浄土真宗の教義について

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●No.143
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2002 ] 報土について 2010/07/23 (Fri) 14:46 △up ▽down
皆様、こんばんは。

最近、活発なお話がこの掲示板に行き交い、とてもうれしく思います。
ところで、先に私は、以下のように書き込みをいたしました。

>「報土」とは「報いの土」ということですから、その言葉自体に現世も来世もないのでは
>ないでしょうか。

>現世もその人の「報いの土」であるし、来世もその人の「報いの土」ではないでしょうか。
>その人の行いが「因」となって、その「果」として、その人の「報いの身と土」があるの
>ですよね。

これは「報土」の国語的な解釈としては間違っていないと思いますが、聖典を読むにあた
ってはそれでは不十分だと思いましたので、補足をいたします。

聖典では、「報土」という言葉は、単なる「報いの土」というのではなく、「仏願に対す
る報いの土」または「仏願が報われた結果としての土」となっているようです。つまり、
「悪い行いに対しての報いの土」という意味合いはなさそうです。あくまでも、「仏願に
対する・・・」ということに限定して使われています。以下、引用します。

--------------------------------------------------------------------------------
それ報を案ずれば、如来の願海によりて果成の土を酬報せり。ゆゑに報といふなり。しか
るに願海について真あり仮あり。ここをもつてまた仏土について真あり仮あり。(真土巻)
--------------------------------------------------------------------------------
すでにもって真仮みなこれ大悲の願海に酬報せり。故に知りぬ、報仏土なりということを。
良に仮の仏土の業因千差なれば、土もまた千差なるべし。これを方便化身化土と名づく。
真仮を知らざるに由って、如来広大の恩徳を迷失するなり。これに因って、いま真仏真土
を顕す。(真土巻)
--------------------------------------------------------------------------------

ここに「仏願に対する報い」として「仏土」があると述べられています。(ちなみに、私た
ち念仏行者は、念仏の功徳として、「仏願に対する報いの仏土」を分けていただくのだと
思います。)ただし、その「仏願に対する報いの仏土」をすべて「報土」というのかといえ
ば、実はそうではないようです。

その仏土には「真」と「仮」があり、「仮の仏土」は「方便化身化土」であり、もう片方、
真仮の真は、「真仏真土」であるとしています。そして、この「方便化身化土」は、胎生
とか、辺地とか呼ばれていますが、それが「報土」ではないことは、次の文言より明らか
です。

--------------------------------------------------------------------------------
胎生辺地は報土の相にあらず。今「正覚華化生」というは正しく報土の相なり。
(六要鈔・行巻)
--------------------------------------------------------------------------------

つまり、「化土」は「報土」ではないということが、ここで明らかです。そして、「報土」
は「正覚華化生」、つまち、「正覚」の華の上に「化生」することだと述べられています。
「正覚」というのは「仏のさとり」ということですすから、「報土」に生まれれるという
のは、「仏のさとり」の境地に化けて生まれることだ、ということになります。

ところで「仏のさとり」は、あの世に行ってはじめて開かれるものであることは、以下の
文言によって明らかです。

--------------------------------------------------------------------------------
煩悩具足の身をもつて、すでにさとりをひらくといふこと。この条、もつてのほかのこと
に候ふ。(中略)「浄土真宗には、今生に本願を信じて、かの土にしてさとりをばひらく
とならひ候ふぞ」とこそ、故聖人(親鸞)の仰せには候ひしか。(歎異抄)
--------------------------------------------------------------------------------

つまり、聖典の文言にしたがえば、「報土」は“基本的には”来世である、ということに
なります。したがって、迂闊にも私が「その言葉(報土)自体に現世も来世もない」と述べ
たのは、不正確な表現であったと反省しております。

訂正してお詫び申し上げます。

南无阿彌陀佛

●re.1
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2004 ] Re1:報土について 2010/07/24 (Sat) 02:10 △up ▽down
皆様、こんばんは。

自己レスです。
前の書き込みで、「報土が来世である」論拠の一部に、以下の文言を取り上げましたが、
これですと「来世が報土である」ことの論拠にしかなっていないことに気がつきました。
論理的には“逆もまた真”とは言えない場合があるからです。つまり「来世が報土」だか
らといって、「報土が来世」とは限らないという、単純な論理です。

