浄土真宗の教義について

新規スレッド作成タイトル一覧表示ログ検索ホームへ
  《prev 153 next》
・選択したスレッドを表示しています。返信は▽downのフォームからどうぞ。
(「メール送信」ボタンを押すと、書き込み作者宛にメール送信ができます。ヘルプ)(「編集」ボタンで記事の編集ができます。)
 
●No.153
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2481 ] 教行信証・学習ノート8 2011/07/01 (Fri) 02:00 △up ▽down
--------------------------------------------------------------------------------
阿闍世王復於前路聞。舎婆提毘瑠璃王。乗船入海辺。遇火而死。瞿伽離比丘。生身入地至
阿鼻獄。須那刹多作種種悪。到於仏所衆罪消滅。聞是語已。語耆婆言。吾今雖聞如是二語。
猶未審。定汝来。耆婆。吾欲与汝同載一象。設我当入阿鼻地獄。冀汝投持不令我堕。
何以故。吾昔曽聞得道之人不入地獄。乃至。
--------------------------------------------------------------------------------
(涅槃経・梵行品)阿闍世王また前路において舎婆提に聞く、毘瑠璃王〈聞く、舎婆提の
毘瑠璃王〉、船に乗じて海辺に入るに、災して死ぬ。瞿伽離比丘、生身に、地に入りて
阿鼻獄に至れり。須那刹多は、種種の悪を作りしかども、仏所に到りて衆罪消滅しぬと。
この語を聞き已りて、耆婆に語りて言わく、吾今かくのごときのふたりの語を聞くといえ
ども、なお未だ審かならず。定んで汝来れり、耆婆、吾、汝と同じく一象に載らんと欲う。
たとい我まさに阿鼻地獄に入るとも、冀〈ねが〉わくは汝捉持〈投持〉して、我をして堕
さしめざれと。何をもってのゆえに。吾昔かつて、得道の人は地獄に入らずと聞きき。
乃至。
--------------------------------------------------------------------------------

●re.1
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2482 ] Re1:教行信証・学習ノート8 2011/07/01 (Fri) 02:00 △up ▽down
本文について、理解したところを記します。

>--------------------------------------------------------------------------------
>阿闍世王復於前路聞。舎婆提毘瑠璃王。乗船入海辺。遇火而死。瞿伽離比丘。生身入地至
>阿鼻獄。須那刹多作種種悪。到於仏所衆罪消滅。聞是語已。語耆婆言。吾今雖聞如是二語。
>猶未審。定汝来。耆婆。吾欲与汝同載一象。設我当入阿鼻地獄。冀汝投持不令我堕。
>何以故。吾昔曽聞得道之人不入地獄。乃至。
>--------------------------------------------------------------------------------
>(涅槃経・梵行品)阿闍世王また前路において舎婆提に聞く、毘瑠璃王〈聞く、舎婆提の
>毘瑠璃王〉、船に乗じて海辺に入るに、災して死ぬ。瞿伽離比丘、生身に、地に入りて
>阿鼻獄に至れり。須那刹多は、種種の悪を作りしかども、仏所に到りて衆罪消滅しぬと。
>この語を聞き已りて、耆婆に語りて言わく、吾今かくのごときのふたりの語を聞くといえ
>ども、なお未だ審かならず。定んで汝来れり、耆婆、吾、汝と同じく一象に載らんと欲う。
>たとい我まさに阿鼻地獄に入るとも、冀〈ねが〉わくは汝捉持〈投持〉して、我をして堕
>さしめざれと。何をもってのゆえに。吾昔かつて、得道の人は地獄に入らずと聞きき。
>乃至。
>--------------------------------------------------------------------------------

  (涅槃経・梵行品)阿闍世王は、また仏のもとへ行く途中で、舎婆提に次のように聞い
  た。毘瑠璃王は、船に乗って海辺に入ったときに、災いによって死んだ。瞿伽離比丘
  は、生身のまま、地に入って阿鼻獄に至った。須那刹多は、種々の悪を作ったが、仏
  のところにやってきて多くの罪が消滅した。この言葉を聞き終わって、耆婆にこう語
  った。私は今このようなふたりの話を聞くいたけども、いまだに良くわからない。こ
  うと決めて、あなたはやってきた。耆婆よ、わたしは、あなたと同じく一つの象に乗
  りたいと思う。たとえ私がまさに阿鼻地獄に入るとしても、願わくは、あなたは私を
  ささえて、私が地獄に堕ちないようにしてほしい。なぜなら、私はかつて、得道の人
  は地獄に入らないと聞いたから。(中略)

  WikiArc
    前路
      仏のもとへ行く途中。
    瞿伽離比丘(くかりびく)
      梵名コーカーリカの音写。倶迦梨などとも音写する。提婆達多の弟子とも、
      舎利弗、目蓮の弟子ともいわれる。舎利弗、目連を誹謗した罪によって、
      生身のまま阿鼻地獄に堕ちたという。
    須那刹多
      梵名スナクシャトラの音写か。好星と漢訳する。種々の悪をなしたが、釈尊
      をみることによって、地獄に堕ちることを免れ、色天に生じたという。
    二つの語
      悪をなして回心せず、地獄に堕ちた例(毘瑠璃王・瞿伽離比丘)と、悪をな
      して回心し、地獄に堕ちることを免れた例(須那刹多)

●re.2
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2483 ] Re2:教行信証・学習ノート8 2011/07/02 (Sat) 02:08 △up ▽down
--------------------------------------------------------------------------------
云何説言定入地獄。仏告大王。一切衆生所作罪業凡有二種。一者軽。二者重。若心口作則
名為軽。身口心作則名為重。大王。心念口説身不作者。所得報軽。大王。昔日口不勅殺。
但言削足。大王若勅侍臣。立斬王首。坐時乃斬。猶不得罪。況王不勅。云何得罪。王若得
罪。諸仏世尊亦応得罪。何以故。汝父先王頻婆沙羅。常於諸仏種諸善根。是故今日得居王
位。諸仏若不受其供養。則不為王。若不為王。汝則不得為国生害。若汝殺父当有罪者。
我等諸仏亦応有罪。若諸仏世尊無得罪者。汝独云何而得罪邪。
--------------------------------------------------------------------------------
(涅槃経・梵行品)云何ぞ説きて定んで地獄に入ると言わん。仏、大王に告げたまわく、
一切衆生の所作の罪業におよそ二種あり。一には軽、二には重なり。もし心と口とに作る
は、すなわち名づけて軽とす。身と口と心とに作るは、すなわち名づけて重とすと。大王、
心に念い口に説きて身に作さざれば、得るところの報、軽なり。大王、むかし口に殺せよ
と勅せず、ただ足を削れと言えりと。大王、もし侍臣に勅せましかば、立ちどころに王の
首を斬らまし。坐〈つみ〉の時にすなわち斬るとも、なお罪を得じ。いわんや王勅せず、
云何ぞ罪を得ん。王もし罪を得ば、諸仏世尊もまた罪を得たまうべし。何をもってのゆえ
に。汝が父、先王頻婆沙羅、常に諸仏においてもろもろの善根を種えたりき。このゆえに
今日王位に居することを得たり。諸仏もしその供養を受けたまわずは、すなわち王となら
ざらまし。もし王とならざらましかば、汝すなわち国のために害を生ずることを得ざらま
し。もし汝父を殺して当に罪あるべくは、我等諸仏もまた罪あるべし。もし諸仏世尊、
罪を得たまうことなくんば、汝独り云何ぞ罪を得んや。
--------------------------------------------------------------------------------

●re.3
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2484 ] Re3:教行信証・学習ノート8 2011/07/02 (Sat) 02:08 △up ▽down
本文について、理解したところを記します。

>--------------------------------------------------------------------------------
>云何説言定入地獄。仏告大王。一切衆生所作罪業凡有二種。一者軽。二者重。若心口作則
>名為軽。身口心作則名為重。大王。心念口説身不作者。所得報軽。大王。昔日口不勅殺。
>但言削足。大王若勅侍臣。立斬王首。坐時乃斬。猶不得罪。況王不勅。云何得罪。王若得
>罪。諸仏世尊亦応得罪。何以故。汝父先王頻婆沙羅。常於諸仏種諸善根。是故今日得居王
>位。諸仏若不受其供養。則不為王。若不為王。汝則不得為国生害。若汝殺父当有罪者。
>我等諸仏亦応有罪。若諸仏世尊無得罪者。汝独云何而得罪邪。
>--------------------------------------------------------------------------------
>(涅槃経・梵行品)云何ぞ説きて定んで地獄に入ると言わん。仏、大王に告げたまわく、
>一切衆生の所作の罪業におよそ二種あり。一には軽、二には重なり。もし心と口とに作る
>は、すなわち名づけて軽とす。身と口と心とに作るは、すなわち名づけて重とすと。大王、
>心に念い口に説きて身に作さざれば、得るところの報、軽なり。大王、むかし口に殺せよ
>と勅せず、ただ足を削れと言えりと。大王、もし侍臣に勅せましかば、立ちどころに王の
>首を斬らまし。坐〈つみ〉の時にすなわち斬るとも、なお罪を得じ。いわんや王勅せず、
>云何ぞ罪を得ん。王もし罪を得ば、諸仏世尊もまた罪を得たまうべし。何をもってのゆえ
>に。汝が父、先王頻婆沙羅、常に諸仏においてもろもろの善根を種えたりき。このゆえに
>今日王位に居することを得たり。諸仏もしその供養を受けたまわずは、すなわち王となら
>ざらまし。もし王とならざらましかば、汝すなわち国のために害を生ずることを得ざらま
>し。もし汝父を殺して当に罪あるべくは、我等諸仏もまた罪あるべし。もし諸仏世尊、
>罪を得たまうことなくんば、汝独り云何ぞ罪を得んや。
>--------------------------------------------------------------------------------

  (涅槃経・梵行品)どうして間違いなく地獄に入ると言うのか。仏は大王にこう告げた。
  すべての衆生の作る罪業におよそ二種がある。一には軽、二には重である。もし、心
  と口に作るものは、軽である。身と口と心に作るものは、重である。大王よ、心に思
  い、口に説いても、身に作らなければ、得るところの報いは軽い。大王は、むかし口
  に殺せと命令せずに、ただ足を削れと言った。大王が、もし侍臣に命令すれば、立ち
  どころに王の首を斬ったであろう。坐〈つみ〉の時にただちに斬ったとしても、罪で
  はないであろう。いわんや王は命令していない、どうして罪があるだろう。王がもし
  罪があるのならば、諸仏世尊もまた罪があるにちがいない。なぜなら、あなたの父で
  先の王、頻婆沙羅は、常に諸仏にもろもろの善根を種えてきた。だから、今日王位に
  つくことができた。諸仏がもしその供養を受けなかったら、王とならなかっただろう。
  もし王とならないようだったら、あなたは国のために害を生ずることができなっかた。
  もしあなたが父を殺して罪があるのなら、私たち諸仏もまた罪があることになるだろ
  う。もし諸仏世尊に罪がないならば、あなた独りだけに、どうして罪があるというの
  だろうか。

●re.4
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2486 ] Re4:教行信証・学習ノート8 2011/07/05 (Tue) 01:22 △up ▽down
--------------------------------------------------------------------------------
大王。頻婆沙羅往有悪心。於毘富羅山遊行。射猟鹿周遍曠野。悉無所得。唯見一仙五通具
足。見已即生瞋恚悪心。我今遊猟。所以不得正坐。此人駈逐令去。即勅左右而令殺之。其
人臨終生瞋。悪心退失神通。而作誓言。我実無辜。汝以心口横加戮害。我於来世亦当如是
還以心口而害於汝命。時王聞已。即生悔心供養死屍。先王如是尚得軽受不堕地獄。況王不
爾而当地獄受果報邪。先王自作還自受之。云何令王而得殺罪。如王所言父王無辜者。大王
云何言無失。有罪者則有罪報。無悪業者則無罪報。汝父先王若無辜罪。云何有報。頻婆沙
羅於現世中亦得善果及以悪果。是故先王亦復不定。以不定故殺亦不定。殺不定云何而言定
入地獄。
--------------------------------------------------------------------------------
(涅槃経・梵行品)大王、頻婆沙羅むかし悪心ありて、毘富羅山にして遊行し、鹿を射猟し
て曠野に周遍せしに、ことごとく得るところなし。ただひとりの仙、五通具足せるを見る。
見已りてすなわち瞋恚悪心を生じて、我今遊猟す、このゆえにまさしく坐〈つみ〉を得ず、
この人、駆〈か〉りて逐に去らしむ〈得ざるゆえんは、まさしくこの人、駆〈か〉り逐
〈お〉うて去らしむるに坐〈ざ〉す〉。すなわち左右に勅してこれを殺さしむ。その人、
臨終に瞋〈いか〉りて悪心を生ず。神通を退失して、しかして誓言を作さく、我実に辜な
し。汝、心口をもって横に戮害を加す。我来世において、また当にかくのごとく還りて
心口をもってして汝命を害すべしと。時に王聞き已りて、すなわち悔心を生じて、死屍を
供養しき。先王かくのごとく、なお軽く受くることを得て、地獄に堕ちず。いわんや王は
しからずして当に地獄の果報を受くべけんや。先王自ら作りて還りて自らこれを受く。い
かんぞ王をして殺罪を得しめんや。王の言うところのごとし。父の王辜なくは、大王いか
んぞ失なきに罪ありと言わば、すなわち罪報あらん。悪業なくは、すなわち罪報なけん。
汝が父先王、もし辜罪なくは、いかんぞ報あらん。頻婆沙羅、現世の中において、また
善果および悪果を得たり。このゆえに先王もまた不定なり。不定をもってのゆえに、殺も
また不定なり。殺不定ならば、云何して定んで地獄に入ると言わん。
--------------------------------------------------------------------------------

●re.5
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2487 ] Re5:教行信証・学習ノート8 2011/07/05 (Tue) 01:22 △up ▽down
本文について、理解したところを記します。

>--------------------------------------------------------------------------------
>大王。頻婆沙羅往有悪心。於毘富羅山遊行。射猟鹿周遍曠野。悉無所得。唯見一仙五通具
>足。見已即生瞋恚悪心。我今遊猟。所以不得正坐。此人駈逐令去。即勅左右而令殺之。其
>人臨終生瞋。悪心退失神通。而作誓言。我実無辜。汝以心口横加戮害。我於来世亦当如是
>還以心口而害於汝命。時王聞已。即生悔心供養死屍。先王如是尚得軽受不堕地獄。況王不
>爾而当地獄受果報邪。先王自作還自受之。云何令王而得殺罪。如王所言父王無辜者。大王
>云何言無失。有罪者則有罪報。無悪業者則無罪報。汝父先王若無辜罪。云何有報。頻婆沙
>羅於現世中亦得善果及以悪果。是故先王亦復不定。以不定故殺亦不定。殺不定云何而言定
>入地獄。
>--------------------------------------------------------------------------------
>(涅槃経・梵行品)大王、頻婆沙羅むかし悪心ありて、毘富羅山にして遊行し、鹿を射猟し
>て曠野に周遍せしに、ことごとく得るところなし。ただひとりの仙、五通具足せるを見る。
>見已りてすなわち瞋恚悪心を生じて、我今遊猟す、このゆえにまさしく坐〈つみ〉を得ず、
>この人、駆〈か〉りて逐に去らしむ〈得ざるゆえんは、まさしくこの人、駆〈か〉り逐
>〈お〉うて去らしむるに坐〈ざ〉す〉。すなわち左右に勅してこれを殺さしむ。その人、
>臨終に瞋〈いか〉りて悪心を生ず。神通を退失して、しかして誓言を作さく、我実に辜な
>し。汝、心口をもって横に戮害を加す。我来世において、また当にかくのごとく還りて
>心口をもってして汝命を害すべしと。時に王聞き已りて、すなわち悔心を生じて、死屍を
>供養しき。先王かくのごとく、なお軽く受くることを得て、地獄に堕ちず。いわんや王は
>しからずして当に地獄の果報を受くべけんや。先王自ら作りて還りて自らこれを受く。い
>かんぞ王をして殺罪を得しめんや。王の言うところのごとし。父の王辜なくは、大王いか
>んぞ失なきに罪ありと言わば、すなわち罪報あらん。悪業なくは、すなわち罪報なけん。
>汝が父先王、もし辜罪なくは、いかんぞ報あらん。頻婆沙羅、現世の中において、また
>善果および悪果を得たり。このゆえに先王もまた不定なり。不定をもってのゆえに、殺も
>また不定なり。殺不定ならば、云何して定んで地獄に入ると言わん。
>--------------------------------------------------------------------------------

  (涅槃経・梵行品)大王よ、頻婆沙羅は、むかし悪心があって、毘富羅山に遊びに行き、
  鹿を射猟しようとして広野をすみずみまで行き来したが、ことごとく得るところがな
  かった。そのとき、五通を兼ね備えたひとりの仙人を見て、瞋恚(怒り)悪心を生じた。
  私は今、遊猟している。だから、まさしく坐〈つみ〉がない。この人を、追い立てて、
  ついに立ち退かせた。そして、左右の者に命じて、これを殺させた。その人は、臨終
  に怒って悪心を生じた。それで、神通を失ったのだが、誓ってこう言った。私はまっ
  たく罪がないのに、あなたは心と口をもって非道にも殺害をしようとしている。私は
  来世に、またよみがえって、まさにこのように心と口をもって、あなたを殺害するで
  あろう。そのときに、王はそれを聞いて、ただちに悔心を生じて、死屍を供養した。
  先王は、このように、罪を軽くすることができて、地獄には堕ちなかった。いわんや、
  王は、そのようでもないのに、まさに地獄の果報を受くべきなのだろうか。先王は、
  自ら罪を作って、自らその罰を受けた。どうして、王に殺罪があるだろうか。王の言
  うように父の王に罪がないのなら、大王はどうしておちどがないのに、罪があると言
  えば、罪報があるのだろう。悪業がなかったら、罪の報いもない。あなたの父である
  先王にもし罪がないのなら、どうしてその報いがあるだろう。頻婆沙羅は、現世にお
  いて、善果も悪果も得た。だから、先王もまた定まっていない。定まっていないから、
  殺しもまた定まっていない。殺しがまた定まっていないならば、どうして決まって
  地獄に入ると言うのだろうか。

  WikiArc
    頻婆娑羅
      梵名ビンビサーラの音写。釈尊在世時のマガダ国の王。妃として韋提希を迎
      え、その間に生れたのが阿闍世である。深く仏教に帰依し、竹林精舎を建立
      するなど、仏教の外護者であったが、提婆達多にそそのかされた阿闍世に
      牢獄に幽閉され、獄死した。
    毘富羅山
      毘富羅山は梵語梵名をヴィプラの音写。広博脇山と漢訳する。
      インドのマガダ国にある山の名。
    五通
      五神通のこと。天眼通・天耳通・宿命通・他心通・神足通をいう。これに
      漏尽通を加えて六神通という。

●re.6
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2497 ] Re6:教行信証・学習ノート8 2011/07/12 (Tue) 22:51 △up ▽down
--------------------------------------------------------------------------------
大王。衆生狂惑凡有四種。一者貪狂。二者薬狂。三者呪狂。四者本業縁狂。大王。我弟子
中有是四狂。雖多作悪。我終不記是人犯戒。是人所作不至三悪。若還得心亦不言犯。王本
貪国。此逆害父王貪狂心与作。云何得罪。大王。如人耽酔逆害其母。既醒悟已心生悔恨。
当知是業亦不得報。王今貪酔。非本心作。若非本心。云何得罪。
--------------------------------------------------------------------------------
 ◎(涅槃経・梵行品)大王、衆生の狂惑におよそ四種あり。一には貪狂、二には薬狂、
三には呪狂、四には本業縁狂なり。大王、我が弟子の中にこの四狂あり。多く悪を作ると
いえども、我ついにこの人犯戒なりと記せず。この人の所作、三悪に至らず。もし還りて
心を得ば、また犯と言わず。王、もと、国を貪してこれ父の王を逆害す。貪狂の心をもっ
て与に作せり。いかんぞ罪を得ん。大王、人の耽酔してその母を逆害せん、すでに醒悟し
已りて心に悔恨を生ずるがごとし。当に知るべし。この業もまた報を得じ。王今貪酔せり。
本心の作せるにあらず。もし本心にあらずは、いかんぞ罪を得んや。
--------------------------------------------------------------------------------

●re.7
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2498 ] Re7:教行信証・学習ノート8 2011/07/12 (Tue) 22:51 △up ▽down
本文について、理解したところを記します。

>--------------------------------------------------------------------------------
>大王。衆生狂惑凡有四種。一者貪狂。二者薬狂。三者呪狂。四者本業縁狂。大王。我弟子
>中有是四狂。雖多作悪。我終不記是人犯戒。是人所作不至三悪。若還得心亦不言犯。王本
>貪国。此逆害父王貪狂心与作。云何得罪。大王。如人耽酔逆害其母。既醒悟已心生悔恨。
>当知是業亦不得報。王今貪酔。非本心作。若非本心。云何得罪。
>--------------------------------------------------------------------------------
>(涅槃経・梵行品)大王、衆生の狂惑におよそ四種あり。一には貪狂、二には薬狂、三には
>呪狂、四には本業縁狂なり。大王、我が弟子の中にこの四狂あり。多く悪を作るといえど
>も、我ついにこの人犯戒なりと記せず。この人の所作、三悪に至らず。もし還りて心を得
>ば、また犯と言わず。王、もと、国を貪してこれ父の王を逆害す。貪狂の心をもって与に
>作せり。いかんぞ罪を得ん。大王、人の耽酔してその母を逆害せん、すでに醒悟し已りて
>心に悔恨を生ずるがごとし。当に知るべし。この業もまた報を得じ。王今貪酔せり。本心
>の作せるにあらず。もし本心にあらずは、いかんぞ罪を得んや。
>--------------------------------------------------------------------------------

  (涅槃経・梵行品)大王よ、衆生の狂惑におよそ四種がある。一には貪狂、二には薬狂、
  三には呪狂、四には本業縁狂である。大王よ、私の弟子のなかに、この四狂がある。
  多くの悪を作ったが、私はついにこの人が戒を犯したとは書かなかった。この人の所作
  は、三悪道に至るものではない。もし、立ち戻って心を得るならば、犯とは言わない。
  王は、もとはといえば、国をほしがって父の王を殺したのである。それは、貪狂の心
  によって起こしたものである。どうして罪といえるだとうか。大王よ、人が酔っ払っ
  て母を殺して、酔いから醒めたあとで、心に悔恨を生ずるようなものである。まさに
  知るべきである。この業もまた、報いを受けるものではない。王は今、欲に酔ってい
  るのである。本心のなせるにものではない。もし本心でないならば、どうして罪であ
  ろうか。

  WikiArc
    貪狂
      貪欲による錯乱。
    呪狂
      他人の呪詛による錯乱。
    本業縁狂
      過去の業因による錯乱。
    耽酔
      酔いしれること。

●re.8
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2504 ] Re8:教行信証・学習ノート8 2011/07/23 (Sat) 02:11 △up ▽down
--------------------------------------------------------------------------------
大王。譬如幻師於四衢道頭。幻作種種男女象馬瓔珞衣服。愚癡之人謂為真実。有智之人知
非真。殺亦如是。凡夫謂実諸仏世尊知其非真。大王。譬如山谷響声。愚癡之人謂之実声。
有智之人知其非真〈真有〉殺亦如是。凡夫謂実。諸仏世尊知其非真。大王。如人有怨詐来
親附。愚癡之人謂為真実〈実親〉。智者了達乃知其虚詐。殺亦如是。凡夫謂実。諸仏世尊
知其非真。大王。如人執鏡自見面像。愚癡之人謂為真面。智者了達知其非真。殺亦如是。
凡夫謂実。諸仏世尊知其非真。大王。如熱時炎。愚癡之人謂之是水。智者了達知其非水。
殺亦如是。凡夫謂実。諸仏世尊知其非真。大王。如乾闥婆城。愚癡之人謂為真実。智者了
達知其非真。殺亦如是。凡夫為〈謂〉実。諸仏世尊了知其非真。大王。如人夢中受五欲楽。
愚癡之人謂之為実。智者了達知其非真。殺亦如是。凡夫謂実。諸仏世尊知其非真。大王。
殺法・殺業・殺者・殺果。及以解脱。我皆了之。則無有罪。王雖知殺。云何有罪。大王。
譬如有人主知典酒。如其不飲則亦不酔。雖復知火不焼燃。王亦如是。雖復知殺。云何有罪。
大王。有諸衆生。於日出時作種種罪。於月出時復行劫盗。日月不出則不作罪。雖因日月令
其作罪。然此日月実不得罪。殺亦如是。乃至。
--------------------------------------------------------------------------------
(涅槃経・梵行品)大王、たとえば幻師の、四衢道の頭にして種種の男女・象馬・瓔珞・
衣服を幻作するがごとし。愚痴の人は謂〈おも〉って真実とす。有智の人は真有〈真〉に
あらずと知れり。殺〈有殺〉もまたかくのごとし。凡夫は実と謂〈おも〉えり、諸仏世尊
はそれ真にあらずと知ろしめせり。大王、たとえば山谷の響の声のごとし。愚痴の人はこ
れを実の声と謂えり、有智の人はそれ真にあらずと知れり。殺もまたかくのごとし。凡夫
は実と謂えり、諸仏世尊はそれ真にあらずと知ろしめせり。大王、人の怨あるが詐り来り
て親附するごとし。愚痴の人は謂うて真実〈実に親しむ〉とす。智者は了達すなわちその
虚詐なりと知る。殺もまたかくのごとし。凡夫は実と謂わん。諸仏世尊はそれ真にあらず
と知ろしめせり。大王、人の、鏡を執りて自ら面像を見るがごとし。愚痴の人は謂うて真
の面とす。智者は了達してそれ真にあらずと知れり。殺もまたかくのごとし。凡夫は実と
謂わん。諸仏世尊はそれ真にあらずと知ろしめせり。大王、熱の時の炎のごとし。愚痴の
人はこれをこれ水なりと謂わん。智者は了達してそれ水にあらずと知る。殺もまたかくの
ごとし。凡夫は実なりと謂わん。諸仏世尊はそれ真にあらずと知ろしめせり。大王、乾闥
婆城のごとし。愚痴の人は謂うて真実とす。智者は了達してそれ真にあらずと知れり。殺
もまたかくのごとし。凡夫は実とす〈謂えり〉。諸仏世尊はそれ真にあらずと了知せしめ
たまえり。大王、人の夢中に五欲の楽を受くるがごとし。愚痴の人はこれを謂うて実とす。
智者は了達してそれ真にあらずと知れり。殺もまたかくのごとし。凡夫は実なりと謂えり、
諸仏世尊はそれ真にあらずと知れり。大王、殺の法、殺の業、殺の者、殺の果、および
解脱、我みなこれを了れり、すなわち罪あることなし。王、殺を知るといえども、いかん
ぞ罪あらんや。大王、たとえば人主ありて酒を典〈つかさど〉れりと知れども、もしそれ
飲まざればすなわちまた酔わざるがごとし。また火と知るといえども焼燃せず。王もまた
かくのごとし。また殺を知るといえども云何ぞ罪あらん。大王、もろもろの衆生ありて、
日の出ずる時において種種の罪を作る。月の出ずる時においてまた劫盗を行ぜん。日月出
でざるに、すなわち罪を作らず。日月に因りてそれ罪を作らしむるといえども、しかもこ
の日月は実に罪を得ず。殺もまたかくのごとし。乃至。
--------------------------------------------------------------------------------

●re.9
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2505 ] Re9:教行信証・学習ノート8 2011/07/23 (Sat) 02:11 △up ▽down
本文について、理解したところを記します。

>--------------------------------------------------------------------------------
>大王。譬如幻師於四衢道頭。幻作種種男女象馬瓔珞衣服。愚癡之人謂為真実。有智之人知
>非真。殺亦如是。凡夫謂実諸仏世尊知其非真。大王。譬如山谷響声。愚癡之人謂之実声。
>有智之人知其非真〈真有〉殺亦如是。凡夫謂実。諸仏世尊知其非真。大王。如人有怨詐来
>親附。愚癡之人謂為真実〈実親〉。智者了達乃知其虚詐。殺亦如是。凡夫謂実。諸仏世尊
>知其非真。大王。如人執鏡自見面像。愚癡之人謂為真面。智者了達知其非真。殺亦如是。
>凡夫謂実。諸仏世尊知其非真。大王。如熱時炎。愚癡之人謂之是水。智者了達知其非水。
>殺亦如是。凡夫謂実。諸仏世尊知其非真。大王。如乾闥婆城。愚癡之人謂為真実。智者了
>達知其非真。殺亦如是。凡夫為〈謂〉実。諸仏世尊了知其非真。大王。如人夢中受五欲楽。
>愚癡之人謂之為実。智者了達知其非真。殺亦如是。凡夫謂実。諸仏世尊知其非真。大王。
>殺法・殺業・殺者・殺果。及以解脱。我皆了之。則無有罪。王雖知殺。云何有罪。大王。
>譬如有人主知典酒。如其不飲則亦不酔。雖復知火不焼燃。王亦如是。雖復知殺。云何有罪。
>大王。有諸衆生。於日出時作種種罪。於月出時復行劫盗。日月不出則不作罪。雖因日月令
>其作罪。然此日月実不得罪。殺亦如是。乃至。
>--------------------------------------------------------------------------------
>(涅槃経・梵行品)大王、たとえば幻師の、四衢道の頭にして種種の男女・象馬・瓔珞・
>衣服を幻作するがごとし。愚痴の人は謂〈おも〉って真実とす。有智の人は真有〈真〉に
>あらずと知れり。殺〈有殺〉もまたかくのごとし。凡夫は実と謂〈おも〉えり、諸仏世尊
>はそれ真にあらずと知ろしめせり。大王、たとえば山谷の響の声のごとし。愚痴の人はこ
>れを実の声と謂えり、有智の人はそれ真にあらずと知れり。殺もまたかくのごとし。凡夫
>は実と謂えり、諸仏世尊はそれ真にあらずと知ろしめせり。大王、人の怨あるが詐り来り
>て親附するごとし。愚痴の人は謂うて真実〈実に親しむ〉とす。智者は了達すなわちその
>虚詐なりと知る。殺もまたかくのごとし。凡夫は実と謂わん。諸仏世尊はそれ真にあらず
>と知ろしめせり。大王、人の、鏡を執りて自ら面像を見るがごとし。愚痴の人は謂うて真
>の面とす。智者は了達してそれ真にあらずと知れり。殺もまたかくのごとし。凡夫は実と
>謂わん。諸仏世尊はそれ真にあらずと知ろしめせり。大王、熱の時の炎のごとし。愚痴の
>人はこれをこれ水なりと謂わん。智者は了達してそれ水にあらずと知る。殺もまたかくの
>ごとし。凡夫は実なりと謂わん。諸仏世尊はそれ真にあらずと知ろしめせり。大王、乾闥
>婆城のごとし。愚痴の人は謂うて真実とす。智者は了達してそれ真にあらずと知れり。殺
>もまたかくのごとし。凡夫は実とす〈謂えり〉。諸仏世尊はそれ真にあらずと了知せしめ
>たまえり。大王、人の夢中に五欲の楽を受くるがごとし。愚痴の人はこれを謂うて実とす。
>智者は了達してそれ真にあらずと知れり。殺もまたかくのごとし。凡夫は実なりと謂えり、
>諸仏世尊はそれ真にあらずと知れり。大王、殺の法、殺の業、殺の者、殺の果、および
>解脱、我みなこれを了れり、すなわち罪あることなし。王、殺を知るといえども、いかん
>ぞ罪あらんや。大王、たとえば人主ありて酒を典〈つかさど〉れりと知れども、もしそれ
>飲まざればすなわちまた酔わざるがごとし。また火と知るといえども焼燃せず。王もまた
>かくのごとし。また殺を知るといえども云何ぞ罪あらん。大王、もろもろの衆生ありて、
>日の出ずる時において種種の罪を作る。月の出ずる時においてまた劫盗を行ぜん。日月出
>でざるに、すなわち罪を作らず。日月に因りてそれ罪を作らしむるといえども、しかもこ
>の日月は実に罪を得ず。殺もまたかくのごとし。乃至。
>--------------------------------------------------------------------------------

  (涅槃経・梵行品)大王よ、たとえば幻術者が、街の四つ角にいいて、種々の男女・
  象馬・瓔珞(装身具)・衣服を幻作するようなものである。愚痴の人は、それを真実と
  思う。智慧のある人は、真実ではないと知っている。殺しもまた同様である。凡夫は
  実と思うが、諸仏世尊はそれが真ではないと知っている。

  大王よ、それはたとえばやまびこのようなものである。愚痴の人はこれを実の声とい
  う。智者は、それが真ではないと知っている。殺しもまた同様である。凡夫は実とい
  う。諸仏世尊はそれが真ではないと知っている。

  大王よ、それは、怨みのある人のがいつわってやってきて、親しそうに付き従うよう
  なものである。愚痴の人はそれを真実とする。智者はそれが嘘偽りであると知ってい
  る。殺しもまた同様である。凡夫は実という。諸仏世尊はそれが真真ではないと知っ
  ている。

  大王よ、それは人が鏡を持って自らの顔の像を見るようなものである。愚痴の人は真
  の顔だという。智者はそれが真ではないと知っている。殺しもまた同様である。凡夫
  は実という。諸仏世尊はそれが真ではないと知っている。

  大王よ、それはかげろうのようなものである。愚痴の人はこれを水だという。智者は
  それが水ではないと知っている。殺しもまた同様である。凡夫は実という。諸仏世尊
  はそれが真真ではないと知っている。

  大王よ、それは乾闥婆城(蜃気楼)のようなものである。愚痴の人はそれを真実という。
  智者はそれが真ではないとと知っている。殺しもまた同様である。凡夫は実という。
  諸仏世尊はそれが真真ではないと知っている。

  大王よ、それは人が夢の中で五欲の楽を受けるようなものである。愚痴の人はこれを
  実という。智者はそれが真ではないとと知っている。殺しもまた同様である。凡夫は
  実という。諸仏世尊はそれが真真ではないと知っている。

  大王よ、殺害の仕方、殺害という行為、殺害する人、殺害による結果、および解脱に
  ついて、私はみなこれをわかっている。しかし、罪はない。王よ、殺しを知っている
  からといって、どうして罪があるだろうか。大王よ、たとえば主たる人が酒をつかさ
  どり、それを知っていたとしても、もしそれ飲まなかったら、酔わないようなもので
  ある。また火を知っていたとしても燃えるわけではない。王もまた同様である。殺し
  を知っていたとしても、どうして罪があるだろうか。大王よ、もろもろの衆生がいて、
  日の出ずる時に種々の罪を作る。月の出ずる時にまた強盗を行ったとしよう。日も月
  も出なかったら、罪を作らない。日月よって罪を作らせるとはいっても、この日月は
  実際には罪がない。殺しもまた同様である。(中略)

  WikiArc
    幻師
      幻術者。
    四衢道
      街の四つ角。
    山谷の響きの声
      やまびこ。
    乾闥婆城
      空中に出現する幻の城廓。おそらくは蜃気楼のこと。乾闥婆神(伎楽をつか
      さどる神)が常に空中に止住することからいう。
    了達
      はっきりとさとること。
    熱の時の炎
      かげろう。
    五欲
      1.財欲・色欲・飲食欲・名欲・睡眠欲。
      2.人間の認識の対象である五境(色・声・香・味・触)に対しておこす欲の
       こと。
    殺法、殺業、殺者、殺果
      殺害の仕方、殺害という行為、殺害する人、殺害によるその結果。

●re.10
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2514 ] Re10:教行信証・学習ノート8 2011/07/31 (Sun) 01:29 △up ▽down
--------------------------------------------------------------------------------
大王。譬如涅槃非有非無而亦是有。殺亦如是。雖非有非無而亦是有。慚愧之人則為非有。
無慚愧者則為非無。受果報者名之為有。空見之人則為非有。有見之人則為非無。有有見者
亦名為有。何以故。有有見者得果報故。無有見者則無果報。常見之人則為非有。無常見者
則為非無。常常見者不得為無。何以故。常常見者有悪業果故。是故常常見者不得為無。以
是義故。雖非有非無而亦是有。大王。夫衆生者名出入息。断出入息故名為殺。諸仏随俗亦
説為殺。乃至。
--------------------------------------------------------------------------------
(涅槃経・梵行品)大王、たとえば涅槃は有にあらず、無にあらずして、またこれ有なるが
ごとし。殺もまたかくのごとし。非有・非無にしてまたこれ有なりといえども、慙愧の人
はすなわちすなわち非有とす。無慙愧の者〈ひと〉はすなわち非無とす。果報を受くる者、
これを名づけて有とす。空見の人は、すなわち非有とす。有見の人は、すなわち非無とす。
有有見の者は、また名づけて有とす。何をもってのゆえに、有有見の者は果報を得るがゆ
えに、無有見の者はすなわち果報なし。常見の人はすなわち非有とす。無常見の者はすな
わち非無とす。常常見の者は無とすることを得ず。何をもってのゆえに、常常見の者は
悪業の果あるがゆえに、このゆえに常常見の者は無とすることを得ず。この義をもっての
ゆえに、非有非無んりといえども、しかもまたこれ有なりと。大王、それ衆生は出入の息
に名づく。出入の息を断つがゆえに、名づけて殺とす。諸仏、俗に随いて、また説きて殺
とす。乃至。
--------------------------------------------------------------------------------

●re.11
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2515 ] Re11:教行信証・学習ノート8 2011/07/31 (Sun) 01:29 △up ▽down
本文について、理解したところを記します。

>--------------------------------------------------------------------------------
>大王。譬如涅槃非有非無而亦是有。殺亦如是。雖非有非無而亦是有。慚愧之人則為非有。
>無慚愧者則為非無。受果報者名之為有。空見之人則為非有。有見之人則為非無。有有見者
>亦名為有。何以故。有有見者得果報故。無有見者則無果報。常見之人則為非有。無常見者
>則為非無。常常見者不得為無。何以故。常常見者有悪業果故。是故常常見者不得為無。以
>是義故。雖非有非無而亦是有。大王。夫衆生者名出入息。断出入息故名為殺。諸仏随俗亦
>説為殺。乃至。
>--------------------------------------------------------------------------------
>(涅槃経・梵行品)大王、たとえば涅槃は有にあらず、無にあらずして、またこれ有なるが
>ごとし。殺もまたかくのごとし。非有・非無にしてまたこれ有なりといえども、慙愧の人
>はすなわちすなわち非有とす。無慙愧の者〈ひと〉はすなわち非無とす。果報を受くる者、
>これを名づけて有とす。空見の人は、すなわち非有とす。有見の人は、すなわち非無とす。
>有有見の者は、また名づけて有とす。何をもってのゆえに、有有見の者は果報を得るがゆ
>えに、無有見の者はすなわち果報なし。常見の人はすなわち非有とす。無常見の者はすな
>わち非無とす。常常見の者は無とすることを得ず。何をもってのゆえに、常常見の者は
>悪業の果あるがゆえに、このゆえに常常見の者は無とすることを得ず。この義をもっての
>ゆえに、非有非無んりといえども、しかもまたこれ有なりと。大王、それ衆生は出入の息
>に名づく。出入の息を断つがゆえに、名づけて殺とす。諸仏、俗に随いて、また説きて殺
>とす。乃至。
>--------------------------------------------------------------------------------

  (涅槃経・梵行品)大王よ、たとえば涅槃は有ではなく、無でもなく、またこれが有で
  あるようなものである。殺しもまた同様である。有ではなく、無でもなく、またこれ
  が有であるとしても、慙愧の人はそれを有ではないとする。慙愧のない者は無ではな
  いとする。果報を受ける者は、これを有という。空見の人は、これを有ではないとす
  る。有見の人は、これを無ではないとする。有有見の者は、またこれを有という。な
  ぜならば、有有見の者は果報を得るからであり、無有見の者は果報がない。常見の人
  は有ではないとする。無常見の者は無ではないとする。常常見の者は無とすることが
  できない。なぜなら、常常見の者は悪業の果があるから、常常見の者は無とすること
  ができない。この考え方によって、有ではなく、無ではないといっても、しかもまた
  これは有である。大王よ、衆生とは出入する息のことである。出入する息を断つこと
  から、それを殺しというのである。諸仏は、通俗にしたがって、また殺しを説くので
  ある。(中略)

  WikiArc
    果報
      原因としての善悪業(ごう)によって受ける報いとしての苦楽の結果。
    空見
      空というものにとらわれる誤った見解。
    空見の人
      あらゆるものの体はもともと実体があるのではなく、空であると知った人。
    有の見・無の見
      両極端に偏った誤った見解。 あらゆる事物を実に有りとみなすか、無しとみ
      なすこと。
    有見の人
      あらゆるものに固定した実体があると考える人。
    有有見のもの
      有見にさらに執着する人。
    無有見のもの
      有見を否定した人のこと。
    常見の人
      涅槃の常住をさとっている人。
    無常見のもの
      涅槃の常住をさとらぬ人。
    常常見のもの
      常を常と執ずる偏見のもの。

●re.12
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2518 ] Re12:教行信証・学習ノート8 2011/08/03 (Wed) 01:17 △up ▽down
--------------------------------------------------------------------------------
世尊。我見世間。従伊蘭子生伊蘭樹。不見伊蘭生栴檀樹者。我今始見従伊蘭子生栴檀樹。
伊蘭子者。我身是也。栴檀樹者。即是我心無根信也。無根者。我初不知恭敬如来。不信法
僧。是名無根。世尊。我若不遇如来世尊。当於無量阿僧祇劫在大地獄受無量苦。我今見仏。
以是見仏所得功徳破壊衆生煩悩悪心。仏言。大王。善哉善哉。我今知汝必能破壊衆生悪心。
世尊。若我審能破壊衆生諸悪心者。使我常在阿鼻地獄。無量劫中為諸衆生受苦悩。不以為
苦。爾時摩伽陀国無量人民。悉発阿耨多羅三藐三菩提心。以如是等無量人民発大心故。
阿闍世王所有重罪即得微薄。王及夫人・後宮・釆女。悉皆同発阿耨多羅三藐三菩提心。
爾時阿闍世王語耆婆言。耆婆。我今未死已得天身。捨於短命而得長命。捨無常身而得常身。
令諸衆生発阿耨多羅三藐三菩提心。乃至。諸仏弟子説是語已。即以種種宝幢。乃至。復以
偈頌而讃嘆言。
--------------------------------------------------------------------------------
(涅槃経・梵行品)世尊、我世間を見るに、伊蘭の子より伊蘭樹を生ず。伊蘭より栴檀樹を
生ずるものを見ず。我今始めて伊蘭の子より栴檀樹を生ずるを見る。伊蘭子は、我が身こ
れなり。栴檀樹とは、すなわちこれ我が心、無根の信なり。無根とは、我初めより如来を
恭敬せんことを知らず。法・僧を信ぜず。これを無根と名づく。世尊、我もし如来世尊に
遇わずは、まさに無量阿僧祇劫において、大地獄に在りて無量の苦を受くべし。我今仏を
見たてまつる。この見仏所得の功徳をもって、衆生の煩悩悪心を破壊せしむ。仏の言わく、
大王、善いかな、善いかな、我いま、汝必ずよく衆生の悪心を破壊することを知れり。
世尊、もし我審かによく衆生のもろもろの悪心を破壊せば、我常に阿鼻地獄に在りて、
無量劫の中にもろもろの衆生のために苦悩を受けしむとも、もって苦とせじ。その時に
摩伽陀国の無量の人民、ことごとく阿耨多羅三藐三菩提の心を発しき。かくのごときらの
無量の人民、大心を発するをもってのゆえに、阿闍世王の所有の重罪、すなわち微薄なる
ことを得たり。王および夫人、後宮、采女、ことごとくみな同じく阿耨多羅三藐三菩提心
を発しき。その時に阿闍世王、耆婆に語りて言わく、耆婆、我いま未だ死せずしてすでに
天身を得たり。短命を捨てて、しかも長命を得たり。無常の身を捨てて、しかして常身を
得たり。もろもろの衆生をして阿耨多羅三藐三菩提心を発せしむ。乃至。諸仏の弟子、
この語を説き已りて、すなわち種種の宝幢をもって、乃至。また偈頌をもって讃嘆して言
さく、
--------------------------------------------------------------------------------

●re.13
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2519 ] Re13:教行信証・学習ノート8 2011/08/03 (Wed) 01:17 △up ▽down
本文について、理解したところを記します。

>--------------------------------------------------------------------------------
>世尊。我見世間。従伊蘭子生伊蘭樹。不見伊蘭生栴檀樹者。我今始見従伊蘭子生栴檀樹。
>伊蘭子者。我身是也。栴檀樹者。即是我心無根信也。無根者。我初不知恭敬如来。不信法
>僧。是名無根。世尊。我若不遇如来世尊。当於無量阿僧祇劫在大地獄受無量苦。我今見仏。
>以是見仏所得功徳破壊衆生煩悩悪心。仏言。大王。善哉善哉。我今知汝必能破壊衆生悪心。
>世尊。若我審能破壊衆生諸悪心者。使我常在阿鼻地獄。無量劫中為諸衆生受苦悩。不以為
>苦。爾時摩伽陀国無量人民。悉発阿耨多羅三藐三菩提心。以如是等無量人民発大心故。
>阿闍世王所有重罪即得微薄。王及夫人・後宮・釆女。悉皆同発阿耨多羅三藐三菩提心。
>爾時阿闍世王語耆婆言。耆婆。我今未死已得天身。捨於短命而得長命。捨無常身而得常身。
>令諸衆生発阿耨多羅三藐三菩提心。乃至。諸仏弟子説是語已。即以種種宝幢。乃至。復以
>偈頌而讃嘆言。
>--------------------------------------------------------------------------------
>(涅槃経・梵行品)世尊、我世間を見るに、伊蘭の子より伊蘭樹を生ず。伊蘭より栴檀樹を
>生ずるものを見ず。我今始めて伊蘭の子より栴檀樹を生ずるを見る。伊蘭子は、我が身こ
>れなり。栴檀樹とは、すなわちこれ我が心、無根の信なり。無根とは、我初めより如来を
>恭敬せんことを知らず。法・僧を信ぜず。これを無根と名づく。世尊、我もし如来世尊に
>遇わずは、まさに無量阿僧祇劫において、大地獄に在りて無量の苦を受くべし。我今仏を
>見たてまつる。この見仏所得の功徳をもって、衆生の煩悩悪心を破壊せしむ。仏の言わく、
>大王、善いかな、善いかな、我いま、汝必ずよく衆生の悪心を破壊することを知れり。
>世尊、もし我審かによく衆生のもろもろの悪心を破壊せば、我常に阿鼻地獄に在りて、
>無量劫の中にもろもろの衆生のために苦悩を受けしむとも、もって苦とせじ。その時に
>摩伽陀国の無量の人民、ことごとく阿耨多羅三藐三菩提の心を発しき。かくのごときらの
>無量の人民、大心を発するをもってのゆえに、阿闍世王の所有の重罪、すなわち微薄なる
>ことを得たり。王および夫人、後宮、采女、ことごとくみな同じく阿耨多羅三藐三菩提心
>を発しき。その時に阿闍世王、耆婆に語りて言わく、耆婆、我いま未だ死せずしてすでに
>天身を得たり。短命を捨てて、しかも長命を得たり。無常の身を捨てて、しかして常身を
>得たり。もろもろの衆生をして阿耨多羅三藐三菩提心を発せしむ。乃至。諸仏の弟子、
>この語を説き已りて、すなわち種種の宝幢をもって、乃至。また偈頌をもって讃嘆して言
>さく、
>--------------------------------------------------------------------------------

