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[ 2499 ] ただ弥陀におまかせするのみ
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2011/07/14 (Thu) 12:18
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現時点での私にはこの掲示板も100%消化できませんが、 いまやっていることは無条件に帰命することしかできません。
幼少より、虚弱体質で神経質、不眠症でよく眠れず自力でイロイロなことをやっても、ダメでしたが、念仏し始めて以降、ぐっすり眠れ、体調もよくなりました。
現生十種の益があるようですが、これはどれになるのでしょうか?
疑い心の塊ですが、それも無視して、自力か他力かの判断もつきませんが、ただ阿弥陀仏におまかせするのみです。
南無阿弥陀仏
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[ 2500 ] Re1:ただ弥陀におまかせするのみ
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2011/07/15 (Fri) 23:19
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唯物信者さま、こんばんは。
お念仏をあげることで体調が良くなったとのこと、何よりです。
と申し上げたいところなのですが、ご聖典のなかで、お念仏と体調との関係について触れ ている文言を私は存じ上げませんので、この点につきましては残念ながら何とも申し上げ ることができません。
いずれにしても、体調がよくなったことは何よりです。また、お念仏をあげることも、 けっこうなことだと思います。
「現生十種の益」については「教行信証」に出てきます。以下、引用します。
-------------------------------------------------------------------------------- 金剛の真心を獲得する者は、横に五趣・八難の道を超え、必ず現生に十種の益を獲。 (信巻) --------------------------------------------------------------------------------
この文章のあとに十種の項目を述べておりますが、ここで注目すべきなのは「金剛の真心 を獲得する者は」という限定がついていることです。つまり、「金剛の真心」をえたもの に「現生十種の益」がある、と考えてよろしいかと思います。
それでは、「金剛の真心」とは何か。これも、ご聖典から引用します。
-------------------------------------------------------------------------------- 能生清浄願心と言うは、金剛の真心を獲得するなり。本願力回向の大信心海なるがゆえに、 破壊すべからず。これを金剛のごとしと喩うるなり。(信巻) -------------------------------------------------------------------------------- 「能生清浄願往生心」といふは、無上の信心、金剛の真心を発起するなり、これは 如来回向の信楽なり。(愚禿鈔) -------------------------------------------------------------------------------- 金剛の真心、これを真実の信心と名づく。真実の信心には必ず名号を具す。(信巻) -------------------------------------------------------------------------------- いま三経を按ずるに、みな金剛の真心をもって最要とせり。真心すなわちこれ大信心なり。 (化土巻) --------------------------------------------------------------------------------
ここから言えることは、「金剛の真心」とは、阿弥陀如来から回向された大信心であって、 破壊できないものなので「金剛」に例えているのだということです。そして、それには、 名号(南无阿彌陀佛)がともなっており、三経(大経・観経・小経)の最も要となることだと いうことです。
また、「金剛の真心」と「金剛心」は同じことを指しているようですので、「金剛心」に ついて記述している部分も、ご聖典から引用してみます。
-------------------------------------------------------------------------------- 金剛心をえたる人は正定聚に住するゆゑに、臨終のときにあらず、かねて尋常のときより つねに摂護して捨てたまはざれば摂得往生と申すなり。(尊号真像銘文) -------------------------------------------------------------------------------- 弥陀他力の回向の誓願にあいたてまつりて、真実の信心をたまわりてよろこぶこころのさ だまるとき、摂取してすてられまいらせざるゆえに、金剛心になるときを、正定聚のくら いに住すとももうす。(末燈鈔) -------------------------------------------------------------------------------- 正定聚の位に定まるを「不退転に住す」とはのたまへるなり。この位に定まりぬれば、か ならず無上大涅槃にいたるべき身となるがゆゑに、「等正覚を成る」とも説き、・・・ 「即時入必定」とも申すなり。この真実信楽は他力横超の金剛心なり。(一念多念証文) -------------------------------------------------------------------------------- この信心の人を真の仏弟子といへり。この人を正念に住する人とす。この人は、 [阿弥陀仏]摂取して捨てたまはざれば、金剛心をえたる人と申すなり。(親鸞聖人御消息) --------------------------------------------------------------------------------
