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[ 2452 ] 阿頼耶識とは?
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2011/05/27 (Fri) 23:17
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初めまして、初めての書き込みです。
一年間浄土真宗の通信教育を受けまして、ようやくその入り口に辿り着いたかどうか?といったところです。
ネットでも勉強できる場所を発見でき、喜んでいます これも、ご縁でしょうか? ご同行の皆様これから教えてください。よろしくお願いします。
六道/輪廻転生が信じられず、入り口から中へ入れません この世の唯物論世界の洗脳のためか、死んで灰で終了の世間説になってしまいます。
釈尊がいわれた阿頼耶識と輪廻の関係がいまひとつ理解できません。 ヨーガのアートマンのように、絶対に不変的存在ではなく、阿頼耶識は滝の如く常に変る(諸行無常、諸法無我)と説かれていますが、もっと具体的に現在語で教えてください
三世は過去の生命誕生から永遠と受け継がれてきたDNAが精子と卵子の結合の結果子孫誕生で来世に受け継がれると解釈できないでしょうか?
科学の限界や欠陥も理解してるつもりですが、煩悩具足に解らせるには、証拠不足のように思えます。
まだまだ別の疑問がありますが次回にさせていただきます。煩悩一杯の人間ですが、現在社会=娑婆との関係から説いたほうが、理解されやすいのではないかと思います。
よろしくお願いします
こんな私ですが、毎日、阿弥陀様には救われますようにお願いしてます。
南無阿弥陀仏
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[ 2455 ] Re1:阿頼耶識とは?
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2011/05/27 (Fri) 16:15
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初めまして、酒天童子といいます。
唯物論者さん、は「唯物論者」と仰られていますが、内容から拝見するに、むしろ「唯物信者」と呼べるのではないかと思います。 というのは、論者というからにはそれなりの論拠があって主張されるべきであって、書き込みを見る限りはそれほどの論拠を研究されたうえでの結論であるようには見えないからです。(間違っていたら、ごめんなさい)。
それで、勝手にそうだと解釈して話を進めますが、もし、唯物論者さんが科学的にものを考えられる方でしたら、
「あの世」からの帰還―臨死体験の医学的研究 [単行本] マイクル・B. セイボム (著), Michael B. Sabom (原著), 笠原 敏雄 (翻訳)
あるいは
あなたは死なない―「魂の科学」が人生を変える [単行本] イアン カリー (著), Ian Currie (原著), 戸方 和子 (翻訳)
などを読んでみたらいかがでしょうか? これらの本には、科学者が真剣に死後の世界というものと向き合っている姿勢が見られます。
また、哲学的な思考が苦痛でないならば、
古くは ソクラテスの弁明・クリトン (岩波文庫) [文庫] プラトン (著), 久保 勉 (翻訳)
比較的最近では
人智学・心智学・霊智学 (ちくま学芸文庫) [文庫] ルドルフ シュタイナー (著), Rudolf Steiner (原著), 高橋 巖 (翻訳)
などは如何でしょうか。 ソクラテスについては弁明が有名ですが、むしろクリトンあるいはパイドンに死後の生についてのソクラテスの考証がでてきています。 また、シュタイナーは人智学の冒頭で理論的に人間の本質的な魂というものに対しての考察をしています。
さらに唯物論者さんが多少の神秘主義にもアレルギーがないようであれば
神智学大要〈第4巻〉コーザル体(上) トランス・ヒマラヤ密教叢書 改訳決定版 [単行本] アーサー・E. パウエル (著), 仲里 誠桔 (翻訳)
などは、いたって詳細に死後も遍歴を続ける人間の本質について語られています。 これは全部で5巻でていますから、順番に読まれてもよいとは思いますが、第四巻が一番読みやすいうえに、唯物論者さんの疑問に答えているかと思います(阿頼耶識についての記述もあります)。
それはさておき、私たち人間が同じく「自意識」というものを持ちながらも、不平等(身体的、経済的)な生い立ちをしてくるという事実に対して、それを単なる偶然の産物であると片づけてしまったら、あまりに不公平な気がしませんでしょうか。
私たちの心の中のどこかに、自分に嫌なことをした人がいたら、その人になんらかのばちが当たると報われる、という気持ちはないでしょうか。
これが私たちの自意識であり、輪廻や因果応報のもとになっているとは考えられないでしょうか。
とりあえず、敢えて仏教から離れたところから、アプローチしてみました。
なぜなら、仏教では輪廻転生はあまりに当たり前に説かれていて、参考にならないと思ったからです。
南無阿弥陀仏
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[ 2456 ] 唯物信者へ変更
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2011/05/27 (Fri) 23:18
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酒天童子さん、はじめまして、コメント有難うございます。
仏法かじったばかりの初心者が投稿したのは間違いではないかと恐ろしくも感じています。
それに、外国暮らしで、ネット以外は情報が得にくいハンデーがあります。 本のご推薦有難うございました。次回一時帰国の際に購入します。
皆様とはレベルが違い、ついて行くのは大変ですが、できるだけ、がんばります。 <迷いと不安>の世界からの脱出も大変ですね。
15年前、早期退職後、日本から脱出した時も大変でした。 文化も生活も全く違う世界------世間と全く違う真宗の世界----なんだか似たような?