  (涅槃経・梵行品)世尊よ、私が世間を見るところ、伊蘭の種から伊蘭の樹が生じます。
  伊蘭から栴檀の樹が生ずるというのは見たことがありませんでした。私は今はじめて、
  伊蘭の種から栴檀の樹が生ずるのを見ました。伊蘭の種は、私の身です。栴檀の樹と
  は、すなわち私の心、つまり、無根の(根拠がない)信です。無根(根拠がない)という
  のは、私は初めから如来を恭敬することを知らないということです。法・僧を信じな
  いませんでした。これを無根(根拠がない)といったのです。世尊よ、私がもし如来世尊
  に会わなかったら、とてつもなく長いあいだにわたって、大地獄にいて、計り知れな
  い苦しみを受けなければならなかったでしょう。私は今、仏を拝見しました。この仏
  を見ることによって得られる功徳が、衆生の煩悩悪心を打ち壊すのです。仏は言った。
  大王よ、よろしい、よろしい、私はいま、あなたが必ず衆生の悪心を打ち壊すことが
  できると知りました。世尊よ、もし私がはっきりと衆生のもろもろの悪心を破壊でき
  るならば、私は常に阿鼻地獄にあって、計り知れない長いあいだ、もろもろの衆生の
  ために苦悩を受けたとしても、それを苦としないでしょう。その時に、摩伽陀国の計
  り知れない多くの人民が、ことごとく阿耨多羅三藐三菩提(この上ない悟り)の心をお
  こした。このような無量の人民が、大心(菩提心)を起こしたために、阿闍世王の重罪
  が、微薄なものになった。王および夫人、後宮、采女が、ことごとくみな同じく阿耨
  多羅三藐三菩提心(この上ない悟り)をおこした。その時に阿闍世王は、耆婆にこう言
  った。耆婆よ、私はいま、未だ死ぬことがないままに、すでに天身を得ました。短い
  命を捨てて、長い命を得ました。無常の身を捨てて、常身を得ました。もろもろの衆生
  に阿耨多羅三藐三菩提心をおこさせました。(中略)諸仏の弟子(阿闍世王)は、この
  言葉を説き終わって、種々の宝幢をもって、(中略)また偈頌をもって讃嘆してこう
  述べた。

  WikiArc
    伊蘭
      梵語エーランダの音写。インドの植物の一種。強い悪臭があり、芳香を放つ
      栴檀と対照される。
    伊蘭子
      伊蘭の種子。伊蘭は梵語エーランダの音写。インドの植物の一種で、紅く美
      しい花をつけるが悪臭を放つ。
    栴檀樹
      梵語チャンダナの音写。香木の一種で赤・白・紫などの諸種があるという。
    無根の信
      煩悩心より生じた信でないこと。すなわち他力回向の信心をいう。
    後宮采女
      妃と女官。
    天身
      浄天身のこと、すなわち聖者の身。
    諸仏の弟子
      ここでは真の仏弟子となった阿闍世のことを指していう。
    宝幢
      いろいろな宝で飾った幔幕のこと。

●re.14
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2521 ] Re14:教行信証・学習ノート8 2011/08/07 (Sun) 01:38 △up ▽down
--------------------------------------------------------------------------------
実語甚微妙善巧於句義 甚深祕蜜蔵為衆故顕示 所有広博言為衆故略説 具足如是語善能
療衆生 若有諸衆生得聞是語者 若信及不信定知是仏説 諸仏常軟語為衆故説麁 麁語及
軟語皆帰第一義 是故我今者帰依於世尊 如来語一味猶如大海水 是名第一諦故無無義語
 如来今所説種種無量法 男女大小聞同獲第一義 無因亦無果無生亦無滅 是名大涅槃聞
者破諸結 如来為一切常作慈父母 当知諸衆生皆是如来子 世尊大慈悲為衆修苦行 如人
著鬼魅狂乱多所為 我今得見仏所得三業善 願以此功徳回向無上道 我今所供養仏法及衆
僧 願以此功徳三宝常在世 我今所当獲種種諸功徳 願以此破壊衆生四種魔 我遇悪知識
造作三世罪 今於仏前悔願後更莫造 願諸衆生等悉発菩提心 繋心常思念十方一切仏 復
願諸衆生永破諸煩悩 了了見仏性猶如妙徳等
--------------------------------------------------------------------------------
(涅槃経・梵行品)実語はなはだ微妙なり、善く句義に巧みなり、甚深秘密の蔵なり、衆の
ためのゆえに、あらゆる広博の言を顕示す。衆のためのゆえに略して説かく、かくのごと
きの語を具足して、よく衆生を療す。もしもろもろの衆生ありて、この語を聞くことを得
る者は、もしは信および不信、定んでこの仏説を知らん。諸仏は常に軟語をもって、衆の
ためのゆえに麁を説きたまう。麁語および軟語、みな第一義に帰せん。このゆえに我いま、
世尊に帰依したてまつる。如来の語は一味なること、なお大海の水のごとし。これを第一諦
と名づく。故に無無義の語をもって、如来いま種種の無量の法を説きたまうところなり。
男女・大小、聞きて、同じく第一義を獲しめん。無因また無果なり、無生また無滅なり、
これを大涅槃と名づく。聞く者、諸結を破す。如来、一切のために、常に慈父母と作りた
まえり。当に知るべし、もろもろの衆生は、みなこれ如来の子なり。世尊大慈悲は、衆の
ために苦行を修したまう。人の鬼魅に著〈くる〉わされて、狂乱して所為多きがごとし。
我いま仏を見たてまつることを得たり。得るところの三業の善、願わくはこの功徳をもっ
て、無上道に回向せん。我いま供養するところの仏・法および衆僧、願わくはこの功徳を
もって、三宝常に世にましまさん。我いま当に獲べきところの種種のもろもろの功徳、願
わくはこれをもって、衆生の四種の魔を破壊せん。我、悪知識に遇うて、三世の罪を造作
せり。いま仏前にして悔ゆ、願わくは後にまた造ることなからん。願わくはもろもろの衆生
をして等しくことごとく菩提心を発さしめん。心を繋けて常に、十方一切仏を思念したて
まつる。また願わくはもろもろの衆生、永くもろもろの煩悩を破し、了了に仏性を見るこ
と、なお妙徳のごとくして等しからん。
--------------------------------------------------------------------------------

●re.15
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2522 ] Re15:教行信証・学習ノート8 2011/08/07 (Sun) 01:38 △up ▽down
本文について、理解したところを記します。

>--------------------------------------------------------------------------------
>実語甚微妙善巧於句義 甚深祕蜜蔵為衆故顕示 所有広博言為衆故略説 具足如是語善能
>療衆生 若有諸衆生得聞是語者 若信及不信定知是仏説 諸仏常軟語為衆故説麁 麁語及
>軟語皆帰第一義 是故我今者帰依於世尊 如来語一味猶如大海水 是名第一諦故無無義語
> 如来今所説種種無量法 男女大小聞同獲第一義 無因亦無果無生亦無滅 是名大涅槃聞
>者破諸結 如来為一切常作慈父母 当知諸衆生皆是如来子 世尊大慈悲為衆修苦行 如人
>著鬼魅狂乱多所為 我今得見仏所得三業善 願以此功徳回向無上道 我今所供養仏法及衆
>僧 願以此功徳三宝常在世 我今所当獲種種諸功徳 願以此破壊衆生四種魔 我遇悪知識
>造作三世罪 今於仏前悔願後更莫造 願諸衆生等悉発菩提心 繋心常思念十方一切仏 復
>願諸衆生永破諸煩悩 了了見仏性猶如妙徳等
>--------------------------------------------------------------------------------
>(涅槃経・梵行品)実語はなはだ微妙なり、善く句義に巧みなり、甚深秘密の蔵なり、衆の
>ためのゆえに、あらゆる広博の言を顕示す。衆のためのゆえに略して説かく、かくのごと
>きの語を具足して、よく衆生を療す。もしもろもろの衆生ありて、この語を聞くことを得
>る者は、もしは信および不信、定んでこの仏説を知らん。諸仏は常に軟語をもって、衆の
>ためのゆえに麁を説きたまう。麁語および軟語、みな第一義に帰せん。このゆえに我いま、
>世尊に帰依したてまつる。如来の語は一味なること、なお大海の水のごとし。これを第一諦
>と名づく。故に無無義の語をもって、如来いま種種の無量の法を説きたまうところなり。
>男女・大小、聞きて、同じく第一義を獲しめん。無因また無果なり、無生また無滅なり、
>これを大涅槃と名づく。聞く者、諸結を破す。如来、一切のために、常に慈父母と作りた
>まえり。当に知るべし、もろもろの衆生は、みなこれ如来の子なり。世尊大慈悲は、衆の
>ために苦行を修したまう。人の鬼魅に著〈くる〉わされて、狂乱して所為多きがごとし。
>我いま仏を見たてまつることを得たり。得るところの三業の善、願わくはこの功徳をもっ
>て、無上道に回向せん。我いま供養するところの仏・法および衆僧、願わくはこの功徳を
>もって、三宝常に世にましまさん。我いま当に獲べきところの種種のもろもろの功徳、願
>わくはこれをもって、衆生の四種の魔を破壊せん。我、悪知識に遇うて、三世の罪を造作
>せり。いま仏前にして悔ゆ、願わくは後にまた造ることなからん。願わくはもろもろの衆生
>をして等しくことごとく菩提心を発さしめん。心を繋けて常に、十方一切仏を思念したて
>まつる。また願わくはもろもろの衆生、永くもろもろの煩悩を破し、了了に仏性を見るこ
>と、なお妙徳のごとくして等しからん。
>--------------------------------------------------------------------------------

  (涅槃経・梵行品)仏の実語は、はなはだ趣き深い。言葉も意味も巧みであり、はなは
  だ深い秘密の蔵であり、衆生のために、あらゆる広博の言葉を明らかに示すものであ
  る。衆生のために略して説くに、このような言葉をそなえて、衆生をいやすことがで
  きるのである。もし、この言葉を聞くことができたもろもろの衆生は、それを信して
  も信じなくても、必ずこの仏説を知るであろう。諸仏は常にやさしい言葉によって、
  衆のためにあらあらしい言葉を説く。あらあらしい言葉およびやさしい言葉は、すべ
  て第一義(無上にして絶対的な真理)に帰するであろう。だから、私はいま、世尊に
  帰依するのである。如来の言葉が一味(ひとつの味)であることは、大海の水のようで
  ある。これを第一義諦という。だから、無義ではない言葉によって、如来はいま種々
  の計り知れない法をお説きになるのである。男も女も、老いも若きも、それを聞いて、
  同じく第一義(無上にして絶対的な真理)を獲させよう。因がなければ果もなく、生が
  なければ滅もない、これを大涅槃という。それを聞く者は、煩悩の束縛を破る。如来
  は、すべての者のために常に慈父母となる。まさに知るべきである。もろもろの衆生
  は、みな如来の子である。大慈悲の世尊は、衆生のために苦行を修められた。人は、
  魔物に狂わされて、狂乱してなすところが多いようなものである。私は今、仏を拝見
  することができた。得るところの三業(身・口・意)の善が、願わくは、この功徳によ
  って、無上道(最高のさとり)に回向するように。私がいま供養するところの仏・法お
  よび衆僧について、願わくは、この功徳によって、三宝(仏・法・僧)は常に世におら
  れるであろう。我いま当に獲るべきところの種々のもろもろの功徳が、願わくは、こ
  れによって衆生の四種の魔を破壊するように。私は、悪知識に出会って、三世におよ
  ぶ罪を作った。いま仏前でこれを悔いる。願わくは、後でまた(その罪を)作ることが
  ないことを。願わくは、もろもろの衆生に等しくことごとく菩提心を起こさせること
  を。心をかけて常に、十方の一切の仏を思い念じ申しあげる。また願わくは、もろも
  ろの衆生が、末永くもろもろの煩悩を破り、まるで妙徳(文殊師利菩薩)のように、
  等しく明瞭に仏性を見るであろうことを。

  WikiArc
    実語
      如来の語られる真実の語。
    善巧句義において
      仏の説法は言葉も意味も巧みであるという意。
    甚深秘密の蔵
      はかりしれない深いいわれが蔵されているという意。
    所有広博の言を顕示す
      如来の所有(あらゆる)の広大な義理を博く説くこと。
    軟語
      やさしい言葉。
    第一義
      梵語パラマールタの漢訳。第一義諦に同じ。
    第一義諦
      梵語パラマールタ・サトヤの漢訳。真如実相のこと。無上にして絶対的な
      真理という意。真諦・勝義諦に同じ。世俗諦に対する語。
    無無義の語
      無義でない語のことで、仏の言葉には何一つ無意味なところはないということ。
    無因また無果なり
      涅槃の境地が因果の束縛を離れていることをいう。
    無生また無滅なり
      涅槃の境地が生滅を離れていることをいう。
    諸結
      煩悩の束縛。
    鬼魅に着はされて
      魔ものにとりつかれて錯乱するという意。
    四種の魔
      五陰魔(五薀魔)・死魔・煩悩魔・天魔を指して四魔という
    妙徳
      文殊師利菩薩のこと。

●re.16
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2524 ] Re16:教行信証・学習ノート8 2011/08/08 (Mon) 02:08 △up ▽down
--------------------------------------------------------------------------------
爾時世尊讃阿闍世王。善哉善哉。若有人能発菩提心。当知是人則為荘厳諸仏大衆。大王。
汝昔已於毘婆尸仏。初発阿耨多羅三藐三菩提心。従是已来至我出世。於其中間。未曽復堕
於地獄受苦。大王。当知菩提之心乃有如是無量果報。大王。従今已往。常当懃修菩提之心。
何以故。従是因縁当得消滅無量悪故。爾時阿闍世王及摩伽陀国挙人民。従座而起。遶仏三
匝。辞退還宮。已上。抄出。
--------------------------------------------------------------------------------
(涅槃経・梵行品)その時に、世尊、阿闍世王を讃めたまう。善いかな、善いかな、もし人
ありてよく菩提心を発さん。当に知るべし、この人はすなわち諸仏大衆を荘厳すとす。
大王、汝昔すでに毘婆尸仏のみもとにして、初めて阿耨多羅三藐三菩提の心を発しき。
これよりこのかた、我が出世に至るまで、その中間において、未だかつてまた地獄に堕し
て苦を受けず。大王、当に知るべし、菩提の心はいましかくのごとき無量の果報あり。
大王、今より已往に、常に当に懃〈ねんごろ〉に菩提の心を修すべし。何をもってのゆえ
に、この因縁に従って、当に無量の悪を消滅することを得べきがゆえなり。その時に
阿闍世王および摩伽陀国の人民挙って座よりして起ちて仏を遶ること三匝して、辞退して
宮に還りにきと。已上抄出。
--------------------------------------------------------------------------------

●re.17
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2525 ] Re17:教行信証・学習ノート8 2011/08/08 (Mon) 02:08 △up ▽down
本文について、理解したところを記します。

>--------------------------------------------------------------------------------
>爾時世尊讃阿闍世王。善哉善哉。若有人能発菩提心。当知是人則為荘厳諸仏大衆。大王。
>汝昔已於毘婆尸仏。初発阿耨多羅三藐三菩提心。従是已来至我出世。於其中間。未曽復堕
>於地獄受苦。大王。当知菩提之心乃有如是無量果報。大王。従今已往。常当懃修菩提之心。
>何以故。従是因縁当得消滅無量悪故。爾時阿闍世王及摩伽陀国挙人民。従座而起。遶仏三
>匝。辞退還宮。已上。抄出。
>--------------------------------------------------------------------------------
>(涅槃経・梵行品)その時に、世尊、阿闍世王を讃めたまう。善いかな、善いかな、もし人
>ありてよく菩提心を発さん。当に知るべし、この人はすなわち諸仏大衆を荘厳すとす。
>大王、汝昔すでに毘婆尸仏のみもとにして、初めて阿耨多羅三藐三菩提の心を発しき。
>これよりこのかた、我が出世に至るまで、その中間において、未だかつてまた地獄に堕し
>て苦を受けず。大王、当に知るべし、菩提の心はいましかくのごとき無量の果報あり。
>大王、今より已往に、常に当に懃〈ねんごろ〉に菩提の心を修すべし。何をもってのゆえ
>に、この因縁に従って、当に無量の悪を消滅することを得べきがゆえなり。その時に
>阿闍世王および摩伽陀国の人民挙って座よりして起ちて仏を遶ること三匝して、辞退して
>宮に還りにきと。已上抄出。
>--------------------------------------------------------------------------------

  (涅槃経・梵行品)その時に、世尊は、阿闍世王をお褒めになった。よろしい、よろし
  い、もし、人が菩提心をおこすことができたとしよう。まさに知るべきである。この
  人は諸仏大衆を荘厳する、ということを。大王よ、あなたは昔すでに毘婆尸仏のもと
  にあって、初めて阿耨多羅三藐三菩提(この上ない悟り)の心をおこした。それ以降、
  私が出世するに至るまでのあいだ、未だかつて地獄に堕して苦を受けることがなかっ
  た。大王よ、まさに知るべきである。菩提の心は、更にこのような計り知れない果報
  があるのである。大王よ、今より以後は、常にまさに心をかけて菩提の心を修すべき
  である。なぜなら、この因縁によって、まさに計り知れない悪を消滅させることがで
  きるだろうからである。その時に、阿闍世王と摩伽陀国の人民は、こぞって座より立
  ち上がって、仏の回りを三回まわって、おごそかに退出して宮殿に帰っていった。
  (抜粋)

  WikiArc
    毘婆尸仏
      毘婆尸は梵語ヴィバシュインの音写。過去七仏の第一。

●re.18
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2528 ] Re18:教行信証・学習ノート8 2011/08/12 (Fri) 02:20 △up ▽down
--------------------------------------------------------------------------------
又言。善男子。羅閲祇王頻婆沙羅。其王太子名曰善見。業因縁故。生悪逆心欲害其父。而
不得便。爾時悪人提婆達多。亦因過去業因縁故。復於我所生不善心欲害於我。即修五通。
不久獲得与善見太子共為親原。為太子故現作種種神通之事。従非門出従門而入。従門而出
非門而入。或時示現象馬牛羊男子之身。善見太子見已。即生愛心喜心敬信之心。為是本故
厳説種種供養之具而供養之。
--------------------------------------------------------------------------------
(涅槃経・迦葉品)また言わく、善男子、羅閲祇の王頻婆沙羅、その王の太子、名づけて
善見と曰う。業因縁のゆえに悪逆の心を生じて、その父を害せんとするに便りを得ず。
その時に悪人提婆達多、また過去の業因縁に因るがゆえに、また我が所において不善の心
を生じて、我を害せんと欲す。すなわち五通を修して、久しからずして、善見太子と共に
親厚たることを獲得せり。太子のためのゆえに、種種の神通の事を現作す。門にあらざる
より出でて門よりして入る。門よりして出でて門にあらざるよりして入る。ある時は象馬
牛羊男子の身を示現す。善見太子見已りて、すなわち愛心・喜心・敬信の心を生ず。これ
を本とするがゆえに、厳しく種種の供養の具を説きて、これを供養す。
--------------------------------------------------------------------------------

●re.19
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2529 ] Re19:教行信証・学習ノート8 2011/08/11 (Thu) 23:21 △up ▽down
本文について、理解したところを記します。

>--------------------------------------------------------------------------------
>又言。善男子。羅閲祇王頻婆沙羅。其王太子名曰善見。業因縁故。生悪逆心欲害其父。而
>不得便。爾時悪人提婆達多。亦因過去業因縁故。復於我所生不善心欲害於我。即修五通。
>不久獲得与善見太子共為親原。為太子故現作種種神通之事。従非門出従門而入。従門而出
>非門而入。或時示現象馬牛羊男子之身。善見太子見已。即生愛心喜心敬信之心。為是本故
>厳説種種供養之具而供養之。
>--------------------------------------------------------------------------------
>(涅槃経・迦葉品)また言わく、善男子、羅閲祇の王頻婆沙羅、その王の太子、名づけて
>善見と曰う。業因縁のゆえに悪逆の心を生じて、その父を害せんとするに便りを得ず。
>その時に悪人提婆達多、また過去の業因縁に因るがゆえに、また我が所において不善の心
>を生じて、我を害せんと欲す。すなわち五通を修して、久しからずして、善見太子と共に
>親厚たることを獲得せり。太子のためのゆえに、種種の神通の事を現作す。門にあらざる
>より出でて門よりして入る。門よりして出でて門にあらざるよりして入る。ある時は象馬
>牛羊男子の身を示現す。善見太子見已りて、すなわち愛心・喜心・敬信の心を生ず。これ
>を本とするがゆえに、厳しく種種の供養の具を説きて、これを供養す。
>--------------------------------------------------------------------------------

  (涅槃経・迦葉品)また言わく、善男子よ、羅閲祇の王である頻婆沙羅、その王の太子
  を、善見という。業因の縁のために悪逆の心を生じて、その父を殺そうしたが、たよ
  りとする方法がなかった。その時、悪人の提婆達多が、また過去の業因の縁によって、
  私のところで良くない心を生じて、私を殺そうと思った。五神通を修して間もなく、
  善見太子と親しくなった。太子のために、種々の神通の事がら作り現した。門のない
  ところから出て、門から入る。門から出て、門のないところから入る。あるときは、
  象、馬、牛、羊、男子の身を出現させた。善見太子は、これを見て、愛心・喜心・
  敬信の心を生じた。それからというもの、厳しく種々の供養の品を言いつけて、これ
  (提婆達多)を供養した。

  WikiArc
    羅閲祇
      梵名ラージャグリハの音写。王舎城のこと。
    頻婆娑羅
      梵名ビンビサーラの音写。釈尊在世時のマガダ国の王。妃として韋提希を迎
      え、その間に生れたのが阿闍世である。深く仏教に帰依し、竹林精舎を建立
      するなど、仏教の外護者であったが、提婆達多にそそのかされた阿闍世に
      牢獄に幽閉され、獄死した。
    業因縁
      悪業をつくらればならないような因縁。
    五通
      五神通のこと。天眼通・天耳通・宿命通・他心通・神足通をいう。
      これに漏尽通を加えて六神通という。
    親厚
      親しい友人。

●re.20
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2531 ] Re20:教行信証・学習ノート8 2011/08/19 (Fri) 01:21 △up ▽down
--------------------------------------------------------------------------------
又復白言。大師聖人。我今欲見曼陀羅華。時提婆達多即便法至三十三天。従彼天人而求索
之。其福尽故都無与者。既不得華作是思惟。曼陀羅樹無我我所。若自取当有何罪。即前欲
取。便失神通。還見己身在王舎城。心生慚愧不能復見。善見太子復作是念。我今当往至如
来所求索大衆。仏若聴者。我当随意教詔勅便舎利弗等爾時提婆達多。便来我所作如是言。
唯願如来。以此大衆付属於我。我当種種説法教化令其調伏。我言癡人。舎利弗等聴聞大智。
世所信伏。我猶不以大衆付属。況汝癡人食唾者乎。時提婆達多復於我所倍生悪心。作如是
言。瞿雲。汝今雖復調伏大衆。勢亦不久。当見磨滅。作是語已。大地即時六反震動。提婆
達多尋時躄地。於其身辺出大暴風。吹諸塵土而汚フン之。提婆達多見悪相已。復作是言。
若我此身現世必入阿鼻地獄。我悪当報如是大悪。
--------------------------------------------------------------------------------
(涅槃経・迦葉品)また白して言さく、大師聖人、我いま曼陀羅華を見んと欲す。時に提婆
達多、すなわち法として三十三天に至りて、かの天人に従うてこれを求索するに、その福
尽くるがゆえにすべて与うる者なし。すでに華を得ず。この思惟を作さく、曼陀羅樹は我
・我所なし、もし自ら取らんに当に何の罪かあるべき。すなわち前んで取らんと欲するに、
すなわち神通を失えり。還りて己身を見れば王舎城にあり。心に慙愧を生ずるに、また
善見太子を見ることあたわず。またこの念を作さく、我いま当に如来の所に往至して、大衆
を求索すべしと。仏もし聴さば、我当に意に随いて、教えてすなわち舎利弗等に詔勅すべ
しと。その時に提婆達多、すなわち我が所に来たりてかくのごときの言を作さく、やや願
わくは如来、この大衆をもって我に付嘱せよ、我当に種種に法を説きて教化して、それを
して調伏せしむべしと。我、痴人に言わく、舎利弗等は大智を聴聞して、世に信伏すると
ころなり。我なお大衆をもって付嘱せず。いわんや汝痴人、唾を食らう者をやと。時に
提婆達多、また我が所においてますます悪心を生じて、かくのごときの言を作さく、瞿曇、
汝いままた大衆を調伏すといえども、勢また久しからじ。当に磨滅するを見るべしと。こ
の語を作し已るに、大地即時に六反震動す。提婆達多、すなわち時に地に躄〈たふ〉れて、
その身の辺において大暴風を出だして、もろもろの塵土を吹き、しかもこれを汚フンす。
提婆達多、悪相を見已りて、またこの言を作さく、もし我、この身、現世に必ず阿鼻地獄
に入らば、我、悪〈かなら〉ずまさにかくのごときの大悪を報うべしと。
--------------------------------------------------------------------------------

●re.21
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2532 ] Re21:教行信証・学習ノート8 2011/08/19 (Fri) 01:22 △up ▽down
本文について、理解したところを記します。

>--------------------------------------------------------------------------------
>又復白言。大師聖人。我今欲見曼陀羅華。時提婆達多即便法至三十三天。従彼天人而求索
>之。其福尽故都無与者。既不得華作是思惟。曼陀羅樹無我我所。若自取当有何罪。即前欲
>取。便失神通。還見己身在王舎城。心生慚愧不能復見。善見太子復作是念。我今当往至如
>来所求索大衆。仏若聴者。我当随意教詔勅便舎利弗等爾時提婆達多。便来我所作如是言。
>唯願如来。以此大衆付属於我。我当種種説法教化令其調伏。我言癡人。舎利弗等聴聞大智。
>世所信伏。我猶不以大衆付属。況汝癡人食唾者乎。時提婆達多復於我所倍生悪心。作如是
>言。瞿雲。汝今雖復調伏大衆。勢亦不久。当見磨滅。作是語已。大地即時六反震動。提婆
>達多尋時躄地。於其身辺出大暴風。吹諸塵土而汚フン之。提婆達多見悪相已。復作是言。
>若我此身現世必入阿鼻地獄。我悪当報如是大悪。
>--------------------------------------------------------------------------------
>(涅槃経・迦葉品)また白して言さく、大師聖人、我いま曼陀羅華を見んと欲す。時に提婆
>達多、すなわち法として三十三天に至りて、かの天人に従うてこれを求索するに、その福
>尽くるがゆえにすべて与うる者なし。すでに華を得ず。この思惟を作さく、曼陀羅樹は我
>・我所なし、もし自ら取らんに当に何の罪かあるべき。すなわち前んで取らんと欲するに、
>すなわち神通を失えり。還りて己身を見れば王舎城にあり。心に慙愧を生ずるに、また
>善見太子を見ることあたわず。またこの念を作さく、我いま当に如来の所に往至して、大衆
>を求索すべしと。仏もし聴さば、我当に意に随いて、教えてすなわち舎利弗等に詔勅すべ
>しと。その時に提婆達多、すなわち我が所に来たりてかくのごときの言を作さく、やや願
>わくは如来、この大衆をもって我に付嘱せよ、我当に種種に法を説きて教化して、それを
>して調伏せしむべしと。我、痴人に言わく、舎利弗等は大智を聴聞して、世に信伏すると
>ころなり。我なお大衆をもって付嘱せず。いわんや汝痴人、唾を食らう者をやと。時に
>提婆達多、また我が所においてますます悪心を生じて、かくのごときの言を作さく、瞿曇、
>汝いままた大衆を調伏すといえども、勢また久しからじ。当に磨滅するを見るべしと。こ
>の語を作し已るに、大地即時に六反震動す。提婆達多、すなわち時に地に躄〈たふ〉れて、
>その身の辺において大暴風を出だして、もろもろの塵土を吹き、しかもこれを汚フンす。
>提婆達多、悪相を見已りて、またこの言を作さく、もし我、この身、現世に必ず阿鼻地獄
>に入らば、我、悪〈かなら〉ずまさにかくのごときの大悪を報うべしと。
>--------------------------------------------------------------------------------

  (涅槃経・迦葉品)(阿闍世は)またこう述べた。「大師聖人(提婆達多)よ、私はいま
  曼陀羅華を見たいと思う。」そうすると提婆達多は、ただちに法を使って三十三天に
  昇って、かの天人に従ってこれを求めたが、(提婆達多には)その福徳がなくなってい
  たので、だれも与える者がなかった。結局、華を得ることができない。そこで彼は考
  えた。「曼陀羅樹には、“自分”とか“自分のもの”などという考えがない。もし、
  私がらそれを取ったとしても、いったい何の罪があろうか。」そこで、前にでてそれ
  を取ろうとすると、ただちに神通力を失った。振り返って我が身を見ると、王舎城に
  いる。心に恥ずかしさを覚えて、再び善見太子を見ることができない。そこで、また、
  彼は思った。「私はいま、まさに如来のところに行って、大衆を求めてみよう。もし、
  仏が聞き入れてくれたら、私は、まさに意にままに教えて、舎利弗等に命令すること
  ができるだろう。」と。そのとき、提婆達多は、ただちに私のところにやってきて、
  このように言った。「どうか願わくは、如来よ、この大衆を私にまかせてください。
  私はまさに、様々に法を説いて教化して、信服させるだろう。」と。私は、その愚か
  者に言った。「舎利弗等は、大智を聴聞して、世間から信伏されているものである。
  それでも、私は、大衆をまかせてはいない。いわんや、あなたのような愚か者、唾を
  食らう者にまかせることができるだろうか。」そのとき、提婆達多は、また私のとこ
  ろでますます悪心を生じて、このように言った。「瞿曇よ、あなたは、いま大衆を信服
  させいるが、勢いがいつまでも続くわけではない。まさに磨滅するのを見るであろう。」
  この言葉を言ったときに、大地は即座に六回震動した。提婆達多は、ただちに地にた
  おれて、その身のまわりに大暴風がわきあがり、もろもろの塵土を吹きあげ、かれを
  汚した。提婆達多は、自分のひどい姿を見て、こう言った。「もし、私がこの身のま
  まで、現世において必ず阿鼻地獄に入るならは、私は、かならずまさに、このような
  大悪を報いるであろう」と。

  WikiArc
    大師聖人
      ここでは阿闍世が提婆達多に敬意を表していったもの。
    曼陀羅華
      梵語マーンダーラヴァの音写。天妙華・適意華・悦意華と漢訳する。色美し
      く見る者の心をよろこばせるという天上界の華。
    三十三天
      欲界の六欲天の一で、須弥山の頂上にある天といわれる。中央に帝釈天が
      住し、頂きの四方に各八人の天人がいるので、合せて三十三天となる。
      とう利天ともいう。
    我我所
      我は我見で、自己に対するとらわれ。我所は我所見で、自己に属するものに
      対するとらわれ。
    我見
      実体的な自我の存在を認め、それに執着する見解。
    詔勅
      教詔し勅使することで、命令し、使役すること。
    調伏
      教え導いて信服させること。

  大辞泉
    瞿曇
      《(梵)Gautamaの音写》釈迦(しゃか)が出家する前の本姓。ゴータマ。
      また、釈迦。くどんみ。

●re.22
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2533 ] Re22:教行信証・学習ノート8 2011/08/22 (Mon) 02:36 △up ▽down
--------------------------------------------------------------------------------
時提婆達多尋起。往至善見太子所。善見見已即問聖人。何故顔容憔悴有憂色邪。提婆達多
言。我常如是。汝不知乎。善見答言。領説其意。何因縁爾。提婆達多言。我今与汝極成親
愛。外人罵汝以為非理。我聞是事。豈得不憂。善見太子復作是言。国人云何罵辱於我。提
婆達言。国人罵汝為未生怨。善見復言。何故名我為未生怨。誰作此名。提婆達言。汝未生
時。一切相師皆作是言。是兒生已。当殺其父。是故外人皆悉号汝為未生怨。一切内人護汝
心故謂為善見。毘提夫人聞是語已。既生汝身於高楼上棄之於地。壊汝一指。以是因縁人復
号汝為婆羅怨枝。我聞是已。心生愁憤。而復不能向汝説之。提婆達多以如是等種種悪事教
令殺父。若汝父死。我亦能殺瞿曇沙門。
--------------------------------------------------------------------------------
(涅槃経・迦葉品)時に提婆達多、すなわち起ちて、善見太子の所に往至す。善見見已りて
すなわち聖人に問わく、何がゆえぞ、顔容憔悴して憂の色あるやと。提婆達多言わく、我
常にかくのごとし、汝知らずやと。善見答えて言わく、領〈ねが〉わくはその意を説くべ
し。何の因縁あってか爾なるやと。提婆達の言わく、我いま汝と極めて親愛を成す。外人、
汝を罵りてもって非理とす。我この事を聞くに、あに憂えざることを得んや。善見太子、
またこの言を作さく、国の人、いかんぞ我を罵辱するやと。提婆達の言わく、国の人、汝
を罵りて未生怨とす。善見また言わく、何がゆえぞ我を名づけて未生怨とする。誰かこの
名を作すと。提婆達の言わく、汝未だ生まれざりし時、一切の相師みなこの言を作さく、
この児生まれ已りて当にその父を殺すべしと。このゆえに外人みなことごとく、汝を号し
て未生怨とす。一切の内の人、汝が心を護るがゆえに、謂うて善見とすと。毘提夫人この
語を聞き已りて、すでに汝が身を生まんとして、高楼の上にして、これを地に棄てしに、
汝が一の指を壊れり。この因縁をもって、人また汝を号して婆羅留枝とす。我これを聞き
已りて、心に愁憤を生じてまた汝に向かいてこれを説くことあたわず。提婆達多、かくの
ごときらの種種の悪事をもって、教えて父を殺せしむ。もし汝が父死せば、我またよく
瞿曇沙門を殺さんと。
--------------------------------------------------------------------------------

●re.23
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2534 ] Re23:教行信証・学習ノート8 2011/08/22 (Mon) 02:36 △up ▽down
>--------------------------------------------------------------------------------
>時提婆達多尋起。往至善見太子所。善見見已即問聖人。何故顔容憔悴有憂色邪。提婆達多
>言。我常如是。汝不知乎。善見答言。領説其意。何因縁爾。提婆達多言。我今与汝極成親
>愛。外人罵汝以為非理。我聞是事。豈得不憂。善見太子復作是言。国人云何罵辱於我。提
>婆達言。国人罵汝為未生怨。善見復言。何故名我為未生怨。誰作此名。提婆達言。汝未生
>時。一切相師皆作是言。是兒生已。当殺其父。是故外人皆悉号汝為未生怨。一切内人護汝
>心故謂為善見。毘提夫人聞是語已。既生汝身於高楼上棄之於地。壊汝一指。以是因縁人復
>号汝為婆羅怨枝。我聞是已。心生愁憤。而復不能向汝説之。提婆達多以如是等種種悪事教
>令殺父。若汝父死。我亦能殺瞿曇沙門。
>--------------------------------------------------------------------------------
>(涅槃経・迦葉品)時に提婆達多、すなわち起ちて、善見太子の所に往至す。善見見已りて
>すなわち聖人に問わく、何がゆえぞ、顔容憔悴して憂の色あるやと。提婆達多言わく、我
>常にかくのごとし、汝知らずやと。善見答えて言わく、領〈ねが〉わくはその意を説くべ
>し。何の因縁あってか爾なるやと。提婆達の言わく、我いま汝と極めて親愛を成す。外人、
>汝を罵りてもって非理とす。我この事を聞くに、あに憂えざることを得んや。善見太子、
>またこの言を作さく、国の人、いかんぞ我を罵辱するやと。提婆達の言わく、国の人、汝
>を罵りて未生怨とす。善見また言わく、何がゆえぞ我を名づけて未生怨とする。誰かこの
>名を作すと。提婆達の言わく、汝未だ生まれざりし時、一切の相師みなこの言を作さく、
>この児生まれ已りて当にその父を殺すべしと。このゆえに外人みなことごとく、汝を号し
>て未生怨とす。一切の内の人、汝が心を護るがゆえに、謂うて善見とすと。毘提夫人この
>語を聞き已りて、すでに汝が身を生まんとして、高楼の上にして、これを地に棄てしに、
>汝が一の指を壊れり。この因縁をもって、人また汝を号して婆羅留枝とす。我これを聞き
>已りて、心に愁憤を生じてまた汝に向かいてこれを説くことあたわず。提婆達多、かくの
>ごときらの種種の悪事をもって、教えて父を殺せしむ。もし汝が父死せば、我またよく
>瞿曇沙門を殺さんと。
>--------------------------------------------------------------------------------

  (涅槃経・迦葉品)そのとき、提婆達多は、ただちに立ち上がって、善見太子のところ
  にいった。善見はそれを見て聖人(提婆達多)に問うた。「どうして、顔の様子が憔悴
  して、憂いの色があるのですか。」と。提婆達多は言った。「私はいつもこうです。
  あなたは知らなかったのですか。」と。善見は答えた。「願わくは、その意(こころ)
  を言ってください。何の因縁があって、そうなのですか。」と。提婆達は言った。私
  はいま、あなたに深く親愛の情を覚えています。宮廷外の人々が、あなたを罵って、
  道理にかなわないと言っています。私がこれを聞いて、どうして憂鬱にならないこと
  がありましょうか。」善見太子は、また言った。「国民は、どうして私を罵辱するの
  ですか。」と。提婆達は言った。「国民は、あなたを罵って“未生怨”だと言ってい
  ます。」善見は、また言った。「どうして、私を“未生怨”だと言うのですか。だれ
  が、このような名前をつけたのですか。」提婆達は言った。「あなたがまだ生まれる
  まえに、すべての人相占い師が、みなそう言いました。この児は、生まれたあと、ま
  さに父を殺すであろう、と。だから、宮廷外の人々はみな、あなたを“未生怨”と言
  っているのです。すべての宮廷内の人々は、あなたの心を護るために、善見と言って
  いるのです。毘提(韋提希)夫人は、この話を聞いて、あなたを生んだときに、高楼の
  上から地に棄てて、あなたの指を一本折りました。それで、人はあなたを“婆羅留枝”
  と言うのです。私はこれを聞いて、心に愁いと憤りを生じて、また、あなたに向かっ
  てこれを話すことができませんでした。」提婆達多は、このような様々な悪事によっ
  て、教えて父を殺させようとした。「もし、あなたの父が死ねば、私もまた、
  瞿曇沙門を殺すでしょう。」

  WikiArc
    外人
      宮廷外の人々。
    内の人
      宮廷内の人。
    未生怨
      出生以前より既に父に怨を懐いた者という意。
    婆羅留枝
      指が折れたものという意。

●re.24
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2536 ] Re24:教行信証・学習ノート8 2011/08/30 (Tue) 23:16 △up ▽down
--------------------------------------------------------------------------------
善見太子問一大臣。名曰雨行。大王何故為我立字作未生怨。大臣即為説其本末。如提婆達
所説無異。善見聞已。即与大臣收其父王閉之城外。以四種兵而守衞之。毘提夫人聞是事已。
即至王所。時守王人遮不聴入。爾時夫人生瞋恚心。便呵罵之。時諸守人即告太子。大王夫
人欲見父王。不審聴不。善見聞已復生瞋嫌。即往母所。前牽母髮抜刀欲斫。爾時耆婆白言。
大王。有国已来。罪雖極重不及女人。況所生母。善見太子聞是語已。為耆婆故即便放捨。
遮断大王衣服臥具飲食湯薬。過七日已王命便終。
--------------------------------------------------------------------------------
(涅槃経・迦葉品)善見太子、一の大臣に問わく、名づけて雨行と曰う。大王、何がゆえぞ
我がために字を立てて未生怨と作るや。大臣、すなわちためにその本末を説く、提婆達の
所説のごとくして異なることなし。善見聞き已りて、すなわち大臣とともにその父の王を
収りて、これを城の外に閉ず。四種の兵をもって、これを守衛せしむ。毘提夫人、この事
を聞き已りてすなわち王の所に至る。時に王を守る人、遮りて入ることを聴さず。その時
に夫人、瞋恚の心を生じて、すなわち呵してこれを罵る。時にもろもろの守人、すなわち
太子に告ぐらく、大王の夫人、父の王を見んと欲う、いぶかし、聴してんや、いなやと。
善見聞き已りてまた瞋嫌を生じて、すなわち母の所に往きて、前んで母の髪を牽きて、刀
を抜きて斫らんとす。その時に耆婆白して言さく、大王、国を有〈たも〉ってよりこのか
た、罪極めて重しといえども、女人に及ばず、いわんや所生の母をやと。善見太子、この
語を聞き已りて、耆婆のためのゆえにすなわち放捨して、遮りて大王の衣服・臥具・飲食
・湯薬を断って、七日を過ぎ已るに、王の命すなわち終わりぬと。
--------------------------------------------------------------------------------

●re.25
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2537 ] Re25:教行信証・学習ノート8 2011/08/30 (Tue) 23:16 △up ▽down
本文について、理解したところを記します。

>--------------------------------------------------------------------------------
>善見太子問一大臣。名曰雨行。大王何故為我立字作未生怨。大臣即為説其本末。如提婆達
>所説無異。善見聞已。即与大臣收其父王閉之城外。以四種兵而守衞之。毘提夫人聞是事已。
>即至王所。時守王人遮不聴入。爾時夫人生瞋恚心。便呵罵之。時諸守人即告太子。大王夫
>人欲見父王。不審聴不。善見聞已復生瞋嫌。即往母所。前牽母髮抜刀欲斫。爾時耆婆白言。
>大王。有国已来。罪雖極重不及女人。況所生母。善見太子聞是語已。為耆婆故即便放捨。
>遮断大王衣服臥具飲食湯薬。過七日已王命便終。
>--------------------------------------------------------------------------------
>(涅槃経・迦葉品)善見太子、一の大臣に問わく、名づけて雨行と曰う。大王、何がゆえぞ
>我がために字を立てて未生怨と作るや。大臣、すなわちためにその本末を説く、提婆達の
>所説のごとくして異なることなし。善見聞き已りて、すなわち大臣とともにその父の王を
>収りて、これを城の外に閉ず。四種の兵をもって、これを守衛せしむ。毘提夫人、この事
>を聞き已りてすなわち王の所に至る。時に王を守る人、遮りて入ることを聴さず。その時
>に夫人、瞋恚の心を生じて、すなわち呵してこれを罵る。時にもろもろの守人、すなわち
>太子に告ぐらく、大王の夫人、父の王を見んと欲う、いぶかし、聴してんや、いなやと。
>善見聞き已りてまた瞋嫌を生じて、すなわち母の所に往きて、前んで母の髪を牽きて、刀
>を抜きて斫らんとす。その時に耆婆白して言さく、大王、国を有〈たも〉ってよりこのか
>た、罪極めて重しといえども、女人に及ばず、いわんや所生の母をやと。善見太子、この
>語を聞き已りて、耆婆のためのゆえにすなわち放捨して、遮りて大王の衣服・臥具・飲食
>・湯薬を断って、七日を過ぎ已るに、王の命すなわち終わりぬと。
>--------------------------------------------------------------------------------

  (涅槃経・迦葉品)善見太子は、雨行という一人の大臣にたずねた。「大王は、どうして
  私に未生怨いう名前をつけたのですか。」大臣は、ことの次第を話したが、それは提婆達
  の言ったことと違いがなかった。善見はそれを聞いて、ただちに大臣とともに父の王を
  捕らえて、城の外に閉じ込めた。四種の兵に、これを守衛させた。毘提夫人は、このこ
  とを聞いて、ただちに王のところに行った。そのとき、王の守衛がそれを遮って、入る
  ことを許さない。そのとき、夫人は、瞋恚(怒り)の心を生じて、怒り罵った。そのとき、
  もろもろの守衛が、太子に告げた。「大王の夫人が父の王に会いたがっているが、聞き
  入れたらいいのかどうかわかりません。」善見はそれを聞いて、また怒り嫌って、ただ
  ちに母のところに行って、母の髪を引いて、刀を抜いて切ろうとした。そのとき、耆婆
  が言った。「大王よ、国は始まってこのかた、罪が極めて重いといっても、それが女人
  に及んだことはありません。ましてや、生みの母です。」善見太子は、この言葉を聞い
  て、耆婆のいうとおり手を放したが、大王の衣服・臥具・飲食・湯薬などの差し入れを
  許さず、それを絶って七日が過ぎたときに、王の命は終わりとなった。

  WikiArc
    四種の兵
      象兵・馬兵・車兵・歩兵。
    呵罵
      いかりののしること。
    瞋嫌
      いかり、きらうこと。

●re.26
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2538 ] Re26:教行信証・学習ノート8 2011/09/09 (Fri) 02:19 △up ▽down
--------------------------------------------------------------------------------
善見太子見父喪已。方生悔心。雨行大臣復以種種悪邪之法而為説之。大王。一切業行都無
有罪。何故今者而生悔心。耆婆復言。大王当知。如是業者罪業二重。一者殺父王。二者殺
須陀オン。如是罪者。除仏更無能除滅者。善見王言。如来清浄無有穢濁。我等罪人云何得
見。善男子。我知是事告阿難。過三月已。吾当涅槃。故善見聞已即来我所。我為説法。
重罪得薄。獲無根信。
--------------------------------------------------------------------------------
(涅槃経・迦葉品)善見太子、父の喪を見已りて、方に悔心を生ず。雨行大臣、また種種の
悪邪の法をもって、ためにこれを説く、大王、一切の業行すべて罪あることなし。何がゆ
えぞいま悔心を生ずるやと。耆婆また言わく、大王、当に知るべし。かくのごときの業は、
罪業二重なり。一には父の王を殺す、二には須陀オンを殺す。かくのごときの罪は、仏を
除きてさらによく除滅する者なけん。善見王言わく、如来は清浄にして穢濁ましますこと
なし。我等罪人いかんしてか見たてまつることを得ん。善男子、我この事を知らんと。
阿難に告げたまわく、三月を過ぎ已りて吾当に涅槃すべきがゆえにと。善見聞き已りて、
すなわち我が所に来れり。我ために法を説きて、重罪をして薄きことを得て、無根の信を
獲しめたまえり。
--------------------------------------------------------------------------------

●re.27
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2539 ] Re27:教行信証・学習ノート8 2011/09/09 (Fri) 02:20 △up ▽down
本文について、理解したところを記します。

>--------------------------------------------------------------------------------
>善見太子見父喪已。方生悔心。雨行大臣復以種種悪邪之法而為説之。大王。一切業行都無
>有罪。何故今者而生悔心。耆婆復言。大王当知。如是業者罪業二重。一者殺父王。二者殺
>須陀オン。如是罪者。除仏更無能除滅者。善見王言。如来清浄無有穢濁。我等罪人云何得
>見。善男子。我知是事告阿難。過三月已。吾当涅槃。故善見聞已即来我所。我為説法。
>重罪得薄。獲無根信。
>--------------------------------------------------------------------------------
>(涅槃経・迦葉品)善見太子、父の喪を見已りて、方に悔心を生ず。雨行大臣、また種種の
>悪邪の法をもって、ためにこれを説く、大王、一切の業行すべて罪あることなし。何がゆ
>えぞいま悔心を生ずるやと。耆婆また言わく、大王、当に知るべし。かくのごときの業は、
>罪業二重なり。一には父の王を殺す、二には須陀オンを殺す。かくのごときの罪は、仏を
>除きてさらによく除滅する者なけん。善見王言わく、如来は清浄にして穢濁ましますこと
>なし。我等罪人いかんしてか見たてまつることを得ん。善男子、我この事を知らんと。
>阿難に告げたまわく、三月を過ぎ已りて吾当に涅槃すべきがゆえにと。善見聞き已りて、
>すなわち我が所に来れり。我ために法を説きて、重罪をして薄きことを得て、無根の信を
>獲しめたまえり。
>--------------------------------------------------------------------------------