ここから言えることは、阿弥陀如来から「金剛の真心(金剛心)」をいただいた人は、ただ ちに往生を得て、正定聚に住し、退転することがないということです。そして、そのよう な人が、「現生十種の益」をうるということになります。
それでは、その「金剛の真心(金剛心)」は、どのようにして得られるかについて、以下、 ご聖典より引用します。
-------------------------------------------------------------------------------- この娑婆生死の五蘊所成の肉身いまだやぶれずといへども、生死流転の本源をつなぐ自力 の迷情、共発金剛心の一念にやぶれて、知識伝持の仏語に帰属するをこそ、「自力をすて て他力に帰する」ともなづけ、また「即得往生」ともならひはんべれ。(改邪鈔) --------------------------------------------------------------------------------
ここは大事なところだと思われますので、現代語に訳してみます。
-------------------------------------------------------------------------------- この娑婆に生死する五蘊からなる肉身は未だに終わっていなくても、生死を流転する本源 をつなぐ自力の迷いの情念が、共に発せられた金剛心の一念にやぶれて、善知識の伝え保 つ仏語に帰属することをこそ、「自力をすてて他力に帰する」といい、また「即得往生」 とも教わっている。(改邪鈔) --------------------------------------------------------------------------------
ここで「共に発せられた金剛心の一念」というのは、とても重要なポイントと思います。 「共に」というのは「仏と凡夫が共に」ということだと思います。これは、「憑む」のと ころでもご説明したように、仏が凡夫に乗り移ると考えてもよいかと思います。
「一念」というのは「一回の念仏」という意味もありますが、「短い一瞬のあいだ」とい う意味もあります。つまり、仏が乗り移って発せられて金剛心の一念(一回の念仏または 一瞬のあいだ)に、自力の心が破られて、善知識の伝える仏語に帰属ことによって、すな わち、「金剛の真心(金剛心)」が得られる、ということになります。
このようにして「金剛の真心(金剛心)」を得た場合に、「現生十種の益」が得られるとい うことですが、唯物信者さまは、お見受けしたところ、このような「金剛の真心(金剛心)」 を得ておられないように思います。したがって、必然的に「現生十種の益」も得ておられ ないと考えてよろしいかと思います。
まとめますと、お念仏を体調と直接つなげることはできませんし、まして、それが 「現生十種の益」のどれかにあてはまるなどということも考えにくいということです。
まだ申し上げたいことはあるのですが、長くなりますので、このくらいにしておきます。
何か間違いがございましたら、どなたでもご指摘ください。 どうぞよろしくお願いします。
南无阿彌陀佛
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[ 2501 ] 瞬間的/刹那的なお任せ
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2011/07/16 (Sat) 00:23
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ボン様/皆様コンバンワ レス有難うございます
瞬間的/刹那的にお任せし、その後はまた浅ましき疑い心に還り、また瞬間的なお任せの サイクルが続いています。
あっちに行ったり、こっちに来たりの頼りなさで、「現生十種の益」などと、十分理解できていない言葉を持ち出したのが、間違いでした。訂正及びお詫びいたします。
自己暗示かなにかわかりませんが、自分の体調が良くなったのは事実で、それなりに喜んでいます。
ふらふらした自分ですが、長い道のりになっても、この道を歩むしかないのではないか、 阿弥陀様にお任せするしか道はないようです。
ついていけるよう勉強しますので、ご指導よろしくお願いします。
南無阿弥陀仏
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[ 2502 ] Re1:瞬間的/刹那的なお任せ
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2011/07/16 (Sat) 22:46
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唯物信者さま、こんばんは。
なにか袋小路に入り込まれているようなご様子で、心が痛みます。
>瞬間的/刹那的にお任せし、その後はまた浅ましき疑い心に還り、また瞬間的なお任せの >サイクルが続いています。
すべてお任せをしようとしたり、また、疑いの心が湧き起こったりの繰り返しのなかで、 必死に自らの心をコントロールしよううと努力している姿が眼に浮かぶようです。
自分の心のなかに仏を思い浮かべて、その仏にすべてをお任せしようと思い、一瞬自我を 捨ててすべてお任せしたような気分になったとしても、次の瞬間にはその思いは脆くも崩 れ去り、「はたしてこんなことを続けて救われるのだろうか」「何か救われそうなサイト を発見して、なにかそれらしいことを言っているけども、あいつらの言うことを真に受け ていいんだろうか。」「そもそも阿弥陀さんが救ってくれるって本当なのだろうか」など といった疑念が次々と湧き上がり、また、それを必死で打ち消そうともがいているように お見受けします。
とても涙ぐましい努力をされているようですが、その延長線上に“悟りの境地”が待ち受 けているとお考えなのでしょうか。もし、そうだとしたら、それは“自力”の努力なので はないでしょうか。“他力”になろうとして、必死に“自力”の努力をしているのではな いでしょうか。(これについては私が誤解を与えたのではと少し責任を感じております。)
仏になる方法は、わかっている人に聞くほかありません。自分の観念のなかに閉じこもっ て、自分で精神修養をしようとしても何一つ解決しません。“羅刹の口に飛び込もうとす る行為”“白紙委任状を提出するという現実的な行為”が必要です。唯物信者さまも、 以前、以下のようにおっしゃっていたのではありませんか?