--------------------------------------------------------------------------------
胎生辺地は報土の相にあらず。今「正覚華化生」というは正しく報土の相なり。
(六要鈔・行巻)
--------------------------------------------------------------------------------

そこで、「報土が来世である」ことの論拠を探してみました。

--------------------------------------------------------------------------------
純一の報土は一向の化生なり。仮に華合と説くは、これ即ち胎生なり。化土の相に約す。
(六要鈔・信巻)
--------------------------------------------------------------------------------

先の引用は「化生は報土」となっていますが、ここでは「報土は化生」となっています。
これで“逆もまた真”であると言えるかと思います。

この際ですから、「報土」が「来世」であるとする文言をまとめて引用してみます。

--------------------------------------------------------------------------------
西方の安楽・阿弥陀仏はこれ報仏報土なりと。(真土巻「玄義分」)
--------------------------------------------------------------------------------

「西方の安楽・阿弥陀仏」は、現世ではなく、来世かと思います。そして、これが報土だ
と言っています。

--------------------------------------------------------------------------------
『浄土論』には土を説きて名づけて「蓮華蔵世界」という。同じき論にまた土の相を説き
て「究竟如虚空」という。これ真実報土の相なり。(六要鈔・化土巻)
--------------------------------------------------------------------------------

六要鈔に「問う、得入蓮華蔵世界とは、これ何の土なるや。答う、極楽を指すなり」と
ありますから、「蓮華蔵世界」は来世ということになります。また、「究竟如虚空(究竟
して虚空のごとし)」というのも来世を指すものと思います。そして、これが報土のすが
ただと言っています。

--------------------------------------------------------------------------------
弥陀如来の利益のことにすぐれたまへることは、煩悩具足の凡夫の界外の報土に生るるが
ゆゑなり。(持名鈔)
--------------------------------------------------------------------------------

「界外の報土」と言っています。「界」とは「三界」を指すようです。したがって「界外」
とは「三界の外」、言い換えると「衆生が生死流転する迷いの世界の外」となります。
つまり「界外の報土」とは「この世のものではない報土」となります。

--------------------------------------------------------------------------------
ここに弥陀如来、無縁の慈悲にもよほされ、深重の弘願を発して、ことに罪悪生死の凡夫
をたすけ、ねんごろに称名往生の易行を授けたまへり。これを行じこれを信ずるものは、
ながく六道生死の苦域を出でて、あまつさへ 無為無漏の報土に生れんことは、
不可思議のさいはひなり。(持名鈔)
--------------------------------------------------------------------------------

「無為無漏の報土」と言っています。「無為」とは「有為」に対する言葉で、生滅変化を
超えた常住不変の真実のことで、涅槃の異名とされていますから、これは現世ではなく、
来世と思います。「無漏」とは「有漏(煩悩)」に対する言葉で、煩悩に全く汚されていな
い清浄な状態を言いますから、これも現世ではなく、来世と思います。つまり、ここでは
「来世の報土」と言っているわけです。

--------------------------------------------------------------------------------
人中・天上の果報なほもつて五戒・十善まつたからずは、いかでか望みをかけんや。
いかにいはんや、出過三界の無漏無生の報国・報土に生るる道理あるべからず。(改邪鈔)
--------------------------------------------------------------------------------
ひとすぢに阿弥陀仏のちかひを仰ぎて、念仏して疑ふこころだにもなければ、かならずか
ならずただいまひきいらんずるとき、阿弥陀仏、目のまへにあらはれて、罪といふ罪をば
すこしものこることなく功徳と転じかへなして、無漏無生の報仏報土へ率てかへらせおは
しますといふことを、釈迦如来ねんごろにすすめおはしましたることを(自力他力事)
--------------------------------------------------------------------------------

「無漏無生の報国・報土」「無漏無生の報仏報土」と言っています。「無漏」は先に述べ
たとおりですが、「無生」とは「不生不滅」のことですから、これも現世ではなく、来世
と思います。ここでも、「来世の報土」と言っているわけです。