  (涅槃経・迦葉品)善見太子は、父の喪(死)を見て、まさに悔心を生じた。雨行大臣は、
  また種々の悪邪の法をによって説得をしようとした。「大王よ、すべての業行に罪は
  ありません。どうして、いまさら悔心を生じるのでしょうか。」耆婆また言った。
  「大王よ、まさに知るべきです。このような業には、二重の罪業があります。一つは、
  父である王を殺すこと。二つには、須陀オンを殺すこと。このような罪は、仏を除い
  て、取り除くことができる者はありません。」善見王は言った。「如来は、清らかで
  穢れのないものです。私たちのような罪人が、どうして拝見することができるでしょ
  うか。」善男子よ、わたしは、このことを知り、阿難に告げた。「三月たったら私は
  まさに涅槃(入滅)するであろうから。」と。善見は、それを聞きつけて、ただちに私
  のところにやってきた。わたしは、そのために法を説いて、重罪をやわらげて、無根
  の信を獲させた。

  WikiArc
    須陀オン
      梵語スロータ・アーパンナの音写。預流と漢訳する。はじめて法の流れに入
      ったものの意。声聞の修道階位、四向四果の中の初位で、三界の見惑(分別
      によって起す知的なまよい)を断じつつある位を須陀オン向(見道)といい、
      断じ尽した位を須陀オン果(修道)という。
    無根の信
      煩悩心より生じた信でないこと。すなわち他力回向の信心をいう。

●re.28
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2544 ] Re28:教行信証・学習ノート8 2011/09/19 (Mon) 02:31 △up ▽down
--------------------------------------------------------------------------------
善男子。我諸弟子聞是説已。不解我意故作是言。如来定説畢竟涅槃。善男子。菩薩二種。
一者実義。二者仮名。仮名菩薩聞我三月当入涅槃。皆生退心而作是言。如其如来無常不住。
我等何為為是事故無量世中受大苦悩。如来世尊成就具足無量功徳。尚不能壊如是死魔。
況我等輩当能壊邪。善男子。是故我為如是菩薩而作是言。如来常住無有変易。我諸弟子聞
是説已。不解我意。定言。如来終不畢竟入於涅槃。已上。抄出。
--------------------------------------------------------------------------------
(涅槃経・迦葉品)善男子、我がもろもろの弟子この説を聞き已りて、我が意を解らざるゆ
えに、この言を作さく、如来は定んで畢竟涅槃を説きたまえり。善男子、菩薩に二種あり、
一には実義、二には仮名なり。仮名の菩薩は、我三月あって当に涅槃に入るべしと聞きて、
みな退心を生じて、しかもこの言を作さく、もしそれ如来無常にして住したまわずは、
我等いかがせん。この事のためのゆえに、無量世の中に大苦悩を受けき。如来世尊は無量
の功徳を成就し具足したまうすら、なおかくのごときの死魔を壊することあたわず。いわ
んや我等が輩、当によく壊すべけんや。善男子、このゆえに我かくのごとき菩薩のため、
しかもこの言を作さく、如来は常住にして変易あることなし。我がもろもろの弟子、この
説を聞き已りて我が意を解らざれば、定んで言わん、如来は終に畢竟じて涅槃に入りたま
わずと。已上抄出。
--------------------------------------------------------------------------------

●re.29
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2545 ] Re29:教行信証・学習ノート8 2011/09/19 (Mon) 23:23 △up ▽down
本文について、理解したところを記します。

>--------------------------------------------------------------------------------
>善男子。我諸弟子聞是説已。不解我意故作是言。如来定説畢竟涅槃。善男子。菩薩二種。
>一者実義。二者仮名。仮名菩薩聞我三月当入涅槃。皆生退心而作是言。如其如来無常不住。
>我等何為為是事故無量世中受大苦悩。如来世尊成就具足無量功徳。尚不能壊如是死魔。
>況我等輩当能壊邪。善男子。是故我為如是菩薩而作是言。如来常住無有変易。我諸弟子聞
>是説已。不解我意。定言。如来終不畢竟入於涅槃。已上。抄出。
>--------------------------------------------------------------------------------
>(涅槃経・迦葉品)善男子、我がもろもろの弟子この説を聞き已りて、我が意を解らざるゆ
>えに、この言を作さく、如来は定んで畢竟涅槃を説きたまえり。善男子、菩薩に二種あり、
>一には実義、二には仮名なり。仮名の菩薩は、我三月あって当に涅槃に入るべしと聞きて、
>みな退心を生じて、しかもこの言を作さく、もしそれ如来無常にして住したまわずは、
>我等いかがせん。この事のためのゆえに、無量世の中に大苦悩を受けき。如来世尊は無量
>の功徳を成就し具足したまうすら、なおかくのごときの死魔を壊することあたわず。いわ
>んや我等が輩、当によく壊すべけんや。善男子、このゆえに我かくのごとき菩薩のため、
>しかもこの言を作さく、如来は常住にして変易あることなし。我がもろもろの弟子、この
>説を聞き已りて我が意を解らざれば、定んで言わん、如来は終に畢竟じて涅槃に入りたま
>わずと。已上抄出。
>--------------------------------------------------------------------------------

  (涅槃経・迦葉品)善男子よ、私のもろもろの弟子は、このことを聞いても、私の真意
  が解らなかったので、「如来はきっと、最後には涅槃に入ることについて説法したの
  だ。」と言った。(しかし)善男子よ、菩薩には、二種類があり、一つには本当の意味
  での菩薩、二つには名前だけの仮の菩薩である。名前だけの仮の菩薩は、私が「三ヵ月
  たったら涅槃に入るであろう」というのを聞いて、みな消極的な心を生じて、こう言っ
  た。「もし、如来が無常であって、この世に住まないのであれば、私たちはどうしたら
  いいのだろう。このことのために、計り知れない多くの世の中において、大きな苦悩
  を受けてきた。如来世尊は、無量の功徳を成就して、それを身につけているのに、それ
  でもなおこのような死魔を打ち破ることができない。ましてや、私たちのような輩は、
  それを打ち破ることができるであろうか。」善男子よ、だから私は、このような菩薩
  のために、私はこういう。「如来は常住であって、変わることはない」と。しかし、私の
  弟子たちが、この話しを聞いても私の真意を解らなければ、きっとこう言うであろう。
  「如来は、とうとう最後に涅槃に入るということはない」と。以上、抜粋。

●re.30
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2547 ] Re30:教行信証・学習ノート8 2011/09/24 (Sat) 23:59 △up ▽down
≪六要鈔会本の注釈≫

--------------------------------------------------------------------------------
次涅槃経。

所引広博。不能具解。宜知大意。問。今引此文有何要耶。答。弥陀名号与涅槃理其名雖異。
其性是同。此義文義共分明也。先言文者。大経下云。其有菩薩。生疑惑者。為失大利。是
故応当明信諸仏無上智慧。已上。又云。当知此人為得大利。則是具足無上功徳。已上。或
云智慧。或云功徳。其言雖殊共是名号。是指弥陀歎云無上。而諸教中称無上者涅槃一法。
謂智論意。大乗法中。大般涅槃以為無上。又喩伽云。復次云何有上法。謂除涅槃余一切法。
当知涅槃是無上法。已上。彼此無上可知一法。次言義者。上所出之大経文中。言智慧者三
徳之中且挙般若。若挙一徳三徳具足。此是三徳不離故也。無上功徳即是名号。名号即是三
徳秘蔵。然其名号全是弥陀。弥陀即是涅槃妙理。故事讃云。弥陀妙果号云無上涅槃。已上。
是就正報立涅槃名。又云極楽無為涅槃界。是約依報論涅槃義。又云畢命直入涅槃城。已上。
是所入城名曰涅槃。般舟讃云。念仏即是涅槃門。已上。此云涅槃約能入門。依正能所唯是
弥陀円満無上涅槃功徳。又阿闍世五逆重罪。定雖可入阿鼻獄中。来此経会滅罪解脱。療此
重病醍醐妙薬。今此念仏又滅此病。依之先徳以此念仏同彼醍醐。是一法故。以有如此甚深
義也。処処多引。今又引之。
--------------------------------------------------------------------------------
次に『涅槃経』。

所引広博なり。具に解するに能わず。宜く大意を知るべし。問う。今この文を引くは何の
要かあるや。答う。弥陀の名号と涅槃の理と、その名は異なるといえども、その性はこれ
同じ。この義は文義共に分明なり。まず文というは、『大経』の下に云わく「それ菩薩あ
りて、疑惑を生ずる者は、大利を失すと為す。この故にまさに明かに諸仏無上の智慧を信
ずべし」已上。また云わく「当に知るべし、この人は大利を得と為す。則ちこれ無上功徳
を具足するなり」已上。或いは智慧といい、或いは功徳という。その言は殊るといえども、
共にこれ名号なり。これ弥陀を指して、歎じて無上という。而るに諸教の中に無上と称す
るは涅槃の一法なり。謂わく『智論』の意は、大乗の法の中に、大般涅槃を以て無上と為
す。また『喩伽』に云わく「また次に云何なるか有上の法。謂わく涅槃を除きて余の一切
の法なり。当に知るべし、涅槃はこれ無上の法なり」已上。彼此の無上、知るべし、一法
なることを。次に義というは、上に出だす所の『大経』の文の中に、智慧というは、三徳
の中に且く般若を挙ぐ。もし一徳を挙ぐれば三徳具足す。これはこれ三徳は離れざるが故
なり。無上の功徳は即ちこれ名号なり。名号は即ちこれ三徳の秘蔵なり。然るにその名号
は全くこれ弥陀。弥陀は即ちこれ涅槃の妙理なり。故に『事讃』に云わく「弥陀の妙果を
号して無上涅槃という」已上。これ正報に就きて涅槃の名を立つ。また云わく「極楽は
無為涅槃の界なり」。これ依報に約して涅槃の義を論ず。また云わく「畢命に直ちに涅槃
の城に入る」已上。これ所入の城を名づけて涅槃という。『般舟讃』に云わく「念仏は即
ちこれ涅槃の門なり」已上。ここに涅槃というは能入の門に約す。依正能所ただこれ弥陀
円満無上涅槃の功徳なり。また阿闍世五逆の重罪は、定めて阿鼻獄の中に入るべしといえ
ども、この経会に来りて滅罪解脱す。この重病を療するは醍醐の妙薬なり。今この念仏は、
またこの病を滅す。これに依りて先徳はこの念仏を以て彼の醍醐に同ず。これ一法なるが
故に。かくの如きの甚深の義あるを以て、処処に多く引く。今またこれを引く。
--------------------------------------------------------------------------------

●re.31
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2548 ] Re31:教行信証・学習ノート8 2011/09/24 (Sat) 23:59 △up ▽down
≪六要鈔会本の注釈≫

>--------------------------------------------------------------------------------
>次涅槃経。

>所引広博。不能具解。宜知大意。問。今引此文有何要耶。答。弥陀名号与涅槃理其名雖異。
>其性是同。此義文義共分明也。先言文者。大経下云。其有菩薩。生疑惑者。為失大利。是
>故応当明信諸仏無上智慧。已上。又云。当知此人為得大利。則是具足無上功徳。已上。或
>云智慧。或云功徳。其言雖殊共是名号。是指弥陀歎云無上。而諸教中称無上者涅槃一法。
>謂智論意。大乗法中。大般涅槃以為無上。又喩伽云。復次云何有上法。謂除涅槃余一切法。
>当知涅槃是無上法。已上。彼此無上可知一法。次言義者。上所出之大経文中。言智慧者三
>徳之中且挙般若。若挙一徳三徳具足。此是三徳不離故也。無上功徳即是名号。名号即是三
>徳秘蔵。然其名号全是弥陀。弥陀即是涅槃妙理。故事讃云。弥陀妙果号云無上涅槃。已上。
>是就正報立涅槃名。又云極楽無為涅槃界。是約依報論涅槃義。又云畢命直入涅槃城。已上。
>是所入城名曰涅槃。般舟讃云。念仏即是涅槃門。已上。此云涅槃約能入門。依正能所唯是
>弥陀円満無上涅槃功徳。又阿闍世五逆重罪。定雖可入阿鼻獄中。来此経会滅罪解脱。療此
>重病醍醐妙薬。今此念仏又滅此病。依之先徳以此念仏同彼醍醐。是一法故。以有如此甚深
>義也。処処多引。今又引之。
>--------------------------------------------------------------------------------
>次に『涅槃経』。

>所引広博なり。具に解するに能わず。宜く大意を知るべし。問う。今この文を引くは何の
>要かあるや。答う。弥陀の名号と涅槃の理と、その名は異なるといえども、その性はこれ
>同じ。この義は文義共に分明なり。まず文というは、『大経』の下に云わく「それ菩薩あ
>りて、疑惑を生ずる者は、大利を失すと為す。この故にまさに明かに諸仏無上の智慧を信
>ずべし」已上。また云わく「当に知るべし、この人は大利を得と為す。則ちこれ無上功徳
>を具足するなり」已上。或いは智慧といい、或いは功徳という。その言は殊るといえども、
>共にこれ名号なり。これ弥陀を指して、歎じて無上という。而るに諸教の中に無上と称す
>るは涅槃の一法なり。謂わく『智論』の意は、大乗の法の中に、大般涅槃を以て無上と為
>す。また『喩伽』に云わく「また次に云何なるか有上の法。謂わく涅槃を除きて余の一切
>の法なり。当に知るべし、涅槃はこれ無上の法なり」已上。彼此の無上、知るべし、一法
>なることを。次に義というは、上に出だす所の『大経』の文の中に、智慧というは、三徳
>の中に且く般若を挙ぐ。もし一徳を挙ぐれば三徳具足す。これはこれ三徳は離れざるが故
>なり。無上の功徳は即ちこれ名号なり。名号は即ちこれ三徳の秘蔵なり。然るにその名号
>は全くこれ弥陀。弥陀は即ちこれ涅槃の妙理なり。故に『事讃』に云わく「弥陀の妙果を
>号して無上涅槃という」已上。これ正報に就きて涅槃の名を立つ。また云わく「極楽は
>無為涅槃の界なり」。これ依報に約して涅槃の義を論ず。また云わく「畢命に直ちに涅槃
>の城に入る」已上。これ所入の城を名づけて涅槃という。『般舟讃』に云わく「念仏は即
>ちこれ涅槃の門なり」已上。ここに涅槃というは能入の門に約す。依正能所ただこれ弥陀
>円満無上涅槃の功徳なり。また阿闍世五逆の重罪は、定めて阿鼻獄の中に入るべしといえ
>ども、この経会に来りて滅罪解脱す。この重病を療するは醍醐の妙薬なり。今この念仏は、
>またこの病を滅す。これに依りて先徳はこの念仏を以て彼の醍醐に同ず。これ一法なるが
>故に。かくの如きの甚深の義あるを以て、処処に多く引く。今またこれを引く。
>--------------------------------------------------------------------------------

  次に、ここまでは『涅槃経』からの引用である。

  引用箇所は、学識の広さを示すものである。それを詳しく解説することはできない。
  よろしく大意を知ってほしい。問う。今この文を引用するのは、何の必要があるのか。
  答える。弥陀の名号と涅槃の理(ことわり)と、その名は異なってはいるが、その本性
  は同である。このことは、文(表現)のうえからも、義(考え方)のうえからも、明らか
  である。


  まず文(表現)についていうと、『大経』の下にこう述べる。「菩薩のなかで、疑惑を
  生ずる者は、大利を失う。だから、まさに明らかに、諸仏の無上の(この上ない)智慧
  を信じるべきである。」またこう述べる。「まさに知るべきである。この人は大利を
  得る。すなわち、これは無上の(この上ない)功徳をそなえるものである。」あるいは
  智慧と言い、あるいは功徳と言う。その言葉は異なるものの、ともにこれは名号であ
  る。これは、弥陀を指して、讃嘆して無上(この上ない)という。そしてまた、諸教の
  なかで無上というは涅槃の一法だけである。謂わく『智論』の意(こころ)では、大乗
  の法のなかで、大般涅槃を無上とする。また『喩伽』にはこう述べる。「また次に、
  有上の法とはどのようなものであろうか。謂わく、涅槃を除いた他の一切の法のこと
  である。まさに知るべきである。涅槃は、無上の法である。」どちらの無上も、
  一法(涅槃)であると知るべきである。

  WikiArc
    智論(大智度論)
      百巻。龍樹菩薩(150−250頃)の著(現在は龍樹撰述に疑問が出されている)。
      後秦の鳩摩羅什訳。
      『摩訶般若波羅蜜経』を註釈したもの。原本は現存しないが、元来は十万頌
      あったと伝えられ、鳩摩羅什がそれを百巻に要約したといわれる。般若空の
      思想を基本的立場としながらも、自著『中論』にみられる否定面と比べてむ
      しろ諸法実相の積極的な肯定面に力を注いでおり、大乗の菩薩思想や六波羅蜜
      などの宗教的実践面を明らかにしている。
    喩伽(瑜伽論)
      『瑜伽師地論』のこと。 百巻。 唐の玄奘訳。 中国では弥勒の作、チベットで
      は無着の作と伝える。 瑜伽行唯識学派の根本論書で、瑜伽行者の境・行・果
      を詳説する。
    一法句
      真如法性のこと。

  日本国語大辞典
    一法
      唯一絶対の真実。涅槃。


  次に義(考え方)について。上に引用した『大経』の文のなかで、智慧については、
  三徳のなかで、ひとまず般若を挙げる。もし一徳を挙げれば、三徳がついてくる。
  これは、三徳をそれぞれ切り離すことができないからである。無上の功徳は、すなわ
  ち名号である。名号は、すなわち三徳の秘蔵(秘伝)である。ところが、その名号は、
  まったく弥陀そのものである。弥陀は、すなわち涅槃の妙理(不思議な道理)である。
  だから『事讃』にこう述べる。「弥陀の妙果を無上涅槃と呼ぶ」これは、正報につい
  て涅槃の名を立てるものである。またこう述べる。「極楽は無為涅槃の界(国土)であ
  る」これは、依報(環境)について涅槃の義(考え方)を論ずるものである。またこう述
  べる。「畢命(臨終)のときに、ただちに涅槃の城に入る」これは、所入の城(入る対象
  の城)を、涅槃と呼ぶものである。『般舟讃』にこう述べる。「念仏は、すなわち涅槃
  の門である」ここに涅槃というのは、能入の門(主体の入る門)のことである。依と正
  (心身と環境)も、能と所(主体と対象)も、ただ弥陀が完全に満足させて無上涅槃の
  功徳なのである。

  日本国語大辞典
    三徳
      大涅槃にそなわる三つの徳。一切にそなわる真如としての法身と、悟りの智慧
      としての般若と、煩悩の束縛を離れた解脱の三つ。
    秘蔵
      大切に秘して、めったには外部にもらさない事柄。奥義。秘伝。
    妙理
      玄妙の理。不思議な道理。

  WikiArc
    事讃(法事讃)
      二巻。善導大師(613-681)の著。上巻には招請、供養懺悔の儀式を明かし、
      下巻には『小経』を読誦する儀式作法を示されている。
    依正二報
      依報と正報の二種の果報。
        1.正報はまさしく過去の業の報いとして得た有情の心身をいい、
             依報はその心身のよりどころとなる国土・環境をいう。
        2.浄土の依正二報。阿弥陀仏と菩薩衆(聖衆)が正報にあたり、
             その国土が依報にあたる。
    畢命
      命がおわること。臨終。


  また、阿闍世の五逆の重罪は、当然、阿鼻獄に入るべきものではあるが、この経会(?)
  にやってきて、罪が滅びて解脱した。この重病を治療するものは、醍醐の妙薬である。
  今、この念仏は、同様にこの病を滅ぼす。これによって、先徳は、この念仏が、かの
  醍醐と同じである、としている。なぜなら、これは、一法(涅槃)だからである。この
  ようなはなはだ深いの義(考え方)があるので、これを、ところどころに多く引用して
  いる。そして、今また、これを引用するのである。

  日本国語大辞典
    先徳
      仏語。死亡した高徳の僧。また、前代の有徳の僧。

●re.32
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2549 ] Re32:教行信証・学習ノート8 2011/09/26 (Mon) 23:11 △up ▽down
≪六要鈔会本の注釈≫

--------------------------------------------------------------------------------
就挙邪臣並外道名。自一至四所列可見。上大臣名。下外道名。第五行下婆蘇仙者。非経所
出六師之内。彼吉徳誘闍世言所引古仙之名字也。第六行上。迦羅鳩駄迦旃延者。六師第五。
此名宜在第五行下婆蘇仙所。第六邪臣名無所畏。今不挙之。若挙之者是則可在第六行上。
挙尼ノ陀若提子所。若提子者可在其下。問。名字存没次第前後何如此耶。答。如此用捨依
時不定。婆蘇仙者雖似無要。邪臣所用本説名故。亦非無由。第六行上置尼ノ陀若提子者。
除婆蘇仙次吉徳故非之置上。只依隣次。又雖不挙無所畏名。在本文故省略而已。問。若譲
在文。上五可同。何出上五略下一耶。答。出初略後。挙多省少。就初就多有何過乎。又於
所挙六師之名。文字是異。但雖有異。於音通者不足為異。於其音異宜為異本。第三名中。
一本那闡。一本刪闍。一本肱子。一本胝子。第四名中一本翅金。一本翅舎。第六名中。
一本ケン子。一本提子。上参差本有異歟。但二説中。刪闍胝子阿耆舎欽若提子名。止観第
十為比等字。故予当初学円宗時。受明師説。此名字也。
--------------------------------------------------------------------------------
邪臣並びに外道の名を挙ぐるに就きて、一より四に至るまでは、列ぬる所見つべし。上は
大臣の名、下は外道の名。第五行の下に「婆蘇仙」とは、経の出だす所の六師の内にあら
ず。彼の吉徳の闍世を誘うる言に引く所の古仙の名字なり。第六行の上に「迦羅鳩駄迦旃延」
とは、六師の第五。この名は宜く第五行の下の婆蘇仙の所に在るべし。第六の邪臣を無所畏
と名づく。今はこれを挙げず。もしこれを挙ぐれば、これ則ち第六行の上、尼ノ陀若提子
を挙ぐる所に在るべし。。若提子はその下に在るべし。問う。名字の在没次第前後は何ぞ
かくの如きなるや。答う。かくの如きの用捨は時に依りて不定なり。婆蘇仙は要なきに似
たりといえども、邪臣所用の本説の名なるが故に、また由なきにあらず。第六行の上に
尼ノ陀若提子を置くことは、婆蘇仙を除きて、吉徳に次ぐが故に、これを上に置くにはあ
らず。ただ隣次に依る。また無所畏の名を挙げずといえども、本文に在るが故に省略すら
くのみ。問う。もし文に在るに譲らば、上の五も同じかるべし。何ぞ上の五を出だして下
の一を略するや。答う。初を出して後を略し、多を挙げて少を省く。初に就き多に就くこ
と、何の過あらんや。また挙ぐる所の六師の名に於いて、文字はこれ異なり。但し異あり
といえども、音の通ずるに於いては異と為るに足らず。その音の異なるに於いては宜く異本
と為べし。第三の名の中に、一本には那闡、一本には刪闍、一本には肱子、一本には胝子。
第四の名の中に一本には翅金、一本には翅舎。第六の名の中に、一本にはケン子、一本に
は提子。上の参差は本に異あるか。但し二説の中に、刪闍・胝子、阿耆舎・欽若・提子の
名は、『止観』の第十、これ等の字たり。故に予、当初〈そのかみ〉、円宗を学せし時、
明師の説を受けし、この名字なり。
--------------------------------------------------------------------------------

●re.33
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2550 ] Re33:教行信証・学習ノート8 2011/09/26 (Mon) 23:11 △up ▽down
≪六要鈔会本の注釈≫

>--------------------------------------------------------------------------------
>就挙邪臣並外道名。自一至四所列可見。上大臣名。下外道名。第五行下婆蘇仙者。非経所
>出六師之内。彼吉徳誘闍世言所引古仙之名字也。第六行上。迦羅鳩駄迦旃延者。六師第五。
>此名宜在第五行下婆蘇仙所。第六邪臣名無所畏。今不挙之。若挙之者是則可在第六行上。
>挙尼ノ陀若提子所。若提子者可在其下。問。名字存没次第前後何如此耶。答。如此用捨依
>時不定。婆蘇仙者雖似無要。邪臣所用本説名故。亦非無由。第六行上置尼ノ陀若提子者。
>除婆蘇仙次吉徳故非之置上。只依隣次。又雖不挙無所畏名。在本文故省略而已。問。若譲
>在文。上五可同。何出上五略下一耶。答。出初略後。挙多省少。就初就多有何過乎。又於
>所挙六師之名。文字是異。但雖有異。於音通者不足為異。於其音異宜為異本。第三名中。
>一本那闡。一本刪闍。一本肱子。一本胝子。第四名中一本翅金。一本翅舎。第六名中。
>一本ケン子。一本提子。上参差本有異歟。但二説中。刪闍胝子阿耆舎欽若提子名。止観第
>十為比等字。故予当初学円宗時。受明師説。此名字也。
>--------------------------------------------------------------------------------
>邪臣並びに外道の名を挙ぐるに就きて、一より四に至るまでは、列ぬる所見つべし。上は
>大臣の名、下は外道の名。第五行の下に「婆蘇仙」とは、経の出だす所の六師の内にあら
>ず。彼の吉徳の闍世を誘うる言に引く所の古仙の名字なり。第六行の上に「迦羅鳩駄迦旃延」
>とは、六師の第五。この名は宜く第五行の下の婆蘇仙の所に在るべし。第六の邪臣を無所畏
>と名づく。今はこれを挙げず。もしこれを挙ぐれば、これ則ち第六行の上、尼ノ陀若提子
>を挙ぐる所に在るべし。若提子はその下に在るべし。問う。名字の在没次第前後は何ぞ
>かくの如きなるや。答う。かくの如きの用捨は時に依りて不定なり。婆蘇仙は要なきに似
>たりといえども、邪臣所用の本説の名なるが故に、また由なきにあらず。第六行の上に
>尼ノ陀若提子を置くことは、婆蘇仙を除きて、吉徳に次ぐが故に、これを上に置くにはあ
>らず。ただ隣次に依る。また無所畏の名を挙げずといえども、本文に在るが故に省略すら
>くのみ。問う。もし文に在るに譲らば、上の五も同じかるべし。何ぞ上の五を出だして下
>の一を略するや。答う。初を出して後を略し、多を挙げて少を省く。初に就き多に就くこ
>と、何の過あらんや。また挙ぐる所の六師の名に於いて、文字はこれ異なり。但し異あり
>といえども、音の通ずるに於いては異と為るに足らず。その音の異なるに於いては宜く異本
>と為べし。第三の名の中に、一本には那闡、一本には刪闍、一本には肱子、一本には胝子。
>第四の名の中に一本には翅金、一本には翅舎。第六の名の中に、一本にはケン子、一本に
>は提子。上の参差は本に異あるか。但し二説の中に、刪闍・胝子、阿耆舎・欽若・提子の
>名は、『止観』の第十、これ等の字たり。故に予、当初〈そのかみ〉、円宗を学せし時、
>明師の説を受けし、この名字なり。
>--------------------------------------------------------------------------------

  邪臣ならびに外道の名を挙げたところについて、一から四にいたるまでは、連ねたも
  のを見てください。上は大臣の名、下は外道の名である。第五行の下に「婆蘇仙」と
  あるのは、経に出ている六師のなかのものではない。かの吉徳が、阿闍世を誘う言葉
  に引用された昔の仙人の名前である。第六行の上に「迦羅鳩駄迦旃延」とあるのは、
  六師の第五番目である。この名は、当然、第五行の下の婆蘇仙のところにあるべきも
  のである。第六の邪臣を無所畏というが、今はこれを取り上げていない。もしこれを
  取り上げたとすれば、これ第六行の上、尼ノ陀若提子を挙げるところにあるべきもの
  である。若提子は、その下にあるべきものである。


  問う。名前があったりなかったり、また、順序が前後したりしているのは、どうして
  このようになっているのか。答う。このように用いたり捨てたりするのは、時によっ
  て定まったものではない。婆蘇仙は必要ないようなものだが、邪臣が用いたところの
  典拠の名前であるから、理由がないこともない。第六行の上に尼ノ陀若提子を置くの
  は、婆蘇仙を除いて、吉徳に次ぐものであるから、これを上に置くものではない。
  ただ隣の次ということによる。また、無所畏の名を挙げなくとも、本文にあるから
  省略しているだけである。問う。もし、すでに文にあることに譲るのならば、上の五
  も同じようなものである。どうして上の五を出して、下の一つを略するのか。答う。
  初めを出して後を略し、多くを挙げて少ないものを省く。初めに就き、また、多くに
  就くことに、何の過ちがあるだろうか。


  また、取り上げた六師の名前について、文字に異なっているところがある。ただし、
  文字は異なっているが、音が通ずるので異なっているというほどではない。その音が
  異なるものについては、異本とするべきである。第三の名前のなかで、一つの本には
  那闡、一つの本には刪闍、一つの本には肱子、一つの本には胝子となっている。第四
  の名前のなかで、一つの本には翅金、一つの本には翅舎となっている。第六の名前の
  なかで、一つの本にはケン子、一つの本には提子となっている。このような食い違い
  は本が異なっているのか。ただし、二つ説のなかで、刪闍・胝子、阿耆舎・欽若・提子
  の名前は、『止観』の第十に、これ等の字を使っている。だから、かねて当初のおり
  に、円宗(天台宗)を学んだ時に、智慧のすぐれた師の説を受けたが、この名前であった。

  日本国語大辞典
    参差(しん‐し)
      (1) 高さや長さが異なっていて、そろわないこと。等しくないこと。
        ふぞろいなこと。また、そのさま。
      (2) 互いに入り交じっていること。互いに交錯していること。
        また、そのさま。
      (3) くいちがっていること。矛盾していること。また、そのさま。

  WikiArc
    明師
      智慧すぐれた師

●re.34
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2551 ] Re34:教行信証・学習ノート8 2011/10/01 (Sat) 00:40 △up ▽down
--------------------------------------------------------------------------------
是以。今拠大聖真説。難化三機・難治三病者。憑大悲弘誓帰利他信海。矜哀斯治。憐憫斯
療。喩如醍醐妙薬療一切病。濁世庶類・穢悪群生。応求念金剛不壊真心。可執持本願醍醐
妙薬也。応知。
--------------------------------------------------------------------------------
(御自釈)ここをもって、今大聖の真説に拠るに、難化の三機、難治の三病は、大悲の弘誓
を憑み、利他の信海に帰すれば、これを矜哀して治し、これを憐憫して療したまう。たと
えば醍醐の妙薬の、一切の病を療するがごとし。濁世の庶類、穢悪の群生、金剛不壊の
真心を求念すべし。本願醍醐の妙薬を執持すべきなりと。知るべし。
--------------------------------------------------------------------------------


≪六要鈔会本の注釈≫

--------------------------------------------------------------------------------
是以等者。私解釈也。此解釈意。如上所述。弥陀真教。涅槃極理。内証是一無有差別。
是故共治難治三機。以顕此義為斯釈意。言三機者。如挙文初。一謗大乗。二五逆罪。
三一闡提。是其機也。言三病者。即此三機。約根三機。寄喩云病。言聖聞者。聖字不正。
書生誤歟。以声為本。
--------------------------------------------------------------------------------
「是以」等とは、私の解釈なり。この解釈の意は、上に述ぶる所の如く、弥陀の真教、
涅槃の極理、内証はこれ一にして差別あることなし。この故に共に難治の三機を治す。
この義を顕わすを以てこの釈意と為す。「三機」というは、文の初に挙ぐるが如し。一に
は謗大乗、二には五逆罪、三には一闡提、これその機なり。「三病」というは、即ちこの
三機。根に約すれば三機、喩に寄せては病という。「聖聞」というは、聖の字は正しから
ず。書生の誤りか。声を以て本と為す。
--------------------------------------------------------------------------------

●re.35
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2552 ] Re35:教行信証・学習ノート8 2011/10/01 (Sat) 00:40 △up ▽down
本文と六要鈔会本の注釈について、理解したところを記します。

>--------------------------------------------------------------------------------
>是以。今拠大聖真説。難化三機・難治三病者。憑大悲弘誓帰利他信海。矜哀斯治。憐憫斯
>療。喩如醍醐妙薬療一切病。濁世庶類・穢悪群生。応求念金剛不壊真心。可執持本願醍醐
>妙薬也。応知。
>--------------------------------------------------------------------------------
>(御自釈)ここをもって、今大聖の真説に拠るに、難化の三機、難治の三病は、大悲の弘誓
>を憑み、利他の信海に帰すれば、これを矜哀して治し、これを憐憫して療したまう。たと
>えば醍醐の妙薬の、一切の病を療するがごとし。濁世の庶類、穢悪の群生、金剛不壊の
>真心を求念すべし。本願醍醐の妙薬を執持すべきなりと。知るべし。
>--------------------------------------------------------------------------------

  (御自釈)そういうわけで、今、大聖(釈尊)の真実の説によれば、難化の三機、難治の
  三病は、大悲の弘誓を憑(たの)み、利他の信海に帰するならば、これを深くあわれん
  で治してくれる。たとえば、それは、醍醐の妙薬が、すべての病を治してくれるよう
  なものである。汚れた世の人々、そして、穢れて罪深いすべての衆生は、金剛のよう
  に堅く壊れない信心をひとえに求めて心に念ずるべきである。本願という醍醐の妙薬
  を、しっかりと心に保持するべきである。これを知るべきである。

  WikiArc
    難化の三機
      救われ難い三種の機類。五逆、謗法、一闡提をいう。
    難治の三病
      とうてい治療できない重病人。難化の三機に同じ。
    弘誓
      ひろきちかいという意。一切衆生を救おうという誓い。
    利他の信海
      他力回向の信心のこと。
    矜哀
      深くあわれむこと。
    濁世の庶類
      五濁の世の人々。
    金剛不壊の真心
      金剛のように堅く、破壊されることのない信心。

  日本国語大辞典
    穢悪
      けがれていて罪深いこと。また、そのさま。
    求念
      ひとえに求めて心に念ずること。
    醍醐
      牛乳を精製して作った純粋最上の味のもの。非常に濃厚な甘味で薬用などに
      用いる。また、如来の最上の教法にたとえる。
    執持
      しっかりとらえて、忘れないこと。心に保持すること。しつじ。しゅじ。


≪六要鈔会本の注釈≫

>--------------------------------------------------------------------------------
>是以等者。私解釈也。此解釈意。如上所述。弥陀真教。涅槃極理。内証是一無有差別。
>是故共治難治三機。以顕此義為斯釈意。言三機者。如挙文初。一謗大乗。二五逆罪。
>三一闡提。是其機也。言三病者。即此三機。約根三機。寄喩云病。言聖聞者。聖字不正。
>書生誤歟。以声為本。
>--------------------------------------------------------------------------------
>「是以」等とは、私の解釈なり。この解釈の意は、上に述ぶる所の如く、弥陀の真教、
>涅槃の極理、内証はこれ一にして差別あることなし。この故に共に難治の三機を治す。
>この義を顕わすを以てこの釈意と為す。「三機」というは、文の初に挙ぐるが如し。一に
>は謗大乗、二には五逆罪、三には一闡提、これその機なり。「三病」というは、即ちこの
>三機。根に約すれば三機、喩に寄せては病という。「聖聞」というは、聖の字は正しから
>ず。書生の誤りか。声を以て本と為す。
>--------------------------------------------------------------------------------

  「是以」等については、親鸞聖人の私的な解釈である。この解釈の意(こころ)は、ま
  えに述べたように、「弥陀の真教(真実の教え)」と「涅槃の極理(究極の道理)」は、
  内々の証(あかし)としては一つのものであって、違いはない。だから、どちらも難治
  の三機を治すのである。この義(考え方)を明らかにすることが、
  この解釈の意(こころ)である。

  日本国語大辞典
    内証
      表向きにしないで内々にしておくこと。また、そのもの。ないしょ。


  「三機」については、文の初めに挙げたとおりである。一つには謗大乗、二つには
  五逆罪、三つには一闡提が、その機である。「三病」というは、即ちこの三機のこ
  とである。根(資質)についていえば三機、それをたとえれば病という。「聖聞」に
  ついて、聖の字は正しくない。書生(写経生)の誤りであろうか。声が本来の字であ
  る。

  WikiArc
    謗大乗(謗法)
      仏の教えをそしり、正しい真理をないがしろにすること。
    一闡提
      梵語イッチャンティカの音写。一闡底迦・一顛迦ともいい、略して闡提とも
      いう。断善根・信不具足と漢訳する。世俗的な快楽を追求するのみで正法を
      信ぜず、さとりを求める心がなく成仏することのできない衆生のこと。浄土
      教では、これらのものも回心(えしん)すれば往生することができると説く。
    根
      教えを受ける者の資質。

  日本国語大辞典
    書生(しょ‐しょう)
      写経所の写経生。経典を書写する者。ひろく写経を業とする者。

●re.36
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2553 ] Re36:教行信証・学習ノート8 2011/10/01 (Sat) 00:56 △up ▽down
--------------------------------------------------------------------------------
夫拠諸大乗説難化機。今大経言唯除五逆誹謗正法。或言唯除造無間悪業誹謗正法及諸聖人。
観経明五逆往生不説謗法。涅槃経説難治機与病。斯等真教云何思量耶。
--------------------------------------------------------------------------------
(御自釈)それ諸大乗に拠るに、難化の機を説けり。今の『大経』には「唯除五逆誹謗正法」
と言い、あるいは「唯除造無間悪業誹謗正法及誹謗聖人」(如来会)と言えり。『観経』
には五逆の往生を明かして謗法を説かず。『涅槃経』には、難治の機と病とを説けり。
これらの真教、いかんが思量せんや。
---------------------------------------------------------------------------------


≪六要鈔会本の注釈≫

--------------------------------------------------------------------------------
夫拠以下至思量耶。私問詞也。
--------------------------------------------------------------------------------
「夫拠」以下、「思量耶」に至るまでは、私の問の詞なり。
--------------------------------------------------------------------------------

●re.37
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2554 ] Re37:教行信証・学習ノート8 2011/10/01 (Sat) 00:57 △up ▽down
本文と六要鈔会本の注釈について、理解したところを記します。

>--------------------------------------------------------------------------------
>夫拠諸大乗説難化機。今大経言唯除五逆誹謗正法。或言唯除造無間悪業誹謗正法及諸聖人。
>観経明五逆往生不説謗法。涅槃経説難治機与病。斯等真教云何思量耶。
>--------------------------------------------------------------------------------
>(御自釈)それ諸大乗に拠るに、難化の機を説けり。今の『大経』には「唯除五逆誹謗正法」
>と言い、あるいは「唯除造無間悪業誹謗正法及誹謗聖人」(如来会)と言えり。『観経』
>には五逆の往生を明かして謗法を説かず。『涅槃経』には、難治の機と病とを説けり。
>これらの真教、いかんが思量せんや。
>---------------------------------------------------------------------------------

  (御自釈)さまざまな大乗の経典には、難化の機について説かれている。今の『大経』
  には「唯除五逆誹謗正法」と言い、あるいは「唯除造無間悪業誹謗正法及誹謗聖人」
  (如来会)と言っている。『観経』には、五逆の往生を明らかにしているが、謗法に
  ついての説明はない。『涅槃経』には、難治の機と病について説かれている。これら
  の真実の教えについて、どのように考えたらよいのだろうか。


≪六要鈔会本の注釈≫

>--------------------------------------------------------------------------------
>夫拠以下至思量耶。私問詞也。
>--------------------------------------------------------------------------------
>「夫拠」以下、「思量耶」に至るまでは、私の問の詞なり。
>--------------------------------------------------------------------------------

  「夫拠」から「思量耶」までは、親鸞聖人自信による問いの言葉である。

●re.38
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2557 ] Re38:教行信証・学習ノート8 2011/10/17 (Mon) 00:09 △up ▽down
--------------------------------------------------------------------------------
報道。論註曰。問曰。無量寿経言。願往生者皆得往生唯除五逆誹謗正法。観無量寿経言五
逆十悪具諸不善亦得往生。此二経云何会。答曰。一経以具二種重罪。一者五逆。二者誹謗
正法。以此二種罪故。所以不得往生。一経但言作十悪五逆等罪。不言誹謗正法。以不謗正
法故。是故得生。
--------------------------------------------------------------------------------
報えていわく、『論の註』に曰わく、問うて曰わく、『無量寿経』に言わく、往生を願ぜ
ん者みな往生を得しむ。唯五逆と誹謗正法とを除くと。『観無量寿経』に、五逆・十悪も
ろもろの不善を具せるもの、また往生を得と言えり。この二経云何が会せんや。答えて曰
わく、一経には二種の重罪を具するをもってなり。一には五逆、二には誹謗正法なり。こ
の二種の罪をもってのゆえに、このゆえに往生を得ず。一経はただ、十悪・五逆等の罪を
作ると言うて、正法を誹謗すと言わず。正法を謗せざるをもってのゆえに、このゆえに生
を得せしむと。
--------------------------------------------------------------------------------


≪六要鈔会本の注釈≫

--------------------------------------------------------------------------------
報道以下、答中所引論註文者。上巻釈也。総説竟後都有八重問答之中。第二以下七番問答
至尽巻也。問。彼初重意。問答何事。答。就問念仏所被之機。答中意云。大経説云諸有衆
生。而除五逆誹謗正法。観経具説九品之機。而摂五逆。猶除謗法故。述其余尽依信仏因縁
皆生。第二問答就此義来。其意可見。一者五逆二者誹謗正法等者。問。鸞師之意。全不可
許謗法之機往生益乎。答。如今文者不許之歟。但如下巻荘厳心業功徳成就之解釈者。許彼
謗法尚得解脱。其解釈載当巻初解三十三願身心柔軟利益之段。故今略之。彼釈許生摂受門
意。是約回心。今釈不許抑止門意。約未回心。
--------------------------------------------------------------------------------
「報道」以下、答の中の所引『論註』の文は上巻の釈なり。総説竟の後、都て八重の問答
ある中に、第二以下の七番の問答、巻を尽くすに至るまでなり。問う。彼の初重の意は何
の事を問答するや。答う。念仏所被の之機を問うに就きて、答の中に意の云わく、『大経』
には説きて「諸有衆生」といいて、而も五逆と誹謗正法とを除き、『観経』には具に九品
の機を説きて、而も五逆を摂して、なお謗法を除く。故にその余は尽く信仏の因縁に依り
てみな生ずることを述ぶ。第二の問答はこの義に就きて来る。その意見つべし。「一には
五逆、二には誹謗正法」等とは、問う。鸞師の意は全く謗法の機に往生の益を許すべから
ざるや。答う。今の文の如きはこれを許さざるか。但し下巻の荘厳心業功徳成就の解釈の
如きは、彼の謗法の、なお解脱を得ることを許す。その解釈は当巻の初に三十三の願の
身心柔軟の利益を解する段に載す。故に今はこれを略す。彼の釈に生ずることを許すは
摂受門の意、これ回心に約す。今の釈に許さざるは抑止門の意、未回心に約す。
--------------------------------------------------------------------------------

●re.39
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2558 ] Re39:教行信証・学習ノート8 2011/10/17 (Mon) 15:18 △up ▽down
>--------------------------------------------------------------------------------
>報道。論註曰。問曰。無量寿経言。願往生者皆得往生唯除五逆誹謗正法。観無量寿経言五
>逆十悪具諸不善亦得往生。此二経云何会。答曰。一経以具二種重罪。一者五逆。二者誹謗
>正法。以此二種罪故。所以不得往生。一経但言作十悪五逆等罪。不言誹謗正法。以不謗正
>法故。是故得生。
>--------------------------------------------------------------------------------
>報えていわく、『論の註』に曰わく、問うて曰わく、『無量寿経』に言わく、往生を願ぜ
>ん者みな往生を得しむ。唯五逆と誹謗正法とを除くと。『観無量寿経』に、五逆・十悪も
>ろもろの不善を具せるもの、また往生を得と言えり。この二経云何が会せんや。答えて曰
>わく、一経には二種の重罪を具するをもってなり。一には五逆、二には誹謗正法なり。こ
>の二種の罪をもってのゆえに、このゆえに往生を得ず。一経はただ、十悪・五逆等の罪を
>作ると言うて、正法を誹謗すと言わず。正法を謗せざるをもってのゆえに、このゆえに生
>を得せしむと。
>--------------------------------------------------------------------------------

  その答えはこうである。『論註』にこう述べる。問う。『無量寿経』にこう述べる。
  往生を願う者には、みな往生を得させる。ただし、五逆と誹謗正法とを除く。『観無
  量寿経』に、五逆・十悪や、さまざまな不善を具えているものも、また往生を得ると
  言っている。この二つの経は、どのようにして辻褄があうのだろうか。答える。一つ
  の経には、二種の罪を重複して具えることによるとしている。一つには五逆、二つに
  は誹謗正法である。この二種の罪があるために往生できない。もう一つの経は、ただ、
  十悪・五逆などの罪を作ると言って、正法を誹謗するとは言っていない。正法を謗る
  ことがないから、往生を得させる、と。


≪六要鈔会本の注釈≫

>--------------------------------------------------------------------------------
>報道以下、答中所引論註文者。上巻釈也。総説竟後都有八重問答之中。第二以下七番問答
>至尽巻也。問。彼初重意。問答何事。答。就問念仏所被之機。答中意云。大経説云諸有衆
>生。而除五逆誹謗正法。観経具説九品之機。而摂五逆。猶除謗法故。述其余尽依信仏因縁
>皆生。第二問答就此義来。其意可見。一者五逆二者誹謗正法等者。問。鸞師之意。全不可
>許謗法之機往生益乎。答。如今文者不許之歟。但如下巻荘厳心業功徳成就之解釈者。許彼
>謗法尚得解脱。其解釈載当巻初解三十三願身心柔軟利益之段。故今略之。彼釈許生摂受門
>意。是約回心。今釈不許抑止門意。約未回心。
>--------------------------------------------------------------------------------
>「報道」以下、答の中の所引『論註』の文は上巻の釈なり。総説竟の後、都て八重の問答
>ある中に、第二以下の七番の問答、巻を尽くすに至るまでなり。問う。彼の初重の意は何
>の事を問答するや。答う。念仏所被の機を問うに就きて、答の中に意の云わく、『大経』
>には説きて「諸有衆生」といいて、而も五逆と誹謗正法とを除き、『観経』には具に九品
>の機を説きて、而も五逆を摂して、なお謗法を除く。故にその余は尽く信仏の因縁に依り
>てみな生ずることを述ぶ。第二の問答はこの義に就きて来る。その意見つべし。「一には
>五逆、二には誹謗正法」等とは、問う。鸞師の意は全く謗法の機に往生の益を許すべから
>ざるや。答う。今の文の如きはこれを許さざるか。但し下巻の荘厳心業功徳成就の解釈の
>如きは、彼の謗法の、なお解脱を得ることを許す。その解釈は当巻の初に三十三の願の
>身心柔軟の利益を解する段に載す。故に今はこれを略す。彼の釈に生ずることを許すは
>摂受門の意、これ回心に約す。今の釈に許さざるは抑止門の意、未回心に約す。
>--------------------------------------------------------------------------------