>>「何が何でもこの法を聞きたい。 >今生でこの法を聞くことが、後生の一大事だ。もともと悟って仏になれない身の上なら、 >仏にすがって仏になる法を聞くほかないではないか。」--------->今、この心境です。
そのよな心境なら、そのように行動すべきです。そのような心境に磨きをかけていっても それだけのことです。どこにも辿り着きません。
>ふらふらした自分ですが、長い道のりになっても、この道を歩むしかないのではないか、 >阿弥陀様にお任せするしか道はないようです。
所詮、私たち末代の凡夫は「ふらふらした」存在です。そのふらふらした足取りで「長い 道のり」を歩いていくのですか。阿弥陀様にお任せするというのは、そんな長い道の りを歩いていくことではありませんよ。足取りがおぼつかないなら、大船に乗せてもらっ て運んでもらったらいかがですか。
阿弥陀様にお任せするというのは「極楽行きの船」に乗せてもらうことだと思います。 船に乗るのに精神修養はいらないでしょう。「船に乗せてくれ」と頼めばいいだけです。 しかし、自分の健脚に自信のある方はなかなか頭を下げて頼めないんです。唯物信者さま は、ふらふらしていると自覚しているのですから、「船に乗せてくれ」と頼むのは難しい ことではないと思うのですが・・・。
ただ、その船に乗り込むには、2つのことが必要なようです。ひとつは、自分のおぼつか ない足ではぜったに極楽には辿り着かないとはっきりと自覚すること。もうひとつは、 「この船は極楽行きの船に違いない」と信じること、なのだそうです。
いくら、自分の足取りではおぼつかないとさとったとしても、「はたしてこの船は極楽行 きの船だろうか」と疑ったら、船に乗り込むことはできません。でも、ほかにそれらしい 船がなかったら、たまたま通りかかった船に乗り込むのも何かの因縁と割り切れるのでは ないでしょか。
前にも引用した「歎異抄」を、再度、引用します。
-------------------------------------------------------------------------------- 念仏は、まことに浄土に生るるたねにてやはんべらん、また地獄におつべき業にてやはん べるらん。総じてもつて存知せざるなり。たとひ法然聖人にすかされまゐらせて、念仏し て地獄におちたりとも、さらに後悔すべからず候ふ。そのゆゑは、自余の行もはげみて仏 に成るべかりける身が、念仏を申して地獄にもおちて候はばこそ、すかされたてまつりて といふ後悔も候はめ。いづれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞか し。(歎異抄) --------------------------------------------------------------------------------
もともと自分の足で歩いても極楽に辿り着かないのなら、たまたま乗り合わせた船が極楽 行きでなくても後悔はない、という心意気を述べているものと思います。
>ついていけるよう勉強しますので、ご指導よろしくお願いします。
はっきりと申し上げます。これ以上、ご聖典の勉強は必要ありません。この掲示板に記載 されている内容を100%理解する必要もありません。まず、仏法を聞く、あるいは、他力 の信心をいただくのが先です。
他力の信心は、例えて言えば、ジグゾーパズルのマスターピースのようなものです。それ がないと仏典はまるでチンプンカンプなようにできています。無数の法門があって、迷路 のように入り組んでいます。最後のマスターピースをカチッとはめると、ご聖典はすべて これに向かって引き入れるように書かれているのかと、だんだん読めてくるようです。
ちなみに、「金剛の真心」というのはあくまでも阿弥陀様にいただいたものですから、 私もいつもふらふらしているのは唯物信者さまとまったく同じです。私は船の中をふらふ ら歩き回っていても、船は確実に極楽に向かって進んでいるものと思っています。
言葉のきついところがありましたら、ごめんなさいね。
南无阿彌陀佛
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[ 2503 ] 信心決定された皆様へ
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2011/07/20 (Wed) 00:44
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ボン様及び信心決定された皆様へ
>“白紙委任状を提出するという現実的な行為”が必要です-------善知識様を探すことでしょう?>
今すべき具体的行動とは-------善知識を探すことでしょう?