--------------------------------------------------------------------------------
戒行・慧解ともになしといへども、弥陀の願船に乗じて、生死の苦海をわたり、報土の岸
につきぬるものならば、煩悩の黒雲はやく晴れ、法性の覚月すみやかにあらはれて、
尽十方の無碍の光明に一味にして、(歎異抄)
--------------------------------------------------------------------------------

「報土の岸」に着いたら、煩悩がなくなり、法性が現れると書いています。いかにこの法
に縁があったとはいえ、現世では、煩悩まみれで、法性は隠れているものと思います。
したがって、「報土の岸」は、来世と思われます。

--------------------------------------------------------------------------------
かくのごとく阿弥陀如来の光明のうちに摂めおかれまゐらせてのうへには、一期のいのち
尽きなばただちに真実の報土に往生すべきこと、その疑あるべからず。(御文)
--------------------------------------------------------------------------------

「一期のいのち」が尽きたら、報土に往生すると述べています。「一期」とは「一生涯の
こと」ですから、現世を終えて(来世で)、報土に往生する言っていることになります。

--------------------------------------------------------------------------------
「滅度をさとらしむ」と候ふは、この度この身の終り候はんとき、真実信心の行者の心、
報土にいたり候ひなば、寿命無量を体として、光明無量の徳用はなれたまはざれば、
如来の心光に一味なり。(親鸞聖人御消息)
--------------------------------------------------------------------------------

「この度この身」の終わるとき、報土にいたり、と述べています。この度のこの身が終わ
るということは、現世をはなれて、来世に渡ることだと考えられます。そのときに報土に
いたるというわけですから、報土は来世ということになります。

また、報土にいたれば、寿命無量を体として、光明無量の徳用が離れず、如来の心光に
一味となる、と述べています。いかにこの法に縁があったとしても、煩悩具足の身では、
このようなことは不可能かと思います。したがって、報土にいたったところは、あの世
ということになります。

これらの聖典の文言にてらしてみて、報土は来世と考えるのが妥当かと思われます。

南无阿彌陀佛

●re.2
忍草
北陸の男性

↑忍草様宛にメール
[ 2016 ] Re2:報土について 2010/07/26 (Mon) 00:06 △up ▽down
   ボン樣
報土について、  眞佛土巻冒頭に
謹んで眞佛土を按ずれば、「佛」は則ち是れ不可思議光如来なり、「土」は
亦是れ無量光明土なり。然れば則ち大悲の誓願に酬報するが故に、
「眞の報佛土」と曰うなり。と出ていますね。

まず、誓願とは、行巻の終りの前に、
凡そ誓願に就いて、眞實の行・信有り。・・・其の眞實の行の願は諸佛稱名
の願なり。其の眞實の信の願は、至心信樂の願なり。斯れ乃ち選擇本願之行・
信なり。其の機は則ち一切善悪・大小凡愚なり。往生は則ち難思議往生なり。
佛土は則ち報佛報土なり。斯れ乃ち、誓願不可思議一實眞如海なり。
『大無量寿経』之宗致、他力眞宗之正意なり。とはっきり書かれています。

諸佛稱名の願は17願・至心信樂の願は18願ですね。
ならば、17・18願に酬報された報佛土ではないですか。

又、「佛」は則ち不可思議光如来と書かれていますよね。(阿彌陀佛ではない)
如来の意味をご存知ではないのですか。

もし、ボン樣が来世の極樂淨土を指しているのでしたら、ここははっきりと
しておかないといけないので、きつい言葉かも知れませんが「六要鈔」を
やっても大変な間違いを犯してしまいます。
極樂淨土は無為涅槃界、因果のない世界ですよ。当然三界から離れた世界です。
今一度〔1839〕〔1905〕〔1952〕〔1969〕〔1985〕の私の書き込みに目を
通して下さいませんか。私も間違えば謝ったり、訂正させていただいて
いるつもりです。