  「報道」以下、答えのなかの『論註』からの引用文は、大経上巻の釈である。「総説竟」
  の後に、あわせて八回の問答があるなかで、二つ目以下の七つの問答は、上巻の最後
  までとなっている。

  問う。その初めの問答は、どのような意図によるものか。答える。「念仏を被る機」
  について尋ねたのにたいして、次のように答えた。『大経』には「諸有衆生」と説き、
  そして五逆と誹謗正法とを除き、『観経』には具体的に九品の機を説いて、そして五逆
  を摂して、謗法を除く。したがって、そのほかはことごとく「信仏の因縁」によって、
  みな往生することを述べている。第二の問答はこの義(考え方)についてフォローして
  いる。その意(こころ)を見るべきである。

  「一には五逆、二には誹謗正法」等について、問う。鸞師(曇鸞)の意(こころ)による
  と、謗法の機にたいして往生の益をまったく許すべきでないとしているのだろうか。
  答える。ここの文によれば、これを許さない、ということになろうか。ただし、下巻
  の「荘厳心業功徳成就」の解釈によれば、かの謗法にたいしても、解脱を得ることを
  許している。その解釈は、当巻の初めに、三十三願(身心柔軟の利益)を解する段に載
  せている。だから、ここではこれを略す。彼の釈で、往生を許しているのは摂受門の
  意(こころ)であって、これは回心した者に限って述べたものである。今の釈で、許さ
  ないというは抑止門の意(こころ)であって、これは、いまだ回心していない者に限っ
  て述べたものである。

  大辞泉
    摂受門(しょうじゅ‐もん)
      摂受によって人々を正法に帰依させる法門。

  WikiArc
    抑止門
      衆生がこれを犯さないようにおさえとどめるために説かれたとするのを
      抑止門という。
      逆謗が極重罪であることを知らしめ、回心せしめて、みなもれず往生せしめ
      ようとされた意であるといわれている。
    回心(えしん)
      心をひるがえすこと。
        1.悪心を改めて仏の教えに帰すること。回心懺悔のこと。
        2.自力の心を捨てて本願他力に帰すること。

●re.40
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2562 ] Re40:教行信証・学習ノート8 2011/10/22 (Sat) 01:26 △up ▽down
--------------------------------------------------------------------------------
問曰。仮使一人具五逆罪而不誹謗正法。経許得生。復有一人但誹謗正法而無五逆諸罪願往
生者。得生以不。答曰。但令誹謗正法雖更無余罪。必不得生。何以言之。経言。五逆罪人
堕阿鼻大地獄中。具受一劫重罪。誹謗正法人堕阿鼻大地獄中。此劫若尽。復転至他方阿鼻
大地獄中。如是展転逕百千阿鼻大地獄。仏不記得出時節。以誹謗正法罪極重故。又正法者
即是仏法。此愚癡人既生誹謗。安有願生仏土之理。仮使但貪彼生安楽而願生者。亦如求非
水之氷無烟之火。豈有得理。
--------------------------------------------------------------------------------
(論註)問うて曰わく、たとい一人は五逆罪を具して正法を誹謗せざれば、経に得生を許す。
また一人ありて、ただ正法を誹謗して五逆もろもろの罪なきもの、往生を願ぜば、生を得
るやいなや。答えて曰わく、ただ正法を誹謗せしめば、さらに余の罪なしといえども、必
ず生を得じ。何をもってこれを言わば、経(大品般若経)に言わく、五逆の罪人、阿鼻大
地獄の中に堕し、具に一劫重罪を受く。誹謗正法の人は、阿鼻大地獄の中に堕して、この
劫もし尽くれば、また転じて他方の阿鼻大地獄の中に至る。かくのごとく展転して、百千
の阿鼻大地獄を径。仏出ずることを得る時節を記したまわず。誹謗正法の罪極重なるをも
ってのゆえに。また正法はすなわちこれ仏法なり。この愚痴の人、すでに誹謗を生ず。い
ずくんぞ仏土に願生するの理あらんや。たといただかの安楽に生まるることを貪して生ず
ることを願ぜんは、また水にあらざるの氷、煙なきの火を求むるがごとし。あに得る理
〈ことわり〉あらんや。
--------------------------------------------------------------------------------

●re.41
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2563 ] Re41:教行信証・学習ノート8 2011/10/22 (Sat) 01:27 △up ▽down
本文について、理解したところを記します。

>--------------------------------------------------------------------------------
>問曰。仮使一人具五逆罪而不誹謗正法。経許得生。復有一人但誹謗正法而無五逆諸罪願往
>生者。得生以不。答曰。但令誹謗正法雖更無余罪。必不得生。何以言之。経言。五逆罪人
>堕阿鼻大地獄中。具受一劫重罪。誹謗正法人堕阿鼻大地獄中。此劫若尽。復転至他方阿鼻
>大地獄中。如是展転逕百千阿鼻大地獄。仏不記得出時節。以誹謗正法罪極重故。又正法者
>即是仏法。此愚癡人既生誹謗。安有願生仏土之理。仮使但貪彼生安楽而願生者。亦如求非
>水之氷無烟之火。豈有得理。
>--------------------------------------------------------------------------------
>(論註)問うて曰わく、たとい一人は五逆罪を具して正法を誹謗せざれば、経に得生を許す。
>また一人ありて、ただ正法を誹謗して五逆もろもろの罪なきもの、往生を願ぜば、生を得
>るやいなや。答えて曰わく、ただ正法を誹謗せしめば、さらに余の罪なしといえども、必
>ず生を得じ。何をもってこれを言わば、経(大品般若経)に言わく、五逆の罪人、阿鼻大
>地獄の中に堕し、具に一劫重罪を受く。誹謗正法の人は、阿鼻大地獄の中に堕して、この
>劫もし尽くれば、また転じて他方の阿鼻大地獄の中に至る。かくのごとく展転して、百千
>の阿鼻大地獄を径。仏出ずることを得る時節を記したまわず。誹謗正法の罪極重なるをも
>ってのゆえに。また正法はすなわちこれ仏法なり。この愚痴の人、すでに誹謗を生ず。い
>ずくんぞ仏土に願生するの理あらんや。たといただかの安楽に生まるることを貪して生ず
>ることを願ぜんは、また水にあらざるの氷、煙なきの火を求むるがごとし。あに得る理
>〈ことわり〉あらんや。
>--------------------------------------------------------------------------------

  (論註)問う。たとえば、ある人が、五逆の罪を犯しても、正法を誹謗しなければ、経
  では往生することを許している。また、ある人が、ただ正法を誹謗するだけで、五逆
  の様々な罪がないとしたら、往生を願えば、往生できるのだろうか。答える。正法を
  誹謗するだけで、他の罪がないとしても、間違いなく往生はできない。なぜなら、経
  (大品般若経)にこう述べるからである。五逆の罪人は、阿鼻大地獄に堕ちて、事細か
  に一劫にわたる重罪を受ける。正法を誹謗する人は、阿鼻大地獄に堕ちて、この劫が
  終われば、また転じて他の阿鼻大地獄に至る。このように次々に、百千の阿鼻大地獄
  を径る。仏は、ここから出て来ることができる時節をお記にならなかった。それは、
  正法を誹謗する罪が極めて重いからである。また、正法はすなわち仏法である。この
  愚痴の人は、すでに(仏法を)誹謗したのである。どうして仏土に生ずることを願うを
  道理があるだろうか。かりに、かの安楽浄土に生まれることを貪って、生ずること願
  うのは、水でない氷、煙のない火を求めるようなものである。どうして、それを手に
  入れる道理があるだろうか。

  WikiArc
    展転して
      順次に。つぎつぎに。

●re.42
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2567 ] Re42:教行信証・学習ノート8 2011/10/30 (Sun) 23:43 △up ▽down
--------------------------------------------------------------------------------
問曰。何等相是誹謗正法。答曰。若言無仏・無仏法・無菩薩・無菩薩法。如是等見。若心
自解。若従他受其心決定。皆名誹謗正法。

問曰。如是等計但是己事。於衆生有何苦悩踰於五逆重罪邪。答曰。若無諸仏菩薩説世間出
世間善道教化衆生者。豈知有仁義礼智信邪。如是世間一切善法皆断。出世間一切賢聖皆滅。
汝但知五逆罪為重。而不知五逆罪従無正法生。是故謗正法人其罪最重。
--------------------------------------------------------------------------------
(論註)問うて曰わく、何等の相かこれ誹謗正法なるや。答えて曰わく、もし仏なく、仏の
法もなし、菩薩なく、菩薩の法もなしと言わん、かくのごときらの見をもって、もしは心
に自ら解り、もしは他に従いて、その心を受けて決定するを、みな誹謗正法と名づくと。

(論註)問うて曰わく、かくのごときらの計は、ただこれ己が事なり。衆生において何の苦悩
ありてか、五逆の重罪に踰えんや。答えて曰わく、もし諸仏菩薩、世間・出世間の善道を
説きて、衆生を教化したまう者〈ひと〉ましまさずは、あに仁義礼智信あることを知らん
や。かくのごとくならば世間の一切の善法みな断じ、出世間の一切賢聖みな滅しなん。汝
ただ五逆罪の重たることのみ知りて、五逆罪の正法なきより生ずることを知らず。このゆ
えに謗正法の人はその罪もっとも重なりと。
--------------------------------------------------------------------------------

●re.43
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2568 ] Re43:教行信証・学習ノート8 2011/10/30 (Sun) 23:43 △up ▽down
本文について、理解したところを記します。

>--------------------------------------------------------------------------------
>問曰。何等相是誹謗正法。答曰。若言無仏・無仏法・無菩薩・無菩薩法。如是等見。若心
>自解。若従他受其心決定。皆名誹謗正法。

>問曰。如是等計但是己事。於衆生有何苦悩踰於五逆重罪邪。答曰。若無諸仏菩薩説世間出
>世間善道教化衆生者。豈知有仁義礼智信邪。如是世間一切善法皆断。出世間一切賢聖皆滅。
>汝但知五逆罪為重。而不知五逆罪従無正法生。是故謗正法人其罪最重。
>--------------------------------------------------------------------------------
>(論註)問うて曰わく、何等の相かこれ誹謗正法なるや。答えて曰わく、もし仏なく、仏の
>法もなし、菩薩なく、菩薩の法もなしと言わん、かくのごときらの見をもって、もしは心
>に自ら解り、もしは他に従いて、その心を受けて決定するを、みな誹謗正法と名づくと。

>(論註)問うて曰わく、かくのごときらの計は、ただこれ己が事なり。衆生において何の苦悩
>ありてか、五逆の重罪に踰えんや。答えて曰わく、もし諸仏菩薩、世間・出世間の善道を
>説きて、衆生を教化したまう者〈ひと〉ましまさずは、あに仁義礼智信あることを知らん
>や。かくのごとくならば世間の一切の善法みな断じ、出世間の一切賢聖みな滅しなん。汝
>ただ五逆罪の重たることのみ知りて、五逆罪の正法なきより生ずることを知らず。このゆ
>えに謗正法の人はその罪もっとも重なりと。
>--------------------------------------------------------------------------------

  (論註)問う。どのようなことが、誹謗正法となるのか。答える。もし仮に、仏もなく、
  仏の法もない、菩薩もなく、菩薩の法もない、と言ったとしよう。このような見方に
  よって、自ら心に理解をしたり、あるいは、他人に従って、その心を受けて信じて疑
  わないことを、すべて誹謗正法と呼ぶのである。

  日本国語大辞典
    決定(けつ‐じょう)
      きまること。あることが定まって動かないこと。また、信じて疑わないこと。


  (論註)問う。このような考えは、ただ自分だけのことである。人々にどんな苦悩を与
  えるから、五逆の重罪を超えるというのだろうか。答える。もし仮に、諸仏菩薩によ
  る世間や出世間の素晴らしい道を説いて、衆生を教化する方がおられなければ、どう
  して、仁義礼智信のあることを知ることができようか。もし、そうならば、世間のす
  べての素晴らしい法は、すべて絶えてなくなり、出世間のすべての賢人や聖人は、
  みな滅びてしまうであろう。あなたは、ただ五逆罪が重いことだけを知って、五逆罪
  が正法のないことによって生ずるということを知らない。だから、正法を謗る者は、
  その罪が最も重いのである。

  WikiArc
    仁義礼智信
      儒教に説く五種の倫理徳目。 五常(ごじょう)のこと。
    世間
      世の中。煩悩に束縛されて存在しているもの。生きものを有情(または衆生)
      世間といい、生きものを住まわせている山河大地などを器世間という。
    世・出世
      世間(世俗)と出世間(世間を超えた仏法の世界)。
    賢聖
      賢人と聖人。仏・菩薩のこと。
      尊くすぐれた聖者。

●re.44
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2570 ] Re44:教行信証・学習ノート8 2011/11/03 (Thu) 01:39 △up ▽down
--------------------------------------------------------------------------------
問曰。業道経言。業道如秤。重者先牽。如観無量寿経言。有人造五逆十悪具諸不善。応堕
悪道逕歴多劫受無量苦。臨命終時遇善知識教称南無無量寿仏。如是至心令声不絶具足十念。
便得往生安楽浄土。即入大乗正定之聚畢竟不退。与三塗諸苦永隔。先牽之義於理如何。
又曠劫已来備造諸行。有漏之法繋属三界。但以十念念阿弥陀仏。便出三界。
繋業之義復欲云何。
--------------------------------------------------------------------------------
(論註)問うて曰わく、『業道経』に言わく、業道は秤のごとし、重き者先ず牽くと。
『観無量寿経』に言うがごとし。人ありて五逆・十悪を造り、もろもろの不善を具せん。
悪道に堕して多劫を径歴して無量の苦を受くべし。命終の時に臨みて、善知識教えて南無
無量寿仏を称せしむるに遇わん。かくのごとく心を至して声をして絶えざらしめて、十念
を具足すれば、すなわち安楽浄土に往生することを得て、すなわち大乗正定の聚に入りて、
畢竟じて不退ならん、三塗のもろもろの苦と永く隔つ。先ず牽くの義、理においていかん
ぞ。また曠劫よりこのかた備にもろもろの行を造れり、有漏の法は三界に繋属す。ただし
十念、阿弥陀仏を念ずるをもって、すなわち三界を出でては、繋業の義、また云何がせん。
--------------------------------------------------------------------------------


≪六要鈔会本の注釈≫

--------------------------------------------------------------------------------
第六重中。初在心者。即是約心。次在縁者。此是約境。後在決定是約時也。
--------------------------------------------------------------------------------
第六重の中に、初に「在心」とは、即ちこれ心に約す。次に「在縁」とは、これはこれ境
に約す。後に「在決定」というは、これ時に約すなり。
--------------------------------------------------------------------------------

●re.45
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2571 ] Re45:教行信証・学習ノート8 2011/11/03 (Thu) 17:36 △up ▽down
本文と六要鈔会本の注釈について、理解したところを記します。

>--------------------------------------------------------------------------------
>問曰。業道経言。業道如秤。重者先牽。如観無量寿経言。有人造五逆十悪具諸不善。応堕
>悪道逕歴多劫受無量苦。臨命終時遇善知識教称南無無量寿仏。如是至心令声不絶具足十念。
>便得往生安楽浄土。即入大乗正定之聚畢竟不退。与三塗諸苦永隔。先牽之義於理如何。
>又曠劫已来備造諸行。有漏之法繋属三界。但以十念念阿弥陀仏。便出三界。
>繋業之義復欲云何。
>--------------------------------------------------------------------------------
>(論註)問うて曰わく、『業道経』に言わく、業道は秤のごとし、重き者先ず牽くと。
>『観無量寿経』に言うがごとし。人ありて五逆・十悪を造り、もろもろの不善を具せん。
>悪道に堕して多劫を径歴して無量の苦を受くべし。命終の時に臨みて、善知識教えて南無
>無量寿仏を称せしむるに遇わん。かくのごとく心を至して声をして絶えざらしめて、十念
>を具足すれば、すなわち安楽浄土に往生することを得て、すなわち大乗正定の聚に入りて、
>畢竟じて不退ならん、三塗のもろもろの苦と永く隔つ。先ず牽くの義、理においていかん
>ぞ。また曠劫よりこのかた備にもろもろの行を造れり、有漏の法は三界に繋属す。ただし
>十念、阿弥陀仏を念ずるをもって、すなわち三界を出でては、繋業の義、また云何がせん。
>--------------------------------------------------------------------------------

  (論註)問う。『業道経』にこう述べる。業道は秤(はかり)のようなものである。重い
  方が、まず先に引き寄せる。『観無量寿経』に言うとおりである。ある人が、五逆・
  十悪を造り、様々な不善を身に具えたとしよう。その人は、悪道に堕ちて、多劫を径
  て、計り知れない苦しみを受けるであろう。もしその人が、命の終わるときに臨んで、
  善知識の教えを受けて南無無量寿仏を称える機会があったとしよう。しかるべく心を
  至して、声を絶やさず十念すれば、ただちに安楽浄土に往生することができて、その
  まま大乗の正定聚に入り、最終的にそこから退くことはないであろう。三塗の様々な
  苦しみから末永く隔てられる。「重い方がまず先に引き寄せる」という義(考え方)は、
  理(ことわり)としてはどのようなものであろうか。また、果てしない昔からこれまで
  に具体的に様々な行(おこない)を造り、有漏(煩悩)の法は三界に繋ぎ止める。ただし、
  十念、阿弥陀仏を念ずることによって、ただちに三界を抜け出すということなら、
  「繋業の義(三界に繋ぎ止めるという考え)」については、どう考えたらよいのだろう。

  WikiArc
    業道経
      業道因果の道理を説いた経典の総称の意。業道経という名称の経典があるの
      ではない。『道地経』の文意が近い。
    業道
      善悪の業をつくることによって、それ相応の報いをうけること。
      自業自得の道理。
    径歴
      経過。過ぎ去ること。流転をくり返すこと。
    三塗
      三悪道・三悪趣のこと。猛火に焼かれる火途(地獄)、刀・杖で迫害される
      刀途(餓鬼)、互いに食いあう血途(畜生)をいう。
    まづ牽くの義
      業は重いほうが先に報いがあらわれるとという道理。
    有漏
      煩悩をもつもの。漏とはもれ出るもの、汚れの意で煩悩の異名。
    繋業の義
      有漏(煩悩のある状態)の業は衆生を迷界につなぎとめるという道理。


≪六要鈔会本の注釈≫

>--------------------------------------------------------------------------------
>第六重中。初在心者。即是約心。次在縁者。此是約境。後在決定是約時也。
>--------------------------------------------------------------------------------
>第六重の中に、初に「在心」とは、即ちこれ心に約す。次に「在縁」とは、これはこれ境
>に約す。後に「在決定」というは、これ時に約すなり。
>------------------------------------------------------------------------------------

  第六重のなかで、初めに「在心」というのは、心についてのことである。次に「在縁」
  というのは、境(環境)についてのことである。後に「在決定」というのは、時について
  のことである。

●re.46
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2572 ] Re46:教行信証・学習ノート8 2011/11/05 (Sat) 12:57 △up ▽down
--------------------------------------------------------------------------------
答曰。汝謂五逆十悪繋業等為重。以下下品人十念為軽。応為罪所牽先堕地獄繋在三界者。
今当以義校量軽重之義。在心在縁在決定。不在一時節久近多少也。云何在心。彼造罪人。
自依止虚妄顛倒見生。此十念者依善知識方便安慰聞実相法生。一実一虚。豈得相比。譬如
千歳闇室。光若暫至。即便明朗。闇豈得言在室千歳而不去邪。是名在心。云何在縁。彼造
罪人。自依止妄想心依煩悩虚妄果報衆生生。此十念者依止無上信心依阿弥陀如来方便荘厳
真実清浄無量功徳名号生。譬如有人被毒箭。所中截筋破骨。聞滅除薬鼓即箭出毒除。首楞
厳経言。譬如有薬名曰滅除。若闘戦時用以塗鼓。聞鼓声者箭出毒除。菩薩摩訶薩亦復如是。
住首楞厳三昧聞其名者。三毒之箭自然抜出。豈可得言彼箭深毒[レイ01]。聞鼓音声不能抜箭
去毒邪。是名在縁。云何在決定。彼造罪人依止有後心有間心生。此十念者依止無後心無間
心生。是名決定。校量三義。十念者重。重者先牽能出三有。両経一義耳。
--------------------------------------------------------------------------------
(論註)答えて曰わく、汝、五逆・十悪・繋業等を重とし、下下品の人の十念をもって軽と
す。罪のために牽かれて先ず地獄に堕して、三界に繋在すべしと謂わば、今まさに義をも
って軽重の義を校量すべし。心に在り、縁に在り、決定に在り。時節の久近・多少に在る
にはあらざるなり。いかんが心に在る、かの罪を造る人は、自ら虚妄顛倒の見に依止して
生ず。この十念は、善知識の方便安慰して実相の法を聞かしむるに依りて生ず。一は実、
一は虚なり、あに相比〈たくら〉ぶることを得んや。たとえば千歳の闇室に、光もししば
らく至ればすなわち明朗なるがごとし。闇あに室にあること千歳にして去らじと言うこと
を得んや。これを在心と名づく。いかんが縁に在る、かの罪を造る人は、自ら妄想の心に
依止し、煩悩虚妄の果報の衆生に依りて生ず。この十念は、無上の信心に依止し、阿弥陀
如来の方便荘厳・真実清浄・無量功徳の名号に依りて生ず。たとえば人ありて毒の箭を被
りて中るところ筋を截り骨を破るに、滅除薬の鼓を聞けばすなわち箭出〈ぬ〉け毒除こる
がごとし。『首楞厳経』に言わく、たとえば薬ありて、名づけて滅除と曰う。もし闘戦の
時にもって鼓に塗るに、鼓の声を聞く者、箭出〈ぬ〉け毒除こるがごとし。菩薩摩訶薩も
またかくのごとし、首楞厳三昧に住してその名を聞く者、三毒の箭、自然に抜出すと。あ
に、かの箭深く毒レイ〈はげ〉しからん、鼓の音声を聞くとも箭を抜き毒を去ることあた
わじと言うことを得べけんや。これを在縁と名づく。いかんが決定に在る、かの罪を造る
人は、有後心・有間心に依止して生ず。この十念は、無後心・無間心に依止して生ず。こ
れを決定と名づく。三義を校量するに、十念は重なり。重き者先ず牽きて、よく三有を出
ず。両経一義なるならくのみ。



--------------------------------------------------------------------------------


≪六要鈔会本の注釈≫

--------------------------------------------------------------------------------
無後心者。四修之中長時修意。無間心者。即無間修。問。無間心者。為約平生。為約臨終。
答。如今釈者。以時分急依止此心。故約臨終。但総言之。不遮平生。機根区故。縦雖尋常。
住此心類何無之哉。
--------------------------------------------------------------------------------
「無後心」とは、四修の中に長時修の意。「無間心」とは、即ち無間修なり。問う。無間心
とは、平生に約すとやせん、臨終に約すとやせん。答う。今の釈の如きは、時分の急なる
を以てこの心に依止す。故に臨終に約す。但し総じてこれを言わば、平生を遮せず。機根区
なるが故に。たとい尋常なりといえども、この心に住する類は何ぞこれなからんや。
--------------------------------------------------------------------------------

●re.47
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2573 ] Re47:教行信証・学習ノート8 2011/11/05 (Sat) 13:28 △up ▽down
>--------------------------------------------------------------------------------
>答曰。汝謂五逆十悪繋業等為重。以下下品人十念為軽。応為罪所牽先堕地獄繋在三界者。
>今当以義校量軽重之義。在心在縁在決定。不在一時節久近多少也。云何在心。彼造罪人。
>自依止虚妄顛倒見生。此十念者依善知識方便安慰聞実相法生。一実一虚。豈得相比。譬如
>千歳闇室。光若暫至。即便明朗。闇豈得言在室千歳而不去邪。是名在心。云何在縁。彼造
>罪人。自依止妄想心依煩悩虚妄果報衆生生。此十念者依止無上信心依阿弥陀如来方便荘厳
>真実清浄無量功徳名号生。譬如有人被毒箭。所中截筋破骨。聞滅除薬鼓即箭出毒除。首楞
>厳経言。譬如有薬名曰滅除。若闘戦時用以塗鼓。聞鼓声者箭出毒除。菩薩摩訶薩亦復如是。
>住首楞厳三昧聞其名者。三毒之箭自然抜出。豈可得言彼箭深毒[レイ01]。聞鼓音声不能抜箭
>去毒邪。是名在縁。云何在決定。彼造罪人依止有後心有間心生。此十念者依止無後心無間
>心生。是名決定。校量三義。十念者重。重者先牽能出三有。両経一義耳。
>--------------------------------------------------------------------------------
>(論註)答えて曰わく、汝、五逆・十悪・繋業等を重とし、下下品の人の十念をもって軽と
>す。罪のために牽かれて先ず地獄に堕して、三界に繋在すべしと謂わば、今まさに義をも
>って軽重の義を校量すべし。心に在り、縁に在り、決定に在り。時節の久近・多少に在る
>にはあらざるなり。いかんが心に在る、かの罪を造る人は、自ら虚妄顛倒の見に依止して
>生ず。この十念は、善知識の方便安慰して実相の法を聞かしむるに依りて生ず。一は実、
>一は虚なり、あに相比〈たくら〉ぶることを得んや。たとえば千歳の闇室に、光もししば
>らく至ればすなわち明朗なるがごとし。闇あに室にあること千歳にして去らじと言うこと
>を得んや。これを在心と名づく。いかんが縁に在る、かの罪を造る人は、自ら妄想の心に
>依止し、煩悩虚妄の果報の衆生に依りて生ず。この十念は、無上の信心に依止し、阿弥陀
>如来の方便荘厳・真実清浄・無量功徳の名号に依りて生ず。たとえば人ありて毒の箭を被
>りて中るところ筋を截り骨を破るに、滅除薬の鼓を聞けばすなわち箭出〈ぬ〉け毒除こる
>がごとし。『首楞厳経』に言わく、たとえば薬ありて、名づけて滅除と曰う。もし闘戦の
>時にもって鼓に塗るに、鼓の声を聞く者、箭出〈ぬ〉け毒除こるがごとし。菩薩摩訶薩も
>またかくのごとし、首楞厳三昧に住してその名を聞く者、三毒の箭、自然に抜出すと。あ
>に、かの箭深く毒レイ〈はげ〉しからん、鼓の音声を聞くとも箭を抜き毒を去ることあた
>わじと言うことを得べけんや。これを在縁と名づく。いかんが決定に在る、かの罪を造る
>人は、有後心・有間心に依止して生ず。この十念は、無後心・無間心に依止して生ず。こ
>れを決定と名づく。三義を校量するに、十念は重なり。重き者先ず牽きて、よく三有を出
>ず。両経一義なるならくのみ。
>--------------------------------------------------------------------------------

  (論註)答る。あなたは、五逆・十悪・繋業などを重視して、下下品の人の十念を軽視
  している。罪によって引き込まれて先ず地獄に堕ちて、三界に繋ぎ留められるであろ
  うというならば、今まさに、義(道理)をもって、その軽重を比べてみるべきである。
  それは、心にあり、縁(環境)にあり、決定(時)にある。時節の長短や多少にあるので
  はない。

  WikiArc
    繋業
      衆生を迷界につなぎとめている煩悩のまじった行為。
    下下品
      九品のうちの最下。


  「心にある」とはどういうことか。罪を造る人というのは、自ら虚妄や顛倒した見方
  にたよって罪をつくる。この十念は、善知識が方便をつくして心を安らかに慰めて、
  実相の法を聞かせることによって生まれる。一つは実であり、一つは虚である。どう
  して相互に比べることができようか。たとえば、千年のあいだ暗闇であった部屋に、
  光が仮に少しでも差し込めば、ただちに明るくなるようなものである。どうして闇が
  室に千年もあったから立ち去ることがないと言うことができようか。これを「在心」
  という。

  WikiArc
    虚妄顛倒の見に依止して
      真実に背いた誤った見解をよりどころとして。
    方便安慰
      いろいろてだてをして教え、心をやすらかならしめること。
    実相
      名号は仏のさとった諸法実相の徳が含まれているので、仏の名号のことを
      実相という。
    在心
      軽重の義は心にあるということ。


  「縁にある」とはどういうことか。罪を造る人というのは、自ら妄想の心にたよって、
  煩悩や虚妄の果報をうける衆生によって生ずる。この十念は、この上ない信心にたよ
  って、阿弥陀如来の方便荘厳・真実清浄・無量功徳の名号によって生ずる。たとえば、
  人が毒矢が当たって筋を切り骨が折れても、解毒薬を塗った鼓の音を聞けば、ただち
  に矢が抜けて毒が取り除かれるようなものである。『首楞厳経』にこう述べる。「た
  とえば、滅除という薬があったとしよう。仮に、闘戦の時に鼓に塗ると、鼓の音を聞
  く者は、矢が抜けて毒が取り除かれるようなものである。菩薩もまた同様である。首
  楞厳三昧に住してその名を聞く者は、三毒の矢が自然に抜け出す。どうして、その矢
  が深くて毒は激しく、鼓の音を聞いても矢を抜いて毒を取り除くことができないと言
  うことができようか。これを「在縁」という。

  WikiArc
    方便巧荘厳
      慈悲のてだてとしてのたくみな浄土の荘厳相。
    菩薩摩訶薩
      菩薩に同じ。摩訶薩は梵語マハー・サットヴァの音写で、偉大な人の意。
    首楞厳三昧
      梵語シューランガマ・サマーディの音写で勇健定、健行定と訳す。菩薩がこ
      の三昧にはいると、三毒の煩悩が消滅するほどの功徳をもった三昧。
    在縁
      軽重の義は縁にあるということ。


  「決定に在る」とはどういうことか。罪を造る人というのは、有後心・有間心によっ
  て生まれるものである。この十念は、無後心・無間心によって生ずる。これを決定と
  いう。

  WikiArc
    有後心
      まだ後があると思うゆっくりした心。
    有間心
      雑念のまじった心。


  これらの三つの義(道理)を比べて推し量るなら、十念は重いものである。重いものが
  先ず引き付けて、三有(三界)を抜け出すことができる。二つの経典は、一義となので
  ある。

  WikiArc
    両経
      「観経」と業を説く経典のこと。


≪六要鈔会本の注釈≫

>--------------------------------------------------------------------------------
>無後心者。四修之中長時修意。無間心者。即無間修。問。無間心者。為約平生。為約臨終。
>答。如今釈者。以時分急依止此心。故約臨終。但総言之。不遮平生。機根区故。縦雖尋常。
>住此心類何無之哉。
>--------------------------------------------------------------------------------
>「無後心」とは、四修の中に長時修の意。「無間心」とは、即ち無間修なり。問う。無間心
>とは、平生に約すとやせん、臨終に約すとやせん。答う。今の釈の如きは、時分の急なる
>を以てこの心に依止す。故に臨終に約す。但し総じてこれを言わば、平生を遮せず。機根区
>なるが故に。たとい尋常なりといえども、この心に住する類は何ぞこれなからんや。
>--------------------------------------------------------------------------------

  「無後心」とは、四修のなかの長時修の意味である。「無間心」とは、無間修のこと
  である。問う。無間心とは、平生のことであろうか、臨終のことであろうか。答える。
  今の釈では、時分が急であるということをもって、この心によるものとしている。だ
  から、臨終についてのことである。ただし、総じて言えば、平生を否定しない。なぜ
  なら、機根は区(まちまち)だからである。たとえ、普通の状態(平生)であっても、
  この心に住する類の者は、どうしてこれ(無間心?)のないことがあろうか。

  WikiArc
    四修
      浄土教において行を修める四つのしかた。
        恭敬修。阿弥陀仏とその聖衆を恭敬礼拝すること。
        無余修。専ら仏の名を称え他の行いを雑えないこと。
        無間修。行を間断させず、また煩悩をまじえないこと。
        長時修。恭敬修・無余修・無間修を命終るまで修めつづけること。

●re.48
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2574 ] Re48:教行信証・学習ノート8 2011/11/06 (Sun) 00:25 △up ▽down
--------------------------------------------------------------------------------
問曰。幾時名為一念。答曰。百一生滅名一刹那。六十刹那名為一念。此中云念者。不取此
時節也。但言憶念阿弥陀仏。若総相若別相。随所観縁心無他想。十念相続。名為十念。
但称名号亦復如是。
--------------------------------------------------------------------------------
(論註)問うて曰わく、幾ばくの時をか、名づけて一念とするや。答えて曰わく、百一の
生滅を一刹那と名づく。六十の刹那を名づけて一念とす。この中に念と云うは、この時節
を取らざるなり。ただ阿弥陀仏を憶念して、もしは総相、もしは別相、所観の縁に随いて、
心に他想なくして十念相続するを、名づけて十念とすと言うなり。ただし名号を称するこ
とも、またかくのごとし。
--------------------------------------------------------------------------------


≪六要鈔会本の注釈≫

--------------------------------------------------------------------------------
此中等者。念有三義。所謂時節観念称念。今唯嫌時。観念称名無其用捨。鸞師之意存二義
歟。若依導家。唯是称名。十八願文。下下十念。共無異論。
--------------------------------------------------------------------------------
「此中」等とは、念に三義あり。所謂、時節と観念と称念となり。今はただ時を嫌う。
観念と称名とはその用捨なし。鸞師の意は二義を存するか。もし導家に依らば、ただこれ
称名なり。十八の願文、下下の十念、共に異論なし。
--------------------------------------------------------------------------------

●re.49
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2575 ] Re49:教行信証・学習ノート8 2011/11/06 (Sun) 00:25 △up ▽down
本文と六要鈔会本の注釈について、理解したところを記します。

>--------------------------------------------------------------------------------
>問曰。幾時名為一念。答曰。百一生滅名一刹那。六十刹那名為一念。此中云念者。不取此
>時節也。但言憶念阿弥陀仏。若総相若別相。随所観縁心無他想。十念相続。名為十念。
>但称名号亦復如是。
>--------------------------------------------------------------------------------
>(論註)問うて曰わく、幾ばくの時をか、名づけて一念とするや。答えて曰わく、百一の
>生滅を一刹那と名づく。六十の刹那を名づけて一念とす。この中に念と云うは、この時節
>を取らざるなり。ただ阿弥陀仏を憶念して、もしは総相、もしは別相、所観の縁に随いて、
>心に他想なくして十念相続するを、名づけて十念とすと言うなり。ただし名号を称するこ
>とも、またかくのごとし。
>--------------------------------------------------------------------------------

  (論註)問う。どのくらいの時間を、一念というのだろうか。答える。百一の生滅を
  一刹那という。六十の刹那を一念という。しかし、ここで念というのは、この時間の
  長さをいうのではない。ただ阿弥陀仏を心に念じて、仏身の全体のすがたでも、仏身
  の一部分のすがたでも、観ずるところの縁にしたがって、心に他の想いをなくして、
  十念を相続することを、十念と言うのである。ただし、名号を称することも、また同
  じことである。

  WikiArc
    憶念
      心に思いたもつこと。心に念じて忘れないこと。
    総相
      仏身の全体のすがた。
    別相
      仏身の一部分のすがた。総相に対す。


≪六要鈔会本の注釈≫

>--------------------------------------------------------------------------------
>此中等者。念有三義。所謂時節観念称念。今唯嫌時。観念称名無其用捨。鸞師之意存二義
>歟。若依導家。唯是称名。十八願文。下下十念。共無異論。
>--------------------------------------------------------------------------------
>「此中」等とは、念に三義あり。所謂、時節と観念と称念となり。今はただ時を嫌う。
>観念と称名とはその用捨なし。鸞師の意は二義を存するか。もし導家に依らば、ただこれ
>称名なり。十八の願文、下下の十念、共に異論なし。
>--------------------------------------------------------------------------------

  「此中・・・」等についていうとは、念には三つの義(考え方)がある。いわゆる、時節
  と観念と称念である。ここでは、ただ時を嫌っている。観念と称名については、どちら
  を用いてどちらを捨てるということはない。鸞師(曇鸞)の意(こころ)では、二つの義
  (考え方)があるのだろうか。しかし、もし導家(?)によるならば、ただこれは称名で
  ある。大経の第十八願の願文も、観経の下下品の十念も、どちらも同じことを言って
  いる。

●re.50
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2576 ] Re50:教行信証・学習ノート8 2011/11/09 (Wed) 03:00 △up ▽down
--------------------------------------------------------------------------------
問曰。心若他縁。摂之令還。可知念之多少。但知多少。復非無間。若凝心注想。復依何可
得記念之多少。答曰。経言十念者。明業事成弁耳。不必須知頭数也。如言ケイ蛄不識春秋。
伊虫豈知朱陽之節乎。知者言之耳。十念業成者。是亦通神者言之耳。但積念相続不縁他事
便罷。復何仮須知念之頭数也。若必須知亦有方便。必須口授。不得題之筆点。已上。
--------------------------------------------------------------------------------
(論註)問うて曰わく、心もし他縁せば、これを摂して還らしめて、念の多少を知るべし。
ただ多少を知らば、また間なきにあらず。もし心を凝らし想を注〈とど〉めば、また何に
依りてか念の多少を記することを得べきや。答えて曰わく、経に十念と言うは、業事成弁
を明かすのみ。必ずしも須らく頭数を知るべからざるなり。ケイ蛄、春秋を識らずと言う
がごとし。伊の虫あに朱陽の節を知らんや。知れる者これを言うならくのみ。十念業成と
は、これまた神に通ずる者、これを言うならくのみ。ただ念を積み相続して、他事を縁ぜ
ざればすなわち罷みぬ。また何ぞ仮に念の頭数を知ることを須いんや。もし必ず知ること
を須いんは、また方便あり。必ず口授を須いよ。これを筆点に題することを得ざれと。
已上。
--------------------------------------------------------------------------------


≪六要鈔会本の注釈≫

--------------------------------------------------------------------------------
第八問意。訝其観称互可有妨。答意已云業事成弁。言於約称而不可記其頭数歟。不縁等者。
不伝口授。又無筆点。先徳歎之。誰不為恨。但其涯分推知領解。開発宜依人根性乎。
--------------------------------------------------------------------------------
第八の問の意は、観と称と互に妨げあるべきことを訝る。答の意は已に業事成弁という。
言うこころは、称に約するに於いて而もその頭数を記すべからざるか。「不縁」等とは、
口授を伝えず、また筆点なし。先徳これを歎く。誰か恨とせざらん。但しその涯分推知の
領解、開発、宜しく人の根性に依るべきか。
--------------------------------------------------------------------------------

●re.51
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2577 ] Re51:教行信証・学習ノート8 2011/11/09 (Wed) 03:01 △up ▽down
本文と六要鈔会本の注釈について、理解したところを記します。

>--------------------------------------------------------------------------------
>問曰。心若他縁。摂之令還。可知念之多少。但知多少。復非無間。若凝心注想。復依何可
>得記念之多少。答曰。経言十念者。明業事成弁耳。不必須知頭数也。如言ケイ蛄不識春秋。
>伊虫豈知朱陽之節乎。知者言之耳。十念業成者。是亦通神者言之耳。但積念相続不縁他事
>便罷。復何仮須知念之頭数也。若必須知亦有方便。必須口授。不得題之筆点。已上。
>--------------------------------------------------------------------------------
>(論註)問うて曰わく、心もし他縁せば、これを摂して還らしめて、念の多少を知るべし。
>ただ多少を知らば、また間なきにあらず。もし心を凝らし想を注〈とど〉めば、また何に
>依りてか念の多少を記することを得べきや。答えて曰わく、経に十念と言うは、業事成弁
>を明かすのみ。必ずしも須らく頭数を知るべからざるなり。ケイ蛄、春秋を識らずと言う
>がごとし。伊の虫あに朱陽の節を知らんや。知れる者これを言うならくのみ。十念業成と
>は、これまた神に通ずる者、これを言うならくのみ。ただ念を積み相続して、他事を縁ぜ
>ざればすなわち罷みぬ。また何ぞ仮に念の頭数を知ることを須いんや。もし必ず知ること
>を須いんは、また方便あり。必ず口授を須いよ。これを筆点に題することを得ざれと。
>已上。
>--------------------------------------------------------------------------------

  (論註)問う。心がもし他の縁にむかうのであれば、これを取り込んで還らせて、念の
  多少を知ることができるであろう。ただし、数の多い少ないを知るというのであれば、
  間(ま)がないというわけではない。もし心を凝らして想いを停止させるというのであ
  れば、何によって念の多い少ないを記(しる)すことができるのであろうか。

  答える。経に十念と言うのは、業事成弁を明らかにしているだけである。必ずしも、
  頭数(称名の回数)を知らなければならないということではない。それは、ヒグラシが
  春秋を知らないのと同じことである。この虫が、どうして夏を知ることができるであ
  ろうか。(春秋を)知っている者だけが、これ(夏)について言うこのとができるのであ
  る。「十念業成」についても、神に通ずる者だけが言うことができるのである。ただ
  念を積んで相続して、他の事に心を向かわせなければ、そのまま終わることである。
  また、どうして、仮に念の回数を知る必要があろうか。もし、どうしても知る必要が
  あるのなら、また方便がある。それは、必ず口授によらなければならない。これを、
  筆に書き記してはならない。

  WikiArc
    業事成弁
      業道成弁・業成ともいう。浄土往生の業因が成就して、必ず浄土に生れ得る
      ことが決定することをいう。
    頭数
      称名の回数。
    十念業成
      十念念仏により往生の業因ができあがること。
    ケイ蛄
      ひぐらし。なつ蝉。
    伊虫
      この虫という意。
    朱陽の節
      夏のこと。
    口授
      口づてに伝授すること。口伝。
    筆点に題する
      筆に書き記す。

  日本国語大辞典
    縁ず
      仏語。心とその働きが対象に向かって働いて、その対象のすがたをとらえる。


≪六要鈔会本の注釈≫

>--------------------------------------------------------------------------------
>第八問意。訝其観称互可有妨。答意已云業事成弁。言於約称而不可記其頭数歟。不縁等者。
>不伝口授。又無筆点。先徳歎之。誰不為恨。但其涯分推知領解。開発宜依人根性乎。
>--------------------------------------------------------------------------------
>第八の問の意は、観と称と互に妨げあるべきことを訝る。答の意は已に業事成弁という。
>言うこころは、称に約するに於いて而もその頭数を記すべからざるか。「不縁」等とは、
>口授を伝えず、また筆点なし。先徳これを歎く。誰か恨とせざらん。但しその涯分推知の
>領解、開発、宜しく人の根性に依るべきか。
>--------------------------------------------------------------------------------

  第八の問いの意(こころ)は、「観」と「称」とが、互いに妨げあうようであることを
  不審に思うものである。答えの意(こころ)は、まったく業事成弁だとという。その言
  うこころは、「称」に限ったことであり、しかも、その回数を記すべきでないようだ。
  「不縁・・・」等については、口授を伝えることをせず、また筆に記されたものもな
  い。先徳は、これを歎いている。誰が恨むことができよう。ただし、その身に相応し
  く測り知る領解、開発は、その人の資質によるということだろうか。

  日本国語大辞典
    先徳
      仏語。死亡した高徳の僧。また、前代の有徳の僧。
    開発
      知識などを開き導くこと。かいほつ。

  WikiArc
    根性
      教えをうけるものの性質、資質。

●re.52
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2578 ] Re52:教行信証・学習ノート8 2011/11/11 (Fri) 02:49 △up ▽down
--------------------------------------------------------------------------------
光明寺和尚云。問曰。如四十八願中。唯除五逆誹謗正法不得往生。今此観経下品下生中。
簡誹謗摂五逆者。有何意也。答曰。此義仰就抑止門中解。如四十八願中除謗法五逆者。然
此之二業。其障極重。衆生若造直入阿鼻。歴劫周章無由可出。但如来恐其造斯二過。方便
止言不得往生。亦不是不摂也。又下品下生中取五逆除謗法者。其五逆已作。不可捨令流転。
還発大悲摂取往生。然謗法之罪未為。又止言若起謗法即不得生。此就未造業而解也。若造
還摂得生。雖得生彼。華合逕於多劫。此等罪人在華内時有三種障。一者不得見仏及諸聖衆。
二者不得聴聞正法。三者不得歴事供養。除此已外更無諸苦。経云。猶如比丘入三禅之楽也。
応知。雖在華中多劫不開。可不勝阿鼻地獄之中長時永劫受諸苦痛也。此義就抑止門解竟。
已上。
--------------------------------------------------------------------------------
(散善義)光明寺の和尚の云わく、問うて曰わく、四十八願の中のごとき、ただ五逆と誹謗
正法とを除きて往生を得しめず。今この『観経』の下品下生の中には、誹謗を簡〈きら〉
いて五逆を摂せるは、何の意かあるやと。答えて曰わく、この義仰いで抑止門の中につき
て解す。四十八願の中のごとき、謗法・五逆を除くことは、しかるにこの二業、その障
極重なり。衆生もし造れば、直ちに阿鼻に入りて、歴劫周章して出ずべきに由なし。ただ
如来、それこの二の過を造らんことを恐れて、方便して止めて、往生を得ずと言えり。ま
たこれ摂せざるにはあらざるなり。また下品下生の中に、五逆を取りて謗法を除くことは、
その五逆は已に作れり、捨てて流転せしむべからず。還りて大悲を発して摂取して往生せ
しむ。しかるに謗法の罪は未だ為らざれば、また止めて、もし謗法を起こさばすなわち生
ずることを得じと言う。これは未造業につきて、しかも解するなり。もし造らば還りて摂
して生ずることを得しめん。彼に生ずることを得といえども、華合して多劫を径ん。これ
らの罪人、華の内にある時、三種の障あり。一には仏およびもろもろの聖衆を見ることを
得じ。二には正法を聴聞することを得じ。三には歴事供養を得じと。これを除きて已外は、
さらにもろもろの苦なけん。経に云わく、なお比丘の三禅の楽に入るがごときなりと。
知るべし。華の中にありて、多劫開けずといえども、阿鼻地獄の中にして、長時永劫に
もろもろの苦痛を受けんに勝れざるべけんや。この義、抑止門につきて解し竟りぬ。已上。
--------------------------------------------------------------------------------

●re.53
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2579 ] Re53:教行信証・学習ノート8 2011/11/11 (Fri) 02:51 △up ▽down
本文について、理解したところを記します。

