浄土真宗の教義について

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●No.152
唯物信者
海外の男性

↑唯物信者様宛にメール
[ 2472 ] 宿善/無宿善の判断は? 2011/06/15 (Wed) 00:49 △up ▽down

宿善とは過去世での善行の積み重ね(=累計)だと。
されば、自分で、自分のそれはどちらか?はどう判断すべきか?

また、法の側からはどう判断するのでしょうか?

もし、無宿善とならば、一切の救いはなくなるのでしょうか?

18願の但し書きに、「唯除五逆誹謗正法」と蓮師の誹謗を避けるための抑止
からきたのではと考えますが?

もし、これで、一切の救いの道が閉ざされるとあらば、余りにもムゴイではありませんか?

阿弥陀様はどんな悪人でも救うと断言されておられるのに。

●re.1
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2475 ] Re1:宿善/無宿善の判断は? 2011/06/15 (Wed) 18:56 △up ▽down
唯物信者様、こんばんは。

私は、その昔、恩師から「宿善・無宿善は結果論だ」と聞いたことがあります。つまり、
結果的にこの法を聞くことができれば宿善があり、聞くことができなければ宿善がなかっ
た、ということになるのだと言うのです。

私も、その昔、この法のまわりをうろうろしていていたときに、「宿善がなければこの法
を聞くことができない」と聞いて、とても不安になりました。はたして、私には宿善があ
るのか、ないのか。もし、宿善がないのなら、何をしても無駄ではないか、と。

しかし、今になって、そのカラクリが理解できます。

もし、その人が、この法に縁のある人の近くまできて、「何が何でもこの法を聞きたい。
今生でこの法を聞くことが、後生の一大事だ。もともと悟って仏になれない身の上なら、
仏にすがって仏になる法を聞くほかないではないか。」と心から思えるようなら、その人
は、結果的に宿善(宿縁)があったといういうことになるのだと思います。

もし、そのように心から思えないようなら、その人は、結果的に宿善(宿縁)がなかった
と言わざるをえない、ということなのだと思います。

つまり、実際上は、「この法を聞けるも聞けないもその人次第だ」と言っていることと、
「宿善(宿縁)がなければこの法を聞くことができない」ということは、まったく同じ
意味になります。

こころからこの法を聞きたいと思っている人がその縁を手繰り寄せたときに、「おまえは
まだ宿善(宿縁)がない」と言って拒絶されてるわけはないのです。仏は、さまよう衆生
をみて、その悲しさに涙を流しているのだそうですから・・・。

もちろん、唯物信者様もおっしゃるように、仏は最後にはすべての衆生を救うと約束され
ました。しかし、それは、「海の水を柄杓で一杯ずつすくい続ければ、最後には海の水を
すべてすくい取ることができる」というような気の遠くなるようなプロセスを経ることに
よって実現することなのだそうです。

だから、もし今生でこの法を聞けなければ、また気の遠くなるような果てしない歳月を
流転し、縁をつないで、再び人間界に生まれてこなければ、この法を聞くことができない
というわけです。

「宿善」と「宿縁」は同じことです。「宿る善」であり「宿る縁」です。この場合の「善」
を単に世間的な「善い行い」と考えないほうがよいかもしれません。仏法では、この法に
近づくことが善で、遠ざかることが悪です。この法に近づけてくれる人が善人で、遠ざけ
る人が悪人です。世間的な善人・悪人とは異なります。

仏法に縁をつなぐことが善で、縁を断ち切ることが悪です。「縁は大事にしたいものです
ね」というのは、そういう意味です。

この法に近づくのもその人次第だし、遠ざかるのもその人次第です。この法に近づく人は
宿善(宿縁)があり、遠ざかる人は宿善(宿縁)がなかったという結果論になるわけですね。

南无阿彌陀佛

●re.2
唯物信者
海外の男性

↑唯物信者様宛にメール
[ 2476 ] 明確な回答でスッキリ 2011/06/15 (Wed) 12:12 △up ▽down

ボン様

早速、明確なご回答感謝します
不安がなくなり、スッキリしました

>「宿善・無宿善は結果論だ」つまり、
結果的にこの法を聞くことができれば宿善があり、聞くことができなければ宿善がなかっ
>た----------->コレで救われた感です。

>「何が何でもこの法を聞きたい。
今生でこの法を聞くことが、後生の一大事だ。もともと悟って仏になれない身の上なら、
仏にすがって仏になる法を聞くほかないではないか。」--------->今、この心境です。

ボン様の投稿文が私にとっては、一番解りやすく、心にフィットします。
これからも、よろしくご指導ください。

感謝!

南無阿弥陀仏



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