「教行信證大意」
抑(そもそも)高祖聖人の眞實相承の勧化をききてながれをくまんと
おもわんともがらは、あいかまえてこの一流の正義を心肝にいれてこれを
うかがうべし。中略
その教行信證及び眞佛土化身土と云(いう)は、中略
第五に眞佛土というはまことの身土なり、すなわち報佛報土なり。佛と云は
不可思議光如来、土というは無量光明土なり。是則(これすなわち)第十二、
第十三、光明、寿命の願にこたえてうるところの身土なり。諸佛の本師は
これこの佛なり、眞實の報身はすなわちこの躰なり。以下略

ですから現生だと申しあげるのです。
    合掌 南無阿弥陀仏 南無阿彌陀佛。

●re.3
菩提心
非公開の非公開
[ 2017 ] Re3:報土について 2010/07/26 (Mon) 14:16 △up ▽down
忍草様

>「佛」は則ち不可思議光如来と書かれていますよね。(阿彌陀佛ではない)
>如来の意味をご存知ではないのですか。

如来の意味:覚りを開いた人  真理の体現者  真理より来た人


一実真如の妙理、円満せるがゆえに、大宝海にたとえたまうなり。一実真如ともうすは、無上大涅槃なり。涅槃すなわち法性なり。法性すなわち如来なり。宝海ともうすは、よろずの衆生をきらわず、さわりなく、へだてず、みちびきたまうを、大海のみずのへだてなきにたとえたまえるなり。この一如宝海よりかたちをあらわして、法蔵菩薩となのりたまいて、無碍のちかいをおこしたまうをたねとして、阿弥陀佛と、なりたまうがゆえに、報身如来ともうすなり。これを尽十方無碍光佛となづけたてまつれるなり。この如来を、南無不可思議光佛とももうすなり。この如来を方便法身とももうすなり。方便ともうすは、かたちをあらわし、御なをしめして衆生にしらしめたまうをもうすなり。すなわち、阿弥陀佛なり。この如来は、光明なり。光明は智慧なり。智慧はひかりのかたちなり。智慧またかたちなければ、不可思議光佛ともうすなり。この如来、十方微塵世界にみちみちたまえるがゆえに、無辺光佛ともうす。しかれば、世親菩薩は、尽十方無碍光如来となづけたてまつりたまえり。
(一念多念文意)

上記のような場合は、どのように解釈すればよろしいのですか?

不可思議光佛と不可思議光如来とは違うのですか?

>ボン樣が来世の極樂淨土を指しているのでしたら、ここははっきりと
>しておかないといけないので、きつい言葉かも知れませんが「六要鈔」を
>やっても大変な間違いを犯してしまいます。

随分と上からの目線の書き込みですが、それ程忍草様は「六要鈔」に精通されておられるのですか?

忍草様からすると、私が御縁頂いている善知識様は、色々おられる知識様の中でも浅学の知識様らしいですが、その知識様にお伺いしたことがあります。

「六要鈔」はとても難しいと言われました。
過去、現在色々な学者方でもマチマチの捉え方があるそうです。


存覚上人は釈迦の化身のお方ですから、きっと素晴らしい智慧者なので、難しく現在でも色々な意見が出てくるのでしょう。

大変な間違いは絶対忍草様は犯さないのでしょうか?

信心決定しているから一味同行の立ち場で拝読出来るのでしょうか?
それなら、ボン様も同じ立場の筈ですよね。

時折、凡夫の忍草様と御自分で書かれておられるのですが、「六要鈔」を拝読される時は、智慧博学なのかも知れませんね。

御自身の信じている事は間違いがないと信じているのと、正しい事は違うと思います。

私は頂いた信心が嬉しいので、色々な御著書を拝読させて頂いています。

経典は難しいので、何冊も読んでいるうちに、真宗に出会って有難いと思えるので、益々楽しくなってきます。

そして、真宗のお話を同座で聞いているような感じがします。

明治時代という過去の御著書であっても、真宗の流れは息づいていると感じます。

そんな風な感じで、この掲示板にも書いて頂けませんか?