極楽行きの船に乗せていただく-----その為にも、善知識に御逢いしなければ
私のような未信心決定者は信心決定された往相の方にメールでお願いする以外にその探し方がわかりません。メールしても返事がなければ、どうしたらいいのですか?
往相の方がたどうしたら善知識様に御逢いできるのか教えてください
南無阿弥陀仏
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[ 2506 ] Re1:信心決定された皆様へ
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2011/07/25 (Mon) 18:23
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唯物信者さま
はじめまして。 こちらの掲示板を拝見したことはありますが、書き込みは初めてです。
>私のような未信心決定者は信心決定された往相の方にメールでお願いする以外にその探し方がわかりません。メールしても返事がなければ、どうしたらいいのですか?
(1)手紙を書く。 (2)直接会いに行く。 (3)すぐ会ってもらえなさそうなら、その方のまわりの人で、とりついでもらえそうな人を探し、その人に(1)(2)を経て、善知識にとりついでもらう。 などなど
華厳経には、善財童子が百十人の善知識に会いに行かれた様が説かれています。
>往相の方がたどうしたら善知識様に御逢いできるのか教えてください
これで誰か教えてくれると幸いですが、自分を導いてくれる真の善知識に会えなければ、死んでも死にきれない。
7/14付けの書き込みに、 >いまやっていることは無条件に帰命することしかできません。
とありますが、「無条件に帰命」なったなら、浄土参り叶うので、心配ないですね。
凡夫は浄土参りの心が起こせないので、願も行も如来から回向されると教えられます。 <行巻> 言發願回向者、如來已發願・回施衆生行・之心也 (発願回向といふは、如来すでに発願して衆生の行を回施したまふの心なり。)
>ただ阿弥陀仏におまかせするのみです の心が、如来から回向されるので、合点したり分かったりしたら、いよいよ自分から縁切りするようなもの。分かるは、はからい増すばかり。聴聞で、分かった(つもり)や邪見が知らされてくると、「往生の信心は、釈迦・弥陀の御すすめによりておこる」ときいたる・・・か。
求める心あれば、真の善知識に会う日がくるのかもしれません。
ボンさま
はじめまして。
>>ついていけるよう勉強しますので、ご指導よろしくお願いします。
>はっきりと申し上げます。これ以上、ご聖典の勉強は必要ありません。この掲示板に記載されている内容を100%理解する必要もありません。まず、仏法を聞く、あるいは、他力の信心をいただくのが先です。
そうですよね。 法然上人の、以下の言葉を思い出しました。
<四十八巻伝> 仁和寺にすみける尼、上人にまいりて申やう。みづから千部の法華經をよむべきよし、宿願の事ありて七百部はすでによみをはれり。しかるにとしすでにたけ侍ぬ。のこりの功いかにしてをへ侍べしともおぼえ侍らずとなげき申ければ、としよりたまへる御身には、めでたく七百部まではよみ給へるものかな。のこりをば一向念佛になされ候べしと。
ただ念仏の信心、有り難し。
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[ 2507 ] Re2:信心決定された皆様へ
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2011/07/25 (Mon) 22:35
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ボン様
お久しぶりです。いつも有難うございます。
サラ様
はじめまして。
善知識様を探す手段は、メール送信欄もあることですし、随分楽になったと思います。
唯物信者様は海外にお住まいの御様子ですが、そんな方もきっと御縁頂ける時代が到来したように思います。
泥凡夫様がある場所で、「私などで何かのお役に立てることがございましたら何なりとお申し付け下さい。」と書いて下さいました。
しかし私には、インターネットの知識があまりなく、直接お会いできることも尋ねていく方法も分かりませんでした。
でも今この掲示板が存在しているのは、その泥凡夫様と毎日様がやりとり出来たお陰で、わたしも一味同行の身にさせて頂きました。
ご参考までに、有る方と泥凡夫様とのやりとりの写しを掲載します。
「>よく知りたらん人に相たずねよ」、「人の上下を問わずに聞け」