>--------------------------------------------------------------------------------
>光明寺和尚云。問曰。如四十八願中。唯除五逆誹謗正法不得往生。今此観経下品下生中。
>簡誹謗摂五逆者。有何意也。答曰。此義仰就抑止門中解。如四十八願中除謗法五逆者。然
>此之二業。其障極重。衆生若造直入阿鼻。歴劫周章無由可出。但如来恐其造斯二過。方便
>止言不得往生。亦不是不摂也。又下品下生中取五逆除謗法者。其五逆已作。不可捨令流転。
>還発大悲摂取往生。然謗法之罪未為。又止言若起謗法即不得生。此就未造業而解也。若造
>還摂得生。雖得生彼。華合逕於多劫。此等罪人在華内時有三種障。一者不得見仏及諸聖衆。
>二者不得聴聞正法。三者不得歴事供養。除此已外更無諸苦。経云。猶如比丘入三禅之楽也。
>応知。雖在華中多劫不開。可不勝阿鼻地獄之中長時永劫受諸苦痛也。此義就抑止門解竟。
>已上。
>--------------------------------------------------------------------------------
>(散善義)光明寺の和尚の云わく、問うて曰わく、四十八願の中のごとき、ただ五逆と誹謗
>正法とを除きて往生を得しめず。今この『観経』の下品下生の中には、誹謗を簡〈きら〉
>いて五逆を摂せるは、何の意かあるやと。答えて曰わく、この義仰いで抑止門の中につき
>て解す。四十八願の中のごとき、謗法・五逆を除くことは、しかるにこの二業、その障
>極重なり。衆生もし造れば、直ちに阿鼻に入りて、歴劫周章して出ずべきに由なし。ただ
>如来、それこの二の過を造らんことを恐れて、方便して止めて、往生を得ずと言えり。ま
>たこれ摂せざるにはあらざるなり。また下品下生の中に、五逆を取りて謗法を除くことは、
>その五逆は已に作れり、捨てて流転せしむべからず。還りて大悲を発して摂取して往生せ
>しむ。しかるに謗法の罪は未だ為らざれば、また止めて、もし謗法を起こさばすなわち生
>ずることを得じと言う。これは未造業につきて、しかも解するなり。もし造らば還りて摂
>して生ずることを得しめん。彼に生ずることを得といえども、華合して多劫を径ん。これ
>らの罪人、華の内にある時、三種の障あり。一には仏およびもろもろの聖衆を見ることを
>得じ。二には正法を聴聞することを得じ。三には歴事供養を得じと。これを除きて已外は、
>さらにもろもろの苦なけん。経に云わく、なお比丘の三禅の楽に入るがごときなりと。
>知るべし。華の中にありて、多劫開けずといえども、阿鼻地獄の中にして、長時永劫に
>もろもろの苦痛を受けんに勝れざるべけんや。この義、抑止門につきて解し竟りぬ。已上。
>--------------------------------------------------------------------------------

  (散善義)光明寺の和尚はこう述べる。問う。四十八願では、ただ五逆と誹謗正法とを
  除いて往生を得させない。今この『観経』の下品下生では、誹謗をきらって五逆を摂
  っするは、どのような考えがあるのだろうか。答える。この義(考え方)については、
  仰いで抑止門として解釈する。四十八願にあるように謗法・五逆を除くのは、さほど
  にこの二業は、その障(さわり)が極めて重いからである。衆生がもし、(この二業を)
  造れば、ただちに阿鼻地獄に入り、歴劫にわたって苦しみうろたえて、出てくる道が
  ない。如来はただ、この二の過ちを造ることを恐れて、方便して止めて「往生を得ず」
  と言ったのである。これは、摂取しないというのではない。また、下品下生のなかで、
  五逆を取り入れて謗法を除くのは、その五逆はすでに作ってしまったものであるから、
  それを捨てて流転させるべきではないということである。振り返って大悲を起こして
  摂取して往生させる。しかし、謗法の罪はいまだ犯していないので、それを止めて
  「もし謗法を起こせば、往生することができない」と言うのである。これは、未だに
  造っていない業について、解釈するものである。もしこの業を造ったらなら、振り返
  って摂取して、往生させるであろう。しかし、往生したとしても、華は閉じたまま、
  多くの劫を経るであろう。これらの罪人は、華の内にあるとき、三種の障(さわり)が
  ある。一つには、仏およびもろもろの聖衆を見ることができない。二つには、正法を
  聴聞することができない。三つには、歴事供養ができない。これ以外は、さらにもろ
  もろの苦しみがないであろう。経にこう述べる。さらに比丘が三禅の楽に入るような
  るものである。知るべきであ。華のなかにあって、多劫にわたって開かないとはいえ、
  阿鼻地獄のなかで、長時永劫にわたってもろもろの苦痛を受けるよりも勝るものであ
  る。この義(考え方)は、抑止門によって解釈したものである。

  WikiArc
    抑止門
      抑止とはおさえとどめること。
    歴劫周章
      長い時間にわたって苦しみうろたえること。
    聖衆
      観音・勢至等の浄土の菩薩たち。
    歴事供養
      あまねく十方に至りて諸仏につかえ、供養すること。
    経にいはく…
      引用の意は『悲華経』巻二.北本『涅槃経』巻二十一などにみえる。三禅の
      楽は、色界第三禅天の快楽のことで、行捨、正念、正慧、受楽、定の五があ
      るという。この快楽は三界の中で最もすぐれているので、浄土の楽を示す喩
      えとされる。
    比丘
      出家して具足戒を受けた男性。
    三禅の楽
      色界に初禅・第二禅・第三禅・第四禅の四種の世界があり、その第三禅の
      世界の楽しみ。

●re.54
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2580 ] Re54:教行信証・学習ノート8 2011/11/12 (Sat) 01:53 △up ▽down
≪六要鈔会本の注釈≫

--------------------------------------------------------------------------------
次大師釈。所引有二。初散善義。下品下生二種重罪除取問答。問端可見。就答中意。問。
約抑止門。有何証耶。答。諸願皆以不取正覚結当願意。而唯除句在其言外。以之為証。問。
五逆已作。有何証耶。答。経序分中。闍世造之。調達作之。故云已作。此義等者。此釈之
意。匪啻抑止二種重罪。又有抑止多劫之義。若只抑止其重罪者。此言可在上云若造還摂得
生之句下歟。已挙彼土多劫華合三種障礙。其次結之。可知。上標罪業抑止。下結多劫障重
抑止。純一報土一向化生。仮説華合。此即胎生。約化土相。宜思択之。
--------------------------------------------------------------------------------
次に大師の釈、所引に二あり。初は『散善義』の下品下生二種の重罪除取の問答。問端は
見つべし。答の中の意に就きて、問う、抑止門に約するは何の証あるや。答う。諸願みな
不取正覚を以て当願の意を結す。而るに唯除の句はその言の外に在り。これを以て証と為
す。問う。五逆已に作るは何の証かあるや。答う。経の序分の中に、闍世これを造り、
調達これを作る。故に已作という。「此義」等とは、この釈の意は、ただ二種の重罪を
抑止するのみにあらず。また多劫を抑止する義あり。もしただその重罪を抑止せば、この
言は上に「もし造らば還りて摂して生を得しめん」という句の下に在るべきか。已に彼の
土多劫華合三種の障礙を挙げて、その次にこれを結す。知りぬべし、上は罪業の抑止を標
し、下は多劫障重の抑止を結するということを。純一の報土は一向の化生なり。仮に華合
と説くは、これ即ち胎生なり。化土の相に約す。宜しくこれを思択すべし。
--------------------------------------------------------------------------------

●re.55
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2581 ] Re55:教行信証・学習ノート8 2011/11/12 (Sat) 01:53 △up ▽down
≪六要鈔会本の注釈≫

>--------------------------------------------------------------------------------
>次大師釈。所引有二。初散善義。下品下生二種重罪除取問答。問端可見。就答中意。問。
>約抑止門。有何証耶。答。諸願皆以不取正覚結当願意。而唯除句在其言外。以之為証。問。
>五逆已作。有何証耶。答。経序分中。闍世造之。調達作之。故云已作。此義等者。此釈之
>意。匪啻抑止二種重罪。又有抑止多劫之義。若只抑止其重罪者。此言可在上云若造還摂得
>生之句下歟。已挙彼土多劫華合三種障礙。其次結之。可知。上標罪業抑止。下結多劫障重
>抑止。純一報土一向化生。仮説華合。此即胎生。約化土相。宜思択之。
>--------------------------------------------------------------------------------
>次に大師の釈、所引に二あり。初は『散善義』の下品下生二種の重罪除取の問答。問端は
>見つべし。答の中の意に就きて、問う、抑止門に約するは何の証あるや。答う。諸願みな
>不取正覚を以て当願の意を結す。而るに唯除の句はその言の外に在り。これを以て証と為
>す。問う。五逆已に作るは何の証かあるや。答う。経の序分の中に、闍世これを造り、
>調達これを作る。故に已作という。「此義」等とは、この釈の意は、ただ二種の重罪を
>抑止するのみにあらず。また多劫を抑止する義あり。もしただその重罪を抑止せば、この
>言は上に「もし造らば還りて摂して生を得しめん」という句の下に在るべきか。已に彼の
>土多劫華合三種の障礙を挙げて、その次にこれを結す。知りぬべし、上は罪業の抑止を標
>し、下は多劫障重の抑止を結するということを。純一の報土は一向の化生なり。仮に華合
>と説くは、これ即ち胎生なり。化土の相に約す。宜しくこれを思択すべし。
>--------------------------------------------------------------------------------

  次に善導大師の釈で、引用が二つある。初めは『散善義』のなかの下品下生二種の
  重罪除取の問答である。問いのはじめは見てのとおりである。答えのなかの意(こころ)
  について問う。抑止門に限るのは、どんな証(あかし)があるのだろうか。答える。
  諸願は、みな「不取正覚」をもって当願の意(こころ)を結んでいる。ところが、唯除
  の句はその言葉の外に在り。これをもって証(あかし)とする。問う。「五逆はすでに
  作られている」とするのには、どんな証(あかし)があるのだろうか。答える。経の
  序分のなかで、闍世はこれを造り、調達もこれを作る。だから「すでに作った」とい
  うのである。「此義・・・」等については、この釈の意(こころ)は、ただ二種の重罪
  を抑止するというだけではない。同時に、多劫を抑止するという義(考え方)もある。
  もし、ただそれが重罪を抑止するだけというのであれば、この言葉は上に「もし造ら
  ば還りて摂して生を得しめん」という句の下にあるべきであろうか。すでに、彼の土
  多劫華合と三種の障礙を挙げて、その次にこれを結びとする。知るべきである。上は
  罪業の抑止を表し、下は多劫障重の抑止を結びとするということを。純一の報土は、
  一向(専守念仏)による化生である。仮に華合と説くのは、胎生のことである。化土の
  相(すがた)のことである。これを深く熟慮すべきである。

  WikiArc
    問端
      問いのはじめ。
    化生
      真実信心の行者が報土に生れること。本願の不思議により、疑城胎宮にとど
      まることなく自然に生滅を超えた無生の生を受けることをいう。この化生に
      対して、仏智を疑惑する者の往生(方便化土往生)を胎生と言う。
    胎生
      方便化土の往生のこと。仏智の不思議を疑い、自己の力をたのんで善行や
      念仏をはげむ第十九願・第二十願の行者は、浄土に往生しても、五百年の間、
      仏に遇わず、法を聞かず、聖衆を見ることができない。それはあたかも母の
      胎内にあるがごとくであるから、これを喩えて胎生という。

●re.56
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2582 ] Re56:教行信証・学習ノート8 2011/11/13 (Sun) 01:53 △up ▽down
--------------------------------------------------------------------------------
又云。永絶譏嫌等無憂悩。人天善悪皆得往。到彼無殊斉同不退。何意然者。乃由弥陀因地。
世饒王仏所。捨位出家。即起悲智之心。広弘四十八願。以仏願力五逆之与十悪罪滅得生。
謗法闡提回心皆往。抄出。
--------------------------------------------------------------------------------
(法事讃)また云わく、永く譏嫌を絶ちて、等しくして憂悩なし。人天、善悪、みな往く
ことを得。彼に到りぬれば殊ることなし。斉同にして不退なり。何の意か然るとならば、
いまし弥陀の因地に、世饒王仏の所にして、位を捨てて家を出ず、すなわち悲智の心を起
こして、広く四十八願を弘めしめたまいしに由りてなり。仏の願力をもって、五逆と十悪
と、罪滅し生を得しむ。謗法、闡提、回心すればみな往くと。抄出。
--------------------------------------------------------------------------------


≪六要鈔会本の注釈≫

--------------------------------------------------------------------------------
次法事讃序中文也。到彼等者。顕無華開華合之差。以仏等者。正顕逆謗闡提皆生。
即示不生。為抑止意。故次上釈引此文也。
--------------------------------------------------------------------------------
次は『法事讃』の序の中の文なり。「到彼」等とは、華開と華合との差なきことを顕わす。
「以仏」等とは、正しく逆謗闡提皆生ずることを顕わす。即ち不生と示すは抑止の意たり。
故に上の釈に次でこの文を引くなり。
--------------------------------------------------------------------------------

●re.57
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2583 ] Re57:教行信証・学習ノート8 2011/11/13 (Sun) 01:53 △up ▽down
>--------------------------------------------------------------------------------
>又云。永絶譏嫌等無憂悩。人天善悪皆得往。到彼無殊斉同不退。何意然者。乃由弥陀因地。
>世饒王仏所。捨位出家。即起悲智之心。広弘四十八願。以仏願力五逆之与十悪罪滅得生。
>謗法闡提回心皆往。抄出。
>--------------------------------------------------------------------------------
>(法事讃)また云わく、永く譏嫌を絶ちて、等しくして憂悩なし。人天、善悪、みな往く
>ことを得。彼に到りぬれば殊ることなし。斉同にして不退なり。何の意か然るとならば、
>いまし弥陀の因地に、世饒王仏の所にして、位を捨てて家を出ず、すなわち悲智の心を起
>こして、広く四十八願を弘めしめたまいしに由りてなり。仏の願力をもって、五逆と十悪
>と、罪滅し生を得しむ。謗法、闡提、回心すればみな往くと。抄出。
>--------------------------------------------------------------------------------

  (法事讃)またこう述べる。(浄土では)永く謗りや嫌悪がなく、みな平等で、憂え悩
  むことがない。人間や天人も、善人や悪人も、みな往生することができる。そこに到
  れば、みな異なるところがない。みな平等で、そこから退くことがない。どうしてそ
  うなるのかといえば、弥陀が因地のときに、世饒王仏のところにあって、位を捨てて
  家を出て、悲智の心を起こして、四十八願を広く世間に開示したことによるのである。
  仏の願力によって、五逆と十悪の罪が滅ぼされ、往生することができる。謗法のもの
  も、闡提も、回心すればみな往生する。抄出。

  WikiArc
    譏嫌
      そしりきらうこと。
    斉同不退
      浄土に往生すれば、みな一味平等のさとりをひらいて、再び迷界に退転しな
      いことをいう。
    因地
      仏果をめざして修行中の菩薩の地位。因位ともいう。
    世饒王仏
      世自在王仏のこと。


≪六要鈔会本の注釈≫

>--------------------------------------------------------------------------------
>次法事讃序中文也。到彼等者。顕無華開華合之差。以仏等者。正顕逆謗闡提皆生。
>即示不生。為抑止意。故次上釈引此文也。
>--------------------------------------------------------------------------------
>次は『法事讃』の序の中の文なり。「到彼」等とは、華開と華合との差なきことを顕わす。
>「以仏」等とは、正しく逆謗闡提皆生ずることを顕わす。即ち不生と示すは抑止の意たり。
>故に上の釈に次でこの文を引くなり。
>--------------------------------------------------------------------------------

  次は『法事讃』の序のなかの文である。「到彼・・・」等については、華開と華合と
  の差がないことを明らかにしている。「以仏・・・」等とは、まさしく逆・謗・闡提
  がみな往生することを明らかにする。すなわち、「生まれず」と示すのは、抑止の意
  (こころ)である。だから、上の釈に次いで、この文を引くのである。

●re.58
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2584 ] Re58:教行信証・学習ノート8 2011/11/14 (Mon) 23:08 △up ▽down
--------------------------------------------------------------------------------
言五逆者。若依シ州。五逆有二。一者三乗五逆。謂一者故思殺父。二者故思殺母。三者故
思殺羅漢。四者倒見破和合僧。五者悪心出仏身血。以背恩田違福田故。名之為逆。執此逆
者。身壊命終必定堕無間地獄。一大劫中受無間苦。名無間業。又倶舎論中有五無間同類業。
彼頌云。汚母無学尼。殺母罪同類。殺住定菩薩。殺父罪同類。及有学無学殺羅漢同類。
奪僧和合縁。破僧罪同類。破壊率都婆。出仏身血。
--------------------------------------------------------------------------------
(永観・往生十因)「五逆」と言うは、もしシ州〈智周・最勝王経疏〉に依るに、五逆に二
あり。一には三乗の五逆なり。いわく、一にはことさらに思いて父を殺す、二にはことさ
らに思いて母を殺す、三にはことさらに思いて羅漢を殺す、四には倒見して和合僧を破す、
五には悪心をもって仏身より血を出だす。恩田に背き福田に違するをもってのゆえに、こ
れを名づけて逆とす。この逆を執する者は、身壊れ命終えて、必定して無間地獄に堕して、
一大劫の中に無間の苦を受けん、無間業と名づくと。また『倶舎論』の中に、五無間の
同類の業あり。かの頌に云わく、母と無学尼を汚す(母を殺す罪の同類)、住定の菩薩
(父を殺す罪の同類)、および有学・無学を殺す(羅漢を殺す同類)、僧の和合縁を奪う
(破僧罪の同類)、卒都波を破壊する(仏身より血を出だす)」。
--------------------------------------------------------------------------------

●re.59
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2585 ] Re59:教行信証・学習ノート8 2011/11/14 (Mon) 23:17 △up ▽down
本文について、理解したところを記します。

>--------------------------------------------------------------------------------
>言五逆者。若依シ州。五逆有二。一者三乗五逆。謂一者故思殺父。二者故思殺母。三者故
>思殺羅漢。四者倒見破和合僧。五者悪心出仏身血。以背恩田違福田故。名之為逆。執此逆
>者。身壊命終必定堕無間地獄。一大劫中受無間苦。名無間業。又倶舎論中有五無間同類業。
>彼頌云。汚母無学尼。殺母罪同類。殺住定菩薩。殺父罪同類。及有学無学殺羅漢同類。
>奪僧和合縁。破僧罪同類。破壊率都婆。出仏身血。
>--------------------------------------------------------------------------------
>(永観・往生十因)「五逆」と言うは、もしシ州〈智周・最勝王経疏〉に依るに、五逆に二
>あり。一には三乗の五逆なり。いわく、一にはことさらに思いて父を殺す、二にはことさ
>らに思いて母を殺す、三にはことさらに思いて羅漢を殺す、四には倒見して和合僧を破す、
>五には悪心をもって仏身より血を出だす。恩田に背き福田に違するをもってのゆえに、こ
>れを名づけて逆とす。この逆を執する者は、身壊れ命終えて、必定して無間地獄に堕して、
>一大劫の中に無間の苦を受けん、無間業と名づくと。また『倶舎論』の中に、五無間の
>同類の業あり。かの頌に云わく、母と無学尼を汚す(母を殺す罪の同類)、住定の菩薩
>(父を殺す罪の同類)、および有学・無学を殺す(羅漢を殺す同類)、僧の和合縁を奪う
>(破僧罪の同類)、卒都波を破壊する(仏身より血を出だす)」。
>--------------------------------------------------------------------------------

  (永観・往生十因)「五逆」について、シ州〈智周・最勝王経疏〉によれば、五逆に二
  つがある。一つには三乗の五逆である。いわく、一つには故意に父を殺す、二つには
  故意に母を殺す、三つには故意に阿羅漢を殺す、四つには誤った考えで教団の秩序を
  破壊する、五つには悪心によって仏身から血を流す。恩田(両親)にそむき、福田(仏)
  にさからうことから、これを「逆」という。この「逆」に執着する者は、身が壊れ、
  命を終えて、間違いなく無間地獄に堕ちて、一大劫のあいだ無間地獄の苦しみを受け
  るであろう。これを無間業と名づける。また『倶舎論』のなかに、この五無間の同類
  の業がある。その頌(うた)にこう述べる。母と無学の尼僧を汚す(母を殺す罪の同類)、
  住定の菩薩を殺す(父を殺す罪の同類)、有学・無学を殺す(阿羅漢を殺す罪の同類)、
  僧の和合縁を奪う(破僧罪の同類)、卒都波を破壊する(仏身より血を出だす罪の同類)。

  WikiArc
    シ州
      中国法相宗の第二祖慧沼(649-714)のこと。シ州(現在の山東省シ県)の人。
      玄奘、窺基に学んだ。
    三乗
      声聞乗・縁覚乗・菩薩乗の三種。衆生の根機(素質能力)に応じてさとりへ導
      く教えを三種の乗り物に喩えたもの。
        1.声聞乗。仏の声(教説)を聞いて修行しさとる教え。四諦、十二因縁な
         どの法門。
        2.縁覚乗。師仏の教えによらず独りでさとる道を行く教え。十二因縁を
         観じてさとりをひらく法門。
        3.菩薩乗。大乘菩薩のために説かれた六波羅蜜等の法門。
      声聞乗、縁覚乗は小乗、菩薩乗は大乘である。
    阿羅漢
      梵語アルハットの男性・単数・主格、アルハンの音写。阿羅訶(呵)・阿盧漢
      ・羅漢ともいう。応供・応・殺賊・不生・無生・応真・真人などと漢訳する。
      尊敬されるべき人。拝まれるべき人。供養を受けるのにふさわしい人。修行
      を完成し煩悩を滅し尽くしたた聖者。涅槃のさとりに入り、ふたたび迷いの
      世界に生を受けない人。小乗仏教ではこの阿羅漢を最上の聖者とする。
      もとは仏を指す名称であったが、部派仏教時代になって、仏と阿羅漢とは区別
      され、仏弟子の到達する最高の階位とされた。すなわち声聞の修道階位であ
      る四果の最高位で、三界の一切の煩悩を断じ尽して、再び迷いの世界に流転
      することのない位をいう。
    倒見
      真理にそむいた謝った見解。
    和合僧
      和合して協調している集団。僧伽。仏教教団のこと。
    恩田
      恩を施してくれた両親をいう。
    福田
      福徳を生ずる田の意。仏や菩薩等を敬い供養恭敬すれば、田地に穀物が生ず
      るように福徳を生み出すから、仏を指して福田という。
    倶舎論
      『阿毘達磨倶舎論』のこと。三十巻。天親菩薩(5世紀頃)造。唐の玄奘訳。
      説一切有部の説を中心に経量部の説を加えたもの。界品・根品・世間品・業品
      ・睡眠品・賢聖品・智品・定品、および付論としての破我品からなり、仏教
      の百科全書的な内容をそなえている。仏教教義の基礎的典籍として重視され、
      数多くの注釈書が作成された。異訳に真諦訳『阿毘達磨倶舎釈論』二十二巻
      がある。
    無学
      煩悩を断じ尽して阿羅漢のさとりをひらいたもの。
    住定の菩薩
      無漏定に住している最高位の菩薩。
    有学
      阿羅漢果まで至っていない聖者のこと。
    和合縁
      教団を構成する縁となるもの。僧院、生活用具など。
    卒都波
      梵語ストゥーパの音写で塔の意。

●re.60
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2586 ] Re60:教行信証・学習ノート8 2011/11/16 (Wed) 03:25 △up ▽down
--------------------------------------------------------------------------------
二者大乗五逆。如薩遮尼乾子経説。一者破壊塔焚焼経蔵。及以盗用三宝財物。二者謗三乗
法言非聖教。障破留難隠蔽落蔵。三者一切出家人若戒・無戒・破戒。打罵呵責。説過禁閉。
還俗驅使。債調断命。四者殺父。害母。出仏身血。破和合僧。殺阿羅漢。五者謗無因果。
長夜常行十不善業。已上。彼経云。一起不善心。殺害独覚。是殺生。二婬羅漢尼。是云邪
行也。三侵損所施三宝物。是不与取。四倒見破和合僧衆。是虚誑語也。略出。
--------------------------------------------------------------------------------
(永観・往生十因)二には大乗の五逆なり。『薩遮尼乾子経』に説くがごとし。一には、塔
を破壊し経蔵を焚焼する、および三宝の財物を盗用する。二には、三乗の法を謗りて聖教
にあらずと言いて、障破留難し、隠蔽覆蔵するなり。三には、一切出家の人、もしは戒・
無戒・破戒のものを打罵し呵責して、過〈とが〉を説き禁閉し、還俗せしめ、駆使し債調
し断命せしむるなり。四には、殺父、害母、出仏身血、破和合僧、殺阿羅漢なり。五には、
因果なしと謗じて、長夜に常に十不善業を行ずるなりと。已上。かの経(十輪経)に云わ
く、一には不善心を起こして独覚を殺害する、これ殺生なり。二には羅漢の尼を婬する、
これを邪行と云うなり。三には施す所の三宝物を侵損する、これ不与取なり。四には倒見
して和合僧衆を破する、これ虚誑語なり。略出。
--------------------------------------------------------------------------------

●re.61
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2587 ] Re61:教行信証・学習ノート8 2011/11/16 (Wed) 03:25 △up ▽down
本文について、理解したところを記します。

>--------------------------------------------------------------------------------
>二者大乗五逆。如薩遮尼乾子経説。一者破壊塔焚焼経蔵。及以盗用三宝財物。二者謗三乗
>法言非聖教。障破留難隠蔽落蔵。三者一切出家人若戒・無戒・破戒。打罵呵責。説過禁閉。
>還俗驅使。債調断命。四者殺父。害母。出仏身血。破和合僧。殺阿羅漢。五者謗無因果。
>長夜常行十不善業。已上。彼経云。一起不善心。殺害独覚。是殺生。二婬羅漢尼。是云邪
>行也。三侵損所施三宝物。是不与取。四倒見破和合僧衆。是虚誑語也。略出。
>--------------------------------------------------------------------------------
>(永観・往生十因)二には大乗の五逆なり。『薩遮尼乾子経』に説くがごとし。一には、塔
>を破壊し経蔵を焚焼する、および三宝の財物を盗用する。二には、三乗の法を謗りて聖教
>にあらずと言いて、障破留難し、隠蔽覆蔵するなり。三には、一切出家の人、もしは戒・
>無戒・破戒のものを打罵し呵責して、過〈とが〉を説き禁閉し、還俗せしめ、駆使し債調
>し断命せしむるなり。四には、殺父、害母、出仏身血、破和合僧、殺阿羅漢なり。五には、
>因果なしと謗じて、長夜に常に十不善業を行ずるなりと。已上。かの経(十輪経)に云わ
>く、一には不善心を起こして独覚を殺害する、これ殺生なり。二には羅漢の尼を婬する、
>これを邪行と云うなり。三には施す所の三宝物を侵損する、これ不与取なり。四には倒見
>して和合僧衆を破する、これ虚誑語なり。略出。
>--------------------------------------------------------------------------------

  (永観・往生十因)二つには、大乗の五逆である。それは『薩遮尼乾子経』に説くとお
  りである。一つには、塔を破壊し経蔵を焼きつくすこと、および三宝の財物を盗用す
  ること。二つには、三乗の法をそしり、聖教ではないと言って、流布をさまたげ攻撃
  し、覆い隠して弘まらないようにすることである。三つには、すべての出家の人を、
  それが戒・無戒・破戒にかかわらず、打ち罵り、呵責して、罪があるといって牢に閉
  じ込め、還俗させ、労役に従事させ、債務や税を負担させて、命を奪うことである。
  四つには、父を殺し、母を害し、仏身から血を流し、和合僧を破り、阿羅漢を殺すこ
  とである。五つには、因果などないとそしり、生死輪廻の迷いのあいだに常に十不善業
  (十悪)を行うことである。かの経(十輪経)にこう述べる。一つには、不善の心を起こ
  して独覚(縁覚)を殺害する、これは殺生である。二つには、羅漢の尼を犯す、これを
  邪行という。三つには、施された三宝物を侵し損なうこと、これは不与取である。
  四つには、誤った見解にもとづいて教団の秩序を破壊する、これは虚偽の妄言である。
  略出。

  WikiArc
    薩遮尼乾子経
      『大薩遮尼乾子所説経』のこと。十巻。菩提流支訳。
    焚焼
      焼きつくすこと。 
    障破留難
      仏法の流布をさまたげ攻撃し危難を加えること。
    隠蔽覆蔵
      仏法の光を覆い隠して、弘まらないようにすること。
    還俗
      僧侶が元の俗人にかえること。
    駈使債調
      労役に従事させ、債務や税を負担させること。
    十不善業
      十悪のこと。
    不与取
      与えられないものを盗ること。偸盗のこと。五戒の一。
    倒見
      真理にそむいた謝った見解。
    虚誑語
      うそ、いつわりの言葉。虚偽の妄言。

  日本国語大辞典
    長夜
      仏語。凡夫が、煩悩のために悟りを開くことができず、生死輪廻の迷いから
      のがれることができないこと。また、そのような境地。生死長夜。

●re.62
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2588 ] Re62:教行信証・学習ノート8 2011/11/21 (Mon) 02:57 △up ▽down
≪六要鈔会本の注釈≫

--------------------------------------------------------------------------------
次所引文。言シ州者。是居所名。名曰智周。法相祖師。今釈最勝王経疏文。問。今引文者
如載十因第三章中。如何不云十因云耶。答。禅林先徳引[シ01]州釈。今此文類又引シ州。
彼此引用各依彼師。云依シ州。既有本拠。直載其名無其科耶。今引用意。上所引之註家宗
家二師之釈。既明五逆謗法往生。而謗法相論註釈之。五逆未解。是故為示其罪相也。就中
若依小乗五逆。人皆以為。輙不犯之。若依大乗五逆之説。人人一一難遁此罪。常行十悪。
即此摂故。仍且為生慚愧悔過之心。且為念報済度大悲深重仏恩。被引之歟。言薩遮尼乾子
経者。訳者流支。此経十巻。或有八巻。又有七巻。彼経云者。如十因者。次上文云。若依
十輪経。於此四重中。説近無間業故。已上。次有今文。然間彼者指十輪経。而如今者可混
薩遮尼乾子経。是故彼字得意可見。今所出罪。彼経此四説云四近無間大罪悪業。正逆説云
根本罪也。
--------------------------------------------------------------------------------
次の所引の文、「シ州」というは、これ居所の名、名を智周という。法相の祖師なり。
今の釈は『最勝王経の疏』の文なり。問う。今の引文は『十因』の第三の章の中に載るが
如し。如何ぞ「十因に云わく」といわざるや。答う。禅林の先徳はシ州の釈を引く。今こ
の『文類』またシ州を引く。彼此の引用はおのおの彼の師に依る。シ州に依るというは既
に本拠あり。直にその名を載するにその科なきや。今の引用の意は、上に引く所の註家・
宗家二師の釈は、既に五逆謗法の往生を明かす。而るに謗法の相は『論註』にこれを釈す。
五逆は未だ解せず。この故にその罪相を示さんが為なり。中に就きて、もし小乗の五逆に
依らば、人皆おもえらく、輙くこれを犯さずと。もし大乗五逆の説に依らば、人人一一に
この罪を遁れ難し。常に十悪を行ずる、即ちこの摂なるが故に、仍て且は慚愧悔過の心を
生しがため、且は済度の大悲・深重の仏恩を念報せしめんが為に、これを引かるるか。
「薩遮尼乾子経」というは、訳者は流支、この経は十巻、或いは八巻あり、また七巻あり。
「彼の経に云わく」とは、『十因』の如きは、次上の文に云わく「もし十輪経に依らば、
この四重の中に於いて、近無間業を説くが故に」已上。次に今の文あり。然る間、彼とは
『十輪経』を指す。而るに今の如きは『薩遮尼乾子経』を混ずべし。この故に彼の字、
意を得て見つべし。今出だす所の罪は、彼の経にこの四を説きて「四近無間大罪悪業」
という。正しく逆をば説きて根本罪というなり。
--------------------------------------------------------------------------------

●re.63
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2589 ] Re63:教行信証・学習ノート8 2011/11/21 (Mon) 02:58 △up ▽down
≪六要鈔会本の注釈≫

>--------------------------------------------------------------------------------
>次所引文。言シ州者。是居所名。名曰智周。法相祖師。今釈最勝王経疏文。問。今引文者
>如載十因第三章中。如何不云十因云耶。答。禅林先徳引[シ01]州釈。今此文類又引シ州。
>彼此引用各依彼師。云依シ州。既有本拠。直載其名無其科耶。今引用意。上所引之註家宗
>家二師之釈。既明五逆謗法往生。而謗法相論註釈之。五逆未解。是故為示其罪相也。就中
>若依小乗五逆。人皆以為。輙不犯之。若依大乗五逆之説。人人一一難遁此罪。常行十悪。
>即此摂故。仍且為生慚愧悔過之心。且為念報済度大悲深重仏恩。被引之歟。言薩遮尼乾子
>経者。訳者流支。此経十巻。或有八巻。又有七巻。彼経云者。如十因者。次上文云。若依
>十輪経。於此四重中。説近無間業故。已上。次有今文。然間彼者指十輪経。而如今者可混
>薩遮尼乾子経。是故彼字得意可見。今所出罪。彼経此四説云四近無間大罪悪業。正逆説云
>根本罪也。
>--------------------------------------------------------------------------------
>次の所引の文、「シ州」というは、これ居所の名、名を智周という。法相の祖師なり。
>今の釈は『最勝王経の疏』の文なり。問う。今の引文は『十因』の第三の章の中に載るが
>如し。如何ぞ「十因に云わく」といわざるや。答う。禅林の先徳はシ州の釈を引く。今こ
>の『文類』またシ州を引く。彼此の引用はおのおの彼の師に依る。シ州に依るというは既
>に本拠あり。直にその名を載するにその科なきや。今の引用の意は、上に引く所の註家・
>宗家二師の釈は、既に五逆謗法の往生を明かす。而るに謗法の相は『論註』にこれを釈す。
>五逆は未だ解せず。この故にその罪相を示さんが為なり。中に就きて、もし小乗の五逆に
>依らば、人皆おもえらく、輙くこれを犯さずと。もし大乗五逆の説に依らば、人人一一に
>この罪を遁れ難し。常に十悪を行ずる、即ちこの摂なるが故に、仍て且は慚愧悔過の心を
>生しがため、且は済度の大悲・深重の仏恩を念報せしめんが為に、これを引かるるか。
>「薩遮尼乾子経」というは、訳者は流支、この経は十巻、或いは八巻あり、また七巻あり。
>「彼の経に云わく」とは、『十因』の如きは、次上の文に云わく「もし十輪経に依らば、
>この四重の中に於いて、近無間業を説くが故に」已上。次に今の文あり。然る間、彼とは
>『十輪経』を指す。而るに今の如きは『薩遮尼乾子経』を混ずべし。この故に彼の字、
>意を得て見つべし。今出だす所の罪は、彼の経にこの四を説きて「四近無間大罪悪業」
>という。正しく逆をば説きて根本罪というなり。
>--------------------------------------------------------------------------------

  次の引用文で「シ州」というのは地名であって、その名前を智周という。法相の祖師
  である。今の釈は『最勝王経の疏』の文である。問う。今の引用文は『十因』の第三
  章のなかに載っているとおりである。どうして「十因のいうところによると」と言わ
  ないのか。答える。禅林寺の先徳は、シ州の釈を引用している。今、この『文類』も
  またシ州を引用する。それぞれの引用は、それぞれの師によるものである。シ州によ
  るというのは、すでに根拠がある。そこで、そのままその名をいただくことに、罪は
  ないであろう。

  WikiArc
    法相宗
      中国十三宗の一。唯識宗・慈恩宗ともいう。玄奘がインドの戒賢から伝えた
      護法系の唯識学説をうけて、その弟子慈恩大師窺基が法相宗として大成した。
      『解深密経』『成唯識論』『瑜伽師地論』を所依とし、一切の諸法は識の
      所変にほかならないことを説く。釈尊一代の教に有・空・中の三時教判を立
      て、衆生の機類を声聞定姓・縁覚定姓(声聞・縁覚の二乗の果を得ると定ま
      っているもの)・菩薩定姓(仏果を得ると定まっているもの)・不定姓(い
      ずれの果を得るとも定まっていないもの)・無姓(仏果も二乗の果も得るこ
      とができないと定まっているもの)の五に分ける五姓各別を説く。日本には、
      道昭が白雉四年(653)入唐し、玄奘に教えを受け斉明七年(661)に帰国し伝
      えたのがえたのが最初で、以来四度にわたって伝来し南都六宗の一に数えら
      れる。
    十因
      『往生十因』のこと。一巻。東大寺永観撰。念仏が決定往生の行であること
      を十種の理由(因)をあげて証明し、一心に阿弥陀仏を称念すれば、必ず往生
      を得ると明かした書。
    往生十因
      『往生十因』東大寺永観の著。 一巻。 念仏が決定往生の行であることを十種
      の理由 (因、@広大善根故、A衆罪消滅故、B宿縁深厚故、C光明摂取故、
      D聖衆護持故、E極楽化主故、F三業相応故、G三昧発得故、H法身同体故、
      I随順本願故) をあげて証明し、一心に阿弥陀仏を称念すれば、必ず往生を
      得ると明かす。

  日本国語大辞典
    先徳
      仏語。死亡した高徳の僧。また、前代の有徳の僧。


  今の引用の意(こころ)は、上に引用する註家・宗家二師の釈は、すでに、五逆と謗法
  が往生することを明らかにしている。しかし、謗法の相(すがた)については『論註』
  にこれを釈しているが、五逆については未だ解説していない。そのために、その罪の
  相(すがた)を示そうとしているのである。なかでも、もし小乗の五逆によるならば、
  人はみな、たやすくこれを犯さないと思う。もし大乗の五逆の説によるならば、人々
  がそれぞれに、この罪を逃れることは難しい。常に十悪をなす、そこから逃れられな
  いために、一方では罪を恥じる心を起こさせるために、他方では済度の大悲と深重の
  仏恩を念じて報いることをさせるために、これを引用するのであろう。

  WikiArc
    慚愧
      罪を恥じること。
    悔過
      罪過を悔いて懺悔すること。 また仏前に自己の犯した罪過を告白して許しを
      請う儀式を指す。

  日本国語大辞典
    摂(しょう)
      とらえること。とりおさえること。


  「薩遮尼乾子経」というのは、訳者は流支、この経は十巻、あるいは八巻、また七巻
  がある。「彼の経に云わく」については、『十因』のことを、次の上の文でこう述べ
  る。「十輪経によるならば、この四重禁戒のなかで、近無間業(無間地獄に堕ちる業に
  近いもの)を説くから」その次に今の文がある。そうであるから、「彼」とは『十輪経』
  を指す。しかし、ここでは『薩遮尼乾子経』を混同しているようだ。だから「彼」の
  字は、その意(こころ)をわきまえて見るべきである。ここで取り上げている罪は、彼
  の経に、この四つを説いて「四近無間大罪悪業」と言っている。まさしく、この「逆」
  を根本罪と説いている。

  WikiArc
    十輪経
      『十輪経』『地蔵十輪経』のこと。
    地蔵十輪経
      『大乗大集地蔵十輪経』のこと。十巻。唐の玄奘訳。
    四重禁
      四重禁戒のこと。略して四重ともいう。比丘・比丘尼の守るべき最も厳重な
      禁戒。殺生・偸盗・婬・妄語の四波羅夷罪をいう。これを犯すと出家教団か
      ら追放される。
    四根本罪
      四重禁のこと。


※これで信巻を終わります。

●re.64
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2590 ] Re64:教行信証・学習ノート8 2011/11/23 (Wed) 11:10 △up ▽down
--------------------------------------------------------------------------------
顕浄土真実証文類 四
愚禿釈親鸞集
--------------------------------------------------------------------------------


≪六要鈔会本の注釈≫

--------------------------------------------------------------------------------
当巻大門第四明証。於中有四。一者題目。二者標挙。二段如前。三者正釈。自文之初。
至引論註所判第五功徳相釈。註云已上鈔出之文。是為正釈。四者総結。爾者已下至巻之終。
是其文也。

一題目。分二准前応知。依真実信得真実証。信証有次三四成数。
--------------------------------------------------------------------------------
当巻大門第四に証を明かす。中に於いて四あり。一には題目、二には標挙、二段は前の如
し。三には正釈、文の初より、『論註』に第五の功徳の相を判ずる所の釈を引きて、註に
「已上鈔出」という文に至るまで、これを正釈と為す。四には総結、「爾者」已下、巻の
終に至るまで、これその文なり。

一に題目。二を分つこと、前に准じて知るべし。真実の信に依りて真実の証を得。信証、
次ありて、三四、数を成ず。
--------------------------------------------------------------------------------

●re.65
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2591 ] Re65:教行信証・学習ノート8 2011/11/23 (Wed) 11:11 △up ▽down
本文と六要鈔会本の注釈について、理解したところを記します。

>--------------------------------------------------------------------------------
>顕浄土真実証文類 四
>愚禿釈親鸞集
>--------------------------------------------------------------------------------


≪六要鈔会本の注釈≫

>--------------------------------------------------------------------------------
>当巻大門第四明証。於中有四。一者題目。二者標挙。二段如前。三者正釈。自文之初。
>至引論註所判第五功徳相釈。註云已上鈔出之文。是為正釈。四者総結。爾者已下至巻之終。
>是其文也。

>一題目。分二准前応知。依真実信得真実証。信証有次三四成数。
>--------------------------------------------------------------------------------
>当巻大門第四に証を明かす。中に於いて四あり。一には題目、二には標挙、二段は前の如
>し。三には正釈、文の初より、『論註』に第五の功徳の相を判ずる所の釈を引きて、註に
>「已上鈔出」という文に至るまで、これを正釈と為す。四には総結、「爾者」已下、巻の
>終に至るまで、これその文なり。

>一に題目。二を分つこと、前に准じて知るべし。真実の信に依りて真実の証を得。信証、
>次ありて、三四、数を成ず。
>--------------------------------------------------------------------------------

  当巻大門第四に「証」を明らかにする。それは四つに分かれている。一つには題目、
  二つには標挙で、この二段は前と同様である。三つには正釈で、これは文の初めより、
  『論註』に第五の功徳の相を判ずる釈を引用して、註に「已上鈔出」という文に至る
  までを正釈とする。四つには総結、「爾者」以下、巻の終わりに至るまでが、その文
  である。

  一に題目。これが二つに分かれることは、前に准じて知るべきである。真実の信によ
  って真実の証を得る。信証とつながって、三四の数となる。

●re.66
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2592 ] Re66:教行信証・学習ノート8 2011/11/23 (Wed) 12:22 △up ▽down
--------------------------------------------------------------------------------
必至滅度之願 難思議往生
--------------------------------------------------------------------------------


≪六要鈔会本の注釈≫

--------------------------------------------------------------------------------
二言標挙者。題次一行。第十一願。是則必至滅度之願。亦云住正定聚之願。其下之註言難
思議往生意者。法事讃中所釈。三種往生之中其一名也。三種之内為之真実。依難思議往生
之益所得之証。是為無上涅槃之果。問。今所挙外二種云何。答。在第六巻。可待下也。問。
嘆此往生云難思議。其意如何。答。仏号不可思議光仏。帰彼誓願得往生故。指往生徳云難
思議。是則罪悪生死凡夫。無有出離之縁下機。偏由仏力得入報法高妙浄土。更非凡心之所
思度。更非口言之所可及。是故嘆言難思議也。
--------------------------------------------------------------------------------
二に標挙というは、題の次の一行なり。第十一の願、これ則ち必至滅度の願、また住正定聚
の願という。その下の註に「難思議往生」という意は、『法事讃』の中に釈する所の三種
往生の中のその一の名なり。三種の内に、これを真実と為す。難思議往生の益に依りて得
る所の証、これを無上涅槃の果と為す。問う。今挙ぐる所の外の二種は云何。答う。第六巻
に在り。下を待つべきなり。問う。この往生を嘆じて難思議という、その意、如何。答う。
仏を不可思議光仏と号す。彼の誓願に帰して往生を得るが故に、往生の徳を指して難思議
という。これ則ち罪悪生死の凡夫、無有出離之縁の下機。偏に仏力に由りて報法高妙の浄土
に入ることを得。更に凡心の思度する所にあらず。更に口言の及ぶべき所にあらず。この
故に嘆じて難思議というなり。
--------------------------------------------------------------------------------

●re.67
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2593 ] Re67:教行信証・学習ノート8 2011/11/23 (Wed) 12:24 △up ▽down
本文と六要鈔会本の注釈について、理解したところを記します。

>--------------------------------------------------------------------------------
>必至滅度之願 難思議往生
>--------------------------------------------------------------------------------


≪六要鈔会本の注釈≫

>--------------------------------------------------------------------------------
>二言標挙者。題次一行。第十一願。是則必至滅度之願。亦云住正定聚之願。其下之註言難
>思議往生意者。法事讃中所釈。三種往生之中其一名也。三種之内為之真実。依難思議往生
>之益所得之証。是為無上涅槃之果。問。今所挙外二種云何。答。在第六巻。可待下也。問。
>嘆此往生云難思議。其意如何。答。仏号不可思議光仏。帰彼誓願得往生故。指往生徳云難
>思議。是則罪悪生死凡夫。無有出離之縁下機。偏由仏力得入報法高妙浄土。更非凡心之所
>思度。更非口言之所可及。是故嘆言難思議也。
>--------------------------------------------------------------------------------
>二に標挙というは、題の次の一行なり。第十一の願、これ則ち必至滅度の願、また住正定聚
>の願という。その下の註に「難思議往生」という意は、『法事讃』の中に釈する所の三種
>往生の中のその一の名なり。三種の内に、これを真実と為す。難思議往生の益に依りて得
>る所の証、これを無上涅槃の果と為す。問う。今挙ぐる所の外の二種は云何。答う。第六巻
>に在り。下を待つべきなり。問う。この往生を嘆じて難思議という、その意、如何。答う。
>仏を不可思議光仏と号す。彼の誓願に帰して往生を得るが故に、往生の徳を指して難思議
>という。これ則ち罪悪生死の凡夫、無有出離之縁の下機。偏に仏力に由りて報法高妙の浄土
>に入ることを得。更に凡心の思度する所にあらず。更に口言の及ぶべき所にあらず。この
>故に嘆じて難思議というなり。
>--------------------------------------------------------------------------------

  第二に標挙というのは、題の次の一行のことである。第11願を、必至滅度の願、また
  住正定聚の願という。その下の註に「難思議往生」という意(こころ)は、『法事讃』
  で釈する三種往生のなかの一つの名である。三種のなかでは、これを真実とする。
  難思議往生の益によって得る「証」、これが無上涅槃という「果」である。

  WikiArc
    三往生
      三種の往生。
        難思議往生(弘願)
        双樹林下往生(要門)
        難思往生(真門)
    難思議往生
      第十八願の弘願念仏による真実報土への往生をいう。難思議とは不可思議と
      いう意で、『大経』の第十八願の法は因果ともに不可思議であるから難思議
      という。
    双樹林下往生
      自力の諸行によって往生を願う者の得る化土往生の果をいう。第十九願の
      諸行往生の法門にあたり、それを開説した『観経』顕説の定散二善、すな
      わち要門の法義をあらわす。
      双樹林下とは釈尊入滅の所である沙羅双樹下のこと。仏の入滅を見ること
      がある化土の往生であることを示して双樹林下往生と名づける。
    難思往生
      『小経』の顕説(表面に説かれた自力の教え)の、第二十願真門、すなわち
      自力の称名による方便化土への往生をいう。名号の徳より難思の名を与え、
      仏力を疑う点から議の一字を省き、第十八願の難思議往生に対して難思往生
      という。


  問う。ここで取り上げている外の二種はどのようなものか。
  答える。それは第六巻(化土巻)にある。下(第六巻)を待つべきである。

  問う。この往生を讃嘆して「難思議」というが、その意(こころ)はどのようなものか。
  答える。仏を「不可思議」光仏というが、その誓願に頼って往生を得るのであるから、
  その往生の徳を指して「難思議」というのである。私たちは、常に罪悪を犯し生死の
  迷いの世界に流転している凡夫であり、そして、迷いの世界を離れ出る手懸りのない、
  仏道を修める能力の劣った者である。それが、ひとえに仏の力によって、法の報いと
  しての非常にすぐれた浄土に入ることができるのである。まったく、凡夫の心で思慮
  分別できるようなものではない。まったく、言葉で言い表すことができるようなもの
  でもない。だから、讃嘆して「難思議」というのである。