南无阿彌陀佛

●re.4
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2019 ] Re4:報土について 2010/07/26 (Mon) 23:46 △up ▽down
忍草様、こんばんは。

早速のレスポンスありがとうございます。

報土を来世と考えるのは「大変な間違い」とのご指摘をいただいておりますが、
なぜ、「大変な間違い」であるのかを詳しくお聞かせいただければ幸いです。

私はこのスレッドにおきまして、なぜ報土を来世と考えるかということにつきまして、
聖典の文言を引用して、その引用のひとつひとつにつき、それにたいする私なりの理解の
仕方を示して、それだから、私はこう考えると述べております。

ですから、私の理解の仕方を「大変な間違い」とご指摘いただくのであれば、結論だけを
お伝えいただくのだはなくて、私の理解の仕方のどこが間違っているのかを具体的にお示
しいただきたく存じます。そのようなご指摘をいただけるものと期待して、私は、自分の
理解の仕方のプロセスを具体的に開陳しているのです。

私はこの聖典の内容を正しく理解したいと強く希望しております。ですから、自分の間違
いを詳しく教えていただけることができるならば、この上ない幸いと考えております。
しかし、どこをどう間違っているのかをご指摘いただかないことには、間違いの認めよう
も、その正しようもございません。

また、上の忍草様の書き込みで、「真土巻」「行巻」「教行信證大意」などを引用いただ
いたうえで、「ですから(報土は)現生だと申しあげるのです。」とおっしゃっております。
しかし、上記の引用が、どうして「ですから・・・」となるのか、まったく理解ができま
せん。

もちろん、それは私の理解力の不足から来るものと思いますが、引用と「ですから・・・」
の間に、なぜ「ですから」となるのか、ご説明を入れていただくわけにはまいりませんで
しょうか。私のような愚鈍のものにお話しいただくときは、ぜひとも、懇切丁寧にご説明
いただけますよう、切にお願いを申し上げます。

>今一度〔1839〕〔1905〕〔1952〕〔1969〕〔1985〕の私の書き込みに目を
>通して下さいませんか。

すべて読んでおります。読んでおりますが、十分理解できているわけではありません。
なぜなら、忍草様の文章は、私にとってはとても難解だからです。難解なうえに、ときどき、
「○○と○○の違いがわかりますか」みたいな謎賭けめいた問いかけがまじります。

そのいくつかについては教えを乞うて、解決できた部分もあるのですが、1つを解決して
いる間に、別の課題・疑問が次々と出てくるものですから、整理できていない問題が山と
たまっております。(それも追々ご質問をさせていただこうとは思いますが・・・。)

そういうわけですから、これ以上の課題がたまらないように、ぜひとも、私のようなもの
にもわかり易いご説明をいただければ、ありがたく存じます。

たいへん勝手なお願いではございますが、何卒、よろしくお願い申し上げます。

南无阿彌陀佛

●re.5
菩提心
非公開の非公開
[ 2021 ] Re5:報土について 2010/07/27 (Tue) 06:15 △up ▽down
如来について、追加いたします。

如来の十号

梵語、タターガタの訳で如来とも訳される。
真理(すなわち如)に随って来たり、真如より現れた者、すなわち佛陀のことである。
この上なき尊い者という意味で無上の無上、すなわち無無上ともいわれる。

如来には十の別名があって如来の十号と呼ばれる。

1、応供(おうぐ)・・・阿羅漢ともいう、ふさわしい者の意で、人・天から尊敬せられ、供養せられる資格のあるもの。

2、正へん知(しょうへんち)・・・正しく完全に真理を覚った者

3、明行足(みょうごうそく)・・・天眼・宿命・漏尽の三明の智慧と、身体、言語のおこないとがともに完全であるもの。

4、善逝(ぜんぜい)・・・迷いの世界をよく超えて出て、再び迷いに還らないもの。

5、世間解(せけんげ)・・・世間、出世間のことを悉く知るもの。

6、無上士(むじょうし)・・・世間において最も尊いもの。

7、調御丈夫(ちょうごじょうぶ)・・・衆生をよく調伏制御して涅槃に導くもの。

8、天人師(てんにんし)・・・天と人との師匠。地獄や、餓鬼・畜生などを含めた迷いの世界にあるものすべてを導くことが最も多いから天人師という。

9、佛(ぶつ)・・・佛陀の略称であり、さとられる者、目覚めたもの。

10、世尊(せそん)・・・多くの徳を具えて世間から尊ばれるもの。

以上の十号である。如来の語を含めると十一号となる。ただし如来は総名で、応供以下の十号はその徳を表す徳名とすべきもののようである。
   (仏教学辞典・・・法蔵館より)