蓮師がこのように申されることから、あなた様はお気づきのことがございますでしょうか。蓮師が「私に聞け、私の説法聞け、私のところに来い、私が唯一の次第相承の善知識である」とは申されず、「よく知りたる人に尋ねよ」と言われるは、説法聞いておることと南无阿彌陀佛の六字を心得るはまったく別物であるのだということ。こればかりは「聞かねば逢えない」、宿善開発の機で無ければ聞くこと叶わぬ故でございます。
あなた様の上下を問わず聞かねばならぬ心得は結構なことでございます。ただ聞く相手が一流安心の方でなければどうにもなりません。故に私がうるさく申すこと、あなた様がお気付きになられたことをそのままぶつけて聞いて下さい。一流安心の同行はあなたの申すことをお分かりになります。 一大事の事、恥も外聞もございません故に。
何度も申しておりますが「往相」に手を引かれ「還相」に逢うのであります。 有縁の善知識に逢うがその方の道でございます。次第相承の善知識は全国何処にでもいらっしゃいます。僧籍にある方もあれば在家の方も居られます。「私は次第相承の善知識なり」と看板を掲げてございません故、往相に逢うことでございます。
往相の一人はここに居ります。」
なんと頼もしい書き込み。往相の人を尋ねれば、善知識にお逢いできる。
感謝と愚痴の日暮らしですが、こんなぐうたらな落ちこぼれの私を、弥陀は見捨てなかったという安堵感は消えずにあります。
そして今は、どんな道を歩もうが、私は私の道をただひたすら歩んでいくしかないと思っています。
南无阿彌陀佛
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[ 2508 ] Re3:信心決定された皆様へ
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2011/07/27 (Wed) 02:01
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サラさま、はじめまして。 菩提心さま、皆さま、こんばんは。
唯物信者さまが「法に遭いたい」という気持ちを強く持ち続け、結果的にご縁があります ようにと、心より願っております。
ここしばらく、この掲示板をとおしまして、唯物信者様と真剣にお話をする機会をいただ きまして、つくづくわが身の至らなさを痛感し、また、とても勉強になっております。
この掲示板をご提供くださっている毎日様と、ここに登場するすべての皆様に感謝の気持 ちでいっぱいです。
また、サラさまが、また新たにご登場いただき、とても示唆に富むお話をご披露いただき、 たいへんうれしく思います。
>>ただ阿弥陀仏におまかせするのみです >の心が、如来から回向されるので、合点したり分かったりしたら、いよいよ自分から >縁切りするようなもの。分かるは、はからい増すばかり。
なるほど、こういう言い方があったのかと、ただただ感心するばかりです。
たしかに、合点したり分かったりしたら、自分から阿弥陀仏と縁切りをするようなもの ですよね。自分で分かろうとしたり、理解しようとしたら、どんどん自分でどんどん 阿弥陀様から遠ざかってしまうという道理ですね。
これからも、いろいろお話をうかがえれば幸いです。
菩提心さま、おひさしぶりです。 久々に菩提心さまのお声が聞けてうれしく思います。 また、泥凡夫様の書き込みをあらためてご披露いただきありがとうございます。 とても力強く、また、勇気付けられる内容ですね。
南无阿彌陀佛
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[ 2509 ] Re4:信心決定された皆様へ
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2011/07/28 (Thu) 01:38
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ボン様/サラ様/菩提心様
書き込み有難う御座います。 段々と多くの方が出てきて頂き、賑やかになり、頼もしく感じてきましたが、他方では 今まで接したことのない世界との遭遇で、チョットコワイ感もします。
仏教的雰囲気の全くない文化圏で生活してますので、この掲示板だけが頼りのように思えます。
99.9%の現代人は<死んだら灰>で、後生などないと、従って六道輪廻の存在は理解できず、この掲示板のような話をすれば、一笑され、変人扱いされかねません。
でも、一方では科学によって、創られた文明の害や恐ろしさも痛感してます。 釈尊が言われた「夢幻のごとき世界」「実体のない世界」のようにも感じますし、