  WikiArc
    罪悪生死の凡夫
      常に罪悪を犯し、生死の迷いの世界に流転している凡夫。
    出離の縁
      迷いの世界を離れ出るてがかり。
    下機
      仏道を修める能力の劣った者。
    報法高妙
      報身・報土のものがらは、非常に高くすぐれている。


●re.68
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2594 ] Re68:教行信証・学習ノート8 2011/11/25 (Fri) 03:36 △up ▽down
--------------------------------------------------------------------------------
謹顕真実証者。則是利他円満之妙位。無上涅槃之極果也。即是出於必至滅度之願。亦名証
大涅槃之願也。然煩悩成就凡夫。生死罪濁群萌。獲往相回向心行。即時入大乗正定聚之数。
住正定聚故必至滅度。必至滅度即是常楽。常楽即是畢竟寂滅。寂滅即是無上涅槃。無上涅
槃即是無為法身。無為法身即是実相。実相即是法性。法性即是真如。真如即是一如。然者。
弥陀如来従如来生。示現報応化種種身也。
--------------------------------------------------------------------------------
(御自釈)謹んで真実証を顕さば、すなわちこれ利他円満の妙位、無上涅槃の極果なり。す
なわちこれ必至滅度の願より出でたり。また証大涅槃の願と名づくるなり。しかるに煩悩
成就の凡夫、生死罪濁の群萠、往相回向の心行を獲れば、即の時に大乗正定聚の数に入ら
しむるなり。正定聚に住するがゆえに、必ず滅度に至る。必ず滅度に至れば、すなわちこ
れ常楽なり。常楽はすなわちこれ畢竟寂滅なり。寂滅はすなわちこれ無上涅槃なり。無上
涅槃はすなわちこれ無為法身なり。無為法身はすなわちこれ実相なり。実相はすなわちこ
れ法性なり。法性はすなわちこれ真如なり。真如はすなわちこれ一如なり。しかれば弥陀
如来は如より来生して、報・応・化種種の身を示し現わしたまうなり。
--------------------------------------------------------------------------------


≪六要鈔会本の注釈≫

--------------------------------------------------------------------------------
就正釈中分文為二。自文之初至報応化種種身也。総標大意。必至以下正引諸文。兼加私釈。
--------------------------------------------------------------------------------
正釈の中に就きて文を分かちて二と為す。文の初より、「報応化種種身也」に至るまでは、
総じて大意を標す。「必至」以下は正しく諸文を引き、兼て私の釈を加う。
--------------------------------------------------------------------------------

●re.69
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2595 ] Re69:教行信証・学習ノート8 2011/11/25 (Fri) 03:36 △up ▽down
本文と六要鈔会本の注釈について、理解したところを記します。

>--------------------------------------------------------------------------------
>謹顕真実証者。則是利他円満之妙位。無上涅槃之極果也。即是出於必至滅度之願。亦名証
>大涅槃之願也。然煩悩成就凡夫。生死罪濁群萌。獲往相回向心行。即時入大乗正定聚之数。
>住正定聚故必至滅度。必至滅度即是常楽。常楽即是畢竟寂滅。寂滅即是無上涅槃。無上涅
>槃即是無為法身。無為法身即是実相。実相即是法性。法性即是真如。真如即是一如。然者。
>弥陀如来従如来生。示現報応化種種身也。
>--------------------------------------------------------------------------------
>(御自釈)謹んで真実証を顕さば、すなわちこれ利他円満の妙位、無上涅槃の極果なり。す
>なわちこれ必至滅度の願より出でたり。また証大涅槃の願と名づくるなり。しかるに煩悩
>成就の凡夫、生死罪濁の群萠、往相回向の心行を獲れば、即の時に大乗正定聚の数に入ら
>しむるなり。正定聚に住するがゆえに、必ず滅度に至る。必ず滅度に至れば、すなわちこ
>れ常楽なり。常楽はすなわちこれ畢竟寂滅なり。寂滅はすなわちこれ無上涅槃なり。無上
>涅槃はすなわちこれ無為法身なり。無為法身はすなわちこれ実相なり。実相はすなわちこ
>れ法性なり。法性はすなわちこれ真如なり。真如はすなわちこれ一如なり。しかれば弥陀
>如来は如より来生して、報・応・化種種の身を示し現わしたまうなり。
>--------------------------------------------------------------------------------

  (御自釈)謹んで真実の「証」を明らかにするならば、それは、(仏が)他者を利益する
  ことによって得られる完全無欠の素晴らしい位(くらい)であり、この上ない涅槃とい
  う究極の「果」である。それは、必至滅度の願(第11願)に基づくものである。また、
  それを「証大涅槃の願」と名づけるものである。

  WikiArc
    利他円満の妙位
      他力より与えられた功徳の欠けめのないすぐれた仏の位。
    利他
      1.他の衆生に功徳利益を施すこと。自利に対する語。
      2.阿弥陀如来が衆生を救済するはたらきをいう。他力の意。
    無上涅槃の極果
      この上ない仏のさとりの果。


  そのようなわけで、あらゆる煩悩を欠くことなく具えている凡夫、つまり、生死を繰
  り返し罪で汚れた群萠(衆生)であっても、仏から差し向けられた往相(往生のすがた)
  という心行(心と行)を受け取れば、その時たちどころに大乗の正定聚の一員となるの
  である。正定聚に住するがために、必ず滅度に至る。必ず滅度に至れば、それは常楽
  である。

  WikiArc
    煩悩成就
      あらゆる煩悩を欠くことなく具えていること。
    群萌
      あらゆる人々。衆生のこと。
      一切衆生のこと。雑草が群がり生えているさまに喩えていう。
    往相回向の心行
      往生の因として、仏より回向された信心と称名。
    往相回向
      阿弥陀仏が本願力によって往相を回向(衆生にふりむけ、与えること)すること。
      親鸞聖人は回向の主体を阿弥陀仏とし、衆生が浄土へ往生する因である行信も、
      往生成仏の証果も、すべて阿弥陀仏が施し与えたものであるとする。
    往相
      往生浄土の相状の意。衆生が浄土に生れゆくすがたで、教・行・信・証の四法
      がある。還相に対する語。
    心行
      1.願い。志。
      2.心のはたらき
      3.一心帰命の信心に五念門の行徳が具わっていること。
    正定聚
      浄土(真実報土)に往生することが正しく定まり、必ずさとりを開いて仏にな
      ることが決定しているともがらをいう。
      第十八願の信心の行者のこと。また、浄土に往生して仏のさとりを開いた者
      が示現する相(広門示現相)を指すばあいもある。
    常楽
      常楽我浄のこと。常住にして移り変りなく、安らかで楽しみが充ち足り、自在
      で他に縛られず、煩悩のけがれがないこと。涅槃にそなわる四種の徳。

  日本国語大辞典
    心行
      仏語。心または思慮分別などのはたらき。また、心持、料簡などの意にも
      用いる。


  常楽は、すなわち畢竟寂滅である。寂滅は、すなわち無上涅槃である。無上涅槃は、
  すなわち無為法身である。無為法身は、すなわち実相である。実相は、すなわち法性
  である。法性は、すなわち真如である。真如は、すなわち一如である。そういうわけ
  で、弥陀如来は、如(真如・一如)からこの世に生まれて来て、報身・応身・化身など
  の様々な身を示し現わしてくださるのである。

  WikiArc
    畢竟寂滅
      煩悩を滅した究極的なさとりの境地。
    寂滅
      涅槃の異名。あらゆる煩悩が滅した寂静の境地。
    無上涅槃
      小乗仏教に説く消極的な涅槃に対して、自利利他円満の大乗の涅槃をいう。
      大乗の涅槃をいう。煩悩が完全に消滅し、智慧と慈悲が完成し、自利利他の
      徳が円満したこのうえないさとりの境地。
    無為法身
      生滅変化を離れた色もなく形もなく、常住にして一切にあまねく満ちる絶対
      の真理そのものである仏身のこと。
    実相
      名号は仏のさとった諸法実相の徳が含まれているので、仏の名号のことを
      実相という。
    法性
      梵語ダルマターの漢訳。法の法たる性という意で、一切の存在の真実常住な
      る本性を指す。真如・実相・法界などの異名として用いられる。
    真如
      梵語タタターの漢訳。かくあること。衆生の虚妄分別を超えた存在のありの
      ままのすがた。形相を超えた絶対究極のありかた。すなわちすべての存在の
      本性が、あらゆる差別的な相を超えて絶対の一であることをいう。
    一如
      一は絶対不二の意。如は梵語タタターの漢訳。真如のこと。無分別智の境位。
      真実のすがた。 ありのままのすがた。
    如
      一如、真如のこと。
    如より来生して
      真如をさとったものが、そのさとりの境地を人々に正しく解説するという意。
    報応化
      報身・応身・化身のこと。


≪六要鈔会本の注釈≫

>--------------------------------------------------------------------------------
>就正釈中分文為二。自文之初至報応化種種身也。総標大意。必至以下正引諸文。兼加私釈。
>--------------------------------------------------------------------------------
>正釈の中に就きて文を分かちて二と為す。文の初より、「報応化種種身也」に至るまでは、
>総じて大意を標す。「必至」以下は正しく諸文を引き、兼て私の釈を加う。
>--------------------------------------------------------------------------------

  正釈の文は、二つに分けられる。文の初めから「報応化種種身也」にまでは、総じて
  大意を表す。「必至」以下は、まさしく諸文を引用して、あわせて私釈を加えるもの
  である。

●re.70
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2596 ] Re70:教行信証・学習ノート8 2011/11/27 (Sun) 00:35 △up ▽down
≪六要鈔会本の注釈≫

--------------------------------------------------------------------------------
先就総標中。謹顕等者。正標当巻所立之名。利他等者。是指証道。或指初地已上。或指八
地已上乃至等覚補処。是則衆生生者。皆是阿毘跋致。由仏大願業力。所得希奇益也。無上
等者。是指妙覚無上之位。必至補処。所可窮極之妙果也。即時等者。問。当願之意。得不
退位。約往生後。彼土徳故。而如今者約現生哉。其意如何。答。此有隠顕傍正等意。若拠
顕正約生後益。若依隠傍約現生益。依之或云即得往生住不退転。或云皆悉到彼国自致不退
転。各有料簡。是故十住毘婆沙論。若云即入必定。若云欲於此身。皆約即時。是現生意。
依此等義有此釈也。此義具載第二巻新本之中。宜見彼解。
--------------------------------------------------------------------------------
まず総標の中に就きて、「謹顕」等とは、正しく当巻所立の名を標す。「利他」等とは、
これ証道を指す。或いは初地已上を指し、或いは八地已上、乃至、等覚補処を指す。これ
則ち衆生の生ずる者は、皆これ阿毘跋致、仏の大願業力に由りて得る所の希奇の益なり。
「無上」等とは、これ妙覚無上の位を指す。必ず補処に至りて窮極すべき所の妙果なり。
「即時」等とは、問う、当願の意は、不退の位を得ることは、往生の後に約す。彼の土の
徳なるが故に。而るに今の如きは、現生に約するや。その意如何。答う。これに隠顕・
傍正等の意あり。もし顕正に拠らば生後の益に約す。もし隠傍に依らば現生の益に約す。
これに依りて或いは「即得往生住不退転」といい、或いは「みなことごとくかの国に到り
て自ずから不退転に致る」という。おのおの料簡あり。この故に『十住毘婆沙論』に、
もしは「即入必定〈即ち必定に入りて〉」といい、もしは「欲於此身」という。みな即時
に約す。これ現生の意なり。これ等の義に依りてこの釈あるなり。この義は具に第二巻の
新本の中に載せたり。宜しく彼の解を見るべし。
--------------------------------------------------------------------------------

●re.71
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2597 ] Re71:教行信証・学習ノート8 2011/11/27 (Sun) 00:35 △up ▽down
≪六要鈔会本の注釈≫

>--------------------------------------------------------------------------------
>先就総標中。謹顕等者。正標当巻所立之名。利他等者。是指証道。或指初地已上。或指八
>地已上乃至等覚補処。是則衆生生者。皆是阿毘跋致。由仏大願業力。所得希奇益也。無上
>等者。是指妙覚無上之位。必至補処。所可窮極之妙果也。即時等者。問。当願之意。得不
>退位。約往生後。彼土徳故。而如今者約現生哉。其意如何。答。此有隠顕傍正等意。若拠
>顕正約生後益。若依隠傍約現生益。依之或云即得往生住不退転。或云皆悉到彼国自致不退
>転。各有料簡。是故十住毘婆沙論。若云即入必定。若云欲於此身。皆約即時。是現生意。
>依此等義有此釈也。此義具載第二巻新本之中。宜見彼解。
>--------------------------------------------------------------------------------
>まず総標の中に就きて、「謹顕」等とは、正しく当巻所立の名を標す。「利他」等とは、
>これ証道を指す。或いは初地已上を指し、或いは八地已上、乃至、等覚補処を指す。これ
>則ち衆生の生ずる者は、皆これ阿毘跋致、仏の大願業力に由りて得る所の希奇の益なり。
>「無上」等とは、これ妙覚無上の位を指す。必ず補処に至りて窮極すべき所の妙果なり。
>「即時」等とは、問う、当願の意は、不退の位を得ることは、往生の後に約す。彼の土の
>徳なるが故に。而るに今の如きは、現生に約するや。その意如何。答う。これに隠顕・
>傍正等の意あり。もし顕正に拠らば生後の益に約す。もし隠傍に依らば現生の益に約す。
>これに依りて或いは「即得往生住不退転」といい、或いは「みなことごとくかの国に到り
>て自ずから不退転に致る」という。おのおの料簡あり。この故に『十住毘婆沙論』に、
>もしは「即入必定〈即ち必定に入りて〉」といい、もしは「欲於此身」という。みな即時
>に約す。これ現生の意なり。これ等の義に依りてこの釈あるなり。この義は具に第二巻の
>新本の中に載せたり。宜しく彼の解を見るべし。
>--------------------------------------------------------------------------------

  まず、総標のなかで、「謹顕・・・」等というのは、まさしく当巻のよってたつとこ
  ろの名を表したものである。「利他・・・」等というのは、これ「証」をうる道を指
  している。それは、(菩薩に例えれば)初地以上を指したり、八地以上から等覚補処ま
  でを指したりする。すなわち、衆生でそこに生まれる者は、みな阿毘跋致(不退転)で
  あり、それは仏の大いなる願の業力によって得られる類まれな利益なのである。
  「無上・・・」等というのは、妙覚という無上の位を指す。必ず補処に至って最後に
  到達すべきところの素晴らしい「果」である。

  WikiArc
    証道
      本願念仏によって浄土に往生し、さとりを得る道。
    初地
      菩薩の階位五十二位のうちの十地の第一をいう。歓喜地に同じ。
    八地
      菩薩の階位の第八地。
    等正覚(等覚・正等覚)
      仏因円満した正覚に等しい位で仏陀の一歩手前にあるもの。菩薩の修行の
      五十二位あるうちの第五十一位。
    補処
      一生補処の略。
    一生補処
      略して補処ともいう。次の生涯には仏と成ることができる位。一生を過ぎれ
      ば仏の位(仏処)を補うべき地位の意。菩薩の最高位。
    阿毘跋致
      梵語アヴァイヴァルティカまたアヴィニヴァルタニーヤの音写。阿惟越致と
      もいい、無退・不退・不退転と漢訳する。退かないの意。
    大願業力
      すぐれた願によって成就された阿弥陀仏の救済のはたらき。

  日本国語大辞典
    証道
      仏道を修行し、身をもって、その真理を実証すること。さとること。または、
      さとりの真理に契った実践をいう。
    補処
      仏語。一度だけ生死の迷いの世界に縛られるが、次の世には仏となることが
      約束された菩薩の位。特に、彌勒(みろく)菩薩にいい、多く「補処の彌勒」
      の形で用いる。一生補処。
    究極・窮極
      物事をはてまできわめること。また、そのようにして最後に到達する所。
      はて。きわまり。きゅうごく。

  「即時・・・」等について、問う。当願の意(こころ)では、不退の位を得ることは、
  往生の後のことである。それは、彼の土の徳だからである。しかし、ここでは現生
  のことであるとしている。その意(こころ)はいかがであろうか。答える。これには、
  隠顕(裏・表)と傍正(脇・正面)などの意(こころ)がある。仮に顕正(表・正面)によ
  れば、それは生後の利益のことである。仮に隠傍(裏・脇)によれば、それは現生の
  利益のことである。これによって。「ただちに往生を得て不退転に住する」といっ
  たり、または、「みなことごとくかの国にいたって、自ずから不退転にいたる」と
  いったりする。それぞれに料簡(考え方)がある。だから、『十住毘婆沙論』に、
  「即入必定〈即ち必定に入りて〉」といったり、「欲於此身(この身において不退転
  を欲す)」といったりする。これはすべて即時のことである。これは現生の意(こころ)
  である。これらの義(考え方)によって、この釈があるのである。この義(考え方)は
  詳しく第二巻の新本のなかに載せてあるので、その解釈を見でください。

  WikiArc
    隠顕
      文の表に顕れたものと裏に隠れたもの。 善導大師の隠顕は、ともに真実の説意
      で、親鸞聖人が 「化身土文類」 でいわれるような真仮 (真実・方便) を分別
      する意味ではない。
    顕彰隠密
      浄土真宗で、『観経』と『小経』の説相を解釈するのに用いる名目で略して
      隠顕といい、顕を顕説、隠を隠彰ともいう。
      顕説とは顕著に説かれている教義で、『観経』では定散諸行往生すなわち要門
      の教義であり、『小経』では自力念仏往生すなわち真門の教義である。隠彰
      とは隠微にあらわされている真実義で、両経ともに他力念仏往生の法すなわ
      ち弘願法である。
    傍正
      仏の救いの正しきめあてと、かたわらのもの、すなわち主たる対機(正機)と、
      従たる対機(傍機)をいう。

●re.72
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2598 ] Re72:教行信証・学習ノート8 2011/11/27 (Sun) 01:07 △up ▽down
--------------------------------------------------------------------------------
必至滅度願文、大経言。設我得仏。国中人天不住定聚必至滅度者。不取正覚。已上。
--------------------------------------------------------------------------------
必至滅度の願文、『大経』に言わく、設い我仏を得たらんに、国中の人天、定聚に住し、
必ず滅度に至らずは、正覚を取らじと。已上。
--------------------------------------------------------------------------------

≪六要鈔会本の注釈≫

--------------------------------------------------------------------------------
次正引中。先出彼此両経五文。
--------------------------------------------------------------------------------
次に正引の中に、まず彼此両経の五文を出だす。
--------------------------------------------------------------------------------

●re.73
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2599 ] Re73:教行信証・学習ノート8 2011/11/27 (Sun) 01:07 △up ▽down
本文と六要鈔会本の注釈について、理解したところを記します。

>--------------------------------------------------------------------------------
>必至滅度願文、大経言。設我得仏。国中人天不住定聚必至滅度者。不取正覚。已上。
>--------------------------------------------------------------------------------
>必至滅度の願文、『大経』に言わく、設い我仏を得たらんに、国中の人天、定聚に住し、
>必ず滅度に至らずは、正覚を取らじと。已上。
>--------------------------------------------------------------------------------

  必至滅度の願文について、『大経』にこう述べる。仮に私が仏になろうとしたときに、
  国中の人間と天人が、正定聚に住し、間違いなく滅度に至るということがないのなら、
  私は正しい覚りを開くつもりはない。

  WikiArc
    人天
      人間と天人。ここでは浄土の往生人のこと。
    正定聚
      浄土(真実報土)に往生することが正しく定まり、必ずさとりを開いて仏にな
      ることが決定しているともがらをいう。


≪六要鈔会本の注釈≫

>--------------------------------------------------------------------------------
>次正引中。先出彼此両経五文。
>--------------------------------------------------------------------------------
>次に正引の中に、まず彼此両経の五文を出だす。
>--------------------------------------------------------------------------------

  次に、正引のなかで、まず、あれこれやの二つの経の五文を取り上げる。

●re.74
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2600 ] Re74:教行信証・学習ノート8 2011/11/28 (Mon) 22:15 △up ▽down
≪六要鈔会本の注釈≫

--------------------------------------------------------------------------------
初正願文。問。当願大意云何。答。因位所見諸土之中。或有雖致仏道修行。退入邪聚。
或有不退速得菩提。法蔵憫愍彼退堕類。為令彼類住正定聚。終証涅槃之妙理故。発此願也。
問。定聚滅度是二益歟。又一益歟。答。是二益也。言定聚者。是当不退。言滅度者是指涅
槃。問。定聚滅度何為願体。答。諸師之意多以不退為其願体。所謂寂云令住定聚。法位師
云願住定聚。玄一師云住定聚願。静照真源共名住必定聚之願。但彼御廟智光二徳并云。
住正定聚必至菩提之願。是挙両益。如此名者難定以何為所願之体。若約初益可為不退。
若約究竟可為滅度。今此集意。就其終益被立名歟。問。言滅度者。大小二乗所証之理。
共得此名。今指何耶。答。大乗滅度文理共明。言其文者。次下所引如来会文其説分明。
又大阿弥陀経説云。令得仏道。云大涅槃。云取菩提。云得仏道。言其理者。弥陀教文大乗
真実終窮極説了義教也。極楽畢竟成仏道路。即是大乗善根界也。豈得小乗灰断滅度。当知
其証偏在大乗。問。如所立者。往生之後所得之益浄土徳也。然者所言現生即時不退之義
相違如何。答。豈不前言。於不退益有其隠顕傍正之意。処処料簡其意皆同。又滅度益可為
生後究竟之益。不可混乱。問。約生後益。論不退者其位如何。答。常途所談非三不退。
是処不退。故要集判云処不退。又群疑論云。初往生時即名不退者。此約処不退。已上。
但如下引本論意者。可云初益是行不退。後益念不退。所言未証浄心菩薩。初地已上。上地
菩薩是指八地已上故也。集主之意。立真実証其位深高。叶此義歟。問。不住等者。不之言
者是指定聚。其義難云被滅度耶。答。不言流至必至滅度。初住定聚終成仏故。
--------------------------------------------------------------------------------
初に正しき願文なり。問う。当願の大意は云何。答う。因位所見の諸土の中には、或いは
仏道修行を致すといえども、退して邪聚に入るあり。或いは退せずして速やに菩提を得る
あり。法蔵は彼の退堕の類を憫愍して、彼の類をして、正定聚に住して終に涅槃の妙理を
証せしめんが為の故に、この願を発すなり。問う。定聚・滅度はこれ二益なるか、また
一益なるか。答う。これ二益なり。定聚というは、これ不退に当る。滅度というは、これ
涅槃を指す。問う。定聚・滅度、何をか願体と為すや。答う。諸師の意は多く不退を以て
その願体と為す。所謂、寂は「令住定聚」といい、法位師は「願住定聚」といい、玄一師
は「住定聚願」といい、静照・真源は共に「住必定聚之願」と名づく。但し彼の御廟・智光
の二徳は并びに「住正定聚必至菩提之願」という。これ両益を挙ぐ。この名の如きは何を
以て所願の体と為すということを定め難し。もし初益に約せば不退と為すべし。もし究竟
に約せば滅度たるべし。今この集の意は、その終益に就きて名を立てらるるか。問う。
滅度というは、大小二乗所証の理、共にこの名を得。今は何を指すや。答う。大乗の滅度
なること文理共に明かなり。その文というは、次下に引く所の『如来会』の文、その説分明
なり。また『大阿弥陀経』に説きて「令得仏道」といい、「大涅槃」といい、「取菩提」
といい、「得仏道」という。その理というは、弥陀の教文は大乗真実終窮の極説、了義教
なり。極楽は畢竟成仏の道路なり。即ちこれ大乗善根界なり。あに小乗灰断の滅度を得ん
や。まさにその証は偏に大乗に在りということを知るべし。問う。所立の如きは、往生の
後に得る所の益、浄土の徳なり。然らば言う所の現生と即時不退の義との相違は如何。
答う。あに前に言わずや。不退の益に於いて、その隠顕・傍正の意ありと。処処の料簡、
その意皆同じ。また滅度の益は生後究竟の益たるべきこと、混乱すべからず。問う。生後
の益に約して、不退を論ぜば、その位、如何。答う。常途の所談は三不退にあらず。これ
処不退なり。故に『要集』に判じて処不退という。また『群疑論』に云わく「初往生の時、
即ち不退と名づくることは、これ処不退に約す」已上。但し下に本論を引く意の如きは、
初益はこれ行不退、後益は念不退なりというべし。言う所の未証浄心の菩薩は、初地已上、
上地の菩薩はこれ八地已上を指すが故なり。集主の意は、真実の証を立つること、その位
深高なり。この義に叶うか。問う。「不住」等とは、不の言はこれ定聚を指す。その義は
滅度に被らしむといい難きや。答う。不の言は必至滅度に流至す。初め定聚に住して、
終に成仏するが故に。
--------------------------------------------------------------------------------

●re.75
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2601 ] Re75:教行信証・学習ノート8 2011/11/28 (Mon) 22:16 △up ▽down
≪六要鈔会本の注釈≫

>--------------------------------------------------------------------------------
>初正願文。問。当願大意云何。答。因位所見諸土之中。或有雖致仏道修行。退入邪聚。
>或有不退速得菩提。法蔵憫愍彼退堕類。為令彼類住正定聚。終証涅槃之妙理故。発此願也。
>問。定聚滅度是二益歟。又一益歟。答。是二益也。言定聚者。是当不退。言滅度者是指涅
>槃。問。定聚滅度何為願体。答。諸師之意多以不退為其願体。所謂寂云令住定聚。法位師
>云願住定聚。玄一師云住定聚願。静照真源共名住必定聚之願。但彼御廟智光二徳并云。
>住正定聚必至菩提之願。是挙両益。如此名者難定以何為所願之体。若約初益可為不退。
>若約究竟可為滅度。今此集意。就其終益被立名歟。問。言滅度者。大小二乗所証之理。
>共得此名。今指何耶。答。大乗滅度文理共明。言其文者。次下所引如来会文其説分明。
>又大阿弥陀経説云。令得仏道。云大涅槃。云取菩提。云得仏道。言其理者。弥陀教文大乗
>真実終窮極説了義教也。極楽畢竟成仏道路。即是大乗善根界也。豈得小乗灰断滅度。当知
>其証偏在大乗。問。如所立者。往生之後所得之益浄土徳也。然者所言現生即時不退之義
>相違如何。答。豈不前言。於不退益有其隠顕傍正之意。処処料簡其意皆同。又滅度益可為
>生後究竟之益。不可混乱。問。約生後益。論不退者其位如何。答。常途所談非三不退。
>是処不退。故要集判云処不退。又群疑論云。初往生時即名不退者。此約処不退。已上。
>但如下引本論意者。可云初益是行不退。後益念不退。所言未証浄心菩薩。初地已上。上地
>菩薩是指八地已上故也。集主之意。立真実証其位深高。叶此義歟。問。不住等者。不之言
>者是指定聚。其義難云被滅度耶。答。不言流至必至滅度。初住定聚終成仏故。
>--------------------------------------------------------------------------------
>初に正しき願文なり。問う。当願の大意は云何。答う。因位所見の諸土の中には、或いは
>仏道修行を致すといえども、退して邪聚に入るあり。或いは退せずして速やに菩提を得る
>あり。法蔵は彼の退堕の類を憫愍して、彼の類をして、正定聚に住して終に涅槃の妙理を
>証せしめんが為の故に、この願を発すなり。問う。定聚・滅度はこれ二益なるか、また
>一益なるか。答う。これ二益なり。定聚というは、これ不退に当る。滅度というは、これ
>涅槃を指す。問う。定聚・滅度、何をか願体と為すや。答う。諸師の意は多く不退を以て
>その願体と為す。所謂、寂は「令住定聚」といい、法位師は「願住定聚」といい、玄一師
>は「住定聚願」といい、静照・真源は共に「住必定聚之願」と名づく。但し彼の御廟・智光
>の二徳は并びに「住正定聚必至菩提之願」という。これ両益を挙ぐ。この名の如きは何を
>以て所願の体と為すということを定め難し。もし初益に約せば不退と為すべし。もし究竟
>に約せば滅度たるべし。今この集の意は、その終益に就きて名を立てらるるか。問う。
>滅度というは、大小二乗所証の理、共にこの名を得。今は何を指すや。答う。大乗の滅度
>なること文理共に明かなり。その文というは、次下に引く所の『如来会』の文、その説分明
>なり。また『大阿弥陀経』に説きて「令得仏道」といい、「大涅槃」といい、「取菩提」
>といい、「得仏道」という。その理というは、弥陀の教文は大乗真実終窮の極説、了義教
>なり。極楽は畢竟成仏の道路なり。即ちこれ大乗善根界なり。あに小乗灰断の滅度を得ん
>や。まさにその証は偏に大乗に在りということを知るべし。問う。所立の如きは、往生の
>後に得る所の益、浄土の徳なり。然らば言う所の現生と即時不退の義との相違は如何。
>答う。あに前に言わずや。不退の益に於いて、その隠顕・傍正の意ありと。処処の料簡、
>その意皆同じ。また滅度の益は生後究竟の益たるべきこと、混乱すべからず。問う。生後
>の益に約して、不退を論ぜば、その位、如何。答う。常途の所談は三不退にあらず。これ
>処不退なり。故に『要集』に判じて処不退という。また『群疑論』に云わく「初往生の時、
>即ち不退と名づくることは、これ処不退に約す」已上。但し下に本論を引く意の如きは、
>初益はこれ行不退、後益は念不退なりというべし。言う所の未証浄心の菩薩は、初地已上、
>上地の菩薩はこれ八地已上を指すが故なり。集主の意は、真実の証を立つること、その位
>深高なり。この義に叶うか。問う。「不住」等とは、不の言はこれ定聚を指す。その義は
>滅度に被らしむといい難きや。答う。不の言は必至滅度に流至す。初め定聚に住して、
>終に成仏するが故に。
>--------------------------------------------------------------------------------

  初めに、まさにその願文である。問う。当願の大意はどのようなものだろう。答える。
  因位と見られる諸土のなかでは、あるいは仏道修行をしていても、退いて邪定聚に入
  る者がある。あるいは退くことなく速やに菩提を得る者もある。法蔵は、その退いて
  堕ちる類の者を哀れんで、その類の者が正定聚に住して、最後には涅槃の妙理を証す
  ることができるように、この願いをおこしたのである。

  WikiArc
    因位
      因地ともいう。因の位という意で、果位に対する語。菩薩が仏のさとりをひ
      らくために修行している間をいう。
    邪聚
      邪定聚の略。
    邪定聚
      第十九願の行者のこと。広げれば聖道の行者も摂する。自らの力をたのみ、
      もろもろの善を修して、それによって浄土に往生しようとする者をいう。


  問う。正定聚と滅度は、二つの利益であろうか、それとも、一つの利益であろうか。
  答える。これは二つの利益である。正定聚というのは、不退転にあたる。滅度という
  のは、涅槃を指す。問う。正定聚と滅度では、どちらを願の本体とするのであろうか。
  答える。諸師の意(こころ)では、多くが不退転をもって願の本体としている。義寂は
  「令住定聚」といい、法位師は「願住定聚」といい、玄一師は「住定聚願」といい、
  静照と真源はともに「住必定聚之願」といっている。ただし、かの御廟と智光の二徳
  はどちらも「住正定聚必至菩提之願」といっている。これは、二つの利益を挙げるも
  のである。このような場合には、何をもって願ずるところの本体とするのかというこ
  とを定めるのは難しい。かりに初めの利益だとすれば、不退とすべきである。かりに
  究極のこととすれば、滅度であるべきである。ここで、この集(二人?)の意(こころ)
  では、終益(2つ目の利益)について言っているのであろうか。


  問う。滅度というのは、大乗と小乗のどちらも証するところの理(ことわり)であり、
  どちらもこの名を取り入れている。ここでは、そのどちらを指すのであろうか。答え
  る。これが大乗の滅度であることは、文章の上でも、理屈の上でも、ともに明らかで
  ある。文章の上では、以下に引用する『如来会』の文から、その説は明らかである。
  また『大阿弥陀経』に説いて、「令得仏道」といい、「大涅槃」といい、「取菩提」
  といい、「得仏道」という。その理(ことわり)については、弥陀の教文は、大乗真実
  の極まった極説であり、真実を完全に説きあらわした教えであるということである。
  極楽は、最後には成仏する道である。すなわち、これは「大乗善根界」である。どう
  して小乗の灰断の滅度を得るというのだろうか。まさにその証は、ひとえに大乗にあ
  るということを知るべきである。

  WikiArc
    了教
      了義教のことで、真実を完全に説きあらわしている教えをいう。
    大乗善根界
      大乗善根の界は、等しくして譏嫌の名なし。
      女人および根欠、二乗の種生ぜず。

  日本国語大辞典
    灰断(け‐だん)
      「けしんめっち(灰身滅智)」に同じ。
    灰身滅智(けしん‐めっち)
      仏語。身を灰燼にし、心を滅すること。また、その行為。空寂・無為の涅槃
      の境に入って、身心を無に帰すること。小乗仏教の求める究極理想の境界。
      灰断(けだん)。灰滅(けめつ)。


  問う。立てるところのものは、往生の後に得る利益、つまり浄土の徳である。それな
  らば、言うところの現生と即時不退の義(考え方)の相違はいかがであろうか。答える。
  前に言わなかったであろうか。不退の利益について、隠顕・傍正の意(こころ)がある
  と。ここかしこの料簡(考え)は、その意(こころ)がみな同じである。また滅度の利益
  は、往生したあとの究極の利益であること、これを混乱してはいけない。

  日本国語大辞典
    所立
      論議法要において論義題の素材として竪義者が申告すること。
    論議法要
      経論の要義を問答・議論する儀式的な法要。音楽を伴うこともある。


  問う。往生の後の利益について、不退を論ずれば、その位は、どのようなものであろ
  うか。答える。普通に言えば、それは三不退(位・行・念)ではなく、処不退である。
  だから『往生要集』では、処不退と判定している。また、『群疑論』にこう述べる。
  「最初の往生の時に不退というのは、処不退のことである。」ただし、以下で本論を
  引用する意(こころ)では、初益は行不退、後益は念不退だというべきである。そこで
  言うところの未証浄心の菩薩は初地以上を、また、上地の菩薩は八地以上を指すから
  である。集主の意(こころ)は、真実の証を立てることにおいて、その位は深く高い。
  この義(考え方)にかなうということなのであろうか。

  WikiArc
    三不退
      不退の三位態。
       1.位不退。修得した仏道の位から退転しないこと。
       2.行不退。修めた行法を退失しないこと。
       3.念不退。正念(邪念のない正しいおもい)を退失しないこと。
    処不退
      浄土に生まれて、そこから退転しないこと。
    行不退
      念仏の行をはげみ、その功徳によって浄土往生が決定するという立場。
    未証浄心の菩薩
      十地のうちの初地から七地までの菩薩のこと。この位の菩薩は、まだ自他へ
      のとらわれが残っているので、自利利他するのに作心(強い意志力)を必要と
      する。しかし八地以上の菩薩は、一切のとらわれをはなれ、作心をもちいず
      自在無碍のはたらきをするから浄心の菩薩という。

  問う。「不住(不住定聚必至滅度)・・・」等について、「不」という言葉は「定聚」
  を指す。その義(考え方)では、(「不」という言葉が)滅度にかかるといい難いのだろ
  うか。答える。「不」という言葉は、必至滅度にまで流れ至る。初めは、正定聚に住
  して、最後には仏となるからである。

●re.76
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2602 ] Re76:教行信証・学習ノート8 2011/11/28 (Mon) 23:30 △up ▽down
--------------------------------------------------------------------------------
無量寿如来会言。若我成仏。国中有情若不決定成等正覚証大涅槃者。不取菩提。已上。
--------------------------------------------------------------------------------
『無量寿如来会』に言わく、もし我成仏せんに、国中の有情、もし決定して等正覚を成り、
大涅槃を証せずは、菩提を取らじと。已上。
--------------------------------------------------------------------------------


≪六要鈔会本の注釈≫

--------------------------------------------------------------------------------
次如来会文。言決定者。正定聚也。成等覚者。是顕必至滅度之意。大乗滅度。此文灼然。
正信偈中云成等覚証大涅槃。此文意也。
--------------------------------------------------------------------------------
次に『如来会』の文。「決定」というは正定聚なり。「成等覚」とは、これ必至滅度の意
を顕わす。大乗の滅度、この文灼然なり。『正信偈』の中に「成等覚証大涅槃」というは、
この文の意なり。
--------------------------------------------------------------------------------

●re.77
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2603 ] Re77:教行信証・学習ノート8 2011/11/28 (Mon) 23:31 △up ▽down
本文と六要鈔会本の注釈について、理解したところを記します。

>--------------------------------------------------------------------------------
>無量寿如来会言。若我成仏。国中有情若不決定成等正覚証大涅槃者。不取菩提。已上。
>--------------------------------------------------------------------------------
>『無量寿如来会』に言わく、もし我成仏せんに、国中の有情、もし決定して等正覚を成り、
>大涅槃を証せずは、菩提を取らじと。已上。
>--------------------------------------------------------------------------------

  『無量寿如来会』にこう述べる。仮に私が仏となろうとするに、国中の有情(衆生)が、
  もし決定して(正定聚に住して)、等正覚となって大涅槃を証するのでなければ、菩提
  (この上ない悟り)を開かないであろう。


≪六要鈔会本の注釈≫

>--------------------------------------------------------------------------------
>次如来会文。言決定者。正定聚也。成等覚者。是顕必至滅度之意。大乗滅度。此文灼然。
>正信偈中云成等覚証大涅槃。此文意也。
>--------------------------------------------------------------------------------
>次に『如来会』の文。「決定」というは正定聚なり。「成等覚」とは、これ必至滅度の意
>を顕わす。大乗の滅度、この文灼然なり。『正信偈』の中に「成等覚証大涅槃」というは、
>この文の意なり。
>--------------------------------------------------------------------------------

  次に『如来会』の文である。「決定」というのは正定聚のことである。「成等覚」と
  は、必至滅度の意(こころ)を表している。大乗の滅度ということは、この文に明白で
  ある。『正信偈』のなかで「成等覚証大涅槃」というは、この文の意(こころ)である。

●re.78
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2604 ] Re78:教行信証・学習ノート8 2011/11/30 (Wed) 02:31 △up ▽down
--------------------------------------------------------------------------------
願成就文。経言。其有衆生生彼国者。皆悉住於正定之聚。所以者何。彼仏国中無諸邪聚及
不定聚。
--------------------------------------------------------------------------------
(大経)願成就の文、経に言わく、それ衆生ありて、かの国に生まる者は、みなことごとく
正定の聚に住す。所以は何んとなれば、かの仏国の中にはもろもろの邪聚および不定聚な
ければなりと。
--------------------------------------------------------------------------------


≪六要鈔会本の注釈≫

--------------------------------------------------------------------------------
次願成就文。大経下巻最初文也。問。三聚之相其位如何。答。三定聚義。諸説不同。若依
小乗。倶舎論云。正邪不定聚。聖造無間余。已上本頌。頌疏釈云。上句標下句釈。謂諸聖
人名正性定聚。造五無間者名邪定聚。余即無間外余凡夫也。已上。若依大乗。如釈摩訶衍
論説者。有其二種。一者十信前名邪定聚。不信業果報等故。三賢十聖名正定聚。不退位故。
十信名不定聚。或進或退未決定故。二者十信前并十信名邪定。大覚果名正定。三賢十聖名
不定。二者十信前名邪定。十聖名正定。十信三賢名不定。已上。随而諸師又有異解。且憬
興師破諸師解。述自義云。今即余教所説三乗皆是穢土。有此三乗故。若生浄土。不問凡聖。
定向涅槃。定趣善行。定生善道。定行六度。定得解脱。故唯有正定聚。而無余二也。已上。
如此釈者。不定判位。只嘆彼土不退之徳。叶処不退之義趣歟。縦令雖得三不退等。是又仏
力即処不退之勝徳故。無所違歟。
--------------------------------------------------------------------------------
次に願成就の文。『大経』下巻最初の文なり。問う。三聚の相、その位は如何。答う。
三定聚の義は諸説不同なり。もし小乗に依らば、『倶舎論』に云わく「正と邪と不定との
聚は、聖と無間を造ると余となり」已上本頌。『頌疏』に釈して云わく「上の句は標し、
下の句は釈す。謂わく諸の聖人を正性定聚と名づく。五無間を造る者を邪定聚と名づく。
余は即ち無間の外の余の凡夫なり」已上。もし大乗に依らば、『釈摩訶衍論』の説の如き
は、その二種あり。「一には十信の前を邪定聚と名づく。業果報等を信ぜざるが故に。
三賢・十聖を正定聚と名づく。不退の位なるが故に。十信を不定聚と名づく。或いは進、
或いは退して未だ決定せざるが故に。二には十信の前、并びに十信を邪定と名づく。大覚
の果を正定と名づく。三賢・十聖を不定と名づく。二には十信の前を邪定と名づく。十聖
を正定と名づく。十信・三賢を不定と名づく」已上。随いて諸師また異解あり。且く憬興師
は諸師の解を破して自義を述して云わく「今即ち余教に説く所の三乗は皆これ穢土なり。
この三乗あるが故に、もし浄土に生じぬれば、凡聖を問わず、定んで涅槃に向かい、定ん
で善行に趣き、定んで善道に生じ、定んで六度を行じ、定んで解脱を得。故にただ正定聚
のみありて、而も余の二なきなり」已上。この釈の如きは位を定判せず。ただ彼土の不退
の徳を嘆ず。処不退の義趣に叶うか。たとい三不退等を得るといえども、これまた仏力、
即ち処不退の勝徳なるが故に、違する所なきか。
--------------------------------------------------------------------------------

●re.79
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2605 ] Re79:教行信証・学習ノート8 2011/11/30 (Wed) 02:31 △up ▽down
本文と六要鈔会本の注釈について、理解したところを記します。

>--------------------------------------------------------------------------------
>願成就文。経言。其有衆生生彼国者。皆悉住於正定之聚。所以者何。彼仏国中無諸邪聚及
>不定聚。
>--------------------------------------------------------------------------------
>(大経)願成就の文、経に言わく、それ衆生ありて、かの国に生まる者は、みなことごとく
>正定の聚に住す。所以は何んとなれば、かの仏国の中にはもろもろの邪聚および不定聚な
>ければなりと。
>--------------------------------------------------------------------------------

  (大経)願成就の文、経にこう述べる。かの国に生まれる衆生は、みなすべて正定の聚
  に住する。なぜならば、かの仏国の中には、もろもろの邪定聚および不定聚がいない
  からである。

    邪聚
      邪定聚の略。


≪六要鈔会本の注釈≫

>--------------------------------------------------------------------------------
>次願成就文。大経下巻最初文也。問。三聚之相其位如何。答。三定聚義。諸説不同。若依
>小乗。倶舎論云。正邪不定聚。聖造無間余。已上本頌。頌疏釈云。上句標下句釈。謂諸聖
>人名正性定聚。造五無間者名邪定聚。余即無間外余凡夫也。已上。若依大乗。如釈摩訶衍
>論説者。有其二種。一者十信前名邪定聚。不信業果報等故。三賢十聖名正定聚。不退位故。
>十信名不定聚。或進或退未決定故。二者十信前并十信名邪定。大覚果名正定。三賢十聖名
>不定。二者十信前名邪定。十聖名正定。十信三賢名不定。已上。随而諸師又有異解。且憬
>興師破諸師解。述自義云。今即余教所説三乗皆是穢土。有此三乗故。若生浄土。不問凡聖。
>定向涅槃。定趣善行。定生善道。定行六度。定得解脱。故唯有正定聚。而無余二也。已上。
>如此釈者。不定判位。只嘆彼土不退之徳。叶処不退之義趣歟。縦令雖得三不退等。是又仏
>力即処不退之勝徳故。無所違歟。
>--------------------------------------------------------------------------------
>次に願成就の文。『大経』下巻最初の文なり。問う。三聚の相、その位は如何。答う。
>三定聚の義は諸説不同なり。もし小乗に依らば、『倶舎論』に云わく「正と邪と不定との
>聚は、聖と無間を造ると余となり」已上本頌。『頌疏』に釈して云わく「上の句は標し、
>下の句は釈す。謂わく諸の聖人を正性定聚と名づく。五無間を造る者を邪定聚と名づく。
>余は即ち無間の外の余の凡夫なり」已上。もし大乗に依らば、『釈摩訶衍論』の説の如き
>は、その三種あり。「一には十信の前を邪定聚と名づく。業果報等を信ぜざるが故に。
>三賢・十聖を正定聚と名づく。不退の位なるが故に。十信を不定聚と名づく。或いは進、
>或いは退して未だ決定せざるが故に。二には十信の前、并びに十信を邪定と名づく。大覚
>の果を正定と名づく。三賢・十聖を不定と名づく。三には十信の前を邪定と名づく。十聖
>を正定と名づく。十信・三賢を不定と名づく」已上。随いて諸師また異解あり。且く憬興師
>は諸師の解を破して自義を述して云わく「今即ち余教に説く所の三乗は皆これ穢土なり。
>この三乗あるが故に、もし浄土に生じぬれば、凡聖を問わず、定んで涅槃に向かい、定ん
>で善行に趣き、定んで善道に生じ、定んで六度を行じ、定んで解脱を得。故にただ正定聚
>のみありて、而も余の二なきなり」已上。この釈の如きは位を定判せず。ただ彼土の不退
>の徳を嘆ず。処不退の義趣に叶うか。たとい三不退等を得るといえども、これまた仏力、
>即ち処不退の勝徳なるが故に、違する所なきか。
>--------------------------------------------------------------------------------

  次に願成就の文である。それは『大経』下巻の最初の文である。問う。三聚(正・邪・
  不定)の相(すがた)、そして、その位(くらい)はどのようなものであろうか。答える。
  三定聚の義(考え方)は、諸説不同である。仮に小乗によるならば、『倶舎論』にこう
  述べる。「正と邪と不定の聚は、聖者と、無間を造る者と、その他の者とである。」
  『頌疏』では次のように釈している。「上の句は示し、下の句は釈する。謂わく、も
  ろもろの聖人を正性定聚と名づける。五無間を造る者を邪定聚と名づける。そのほか
  は五無間以外の凡夫である。」仮に大乗によるならば、『釈摩訶衍論』の説では、
  三種類があるとしている。「一つには、十信の前を邪定聚と名づける。業・果・報な
  どを信じないからである。三賢・十聖を正定聚と名づける。不退の位(くらい)である
  からである。十信を不定聚と名づける。進んだり退いたりして、未だに決定しないか
  らである。二つには十信の前ならびに十信を、邪定聚と名づける。大覚(大いなる覚り)
  の果を、正定聚と名づける。三賢・十聖を、不定聚と名づける。三つには十信の前を、
  邪定聚と名づける。十聖を、正定聚と名づける。十信・三賢を不定聚と名づける。」
  したがって、諸師にまた異なった見解がある。とりあえず憬興師は、諸師の見解を打
  ち破って、自らの義(考え方)をこう述べる。「今、他の教えに説くところの三乗は、
  みな穢土である。この三乗があるために、仮に浄土に生じたならば、凡夫も聖者も、
  必ず涅槃に向かい、必ず善い行いに趣き、必ず善い道に生じ、必ず六度(六波羅蜜)を
  行じ、必ず解脱を得るのである。だから、ただ正定聚だけがあって、そして余の二つ
  はないのである。」この釈では位(くらい)を、定判していない。ただ、かの土の不退転
  の徳を讃嘆している。処不退の義(考え方)の趣旨に叶うということだろうか。仮に
  三不退等を得たとしても、これもまた仏の力、すなわち処不退の勝れた功徳であるか
  ら、異なるところがないということだろうか。