南无阿彌陀佛

●re.6
忍草
北陸の男性

↑忍草様宛にメール
[ 2028 ] Re6:報土について 2010/07/29 (Thu) 08:55 △up ▽down
ボン樣
「教行信證大意」を読んでいただけましたか。

特に私が引用した第五節ですが、必要ならば全文書き込みしても
宜しいのですが、ちょっとこの場では長いかなと思いますので
又、私のパソコンには全てルビ付なのでコピ―して転写も前回
の件で、上手くいかなかったので。

具体的にどこの部分のどの単語が理解しづらいのか、指摘して
くださればと思います。

報土に関して以外は後念相続の場で会話しましょう。

又、メ―ルで直接上記の文章を送れるのかもしれませんが。
もし必要ならばそのように連絡下さい。
   合掌  南無阿彌陀佛。

●re.7
忍草
北陸の男性

↑忍草様宛にメール
[ 2029 ] Re6:報土について 2010/07/29 (Thu) 09:01 △up ▽down
ボン樣
「教行信證大意」を読んでいただけましたか。

特に私が引用した第五節ですが、必要ならば「大意」全文書き込みしても
宜しいのですが、ちょっとこの場では長いかなと思いますので
又、私のパソコンには全てルビ付なのでコピ―して転写も前回の件で、
上手くいかなかったので。

具体的にどこの部分のどの単語が理解しづらいのか、指摘して
くださればと思います。

報土に関して以外は後念相続の場で会話しましょう。

又、メ―ルで直接上記の聖教を送れるのかもしれませんが。
もし必要ならばそのように連絡下さい。
   合掌  南無阿弥陀仏  南無阿彌陀佛。

●re.8
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2038 ] Re7:報土について 2010/08/03 (Tue) 00:34 △up ▽down
忍草様、こんばんは。

お返事が遅くなしまして申し訳ありません。

前にも申し上げましたとおり、現在の私の心境としては、「報土は現世か来世か」という
ことにたいして、さほど重要な問題とは思えなくなっているのですが、このスレッドは
私が立てたスレッドですし、なんとなくウヤムヤニなってしまうのもスッキリしませんの
でもう少しお話を続けさせていただければと思います。

忍草様が、「教行信證大意」のなかで「真実の報身はすなはちこの体なり」とかかれてい
ることを根拠として「報土は現世である」とのべていることに対して、私は以下の引用を
して、「体」という言葉が、必ずしもこの世の“生身のからだ”を指すものとは限らない
ということを申し上げました。

>理は即ち教の体なり(六要鈔・教巻より『義疏』)
>仏の名号をもって、経の体とするなり。(行巻より『論註』)
>真如の体にこの差別の相あるというにはあらず。(六要鈔・行巻より『大乗止観』)

これに対して忍草様は、次のように述べられました。

>體(体)・教の体、経の体、意を體せよ、と「身土」「報身はすなわちこの
>体なり」とは〔体〕の使われ方がちがいませんか。

しかし、私は、それぞれの体の字の使われ方が同じであるとか、違っているということを
申し上げているのではありません。ただ単に、「体」の字を使ったからと言って、それが
現世であることの証明にはならないということを、実例を挙げて申し上げただけです。

ですから、忍草様が、もし、「真実の報身はすなはちこの体なり」という記述を持って
「報土が現世である」という根拠とするならば、もう少し説明をしていただく必要がある
のではないかと思います。あるいは、これとは別の角度から説明していただくのでも
よろしいかと思います。

また一方で、私が、[ 2002 ][ 2004 ]で、「報土が来世である」と書いていると思われ
る文言を引いて、その理解の仕方も述べていることにたいしても、コメントをいただきた
いと前にもお願いをしておりましたが、このことにつてはまったく触れていただいており
ません。

私の理解の仕方を「大変な間違い」とおっしゃるのであれば、私の理解の仕方にといて
「ここがこのように間違っている」と具体的にご指摘をいただきたく存じます。
私の考え違いが明らかであれば、ただちに改めます。