日本ではお釈迦様、親鸞さん、浄土真宗は多くの日本人には馴染みですが、こちらでは ブッダ以外は全く知られていない土壌で生活し考えています。
世間にどっぷり浸かった<唯物信者>も諸行無常で変わっていくかも。
幼稚な質問しかできませんが、よろしくお願いします
合掌
南無阿弥陀仏
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[ 2458 ] Re2:阿頼耶識とは?
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2011/05/28 (Sat) 03:37
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唯物論者様、はじめまして。
唯物論者様が、偶然にもこのホームページに辿り着いて、書き込みをいただいたのも何か のご縁かと思います。私もこの毎日様のページに辿り着いて、書き込みをさせていただい ているのは、唯物論者様とまったく同じです。
私は、ついこのあいだまで阿頼耶識という言葉の存在すらしりませんでした。それで少し は阿頼耶識という言葉について調べてみたのですが、いまだに何のことだかよく解りませ んので、残念ながら唯物論者様のご質問にお答えすることはできません。
しかし、せっかくおいでいただきましたので、ご質問に直接お答えするというのではなく、 私の感じるところを少し述べさせていただければと思います。
まず、唯物論者様は、ご自分のことを「唯物論者」と名乗っておられますが、決して正真 正銘の「唯物論者」ではないと思います。唯物論者様は、仏法を一生懸命に勉強しておら れて、できることならそれを信じたいと思っておられます。しかし、どうしても信じきる ことができないのですよね。
その信じられない根っこの部分に唯物論的発想があると自覚しておられているものだから、 自分に対する自嘲的表現として「唯物論者」と名乗っておられるのですよね。これは、私 自身がそのようなタイプの人間なのでよくわかります(誤解ならお許しくださいね)。
正直に申し上げます。実は私も半信半疑なのです。「そんなことをいってるから、お前は だめなんだ」と誰かにしかられそうですが、「一部の疑念もないのか」と問われれば、決 してそうとは言い切れませんので、やはり「疑いなく信じる」という状態ではないのです。
誤解のないように申し上げますが、ここの掲示板に登場される皆様がすべて私と同様だと 言っているのではありません。とても信心深い方がたくさんおられて、とても尊敬してい るのですが、私自身は「心から疑いなく信じる」という状態がよくわかっていないのです。
そういう前提で申し上げるのですが、そもそも「信じる」とか「疑う」とかいうのはどう いうことなのか、ということからして問題なのだと思います。
唯物論者様は「六道/輪廻転生が信じられず、入り口から中に入れません」とおっしゃい ました。そして、それを信じるためにいろいろと仏法の勉強をなさったのではありません でしょうか。
しかし、私が思いますに、「これこれこうだから、こうだ」と論理的に追い求めたすえに、 それが最後に「信じる」ことにつながるかといったら、それはそうならないと思うのです。 論理的に追い求めたすえに辿り着くところは「信心」ではなくて「悟り」ではないでしょ うか。
自らの力で「悟り」に辿り着くのであれば、それは「自力の悟り」ということですよね。 もちろん「他力が良くて、自力が悪い」と一概にいうつもりはありません。仏法には無数 の法門があるといいます。自力でも、他力でも、最後には仏になる方法を仏法というのな ら、何がいいも悪いもありません。しかし、自力で悟りを開いて仏になるのは気の遠くな るような話しで、とても人間業ではありません。
酒天童子様が、あえて無理難題と思えることを突きつけたのも、「理解」という道を貫い て「悟り」に至るのは並大抵のことではないということを、別の表現でおっしゃったので はないかと理解しております。(誤解ならごめんなさいね^^)
ともあれ、いろいろ勉強して「理解したから信じる」というのは言葉の表現として矛盾し ています。「理解」と「信心」とは相反する言葉です。
赤ちゃんは、無前提に親を信じています。親の存在を「理解」したうえで信じたわけでは ありません。親が自分を守ってくれると信じて抱きついている。これが「信じる姿」なの ではないでしょうか。
親がこければ自分も怪我をするし、親が間違って毒を食わせれば死んでしまいます。死な ばもろとも、というやつです。信じるというのは理屈抜きですよね。
余談ですが、銀行が「担保」を取って融資するのを「信用」というのも矛盾してますね。 信用していたら担保は要らないですよね。