  WikiArc
    倶舎論
      『阿毘達磨倶舎論』のこと。三十巻。天親菩薩(5世紀頃)造。唐の玄奘訳。
      説一切有部の説を中心に経量部の説を加えたもの。界品・根品・世間品・
      業品・睡眠品・賢聖品・智品・定品、および付論としての破我品からなり、
      仏教の百科全書的な内容をそなえている。
      仏教教義の基礎的典籍として重視され、数多くの注釈書が作成された。
      異訳に真諦訳『阿毘達磨倶舎釈論』二十二巻がある。
    五無間
      五逆罪のこと。
    十信
      菩薩五十二位の修行階位のうちの最初の十段階。 『瓔珞経』では、信心・念心
      ・精進心・定心・慧心・戒心・回向心・護法心・捨心・願心の十を説くが、
      『梵網経』等では別の説を立てる。
    三賢
      菩薩の五十二段の階位のうち、十住・十行・十回向の階位をいう。
      内凡(さとりのうちなる凡夫)ともいう。
    十聖
      十地の聖者。歓喜地・離垢地・発光地・慧地・難勝地・現前地・遠行地・
      不動地・善慧地・法雲地の十地の菩薩をいう。
    三乗
      声聞乗・縁覚乗・菩薩乗の三種。
    六度
      六波羅蜜
    六波羅蜜
      波羅蜜は梵語パーラミターの音写。度、到彼岸と漢訳する。大乗の菩薩の修
      めねばならない六種の行業のことで六度ともいう。

●re.80
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2606 ] Re80:教行信証・学習ノート8 2011/12/03 (Sat) 01:09 △up ▽down
--------------------------------------------------------------------------------
又言。彼仏国土清浄安穏微妙快楽。次於無為泥オン之道。其諸声聞菩薩天人。智慧高明神
通洞達。咸同一類形無異状。但因順余方故有人天之名。顔貌端政超世希有。容色微妙非天
非人。皆受自然虚無之身無極之体。
--------------------------------------------------------------------------------
(大経)また言わく、かの仏国土は、清浄安穏にして微妙快楽なり。無為泥オンの道に次
〈ちか〉し。そのもろもろの声聞・菩薩・天・人、智慧高明にして神通洞達せり。みな同
じく一類にして、形に異状なし。ただし余方に因順するがゆえに、人・天の名あり。
顔貌端政、世に超えて希有なり。容色微妙にして天にあらず人にあらず。
みな自然虚無の身、無極の体を受くるなり。
--------------------------------------------------------------------------------


≪六要鈔会本の注釈≫

--------------------------------------------------------------------------------
次云又言彼仏等者。上巻文也。上明新生旧住報勝。分科文中。於其新生又分正依。而今文
者。初自彼仏至泥オン之道。明依報勝之結文也。次於等者。泥オン梵音。又言涅槃。乃是
滅度。次者近也。是言彼土近涅槃道。問。法事讃云。極楽無為涅槃界。已上。即其当体涅
槃界也。何云次耶。答。弥陀妙果無上涅槃。極楽即又大涅槃界第一義諦妙境界相。理在絶
言。今云次者。約其新生菩薩嘆故。且云次也。其諸等者。明旧住勝。又分二報。其中今之
所引明正報勝之初文也。智慧高明是嘆内徳。第二十九得弁才智願成就故。神通洞達。同是
内徳。六通願願成就故也。咸同等者。是讃外相。第四無有好醜之願成就故也。但因等者。
義寂師云。因順余方有其二義。一随本業。謂往生者。或有資人業生。或有資天業生。雖生
彼時無異状。因順本業有人天名。二因居処。謂彼土中。或有依地居。或有在空居。雖彼果
報無異状。随其所在処。有人天名。已上。顔貌以下明超穢土。所引文次。云仏告下比校顕
勝明其超也。非天等者。上説因順有天人名。先標非実。今正顕説無其実体。私案文意。是
欲顕彰初生之時。聖凡雖別。依仏力故。即至上位同達真理。是故下説皆受等也。自然虚無
之身等者。嘉祥師云。以神通無所不至故。無極之体。如光影故虚無之身。已上。義寂師云。
非胎蔵所生育故自然。非飲食所長養故虚無。非老死所損没故無極。乃至。又即此身至成仏
故。已上。憬興師云。虚無無極者。無障故。希有故。如其次第。即求那羅延力願之報也。
已上。玄一師云。言虚無者。横無障碍故。言無極者。縦無衰退故。已上。諸師料簡各有一
理。私潤色云。言自然者。為浄土徳。法事讃云。従仏逍遙帰自然。自然即是弥陀国。已上。
虚無又是浄土楽也。般舟讃云。一到即受清虚楽。清虚即是涅槃因。已上。虚無清虚其義似
同。言無極者。是順昇道無窮之義。此経下説言。昇道無窮極。又顕寿命無窮之義。同次下
説云。寿楽無有極。
--------------------------------------------------------------------------------
次に「又言彼仏」等というは、上巻の文なり。上に新生旧住の報勝を明かす科文を分かつ
中に、その新生に於いて、また正依を分かつ。而るに今の文は、初に「彼仏」より「泥オン
之道」に至るまでは、依報勝を明かす結文なり。「次於」等とは、「泥オンは梵音、また
涅槃という。乃ちこれ滅度なり。「次」とは近なり。これ彼土は涅槃の道に近きことをい
う。問う。『法事讃』に云わく「極楽無為涅槃界」已上。即ちその当体涅槃界なり。何ぞ
次というや。答う。弥陀の妙果は無上涅槃、極楽は即ちまた大涅槃界・第一義諦・妙境界相
なること、理在絶言なり。今、次というは、その新生菩薩に約して嘆ずるが故に、且く次
というなり。「其諸」等とは、旧住勝を明かすに、また二報を分かつ。その中に今の所引
は正報勝を明かす初の文なり。「智慧高明」はこれ内徳を嘆ず。第二十九の得弁才智の
願成就するが故に。「神辺洞達」は同じくこれ内徳、六通の願願、成就するが故なり。
「咸同」等とは、これ外相を讃ず。第四の無有好醜の願成就するが故なり。「但因」等と
は、義寂師の云わく「因順余方にその二義あり。一には本業に随う。謂わく往生する者は、
或いは人業を資して生ずるあり、或いは天業を資して生ずるあり。彼に生ずる時は異状な
しといえども、本業に因順して人天の名あり。二には居処に因る。謂わく彼の土の中に、
或いは地に依りて居するあり、或いは空に在りて居するあり。彼の果報に異状なしといえ
ども、その所在の処に随いて人天の名あり」已上。「顔貌」以下は穢土に超えたることを
明かす。所引の文の次に「仏告」という下は、比校顕勝してその超えたることを明かすな
り。「非天」等とは、上に因順して天人の名ありと説きて、まず実にあらざることを標し、
今は正しくその実体なきことを顕説す。私に文の意を案ずるに、これ初生の時は聖凡別な
りといえども、仏力に依るが故に、即ち上位に至りぬれば同じく真理に達することを顕彰
せんと欲す。この故に下に「皆受」等と説くなり。「自然虚無之身」等とは、嘉祥師の云
わく「神通を以て至らざる所なきが故に無極の体なり。光影の如きなるが故に虚無の身な
り」已上。義寂師の云わく「胎蔵の生育する所にあらざるが故に自然なり。飲食の長養す
る所にあらざるが故に虚無なり。老死の損没する所にあらざるが故に無極なり。(乃至)
また即ちこの身は成仏に至るが故に」已上。憬興師の云わく「虚無無極とは、無障の故に、
希有の故に、その次第の如し。即ち求那羅延力の願の報なり」已上。玄一師の云わく「虚
無というは、横に障碍なきが故に。無極というは縦に衰退なきが故に」已上。諸師の料簡
はおのおの一理あり。私に潤色して云わく、「自然」というは浄土の徳たり。『法事讃』
に云わく「仏に従いて逍遙して自然に帰す。自然は即ちこれ弥陀の国なり」已上。「虚無」
はまたこれ浄土の楽なり。『般舟讃』に云わく「一たび到りぬれば即ち清虚の楽を受く。
清虚は即ちこれ涅槃の因なり」已上。虚無と清虚と、その義似同せり。「無極」というは、
これ昇道無窮の義に順ず。この経の下に説きて言わく「昇道無窮極」と。また寿命無窮の
義を顕わす。同じき次下に説きて云わく「寿楽、極まりあることなし」と。
--------------------------------------------------------------------------------

●re.81
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2607 ] Re81:教行信証・学習ノート8 2011/12/03 (Sat) 01:10 △up ▽down
本文と六要鈔会本の注釈について、理解したところを記します。

>--------------------------------------------------------------------------------
>又言。彼仏国土清浄安穏微妙快楽。次於無為泥オン之道。其諸声聞菩薩天人。智慧高明神
>通洞達。咸同一類形無異状。但因順余方故有人天之名。顔貌端政超世希有。容色微妙非天
>非人。皆受自然虚無之身無極之体。
>--------------------------------------------------------------------------------
>(大経)また言わく、かの仏国土は、清浄安穏にして微妙快楽なり。無為泥オンの道に次
>〈ちか〉し。そのもろもろの声聞・菩薩・天・人、智慧高明にして神通洞達せり。みな同
>じく一類にして、形に異状なし。ただし余方に因順するがゆえに、人・天の名あり。
>顔貌端政、世に超えて希有なり。容色微妙にして天にあらず人にあらず。
>みな自然虚無の身、無極の体を受くるなり。
>--------------------------------------------------------------------------------

  (大経)またこう述べる。かの仏の国土は、清らかで穏やかであり、美しく奥深く、快
  く楽しいものである。それは、無為泥オン(涅槃)の道に近い。そこにいるもろもろの
  声聞・菩薩・天人・人間は、智慧が優れており、神通に深く熟達している。みな等し
  く同じ類のものであり、形状に異なったところがない。ただ他の世界に準じて、人間
  ・天人などと言っているだけである。顔立ちは端正で、世に超越して希有なものであ
  る。見た目が美しく、天人でもなく、人間でもない。みな自然・虚無の身で、極まり
  のない体を受けるとるものである。

  WikiArc
    無為泥オン
      涅槃のこと。
    ただ余方に・・・
      浄土の聖者を他方世界に準じて天とか人とか呼ぶのみで実の天でも人でもな
      いという意。
    自然虚無の身無極の体
      自然・虚無・無極は涅槃の異名。浄土における身体は、涅槃のさとりにかな
      い、一切の限定を超えた絶対の自由をもつものであるとの意。



≪六要鈔会本の注釈≫

>--------------------------------------------------------------------------------
>次云又言彼仏等者。上巻文也。上明新生旧住報勝。分科文中。於其新生又分正依。而今文
>者。初自彼仏至泥オン之道。明依報勝之結文也。次於等者。泥オン梵音。又言涅槃。乃是
>滅度。次者近也。是言彼土近涅槃道。問。法事讃云。極楽無為涅槃界。已上。即其当体涅
>槃界也。何云次耶。答。弥陀妙果無上涅槃。極楽即又大涅槃界第一義諦妙境界相。理在絶
>言。今云次者。約其新生菩薩嘆故。且云次也。其諸等者。明旧住勝。又分二報。其中今之
>所引明正報勝之初文也。智慧高明是嘆内徳。第二十九得弁才智願成就故。神通洞達。同是
>内徳。六通願願成就故也。咸同等者。是讃外相。第四無有好醜之願成就故也。但因等者。
>義寂師云。因順余方有其二義。一随本業。謂往生者。或有資人業生。或有資天業生。雖生
>彼時無異状。因順本業有人天名。二因居処。謂彼土中。或有依地居。或有在空居。雖彼果
>報無異状。随其所在処。有人天名。已上。顔貌以下明超穢土。所引文次。云仏告下比校顕
>勝明其超也。非天等者。上説因順有天人名。先標非実。今正顕説無其実体。私案文意。是
>欲顕彰初生之時。聖凡雖別。依仏力故。即至上位同達真理。是故下説皆受等也。自然虚無
>之身等者。嘉祥師云。以神通無所不至故。無極之体。如光影故虚無之身。已上。義寂師云。
>非胎蔵所生育故自然。非飲食所長養故虚無。非老死所損没故無極。乃至。又即此身至成仏
>故。已上。憬興師云。虚無無極者。無障故。希有故。如其次第。即求那羅延力願之報也。
>已上。玄一師云。言虚無者。横無障碍故。言無極者。縦無衰退故。已上。諸師料簡各有一
>理。私潤色云。言自然者。為浄土徳。法事讃云。従仏逍遙帰自然。自然即是弥陀国。已上。
>虚無又是浄土楽也。般舟讃云。一到即受清虚楽。清虚即是涅槃因。已上。虚無清虚其義似
>同。言無極者。是順昇道無窮之義。此経下説言。昇道無窮極。又顕寿命無窮之義。同次下
>説云。寿楽無有極。
>--------------------------------------------------------------------------------
>次に「又言彼仏」等というは、上巻の文なり。上に新生旧住の報勝を明かす科文を分かつ
>中に、その新生に於いて、また正依を分かつ。而るに今の文は、初に「彼仏」より「泥オン
>之道」に至るまでは、依報勝を明かす結文なり。「次於」等とは、「泥オンは梵音、また
>涅槃という。乃ちこれ滅度なり。「次」とは近なり。これ彼土は涅槃の道に近きことをい
>う。問う。『法事讃』に云わく「極楽無為涅槃界」已上。即ちその当体涅槃界なり。何ぞ
>次というや。答う。弥陀の妙果は無上涅槃、極楽は即ちまた大涅槃界・第一義諦・妙境界相
>なること、理在絶言なり。今、次というは、その新生菩薩に約して嘆ずるが故に、且く次
>というなり。「其諸」等とは、旧住勝を明かすに、また二報を分かつ。その中に今の所引
>は正報勝を明かす初の文なり。「智慧高明」はこれ内徳を嘆ず。第二十九の得弁才智の
>願成就するが故に。「神辺洞達」は同じくこれ内徳、六通の願願、成就するが故なり。
>「咸同」等とは、これ外相を讃ず。第四の無有好醜の願成就するが故なり。「但因」等と
>は、義寂師の云わく「因順余方にその二義あり。一には本業に随う。謂わく往生する者は、
>或いは人業を資して生ずるあり、或いは天業を資して生ずるあり。彼に生ずる時は異状な
>しといえども、本業に因順して人天の名あり。二には居処に因る。謂わく彼の土の中に、
>或いは地に依りて居するあり、或いは空に在りて居するあり。彼の果報に異状なしといえ
>ども、その所在の処に随いて人天の名あり」已上。「顔貌」以下は穢土に超えたることを
>明かす。所引の文の次に「仏告」という下は、比校顕勝してその超えたることを明かすな
>り。「非天」等とは、上に因順して天人の名ありと説きて、まず実にあらざることを標し、
>今は正しくその実体なきことを顕説す。私に文の意を案ずるに、これ初生の時は聖凡別な
>りといえども、仏力に依るが故に、即ち上位に至りぬれば同じく真理に達することを顕彰
>せんと欲す。この故に下に「皆受」等と説くなり。「自然虚無之身」等とは、嘉祥師の云
>わく「神通を以て至らざる所なきが故に無極の体なり。光影の如きなるが故に虚無の身な
>り」已上。義寂師の云わく「胎蔵の生育する所にあらざるが故に自然なり。飲食の長養す
>る所にあらざるが故に虚無なり。老死の損没する所にあらざるが故に無極なり。(乃至)
>また即ちこの身は成仏に至るが故に」已上。憬興師の云わく「虚無無極とは、無障の故に、
>希有の故に、その次第の如し。即ち求那羅延力の願の報なり」已上。玄一師の云わく「虚
>無というは、横に障碍なきが故に。無極というは縦に衰退なきが故に」已上。諸師の料簡
>はおのおの一理あり。私に潤色して云わく、「自然」というは浄土の徳たり。『法事讃』
>に云わく「仏に従いて逍遙して自然に帰す。自然は即ちこれ弥陀の国なり」已上。「虚無」
>はまたこれ浄土の楽なり。『般舟讃』に云わく「一たび到りぬれば即ち清虚の楽を受く。
>清虚は即ちこれ涅槃の因なり」已上。虚無と清虚と、その義似同せり。「無極」というは、
>これ昇道無窮の義に順ず。この経の下に説きて言わく「昇道無窮極」と。また寿命無窮の
>義を顕わす。同じき次下に説きて云わく「寿楽、極まりあることなし」と。
>--------------------------------------------------------------------------------

(つづく)

●re.82
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2608 ] Re82:教行信証・学習ノート8 2011/12/03 (Sat) 01:11 △up ▽down
(つづき)

  次に「又言彼仏・・・」等というのは、「大経」上巻の文である。上に新たに往生し
  た者とそこに古くから住んでいる者との報いの勝れたところを明らかにする科文を分
  けるなかで、その新たに往生した者を、さらに正(心身)と依(国土・環境)とに分ける。
  そのようにして、今の文で、初めの「彼仏」から「泥オン之道」までは、依報の勝れ
  たところを明らかにする結びの文である。「次於・・・」等については、「泥オン」
  は梵語の音であり、漢訳を「涅槃」という。すなわち、これは滅度のことである。
  またここで、「次」とは「近い」ということである。これは「彼土が涅槃の道に近い」
  ことをいうものである。問う。『法事讃』にこう述べる。「極楽無為涅槃界(極楽は
  無為涅槃の世界である)」すなわち、その当体(あるがままの本性)は、涅槃界である。
  どうして「次」などというのか。答える。弥陀の妙なる果報は無上涅槃であり、極楽
  がすなわち大涅槃界・第一義諦・妙境界相であることは、言うまでもない。ここで
  「次」というのは、そこに新たに生まれた菩薩について讃嘆するために、とりあえず
  「次」というのである。

  WikiArc
    新生の人
      新たに往生した者。
    第一義諦
      梵語パラマールタ・サトヤの漢訳。真如実相のこと。無上にして絶対的な真理
      という意。真諦・勝義諦に同じ。世俗諦に対する語。
    第一義諦妙境界相
      真如法性 (第一義諦) がそのまま国土の妙境の相 (荘厳相) とあらわれたも
      のであるということ。

  日本国語大辞典
    旧住
      仏語。ふるくから住み続けること。久しい以前から居住していること。
    当体
      そのままの本性。そのあるがままの本性。本来は仏教で用いた語。


  「其諸・・・」等については、古くから住んでいる者の勝れたところを明らかにする
  にあたって、さらに二つの報に分けている。そのなかで、今の引用箇所は、正報(心身)
  の勝れたところを明らかにする初めの文である。「智慧高明」は内なる徳を讃嘆する
  ものである。それは、第29願(得弁才智の願)が成就しているからである。「神辺洞達」
  は同じく内なる徳であり、六神通の願が成就しているからである。「咸同・・・」等
  については、外見を讃嘆している。第四願(無有好醜の願)が成就しているからである。
  「但因・・・」等については、義寂師はこう述べる。「『因順余方』には、二つの義
  (考え方)がある。一つには、もともとの業によるものである。往生する者は、人間の
  業を資質として生ずるものもあり、天人の業を資質として生ずるものもあるという。
  かの地に生ずる時は異なったところがないとしても、もともとの業に準じて人・天の
  名があるというのである。二つには、居どころによる。かの土のなかに、地に居るも
  のもあり、空中に居るものもあるという。彼の地の果報に異なったところがないとし
  ても、その所在によって人・天の名があるというのである。」

  WikiArc
    弁才智慧
      自由自在でさわりのない理解表現能力。四無碍智のこと。
    四無碍智
      仏・菩薩に具わる自由自在でさわりのない四種の理解表現能力。
      四無碍弁ともいう。
        1.法無碍弁。文字や文章に精通する。
        2.義無碍弁。文字や文章に表された意味内容に精通する。
        3.辞無碍弁。すべての言語に精通する。
        4.楽説無碍弁。衆生のために説法するのに自由自在であること。
    六通
       六神通のこと。


  「顔貌」以下は、穢土を超えたものであることを明らかにしている。引用箇所の文の
  次に「仏告」以下は、比較してその勝れたところを示し、その超越していることを明
  らかにするものである。「非天・・・」等については、上に「因順して天人の名あり」
  と説いて、まずそれが実ではないことを示し、今度はまさしく、その実体がないこと
  を明らかに説いている。私見によって、その文の意(こころ)を考えてみる地、これは、
  初めて往生した時は聖人と凡夫の区別があったとしても、仏の力によるために、上の
  位に至れば同じく真理に達することをはっきり表そうとするものである。だから、そ
  の下に「皆受・・・」等と説くのである。「自然虚無之身・・・」等について、嘉祥師
  はこう述べる。「神通によって行けないところがないから無極の体なのである。光と
  影のようなものであるから虚無の身なのである。」義寂師はこう述べる。「胎蔵界と
  いう生育するところでないから自然なのである。飲食が養い育てるところでないから
  虚無なのである。老死が損ない滅ぼすところでないから無極なのである。(中略)
  また、ただちにこの身は成仏に至るために」憬興師はこう述べる。「虚無・無極とは、
  妨げがないために、希有であるために、その次第のとおりである。すなわち、求那羅
  延力の願の果報である。」玄一師はこう述べる。「虚無というのは、横に妨げがない
  からである。無極というのは、縦に衰退がないからである」諸師の考えは、それぞれ
  一理がある。私見で色づけすれば、次のようである。「自然」というのは浄土の徳で
  ある。『法事讃』こう述べる。「仏にしたがって散策して自然に帰する。自然は、す
  なわち弥陀の国そのものである。」「虚無」はまた、浄土の楽しみそのものである。
  『般舟讃』にこう述べる。「一たびそこに到れば、ただちに清虚の楽しみを受ける。
  清虚とは、すなわち涅槃の因である。」虚無と清虚とは、その義(考え方)が似かよっ
  ている。「無極」というは、昇道無窮(道に昇るにきわまり無し)という義(考え方)に
  順じている。この経の下に説いてこう述べる。「昇道無窮極(道に昇るに窮極無し)」
  と。これはまた、寿命が極まりないことを表している。同じ次下に説いてこう述べる。
  「寿楽は、極まりがない」と。

  WikiArc
    比校顕勝
      比較してすぐれていることをあらわし示すこと。
    金剛那羅延の身
      金剛とは堅固なこと。那羅延とは梵語ナーラーヤナの音写で、大力を有する神。
      この神のように何者にも破壊されることのない力強い身体をいう。
    清虚
      執着のないさとり。
    昇道無窮
      道に昇るに窮極無し。

  日本国語大辞典
    胎蔵
      「たいぞうかい(胎蔵界)」の略。
    胎蔵界
      仏語。両界の一つ。密教で説く大日如来の理の方面を代表する。大悲胎蔵生
      ともいい、胎児が母胎の中で成育してゆく不思議な力にたとえて、大日如来
      の菩提心があらゆる生成の可能性を蔵していることを示したもの。胎蔵。
      (反対語:金剛界)
    金剛界
      密教で、大日如来を智徳の方面から開示した部門。この如来の智徳は堅固で
      すべての煩悩を打ち破る力を持っているので金剛という。
    清虚
      心が清らかで、汚れなどがまったくないこと。心が潔白でわだかまりのない
      こと。また、そのさま。

●re.83
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2609 ] Re83:教行信証・学習ノート8 2011/12/03 (Sat) 02:08 △up ▽down
--------------------------------------------------------------------------------
又言。彼国衆生。若当生者。皆悉究竟無上菩提。到涅槃処。何以故。若邪定聚及不定聚。
不能了知建立彼因故。已上抄要。
--------------------------------------------------------------------------------
(如来会)また言わく、かの国の衆生、もしは当に生まれん者、みなことごとく無上菩提を
究竟し、涅槃の処に到らしめん。何をもってのゆえに。もし邪定聚および不定聚は、かの
因を建立せることを了知することあたわざるがゆえなりと。已上抄要。
--------------------------------------------------------------------------------


≪六要鈔会本の注釈≫

--------------------------------------------------------------------------------
次如来会。願成就文。其意可見。又平等覚云。生無量清浄仏国者。其然後。皆当得阿惟越
致菩薩。已上。大阿弥陀経説同之。又荘厳経云。若有善男子善女人。若已生若当生。是人
決定証於阿耨多羅三藐三菩提。於意云何。彼仏刹中無三種失。一心無虚妄。二位無退転。
三善無唐捐。已上。今此二文雖非所引。為備周覧。私所載也。
--------------------------------------------------------------------------------
次に『如来会』の願成就の文。その意、見つべし。また『平等覚』に云わく「無量清浄仏国
に生ずる者は、それ然して後に、皆まさに阿惟越致の菩薩を得べし」已上。『大阿弥陀経』
の説はこれに同じ。また『荘厳経』に云わく「もし善男子善女人ありて、もしは已に生じ、
もしは当に生ぜん。この人は決定して阿耨多羅三藐三菩提を証す。意に於いて云何。彼の
仏刹の中には三種の失なし。一には心に虚妄なし。二には位に退転なし。三には善に唐捐
なし」已上。今この二文は所引にあらずといえども、周覧に備うるが為に、私に載する所
なり。
--------------------------------------------------------------------------------

●re.84
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2610 ] Re84:教行信証・学習ノート8 2011/12/03 (Sat) 02:10 △up ▽down
本文と六要鈔会本の注釈について、理解したところを記します。

>--------------------------------------------------------------------------------
>又言。彼国衆生。若当生者。皆悉究竟無上菩提。到涅槃処。何以故。若邪定聚及不定聚。
>不能了知建立彼因故。已上抄要。
>--------------------------------------------------------------------------------
>(如来会)また言わく、かの国の衆生、もしは当に生まれん者、みなことごとく無上菩提を
>究竟し、涅槃の処に到らしめん。何をもってのゆえに。もし邪定聚および不定聚は、かの
>因を建立せることを了知することあたわざるがゆえなりと。已上抄要。
>--------------------------------------------------------------------------------

  (如来会)またこう述べる。かの国の衆生、あるいは、そこにまさに生まれようとする
  者は、みなことごとく無上菩提をきわめ、涅槃のところに到達できるようにしよう。
  なぜなら、仮に邪定聚および不定聚の者であったなら、(仏が)かの(みなが仏となる)
  因を打ち立てたことを、はっきりと知ることができないからである。以上抄要。

  WikiArc
    かの因を・・・
      阿弥陀仏が浄土往生の因をたてたことを明らかに信知することができないか
      らという意。
    了知
      あきらかに信知すること。

  日本国語大辞典
    了知
      物事の内容を知ること。さとり知ること。会得すること。了承。


≪六要鈔会本の注釈≫

>--------------------------------------------------------------------------------
>次如来会。願成就文。其意可見。又平等覚云。生無量清浄仏国者。其然後。皆当得阿惟越
>致菩薩。已上。大阿弥陀経説同之。又荘厳経云。若有善男子善女人。若已生若当生。是人
>決定証於阿耨多羅三藐三菩提。於意云何。彼仏刹中無三種失。一心無虚妄。二位無退転。
>三善無唐捐。已上。今此二文雖非所引。為備周覧。私所載也。
>--------------------------------------------------------------------------------
>次に『如来会』の願成就の文。その意、見つべし。また『平等覚』に云わく「無量清浄仏国
>に生ずる者は、それ然して後に、皆まさに阿惟越致の菩薩を得べし」已上。『大阿弥陀経』
>の説はこれに同じ。また『荘厳経』に云わく「もし善男子善女人ありて、もしは已に生じ、
>もしは当に生ぜん。この人は決定して阿耨多羅三藐三菩提を証す。意に於いて云何。彼の
>仏刹の中には三種の失なし。一には心に虚妄なし。二には位に退転なし。三には善に唐捐
>なし」已上。今この二文は所引にあらずといえども、周覧に備うるが為に、私に載する所
>なり。
>--------------------------------------------------------------------------------

  次に『如来会』の願成就の文。その意(こころ)を見るべきである。また『平等覚』に
  こう述べる。限りなく清浄な仏国に生ずる者は、その後に、みなまさに阿惟越致(不退
  転)の菩薩(の地位)を得るであろう。」『大阿弥陀経』の説はこれと同じである。また
  『荘厳経』にこう述べる。「仮に善男子・善女人がいて、ついに往生したり、まさに
  往生しようとしたとしよう。この人は、間違いなく阿耨多羅三藐三菩提(この上ない仏
  のさとり)を証するものである。その意(こころ)はいかなるものであろうか。彼の仏の
  国のなかには三種の過ちがない。一つには、心に虚妄がない。二つには、位に退転が
  ない。三つには、善むなしいところがない。」今この二文は引用にはないが、あまね
  く見ることができるように、私の考えで掲載するものである。

  WikiArc
    唐捐
      むなしいこと。

  日本国語大辞典
    唐捐
      むなしく捨てること。いたずらに捨てること。

●re.85
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2611 ] Re85:教行信証・学習ノート8 2011/12/03 (Sat) 22:50 △up ▽down
--------------------------------------------------------------------------------
浄土論曰。荘厳妙声功徳成就者。偈言梵声悟深遠微妙聞十方故。此云何不思議。経言。
若人但聞彼国土清浄安楽。剋念願生。亦得往生。即入正定聚。此是国土名字為仏事。
安可思議。
--------------------------------------------------------------------------------
(論註)『浄土論』に曰わく、荘厳妙声功徳成就とは、偈に梵声悟深遠微妙聞十方(梵声の
悟り、深遠なり、微妙にして十方に聞ゆ)と言えるが故に。これいかんが不思議なる。経
に言わく、もし人ただかの国土の清浄安楽なるを聞きて、剋念して生まれんと願ぜんもの
と、また往生を得るものとは、すなわち正定聚に入る。これはこれ国土の名字、仏事をな
す。いずくんぞ思議すべきやと。
--------------------------------------------------------------------------------


≪六要鈔会本の注釈≫

--------------------------------------------------------------------------------
次浄土論。此有五文。第一文者。国土荘厳十七種中。其第十一之荘厳也。今言声者不関音
声。是名字也。言経言者。問。指何経耶。答。指覚経也。彼経云。十七我作仏時。令我名
字聞八方上下無数仏国。諸仏各於弟子衆中。歎我功徳国土之善。諸天人民。ナン動之類。
聞我名字。皆悉踊躍。来生我国。不爾者。我不作仏。已上。問。彼覚経不云即入正定聚。
今註何加之。答。経文雖隠。其義必然。云来生我国。即入正定聚也。就正定言今被引之。
--------------------------------------------------------------------------------
次に『浄土論』。これに五文あり。第一の文は、国土の荘厳十七種の中に、その第十一の
荘厳なり。今「声」というは音声に関わらず。これ名字なり。「経言」というは、問う、
何の経を指すや。答う、『覚経』を指すなり。彼の経に云わく「十七に我、作仏せん時、
我名字をして八方上下無数の仏国に聞かしめん。諸仏おのおの弟子衆の中に於いて、我功
徳国土の善を歎ぜん。諸天人民、ナン動の類、我名字を聞きて、皆悉く踊躍して。我国に
来生せん。爾らずは、我、作仏せじ」已上。問う。彼の『覚経』に「即ち正定聚に入る」
といわず。今『註』に何ぞこれを加うるや。答う。経文に隠れたりといえども、その義必
然なり。「来生我国」というは「即入正定聚」なり。正定の言に就きてこれを引かる。
--------------------------------------------------------------------------------

●re.86
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2612 ] Re86:教行信証・学習ノート8 2011/12/03 (Sat) 22:51 △up ▽down
本文と六要鈔会本の注釈について、理解したところを記します。

>--------------------------------------------------------------------------------
>浄土論曰。荘厳妙声功徳成就者。偈言梵声悟深遠微妙聞十方故。此云何不思議。経言。
>若人但聞彼国土清浄安楽。剋念願生。亦得往生。即入正定聚。此是国土名字為仏事。
>安可思議。
>--------------------------------------------------------------------------------
>(論註)『浄土論』に曰わく、荘厳妙声功徳成就とは、偈に梵声悟深遠微妙聞十方(梵声の
>悟り、深遠なり、微妙にして十方に聞ゆ)と言えるが故に。これいかんが不思議なる。経
>に言わく、もし人ただかの国土の清浄安楽なるを聞きて、剋念して生まれんと願ぜんもの
>と、また往生を得るものとは、すなわち正定聚に入る。これはこれ国土の名字、仏事をな
>す。いずくんぞ思議すべきやと。
>--------------------------------------------------------------------------------

  (論註)『浄土論』にこう述べる。「荘厳妙声功徳成就」というのは、偈に「梵声悟深
  遠微妙聞十方(仏の声の悟りは深遠であり、趣深く繊細であり、十方に響き渡る)」
  と言っているからである。これが、どうして不思議なのか。経にこう述べる。もし人
  が、ただかの国土が清浄で安楽であることを聞いて、意を決して往生しようと願うも
  のと、また往生を得るものとは、ただちに正定聚に入る。これは、これ国土の名前が
  仏事をなすということである。これを、どうして思議することができようか。

  WikiArc
    荘厳妙声功徳成就
      国土荘厳十七種の第十一荘厳のこと。浄土のすぐれた名は、あまねく十方世界
      に聞えて、すべての者を浄土に往生させる徳があることをいう。
    梵声悟深・・・
      「梵声の悟深遠にして微妙なり。十方に聞こゆ」梵声は清浄な仏の声のこと。
    国土の名字・・・
      浄土の名が衆生化益のはたらきをするということ。

  日本国語大辞典
    剋念
      固く決意すること。



≪六要鈔会本の注釈≫

>--------------------------------------------------------------------------------
>次浄土論。此有五文。第一文者。国土荘厳十七種中。其第十一之荘厳也。今言声者不関音
>声。是名字也。言経言者。問。指何経耶。答。指覚経也。彼経云。十七我作仏時。令我名
>字聞八方上下無数仏国。諸仏各於弟子衆中。歎我功徳国土之善。諸天人民。ナン動之類。
>聞我名字。皆悉踊躍。来生我国。不爾者。我不作仏。已上。問。彼覚経不云即入正定聚。
>今註何加之。答。経文雖隠。其義必然。云来生我国。即入正定聚也。就正定言今被引之。
>--------------------------------------------------------------------------------
>次に『浄土論』。これに五文あり。第一の文は、国土の荘厳十七種の中に、その第十一の
>荘厳なり。今「声」というは音声に関わらず。これ名字なり。「経言」というは、問う、
>何の経を指すや。答う、『覚経』を指すなり。彼の経に云わく「十七に我、作仏せん時、
>我名字をして八方上下無数の仏国に聞かしめん。諸仏おのおの弟子衆の中に於いて、我功
>徳国土の善を歎ぜん。諸天人民、ナン動の類、我名字を聞きて、皆悉く踊躍して。我国に
>来生せん。爾らずは、我、作仏せじ」已上。問う。彼の『覚経』に「即ち正定聚に入る」
>といわず。今『註』に何ぞこれを加うるや。答う。経文に隠れたりといえども、その義必
>然なり。「来生我国」というは「即入正定聚」なり。正定の言に就きてこれを引かる。
>--------------------------------------------------------------------------------

  次に『浄土論』。これに五つの文がある。第一の文は、国土の荘厳17種のなかの第11
  の荘厳である。今ここで「声」というのは、音声に関わるものではない。これは名字
  (名号)である。「経に言う」ということについて問う。これは何の経を指すのだろう
  か。答える。それは『覚経』を指すものである。彼の経にこう述べる。「第17に、私
  が仏になろうとするときに、私の名字(名号)を八方上下の無数の仏国に聞かせよう。
  そうすると、諸仏とそれぞれの弟子たちは、私の功徳による国土の善を讃嘆するであ
  ろう。諸天、人民、ナン動(うごめく虫)の類が、私の名字(名号)を聞いて、みなこと
  ごとく踊躍して、我が国に来生するであろう。そうでなかったら、私は仏となるつも
  りはない。」問う。彼の『覚経』では「即ち正定聚に入る」と言っていない。今『註』
  にどうしてこれを加えるのか。答える。経文では隠れているが、その義(考え方)は必
  然である。「来生我国(我国に来生する)」というのは「即入正定聚(即ち正定聚に入る)」
  のことである。正定聚の言葉についてこれを引用しているのである。

    覚経
      無量清浄平等覚経

  WikiArc
    無量清浄平等覚経
      四巻。略して『平等覚経』ともいう。後漢の支婁迦讖訳と伝えられてきたが、
      曹魏の帛延訳ともいわれる。『大経』の異訳の一。

●re.87
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2613 ] Re87:教行信証・学習ノート8 2011/12/03 (Sat) 23:47 △up ▽down
--------------------------------------------------------------------------------
荘厳主功徳成就者。偈言正覚阿弥陀法王善住持故。此云何不思議。正覚阿弥陀不可思議。
彼安楽浄土為正覚阿弥陀善力住持。云何可得思議邪。住名不異不滅。持名不散不失。如以
不朽薬塗種子。在水不蘭。在火不ショウ。得因縁即生。何以故。不朽薬力故。若人一生安
楽浄土。後時意願生三界教化衆生。捨浄土命。随願得生。雖生三界雑生火中。無上菩提種
子畢竟不朽。何以故。以逕正覚阿弥陀善住持故。
--------------------------------------------------------------------------------
(論註)荘厳主功徳成就とは、偈に正覚阿弥陀法王善住持(正覚の阿弥陀法王の善く住持し
たまえり)と言えるが故に。これいかんが不思議なる。正覚の阿弥陀、不可思議にましま
す。かの安楽浄土は正覚阿弥陀善力のために住持せられたり。いかんが思議することを得
べけんや。住は不異不滅に名づく、持は不散不失に名づく。不朽薬をもって種子に塗りて、
水に在〈お〉くに蘭れず、火に在くにショウ〈こ〉がれず、因縁を得てすなわち生ずるが
ごとし。何をもってのゆえに。不朽薬の力なるがゆえなり。もし人ひとたび安楽浄土に生
ずれば、後の時に意に、三界に生まれて衆生を教化せんと願じて、浄土の命を捨てて願に
随いて生ずることを得んに、三界雑生の火の中に生ずといえども、無上菩提の種子畢竟じ
て朽ちず。何をもってのゆえに。正覚阿弥陀の善住持を径るをもってのゆえにと。
--------------------------------------------------------------------------------


≪六要鈔会本の注釈≫

--------------------------------------------------------------------------------
第二文者。同第十二之荘厳也。不異不滅不散不失住持之徳。是又相順不退義故。被引用之。
不朽薬者。華厳経説。随義転用。
--------------------------------------------------------------------------------
第二文は、同じき第十二の荘厳なり。不異・不滅・不散・不失は住持の徳なり。これまた
不退の義に相順するが故に、これを引用せらる。「不朽薬」とは『華厳経』の説、
随義転用せり。
--------------------------------------------------------------------------------

●re.88
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2614 ] Re88:教行信証・学習ノート8 2011/12/03 (Sat) 23:47 △up ▽down
本文と六要鈔会本の注釈について、理解したところを記します。

>--------------------------------------------------------------------------------
>荘厳主功徳成就者。偈言正覚阿弥陀法王善住持故。此云何不思議。正覚阿弥陀不可思議。
>彼安楽浄土為正覚阿弥陀善力住持。云何可得思議邪。住名不異不滅。持名不散不失。如以
>不朽薬塗種子。在水不蘭。在火不ショウ。得因縁即生。何以故。不朽薬力故。若人一生安
>楽浄土。後時意願生三界教化衆生。捨浄土命。随願得生。雖生三界雑生火中。無上菩提種
>子畢竟不朽。何以故。以逕正覚阿弥陀善住持故。
>--------------------------------------------------------------------------------
>(論註)荘厳主功徳成就とは、偈に正覚阿弥陀法王善住持(正覚の阿弥陀法王の善く住持し
>たまえり)と言えるが故に。これいかんが不思議なる。正覚の阿弥陀、不可思議にましま
>す。かの安楽浄土は正覚阿弥陀善力のために住持せられたり。いかんが思議することを得
>べけんや。住は不異不滅に名づく、持は不散不失に名づく。不朽薬をもって種子に塗りて、
>水に在〈お〉くに蘭れず、火に在くにショウ〈こ〉がれず、因縁を得てすなわち生ずるが
>ごとし。何をもってのゆえに。不朽薬の力なるがゆえなり。もし人ひとたび安楽浄土に生
>ずれば、後の時に意に、三界に生まれて衆生を教化せんと願じて、浄土の命を捨てて願に
>随いて生ずることを得んに、三界雑生の火の中に生ずといえども、無上菩提の種子畢竟じ
>て朽ちず。何をもってのゆえに。正覚阿弥陀の善住持を径るをもってのゆえにと。
>--------------------------------------------------------------------------------

  (論註)荘厳主功徳成就というのは、偈に「正覚阿弥陀法王善住持(正覚の阿弥陀法王
  の善く住持したまえり)」と言うからである。これは、どのように不思議であるのか。
  正覚の阿弥陀は、不可思議でおられる。かの安楽浄土は、正覚の阿弥陀の善力によっ
  て住持せられたものである。どのように思議することができるだろうか。住とは不異
  不滅のことであり、持とは不散不失のことである。不朽薬を種子に塗って、水に入れ
  てもくずれず、火に入れても焦げないのは、因縁を得て往生するようなものである。
  なぜなら、それが不朽薬の力だからである。もし人がひとたび安楽浄土に生まれたな
  ら、後になってから意(こころ)に、三界に生まれて衆生を教化したいと願って、浄土
  の命を捨てて、その願いにしたがって(三界に)生まれたときに、三界雑生の火のなか
  に生まれたとしても、無上菩提の種子は最後まで朽ちることがないのである。なぜな
  ら、正覚の阿弥陀の善の住持するところを通ってきているからである。

  WikiArc
    荘厳主功徳成就
      国土荘厳十七種の第十二荘厳のこと。浄土の往生人はことごとく阿弥陀仏の
      正覚によって生れた清浄な者で優劣の差がなく、しかも一切世界の念仏者も
      眷属とすることを示す。
    住持
      とどめたもち、支えること。
    不朽薬
      朽ちることをなくするはたらきをもつ薬。
    雑生
      有漏の善悪の雑業により胎・卵・湿・化の四生を受けること。迷いの境界に
      生れること。


≪六要鈔会本の注釈≫

>--------------------------------------------------------------------------------
>第二文者。同第十二之荘厳也。不異不滅不散不失住持之徳。是又相順不退義故。被引用之。
>不朽薬者。華厳経説。随義転用。
>--------------------------------------------------------------------------------
>第二文は、同じき第十二の荘厳なり。不異・不滅・不散・不失は住持の徳なり。これまた
>不退の義に相順するが故に、これを引用せらる。「不朽薬」とは『華厳経』の説、
>随義転用せり。
>--------------------------------------------------------------------------------

  第二の文は、同じ第十二の荘厳である。不異・不滅・不散・不失は住持の徳である。
  これもまた、不退転の義(考え方)に符合するために、引用されたものである。
  「不朽薬」とは『華厳経』の説にあり、その義(考え方)にしたがって転用したもので
  ある。

●re.89
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2615 ] Re89:教行信証・学習ノート8 2011/12/06 (Tue) 01:54 △up ▽down
--------------------------------------------------------------------------------
荘厳眷属功徳成就者。偈言如来浄華衆正覚華化生故。此云何不思議。凡是雑生世界。若胎
若卵若湿若化。眷属若干。苦楽万品。以雑業故。彼安楽国土莫非是阿弥陀如来正覚浄華之
所化生。同一念仏無別道故。遠通夫四海之内皆為兄弟也。眷属無量。焉可思議。
--------------------------------------------------------------------------------
(論註)荘厳眷属功徳成就とは、偈に如来浄華衆正覚華化生(如来浄華の衆は、正覚の華よ
り化生す)と言えるが故に。これいかんぞ不思議なるや。おおよそこの雑生の世界には、
もしは胎、もしは卵、もしは湿、もしは化、眷属若干〈そこばく〉なり。苦楽万品なり。
雑業をもってのゆえに。かの安楽国土は、これ阿弥陀如来の正覚浄華の化生するところに
あらざることなし。同一に念仏して別の道なきがゆえに。遠く通ずるに、それ四海の内み
な兄弟とするなり。眷属無量なり。いずくんぞ思議すべけんや。
--------------------------------------------------------------------------------


≪六要鈔会本の注釈≫

--------------------------------------------------------------------------------
第三文者。同第十三之荘厳也。莫非等者。問。於極楽中。胎生化生差別分明。何如此釈。
答。彼胎生者。即是化土疑惑仏智行者所生。此化生者。即是報土明信仏智行者所生。
今釈最為明真実証之要文歟。同一等者。於第二巻私御釈中。被載此詞。
仍於其下新末鈔中。粗加愚解。可見彼鈔。
--------------------------------------------------------------------------------
第三の文は、同じき第十三の荘厳なり。「莫非」等とは、問う、極楽の中に於いて、胎生
・化生の差別は分明なり。何ぞかくの如く釈するや。答う。彼の胎生とは、即ちこれ化土、
疑惑仏智の行者の所生なり。この化生とは、即ちこれ報土、明信仏智の行者の所生なり。
今の釈は最も真実の証を明かす要文為るか。「同一」等とは、第二巻の私の御釈の中に於
いてこの詞を載せらる。よってその下、新末の鈔の中に於いて、ほぼ愚解を加う。彼の鈔
を見るべし。
--------------------------------------------------------------------------------

●re.90
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2616 ] Re90:教行信証・学習ノート8 2011/12/06 (Tue) 01:54 △up ▽down
本文と六要鈔会本の注釈について、理解したところを記します。

>--------------------------------------------------------------------------------
>荘厳眷属功徳成就者。偈言如来浄華衆正覚華化生故。此云何不思議。凡是雑生世界。若胎
>若卵若湿若化。眷属若干。苦楽万品。以雑業故。彼安楽国土莫非是阿弥陀如来正覚浄華之
>所化生。同一念仏無別道故。遠通夫四海之内皆為兄弟也。眷属無量。焉可思議。
>--------------------------------------------------------------------------------
>(論註)荘厳眷属功徳成就とは、偈に如来浄華衆正覚華化生(如来浄華の衆は、正覚の華よ
>り化生す)と言えるが故に。これいかんぞ不思議なるや。おおよそこの雑生の世界には、
>もしは胎、もしは卵、もしは湿、もしは化、眷属若干〈そこばく〉なり。苦楽万品なり。
>雑業をもってのゆえに。かの安楽国土は、これ阿弥陀如来の正覚浄華の化生するところに
>あらざることなし。同一に念仏して別の道なきがゆえに。遠く通ずるに、それ四海の内み
>な兄弟とするなり。眷属無量なり。いずくんぞ思議すべけんや。
>--------------------------------------------------------------------------------

  (論註)荘厳眷属功徳成就というのは、偈に如来浄華衆正覚華化生(如来浄華の衆は、
  正覚の華より化生す)と言うからである。これがどのように不思議なのか。おおよそ
  この雑生の世界には、胎生、卵生、湿生、化生などいろいろあるが、それぞれに眷属
  (一族)もそれなりにいるものである。その苦楽も千差万別である。それは雑業による
  ものだからである。かの安楽国土では、阿弥陀如来の正覚による浄華台に化生しない
  ものはない。同じように念仏して、別の道がないからである。遠くまで通じて全世界
  のなかは、みな兄弟となるのである。眷属(一族)は数限りない。どうして思議ること
  ができようか。