どうぞよろしくお願いします。

南无阿彌陀佛

●re.9
極道坊主
中国の男性

↑極道坊主様宛にメール
[ 2039 ] Re8:報土について 2010/08/03 (Tue) 02:30 △up ▽down
皆様、こんばんは。

極道坊主であります。

暫く、書き込みから遠ざかっておりました。 申し訳ありません。

先日、女房の育ての親でもあります、お婆ちゃんが享年95歳で還浄されました。 本来ならば息子が喪主を務めるところですが、その当人も入院中。 代わりに孫娘の婿の自分が喪主を務めてまいりました。

さすがに、葬儀は何度と経験しても「無常観」を感じさせられます。 また、『死』というものを目の当たりにさせられますので、いよいよ『今生で、間に合ってよかった。』という思いが、慶びとして再度再度と湧き上がって下さいます。 勿体無い事だと感じます。

また、数々のご縁にも逢う事が出来ます。 色んな方の姿を借りて、佛に依ります御育てを蒙るのでしょう。 有り難いですね。(葬式を楽しんでいる感がありますか?)


ボン様

別スレッドでご質問の事、改めて自身の言葉でではありますが、伝わるように書き込みしようと考えております。 今しばらくお待ちください。

実際、言われる事すべての経験がある様に思います。 大した経験ではありませんが、『見られているのではないか?』と感じるくらいのご指摘でしたので、どれから書いたら良いのかと考えています。 以前、別のスレッドの菩提心様とのやり取りで、書き込みさせて貰った覚えがあります。 お手数でなければ探してみて下さい。 あの件も自身の生きてきた中での、些細な経験であります。


忍草様

「『報土』は現世か来世か?」とのご質問。 私自身の思いを少し書かせてください。

まず、「この様だから、こうなんだ。」という、論の展開では必ず反発を呼びます。 論が二極化するからです。 主張する側の反対の意見は否定の形になってはいませんか? 主張される事は大事ですが、断定は無理を生じさせます。 また、上記のような主張は『邪見』と感じますよ。

そもそも、その様な形をとれば、『中道』の姿勢を離れます。 極論に走るからです。 「こうでもありますが、この様でもあります。」(言葉で表しますので表現し辛いですが、ニュアンスをお察し下さい。)でも良いのだと思います。 聞く側にすれば「逆も又、正。」がありえるのでしょう。 その聞き手から『苦』を抜き取る事が出来れば、そういうことです。

ということで、今の時点で「疑いなく救って貰った。」という大自覚を感じることが出来れば、『報土』は現世かもしれませんね。 でも、そうでなければ、どんなに頭で『報土』と理解をしようとしたところで味わいにはなっていませんから、机上の空論だと思いますよ。

上記の如くの味わいを、どの時点で味わう事が出来るのかで『報土』が現世になるのか、来世になるのかに分かれるのだと感じます。

聖人様は、現生正定聚を言うて居られるのですから、『報土』は現世で味わう事が出来るのでしょう。

自身の思いとしては、以前も書き込みをさせて貰いました様に、「この世とあの世が吹き通し。」のように感じておりますから「現世、来世を論じなくてもよいかなぁ〜?」なんて思っています。

簡単な書き込みですね。 茶化したようで申し訳ありません。 また、ご縁がありましたら書き込みをさせて下さい。 合掌

●re.10
ボン
東京の男性

↑ボン様宛にメール
[ 2041 ] Re9:報土について 2010/08/03 (Tue) 23:02 △up ▽down
極道坊主様、こんばんは。

お返事ありがとうございます。
ひょっとしたら、あまりにも不躾な質問をしたので気を悪くされたかなと、少し心配を
しておりましたが、お話をいただけるとのこと、ホッとしております。

>以前、別のスレッドの菩提心様とのやり取りで、書き込みさせて貰った覚えがあります。

「讃嘆・味わいなど」掲示板の[ 1103 ]のことですよね。
この書き込みのことは、多少、念頭にありました。

追って、書き込みをいただけるとのことですので、楽しみにお待ちしております。
どうぞよろしくお願いします。

南无阿彌陀佛



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