 2011/08/08 (Mon) 14:45 △up ▽down
>私のような疑り深い人間にとっては、心強い言葉です。

こんなふうに、「自分が疑っている」と、自分の疑いが問題にならないのが凡夫。
自分が疑っていると知れないうちは、自分の疑いが問題にならない身にはなれない。


●ある師の言葉。「疑起す人少し」

 疑といふものは、流転のきづなにして、これはどおそろしいものはない。
 然るところ、この疑は、往生に望みがおこらねば、疑はおこらぬそれゆゑに、疑のおこる人さへも少ない。おこる人さへすくないからは、晴れた日とは猶々少ない、夫れぢやほどに云云

●re.5
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2527 ] Re5:一休和尚vs連如上人 2011/08/12 (Fri) 02:19 △up ▽down
サラさま、こんばんは。

心から疑いなく信じているとは言い切れない自分について、いったいどう考えたらいいの
かと、長いことわだかまっておりました。

このような私にとって、サラさまは、うれしくもありがたいことをおっしゃっていただい
ているような気がするのですが、おっしゃることを間違って受け止めてはいけないと思い
ますので、確認のために質問をさせていただきたく存じます。

>ただ疑・愛の二心了に障碍なからしむるは、すなわち浄土の一門なり。
>疑いが蓋になっているというが、私たち凡夫は、この「疑い」が問題にならない。
>こんなふうに、「自分が疑っている」と、自分の疑いが問題にならないのが凡夫。

「浄土の一門に入った凡夫は、自分の疑いが往生の妨げにならない」と理解してよろしい
のですね。

>自分が疑っていると知れないうちは、自分の疑いが問題にならない身にはなれない。

「自分が疑っていることを自覚しないうちは、自分の疑いが往生の妨げにならない身には
なれない」と理解してよろしいでしょうか。そうすると、「自分が疑っていることを自覚
しないうちは、その自覚していない疑いが往生の妨げになってしまう。つまり、往生もお
ぼつかない身である。」ということになりますよね。

もし、そうだとすると、そこに2つの前提があるように思います。

(1) 我々凡夫には、疑う心はつきものだ。
(2) その疑う心が、本願(18願)に向けられることも、避けられない。

さらに、次のようにおっしゃいます。

>この疑は、往生に望みがおこらねば、疑はおこらぬ

つまり、極楽往生したいという気持ちが起こらなかったら、本願に対する疑いも起こらな
い、ということですね。

逆にいえば、本願に対する疑いがある者には、極楽往生したいという気持ちが起こってい
る、ということになります。

さらに言えば、疑う心は、すべての極楽往生したい者に起こるわけではないが、極楽往生
したい者のなかに、ごく普通に起こるありふれたものである、ということになりますでし
ょうか。

サラさまのおっしゃることを、以上のように解釈してよろしいですか。それとも、これは、
拡大解釈のしすぎでしょうか。あるいは、なにかを捻じ曲げておりますでしょうか。

私のような疑い深い者は、このような前提に立つと、自分を否定する必要もなく、また、
むしろ自分の現状をそのまま肯定することになるので、とても気が楽になるのです。

逆にいえば、疑う自分を肯定できなければ、その自分を否定しなければならず、しかも、
どんなに否定しようと思っても、「疑う心はやはりある」と思うほかなく、そうなると、
どこかで思考停止をして「まあ、いいか」と思うほかないわけです。

しかし、とりあえず「まあ、いいか」と思ってはみても、心の底に「やはり、それではい
けないのではないか」という罪悪感がくすぶり続けて、いつまでたっても心の安心は得ら
れないというのが、今の私の偽らざる心境なのです。

だから、上記のように理解すると、私個人としては気が楽で、救われたような気になるの
ですが、しかし、他の皆さまのご意見をうかがうと、どうもこのような理解ではいけない
ような雰囲気があるのです。

たとえば、以下のようなご指摘があります。

>念仏行者の疑いは、一つは彌陀の誓願を疑う事、二つには誓願は疑わないが
>経論釈が理解出来ずに疑う、の二つ有るのです。・・・(二つ目の疑いはいいけれど)
>一つ目の疑いを持続して身失に至れば救われないのです。

あるいは、次のようなご指摘もいただいております。

>往生に関する疑いが拭い取る事が出来ないのであれば、「化土行き」だとも思っています。

「化土行き」なら、化土も浄土のうちだからまだいいとして、「救われない」となると、
容易ならざることなので、本願を疑うことも含めてあたりまえのことだといわれると、
やはり、そこに飛びつきたくなるというわけなのです。

サラさま、どうか、サラさまのおっしゃることの、正しい理解を教えてください。


唯物信者さまへ
こんなあやふやな考えで申し訳ないのですが、こんな私でも「聞く」以外に後生が救われ
る方法はないと思っているです。それだけは間違いのないことだと確信しております。
どうか、まっすぐに門に向かってきてください。


南无阿彌陀佛

●re.6
サラ
非公開の非公開
[ 2530 ] Re6:一休和尚vs連如上人 2011/08/12 (Fri) 07:05 △up ▽down
ボン様

書き込み内容につきまして、何度かやりとりしながらお話ししたいと思いますので、直接メールさせて頂きます。宜しくお願いします。



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