浄土真宗の教義について

新規スレッド作成タイトル一覧表示ログ検索ホームへ
  《prev 145 next》
・選択したスレッドを表示しています。返信は▽downのフォームからどうぞ。
(「メール送信」ボタンを押すと、書き込み作者宛にメール送信ができます。ヘルプ)(「編集」ボタンで記事の編集ができます。)
 
●No.145
求道者
四国の男性
[ 2135 ] 教行信証文類随聞記について 2010/09/25 (Sat) 23:44 △up ▽down
此の信と云ふも、自性の物柄を云と、心を掃除して清からしむるなり。心は心王なり。清からしむとは、心が澄んで奇麗になる。其れが信と云ふ物柄なり(『教行信証文類随聞記』)

未聞の前は、機も法も濁り果てて、自身をも見限り詰めることも出来ずにありた者が、仏願の機法を聞て、心が澄んで来る。此れ信心の模様なり。心の澄浄なるが信の自性なり(同上)

このお聖教にかなう信心を得ている人は一人もいないでしょう。
第一、信心を決定するということは他力回向を受けて白道に乗るということですから、三業が浄化されないなんてことはありえません。私は妙好人の時代以来、信心を決定する人は出てきていないと思います。今の時代は教学と遠忌、葬式、法事だけになり、信心を得る人が出ていないと思われます。

獲信すれば親鸞聖人と同じように自分を殺しに来た相手にも「御同行、御同朋」と迎えられるはずです。当然、そんな人は一人もいないですね。

●re.1
菩提心
非公開の非公開
[ 2138 ] Re1:教行信証文類随聞記について 2010/09/26 (Sun) 08:33 △up ▽down
求道者様

初めまして。


求道者様は信心決定したいのですか?

したくないのですか?


人の信心を疑うより、まず御自身が信心決定されることの方が先決です。

おのずと、信心決定するとそのような質問も出なくなってくると思います。

煩悩具足の凡夫ですから、疑いは消えませんが、

しかし信心決定したかどうかの疑いは無くなります。


南无阿彌陀佛



《 返信フォーム》

なまえ
住所
性別
メアド(任意) (掲示板上では非公開。届いたメールに返信して、はじめて相手の方にアドレスが伝わります。)
サイトのURL(任意)
投稿タイトル
メッセージ
パスワード (記事を編集する際に必要です。)


p.ink

(C) 2007- Mainichi no Jodoshinshu All rights reserved