  WikiArc
    荘厳眷属功徳成就
      国土荘厳十七種の第十三荘厳。浄土の往生人はことごとく阿弥陀仏の正覚に
      よって生れた清浄な者で優劣の差がなく、しかも一切世界の念仏者も眷属と
      することを示す。
    雑生
      漏(うろ)の善悪の雑業により胎・卵・湿・化の四生を受けること。
      迷いの境界に生れること。
    苦楽万品
      苦も楽も千差万別であること。
    正覚浄華の化生
      阿弥陀如来と同体のさとりをひらくこと。浄華とは仏の座のことで、
      如来正覚の仏座に化生するという意。
    浄華台
      きよらかな蓮華でできた仏の台座。蓮華のうてな。
    化生
      1.衆生が生まれる四種の形態のうち、何のよりどころもなく業力によって
       忽然と生れこと。迷界の四生の一。
      2.真実信心の行者が報土に生れること。本願の不思議により、疑城胎宮にと
       どまることなく自然に生滅を超えた無生の生を受けることをいう。この
       化生に対して、仏智を疑惑する者の往生(方便化土往生)を胎生と言う。
    胎生
      1.方便化土の往生のこと。仏智の不思議を疑い、自己の力をたのんで善行や
       念仏をはげむ第十九願・第二十願の行者は、浄土に往生しても、五百年の
       間、仏に遇わず、法を聞かず、聖衆を見ることができない。それはあたか
       も母の胎内にあるがごとくであるから、これを喩えて胎生という。
      2.衆生が生れる四種の形態のうち母胎から生れるもの。四生の一。
    四海
      「証巻」『三経往生文類』に『論註』を引いて「四海のうちみな兄弟とする
      なり」とある。須弥山をとりまく四方の海。全世界をいう。転じて世界の
      人々をさす。

  日本国語大辞典
    眷属
      1.血のつながっているもの。親族。一族。うから。やから。
      2.従者。家来。配下の者。家の子郎党。
      3.({梵}parivara の訳。眷愛隷属の意)仏語。親類、師弟の関係にあって互
       いに相随順する出家、在家の者。狭くは仏の親族、広くは仏の教えを受け
       る者すべてをいう。
    そこばく【若干・幾許】
      1.数量などを明らかにしないで、おおよそのところをいう語。いくらか。
      2.数量の多いさま、程度のはなはだしいさまを表わす語。多く。たくさん。


≪六要鈔会本の注釈≫

>--------------------------------------------------------------------------------
>第三文者。同第十三之荘厳也。莫非等者。問。於極楽中。胎生化生差別分明。何如此釈。
>答。彼胎生者。即是化土疑惑仏智行者所生。此化生者。即是報土明信仏智行者所生。
>今釈最為明真実証之要文歟。同一等者。於第二巻私御釈中。被載此詞。
>仍於其下新末鈔中。粗加愚解。可見彼鈔。
>--------------------------------------------------------------------------------
>第三の文は、同じき第十三の荘厳なり。「莫非」等とは、問う、極楽の中に於いて、胎生
>・化生の差別は分明なり。何ぞかくの如く釈するや。答う。彼の胎生とは、即ちこれ化土、
>疑惑仏智の行者の所生なり。この化生とは、即ちこれ報土、明信仏智の行者の所生なり。
>今の釈は最も真実の証を明かす要文為るか。「同一」等とは、第二巻の私の御釈の中に於
>いてこの詞を載せらる。よってその下、新末の鈔の中に於いて、ほぼ愚解を加う。彼の鈔
>を見るべし。
>--------------------------------------------------------------------------------

  第三の文は、同じ第十三の荘厳である。「莫非・・・」等について問う。極楽のなか
  で、胎生(方便化土往生)と化生(真実報土往生)の違いは明白である。どうしてこのよ
  うに(同一に化生すると)釈するのか。答える。かの胎生とは、化土、つまり、仏智を
  疑惑する行者の生まれるところである。この化生とは、報土、つまり、仏智を明らか
  に信じる行者の生まれるところである。今の釈は、最も真実の証を明らかにする重要
  な文言であるということだろうか。「同一・・・」等については、第二巻の御自釈に
  この詞(ことば)を載せておられる。それについて、その下に、新末の鈔(六要鈔)のな
  かで、おおまかに愚解を加えているので、その鈔を見てください。

●re.91
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2617 ] Re91:教行信証・学習ノート8 2011/12/07 (Wed) 01:30 △up ▽down
--------------------------------------------------------------------------------
又言。願往生者。本則三三之品。今無一二之殊。亦如シジョウ(食陵反)一味。焉可思議。
--------------------------------------------------------------------------------
(論註)また言わく、往生を願う者、本はすなわち三三の品なれども、今は一二の殊なし。
またシジョウ(食陵の反)の一味なるがごとし。いずくんぞ思議すべけんや。
--------------------------------------------------------------------------------


≪六要鈔会本の注釈≫

--------------------------------------------------------------------------------
第四文者。同第十六大義門功徳成就文也。本則等者。此有二義。一云於彼二乗及以女人諸
根不具等之三類。各有名体。是故挙彼体三名三言之三三。言一二者。体与名也。二云。言
三三者。是指九品。言一二者。雖説遇大遇小遇悪九品差別。実無一品二品之殊。何況実有
九品差。問。九品説相経文分明。何無殊乎。答。九品在機不関浄土。又説九品是化土相。
於実報土更無其差。実不可有地前位故。此義可俟下第六巻料簡而已。問。今此荘厳功徳之
文。除本論偈以下註初。有何意耶。答。於上所引眷属成就。明彼浄土正覚浄花純一化生報
土之相。爰除数箇荘厳功徳。引当荘厳功徳成就。而略文初。正以本則三三之品今無一二之
殊土相。直次正覚浄華之所化生。報土之相。是為顕土無九品也。若依此義。上二義中。
以後一義可為集主之本意也。言シジョウ者二水名也。
--------------------------------------------------------------------------------
第四の文は、同じき第十六の大義門功徳成就の文なり。「本則」等とは、これに二義あり。
一に云わく、彼の二乗および女人・諸根不具等の三類に於いて、おのおの名体あり。この
故に彼の体三・名三を挙げて、これを「三三」という。「一二」というは、体と名となり。
二に云わく、「三三」というは、これ九品を指す。「一二」というは、遇大・遇小・遇悪
の九品の差別を説くといえども、実に一品・二品の殊なからんや。何に況んや実に九品の
差あらんや。問う。九品の説相は経文に分明なり。何ぞ殊なきや。答う。九品は機に在り
て浄土に関わらず。また九品を説くは、これ化土の相なり。実報土に於いては更にその差
なし。実に地前の位あるべからざるが故に。この義は下の第六巻の料簡を俟つべからくの
み。問う。今この荘厳功徳の文は、本論の偈以下、註の初を除く。何の意あるや。答う。
上の所引の眷属成就に於いて、彼の浄土正覚浄花純一化生報土の相を明かす。ここに数箇
の荘厳功徳を除き、当荘厳功徳成就を引きて、而の文の初を略すことは、正しく「本則三三
之品今無一二之殊」の土の相を以て、直ちに正覚浄華の化生する所の報土の相に次ぐ。これ
土に九品なきことを顕わさんが為なり。もしこの義に依らば、上の二義の中に、後の一義
を以て集主の本意と為すべきなり。シジョウというは、二水の名なり。
--------------------------------------------------------------------------------

●re.92
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2618 ] Re92:教行信証・学習ノート8 2011/12/07 (Wed) 01:31 △up ▽down
本文と六要鈔会本の注釈について、理解したところを記します。

>--------------------------------------------------------------------------------
>又言。願往生者。本則三三之品。今無一二之殊。亦如シジョウ(食陵反)一味。焉可思議。
>--------------------------------------------------------------------------------
>(論註)また言わく、往生を願う者、本はすなわち三三の品なれども、今は一二の殊なし。
>またシジョウ(食陵の反)の一味なるがごとし。いずくんぞ思議すべけんや。
>--------------------------------------------------------------------------------

  (論註)またこう述べる。往生を願う者は、もともとは九品に分かれているが、今は一
  と二の区別もない。それはまた、シジョウ(シ水とジョウ水)が、(海に流れ込めば)一
  つの味となるようなものである。どうして思議することができようか。

    三三の品
      九品のこと。
    九品
      『観経』に説く九つの階位。阿弥陀仏の浄土へ往生を願う衆生を、修めるべ
      き行法の程度によって九種に分類したもの。
        上品上生・上品中生・上品下生の三は大乗の善(行福)を修める凡夫、
        中品上生・中品中生は小乗の善(戒福)を修める凡夫、
        中品下生は世俗的な善(世福)を行う凡夫、
        下品上生・下品中生・下品下生の三は罪悪の凡夫とする。
    シジョウの一味なるがごとし
      斉の国(現在の中国山東省)にあったシ水とジョウ水という二河の名。二河の
      水の味は異なるが海に入れば同じ塩からい水になるように、往生の機に九品
      別があっても、同じ念仏の一道によって往生すれば平等の果を得るという意。


≪六要鈔会本の注釈≫

>--------------------------------------------------------------------------------
>第四文者。同第十六大義門功徳成就文也。本則等者。此有二義。一云於彼二乗及以女人諸
>根不具等之三類。各有名体。是故挙彼体三名三言之三三。言一二者。体与名也。二云。言
>三三者。是指九品。言一二者。雖説遇大遇小遇悪九品差別。実無一品二品之殊。何況実有
>九品差。問。九品説相経文分明。何無殊乎。答。九品在機不関浄土。又説九品是化土相。
>於実報土更無其差。実不可有地前位故。此義可俟下第六巻料簡而已。問。今此荘厳功徳之
>文。除本論偈以下註初。有何意耶。答。於上所引眷属成就。明彼浄土正覚浄花純一化生報
>土之相。爰除数箇荘厳功徳。引当荘厳功徳成就。而略文初。正以本則三三之品今無一二之
>殊土相。直次正覚浄華之所化生。報土之相。是為顕土無九品也。若依此義。上二義中。
>以後一義可為集主之本意也。言シジョウ者二水名也。
>--------------------------------------------------------------------------------
>第四の文は、同じき第十六の大義門功徳成就の文なり。「本則」等とは、これに二義あり。
>一に云わく、彼の二乗および女人・諸根不具等の三類に於いて、おのおの名体あり。この
>故に彼の体三・名三を挙げて、これを「三三」という。「一二」というは、体と名となり。
>二に云わく、「三三」というは、これ九品を指す。「一二」というは、遇大・遇小・遇悪
>の九品の差別を説くといえども、実に一品・二品の殊なからんや。何に況んや実に九品の
>差あらんや。問う。九品の説相は経文に分明なり。何ぞ殊なきや。答う。九品は機に在り
>て浄土に関わらず。また九品を説くは、これ化土の相なり。実報土に於いては更にその差
>なし。実に地前の位あるべからざるが故に。この義は下の第六巻の料簡を俟つべからくの
>み。問う。今この荘厳功徳の文は、本論の偈以下、註の初を除く。何の意あるや。答う。
>上の所引の眷属成就に於いて、彼の浄土正覚浄花純一化生報土の相を明かす。ここに数箇
>の荘厳功徳を除き、当荘厳功徳成就を引きて、而の文の初を略すことは、正しく「本則三三
>之品今無一二之殊」の土の相を以て、直ちに正覚浄華の化生する所の報土の相に次ぐ。これ
>土に九品なきことを顕わさんが為なり。もしこの義に依らば、上の二義の中に、後の一義
>を以て集主の本意と為すべきなり。シジョウというは、二水の名なり。
>--------------------------------------------------------------------------------

  第四の文は、同じ「論註」の第十六の大義門功徳成就の文である。「本則・・・」等
  については、二つの義(考え方)がある。一つにこう述べる。かの二乗(声聞・縁覚)お
  よび女人・諸根不具(身体の不自由な者)などの三類について、それそれ名と体がある。
  だから、かの体三・名三を取り上げて、これを「三三」という。「一二」というは、
  体と名とである。二つにこう述べる。「三三」というは、九品を指す。「一二」とい
  うのは、遇大(大乗に遇う凡夫)・遇小(小乗に遇う凡夫)・遇悪(悪事に遇う凡夫)の九品
  の差別を説いてはいるが、実際に一品・二品の違いなどないのであろう。ましてや実際
  に九品の差があるであろうか。

  WikiArc
    諸根
      五根のこと。
    五根
      眼(視覚)・耳(聴覚)・鼻(嗅覚)・舌(味覚)・身(触覚)の感覚器官および機能。

  http://homepage3.nifty.com/Tannisho/9_Bonbu.htm
    善凡夫とは遇大の凡夫、遇小の凡夫、悪凡夫とは遇悪の凡夫である。遇大の凡夫
    とは大乗の教に遇うことのできた凡夫、これが菩薩であり、『観経』で言うと上品
    の人である。遇小の凡夫とは声聞、縁覚といわれる人で、小乗の教に遇うた凡夫
    である。わが身を清潔に保ち規則正しい生活を送り、戒律を守り、やるべき事を
    やる人である。これを中品の人という。遇悪の凡夫とは、悪をする縁に遇うた凡夫
    である。下品の人である。


  問う。九品の説の内容は経文に明らかである。どうして違いがないなどというのか。
  答える。九品は、機のことであって、浄土に関するものではない。また、九品を説く
  のは、化土の相(すがた)のことである。実報土においては、まったくその差がない。
  実に、地前(初地以前)の位が、ないであろうからである。この義(考え方)について
  は、あとの第六巻(化土巻)の料簡(解釈)を待つべきであろう。

  日本国語大辞典
    説相
      仏語。経典に説かれている内容。


  問う。今この荘厳功徳の文は、本論の偈から註の初めまでを除いている。そこにどん
  な意図があるのだろうか。答える。上の引用箇所の眷属成就において、かの浄土が、
  正覚浄花の純一に化生する報土の相(すがた)であることを明らかにしている。ここで
  数箇の荘厳功徳を除いて、この荘厳功徳成就を引用し、そうして文の初めを省略する
  ことは、まさしく「もともとは九品に分かれているが、今は一と二の区別もない」と
  いう浄土の相(すがた)をもって、ただちに正覚浄華の化生する報土の相(すがた)につ
  なげるものである。これは、浄土に九品がないことを表そうとしているからである。
  もしこの義(考え方)によるならば、上の二つの義(考え方)のうち、後の一義をもって
  集主の本意とすべきである。シジョウというは、二つの水の名前である。

●re.93
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2619 ] Re93:教行信証・学習ノート8 2011/12/09 (Fri) 01:52 △up ▽down
--------------------------------------------------------------------------------
又論曰。荘厳清浄功徳成就者。偈言観彼世界相勝過三界道故。此云何不思議。有凡夫人煩
悩成就。亦得生彼浄土。三界繋業畢竟不牽。則是不断煩悩得涅槃分。焉可思議。已上抄要。
--------------------------------------------------------------------------------
(論註)また『論』に曰わく、荘厳清浄功徳成就とは、偈に観彼世界相勝過三界道(彼の世界
の相を観ずるに、三界の道に勝過せり)と言えるが故に。これいかんぞ不思議なるや。凡夫人
の煩悩成就せるありて、またかの浄土に生ずることを得れば、三界の繋業畢竟じて牽かず。
すなわちこれ煩悩を断ぜずして涅槃の分を得るなり。いずくんぞ思議すべけんや。已上抄要。
--------------------------------------------------------------------------------


≪六要鈔会本の注釈≫

--------------------------------------------------------------------------------
第五文者。同荘厳中初荘厳也。観者観察。彼者極楽世界。相者彼清浄相。勝過等者。明非
三界之所摂也。註釈之云抑亦近言。是顕其為高妙土也。問。何今逆次引用之耶。答。今此
清浄是其総相。是故本論自総開別。而抜簡要引用之時。今以総相結所鈔出之別相歟。有凡
等者。言凡夫類雖不断惑。由仏力故得往生也。又得往生即無生故。即契煩悩即菩提等甚深
証悟。彼土徳故。涅槃分者。未至極位。故云分也。
--------------------------------------------------------------------------------
第五の文は、同じき荘厳の中の初の荘厳なり。「観」とは観察、「彼」とは極楽世界、
「相」とは彼清浄相、「勝過」等とは三界の所摂にあらざることを明かすなり。『註』に
これを釈して「抑亦近言(そもそもこれ近き言)」なりという。これその高妙の土たるこ
とを顕わすなり。問う。何ぞ今逆次にこれを引用するや。答う。今この清浄はこれその
総相なり。この故に本論は総より別を開す。而るに簡要を抜きてこれを引用する時、今、
総相を以て鈔出する所の別相を結するか。「有凡」等とは、言うこころは、凡夫の類は
断惑せずといえども、仏力に由るが故に往生を得となり。また往生を得れば即ち無生なる
が故に、即ち煩悩即菩提等の甚深の証悟に契う。彼の土の徳なるが故に。「涅槃分」とは、
未だ極位に至らず、故に分というなり。
--------------------------------------------------------------------------------

●re.94
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2620 ] Re94:教行信証・学習ノート8 2011/12/09 (Fri) 01:52 △up ▽down
本文と六要鈔会本の注釈について、理解したところを記します。

>--------------------------------------------------------------------------------
>又論曰。荘厳清浄功徳成就者。偈言観彼世界相勝過三界道故。此云何不思議。有凡夫人煩
>悩成就。亦得生彼浄土。三界繋業畢竟不牽。則是不断煩悩得涅槃分。焉可思議。已上抄要。
>--------------------------------------------------------------------------------
>(論註)また『論』に曰わく、荘厳清浄功徳成就とは、偈に観彼世界相勝過三界道(彼の世界
>の相を観ずるに、三界の道に勝過せり)と言えるが故に。これいかんぞ不思議なるや。凡夫人
>の煩悩成就せるありて、またかの浄土に生ずることを得れば、三界の繋業畢竟じて牽かず。
>すなわちこれ煩悩を断ぜずして涅槃の分を得るなり。いずくんぞ思議すべけんや。已上抄要。
>--------------------------------------------------------------------------------

  (論註)また『論』にこう述べる。荘厳清浄功徳成就というのは、偈に観彼世界相勝過
  三界道(彼の世界の相を観ずるに、三界の道に勝過せり)と言うからである。これがど
  うして不思議なのだろうか。煩悩だらけの凡夫人でも、かの浄土に生ずることができ
  れば、三界の繋業によって最終的に引っ張られることがない。すなわち、これが煩悩
  を断ちきらないまま涅槃の分を得るということである。どうして思議することができ
  ようか。以上抄要。

  WikiArc
    荘厳清浄功徳成就
      国土荘厳十七種の第一荘厳のこと。浄土は三界を超越した清浄の世界であっ
      て、煩悩の寂滅した涅槃の世界であり、そこに往生すれば自然にさとりの智慧
      をうる徳がそなわっている。二十九種すべての荘厳に通ずる功徳であるという。
    三界
      欲界・色界・無色界の三つの世界。衆生が生死流転する迷いの世界を三種に
      分類したもの。三有ともいう。
    繋業
      衆生を迷界につなぎとめている煩悩のまじった行為。


≪六要鈔会本の注釈≫

>--------------------------------------------------------------------------------
>第五文者。同荘厳中初荘厳也。観者観察。彼者極楽世界。相者彼清浄相。勝過等者。明非
>三界之所摂也。註釈之云抑亦近言。是顕其為高妙土也。問。何今逆次引用之耶。答。今此
>清浄是其総相。是故本論自総開別。而抜簡要引用之時。今以総相結所鈔出之別相歟。有凡
>等者。言凡夫類雖不断惑。由仏力故得往生也。又得往生即無生故。即契煩悩即菩提等甚深
>証悟。彼土徳故。涅槃分者。未至極位。故云分也。
>--------------------------------------------------------------------------------
>第五の文は、同じき荘厳の中の初の荘厳なり。「観」とは観察、「彼」とは極楽世界、
>「相」とは彼清浄相、「勝過」等とは三界の所摂にあらざることを明かすなり。『註』に
>これを釈して「抑亦近言(そもそもこれ近き言)」なりという。これその高妙の土たるこ
>とを顕わすなり。問う。何ぞ今逆次にこれを引用するや。答う。今この清浄はこれその
>総相なり。この故に本論は総より別を開す。而るに簡要を抜きてこれを引用する時、今、
>総相を以て鈔出する所の別相を結するか。「有凡」等とは、言うこころは、凡夫の類は
>断惑せずといえども、仏力に由るが故に往生を得となり。また往生を得れば即ち無生なる
>が故に、即ち煩悩即菩提等の甚深の証悟に契う。彼の土の徳なるが故に。「涅槃分」とは、
>未だ極位に至らず、故に分というなり。
>--------------------------------------------------------------------------------

  第五の文は、同じ荘厳のなかの初めの荘厳である。「観」とは観察、「彼」とは極楽
  世界、「相」とはかの清浄な相(すがた)であり、「勝過・・・」等というのは、それ
  が三界に帰属するものではないことを明らかにするものである。『註』では、これを
  釈して「抑亦近言(そもそもこれ近き言)」であると言っている。これは、それが立派
  で優れた土であることを表している。

  日本国語大辞典
    所摂
      含み込まれること。帰属すること。
    高妙
      ひじょうに立派ですぐれていること。また、そのさま。


  問う。どうして、今ここで、逆の順序でこれを引用するのだろうか。答える。今ここ
  での清浄は、その全体としての相(すがた)である。だから、本論は、総から別へと広
  げていくものである。しかし、簡要を抜き出して引用する時は、全体の相(すがた)を
  抜き出された個別の相(すがた)の結びとするのであろうか。


  「有凡・・・」等について、その言うこころは、凡夫の類は惑い(煩悩)を断ち切らな
  いままであっても、仏の力によるために往生を得るということである。また、往生を
  得ればそれは無生(涅槃)であるために、そのまま「煩悩即菩提」等の甚だ深い悟りに
  かなうのである。それは、かの浄土の徳であるからである。「涅槃分」とは、いまだ
  究極の位に至っていないために「分」というのである。

  WikiArc
    断惑
      惑は煩悩に同じ。 煩悩を断ち切ること。

●re.95
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2621 ] Re95:教行信証・学習ノート8 2011/12/09 (Fri) 23:56 △up ▽down
--------------------------------------------------------------------------------
安楽集云。然二仏神力応亦斉等。但釈迦如来不申己能。故顕彼長。欲使一切衆生莫不斉帰。
是故釈迦処処嘆帰。須知此意也。是故曇鸞法師正意帰西故。傍大経奉讃曰。安楽声聞菩薩
衆。人天智慧咸洞達。身相荘厳無殊異。但順他方故列名。顔容端政無可比。精微妙躯非人
天。虚無之身無極体。是故頂礼平等力。已上。
--------------------------------------------------------------------------------
『安楽集』に云わく、しかるに二仏の神力、また斉等なるべし。ただ釈迦如来、己が能を
申べずして、故〈ことさら〉にかの長ぜるを顕したまうこと、一切衆生をして斉しく帰せ
ざることなからしめんと欲してなり。このゆえに釈迦、処処に嘆じて帰せしめたまえり。
須らくこの意を知るべしとなり。このゆえに曇鸞法師の正意、西に帰するがゆえに、
『大経』に傍えて奉讃して曰わく、安楽の声聞・菩薩衆・人・天、智慧ことごとく洞達せ
り。身相荘厳殊異なし。ただ他方に順ずるがゆえに名を列ぬ。顔容端政にして比ぶべきな
し。精微妙躯にして人天にあらず、虚無の身、無極の体なり。このゆえに平等力を頂礼し
たてまつると。已上。
--------------------------------------------------------------------------------


≪六要鈔会本の注釈≫

--------------------------------------------------------------------------------
次安楽集。下巻文也。第八大門有三番中第二。弥陀釈迦二仏比校之段末後文也。文意易見。
所引経讃。讃阿弥陀仏偈之文也。今之八句依上所引正報勝文。上解経意。讃意全同。
--------------------------------------------------------------------------------
次に『安楽集』下巻の文なり。第八大門に三番ある中の第二に、弥陀・釈迦二仏比校の
段末後の文なり。文の意は見易し。所引の経の讃は『讃阿弥陀仏偈』の文なり。今の八句
は上の所引の正報勝の文に依る。上に経の意を解す。讃の意は全く同じ。
--------------------------------------------------------------------------------

●re.96
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2622 ] Re96:教行信証・学習ノート8 2011/12/09 (Fri) 23:56 △up ▽down
本文と六要鈔会本の注釈について、理解したところを記します。

>--------------------------------------------------------------------------------
>安楽集云。然二仏神力応亦斉等。但釈迦如来不申己能。故顕彼長。欲使一切衆生莫不斉帰。
>是故釈迦処処嘆帰。須知此意也。是故曇鸞法師正意帰西故。傍大経奉讃曰。安楽声聞菩薩
>衆。人天智慧咸洞達。身相荘厳無殊異。但順他方故列名。顔容端政無可比。精微妙躯非人
>天。虚無之身無極体。是故頂礼平等力。已上。
>--------------------------------------------------------------------------------
>『安楽集』に云わく、しかるに二仏の神力、また斉等なるべし。ただ釈迦如来、己が能を
>申べずして、故〈ことさら〉にかの長ぜるを顕したまうこと、一切衆生をして斉しく帰せ
>ざることなからしめんと欲してなり。このゆえに釈迦、処処に嘆じて帰せしめたまえり。
>須らくこの意を知るべしとなり。このゆえに曇鸞法師の正意、西に帰するがゆえに、
>『大経』に傍えて奉讃して曰わく、安楽の声聞・菩薩衆・人・天、智慧ことごとく洞達せ
>り。身相荘厳殊異なし。ただ他方に順ずるがゆえに名を列ぬ。顔容端政にして比ぶべきな
>し。精微妙躯にして人天にあらず、虚無の身、無極の体なり。このゆえに平等力を頂礼し
>たてまつると。已上。
>--------------------------------------------------------------------------------

  『安楽集』にこう述べる。ところが、二仏(釈迦と弥陀)の威神力は、同等であるにち
  がいない。ただ釈迦如来は、自分の能力のことを申べないで、ことさらにかの(阿弥陀
  仏の)優れたところを明らかにしているのは、一切の衆生を等しく帰命させたいと思っ
  てのことである。だから、釈迦は、随所で(阿弥陀仏を)讃嘆して、帰命させるのであ
  る。この意(こころ)を知るべきである。こういうわけで、曇鸞法師の正意は、西方
  (阿弥陀仏の浄土)に帰することなので、『大経』に準じて次のように謹んで讃嘆する。

  WikiArc
    神力
      威神力のこと。不思議な力。


  安楽浄土の声聞・菩薩衆・人・天は、ことごとく智慧が深く熟達している。身体の相
  (すがた)の荘厳はみな同じである。ただ、他方(の世界)に順ずるために名を列挙して
  いるだけである。顔容は端正にして比べるものがない。不可思議ですぐれた身体をも
  ち、人間でも天人でもなく、虚無の身であり、無極の体である。だから、平等力を
  頂礼したてまつる。

  WikiArc
    精微妙躯
      不可思議ですぐれた身体。
    虚無の身無極の体
      虚無、無極はともに限定を超えた涅槃のこと。 浄土における身体は涅槃のさ
      とりにかない、絶対の自由をもつものであるということ。
    平等力
      往生人に平等のさとりを得させる力のある仏という意。
    頂礼
      ひざまずいて頭を地につける礼拝法。


≪六要鈔会本の注釈≫

>--------------------------------------------------------------------------------
>次安楽集。下巻文也。第八大門有三番中第二。弥陀釈迦二仏比校之段末後文也。文意易見。
>所引経讃。讃阿弥陀仏偈之文也。今之八句依上所引正報勝文。上解経意。讃意全同。
>--------------------------------------------------------------------------------
>次に『安楽集』下巻の文なり。第八大門に三番ある中の第二に、弥陀・釈迦二仏比校の
>段末後の文なり。文の意は見易し。所引の経の讃は『讃阿弥陀仏偈』の文なり。今の八句
>は上の所引の正報勝の文に依る。上に経の意を解す。讃の意は全く同じ。
>--------------------------------------------------------------------------------

  次に『安楽集』下巻の文である。第八大門に三番あるなかの第二に、弥陀・釈迦二仏
  を比べる段の末後の文である。文の意(こころ)はわかり易い。引用の経の讃は『讃阿
  弥陀仏偈』の文である。今の八句は、上の引用の正報勝の文による。上に経の意(こころ)
  を解釈するものである。讃の意(こころ)は全く同じである。

  WikiArc
    讃阿弥陀仏偈
      曇鸞大師の著。『大経』により、阿弥陀仏とその浄土の徳を讃嘆した
      七言一句、三百九十句の偈頌。

●re.97
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2623 ] Re97:教行信証・学習ノート8 2011/12/22 (Thu) 02:31 △up ▽down
--------------------------------------------------------------------------------
光明寺疏云。言弘願者。如大経説。一切善悪凡夫得生者。莫不皆乗阿弥陀仏大願業力為増
上縁也。又仏蜜意弘深。教門難曉。三賢十聖弗測〈惻〉所窺。況我信外軽毛。敢知旨趣。
仰惟。釈迦此方発遣。弥陀即彼国来迎。彼喚此遣。豈容不去也。唯可懃心奉法畢命為期。
捨此穢身即証彼法性之常楽。
--------------------------------------------------------------------------------
(玄義分)光明寺の疏に云わく、弘願と言うは、『大経』の説のごとし。一切善悪の凡夫、
生ずることを得るは、みな阿弥陀仏の大願業力に乗じて、増上縁とせざるはなしとなり。
また仏の密意弘深なれば、教門暁りがたし。三賢十聖も測〈惻〉りて窺うところにあらず。
況や我信外の軽毛なり。あえて旨趣を知らんや。仰ぎて惟みれば、釈迦はこの方にして
発遣し、弥陀はすなわちかの国より来迎したもう。彼には喚ばい、此には遣わす。あに去
かざるべけんや。ただ勤心、法に奉えて、畢命を期として、この穢身を捨て、すなわちか
の法性の常楽を証すべしと。
--------------------------------------------------------------------------------


≪六要鈔会本の注釈≫

--------------------------------------------------------------------------------
次大師釈、所引有二。其初文者。観経玄義序題門釈。初自弘願終至縁也。如第二巻鈔新本
解。又仏密意者。含二尊意。若約弥陀是顕如来智慧深広。如大経説。如来智慧海深広無涯
底。二乗非所測。唯仏独明了。已上。若約釈迦。是顕一代出世大事。其大事者為令衆生往
生極楽。入仏知見。即証法性之常楽也。教門難暁者。八万諸教教行区分。求出要類各欲行
之。権実浅深難易堪否。凡夫依之易迷難解。若不解了。恐難輙生真実信心。三賢等者。弗
窺有二。一者約人。下人不測上人之智。二者約理。如云唯仏与仏乃能究竟故也。況我等者。
謂其内証。雖居仏地。示同凡惑引導下機之卑言也。言信外者。此有二義。一是指十信外凡
位故。言之信外。言軽毛者。仁王経等。指十信故。二是指十信以外凡位。述謙下言。更不
可云入道位。故信外之言。又順此義。軽毛之譬。云通信外。強無咎歟。十信之位。猶如軽
毛。況信外哉。唯可等者。懃心安心。奉法起行。畢命為期四修之中。挙長時修摂余三修。
捨身者。明往生益。即証等者。即顕証理。言法性者。是則真如。亦是実相。言常楽者。常
者即是無量寿体。楽者即是安楽之義。即又法性。聖道浄土二門雖殊。得脱之道共証此理。
而聖道門。於此土中即身悟之。浄土之教。依仏願力。生彼土後得此証也。
--------------------------------------------------------------------------------
次に大師の釈、所引に二あり。その初の文は、『観経玄義』序題門の釈なり。初に「弘願」
より終り「縁也」に至るまで、第二巻の鈔新本の解の如し。「又仏密意」とは、二尊の意
を含む。もし弥陀に約せば、これ如来の智慧の深広なることを顕わす。『大経』に説くが
如し。「如来の智慧海は深広にして涯底なし。二乗の測る所にあらず。唯仏のみ独り明了
なり」已上。もし釈迦に約せば、これ一代出世の大事を顕わす。その大事とは、衆生をし
て極楽に往生せしめ、仏の知見に入りて、即ち法性の常楽を証せしめんが為なり。「教門
暁りがたし」とは、八万の諸教は教行まちまちに分れて、出要を求むる類は、おのおのこ
れを行ぜしめんと欲するに、権実・浅深・難易・堪否、凡夫はこれに依りて迷い易く解り
難し。もし解了せずば、恐らくは輙く真実の信心を生じ難し。「三賢」等とは、窺わざる
に二あり。一には人に約す。下人は上人の智を測らず。二には理に約す。「ただ仏と仏と
のみ乃ち能く究竟す」というが如きの故なり。「況我」等とは、その内証をいうに、仏地
に居すといえども、同じく凡惑を示して下機を引導する卑言なり。「信外」というは、こ
れに二義あり。一にはこれ十信外凡の位を指すが故に、これを信外という。「軽毛」とい
うは、『仁王経』等に十信を指すが故に。二にはこれ十信以外の凡位を指す。謙下の言を
述ぶるに、更に道位に入るというべからず。故に信外の言は、またこの義に順ず。軽毛の
譬は信外に通ずというに、強ちに咎なきか。十信の位は猶し軽毛の如し。況んや信外をや。
「唯可」等とは、「勤心」は安心、「奉法」は起行、「畢命為期」は四修の中に、長時修
を挙げて余の三修を摂す。「捨身」とは往生の益を明かす。「即証」等とは、即ち証理を
顕わす。「法性」というは、これ則ち真如、またこれ実相なり。「常楽」というは、「常」
は即ちこれ無量寿の体、「楽」は即ちこれ安楽の義、即ちまた法性なり。聖道・浄土の
二門は殊なりといえども、得脱の道は共にこの理を証す。而に聖道門は此土の中に於いて
即身にこれを悟る。浄土の教は、仏願力に依りて、彼の土に生じて後にこの証を得るなり。
--------------------------------------------------------------------------------

●re.98
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2624 ] Re98:教行信証・学習ノート8 2011/12/22 (Thu) 02:32 △up ▽down
本文と六要鈔会本の注釈について、理解したところを記します。

>--------------------------------------------------------------------------------
>光明寺疏云。言弘願者。如大経説。一切善悪凡夫得生者。莫不皆乗阿弥陀仏大願業力為増
>上縁也。又仏蜜意弘深。教門難曉。三賢十聖弗測〈惻〉所窺。況我信外軽毛。敢知旨趣。
>仰惟。釈迦此方発遣。弥陀即彼国来迎。彼喚此遣。豈容不去也。唯可懃心奉法畢命為期。
>捨此穢身即証彼法性之常楽。
>--------------------------------------------------------------------------------
>(玄義分)光明寺の疏に云わく、弘願と言うは、『大経』の説のごとし。一切善悪の凡夫、
>生ずることを得るは、みな阿弥陀仏の大願業力に乗じて、増上縁とせざるはなしとなり。
>また仏の密意弘深なれば、教門暁りがたし。三賢十聖も測〈惻〉りて窺うところにあらず。
>況や我信外の軽毛なり。あえて旨趣を知らんや。仰ぎて惟みれば、釈迦はこの方にして
>発遣し、弥陀はすなわちかの国より来迎したもう。彼には喚ばい、此には遣わす。あに去
>かざるべけんや。ただ勤心、法に奉えて、畢命を期として、この穢身を捨て、すなわちか
>の法性の常楽を証すべしと。
>--------------------------------------------------------------------------------

  (玄義分)光明寺(善導)の疏(解説)にこう述べる。弘願(第18願)については、『大経』
  の説のとおりである。すべての善悪の凡夫のなかで往生することができる者は、みな
  阿弥陀仏の大願業力に乗じて、それを増上縁としないものはない。また、仏の秘めら
  れた意(こころ)は広く深いので、教門では理解しがたいものである。三賢や十聖でも
  量り知るものではない。ましてや、私は、信外(十信以前)の軽毛(凡夫)である。あえ
  てその趣旨を知ろうとすることがあろうか。仰いで考えをめぐらせば、釈迦はこの方
  に差し向けられ、弥陀はかの国より来迎なされる。あちらでは呼び叫び、こちらには
  指し向ける。どうして(この土を)去らないことがあろうか。ただ心にはげみ、法に奉
  えて、命の終わりのおりにこの穢れた身を捨てて、ただちにかの法性の常楽を証すべ
  きである。

  WikiArc
    弘願
      広弘の誓願の意。十方衆生を救済しようと誓った第十八願を指す。
    大願業力
      すぐれた願によって成就された阿弥陀仏の救済のはたらき。
    増上縁
      浄土往生を得させる阿弥陀仏のすぐれた力。
    三賢
      菩薩の五十二段の階位のうち、十住・十行・十回向の階位をいう。
      内凡(さとりのうちなる凡夫)ともいう。
    十聖
      十地の聖者。歓喜地・離垢地・発光地・慧地・難勝地・現前地・遠行地・
      不動地・善慧地・法雲地の十地の菩薩をいう。
    信外の軽毛
      信は十信位のこと。十信の位にも入ることのできない、風に吹かれて飛ぶ軽
      い毛のような凡夫をいう。
    法性
      梵語ダルマターの漢訳。法の法たる性という意で、一切の存在の真実常住な
      る本性を指す。真如・実相・法界などの異名として用いられる。
    常楽
      常楽我浄のこと。常住にして移り変りなく、安らかで楽しみが充ち足り、
      自在で他に縛られず、煩悩のけがれがないこと。涅槃にそなわる四種の徳。


≪六要鈔会本の注釈≫

>--------------------------------------------------------------------------------
>次大師釈、所引有二。其初文者。観経玄義序題門釈。初自弘願終至縁也。如第二巻鈔新本
>解。又仏密意者。含二尊意。若約弥陀是顕如来智慧深広。如大経説。如来智慧海深広無涯
>底。二乗非所測。唯仏独明了。已上。若約釈迦。是顕一代出世大事。其大事者為令衆生往
>生極楽。入仏知見。即証法性之常楽也。教門難暁者。八万諸教教行区分。求出要類各欲行
>之。権実浅深難易堪否。凡夫依之易迷難解。若不解了。恐難輙生真実信心。三賢等者。弗
>窺有二。一者約人。下人不測上人之智。二者約理。如云唯仏与仏乃能究竟故也。況我等者。
>謂其内証。雖居仏地。示同凡惑引導下機之卑言也。言信外者。此有二義。一是指十信外凡
>位故。言之信外。言軽毛者。仁王経等。指十信故。二是指十信以外凡位。述謙下言。更不
>可云入道位。故信外之言。又順此義。軽毛之譬。云通信外。強無咎歟。十信之位。猶如軽
>毛。況信外哉。唯可等者。懃心安心。奉法起行。畢命為期四修之中。挙長時修摂余三修。
>捨身者。明往生益。即証等者。即顕証理。言法性者。是則真如。亦是実相。言常楽者。常
>者即是無量寿体。楽者即是安楽之義。即又法性。聖道浄土二門雖殊。得脱之道共証此理。
>而聖道門。於此土中即身悟之。浄土之教。依仏願力。生彼土後得此証也。
>--------------------------------------------------------------------------------
>次に大師の釈、所引に二あり。その初の文は、『観経玄義』序題門の釈なり。初に「弘願」
>より終り「縁也」に至るまで、第二巻の鈔新本の解の如し。「又仏密意」とは、二尊の意
>を含む。もし弥陀に約せば、これ如来の智慧の深広なることを顕わす。『大経』に説くが
>如し。「如来の智慧海は深広にして涯底なし。二乗の測る所にあらず。唯仏のみ独り明了
>なり」已上。もし釈迦に約せば、これ一代出世の大事を顕わす。その大事とは、衆生をし
>て極楽に往生せしめ、仏の知見に入りて、即ち法性の常楽を証せしめんが為なり。「教門
>暁りがたし」とは、八万の諸教は教行まちまちに分れて、出要を求むる類は、おのおのこ
>れを行ぜしめんと欲するに、権実・浅深・難易・堪否、凡夫はこれに依りて迷い易く解り
>難し。もし解了せずば、恐らくは輙く真実の信心を生じ難し。「三賢」等とは、窺わざる
>に二あり。一には人に約す。下人は上人の智を測らず。二には理に約す。「ただ仏と仏と
>のみ乃ち能く究竟す」というが如きの故なり。「況我」等とは、その内証をいうに、仏地
>に居すといえども、同じく凡惑を示して下機を引導する卑言なり。「信外」というは、こ
>れに二義あり。一にはこれ十信外凡の位を指すが故に、これを信外という。「軽毛」とい
>うは、『仁王経』等に十信を指すが故に。二にはこれ十信以外の凡位を指す。謙下の言を
>述ぶるに、更に道位に入るというべからず。故に信外の言は、またこの義に順ず。軽毛の
>譬は信外に通ずというに、強ちに咎なきか。十信の位は猶し軽毛の如し。況んや信外をや。
>「唯可」等とは、「勤心」は安心、「奉法」は起行、「畢命為期」は四修の中に、長時修
>を挙げて余の三修を摂す。「捨身」とは往生の益を明かす。「即証」等とは、即ち証理を
>顕わす。「法性」というは、これ則ち真如、またこれ実相なり。「常楽」というは、「常」
>は即ちこれ無量寿の体、「楽」は即ちこれ安楽の義、即ちまた法性なり。聖道・浄土の
>二門は殊なりといえども、得脱の道は共にこの理を証す。而に聖道門は此土の中に於いて
>即身にこれを悟る。浄土の教は、仏願力に依りて、彼の土に生じて後にこの証を得るなり。
>--------------------------------------------------------------------------------

(つづく)

●re.99
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2625 ] Re99:教行信証・学習ノート8 2011/12/22 (Thu) 02:33 △up ▽down
(つづき)

  次に善導大師の釈であるが、引用は二つあつ。その初めの文は、『観経玄義』序題門
  の釈である。初めの「弘願」から終わりの「縁也」に至るまでは、第二巻の鈔新本の
  解のとおりである。


  「又仏密意」とは、二尊の意(こころ)を含む。もし弥陀についていえば、これは如来
  の智慧の深く広いことを表すものである。『大経』に説くとおりである。「如来の智慧
  の海は深くて広く、岸も底もない。二乗(声聞乗と縁覚乗)の推し量ることができない
  ものである。ただ仏だけが、独りはっきりとわかっている。」もし釈迦についていえ
  ば、これは釈迦が一生にわたってこの世にお出ましになった大事を表すものである。
  その大事とは、衆生を極楽に往生させて、仏の知見に入って、そのまま法性の常楽を
  証させようとすることである。


  「教門では理解しがたい」というのは、八万の諸教は「教と行」がまちまちに分れて
  いて、生死から出離したいと願う類は、それぞれにこれを行じようと思っても、権(か
  りそめ)と実(まこと)、浅と深、難と易、堪(すぐれている)と否(おとっている)など、
  凡夫には迷いやすく、解りにくいということである。仮にそれをよく理解しなかった
  ら、恐らくはたやすく真実の信心を生じがたい。

  WikiArc
    出要
      生死を出離すること。また、生死を出離するためのかなめの道。
      さとりへの道。
    権実
      権とは、一時的なかりそめのてだてとして設けたもの。真実の教(実教)に入
      らしめるために、一時的に方便として仮に説かれた教(権教)。実とは、永久
      不変の究極的な真実のもの。真実の教(実教)。

  日本国語大辞典
    堪否(かん‐ぷ)
      物事を処理する能力があるかないかということ。才能があるかないかという
      こと。堪能か不堪かということ。かんぴ。


  「三賢・・・」等については、思うに二つがある。一つには人についてである。下人
  は上人の智を量り知ることがない。二つには理(ことわり)についてである。「ただ仏
  と仏とのみが、きわめ尽すことができる。」というようなものだからである。「況我
  ・・・」等とは、その内証(仏の秘められた意)を述べるにあたって、(自分は)仏の境界
  にあるものの、(みなと)同じく凡夫の惑いのあることを示して、下機を引導するため
  のへりくだった言葉である。「信外」については、これに二つの義(考え方)がある。
  一つには、十信・外凡の位を指すので、これを信外というというものである。「軽毛」
  というのは、『仁王経』等で(その言葉が)十信を指しているからである。二つには、
  十信以外の凡位を指すというものである。へりくだった言葉を述べるときは、ことさ
  らに道位(菩薩の位)に入るというべきではない。だから、信外の言葉も、またこの義
  (考え方)に順ずるものである。軽毛のたとえは信外に通ずるといっても、あながちに
  間違いではないだろう。十信の位は、やはり軽毛のようなものである。ましてや信外
  はなおさらである。

  WikiArc
    内証
      内に証明されたさとり。
    仏地
      仏の境界。
    凡惑
      凡夫のこと。
    十信
      菩薩五十二位の修行階位のうちの最初の十段階。 『瓔珞経』では、信心・念心
      ・精進心・定心・慧心・戒心・回向心・護法心・捨心・願心の十を説くが、
      『梵網経』等では別の説を立てる。
    外凡
      十住・十行・十回向の三賢位の賢者を内凡というのに対し、十信以下の善悪
      の凡夫を外凡という。
    道位
      菩薩の位。


  「唯可・・・」等について、「勤心」は安心、「奉法」は起行、「畢命為期」は四修
  のなかで長時修を挙げて、それに他の三修を含ませている。「捨身」とは往生の利益
  を明らかにしている。「即証・・・」等とは、証理を表すものである。「法性」とは、
  真如、あるいは実相である。「常楽」について、「常」は無量寿の体、「楽」は安楽
  の義であり、また法性である。聖道門と浄土門の二門は、それぞれ異なってはいるが、
  得脱の道は、どちらもこの理(ことわり)を証するものである。しかし、聖道門は此の
  土のなかで生身の体にこれを悟る。浄土の教は、仏願力にたよって、彼の土に生じた
  後にこの証を得るのである。

  WikiArc
    安心
      心を一処に安置して不動なこと。善導大師は『礼讃』に、起行、作業に対し
      て願生の信心を確立することを安心といわれた。
    起行
      実践すること。行為。安心、作業に対する語。安心(信心)にもとづき、
      身・口・意の三業に起す五念門、または五正行をいう。
    作業
      行業を作すこと。安心・起行に対する語で、五念門あるいは五正行等の修し
      方のこと。すなわち、恭敬修・無余修・無間修・長時修の四修を指す。
    四修
      浄土教において行を修める四つのしかた。
        1.恭敬修。阿弥陀仏とその聖衆を恭敬礼拝すること。
        2.無余修。専ら仏の名を称え他の行いを雑えないこと。
        3.無間修。行を間断させず、また煩悩をまじえないこと。
        4.長時修。恭敬修・無余修・無間修を命終るまで修めつづけること。

  日本国語大辞典
    証理
      仏語。普遍的な真実の理法をはっきりとさとること。
    得脱
      仏語。生死の迷いを脱して、さとりを得ること。煩悩を断って迷いの苦を
      のがれること。
    即身
      仏語。なま身の体。この身このまま。



《 返信フォーム》

なまえ
住所
性別
メアド(任意) (掲示板上では非公開。届いたメールに返信して、はじめて相手の方にアドレスが伝わります。)
サイトのURL(任意)
投稿タイトル
メッセージ
パスワード (記事を編集する際に必要です。)


p.ink

(C) 2007- Mainichi no Jodoshinshu All rights reserved