また逆にこの世の苦の世界が現実で、浄土は人間の想像か幻想かとも思えますし、その瞬間によって、大きく、あっちに行ったり、こっちに帰ったりの往復を繰り返すばかりです。
浅はかな疑い心強し自力の心はなくならないが、ただ阿弥陀様だけは頼りにしたい。
他力はよくわからない私ですが、阿弥陀仏以外に救いはないのではないかと思えるように なりつつある自分を感じてます。
「煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は万のこと皆もって、そらごと、たわごと、真実あることなきに、ただ念仏のみぞ真にておわします」
南無阿弥陀仏
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[ 2510 ] Re5:信心決定された皆様へ
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2011/07/28 (Thu) 03:44
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唯物信者さま、こんばんは。
以下のお話に、唯物信者さまの悩みが凝縮されているように思えます。
>99.9%の現代人は<死んだら灰>で、後生などないと、従って六道輪廻の存在は理解できず、 >この掲示板のような話をすれば、一笑され、変人扱いされかねません。
>でも、一方では科学によって、創られた文明の害や恐ろしさも痛感してます。 >釈尊が言われた「夢幻のごとき世界」「実体のない世界」のようにも感じますし、
>また逆にこの世の苦の世界が現実で、浄土は人間の想像か幻想かとも思えますし、その瞬間 >によって、大きく、あっちに行ったり、こっちに帰ったりの往復を繰り返すばかりです。
実は、私も唯物信者さまのお気持ちは、よくわかるのです。(と思います。)
死後の世界など、だれも見たこともないから、本当にあるのかどうかもわからない、 もしかしたら<死んだら灰>で、後生など何もないかもしれないじゃないか、と。
正直、私もそれはわからないんです。といいますか、分かるわけがないじゃありませんか。 むしろ、それがわかったらおかしいでしょう。我々凡夫がわかったら、おかしくありませ んか。
唯物信者さまは、我々凡夫のわかるはずのないことを、一所懸命にわかろうとしている のではありませんか。あるいは自分で悟ろうとしている。あるいは納得しようとしている。 分かるはずもないことを分かろうとするから、あっちに行ったり、こっちに帰ったりする のです。
しかし、何度もいいますが、納得したうえで信じたのなら、それを信じたといいますか。 「自分じゃどうにも分からないから、あんたのいうことを100%信じよう」となるのでは ありませんか。
ひとに身をゆだねるのが、そんなに怖いですか。実は阿弥陀様に身をゆだねるのですが、 とりあえず、しかるべき人を信じなければ、この道には入ってこれません。
その人が、うそつきかもしれませんね。阿弥陀様の名を語った、とんだクワセモノかもし れませんね。でも、仮にそうだとしたら、なんなんでしょう。所詮、自分では死後のこと などわからないんですよ。
仮に<死んだら灰>だったとしましょうか。それで、阿弥陀様の言うとおりにして、何か 損がありますか。ご法をいただこうが、いただくまいが、すべて<死んだら灰>だったと したら、どちらでも同じことですよね。ご法をいただいて、何の不利益があるのでしょう。 ほしいといって、お願いすれば、ただでくれるといっているんです。
それをもらったから、お金をくれとも、布教活動をしろとも、だれも言わないんですよ。 むしろ「内心に深くたくわえて、人には後世者のようにふるまうな」と言っているんです。 だれにも言う必要がありませんから、変人扱いもされません。痛くも痒くもありません。 なんの不都合があるのでしょう。「信じた私が馬鹿だった」と思いますか。
しかし、もし仮に<死んだら灰>じゃなかった、六道輪廻も本当だったとしたら、どうで しょう。もし、あなたがご法をいただいていたとしたら、とてつもない大利をえたことに なるのです。もし、唯物信者さまがつまらない自分の理解にこだわって、極楽行きの切符 をもらえなかったとしたら、悔やんでも悔やみきれませんよね。それも、だれのせいでも ありません。すべて身から出た錆ならなおさらです。
どう転んでも、つまらない自力を捨てて仏様にお任せすることが、不利益をこうむること はありえません。それどころか、とんでもない利益を得ることになるかもしれません。 どうでしょう。このように思えませんか。
表現の悪い点はご勘弁ください。悪気はありません。
南无阿彌陀佛