それはさておき、仏教に限らず宗教というのは、突き詰めるところ、信じるか信じないか の世界ですよね。所詮、人知を超えたレベルのことを問題にしているわけですから、どん なに勉強して知識を仕入れたところで、あげくのはてに「そんな見たこともないものを信 じられるか」となったら、それまでのことです。
だとしたら、どうしても信じられない人間はどうしたらいいのかということになります。 これは、とても突き放した言い方のようですが、「縁」というほかないような気がします。
唯物論者様とこの掲示板でお話できたたのも、何かのご縁かと思います。 「縁」は大事にしたいものですね。
取り留めのない話で。失礼いたしました。
南无阿彌陀佛
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[ 2459 ] Re3:阿頼耶識とは?
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2011/05/28 (Sat) 03:38
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唯物論者様
うかつでした。「唯物信者」にお名前を変更されていたのですね。失礼しました。
ただ、唯物論(信)者様は、唯物論を信じているとは思えませんので、それは 不適切かと思いますが、いかがでしょう。
私のような、どっちつかずの半端者よりも、自分は唯物論者だという開き直りの ほうが、いさぎよい感じもしますが・・・。
南无阿彌陀佛
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[ 2460 ] やっと味方が来てくれた
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2011/05/28 (Sat) 05:08
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ボン様
ボン様が出てきてくだされホットしました 私は唯物論者を名乗るような資格もない唯物信者だと言われれば、小心ものの私は恐れてしまい早速、おっしゃるように、<唯物信者>と改名するなさけない男です。
この掲示板の半分程読みましたが、ボン様がもっとも、御自分の心に正直ですね。 私の感性に一致します。一番理解でき、共感しました。
また初めての私の書き込みをこれほど深く理解していただき感謝してます。 なかなか、自分の心を正直に表現するのも難しいですね。 ややもすれば、エエカッコしたくなります。
赤子と親の関係の話に感激しました-----正にこの関係が<信>ですね! 泥凡夫様がよく言っておられる<信>に難しい理論や高度な知識は不要だとはまさにボン様ご指摘のこの話ですね。=赤子(=人間)と親(=阿弥陀様)との関係に置き換えたら <信じる>とはこれだ!!-----と直感しました。
ボン様有難う!! この話感激です。大きく前進できそう!!
これからもご指導ください。
感謝!! 南無阿弥陀仏
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[ 2462 ] Re2:やっと味方が来てくれた
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2011/05/28 (Sat) 05:15
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ボン様
ボン様が出てきてくだされホットしました 私は唯物論者を名乗るような資格もない唯物信者だと言われれば、小心ものの私は恐れてしまい早速、おっしゃるように、<唯物信者>と改名するなさけない男です。
この掲示板の半分程読みましたが、ボン様がもっとも、御自分の心に正直ですね。 私の感性に一致します。一番理解でき、共感しました。
また初めての私の書き込みをこれほど深く理解していただき感謝してます。 なかなか、自分の心を正直に表現するのも難しいですね。 ややもすれば、エエカッコしたくなります。
赤子と親の関係の話に感激しました-----正にこの関係が<信>ですね! 泥凡夫様がよく言っておられる<信>に難しい理論や高度な知識は不要だとはまさにボン様ご指摘のこの話ですね。=赤子(=人間)と親(=阿弥陀様)との関係に置き換えたら <信じる>とはこれだ!!-----と直感しました。
ボン様、有難う、感謝してます!! この話大感激です。自分の中にあった障壁のひとつが取れました。大きく前進できそう!!
これからもご指導ください。
感謝!! 南無阿弥陀仏
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