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[ 2511 ] Re6:信心決定された皆様へ
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2011/07/28 (Thu) 12:31
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唯物信者さま
とても正直な方ですね。
>今まで接したことのない世界との遭遇で、チョットコワイ感もします。 そうだと思います。
>この掲示板のような話をすれば、一笑され、変人扱いされかねません。 同感です。 ボンさん言われる通り、くれぐれも外相には・・・
>その瞬間によって、大きく、あっちに行ったり、こっちに帰ったりの往復を繰り返すばかりです。 これまた、そのとおりですね。
>他力はよくわからない私ですが、 これまた、正直な方ですね。
>阿弥陀仏以外に救いはないのではないかと思えるようになりつつある自分を感じてます。 ふんふんふん・・・・・・・・・・
別スレッドも拝見して、ボンさんにも感じますが、唯仏信者さんも、本当に正直な方だと思います。心から
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[ 2512 ] Re7:信心決定された皆様へ
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2011/07/29 (Fri) 12:57
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皆様 今書き込み出来て有難いです。
失業保険を貰っている私は、月に2回ハローワークに足を運んでいます。
今回は「シニア就業支援セミナー」に参加しましたが、人生80年時代を迎え、平均余命60歳時では、女28.46歳もあるので、これからはどんどん年がいっても「傍・楽」(働く)なければいけないそうです。
(エ〜、まだ働くの?早く浄土に往きたいよ。)とそんな不遜な事を考えながら、いつもの慣れた道を走っていました。
一瞬黒い巨体が通り過ぎた時には、私の車は大破して、相手の車は用水路の縁石と電柱にはさまれかろうじて用水路に落ちずにいました。
警察官も保険会社の人も車の様子を見て私は重体だろうと思ったそうです。
これがシートベルトをせずに、お互いの車の位置関係が反対だった場合は、すっぽり用水路にはまって溺死していただろうということです。
相手の奥様も後で現場に来られ、「命が有って良かったですね」とお互い無事だったので安心していました。
その彼女は以前当て逃げをされ、一人で事故処理の手続きをし、翌日病院に行った時には即3カ月の入院をされたそうで、私の体も気遣ってくれました。
2〜3日すると出てくるということで安静にしていました。
大難を小難に変えて貰ったと思いました。
すんなり人生の幕は引けないようになっているんだなと思いました。
3月11日の東日本の震災の状況を知らずに、北陸の地で御説法をされた時の善知識様が、「今度聞くよ、いつでも聞けるから」と言いながら、多くの知人が犠牲になったんだね。とても残念がっていました。
偉そうなことは言えませんが、今目の前に助かる縁が有るなら、その縁を大事にして欲しいと思いました。
一方的な書き込みで申し訳ございません。
南无阿彌陀佛
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[ 2513 ] Re8:信心決定された皆様へ
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2011/07/29 (Fri) 21:16
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菩提心様
いきなり交通事故が出てきて驚いています 何時のことかわかりませんが、何はともあれ、小難で、ご無事でよかったですね
この世の生命体(勿論人間も)には、いつ無常の風が吹くか分かりません。 一寸先は闇です。
「明日ありと、思う心の、あだ桜、夜半に嵐の、吹かぬものかは」
だから---->>今目の前に助かる縁が有るなら、その縁を大事にして欲しいと思いました>------ですね
そう思っているのですが、その連絡手段がないので、どうすべきかがわからず、困っています。
この掲示板をお借りして、泥凡夫様へ連絡できる方法を教えてください
南無阿弥陀仏
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